投稿者「Gengoroh Tagame」のアーカイブ

ミクロシュ・ヤンチョー2作、『密告の砦』+ “Csillagosok, katonák (The Red and the White)”

dvd_theroundup
『密告の砦』(1966)ミクロシュ・ヤンチョー
“Szegénylegények” (1966) Jancsó Miklós
(フランス盤DVDで鑑賞→amazon.fr、イギリス盤DVDあり→amazon.co.uk

 1966年製作のハンガリー映画。ミクロシュ・ヤンチョー(ヤンチョー・ミクローシュ)監督作品。英題”The Round Up”、仏題”Les Sans-espoir”。
 19世紀半ば、オーストリア支配下のハンガリーで、収容所のような砦を舞台に、独立運動に敗れた闘士たちの辿る悲劇を描いた作品。

 19世紀半ば、オーストリア=ハンガリー二重帝国の成立後間もなく、ハンガリー独立のために戦い敗れた闘士たちは、農民たちの中に紛れ込む。体制側は農民たちを収容所のような砦に集め、その中から独立運動の残党と、顔も行方も判らないリーダーを捜し出そうとする。
 そんな中、オーストラリア軍は一人の殺人犯に、砦に集めた人間の中から、お前より重い罪の者を見つけ出せば減刑してやろうと、取引を持ちかける。男は取引に乗り、自分より多く殺人を犯した男や、独立軍の残党を捜し出しては密告していく。
 砦の捕虜たちの間には不穏な空気が漂い、ついに密告者が何者かによって殺害される。その殺害に関与した者として3人の男が浮かびあがり、拘束され尋問を受けるのだが……といった内容。

 何とも重苦しく救いのない話なんですが、全体的に感情表現を抑えた淡々とした作風。
 砦で起きる事象を、高い視点から俯瞰するような描き方なので、密告する者される者といった個の内面に迫る感じではなく、内容から予想していたほど心理的な圧迫感や息苦しさはない感じ。
 その反面、視点の高さゆえに、全体を通して諦念のような無常観が漂い、人里離れた場所にポツリと立つ砦という、空間の拡がりが印象的な美しいモノクロ画面とも相まって、感情に直接訴えかける系ではない、冷めた視点ゆえの空恐ろしさのようなものが伝わってきます。
 特に、最後の皮肉な結末は、「うわぁ……」と思うと同時に、「でも人間社会なんて、現代でも変わらず、そんなものだよね……」なんて気分になってしまう。劇伴音楽を排して現実音のみによる映画なんですが、そのラストで流れるのが、軍楽隊による妙に明るいマーチだというのも、逆に効果的。
 また、全体的にエモーショナルな表現は控えめとは言いつつ、それでもやはり描かれる内容が内容なので、密告者によって少女が全裸でガントレット刑を受け、それを見た夫(父親?)が投身自殺をするあたりは、淡々とした表現にも関わらず、かなり感情をかき乱されました。

 ただ表現や緊張感が、このあたりをピークにして、後半はいささか失速していくきらいもあり。
 誰が主役というわけではない映画なんですが、それでもそれまで中心にいた密告者が物語から消えた後は、どこか軸が定まらないような散漫な感じは、正直受けてしまいました。
 作劇としては、多くを語らず余白を残し、あとは観客に考えさせるというタイプで、私はかなり引き込まれたんですけれど、一緒に見ていた相棒は退屈だった様子。
 まあ確かにこれはこれで良いと思うし、大いに見応えもあるんだけれど、それと同時に、同じ題材でもっと息苦しい密室劇っぽいものや、サスペンスフルなものも見てみたい気はします。
 淡々としているが故のそら恐ろしさをどう感じるか、そこが評価の分かれどころかも。

『密告の砦』から導入部のクリップ。

dvd_theredandthewhite
“Csillagosok, katonák” (1968) Jancsó Miklós
(フランス盤DVDで鑑賞→amazon.fr、イギリス盤DVDあり→amazon.co.uk

 同じくミクロシュ・ヤンチョー監督作品で、1968年製作のハンガリー/ロシア映画。英題”The Red and the White”、仏題”Rouges et blancs”。
 10月革命後のハンガリーで、赤軍&ハンガリーのコミュニスト対白軍の戦いを描いたもの。

 これは、ストーリーがどうのというタイプではない作品でした。
 全ての事象を高い視点から俯瞰して眺めるというスタイルが、前述の『密告の砦』よりも更に徹底されていて、エピソードは様々あれども、全体を通してのストーリーやキャラクターというのが存在しない。
 具体的に説明すると、こんな感じ。
 川沿いの撃ち合い。捕らえられたハンガリー人を射殺するコサック兵と、それを隠れて見ている敗残の若者。
 反ボリシェビキをアジテートしながら走る白軍の車。
 敗残の若者が赤軍の拠点である修道院に逃げ込むと、赤軍司令官が捕虜を処刑するところで、中年のハンガリー人がそれに反対している。
 そこに白軍がやってきて、赤軍司令官は自殺し、白軍司令官はその死を悼む。
 白軍は捕虜の中から数人をピックアップすると、その中からハンガリー人を除き、ロシア人をゲームのように殺す。また残りの大勢の捕虜の中から、同様にハンガリー人を解放し、残った捕虜にシャツを脱ぐように告げる。そのときになって、一人の男が「自分はハンガリー人だ」と名乗り出るが、「もう遅い」と却下される。
 白軍は半裸の捕虜たちに、自由にしてやるから15分以内にこの砦から出ていけと命じる。捕虜たちは一斉に走り出すが、砦の出口は閉ざされており、逃げ出した数人を除いて全員射殺される。
 捕虜の処刑を反対した中年は農家に逃げ込むが、最初に出てきたコサック兵に発見されて射殺され、コサック兵は農家の美しい娘に目をつけ、皆の前で彼女を全裸にした上、仲間と共に犯そうとするが、白軍の上官がそれを阻止し、コサック兵は銃殺され……といった感じで、これが延々と続く。

 現実音以外には音楽もなく、ただ淡々と人が大勢死んでいく映画。
 カメラがアップになったりして、「お、これがメインのキャラかな?」と思っていると、すぐに死んでしまい、次のキャラに焦点が当たった……かと思うと、また死んじゃう。
 この繰り返し。けっこうスゴい映画です……。
 いちおう、全体を通して登場する人物もいるんですが、およそ主役という感じではないので、一回見終わった後、もう一度最初から見直して、ようやく「ああ、このキャラが……」と判る程度。
 そしてラストシーンは、そのキャラの無言のクローズアップなんですが、これがまた何とも言えない後味で……。
 まあとにかく、戦争というものから、情緒も感傷も善悪もヒロイズムもなにもかもはぎ取って、ただ《起きたことだけ》を見せるというものなんでしょう。
 ですから重いと言えば重いんですが、それでもあまりにも淡々としているので、見ていて落ち込むというよりは、何だかひたすら無常観に囚われていくばかりで、それが良いような悪いような……うーん、何とも言えない……。
 ただ1つ言えるのは、ここに描かれているのは特定の戦争に限ったことではなく、いつでもどこでも起こり得る、そして今でも起きていることなんだろうな……という、そんな普遍性は間違いなく獲得していると思います。
 絶句しつつ、なんかスゴいもの見ちゃったな……という感じ。

 とはいえ、淡々とはしているものの、退屈とかでは全くなく、フィクションやドラマ的な快感は皆無ですが、エピソードや映像はあちこち心に残るもの多し。
 個人的には、捕虜を匿った病院の看護婦たちが、慰安のために綺麗なドレスを着せられて、白樺林でワルツを踊らされるシーンや、大軍に向かって少数の手勢を率いて、「ラ・マルセイエーズ」を歌いながら進軍していくあたりは、大いに心に残りました。
 とにかく、敵も味方も正義も悪も何もなく、ひたすら人間が殺し合う様を、冷たい視線で高見から眺めているような、そんな映画。
 他人様にオススメするには、ちょいと見る人を選びすぎる系なので難なんですが、興味を持たれた方だったら、間違いなく一見の価値はある映画です。
 ”Csillagosok, katonák”、英盤DVD用予告編。

“Baba Yaga”

dvd_babayaga
“Baba Yaga” (1973) Corrado Farina
(アメリカ盤DVDで鑑賞→amazon.com

 1973年製作の伊仏合作映画。私の敬愛するイタリアのコミック作家グイド・クレパックスの代表作『ヴァレンティーナ』シリーズを、ヒップでサイケなムードで実写映画化したカルト作品。別名”Kiss Me Kill Me”。
 女流写真家が謎の女と出会ったことで、幻想的でエロティックな世界に巻き込まれていくという内容。

 女流写真家ヴァレンティーナ(イザベル・デ・フュネス)はパーティーの帰りにバーバ・ヤーガと名乗る不思議な女(キャロル・ベイカー)と出会う。バーバ・ヤーガは謎めいたことを言いながら、ヴァレンティーナのガーターを取って「明日までこれを預からせて」と言う。
 翌日、自宅兼スタジオでモデル相手に撮影をしていたヴァレンティーナのもとに、バーバ・ヤーガが訪れるとガーターを返し、彼女のカメラのことを「これは時間をフリーズさせる眼ね」と言って去る。以来、ヴァレンティーナがそのカメラで撮影をすると、モデルが倒れる等の怪事件が起きるようになる。
 更にヴァレンティーナはエロティックな悪夢を見るようになり、謎を探るためにバーバ・ヤーガの住む古屋敷を訪れる。屋敷には、古びて奇怪なオブジェ、絨毯の下に隠された底なしの穴、サドマゾヒズムやフェティシズムを暗示する道具などがあり、ヴァレンティーナはそこで自慰をしてしまう。そんなヴァレンティーナに、バーバ・ヤーガは「お守りになる」と言ってボンデージ衣装の人形をプレゼントする。
 後日、ヴァレンティーナが例のカメラではなく別のカメラでモデル撮影をしていると、不意に電気が消える。そして再び明るくなったときには、モデルは太腿を何かに刺され、傍らには例の人形が落ちている。ヴァレンティーナは、バーバ・ヤーガは魔女でカメラに呪いをかけたのではないかと疑い、恋人の映画監督アルノ(ジョージ・イーストマン)に相談するが取り合って貰えない。
 しかし帰宅すると、使わなかったカメラが何かを撮っていた様子がある。フィルムを現像してみると、そこには思いもよらぬものが映っていて……といった内容。

 ヒップな音楽(ピエロ・ウミリアーニ)に乗せたファッショナブルなカット、クローズアップを多用したサイケ感の描出、程々の前衛性、モノクロ写真をマルチスクリーン的に配置したり、コマ落とし的に動かすことでコミックのテイストを再現する試みなど、前半から中盤はかなり見所多し。
 惜しむらくは、クライマックスになるとそういった美点が消えてしまい、黒魔術とレズビアニズムとサドマゾヒズムの合体という特徴はあるものの、表現自体は凡庸な怪奇映画のヤマ場的なそれになってしまっていること。またストーリー自体も、囚われのヴァレンティーナをアルノが助けにいく等、終盤は展開が陳腐になってしまっているのが残念。
 クレパックスの特徴の1つ、エロティックでサドマゾヒスティックでフェティッシュで幻想的な白日夢の再現という面は、イメージ的には頑張ってはいるものの、やはり当時の実写(それもさほど予算はかかっていない)の限界もあって、残念ながらオリジナルのコミックの奔放さには遠く及ばない出来。
 とはいえ、ヴァレンティーナを演じるイザベル・デ・フュネスの、ちょっと神経症的でサイケな容貌と、スレンダーなのにお乳はバッチリという体型などは、キャラクター的にも作品の雰囲気にも合っていて、なかなか佳良。
 また、ヴァレンティーナの撮影風景などのクールでファッショナブルな雰囲気と、バーバ・ヤーガ周辺のゴスな雰囲気、所々見られる程よく前衛的な表現、ちょっとジャーロっぽいミステリアス・なムード……等々、見所はあちこちあるので、どれか琴線に引っかかった方なら、ばっちりエンジョイできるかと。
 多くを期待しすぎなければ、ちょっと変わったカルト系のヨーロッパ・エロス映画としては、充分に楽しめる出来だと思います。

 クレパックスのファンとしても、オリジナルのコミックのテイストを映画的に再構築しているラブシーンとか、
babayagasample1
その続きのベッドシーンの表現なんか、
babayagasample2
「おぉ、頑張ってるな〜」って感じで嬉しいし。

 米盤DVDは、監督のインタビュー(最近収録)、カットされたシーン(キャロル・ベイカーのフル・フロンタル・ヌードあり)、グイド・クレパックスの作品に関する短編ドキュメンタリー(イタリアコミック史上の位置、独自性、映画性などの内容で、これが実に面白かった)、スチル等、特典は豊富。
 Blu-rayも最近出ました。確認はしていませんが、おそらく特典等は同一かと。
 ただし、英語音声のみ収録のアメリカ盤に対して、イギリス盤DVD
は英伊二ヶ国語収録で、しかも削除部分を復元したファイナル・カット版だということなので、それを知らずにアメリカ盤を買ってしまった私としては悩ましいところ。

“Baba Yaga”予告編。

“Baba Yaga”ファイナルカット版イギリス盤DVD宣伝クリップ。

 因みに、予告編でも聴けるピエロ・ウミリアーニのヒップなテーマ曲”Open Space”はこちら(amazon.co.jpのMP3ダウンロード販売)。

『英雄の証明』

bluray_coriolanus
『英雄の証明』(2011)レイフ・ファインズ
“Coriolanus” (2011) Ralph Fiennes
(日本盤Blu-rayで鑑賞→amazon.co.jp

 2011年のイギリス映画。シェイクスピアの悲劇『コリオレイナス』を、舞台を現代に置き換えて描いたもの。(でも個人的には、後述するようにホモソーシャル/ゲイ映画として楽しめた一本)
 監督・主演レイフ・ファインズ、共演ジェラルド・バトラー、ブライアン・コックス、ヴァネッサ・レッドグレーヴ。

 ローマ(という名前の現代の都市国家)の軍人マーシアスは、敵国の猛将オーフィディアスを打ち負かし、都市コリオライを陥落させた武勲により、救国の英雄として「コリオレイナス」の称を受ける。
 コリオレイナスは、政治的野心を持つ母親の意に沿うために、執政官選挙に出馬して人々の支持も得るが、その権力に危機感を抱く政治家とマスコミ、そして彼らに煽動された市民たちによって、潔癖で激昂しやすい気質を逆手にとられ、追放刑に処せられてしまう。
 こうしてコリオレイナスは、故国に裏切られた怒りと絶望を抱えながら、独りローマを追われるのだが、その向かった先は仇敵であるはずのオーフィディアスの元であり……といった内容。

 瑕瑾がないとは思わないけれど、見応えは大いにあり。
 舞台を現代に置き換えたのは、内容の普遍性をより明確に浮かび上がらせるという点で効果絶大。ただし浅学にして原典を良く知らないので、どの程度のアレンジや変更があるのかまでは判らず。
 英雄的な軍人であり、ある意味で高潔でもある「孤独な竜」と称される主人公像(ちょっとニーチェ的)と、衆愚として描かれる民衆などは、色々と異論もあるかとは思うけれど、理想主義と現実主義の相剋といった命題や、護民官をマスコミに置換することによって描出される社会的な普遍性などは、個人的には実に興味深し。
 表現面は全編ドキュメンタリータッチで、概してそれも効果的ではあるものの、それでも芝居的な見せ場になると、やはりシェイクスピア的なセリフ廻しとニュース映像的なリアル感が、いささか齟齬が生じている部分があるのは否定できない。
 また全体を通じて、見せ場的な華に乏しい感があり、役者の演技で何とか保ってはいるものの、エモーションが揺さぶられにくい部分があるのも事実。
 映像としての動的な見せ場が、前半の市街戦に集中してしまい、後半部にそういった要素がなかったのも残念。
 演出意図に基づくものなのか、予算の関係なのか判りませんが、いずれにせよ後半の進軍・戦争・破壊といったプロセスを、セリフだけではなくしっかり映像でも見せた方が、映画としては全体が引き締まったのではないかという気がします。

 個人的に大いに興味を惹かれたのは、コリオレイナス(ファインズ)とオーフィディアス(バトラー)という、ライバル同士である二人の軍人の関係を描いた部分。
 この部分がもう思いきりホモソーシャル色が濃厚で、ある意味、オーフィディアスがコリオレイナスに片思いしているゲイ映画として解釈したくなるくらいでした。何しろジェラルド・バトラーがレイフ・ファインズを抱きしめて「俺は今、新妻を部屋に迎え入れた時よりも心が躍っている!」とか言っちゃうんだもん(笑)。
 そして、そのバトラーの《恋敵》に当たるのがコリオレイナスの母で、これがまた父性と母性を同時に持ち合わせているかのような魅力的な人物なんですが、それを演じるヴァネッサ・レッドグレーヴの見事さといったら、大女優の貫禄ここにありという感じで、いやもうホント絶品。
 というわけなので、ヤヤコシイことは置いておいても、オヤジ好き&軍人好き&深読み好きのゲイ&腐女子の皆さんは、その部分だけでも間違いなく一見の価値ありだと思います。実に萌えどころ豊富で、そこはもう太鼓判。

 もちろんそういった部分をさっ引いても、前述したように見応え自体はタップリなので、モチーフに惹かれる方であれば、一見の価値はあるかと。
 でもやっぱり個人的には、これはホモソーシャル/ゲイ映画として楽しみたい感じ。

英雄の証明 [Blu-ray] 英雄の証明 [Blu-ray]
価格:¥ 4,935(税込)
発売日:2012-07-03
英雄の証明 [DVD] 英雄の証明 [DVD]
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2012-07-03

“Singapore Sling”

dvd_singaporesling
“Singapore Sling” (1990) Nikos Nikolaidis
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com

 1990年制作のギリシャ映画。
 全編美麗なモノクロ映像とデカダンな美術で彩られた、セックスと殺人を巡る不可思議で不条理な怪奇幻想譚で、フィルムノワール風味のアートなゴシックホラーといった趣もあり。

 ある雨の夜、庭に穴を掘って瀕死の人間を埋めている二人の女を、傷を負った男が目撃する。
 二人の女は母と娘で、父親は死んでいるが、色情狂気味の娘は、父親はまだ死んではおらず、墓から出てきて自分を犯すと思っている。母の股間にはペニスが生えており、それで秘書の面接にきた娘を犯して殺す。
 負傷している男は行方不明になった恋人ローラを探しており、母娘の家を訪ねる。母娘は口をきかない彼を《シンガポール・スリング》と名付け、監禁してベッドに縛り付け、犯し、尿を掛け、電気で拷問する。その間、男は自分のほどけた靴紐のことをずっと気にしている。
 娘は、自分が男の探している《ローラ》だと言い、連れて逃げてくれと頼む。一方で母は、男を赤子のように可愛がり、娘の言うことを信じては駄目だと諭す。
 やがて男は、母が《ローラ》を拷問するのに自ら手を貸すようになるのだが、そんな中、父の遺品のナイフがなくなり……といったような内容。

 まあぶっちゃけ筋を追っても、ナニガナンダカサッパリワケガワカラナイ系の話なので、ここはもうエロティックで残酷な幻想不条理譚と割り切って、美麗な画面と異様な雰囲気を楽しみつつ、それぞれのエピソードにビックリしたりウットリしたりという楽しみ方をする映画かと。
 実際、映像は極めて美麗。屋敷の様子や衣装のゴージャス感は文句なしで、陰影を上手く活かしたモノクロ撮影も見事。
 また、母娘を演じる女優さんたちが、容姿的にも演技力的にもクオリティが高いのも良し。わりとこういうアヴァンギャルド系は、そこいらへんで醒めることが多いので。
 ただ、尺が2時間近くあるので、流石にちょっと退屈な部分もあり。
 前半は、本気だかふざけてんだか判らない変な可笑しさも手伝って、なかなか快調に見られるんですが、後半のSMセックスや女たちの自慰がメインの展開になると、さほど目新しいものがないせいもあって、ちょっとイマイチ感が漂う。
 この映画に限らず、アート系や耽美系映画に出てくるBDSM表現では、正直なところ感心させられたことは殆どないんですが、この映画もしかり。ラウラ・アントネッリの『毛皮のヴィーナス』とか、寺山修司の『上海異人娼館』程度の、BDSM描写に限定して言えば、雰囲気や型が「それっぽい」だけで、それ以上のものは何もないタイプ。映像センス自体は良いので、そこいらへんももうちょっと頑張って欲しかった。
 とはいえ、クライマックスのどんでん返し……とは言え不条理な話なので、ひっくり返ってビックリはするけど意味はサッパリ分からないんですが(笑)……以降は、馬鹿馬鹿しくも残酷ながら、奇妙にロマンティックな雰囲気も漂い、それでテンションも持ち直したという感じがあって、後味はなかなか上々。

 というわけで、意味不明でも構わないから、耽美的なもの、残酷なもの、エロティックなもの、変なもの、ゴシックな雰囲気が好きな方なら、なかなか楽しめるのではないかと。ただし一緒に見た相棒には大不評(映像の美麗さのみは高評価)だったので、責任は持てませんけど(笑)。
 とにかく映像クオリティは高いので、デヴィッド・リンチとダリオ・アルジェントと『レベッカ』あたりのヒッチコックを混ぜて、それをアヴァンギャルド不条理劇にしたってな感じもあり、個人的にはけっこう好きです。

 余談。
 ちらっと『毛皮のヴィーナス』に触れましたが、同じ『毛皮のヴィーナス』の映画でも1994年のオランダ版(マルチェ・セイフェルス&ヴィクトル・ニーヴェンハイス)は、アート映画寄りの作品なので劇映画的な面白さは別としても、SM的な興趣に関してはあちこち面白い部分があるので、男マゾものがお好きな方なら一度お試しあれ。

毛皮のヴィーナス [DVD] 毛皮のヴィーナス [DVD]
価格:¥ 4,935(税込)
発売日:2003-01-31

『エジプト人』

bluray_theegyptian
『エジプト人』(1954)マイケル・カーティス
“The Egyptian” (1954) Michael Curtiz
(米盤Blu-rayで鑑賞→amazon.com

 1954年製作のスペクタクル史劇。マイケル・カーティス監督。
 紀元前1300年代中頃の古代エジプトを舞台に、一人の医師の波瀾万丈な生涯を、アクナトン(イクナートン、アクエンアテン)の宗教改革などに絡めて描いた内容。原作はミカ・ワルタリの同名小説(未読)。

 主人公シヌヘ(エドマンド・パードム)は葦船に乗せられてナイル川を流れてきた赤子。医者夫婦に拾われて息子として育てられ、成長後は同じく医師を目指す。ある日彼は、軍人志望の友人ホレムヘブ(ヴィクター・マチュア)と共にライオン狩りに出掛け、そこで神に祈りを捧げていた一人の男(マイケル・ワイルディング)を助ける。
 その男こそがエジプトの次のファラオであり、エジプト古来の多神教から世界初の一神教へと宗教改革をするアクナトンだった。アクナトンはシヌヘを気に入り、自分の侍医にする。またシヌヘは酒屋の娘メリト(ジーン・シモンズ)に慕われるが、バビロン出身の高級娼妓(ベラ・ダルビー)に夢中になり、やがて全てを喪ってしまう。
 追われる身になったシヌヘは、奴隷カプタ(ピーター・ユスティノフ)と共にエジプトから逃れ、クレタやメソポタミアなどを転々とする。しかしアッシリアがエジプト攻撃を計画していることを知り、彼らの秘密兵器である鉄器を持ってエジプトに帰る。
 エジプトに戻りメリトとも再会したシヌヘだったが、理想主義者で実務に疎いアクナテンの治世によって、エジプトの国土は荒廃していた。また友人だった軍人ホレムヘブは、既に指揮官にまで上り詰め、神官たちと手を組んで次期ファラオの座を狙っていた。
 そんな中、ファラオの妹バケタモン(ジーン・ティアニー)がシヌヘに接近し、とある秘密を明かすと共に計略を持ちかけるのだが……といった内容。

 監督が『カサブランカ 』も撮れば『ロビン・フッドの冒険』や『肉の蝋人形』も撮る、職人マイケル・カーティスなので、スペクタクル史劇にありがちな過度にもったいぶった要素があまりなく、また尺が2時間20分と短めなこともあって、この手の映画にしてはわりとサクサク見られる感じ。
 とはいえ、悩み多きキャラクターである主人公には、正直あまり動的な魅力は感じられず、演じるエドマンド・パードムも、演技力もオーラも共に不足している感じ。また、こういうテーマを扱いながら、前半1時間近くを延々と、初心な主人公が悪女に翻弄される話に費やすのもどうかと思う。
 合戦シーン等の大がかりな見せ場もないので、スペクタクル的な見せ物としての楽しさもそこそこどまり。エピソードやシチュエーションやテーマが、かの『十戒』とかぶりまくっているのも、どうしても比較して見劣りしてしまう感じに繋がってしまうかなぁ。
 ストーリーの根っ子にあるテーマとしては、イクナートンの宗教改革による世界最初の唯一神アテン信仰を、後のユダヤ教を経たキリスト教誕生のルーツとする説を踏まえ、その2つを意図的に重ね合わせて見せ、結果的には主人公がその筋道を辿っていく様子を描くというものがあります。
 これはアプローチとしては面白いんだけれども、それが出てくるのが映画のほぼラスト近くになってからというのは、ちょいとバランスが悪い感じ。また、その重ね合わせの方法自体も、いささかクリシェに寄りすぎていたり、あからさま過ぎて鼻白む感もあり。
 とはいえ、セットや衣装の美しさや、ロマンティックな照明による画面などは、なかなか魅せられる場面も多々ありますし、ストーリー自体は波瀾万丈で決して退屈な内容でもないので、このジャンルが好きな方だったら、まぁ見て損はなし。

 Blu-rayは、米SAE発売の限定3000枚(DVDも同時発売)。画質等がどれほどのものか等、ちょっと不安もあったんですが、クラシック作品としては問題ない高品質。ただし残念ながら英語字幕はなし。

ちょっと宣伝、『エンドレス・ゲーム』第10話です

endlessgame10
 11月21日発売の雑誌「バディ」1月号に、連載マンガ『エンドレス・ゲーム』第10話掲載です。
 前回のチェンジ・オブ・ペースの流れで、今回はストーリー上の転換点とエロ場面のサンドイッチ構成。
 一年弱描いてきたこのマンガも、そろそろオーラス。次回で完結となります。
 連載開始から追いかけてくださっている方は、ここいらで第1話から通しでまとめて読み返していただくと、また一層滋味(笑)が増してお楽しみいただけるかと。

 さてこの「バディ1月号」ですが、特集が《裏バディ》ということで、パラパラッと捲ってみたところ、いつもよりエロ比重が多めな感じ。
 それに合わせて野原くろ先生が、肌色率高め&がっつりエロ入りの読み切りマンガ『豪人の裏がわ』を描いていたりするので、ファンの方はマスト。
 あと情報ページでは、拙著『銀の華[復刻版]』をご紹介いただいているんですが、全巻セットのサイン本プレゼントもありますので、ご希望の方はふるってご応募くださいませ。

Badi (バディ) 2013年 01月号 [雑誌] Badi (バディ) 2013年 01月号 [雑誌]
価格:¥ 1,500(税込)
発売日:2012-11-21

ドイツのゲイ・アートブック”Mein schwules Auge 9″に作品掲載

book_MSA9_cover
 ドイツの出版社konkursbuch Verlag Claudia Gehrkeから出版されたゲイ・アートブック、”Mein schwules Auge 9 (My Gay Eye 9: Yearbook of the Gay Erotic)”に作品数点掲載されました。
 このシリーズには前も作品を提供しているんですが(こちら)、わりと作品のセレクトにクセがあって、同じドイツのゲイアート出版関係でもBruno Gmunderの出す、良くも悪くも間口が広い感じの本(ピンナップ的な口当たりの良い作品が中心で、あまり過激だったりとんがっているものは歓迎されない傾向にあり)とかと比べると、収録される作品もアクの濃い面白いものが多い印象。
 自分としても参加できるのが嬉しい本なので、再度のオファーをいただき喜んで作品提供した次第。

 というわけで掲載されている作品も、ピンナップありフェティッシュありSMあり女装あり、写真ありドローイングありペインティングあり……と、パラパラ捲っているだけでも楽しい内容。
 今回の収録作家は、自分の知り合い系ではFacebookで付き合いのあるUli Richterくらいで、Tom of FinlandやRexといったビッグネーム系も見あたらず。
 とはいえなかなかワールドワイドな面々で、中でも個人的に興味を惹かれたのは、

イタリアのIacopo Benassi、
book_MSA9_IacopoBenassi

スロヴェニアのBrane Mozetic、
book_MSA9_BraneMozetic

ドイツのHenning Von Berg、
book_MSA9_HenningVonBerg

イタリアのSabatino Cersosimo、
book_MSA9_SabatinoCersosimo

ドイツのJorg Nikolaus、
book_MSA9_JorgNikolaus
ドイツのJan Schuler
book_MSA9_JanSchuler

……といったあたり。
 他にも、作品的にも性的な意味でもけっこう興奮させられるような、もっと過激にエロティックな作品も収録されているんですが、紹介は自重しておきます(笑)。
 私の収録作品はというと、最近作のマンガ『エンドレス・ゲーム』の決めゴマから、フキダシや効果音を取り除いてイラストレーション的に仕上げたものを、何点か提供しています。
book_MSA9_me
 掲載誌「バディ」では局部がモザイク処理されているので、完全な形でのお披露目はドイツが初ということに(笑)。このブログでは修正入れてますけど(笑)。
 冗談めかして笑ってはいるものの、正直なところいつもながら、自分の作品が肝心の日本では、いろいろ規制に抵触してしまって、完全な形での発表が望めないというのは、何だかなぁ……という気分になるのは否めませんね。
 本の入手法ですが、残念ながら日本のアマゾンでは取り扱いなし。
 ドイツイギリスアメリカのアマゾンでは取り扱いがあるので(11/14現在、独英は既に発売中、米は予約受け付け中状態)、欲しい方はそちらをご利用ください。

“Capitaine Conan (コナン大尉)”

dvd_capitaineconan
『コナン大尉』(1996)ベルトラン・タヴェルニエ
“Capitaine Conan” (1996) Bertrand Tavernier
(英語字幕付きフランス盤DVDで鑑賞→amazon.fr、後にフィルムセンター『現代フランス映画の肖像2』で再鑑賞)

 1996年制作のフランス映画。ベルトラン・タヴェルニエ監督。
 一次大戦末期から終戦直後にかけてのロシア国境近辺で、終戦後の平和に馴染めない軍人を主人公に、軍隊というシステムの矛盾などを描いた作品。セザール賞最優秀監督賞&主演男優賞受賞。

 第一次世界大戦末期、ブルガリアで戦っているフランス軍。
 コナン大尉は自ら育てた手勢50名を率いて、特殊部隊のような活躍をしている。銃器ではなく白兵戦をモットーとする彼は、自分は兵士ではなく戦士、猟犬ではなく狼だと考えており、捕虜をとることはなく敵は全て殲滅する。部下たちもまた同様だった。
 そんな自分の信念を貫くコナン大尉は、基本的に士官学校出のエリートには不信感を持っており、たとえ上官の命令であってもナンセンスであると思えば平然と無視する男だったが、元教師のノルベル中尉とだけは、互いに全く違うタイプながらも友情で結ばれていた。
 そして戦争が終わる。フランス軍兵士たちはこれで故郷に帰れると喜んで列車に乗るが、ハンガリーのブカレストに留め置かれてしまう。
 平和に馴染めないコナンの部下たちは、乱暴狼藉など何かと問題を引き起こしてしまい、一方ノルベルは軍事法廷の検事に任命されてしまう。コナンは部下を庇って、何かとノルベルと対立することになるが、一方でノルベル自身も、兵卒ばかりが些細な罪や大した証拠もないにも関わらず裁かれ、上層部の軍人は責を問われることなくノホホンとしていることに疑問を抱き、持ち前の正義感から悩む。
 そんな中、軍隊は対ボリシェビキ戦に備えて、再び故郷とは反対方向の東方へと移動することになる。
 自分の信念を曲げないコナンも、裁く側となって矛盾に悩むノルベルも、罪に問われて拘留されたコナンの部下たちや他の兵士たちも、その皆が戦場となる東へ向かう列車に乗り……という内容。

 基本的な構造としては、平和な時代はおろか、実は近代戦自体にも馴染めないコナン大尉という男の生き様と重ねながら、近代的な戦争や軍隊の持つ問題点や矛盾を描き出した、文芸的な大作映画といった印象。
 とは言え、いかにもそういったモチーフらしい世界の残酷さや空しさを描きつつも、同時に生きている人間ならではのユーモアもふんだんに盛り込まれ、決して重苦しい作品にはならないあたりが、タヴェルニエ監督らしいという感じでしょうか。たとえどんな切迫した状況であっても、その中での食い気と色気がしっかり描かれるあたりは、私が大好きな同監督の『レセ・パセ 自由への通行許可証』と同じ。
 映画の冒頭とクライマックスを、それぞれ戦争場面で挟む構成になっているんですが、この部分のスペクタキュラーな見応えもお見事。特に初めの戦争シーンは、マクロな視点のスケール感、迫力、細部の面白さ……等々、内容的にも映像的にも大いに楽しめます。
 中間部分は、無遠慮な兵士の振る舞いとか、ミュージックホールに入った強盗とか、命令違反に問われた若い兵士とか、帰らぬ息子を自力で前線まで探しに来た母とかいった、様々なエピソードと共に、ちょっとした謎解き的な要素なんかも絡んできて、これまた飽きさせない。
 そんな中でも、やはりユーモラスな描写が光っていて、例えば、冷たい雨の中で整列し兵士たちが、延々と将軍の長演説を聴かされているうちに腹を下してしまい、ガマンできずに次々と物陰に駆け込んでしゃがんでしまうとか、軍楽隊も同様に腹に力が入らず、演奏がメチャクチャになってしまうとか、ブカレストで即席の軍刑務所兼軍事裁判所が必要になるのだが、それが娼館に作られてしまうとか、そんなあれこれが実に楽しい。

 一方、戦争犯罪や命令違反などを巡る、ちょっとした謎解き部分のドラマに関しては、実はそれらの主眼は真実の究明に至るドラマ云々ではなく、例えそこにどんな理由や不正や正義があったにせよ、それとは関係なく現実は冷酷であるというのを見せることにあった模様。これは、そういった厭世観や無常観、そしてそんな現実に対する批評性としては有効なんですが、個人的にはもうちょっと娯楽寄りに目配せがあった方が好みではありました。
 役者さんはそれぞれ魅力的なんですが、主人公であるコナン中尉役のフィリップ・トレトンが、大いに魅力的ではあるものの、それでもちょっと弱さを感じるのが残念。
 というのも、このコナン中尉というキャラクターは、いわば生まれながらの戦士であり、平和な時代はおろか、実は近代以降の社会全てに居場所がないような、そんな人物。そんな彼は「引き金を引くだけで相手を殺すのは《戦った》とは言わない、刃物で突き刺してこそ《戦い》であり、それが兵士ではない《戦士》の証だ」などと、堂々と言ってのける人物なんですが、トレトンは顔立ち自体に人が良さそうなところがあり、好演はしているとは思うんですが、正直そこまでの凄みはない。

 そういう感じで、個人的にはちょっと惜しい感もあり、映画の後味もけっこう苦いものがありますが、見応えはタップリ。
 ストーリー的に様々な位相を持ち合わせた内容なので、見る人を選ぶ部分もあれこれあるとは思いますが、時代物、戦争物、男のドラマ物がお好きな方なら見所も多いと思います。

レセ・パセ[自由への通行許可証] [DVD] レセ・パセ[自由への通行許可証] [DVD]
価格:¥ 2,500(税込)
発売日:2006-04-28

マンガ『倅解体』再録です

segaresairoku1segaresairoku2
 ぶんか社のコンビニコミック『まんが このミステリーが面白い! 猟奇ホラーミステリーセレクション』(本日見本を戴いたので多分ぼちぼち発売中かと)に、2009年に描いたマンガ『倅解体(原作・平山夢明)』が再録されております。
 レディコミ誌に描いた原作付きマンガということで、今後単行本に収録等はないと思うので、宜しかったらこの機会に是非お買い求め下さいませ。
 残念ながらアマゾンでは取り扱いがないのか見つからず。お近くのコンビニでどうぞ!
 ただ初出時のカラー扉が、この再録ではモノクロになり、すっかり潰れてナニガナンダカワカンナクなっちゃっているので、ここで扉絵のカラー画像を公開。
 オリジナルはこうだったんですよ〜 ^^;
segarekaitai_tobira
 初出時の記事はこちら。
2009.04.24:ちょっと宣伝、ミステリーマンガ描きました

“Iz – rêç (The Trace)”

dvd_izrec
“Iz – rêç” (2011) M. Tayfur Aydin
(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで購入可能→amazon.com

 2011年のトルコ映画。英題”The Trace”。
 故郷に帰りたいという老母の唯一の望みを叶えるために、棺を運んで旅する息子と孫の姿を通して、未だ癒えぬトルコ国内での民族紛争問題に、無言の抗議を突きつけた意欲作。

 故郷を追われイスタンブールで暮らすクルド人一家。ある日祖母が転倒し、医者に連れていったところ治療不可能な脳腫瘍が発見され、余命いくばくもないと宣告される。
 祖母は唯一の望みとして、故郷に帰ってそこで埋葬されたいと息子に頼む。息子はそれを承諾し、お祖母ちゃん子の孫息子と共に、十数年前に後にした故郷の村に、祖母を連れていくことにする。
 しかし厳格な父親である息子と、現代っ子の学生である孫息子は折り合いが悪く、この父子は何かと衝突を繰り返す。そんな中、田舎へ向かう列車の中で祖母が亡くなる。
 父子は祖母の遺体を棺に入れて、故郷の村の近くに住む親戚の家に運ぶ。そして車を手配し、今や廃村となっている故郷へと向かうのだが、道が軍隊によって封鎖されていて、村に辿り着くことができない。
 父子はいったん近郊のクルド人の村に身を寄せる。村の人々は、故郷の村に行くのは無理だからここに埋葬しろと父子を説得する。しかし父はあくまでも祖母との約束を守ることにこだわり、棺を馬に乗せて徒歩で村へ行こうとする。
 息子は父親に向かって、そこまでして祖母との約束を守らなければいけないのかと抗議するが、父親はそれを聞き入れようとはしない。孫息子は仕方なく父親を手伝い、共に雪道を進み始めるのだが、やがて馬はへたばってしまう。
 父子は自分たちで棺を担ぎ、道なき道を進み、やがて祖母の埋葬場所に辿り着くのだが、そこで一族のルーツに関する驚くべき事実が明かされる……といった内容。

 いや、これはやられた……。
 故郷を追われたクルド人一家、民族的な出自のせいで恋人に振られてしまう孫息子、旅先で理不尽に身分証の提示を求める警察……といった具合に、モチーフはクルド問題なのだとミスリードさせて、最後の最後に「うわぁそっちへ行くか!」という感じでした。いやぁ、一本とられた。
 演出は極めて静的。セミフ・カプランオールやヌリ・ビルゲ・ジェイランほど禁欲的ではないにせよ、派手な場面は皆無で全てが淡々と進んでいきます。描かれるエピソードもホームドラマ的で、いささかのさざ波はあれども、しかし基本的にはどこにでもありそうな光景を、丁寧に繋いでいくという感じ。
 ただし、孫息子の叶わぬ恋とか、不妊に悩む娘夫婦とか、父と息子の不和とかいった、そういうホームドラマ的なエピソードは、いずれもこれという決着には至らない。これらはあくまでも《日常》を提示するためのファクトでしかなく、それゆえに、最後に突きつけられる重い命題が、こういう《どこにでもある日常》の裏に、常に存在し続けることを明示する効果になっています。
 美麗な映像もまた、この命題とのコントラストを醸し出していて有効。
 後半の、棺を担いだ父子が黙々と進むシーンに見られる、自然の風景を活かした詩情あふれる映像を筆頭に、夜、老母の棺の前に座る息子の背後で、家の灯りと共に赤ん坊の出産の物音が聞こえてくるという、生と死が交錯するシーンや、トルコ映画ではちょっと珍しい、全裸で横たわる恋人たちの全身を俯瞰で捕らえるシーンなど、美しく印象深い場面も多々あり。
 役者さんたちの自然な演技や、それによって醸し出されるリアルな存在感も、同様に実に効果的。

 前述したように、ストーリー的には最後に空中分解するようなツイストが入るので(ネタバレを含むので詳細は後述)、そこは好みが分かれるかもしれません。いわば観客は、フクションである《映画》の世界から、唐突に《現実》に放り出されてしまい、その時点でフィクション的なドラマの数々は無効化してしまい、現実の世界が抱える問題が突きつけられる形になります。
 しかし、ラストの廃屋の窓の中に無言で佇む二人の姿は、こういった問題に対する無言の抗議として言葉以上に雄弁であると思うし、何よりこのモチーフを取り上げること自体が意欲的。
 結果、映画は登場人物が何か考えて答えを出すのではなく、鑑賞者である我々に考えさせるという形で終わります。描かれている映像自体は、シリアスな雰囲気ではあるものの、決して重苦しかったり暗かったりはしないのに、鑑賞後は極めてズッシリとした味わいに。
 いや、繰り返しになりますが、これは一本とられたという感じ。

 ある程度トルコの近代史や民族問題に関する知識がないと、ちょっと理解が難しいところはあるかも知れませんが、それらに興味のある方なら見て損はない一本。

【ラストシーンのネタバレを含む解説】
(嫌な方は以下はお読みになられませんように!)
 前述したようにこれは、基本的には紛争によって村を追われたクルド人一家の話なので、当然観客も、祖母が帰りたがっているのは放棄されたクルド人の村だと思っています。
 しかし最後の最後、祖母の棺が祖父の眠る墓に辿り着いたとき、生前の祖母のモノローグによって、実は彼女はかつてトルコで虐殺されたアルメニア人の生き残りで、自分の家族を殺された上に強奪され、無理やり主人公父子の父親にあたるクルド人男性と結婚させられたという事実が明かされる。彼女が帰りたがっていた(埋葬されたがっていた)場所も、亡夫と同じ墓ではなく、かつてアルメニア人墓地のあった場所だった。
 こうして、今まで被害者だと思っていたものが、同時に加害者でもあったという事実、繰り返される悲劇という歴史が明かされ、それを踏まえて祖母を埋葬した父子は、放棄された村の廃墟となった家の中に佇み、その窓越しに観客である我々を、何かを訴えかけるように無言で延々と見つめ続ける。
 セリフはいっさいないにも関わらず何よりも雄弁な、素晴らしいエンディングでした。