投稿者「Gengoroh Tagame」のアーカイブ

『田舎医者/ポチ』表紙絵メイキング

 本日、一般書店&ネット書店でも『田舎医者/ポチ』発売になりました!

田舎医者/ポチ 田舎医者/ポチ
価格:¥ 2,520(税込)
発売日:2012-04-13

 というわけで、発売記念に表紙絵のメイキングなんぞを。

●下絵
wakare01-draft
 B4のコピー用紙に鉛筆で下絵を描きます。今回の狙いは《レトロモダンなテイスト》なので、いつもの絵とは少し形の取り方を変えています。具体的には、形を少しリアルから装飾系に振って単純化し、線も減らしました。

●白描
wakare02-drawing
 下絵をライトボックスで透かしながら、墨と筆でドローイングします。線に若干の粗さや力強さ、木版画的なぎこちなさといった味が欲しかったので、通常使う紙より目が粗い、普通の画用紙を選び、筆も小学生用の安い水彩筆を使ってみました。

●スキャニングと補正
 下絵と白描は、それぞれ位置や形を合わせて、スキャナーでパソコンに取り込みます。白描のみ、紙白を飛ばして透明セル状にし、細かなゴミを取るなどの補正をしておきます。

●マスク作成(背景)
wakare03-maskBG
 下絵をIllustratorで開き、それをテンプレートにして形をとっていきます。これも木版画風のシャープな感じにしたいので、鉛筆ツールを使って一発描きでガシガシ描いていきます。
 本番の彩色時には、レイヤーの透明度をロックして彩色用マスクと兼用したいので、パーツごとにレイヤーを分けておきます。色は後から調整するので、この段階では適当に。
 画像は左から、実際の作業画面、アウトライン表示した状態、レイヤー構成……になります。

●マスク作成(人物)
wakare04-maskFigure
 今度は白描をIllustratorで開き、それをテンプレートに形をとります。こちらはドローイングの線とぴったり合わせる必要があるので、ペンツールを使います。

●色彩設計
wakare05-color
 背景用と人物用マスクを、それぞれレイヤー構造を維持したままPSD(350dpi)で書き出し、Photoshop上で合成し、更に白描のレイヤーも読み込んでから、全体の最終的な色彩設計をします。決まったら、レイヤーを結合せずにそのまま保存。これがそのまま彩色用の本番ファイルになります。

●彩色
wakare06-sky
 彩色用ファイルをPainterで開いて、さきほど決めた色彩設計通りに、スポンジツールを使ってカスレや色ムラを出しながら塗っていきます。
wakare08-flag
wakare09-wave1
wakare10-crest1
wakare11-wave2
 奥から手前へ、レイヤー構成通りに、ただひたすら塗ります。レイヤーの透明度をロックしているので、はみだしなども気にする必要なし。デジタルでステンシルをしているようなもので、実はかなり楽チンな手法(笑)。
wakare12-seaComplete
wakare13-figure

●そんなこんなで、けっこうあっという間に完成(笑)。
wakare14-finish

『キャプテン・アブ・ラーイド (Captain Abu Raed)』

dvd_CaptainAbuRaed
『キャプテン・アブ・ラーイド』(2007)アミン・マタルカ
“Captain Abu Raed” (2007) Amin Matalqa
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com

 2007年制作のヨルダン映画。アラビア語原題”كابتن أبو رائد”。
 空港の掃除夫が機長の帽子を拾ったことにより、周囲の子供にキャプテンと勘違いされてしまい……というヒューマン・ドラマ。NHK BSで『キャプテン・アブ・ラーイド』題で放送されたことがある模様。

 妻に先立たれ子供もいない老人アブ・ラーイドは、アンマンの国際空港で掃除夫として働いていたが、ある日ゴミ箱に捨てられていたパイロットの帽子を拾う。
 彼がその帽子をかぶって帰宅すると、近所の子供が空港のバスから降りてきた彼の姿を見て、パイロットだと勘違いしてしまう。彼の住んでいるのはアンマンの中でも貧しいエリアで、その噂は瞬く間に近在の子供たちの間に広がり、翌朝子供たちは大挙して彼の家に押しかけ、彼を《キャプテン・アブ・ラーイド》と呼び、世界中を旅した冒険譚を聞かせてくれとねだる。
 一度はその頼みを拒否した彼だったが、やがて子供たちの遊び場で、帽子をかぶり、キャプテン・アブ・ラーイドとして、自分の豊富な読書知識を元に、世界中の様々な話を聞かせるようになる。
 しかし、同じく近所の子供で父親から虐待されているムラードだけは、その輪に加わろうとしなかった。ムラードは、彼が本当はパイロットではなく清掃員だということを知っていて、子供たちに彼は嘘つきだと言う。
 一方、所用でアンマン郊外に出掛けた彼は、そこで彼を最初にパイロットだと勘違いした少年タレクが、父親から駄菓子売りを強制されて学校に行けなくなっているのを見つける。彼は駄菓子を全部買い取ってやり、タレクに学校へ行くよう言うのだが、タレクの父親は息子が商品を全て売り切ったことに喜び、今度は更に大量の駄菓子を売りさばいてくるよう言う。
 そしてムラードは、自分を虐待している父親の財布から金を抜き、他の子供達を連れてタクシーで空港へ行き、《キャプテン》の《嘘》を暴こうとするのだが……といった内容。

 なかなか上質なドラマ。
 前半は老人と子供たちの間の、ほのぼの交流ものといった感じなんですが、子供たちのシビアな家庭事情が見えてきて、主人公自身の過去が断片的に明かされた中盤以降、ぐんぐんシリアス寄りの展開に移行していく意外性もあって、最後まで目が離せない感じ。
 夢を見ることの大事さを描きつつ、かといってお伽噺にはせずシビアな視点も交えながら、あるものは救われ、あるものは救われず……といった感じで、ストーリーに対するリアリズム的な距離の置き方が巧み。
 そして最後には、ハートウォーミングというのとはちょっと違う、少し複雑ながらもしみじみとした余韻が。
 演出は洗練されていて、全体的には過剰にドラマチックになることがない淡々とした味わいながらも、無駄がなくテンポも良し。仄かなユーモアや詩情のはさみ方も上々。IMDbを見ると初監督作品らしいですが、とてもそうは思えない安定した力量。
 キャラクター描写や俳優陣も、主人公や子供たちを筆頭にいずれも魅力的。

 ストーリーにはシビアな要素もありますし、社会派的な問題提起といった面もあるので、予定調和的な感動とか、ほのぼの味のみを期待してしまうと、ちょっと裏切られてしまうとは思いますが、しみじみと残る後味には色々と考えさせられますし、全体のクオリティも高い一本。
 ミニシアター系の作品がお好きな方にはオススメで、もちろんアンマンの風景もたっぷり楽しめます。

“Le Grand Voyage”

dvd_LeGrandVoyage
“Le Grand Voyage” (2004) Ismaël Ferroukhi
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com

 2004年制作のフランス/モロッコ/ブルガリア/トルコ映画。
 車で陸路メッカ巡礼に出た、フランスに暮らすモロッコ移民の老父と、その運転手となったフランス生まれでイスラムに縁のないハイティーンの息子を描いたロードムービー。

 レダはフランスで生まれ育ったモロッコ移民二世のハイティーンの青年。使用言語はフランス語で、アラビア語はモロッコ方言しか判らない。ある日、敬虔なムスリムである老父が、自家用車で陸路ハッジ(メッカ巡礼、ムスリムにとって重要な五行の一つ)に出ることになり、その運転手を命じられる。
 大学受験を控えていたレダは反発するが、結局は父親の運転手として共にハッジに出る。二人の車はフランスからイタリア、スロベニア、クロアチア、セルビア、ブルガリア、トルコ、シリア、ヨルダン…と、様々な国を走り抜けてサウジアラビアへと向かう。
 旅の途中、謎の老婆や調子のいい男など、様々な人々に出会ったり、車が雪に埋もれてしまったり、言葉が通じなかったり詐欺にあったりといった、旅行ならではのトラブルにも巻き込まれながら、世代も文化的背景も異なる父と息子は、共に行動しながらも衝突を繰り返すのだが、やがて……といった内容。

 良い映画。
 作りすぎないエピソードのリアル感、点景によって浮かび上がってくる、父と息子それぞれのキャラクター像、それを支える俳優の演技と存在感、ユーモアや感動やしんみりなどの配分など、見所がいっぱい。
 全体的には地味な作りながら、父子の旅行きに起きる細々としたエピソードを楽しみつつ、互いの心の相反を経ての相互理解がドラマ的なうねりとなり、クライマックスのメッカに至るまで、全く飽きることも弛緩することもなく、お見事。
 そうやって描かれるドラマからは、物理的な距離だけではなく心理的な推移も含めた、人生の縮図としての《旅》の姿が浮かび上がってきます。イスラムを良く知らない二世の目を通して、エピソードや世界が描かれていくので、ムスリムでない人間にとっても内容的な敷居の高さがないのも良い。 
 ラスト(ちょっとネタバレを含むので白文字で)、父親が参拝に行ったまま夜になっても帰って来ず、心配して探しに行ったレダが、死体安置所で父親の亡骸と再会するという展開は、ちょっと唐突に感じられる人もいるかとは思いますが、じっさいメッカ巡礼では毎年のように、混雑による将棋倒しなどから「死者○○人」といったニュースが報じられるので、こういったことも決して珍しくはないんですよね、きっと。ここいらへんは、多少の事前知識が必要とされる部分かも知れません。

 IMDbによると、この監督の劇場用長編映画としては処女作らしいですが、それでこの仕上がりは見事。またWikipediaによると、ハッジ期間中のメッカでロケを許された最初のフィクション作品だそう。
 美しい音楽や印象的な風景、そして鑑賞後のしんみりとした余韻も忘れがたく、モチーフに興味のある方なら、まず見て損はない一本。

ペンネームを変えます……というエイプリルフールネタでした

 エイプリルフールネタで、

 ここんところ、ちょっと嫌なことなどあったので、心機一転、ペンネームを変えることにしました。
 というわけで、本日から《田亀源五郎》改め《おかめ源五郎》になります。
 引き続きのご愛顧を!
という内容でした。

『牛』”The Cow (Gaav)”

dvd_TheCow
『牛』(1969)ダリウシュ・メールジュイ
“The Cow (Gaav)” (1969) Dariush Mehrjui
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com

 1969年制作のイラン映画。原題”گاو‎”。ダリウシュ・メールジュイ監督。
 田舎を舞台にしたリアリズム劇で、アッバス・キアロスタミやモフセン・マフマルバフといったイラニアン・ニュー・ウェーブは、この映画から始まったんだそうな。

 イランのとある田舎の村。
 村に一頭だけいる牝牛の飼い主である中年男ハッサンは、自分の牝牛を我が子のように可愛がっていた。しかし彼が所用で村から離れている間に、牝牛が急死してしまう。彼の心中を慮った村人たちは、牝牛をこっそり古井戸に埋め、彼には「牝牛が逃げた」と言うことにする。
 やがて帰ってきたハッサンは、牝牛が逃げたと聞かされて嘆き悲しむのだが、喪失の悲しみは次第に彼の心を蝕み、村人たちの心配する中、やがては自分が牝牛だと思い込んで、牛小屋から出てこなくなってしまい……といった内容。

 ストーリーとしては極めてシンプル。
 村の家畜を狙う外部の盗賊とか、ハッサンの甥と村娘との仄かな恋情とかいった、サイド・エピソード的なものも一応はあるものの、基本はハッサンの牝牛に対する愛情と、それを喪って次第に精神に変調をきたしていく様子と、それを何とかしようとする周囲の村人たちのドラマ。
 ハッサンが牝牛をどれだけ愛しているかというのは、優しく話しかけ、精魂込めて手入れをし、牝牛のためにお土産にお守りを買ってくる……といったエピソードの数々から、痛いほど良く伝わってくるし、だからこそその牝牛が死んでしまった時の、妻の動揺や村人たちの心配も判る。そして、誰も悪気があるわけではないし、逆に《良かれ》と思ってしているのに、にも関わらずそれが裏目に出て、悲劇的な結末を迎えてしまう。
 最後、(ネタバレを含むので白文字で)どんなに手を尽くしても牛小屋から出ようとしないハッサンを、村人たちは無理やり縛り上げて町の病院に連れて行こうとするのだが、抵抗し、言うとおりに歩こうとしないハッサンに、友人が業を煮やして、つい「歩け、この獣!」と怒鳴りながら、木の枝で彼を家畜のように打ち据えてしまい、そのあと我に返る……なんて場面は、そんな気持ちも判るだけに、尚更ゾッとするような痛ましいような、そんな気持ちに捕らわれて心を揺さぶられます。

 映像はモノクロームで、画面は極めて力強し。
 平穏な村の日常を描く静的な画面と、ハッサンの狂気や、村に忍び込んだ盗賊などを描く動的な画面のコントラストも素晴らしい。イタリアン・ネオレアリスモとの近似性というのも、これがイラン映画の新たな潮流を生んだというのにも納得。
 エモーショナルな要素が、ハッサンの牝牛に対する愛情という部分のみに集約していて、余分なドラマ的な作りがないのも佳良。基本的には現実の無情さを描きながらも、あちこちにそこはかとないユーモアも忘れない作劇も佳良。
 作品世界全体を俯瞰する視点の高さや、悲劇的であると同時に仄かな救いも感じさせる、鑑賞後の余韻も味わい深し。

 『牛』から、牝牛が消えた後、村人たちが心配してハッサンを訪ねると、彼の様子がおかしいことに気づき……といったシーンのクリップ。

“Pehlivan”

dvd_Pehlivan
“Pehlivan” (1985) Zeki Ökten
(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com

 1985年製作のトルコ映画。監督はユルマズ・ギュネイと組んで『敵』『群れ』(どちらも未見)などを撮ったゼキ・オクテン。主演は『群れ』と同じくタルク・アカンで、この”Pehlivan”では第35回ベルリン国際映画祭名誉賞を受賞。
 タイトルの意味は「レスラー」で、文字通りトルコの国技であるオイルレスリング(ヤールギュレシ)を扱った内容。

 老いた父親と妻と三人の子供と共に暮らす主人公は、全国的な不況によって失業中。望む職が見つからないまま、仕方なくリビアに出稼ぎに行くことを考えつつ、近在の村で祭りがあると、そこで開催されるオイルレスリング大会に参加して、僅かばかりの現金や賞品の家畜を手に入れている。
 しかし家計は苦しくなる一方で、更に長いことドイツに住んでいた親戚が、当地のトルコ人排斥運動のあおりで帰国し、主人公の家に同居し始める。主人公は、友人であるレスリングの口入れ屋や、往年の名レスラーだった大工と組み、一攫千金を目指して大きな大会での優勝を目指すのだが……という内容。

 演出は極めてリアリズム志向。
 作劇にフィクション的な過剰さや虚飾がなく、家族や友人の心の動きを描く日常的な光景や、社会情勢を反映したエピソードなどが、淡々と、しかし力強く、まるでドキュメンタリー映画のように綴られていく。素晴らしく見応えあり。
 音の使い方も見事。エモーショナルな劇伴音楽ではなく、実際のオイルレスリングの試合や村祭りで奏でられる音楽がメインで、それがドラマの素朴な力強さをより引き立てる効果に。
 加えて自然音の使い方や、クライマックスの無音効果などは、もうお見事の一言。
 役者陣も、主人公とその老いた老父を筆頭に、いずれも素晴らしい存在感と説得力。
 そんな主人公の肉体的な存在感をメインに、繰り広げられる数々のレスリングシーンも見所の一つなのだが、村祭りの試合から師匠との練習、そしてクライマックスの延々と続く大会の模様など、その充実度にも大満足。
 更に主人公の《逞しい肉体》という要素が、きちんとエロティシズムにも繋がっているのが良い。
 夫の身体をオイルマッサージしながら、夫婦が次第に欲情していくシーンがあるのだが、オイルに濡れた手で分厚い胸板を撫で回す様や、屈んだ妻の襟元から覗く乳房のたわみといった具合に、抑えた描写ながらもエロティシズムもばっちり。
 というわけで、元々オイルレスリング好きの私としては、もう文句なしに楽しめました。
 ただし結末は見る人を選ぶと思います。予定調和的な快感を保証する娯楽作ではなく、そのアンチ・クライマックス的な幕の引き方には、賛否両論ありそう。
 個人的には、このエンディングは高評価。ドラマが一瞬にしてブツンと途切れて、映画の世界から現実に放り出されてしまうような感じなんですが、全体がリアリズム準拠なので、その効果も大。「ああ、現実ってこういうものだよな……」などと、しみじみ思いました。

 私が最近見たアンチ・クライマックス系のトルコ映画(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品や、セミフ・カプランオール監督『蜂蜜』『』、東京国際映画祭で見た『ホーム』『われらの大いなる諦め』など)と比較すると、まだまだ娯楽寄りの要素はありますし、日常的な表現のデリケートさも、あそこまで徹底してはいませんが、それでも題材に興味がある方なら、まず見て損はないと思います。

“Deli Deli Olma”

dvd_DeliDeliOlma
“Deli Deli Olma” (2009) Murat Saraçoglu
(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで取り扱いがあったんですが、現在は品切れの模様→amazon.com

 2009年製作のトルコ映画。タイトルの意味は”Piano Girl”。

 トルコの雪深い寒村で暮らすロシア系移民の、最後の一人となった老人と、村の様々な人々との交流を描いたヒューマン・ドラマ。主演はトルコのベテラン・スター俳優タルク・アカンとシェリフ・セゼル……と、ユルマズ・ギュネイ監督の『路』コンビ。
 その昔、オスマン帝国対ロシア帝国の戦争の後、ロシア皇帝によって追放されたモロカン派の人々が、トルコのカルス地方に強制的に移民させられた。そして時は流れロシア人たちは少しずつ死んでいき、最後に残った二人の従兄弟同士のうち片割れも死に、ついに年老いた男ミーシカだけが一人残される。
 村人たちは、一人ぼっちになってしまったミーシカのことを、あれこれ案じるのだが、この村には村中の皆から怖れられている気性の激しいパピュクという老婆がいて、この老婆がロシア人を蛇蝎の如く嫌っているので、村人たちも大っぴらにミーシカを助けることができない。
 そんな中、パピュクの孫で音楽が大好きな少女エルマが、ミーシカがピアノを弾いているのを見たことをきっかけに、彼と仲良くなり家に出入りするようになる。しかしそれを知ったパピュクは烈火の如く怒り、しかも自分の息子がこっそりミーシカにツケで食糧を売っていたと知り、強引にその支払いを迫る。
 支払いに窮したミーシカは、街で売ればかなりの金額になると、父から譲り受けたピアノをパピュクに渡す。エルマは喜ぶが、パピュクはピアノを家に置いておきたくないので、息子が賭で負けた精算の代わりに、ピアノを別の家族に渡してしまう。村では西洋音楽に全く馴染みがなく、ピアノは粗大ゴミのように扱われてしまい、エルマは子供ながらに何とかそれを大事に扱わせようと奮闘する。
 そんな中、エルマの音感の良さに注目した学校の音楽教師が、彼女に音楽学校の奨学制度の試験を受けさせたいと提案する。村から将来のピアニスト、つまり歌手や女優のような有名人が出るかもと、村人たちはこぞって賛成するのだが、祖母のパピュクだけは断固反対。
 そんな最中ミーシカが病に倒れてしまう。果たしてエルマの将来は、そしてパピュクは何故そんなにミーシカのことを目の敵にするのか? ……といった内容。

 なかなか見応えのある作品。
 雪深い寒村の風景は見事に美しいし、村人たちの様子も実に生き生きとして魅力的。エルマをメインにした子供たちのエピソードも楽しく、エルマがミーシカのことを、次第に本当のおじいちゃんのように慕っていくあたりもジーンときます。
 ミーシカとパピュクの過去の因縁に関しては、まあある意味想像通りといった感じで意外性はないんですが、このエピソードを通じて、異国へ強制的に移民させられた人々の悲しみや、民俗や言語の違いだけではなく、宗教の違いによって同化することができない人々間の悲劇などを、くっきり浮かびあがらせるのが上手い。
 メインのストーリー以外でも、村の茶店で定例開催されるサズ(楽器)の弾き語り&即興詩による歌合戦のアレコレとか、いい歳した男たちがパピュクの剣幕の前ではいつもタジタジとなってしまい、手も足も出なくなるといったユーモアとか、ピアノに隠されていた謎とか、あれこれ楽しいディテールがテンコモリ。
 ミーシカを心配して村の男たちが彼の家を訪ねると、彼が編んだソックスとか彼が焼いたロシアのデニッシュとかがあるので、おそらく彼がずっと独身であったことも踏まえて(これは理由があるんですが)「……やっぱり彼はオカマだ」なんてヒソヒソ言い交わすのを、ユーモラスに描いたシーンもあり。
 強いて言えば、ちょいとテンコモリ過ぎて、これは別になくてもいいんじゃないかというエピソードもあるし、どうせなら少女エルマの視点で一貫させた方が構成としてスマートになったのではないかという気もしますけど、良い意味での通俗性を持ち合わせた、面白さも感動もある標準以上の出来であることは間違いなし。IMDbでも7.1点という評価。
 役者陣も上々。ミーシカ役、タルク・アカンのおじいちゃんっぷりが実に良いんですが、対するパピュク役、シェリフ・セゼルの烈女っぷりも、またお見事。エルマ役の少女も文句なく愛らしく、その他いろいろ愛すべきキャラクターもいっぱい。
 あと、極めて個人的なことですが、ちょうどこういった雪深い時期に同地方を旅したことがある(1月にイランのタブリーズから鉄道で国境を越えてトルコのドゥバヤジットへ行った)ので、出てくる風景や村の光景等、見ているだけでも、なんかいちいち懐かしかったり嬉しくなったり(笑)。

 ただ、後味がちょっと微妙なところがあるので(ヒューマン・ドラマ的な感動というより、ちょっと苦いものを飲み込んだようなトラジックな気持ちになる)ので、そこは好みが分かれるところ。私の好みとしては、全体のテイストと照らし合わせても、もうちょっと暖かみのあるエンディングにして欲しかったかなぁ……という気はします。
 ここいらへんは、前に“Vizontele”の感想で書いたような、これがトルコ映画的な特徴なのかな……なんて思ったり。

『ジュデックス』+”Nuits Rouges”

dvs_judex
『ジュデックス』(1965)ジョルジュ・フランジュ
“Judex” (1965) Georges Franju
(イギリス盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 1963年製作のフランス映画。監督は『顔のない眼』のジョルジュ・フランジュ。
 1910年代にルイ・フイヤード監督が撮ったサイレント活劇映画へのオマージュとして、謎の覆面義賊団と女盗賊一味の闘いを描いた映画。

 銀行創立20周年と娘ジャクリーヌの再婚を祝う舞踏会を控えた悪徳銀行家ファブローの元に、ラテン語で《裁き》を意味する「ジュデックス」の署名と共に、「これまでの罪を償うために財産を人々に返還せよ、さもなくば舞踏会の日の深夜に命を奪う」という内容の脅迫状が届く。
 ファブローは探偵を雇うが、自分は相変わらず罪業をなじりに来た老人を車ではねる等の悪行を繰り返し、更には孫娘の家庭教師マリーに結婚を迫る。ジュデックスの手がかりは何も掴めないまま、いよいよ祝賀仮面舞踏会が開かれるが、会場に鳥の仮面を付けた謎の手品師が現れる。
 そして時計が十二時を打った瞬間、ジュデックスの警告通りファブローは息絶え、手品師はひっそりと会場を後にする。父の死後、ジャクリーヌは父のしてきた悪行を知って家屋敷や財産を処分することにし、婚約者も彼女から去る。しかし家庭教師のマリーは、恋人と共にファブローの財産を狙っていた。
 そんな中、数人の覆面男たちが、ファブローの遺体を墓地から盗み出す。実はファブローは仮死状態にされていただけで、そのままジュデックスの秘密基地に幽閉され、「お前は死刑の予定だったが、娘さんの行いで救われ、終身刑に変更する」という宣告を受ける。
 一方、マリーと恋人は、夜中にファブローの屋敷に忍び込むが、それをジャクリーヌに見られてしまう。マリーたちは、ジャクリーヌを眠らせて連れ去ろうとするが、ジュデックスがそれを助ける。ジャクリーヌが目覚めたとき、その傍らには鳩の入った鳥籠と、「何かあったら、すぐにこの鳩を放ちなさい、私が助けに行きます」というジュデックスからの手紙が残されていた。
 やがて、ファブローが生きていることを知ったマリーたちは、まず彼を助けて財産を奪おうと企み、その前に口封じのためにジャクリーヌを殺そうとうるが……といった内容。

 なるほどサイレント時代の活劇映画へのオマージュらしく、まさに《奇想天外》という言葉が相応しいストーリー。
 意外であればあるほど良しといった感じで、リアリティも伏線もへったくれもない展開に偶然に偶然が重なって、まあ何とも楽しく転がっていきます。登場人物や道具立ても、つば広帽に覆面黒マントのハンサム義賊、黒い全身タイツに身を包んだ変装が得意な女盗賊、マヌケな探偵と冒険好きの少年、曲馬団の美少女軽業師、廃墟となった古城の地下にある秘密基地、電気仕掛けの様々な空想科学系不思議小道具……といった感じで、レトロ風味がいっぱい。
 モノクロ映像は美しく、活劇ながらも所々にハッとするような詩的なイメージも。映画はアイリス・インで始まり、エピソードの合間合間には、中間字幕調の装飾的な章題が置かれ、いかにも無声映画へのオマージュという雰囲気はタップリ。監督自身による、自分が幼少期に見た映画の想い出の再現といった感じもあり。
 サイレントの活劇映画っぽい強引な作劇は、思わず笑っちゃうところもあったりして、個人的には(ちょっとネタバレ気味なので白文字で)「敵と取っ組み合っていたら、相手の指輪で生き別れになっていた実の息子だと判る」と「壁を昇りあぐねていると、偶然そこに曲馬団の馬車が通り知り合いの軽業師が乗っている」の二つが大爆笑でした(笑)。

 キャストは、私の知っているところでは、ジャクリーヌにエディット・スコブ、軽業師の美少女にシルヴァ・コシナ。
 音楽は『顔のない眼』同様モーリス・ジャールで、これまたステキな曲を聴かせてくれます。特に仮面舞踏会のシーンは、音楽の良さと画面のファンタジックさが相まって忘れがたい出来。
 そんなこんなで、レトロ好きならタップリ楽しめる一本ですが、前述のように作劇やキャラクターも含めて、意図的にアナクロに徹しているので、レトロ趣味がない方には敷居が高いでしょう。
 しかしこうやって見ると、オマージュ元のルイ・フイヤードの映画も見てみたくなるなぁ……DVD出たけどスルーしてた『レ・ヴァンピール 吸血ギャング団』見てみようかしらん。

『ジュデックス』から、ファンタジックな美しさが忘れがたい仮面舞踏会のシーン。

“Nuits Rouges” (1974) Georges Franju
『ジュデックス』と同じく、ジョルジュ・フランジュ監督がクラシック活劇映画へのオマージュとして撮った1974年度作品。
 こちらはカラーで、元々はTVシリーズだったものを、再編集して長編映画に仕上げたものらしいです。

 とある学者の執事が金に困り、主がテンプル騎士団の財宝の握っていると、情報屋にたれ込む。その情報は、地下基地に潜む紅い覆面の男を頭とした覆面ギャング団一味に伝わり、学者はギャングに襲われ口を割らないまま殺されてしまう。
 警察が捜査に乗り出した頃、学者の甥で船乗りの青年が帰還する。しかし直後に本物の甥が現れ、先に現れたのは偽者だと判明する。偽者の手引きをしたことで執事は警察に拘束されるが、何も自白しないまま、ギャング団のマッドサイエンティストによってゾンビ化された刺客に殺されてしまう。
 甥は警察とは別個に、ガールフレンドと、彼女の友人で詩人かつ探偵の男と共に、3人で事件の謎を探り始める。それを知ったギャング団のボスの右腕で、キャットスーツに身を包んだ美女の殺し屋は、ガールフレンドを誘拐しようと計画するのだが…といった内容。

 奇想天外というかシッチャカメッチャカというか、これまた何とも奇天烈なストーリー。
 隠し扉だの地下基地だのゾンビ化手術だの彫像の中に潜む悪漢だの、次から次へと繰り出されるガジェットや仕掛けは実に楽しく、クライマックスはギャング団とテンプル騎士団の銃撃戦というブッ飛び具合。
 ただ『ジュデックス」とは異なり、手法的にはっきりとサイレント活劇へのオマージュを打ち出しているわけではなく(せいぜいアイリス・インが多用されるくらい)、時代設定も制作当時の《現代》なので、レトロ活劇の魅力というよりは、単に古臭くてユルい活劇映画に見えてしまう感もあり。
 また、キャラクターや役者にあまり魅力がないのも、『ジュデックス』と比べて痛いところ。美人殺し屋のゲイル・ハニカットは、峰不二子みたいでなかなかヨロシイんですが、肝心のヒーロー(甥っ子)やヒロイン(ガールフレンド)に魅力がなく、影も薄いのが何とも残念。
 とはいえ、その女殺し屋がキャットスーツ&覆面で、夜の屋根の上で暗躍するシーンや、主人公と探偵が、マネキンに化けていたゾンビ軍団に襲われるシーンや、赤覆面のボスが、バイクで下水道(?)を逃走するシーンなどに、ちらほら魅力的な映像もあり。
 まあ全体のノリはユルいんですが、テンポそのものは決して悪くなく話もサクサク進みますし、DVDも『ジュデックス』のオマケみたいにしてついてきたものなので(英盤で『ジュデックス』『Nuits Rouges』の二枚組)、レトロ好きなら軽いノリで楽しめると思います。

 ”Nuits Rouges”から、覆面&キャットスーツの美人殺し屋と警察が、夜のパリの屋根の上でまったり対決するシーンのクリップ。

レ・ヴァンピール-吸血ギャング団- BOX クリティカル・エディション [DVD] レ・ヴァンピール-吸血ギャング団- BOX クリティカル・エディション [DVD]
価格:¥ 12,600(税込)
発売日:2008-11-29

“Bol”(『BOL ~声をあげる~』)

dvd_bol_2
“Bol” (2011) Shoaib Mansoor
(インド盤DVDで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com

 2011年製作のパキスタン/ウルドゥ映画。ショエーブ・マンスール監督作品。タイトルの意味は《話す》。
 イスラムにおける父権的&女性蔑視的なドグマに囚われた父親と、その妻や娘たちの辿る悲劇を描いた社会派ヒューマン・ドラマ。パキスタン映画の興行成績を塗り替えた大ヒット作だそう。IMDbでも8.0/10という高評価。
【追記】アジアフォーカス・福岡国際映画祭2012で上映、福岡観客賞受賞。

 死刑執行直前の一人の若い女囚が、最後の願いとしてマスコミの前で話しをすることを望み、「私は殺人者ではあるが犯罪者ではない」と前置きしてから、自らの個人史を語り始める。
 彼女は貧しいが子沢山、それも女児ばかりの家に生まれた年長の娘だった。父親は熱心な宗教的求道者として周囲からは尊敬を勝ち得ていたが、ドグマに囚われ妻や娘たちを家に閉じ込め、学校にも行かせず外出もさせないという男だった。
 父は男児の誕生を望んで、繰り返し繰り返し妻を妊娠させるが、生まれてくるのは女児ばかりだった。そしてようやく息子が授かるが、その子は半陰陽と判断され、父親はその存在を恥じて家に閉じ込める。成長した彼はトランスジェンダー的な振る舞いを見せるようになる。
 ヒロインはそんな弟を独り立ちさせるために、母や妹たちや開かれた価値観を持つ隣家の息子の助力を得て、絵が得意な彼を、父親に内緒でトラックに絵を描くペンキ屋に弟子入りさせる。ペンキ屋の親方は彼の才を認めるが、彼の中性的な物腰が他の同僚やトラック運転手から目を付けられ、ついに親方のいない間に乱暴されてしまう。
 母や姉たちは、出掛けたまま帰って来ない彼のことを案じるが、父親は「そのままどこかで死んでくれればいい」とまで言う。そして、乱暴されたあと縛られて放置されていた彼は、ヒジュラ(男女以外の第三の性。多くは女性化した男性で、歌舞や売色等を生業とする)に助けられ、家まで送り届けられる。父親はそれを無視して扉を開けようとしないが、母や姉たちがそれに気付いて彼を迎入れる。
 事情を聞いた母や姉たちは、彼を無理に一人前の男にしようとした自分たちが間違っていたと悔やむが、この事件で父親はますます息子を疎むようになり、ついにはその寝室に忍び込み……といった内容で、ここまでが前半。
 後半はこれが皮切りとなり、父親が預かっていたモスクを建てるための募金の使い込みや、そんな父親が娼館の主と金銭的な取引をして、そこの娘の腹を借りることになるという事件が絡み、そんな父親と独立心のあるヒロインの対立は、ますます激しさを増していき、結果この一家はどんどん泥縄に……となっていきます。

 これはお見事。大いに見応えあり。
 前述したTGの息子の部分だけでも、かなりズッシリとしたテーマなんですが、それはまだほんの序の口。後半は、ドグマによって抑圧される女性とそれを容認してしまう社会、男児を重視する社会が産み出す様々な歪みといった、問題提起や告発に繋がっていき、それがダイナミックなストーリーのうねりと共に描かれていきます。
 死刑直前のヒロインの独白でストーリーが始まることによって、過去に何が起きたのかということと、そして現在のヒロインはどうなるのかという、二本柱で全体を牽引していくので、もう先が気になってたまらない。で、その語られる内容が、特に狙ってツイストを入れてくるわけではないのに、それでも驚くべき展開になっていくので、とにかく最初から最後まで目を離せない感じ。
 とはいえ、ひたすら重くて暗いというわけでもなく、ユーモア描写こそありませんが、それぞれのキャラクターをじっくり描き込んだ波瀾万丈の大河ドラマといった趣で、重いテーマながらもグイグイと力強く引き込んで見せていきます。
 そして、現実の残酷さと希望の双方を踏まえたラストには、思わずウルウル。

 演出も見事。冒頭、向かい合った男女が会話しているシーン……と思いきや、カメラが動くと、二人の間に鉄格子があることが判るカットから「おっ」と思わされましたが、全編に渡って、落ち着いたカメラワークと構図で見せる、しっかりとした重厚な出来映え。
 インド映画同様に、パキスタン映画にも歌や踊りは必須のようで、この映画にも何回か歌舞が登場しますが、挿入歌的な見せ方、ラジオから流れる歌に合わせて踊る、音楽のライブ場面……といった具合に、極力ストーリーに溶け込ませて自然に見せようという工夫があるので、あまり腰を折られる感はなし。
 もちろん、ドラマの置かれている社会事情を考慮しないと、理解や感情移入がしにくいであろう部分もありますし、こういうテーマだとどうしても、一部の音楽シーンが冗長に感じられる部分もあるんですが、しかし重厚なヒューマンドラマとして文句なしの見応え&良作。

 女性映画でもあり、社会派映画でもあり、ヒューマニズム映画でもあり、波瀾万丈の大河ドラマでもあり、ストーリーの面白さ、考えさせられるテーマ、胸を打たれるエモーショナルな展開の数々……と、見て損はない一本。

【余談】DVDのジャケやメニュー画面で一番デッカい二枚目男性が、実はストーリー的にはわりとどーでもいい隣家のお兄ちゃんだったので、ちょっとビックリ(笑)。

単行本『田舎医者/ポチ』表紙色校到着

 4月13日にポット出版さんから刊行予定の新マンガ単行本『田舎医者/ポチ』の表紙色校正が出たので、昨日チェックしてきました。
inakaisya_coverproof
 今回は、ちょっとレトロな暖かみのある感じにしたかったので、用紙も純白ではなく生成り系の色合いで、紙としての風合いもあるものを希望したところ、かすかにクリーム色がかって細かな繊維が混入しているテクスチャーの用紙を用意していただけて、結果、もうバッチリの仕上がりです。
 上の写真だと、わりと色彩が鮮やかめに出ちゃってますが、現物はもうちょい浅く沈んだ感じ。
 印刷面の保護も、紙の風合いを損なわないように、通常用いられるPP貼り(透明ビニールようなシートを圧着する)ではなく、マットニスを引いていただくことになっています。
 因みに、私がイメージとして編集さんに提案したのは、《ハトロン紙でカバーをかけるのが似合う本》というもので、イラスト自体もそういった雰囲気を目指して、通常とはちょっと異なるテイストのものを描いてみました。
 本がお手元に届いた際には、そんなちょっとレトロな風合いをお楽しみいただけるかと思いますので、お楽しみに。

 本の発売時期ですが、店頭に並ぶのはゲイショップが最も早く、おそらく4月10日頃になるとのこと。一般書店の店頭は、それより少し遅れて13日頃から。
 ポット出版で直接予約いただいた方、特に先着60名様のサイン本をご予約された方には、見本が刷り上がってポット出版に届いた段階で、私がサインを入れてお送りすることになるので、ゲイショップに並ぶよりも少し早めにお送りできると思います。なお、サイン本の予約は既に定員に達してしまいましたが、通常の予約は引き続き受け付け中ですので、どうぞご利用ください。申し込みページは、こちら
 ネット書店等に関しては、これは各ショップの在庫云々や、間に入る取り次ぎ云々が絡んできますので、正確なところは出版社側では把握できないとのこと。アマゾンなどで発売当初に予約および購入が集中してしまい、発売後すぐに品切れになってしまうことがままありますが、そういった状況には出来るだけ小まめに対応してくださるとのことです。
 発売当初でアマゾンで品切れになった場合、足下を見た業者がプレミア価格を付けてマーケット・プレイスで販売するなんてことも、わりとちょくちょく見かけますが、もしそんなことになっても、他のネット書店には在庫がある場合もありますし、少し待てばアマゾンの在庫も復活しますし、本の在庫自体がなくなって入手不可能になるわけではないので、どうか焦らないようお願いいたします。(過去の単行本で品切れになっているものに関しては、また事情が異なりますので、それはお間違えのないように)

 それでは、発売までいましばらくお待ちくださいませ。