投稿者「Gengoroh Tagame」のアーカイブ

“Dabangg”(ダバング 大胆不敵)

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“Dabangg” (2010) Abhinav Kashyap
(インド盤Blu-rayで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com

 2010年製作のインド/ヒンディ映画。肉体派サルマン・カーン主演。義賊気取りの腕っ節の強い警官を主人公にしたアクション映画。タイトルの意味は「恐れ知らず」。
 数々の記録を塗り替えた大ヒット作品だそうで、同国フィルムフェア賞で作品賞を含む6冠を獲得。

 主人公は幼い頃父親を亡くし、母の再婚相手の義父や、後に生まれた弟とは上手くいっていない。やがて成長した彼は、腕っ節が自慢の警察官になるが、義父や弟との関係は改善されていなかった。
 ある日主人公は銀行強盗を一人でブチのめすが、義賊を気取って、取り戻した金は自分が着服してしまう。弟はある娘と恋に落ちるが、彼女の家の貧しさが障害となって、両方の親から結婚の許可を貰えない。思い詰めた弟は、兄の隠していた金を盗んでしまうが、それを母親に見られてしまう。
 一方の主人公も、捕り物中に出会った娘に恋をするが、そんな中で母親が急逝してしまい、それを切っ掛けに主人公と義父との亀裂は決定的なまでに拡がってしまう。更に主人公が、弟の結婚式を横取りするような形で、自分の結婚式をあげたことによって、兄弟関係も更に悪化する。
 それを件の銀行強盗の黒幕の悪徳政治家が利用し、弟に兄を殺させようと仕組むのだが…といった内容。

 これは確かに面白かった!
 正直ストーリー的には新味はなく、ド派手なアクション、歌と踊り、家族の確執と再生、ヒーローと美女のロマンス、政治家のパーティーが絡んだ陰謀、お笑い……等々、古いタイプのインド映画のお約束要素がテンコモリなんですが、3時間越えも珍しくないそういったタイプの映画に比べて、本作はテンポ良く2時間でスッキリとまとめているのに、何よりも感心。
 クリシェのさばき方も上手く、例えば歌と踊りにしても、いきなり海外ロケというお約束を、主人公たちのハネムーンという設定にしていたり、また、お色気サービスで入るダンスも、ギャングの宴会に主人公率いる警察隊が潜入するという、エピソードの繋ぎとして上手く活用していたり、古くからのお約束ごととしての定型を守りつつも、それを構成上無理がないようにする工夫が見られるのが、個人的にはかなりの高評価。
 ド派手なアクションシーンも楽しく、蹴られた人が数メートルも吹っ飛んで壁をブチやぶるなんてのはお約束ですけど、クライマックスにどっかんどっかん爆発を持ってきて、その後に、上半身裸になったマッチョ同士の対決を、エモーショナルな盛り上げとシンクロさせて持ってきたりして、これまた構成の組み方や見せ方の工夫が巧み。
 で、そんなアクションや歌舞シーンが、なんかヒンディ映画というよりタミル映画っぽかったので、てっきり南インド映画のヒンディ版リメイクなのかと思っていたら、さっき調べたらそうではなかったのでビックリ。
 主人公が単なる正義感やマッチョ一本槍でなく、金をくすねたりユーモラスな一面もある、人間味を感じさせるキャラなのも効果的。ヒロインはこれがデビュー作らしいですが、まあ次から次へ美人が出てくるもんだなぁと、これまた感心。
 感動要素が過度にベタベタしていないのも佳良。
 音楽も踊りも、主題歌的な男っぽい”Udd Udd Dabangg”を筆頭に、全体的にゴキゲンな仕上がり。ただ正直、サルマン・カーンの踊り自体は、少し動きのキレに欠けるかな〜という感あり。

 というわけで全体のノリとしては、クラシックな要素をモダンな感覚で再構築したみたいな良さがあります。いろいろテンコモリでトゥーマッチな楽しさもありつつ、かといってそれほど強引な感じもせず、コンパクトで見やすく後味も良しで、「あ〜、満足満足」って感じ。
 インド映画ファンでもあまり馴染みのない方でも、痛快娯楽作が好きな方だったらタップリ楽しめること請け合いの、広くオススメしたい一本。

“Udd Udd Dabangg”

【追記】『ダバング 大胆不敵』の邦題で、2014年7月に目出度く日本公開されました。

“Band Baaja Baaraat”

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“Band Baaja Baaraat” (2010) Maneesh Sharma
(インド盤Blu-rayで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com

 インド/ヒンディ映画。タイトルの意味は「ウェディング・ミュージック・バンド」。
 恋愛抜きの約束で組んでウェディング・プラン会社を立ち上げた、大学を出たての若い男女の仕事と恋の顛末を、若者向けのフレッシュでポップな味付けで、タイトル通り音楽タップリに描いた作品。

 デリーの大学を今年卒業する主人公は、特に将来の展望もなく、出会ったカワイコチャンにコナをかけたりしているがそれも不振。そんなとき家族から、卒業したら田舎に帰れと言われる。
 実家で彼を待っているのは、サトウキビを刈り取る農作業なので、それは嫌だと、何とかこのまま都会で仕事に就こうと考える。そこで先日ソデにされた、卒業したらウェディング・プランの会社(会場の手配や飾り付けや食事や余興と行った、結婚式&披露宴の演出を請け負う)を立ち上げるというカワイコチャンに、一緒に仕事をさせれくれと頼み込む。
 最初は警戒していた彼女も、初めての仕事のトラブルで毅然とした態度をとった彼を見直し、恋愛抜きのビジネスパートナーという約束で共に会社を立ち上げる。
 二人の始めた会社は、少ない予算の結婚式でも、アイデアと真心で立派なものにし、そんな二人の心意気に惹かれた仲間も増え、口コミで評判も呼んで順風満帆。次から次へと仕事も舞い込み、遂には今までにない大規模で大予算の結婚式の演出も手掛けることになる。
 順調な仕事と並行して、二人の関係もどんどん接近、そしてついに一線を越えてしまうのだが、果たして恋のパートナーと仕事のパートナーは両立するのか、その両方の行方はいかに……? といったような内容。

 とにかく元気いっぱいな内容。
 フレッシュで溌剌とした主演俳優二人、動的なカメラワークと早いカット割りでテンポよく進む展開、若い感性が手掛ける結婚式ということで、まるで下北沢の雑貨屋みたいな、カラフルでキラキラでポップな映像の数々、ゴキゲンな音楽……と、前半戦は文句なし。
 ただ後半、フォーカスが恋愛と仕事の問題に移ると、展開面がいかにもなクリシェに偏ってしまって目新しさに乏しいのと、それと並行して、前半で見られたような青春ドラマ的なフレッシュな魅力が薄れていってしまうのが残念。
 例えば、二人の関係がギクシャクしていったところに、ヒロインに金持ちの男との縁談話が持ち上がるなんてのは、いかにも類型的に過ぎて興ざめするし、仕事の上でも袂を分かった二人が、それぞれ相手を蹴落として自分が注文をとろうとするあたりは、フレッシュでひたむきだった前半のキャラの魅力に、かなり翳りを落としてしまっている感じ。
 こういった要素は、やはり展開をお約束に頼り切ってしまった弊害だと思うので、最後は予定調和でいいにせよ、そこに至るまでは脚本にもう少し、工夫やひねりが欲しかったところ。全体の出来が上々なだけに、何とも残念。

 とはいえ、これは一種の音楽映画でもあるんですが、そういう面はかなり上手くできています。
 なんと言っても、楽曲が良い。まだ学生時代の主人公たちの日常描写に併せてBGM的に流れる、凝ったコード進行とアレンジによるロック/ポップステイストの”Tarkeebein” 、予算が少ない結婚式の余興に自分の友達のバンドを呼んだものの、ロック風の音楽にお客の反応が悪いので、ヒーローが自らそこにインド風味を加えて、更にヒロインを巻き込み、身体を張って盛り上げようとする、モダンなロック風の要素とバングラ・ビート的な要素をミクスチャーした”Ainvayi Ainvayi”、大規模な結婚式の大物ゲストの代わりに、自分たちがステージで歌い踊って見せる、やはりロック的なテイストとインド的なテイスト、そしてヒップホップ風味もある”Dum Dum”あたりは、音楽的にも映像的にも大きな見所。
 全体の中での音楽シーンの配置の仕方、ストーリーの中への溶け込ませ方なども、良く考えられていて成功している印象。
 また、予定調和的とはいえクライマックスはしっかり盛り上げてくれるし、オマケに前出の”Ainvayi Ainvayi”にブラスセクションを加えた変奏による、エンドロールのキラキラでポップな楽しさは一見の価値ありで、これのおかげで全体のお株もぐぐっと上昇した感あり。
 もちろんサントラは速攻でゲットしました(笑)。

 そんなこんなで、若干の惜しい部分はあるものの、全体的にはフレッシュな魅力に溢れていて、後味も良く、鑑賞後の満足度も高い一本でした。
 インド映画好きにも、インド映画には馴染みがない方にも、どちらにもオススメできる佳品だと思います。
 逆に、インド映画に「ヘンなもの」を期待する方には、まったくオススメしませんが(笑)。

“Tarkeebein”

“Ainvayi Ainvayi”

“Dum Dum”

“Ainvayi Ainvayi – Delhi Mix”(エンド・クレジット)

“Propaganda”

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“Propaganda” (1999) Sinan Çetin
(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで購入可能→amazon.com

 1999年製作のトルコ映画。Sinan Çetin監督作品。
 第二次世界大戦後のトルコ東部、長閑な田舎村が新たに決まった国境線によって、トルコとシリア二つの国に分断されてしまい……という、実話に基づく内容を、ユーモラスかつ感動的に描いた作品。

 第二次世界大戦終結後の1948年、アンカラで出世して役人になったメイディが、大勢の部下と共に故郷の村に帰還する。彼の幼馴染みで独立戦争では共に闘った医者のラヒム始め、村人たちは故郷に錦を飾った彼を大歓迎する。
 しかし彼の乗ってきた汽車には、大量の有刺鉄線が積まれていた。実はメイディは中央から、この地に国境を作り、その税関吏となる命を受けていたのだ。
 やがて国境に添って鉄条網が張り巡らされ、出入国ゲートも完成し、村人たちはそれを華々しく祝うが、実際のところはそれが何を意味するのか、何も判っていなかった。夜も更けて宴会も終わり、ラヒム一家はいつものように自分の家に戻るが、それは新しくできたゲートの向こう側だった。
 翌朝、教師をしているラヒムの上の娘が学校に行こうとするが、ゲートを通して貰えない。驚いたラヒムがゲートに行くと、そこにはメイディがいて、これからは国境を越えて勝手に行き来はできず、ゲートを通るにはパスポートが必要だと告げられる。
 こうして、何人もの村人が行き来を止められるが、素朴な彼らはパスポートというものが何であるかも判らないし、実のところ税関吏のメイディ自身、パスポートというのがどんなものなのか、まだ見たことすらなかったのだ。
 メイディの息子とラヒムの下の娘は愛し合っており、近く結婚を控えた許嫁の間柄で、実は既に婚前交渉もしていて娘は妊娠していたのだが、その二人の逢瀬も、この新しい国境によって引き裂かれてしまう。
 そんな中、ゲートを守る兵士たちをからかった、ひょうきん者の太鼓叩きに対して、メイディは部下に唆されて、ついに発砲命令を下してしまう。ラヒムはそんなメイディに怒り、彼を侮辱し挑発するために、自分の娘は別の男の嫁にすると言ってしまう。それを知ったラヒムの娘は、夜こっそりと国境を越えて、メイディの息子の元に忍んでいくが、メイディの部下でゴリゴリの官僚主義の男に知られて、捕まって投獄されてしまう。
 メイディの妻も、頭の固い夫に嫌気がさして家を出て、国境の向こう側に行ってしまい、息子も「僕はお父さんを愛していない」と言い放つ。自分から離れていく息子を止めるため、メイディはついに我が子に銃口を向けてしまう。
 果たしてこの国境は、このまま人々の心も家族の絆も、全て引き裂いてしまうのか? ……といった内容。

 いやぁ、面白かった。
 汽車の到着から始まる出だしは、音楽(セゼン・アクス。アルバム”Işık Doğudan Yükselir”のタイトル曲)の効果も相まって、実に重厚な味わい。そして、国境ができた晩、何も知らないラヒム一家が帰宅するのを、唯一訳知りのメイディがゲート越しに見送る場面なんか、スローモーションを上手く使って実にエモーショナルに盛り上げてくれるので、いったいこの先どんなシビアな展開に……とドキドキ&ビクビクものなんですが……。
 実はその後の展開は、確かに状況はシビアなんですけど、そんな中でもけっこう逞しく適応していく村人の姿がユーモラスに描かれたりして、決して重い暗い系にはいかないのが逆に新鮮。鉄条網を挟んで学校の授業が行われ、鉄条網越しに割礼の儀式が行われ、恋人たちは鉄条網に刺されながらのラブシーンを演じ……と、なかなか楽しい(笑)。
 で、そんな笑わせる系の展開の中に、引き裂かれた絆といったエモーショナルな展開がドカンと挟まり、更にその上にしっかりと、国家とは国境とは何かといった風刺や、人間性を無視した官僚主義の愚かしさや、人々の生活を置き去りにする政治への批判といった要素が、テーマとして浮かびあがってくる仕掛け。

 笑いも涙も感動もテンコモリという、インド映画なんかと同様の娯楽的な作りなんですが、バランスと後味が良いので消化不良みたいな感じにはならないし、作劇的にも、最後の最後まで「いったいどうなるんだろう」という、不安と期待で引っ張り、でもしっかり感動させてくれて、しかも後味も良い……という、満足の一本でした。

“Vizontele”

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“Vizontele” (2001) Yilmaz Erdogan, Ömer Faruk Sorak

(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで購入可能→amazon.com

 2001年製作のトルコ映画。Yilmaz Erdogan監督・主演作品、共同監督Ömer Faruk Sorak。
 70年代初頭、トルコの僻地の田舎村に初めてテレビが来ることになり、それを巡る人々の騒動を描いたコメディ作品で、本国では大ヒットしたそうな。

 電話はロクに通じず、新聞も二日遅れで届く田舎村。娯楽はラジオと、村に唯一ある天井のない映画館だけ。そんな村に初めて《ヴィゾンテレ(テレビジョンの勘違い)》なる《絵が出るラジオ》が来ることになり、村長さんは歴史的な出来事だと大張り切り。
 ところが、アンカラから受信設備と受像器を届けにきた技師たちは、この僻地に来るだけで疲労困憊。こんな田舎に一日たりともいられるかと、「高い所に設置するように」とだけ言い残して、さっさと帰ってしまう。村長さんは、何だかわけの判らないヴィゾンテレ一式を抱えて大弱り。
 そこで白羽の矢が立ったのが、村人から《きちがいエミン》と呼ばれている、頭はちょっとイカれているけれども、変な仕掛けを作ったりラジオの修理だけはできるという変人。村長さんを先生と慕うエミンは、大喜びでこの大役を引き受ける。
 しかしヴィゾンテレの到来が嬉しくないのが、村の映画館を経営する一家。もともと村長一家とは仲が悪い上に、ヴィゾンテレに客を奪われては大変と、宗教家を抱き込んで「ヴィゾンテレは悪魔の機械で人々を堕落させる!」と反対キャンペーンを始める。
 そんな中、いよいよヴィゾンテレが高い丘に設置され、華々しいセレモニーの中、村長とエミンの手でスイッチオン。しかし映るのは砂嵐だけ。こりゃ場所が悪かったかと、別の丘に移動してみても結果は同じ。結局いくら試しても映像は映らず、村長の面目も丸つぶれになってしまう。
 落ち込む村長に、エミンは「丘がだめなら、もっと高い所で試そう」と、誰も登らないような、このあたりで一番の高山のてっぺんにヴィゾンテレを持って行こうと提案。いったんは諦めかけた村長も、エミンの不屈の魂に押されて、一緒に行くことにする。
 果たしてヴィゾンテレは映るのか? ……といった話。

 これは面白かった。
 基本的にはコメディで、テレビの出現を巡るドタバタ劇なんですが、それだけではなく合間合間に、徴兵された村長の息子と村の娘の仄かな恋愛とか、村の子供たちの悪戯風景とか、飲んだくれの夫に顧みられない妻の悩みとか、微笑ましかったり、しんみりしたり、切なかったり……といった、様々なエピソードがぎっしり詰め込まれている。
 キャラクターも、きちがいエミン(=監督&脚本の人)と人の良い村長さんを筆頭に、出征した息子が心配でたまらない村長の妻とか、アンカラかぶれで女好きでホラ吹きの映画館一家の息子とか、どもりの宗教家とか、スイカ売りのデブとその妻とか、ひと癖もふた癖もある連中が勢揃いで、しかもそれらが皆、いずれも愛すべき人物に描かれている。
 民族要素の色濃い軽快なテーマ曲を初め、音楽も実にご機嫌。

 ただ、一つ大いにビックリしたのが、ドタバタやペーソスで笑わせて、二段オチまで用意して、たっぷりハッピーな気分にさせておいて、しかしラストで一気に急転直下、思っくそシビアな展開になったこと。
「うわぁ……ここまできて、この終わり方?」と、しばし呆然。
 いちおう、この急転直下のエンディングがあるおかげで、実はこの映画は、笑わせて楽しませるだけではなく、あちこちに仕掛けられていた風刺性……文明の利器の持つ意味とか、宗教と世俗、伝統とモダン、都会と田舎の対立とか、トルコという国の置かれている状況とか、そういった諸要素が一気に深みを増すという効果があるんですが、それにしても、それまでが楽しすぎたせいもあって、このエンディングには一瞬頭が真っ白に……。
 というわけで、思いっきり楽しいコメディ映画なのに、同時に何と言うか、無常観漂う悲劇でもあったりするので、何とも複雑な後味に。

 聞くところによると、トルコ映画ではそういうのは珍しくないらしんですが、なんかちょっと……慣れないと消化に悪い、みたいな感じではありました。
 しかし、そんな「複雑な後味を覚悟」という前提付きで、それでも実に面白い一本ですので、一見の価値はありのオススメ作品です。IMDbでも7.8点という高評価。

“Guzaarish”

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“Guzaarish” (2010) Sanjay Leela Bhansali
(インド盤Blu-rayで鑑賞、米アマゾンで購入可能→amazon.com

 2010年製作のインド/ヒンディ映画。監督はご贔屓サンジャイ・リーラ・バンサーリ。主演はリティック・ローシャン&アイシュワリヤ・ラーイという、これまたご贔屓コンビ。
 事故で全身麻痺となったマジシャンと、彼の望む尊厳死を巡る内容。

 主人公はかつて天才マジシャンとして名声を博しながらも、事故で14年間寝たきりになっている男。自分で鼻の頭を掻くこともできない彼を、美人の看護婦が12年間、一日の休みもとらずに献身的に介護している。
 そんなある日、主人公は自分の顧問弁護士を呼び、尊厳死をしたいと告げる。その望みは、件の看護婦、弁護士、主治医、彼の元に押しかけでやってきた弟子といった人々の間に波紋をもたらす。
 インドでは尊厳死は認められていなかったが、弁護士は彼の意を汲み、それを認めろというリクエスト(guzaarish)を法廷へと持ち込む。また主人公は、自分がホストを務めるラジオ番組を通じて、尊厳死の是非をリスナーにも問う。
 果たして死とは、そして生とは何なのか。人間の命は誰のものなのか。人生とは、そして幸福とは何なのか、主人公と周囲の人々の下す決断はどうなるのか……といった内容。

 まあ、何と言っても巨匠(と言っていいと思う)バンサーリ監督の作品なので、一定以上の水準は楽々クリアしている見事な出来映え。
 圧倒されるような映像美、エモーショナルな展開、格調高い演出などは、いつも通りの見事さ。重たいテーマを扱いながら、全体が重くなり過ぎない手綱さばきも上々。
 テーマとしては、既存の価値感そのものに疑問を発し再考を促すという、いかにもこの監督らしいもので、この難しいテーマを、主人公という軸を一本きちんと通すことによって、最後は余韻があって清々しさすら感じられる作品に仕上げているのは、かなりスゴいと思います。
 ただし同時にこの監督は、リアリズムよりはロマンティシズムや美学を優先させる傾向があるので、果たしてこのテーマにこういったアプローチが合っているのかという部分で、いささか疑問が残る感はあり。また、ストーリー的にも、ちょっと部分的に作りすぎの感があるのは否めない。
 特にストーリーに関しては、展開の意外性を狙ったのかのような、後半の作劇が大いに疑問。
 尊厳死を望む主人公と、周囲の人間が、悩み悲しみながらも次第にその意を汲んでいくという、その構図だけでも充分以上にドラマティックであるにも関わらず、14年前の事故の真相とか、押しかけ弟子の正体とか、美人看護婦の過去とか、個人的には蛇足としか思えないエピソードが、後半になってからあれこれ挟まってくる。
 結果として、ストーリー自体が嘘っぽいものとなり、しかも展開も駆け足気味で、せっかく場所を自宅に移しての法廷劇の場面の、特に主人公と母親のエピソードで最大限に高まる感動が、これらの蛇足によって薄まってしまった感あり。
 ただ、ラストにはそういった不満も消えて、「このエンディングで、この清々しい余韻の残る感動って、スゴい!」という気分になったので、まぁ帳消しという感じも。
 映像自体は、いつもながらホント溜め息ものの美しさ。
 日常パートで見られる布や光を使った表現、夢や回想に出てくるマジック場面のファンタジックな美しさ……などなど、もうこれは見所だらけ。まぁちょっと「……ひょっとして『潜水服は蝶の夢を見る』と『プレステージ』を見て思いついた?」みたいな気がしなくもありませんが(笑)。
 役者さんもそれぞれ佳良。特にリティック・ローシャンは素晴らしかった。

 という感じで、作品としては部分的に瑕瑾がないとは言えないし、完成度としても”Devdas”や”Black”、そして世評はイマイチながら私個人としては高評価の“Saawariya”よりも、正直落ちると思いますが、それでも充分以上に見応えのある作品。
 毎度のことながら、この監督の作品が本邦では殆ど未紹介なのは、つくづく惜しいと思います。

“Bruc. La llegenda (Legend of the Soldier)”

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“Bruc. La llegenda” (2010) Daniel Benmayor
(イギリス盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 2010年製作のスペイン映画。スペイン独立戦争、モンセラート山麓の戦いでナポレオン軍に大敗を喫させた《Brucの太鼓》伝説を題材にしたアクション・アドベンチャー史劇。
 英DVD題”Legend of the Soldier”、インターナショナル・タイトル”Bruc, the Manhunt”。

 1808年、スペイン独立戦争、モンセラート山麓Brucの戦いで、ナポレオン軍は数的に優勢であったにも関わらず、「何百ものスペイン義勇兵と悪魔の仕業のような音」によって全滅した。しかし、戦いの後に戦場を訪れたフランス人の隊長は、その証言に疑問を抱き、それは太鼓の音が山に反響したのではないかと推理する。
 その推理は正しく、件の鼓手の正体はある村の炭焼きの息子で、今では村の皆からBrucとあだ名され英雄視されていた。しかし、本人はそれを居心地悪く思っており、更に悪いことには、村を訪れた仏人ジャーナリストが彼の絵を描いたことによって、その存在と居場所が仏軍の知る所となる。
 仏人隊長はナポレオンから、フランスの不敗を全欧に示すためにも、件の鼓手の首を切って持ってくるよう命を受け、手練れの部下数名と共に鼓手の捜索に向かう。そしてある晩、鼓手が恋人と逢い引きしている間に、彼の家は暗殺部隊に襲われ、家族が皆殺しにされる。
 鼓手は辛うじて山に逃げるが、部隊は家々を爆破し、村人たちを脅し、鼓手の恋人を見つけ出すと、彼女を人質にして山狩りを始める。最初は逃げ回っていた鼓手だったが、フランス人たちが聖職者も見境無く殺し、恋人の身体も傷つけるに至って、ついに反撃に出てモンセラート山で彼らと対決する……といった内容。

 題材となった《Brucの太鼓》というのは、「一人の鼓手が打ち鳴らす太鼓がモンセラート山に反響し、仏軍がそれを数百の軍勢のように錯覚して遁走した」という伝説らしく、それを「実際はこれこれこうでした」と膨らませて描いた内容で、映画全体の印象は、肩の凝らないアクション・アドベンチャーという感じ。
 ストーリー的には、戦う青年の成長を軸にして、近親者の悲劇、きれいな娘さんとのロマンス、そして追い詰められる主人公が遂に逆襲に転じるカタルシス……と、いかにも古典的な冒険小説のような味わいです。そこにもう一つ、Brucの戦いの真相がどうであったのか、それが、小出しにされる主人公の回想通じて、その実際が明らかになっていく……という要素もあるんですが、これはさほど成功していない感じ。
 主な舞台となるモンセラート山は、現在では奇岩で知られる観光名所ですが、その風景を存分に生かした、上下にたっぷり拡がりのある映像の数々は、大いに魅力的。
 やはり観光名所であるモンセラート修道院も、有名な黒い聖母像も出てきたりして、私自身、ここいらへは観光で行ったことがあるせいもあって、そんな中で繰り広げられる追跡劇は、かなり楽しめました。撮影もなかなか美麗で、程々にケレン味もあって佳良です。

 ただ、肝心の演出がいささか凡庸。
 追い詰められていく主人公という要素が、物語的には描かれているんですが、それが心理的に迫ってくるまでには至らず。けっこうサスペンスフルなシーンとかもあるんですが、イマイチ緊張感に欠ける感じ。また親兄弟や恋人といった主人公回りのドラマも、通り一遍のクリシェをなぞっただけという程度。
 逆に、本来ならば《悪役》側のはずの追跡者たち各々に、判りやすい絶対悪では終わらせないような描写を、あれこれと付加しようとする姿勢が見られるんですが、これが却って、全体のシンプルな構造と齟齬をきたしてしまい、感情移入やドラマのエモーショナルな盛り上がりを、邪魔してしまっているきらいがあります。
 そこいらへんのバランスがちょっと悪く、どうせなら全体をクリシェで固めてしまって、古典的な痛快娯楽作にしてしまった方が良かったような気もして、何となく虻蜂取らずになってしまっているのが残念でした。

 ただ、それぞれの役者の佇まいなどは佳良です。
 主人公を演じるファン・ホセ・バジェスタは、ちょい泣き虫顔のナイーブそうな若者で、上手い具合に雰囲気がキャラと合っている感じ。恋人役のアストリッド・ベルジュ=フリスベも、文句なしのカワイコちゃん。
 追跡者側は、一同を率いるフランス人隊長役にヴァンサン・ペレーズ。目力で狼を追い払うなんて面白シーンもあり。部下の一人、口のきけないマッチョに格闘家のジェロム・レ・バンナ。肉体美を見せるシーンも、しっかりあります(笑)。隊長の腹心であるアラブ人に、『ヴィドック』で主人公の相棒ニミエ役だったムサ・マースクリ。
 他の部下も、隻眼だったり二枚目の騎士風だったりと、キャラは劇画的に立っていてなかなか楽しいです。だからこそ尚更、イマイチ痛快娯楽作になっていないのが残念な感じがしてしまう。

 とはいえ、アクション・シーンのアレコレとか、風景の素晴らしさとか、お楽しみどころもあちこちありますし、尺も1時間半足らずとコンパクトなので、題材に興味のある方やスペイン好きの方だったら、気楽にそこそこお楽しみいただけるのでは。

ちょっと宣伝、『エンドレス・ゲーム』第2話です

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 今月21日発売の雑誌「バディ」3月号に、集中連載『エンドレス・ゲーム』第2話掲載です。
 え〜、前回は「まだイントロ」という感じでしたが、今回はもうガンガンに「エロ」です。3ページ目で脱いで、あとはもうずっと濡れ場(笑)。
 若干オモチャ使ったりラフプレイ系のテイストはありますが、尺八や肛姦といったいわゆる「普通のセックス」を和姦で、ページ数をタップリ使ってネットリ描くのは久しぶりかも。
 SM好きの方には、内容がちと物足りないかも知れませんけれど、それ以外の方(でキャラがタイプの方)には、抜きネタ用にオススメです(笑)。
 まぁこんな感じでしばらく進めていきたいと思いますので、皆様よろしくお引き立てくださいませ(笑)。

Badi (バディ) 2012年 03月号 [雑誌] Badi (バディ) 2012年 03月号 [雑誌]
価格:¥ 1,500(税込)
発売日:2012-01-21

“Marketa Lazarová (マルケータ・ラザロヴァー)”

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“Marketa Lazarová” (1967) Frantisek Vlácil
(英盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 1967年制作のチェコスロバキア映画。監督は前に見て感銘を受け、ここで感想を書いた”The Valley of the Bees (Údolí včel)”と同じフランチシェク・ヴラーチル。
 グラジスラフ・ヴァンチュラ(って知らない名前ですが)の同名小説を元に、中世の対立する部族や異なる宗教間での愛を描いた、叙事詩的内容の作品。1998年にチェコの映画関係者によって、20世紀チェコ映画のベスト1に選出。
 日本でも2006年の「チェコ映画回顧展1965-1994」等で上映があった模様です。(参考

 13世紀のチェコ。地方豪族の息子、ミコラーシュとアダムの兄弟は、支配階級の貴族一行を襲い、金品を強奪して、貴族の息子クリスチャンを捕虜にする。
 すると同じく地方豪族で、ミコラーシュたちとは対立関係にある長ラザルが、ミコラーシュの強奪に便乗して、ハイエナのように獲物をあさる。そこを兄弟に捕らえられたラザルは、娘マルケータの名をだして命乞いをする。
 ミコラーシュはラザルを見逃し、クリスチャンを自分の村に連れ帰る。ミコラーシュの父コズリクは、敵を皆殺しにしなかったことで息子を責める。一方でクリスチャンは、ミコラーシュの妹アレクサンドラと恋に落ちる。
 後日、ミコラーシュはラザルのもとを訪れ、支配階級の圧政に対抗するために同盟を持ちかける。しかしラザルはそれを拒否し、逆に彼を配下の手で袋叩きにする。ラザルの娘で、信心深く将来は修道院に入って神に仕えることを願っているマルケータは、父の振る舞いにショックを受ける。
 マルケータはミコラーシュに救いの手を差し伸べるが、彼はそれを拒否して帰って行く。やがて傷も癒えたミコラーシュは、報復としてアダムと共に郎党を率い、ラザルの館を襲い火を放ち、ラザルを門扉に釘で磔にし、マルケータを連れ去り、そして犯す。
 ミコラーシュの父コズリクは、息子がマルケータを連れ帰ったことを快く思わないが、ミコラーシュの母は、男たちの神をも畏れぬ狼のような心に、愛が人間らしい火を点すと預言する。
 息子を惑わした罰として、コズリクはマルケータに鉄釘のついた靴を履かせるよう命令するが、ミコラーシュはそれを拒否する。クリスチャンも共に異を唱え、アレクサンドラもクリスチャンを庇う。その結果、4人は鎖で村の外に鎖で繋がれてしまう。
 一方、支配階級側は軍勢を集め、コズリクの村を襲撃しようとしており、その一行にはクリスチャンの父も加わっていた。彼らは進軍中にアダムを捕らえ、それを人質にコズリクに降伏を迫るが、コズリクも人質としてクリスチャンを披露する。
 そして、隙を見て逃げ出したアダムが弓で射殺されたのをきっかけに、ついに戦いの火蓋が切って落とされ……といった内容で、この後もあれこれ事件が起こり、最終的には、ミコラーシュとマルケータの関係を軸に、悲劇的ではあるけれど救済の光も残る結末へと物語は進んでいきます。

 いや〜、これまた手強かった……。
 なんせ、そもそもの物語の背景に当たる勢力分布が複雑な上、更に作劇法が叙事を丁寧に説明してくれるタイプではない。
 断片的とも言えるエピソードや、フラッシュバック、セリフの一端といった効果を多用して、散りばめられたそれをつなぎ合わせると、ようやく全体像が見えてくるという作り。おかげでもう誰が何なのか、このシーンが何を意味しているのか、もう最初のうちは混乱し通しでした(笑)。
 で、半分まで見たところ(二部構成の作品です)で、もうギブアップ。DVDをいったん止めて、同梱のブックレット掲載の解説を読み、それでようやく全体像が把握できたので、改めて後編を鑑賞。
 すると、基本となるストーリーの骨子自体は、実はさほど複雑ではないことが判りましたが(それぞれのキャラクターの立ち位置や、勢力的な所属を理解して見れば、物語自体はオーソドックスとも言える叙事詩的な内容だった)、それでも頻出する宗教的&哲学的問答とかに、やっぱりノーミソがきりきり舞い(笑)。
 テーマとしてはおそらく、人間らしい感情や愛は、部族習慣や宗教のドグマを上回る強さがあるということだと思うんですけれど、ストーリー的な意味でもテーマ的な意味でも、多種多様なエピソードが混在していて、しかもそれがシャッフルされたかのように提示されるので、ホント手強いこと手強いこと(笑)。
 でも、難しいアレコレは置いといて、とりあえずシンプルな愛の物語という側面をピックアップしてストーリーを追うと、これはなかなか感動的な内容で、基本的には悲劇ではあるんですが、ラストの後味も良かった。

 というわけで、内容把握に関しては、どれだけ理解できたか心許なくはあるんですが、映像的にはもう圧巻。
 一見、エイゼンシュテインか黒澤明かという感じの、重厚で堂々たる史劇のようなんですが、そういったスタイルと同時に、アヴァンギャルドなカメラワークとか、鮮烈なイメージのフラッシュバックとか、前衛映画もかくやという映像が混じっている。
 そんな静と動、古典と前衛といった、対象的なイメージが入り乱れ、しかもそのどちらもが、ハッとするほど美しかったり圧倒的だったり。
 美術や衣装も、キリスト教的なものから異教的なものまで、目の御馳走いっぱい。伝統的な合唱を多用した音楽も素晴らしかった。
 また、マルケータの美しさを筆頭に、それぞれのキャラクターの佇まいや面構えなども良く、とにかくいろんな意味でオナカイッパイになった一本。
 というわけで、これまた「理解できたかできないかは脇に置いておいて、好きか嫌いかで言えば問答無用で好き!」なタイプの映画でした(笑)。
 とりあえず、劇中の音楽とスチル写真を使った、ファンメイドのクリップを貼っておきます。映画の史劇&叙事詩的な側面の雰囲気は、これでだいたい掴めるかと。
 でもまぁぶっちゃけ、とにかく手強かったので、できれば日本語字幕付きで再鑑賞してみたい……というのが本音かな(笑)。

Blu-ray_MarketaLazarova
【追記】この『マルケータ・ラザロヴァー』、昨年2011年にデジタル修復され(参考)、同じく昨年暮れにチェコ本国でDVDとBlu-rayが発売されました。
 Blu-rayはリージョンA&B再生可能(Cはテストレポートなし)、英語字幕付きだという情報をネットで得たので(参考)、チェコの通販サイトをあたって何とか購入してみました。
 手元に届いた商品を試してみたところ、情報通りリージョンA固定のBlu-rayプレイヤーで問題なく再生、英語字幕もちゃんと収録されていました。
 ジャケット裏の解説や、同梱の薄いブックレットも、チェコ語と英語併記。
 Blu-rayディスク1枚と、ボーナスDVDディスク1枚の二枚組。ボーナスディスクには関係者インタビュー、ショート・ドキュメンタリー、フィルモグラフィ、ギャラリーなどが収録されている模様(まだ内容は未確認)。
 そして特筆すべきは、画面と音のレストア。
 映像は、英盤DVDとは比較にならないほどの美麗さで、ディテールの再現性、階調の豊かさなど、文句なしの高画質。強いて言えば、ハイライトの飛びに若干キツい部分が見られるのと、章題の中間字幕部分が、シャープネスの影響か、少しザラついた画質になっていることくらい。
 音質も向上していて、この映画では音楽と画面がシンクロする場面が多々あるので、そういった部分での効果が倍増している感じ。私はチェコ語のヒアリングなんて全くできませんが、それを前提に、セリフ等も囁きから怒鳴り声まで、よりクリアになっている印象があります。
 ご参考までに、私がオーダーしたサイトは、こちら

【追記2】後に米クライテリオンからもBlu-rayが出ました。日本のアマゾンでも取り扱いあり。
[amazonjs asin=”B00BX49BZM” locale=”JP” title=”MARKETA LAZAROVA”]

“Мольба (Molba / ვედრება / Vedreba / The Plea / 祈り)”

dvd_Plea
“ვედრება / Vedreba” (1967) თენგიზ აბულაძე / Tengiz Abuladze
(ロシア盤DVDで鑑賞、米アマゾンのマーケットプレイスで入手可能→amazon.com

 ソ連/グルジア映画、テンギス・アブラゼ監督作品。露題”Мольба (Molba)”、英題”The Plea”、邦題は『祈り』と『嘆願』と二例確認。
 グルジアの詩人ヴァジャ・プシャヴェラ(Vazha Pshavela)の詩をベースにしたもので、アブラゼ監督作品としては、これと1977年制作の『希望の樹(幸せの樹)』(未見)、1984年制作の『懺悔』で、三部作となっているらしいです。
 内容は、中世(?)のコーカサス(カフカーズ)で対立している2つの部族にまつわる、叙事詩的な悲劇的エピソード2つと、いつともいずことも知れない廃墟のような古城で、巡礼と天使と悪魔が信仰や欲望について語る言葉や、様々な象徴的なイメージを織り交ぜながら、劇映画的な台詞ではなく、詩の朗読を主体として綴ったもの。
 今回は各々のストーリーを最後まで解説してしまうので、ネタバレ等がお嫌な方は、次の段は飛ばしてください。

 叙事詩的な挿話は、共にコーカサス山中の村を舞台にしており、一つめはムスリムと敵対しているキリスト教徒の村が舞台。
 そこでは、打ち負かした敵の右手を切り取って持ち帰り、それを城壁に晒すのが慣習なのだが、敵に敬意を払った一人の勇者は、それをせず、更に斃した敵のために生け贄を捧げて祈る。
 このことが長老を初め他の村人たちの反感を買い、勇者は家を焼かれ、家族共々村から追放されてしまう。雪原を彷徨う彼は、故郷と信仰に別れを告げる。
 二つめの挿話は、ムスリムとキリスト教徒、二人の狩人が山中で出会うことから始まります。
 獲物は一つしかなく、ムスリムの狩人は獲物を半分に分け、更に家路から遠く離れているキリスト教徒の狩人を、自分の家に客として泊めようと提案する。こうして二人はムスリムの村へ行くが、長年敵対しあっていた二つの部族だけに、周囲の村人はそれを是としない。
 敵であっても、掟に従って客としてもてなすべきだという主張は、親類縁者を殺された村人たちによって退けられ、敵部族の狩人は捕らえられ、祖霊を慰めるための生け贄として殺されてしまう。それを見た村の娘は、残されるであろう彼の妻のことを思い、涙する。
 残る一つのエピソードが、巡礼と天使と悪魔の話です。
 いずことも知れぬ廃墟のような古城で、神と善を求める巡礼に対して、悪魔は人間の欲望について語る。天使は人間に寄り添うものの、多くの人間はその姿を見ることがない。巡礼は人の世の苦しみを嘆くが、やがて悪魔は天使と婚礼をあげ、天使は母となり子供を抱くが、それは人間の赤ん坊ではなく猿だった。
 周囲では家屋が燃やされ、盲目の乞食の群れが騎兵に蹴散らされ、大勢の人々が見渡す限りの墓穴を掘り続ける。その光景に巡礼は、「もう墓穴は見たくない、もっと幸せな良いものを見せてくれ、私は世界を見たくない」と神に祈る。
 しかし天使は絞首刑に処され、人々は無表情にそれを見上げる。そして祈りの言葉ともに、映画は幕を降ろす。

 う〜ん、これは手強かった。私の知識と語学力では、半分も理解できたかどうか……。詩の朗読がメインなので、見慣れない古風な単語が山ほど出てくるし、固有名詞もそれが何なのか判らないことが多くて……見終わってから調べましたが、《Kistin (キスト人)》なんて言葉、初めて聞きました。
 コーカサス地方には、そういった少数部族がいろいろあるらしく、いちおうこの映画で出てくる二つは、キリスト教側が《Khevsur》(参考) 、ムスリム側が《Kistin (キスト人)》(参考)のようです。
 そんなこんなで、良く判らないことが多々あったとんですが、まあそのそもがストーリーを追うタイプの作品ではないし、何と言ってもモノクロの映像がものごっつう魅力的なもんだから、見ていてちっとも退屈ではなかったり。

 全体の雰囲気は、パゾリーニとタルコフスキーとパラジャーノフを足して三で割ったみたいな感じ。
 とにかく、登場人物の顔だけでも何とも味わいがあって魅力的だし、衣装や風景(鑑賞後にあれこれググっていたら、例えばこことか、劇中で見覚えのある光景が出てきたので、出てくる建物とかもどうやらセットではなく、実際に存在するものを使っている模様。)や、スチル的な映像感覚も素晴らしく好みでした。
  おそらく、ちゃんと理解しながら読み解けば、もっと色々と意味が見つかるんでしょうが(この監督の『懺悔』はそういう作品でしたし)、画面をボェ〜っと見てるだけでも充分幸福。
 というわけで、理解できたかできないかは脇に置いておいて……って、それでいいのかって気もしますけど(笑)、好きか嫌いかで言えば、問答無用で「好き!」です、この映画。

 以下、幾つかクリップを貼っておきますが、これらを見て「ぐっときた!」という方だったら、おそらくワケワカンナクても見て損はなし(笑)。
 敵の右手を切り落とさなかった勇者のエピソードから、冒頭〜決闘〜村への帰還部分のシークエンス。

 二人の狩人のエピソードから、墓所での生け贄のシークエンス。

『ウィルトゥース』イタリア語版単行本が出ました

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 昨年末、イタリアで私の二冊目の単行本”Virtus”が発売され、手元にも本が送られてきました。
 版元はRen Booksという新興の会社。
 担当編集者のニーノ・ジョルダーノ氏は、ヒゲもじゃの巨漢で見るからに熊さん系ながら、かなりの日本オタク、それもオカマテイストの入った系のオタク氏で、『ガラスの仮面』や『キャンディ・キャンディ』の話をすると止まらなくなるという好漢で、聞くところによるとプライベート用のメールアカウントが「月影千草」だという話(笑)。
 拙作『ウィルトゥース』イタリア語版商品ページは、こちら。既に竹本小太郎さんのイタリア語版マンガ単行本なども出しており、今後もオークラ出版「肉体派」のマンガ単行本のイタリア語版を出版予定(のはず)です。

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 で、このイタリア語版『ウィルトース』ですが、収録作は表題作のみとなっており、サイズはA5と、共に先に出たフランス語版と一緒。
 造本はペーパーバックで、表紙はしっかりとした厚手の紙にグロスPP貼り。本文の紙質も良く、印刷も良好。
 内容は、表題作のみ収録という点以外は、基本的には日本語版と同じですが、フランス語版と同様にセンサーシップの関係で、幼少時のクレスケンスが父親の玩具にされるくだりに、ちょっと絵の差し替えや修正が入っています。
 また、以前出たイタリア語版単行本“Racconti estremi”では、編集氏の「カッコいいから」という要望で、効果音等の日本語の手書き文字をそのまま残した形でしたが、今回は、他のフランス語版やスペイン語版単行本と同様、手書き文字を全て外して絵だけにした状態の画像データを渡し、そこに改めてあちらで先方で効果音を欧文で入れて貰うというという形(これまた編集氏の要望による)になっています。
 で、この新たに加えられた欧文の効果音が、実に元の私の手書き文字の雰囲気を上手く再現してくれていて、これはちょっと感激。参考のために比較画像を作ってみましたが、こういった細やかさという点では、今まで出た外国語版単行本の中でもベストな出来かも。
virtus_hikaku

 あと、ちょっと興味深かったのが、この効果音に関してなんですが、例えばスペイン語版『外道の家』なんかのユニークな擬音と違って、このイタリア語版『ウィルトゥース』のオノマトペは、何故かそこだけアメコミ風というか、英語になってたりします。
 例えば、剣が縦にぶつかる場面では《CLANG》、ブスリと刺さる場面では《STAB》という具合。足音は《TAP》、そしてキスシーンは《SMACK》……って、なんかスヌーピーみたい!(それは違う)
 そんなこんなで、まぁ古代ローマを舞台にしたストーリーなので、作者としては、いわばキャラクターたちを帰省させるみたいな思いもちょっとありまして、あちらの読者にも楽しんで貰えたらな〜、と願っております。
 もし入手したいという方がいらっしゃいましたら、前出の出版社のリンクから直接か、もしくはイタリアのアマゾン(Virtus [Rilegato] Gengoroh Tagame)からも購入可能です。