前にここで、「もうガチで楽しみにしてるんだが……ちゃんと公開してくれるんでしょうね?」と書いた、フランク・ミラー原作、ザック・スナイダー監督、ジェラルド・バトラー主演の『300』ですが、無事に「2007年初夏ロードショー!」とのことで、日本語サイトがオープンしていました。
これでホッと一安心(笑)。
さっそくサイトからステキ壁紙をダウンロードして、デスクトップ・ピクチャに設定してみました。左上の画像がそれ。クリックすると、ちょっと大きくなります。
……うふん、なかなかいい感じ。いつものスティーヴ・リーヴス様には少しお休みいただいて、しばらくこっちに浮気しようかな(笑)。
テルモピュライの戦いの映画というと、過去にも『スパルタ総攻撃』(”The 300 Spartans”/1962年/ルドルフ・マテ監督)があります。
これは私も、ちょっと前に日本盤DVDが出て初めて見たんですが、いささか地味ではあるものの、真面目に作られた佳品という印象でした。
正直、俳優にはあまり華はないし、スパルタ軍の格好とかも、古代ギリシャというよりはローマ風に見えるとか、気になる部分もあるんですけどね。でも、風景のスケール感や軍勢の物量感なんかは決して悪くないし、舞台やタイムスパンを拡げすぎないモノガタリは、娯楽作的に骨太で手堅い。マノス・ハジダキスによるちょっとエキゾチックなスコアも、ムード演出に一役買っている感じ。
史劇好き、男のドラマ好きなら、見て損はないと思うので、よろしかったらご覧あれ。
『スパルタ総攻撃』DVD(amazon.co.jp)
さて、今度の『300』は、どんな感じになるのかな。
予告編を見る限りでは、けっこうパンキッシュな感じですけどね、楽しみ楽しみ。
「マッチョ」カテゴリーアーカイブ
“Centurians of Rome”
“Centurians of Rome” (1980) John Christopher
今まで、ソード&サンダル映画のソフトについて、何度か書いてきましたが、今回はちょいと変化球です。
いや、変化球っつーか、これは反則か(笑)。だってこれ、ゲイポルノ史劇だから(笑)。でも、そう言うと何だかキワモノのようですが、あにはからんや、これは私が見た古今東西のゲイ・ポルノ映画の中でも、三本の指に入るマイ・フェイバリット。
とゆーわけで、今回の記事は「エロ」ですから、お嫌な方はパスするように。
ポルノ+史劇というと、有名なのはティント・ブラスの『カリギュラ』ですよね。公開当時は日本でも話題になりましたし、ゴージャスな画面や残酷趣味などの見せ物的な面白さはありましたが、まあ正直なところ、アーティスティックという面でもポルノグラフィックという面でも、どっちつかずの中途半端さで、さほど面白い作品ではない。
理由はいろいろありますが、私にとって最大のそれは、単に豪奢なセットの中で乱交するだけで、エロティックな表現そのものに目を見張るようなものがなかったってことです。そういう意味では、富士見ロマン文庫から邦訳が出た、ノヴェライズの方が面白かった。ペントハウス誌のオーナーにして映画の制作総指揮も努めたボブ・グッチョーネが、映画の仕上がりに不満で手を入れたとは聞きますが、私はティント・ブラスの作品は、そーゆー横槍がないはずの『サロン・キティ』でも退屈だったから、そもそもこの監督とは相性が悪いのかも知れません。
しかし、大金を投じて(『カリギュラ』は46億円らしい)ポルノ映画を撮るってこと自体は、結果はどうあれ、その心意気に拍手したい気持もあります。
さて、そんな『カリギュラ』の向こうを張って……かどうかは判りませんが、その翌年に公開されたのが、この “Centurians of Rome” です。もちろん『カリギュラ』ほど大金がかかっているわけではなく、それでもIMDbのトリビアには「最も高い制作費を投じた(10万ドル近い)ゲイ・フィルム」とあります。
まぁ、いくらゲイポルノとしては破格の予算を投じていても、『カリギュラ』とは桁が二つ違うし、実際の画面もゴージャスには程遠いです。50年代後半から60年代中頃のソード&サンダル映画の、安っちいクラスの作品と比べても、ず〜っとず〜っと貧乏くさい(笑)。
でも、それなりに頑張ってはいて、例えば、何もない野っ原にローマ風の石柱をポツンと置いて、遺跡風の雰囲気を出していたり、建物の外観とかは、どこぞの図書館だか博物館だかにありがちな、ギリシャ・ローマ風のエントランスとかを使って撮っていたり、頑張って史劇らしいムードを出そうという努力や工夫は、充分以上に感じられます。
そして特筆したいのが、この映画は『カリギュラ』と違って、ポルノグラフィーに徹しつつ、なおかつモノガタリとしても面白いんですな。
映画は『スター・ウォーズ』のパロディで始まります。星空を背景に「昔々、ローマからそう遠くない所で……」ってな黄色いテロップが流れる(笑)。で、舞台はローマ郊外らしき野っ原に移り、そこで畑を耕すかなんかしてる仲良し二人組、黒髪にフルフェイスのヒゲのディミトリアス(ジョージ・ペイン)と、ブロンドに口ヒゲのオクタヴィアス(スコルピオ)がメイン・キャラクター。
二人は親戚同士で、オクタヴィアスが税金が払えなくて困っている、みたいなことを会話で説明した後、一休みしようかと昼寝する。ここで見る淫夢が、最初の濡れ場。ロマンティックな音楽……因みにこれ、富田勲の『ダフニスとクロエー』を、おそらく無断で勝手に使ってるんですが(笑)……が流れ、色照明の中、二人のヒゲ男は全裸になって愛を交わす……ってな具合。
そこに百人隊長(エリック・ライアン)が部下と共に馬に乗ってやってくる。「税金払え」と言われ、オクタヴィアスが「金がないから払えない」と答えると、その場で取り押さえられてしまう。百人隊長は、ディミトリアスに空の財布を投げ与えて、「明日までに金を持ってこい」と命令すると、下帯一つの裸にされたオクタヴィアスを縄で縛って、馬で引いて連れて行ってしまう。
連行されたオクタヴィアスは、百人隊長のテントの中で、「美しい、天使のようだ!」とか何とか迫られて、部下と一緒に数人がかりで凌辱されてしまう……ってのが二番目の濡れ場。その夜、ディミトリアスがオクタヴィアスを助けにテントに忍び込む。で、「俺はこいつを始末してから行くから」と、オクタヴィアスを先に逃がして、石を拾って百人隊長を殺そうとするのだが、根が善人なのか実行できない。すると百人隊長が目を覚ましてしまう。
こうして、オクタヴィアスは脱出できるが(因みにこのシーンでは、今度はエルマー・バーンスタインの『十戒』の音楽が……)、ディミトリアスが捕まってしまう。百人隊長はディミトリアスを縛ると、「お前を奴隷に売って、その金を税金にあててやろう」とか言いながら、裸にして身体に悪戯……ってのが、濡れ場じゃないけど三番目のエロ・シーン。
この後、ディミトリアスは奴隷の競り市に出され、そこに来ていた、いかにも退廃メイクなフェミニン系の皇帝の目に留まり、お買い上げ、他の奴隷と一緒に地下牢に繋がれて、マッチョな調教師からセックス調教の開始。いっぽうオクタヴィアスは、ディミトリアスを助けるために、自分を「美しい」と言っていた百人隊長に色仕掛けで近付くが、それをきっかけに二人の間に情が通いはじめる。その頃、調教が終わったディミトリアスは、ついに皇帝の夜伽をするために寝室に連れて行かれ、寝台の柱に縛られ……ってな具合に、話が進みます。
あらすじの紹介が長くなりましたが、こんな感じで、ジャンル・フィクションで期待されるクリシェを上手く使い、同時に要所要所をしっかり濡れ場で押さえつつ、キャラクターの性格や心情も絡めたストーリーをきちんと展開していく。内容も盛り沢山で、凌辱や縛りや鞭打ちもあれば、キスやラブラブや恋愛もあり、モノガタリ的なドンデン返しまである。
ここまでちゃんとした「おはなし」があって、それがエロ・シーンと全く乖離していないのは、ポルノグラフィー的なモノガタリのレベルが極めて高いとゆーことで、もう「お見事!」って感じ。私が本作を、マイ・フェイバリットの一本にあげる、最大の理由がこれ。
それと私の場合、幼少のみぎりから『十戒』やら『ベン・ハー』を見て、映画としての面白さと同時に、性的にもモヤモヤと惹かれていた……って事情もあります。
で、映画を見た後、勝手に頭の中で「アレがあの後、あ〜なってこ〜なって……」ってなHな妄想を繰り広げて、エロい二次創作(笑)をオカズにマスターベーションしたりしてたわけですから、そーなるとこの映画は、もうある種の夢の具現化です。今からもう、20年も前になりますか、知り合いに初めてこの映画の裏ビデオを見せてもらったときは、「ひゃ〜、こんなのがホントにあったの!」と、マジでビックリかつ感激したもんです(笑)。
あとまぁ、やっぱりポルノですからね、俳優陣がイケるかどうかってのも重要なんですが、これまた幸いなことに、私の好みに合致してる。
昔の、まだフィルム撮りだった頃のゲイ・ポルノですから、皆さん今みたいにゴリゴリのマッチョやらビルダーやらってのではないですが、肉体労働系のナチュラルな逞しさで、これはこれでまた良きかな。顔も、メインの三人はいずれも私的にオッケーなタイプだし(特に黒ヒゲのジョージ・ペインの顔は好きだなぁ)、脇でも、ダンジョンの調教師なんかカッコいいし。
不気味系の皇帝陛下も、他の役者とのコントラストが、逆にエロい気分をかき立ててくれるし、役者としてもけっこう見せてくれる。特にラストで見せる表情なんて、『サンセット大通り』のグロリア・スワンソンばり……までいくと褒めすぎだけど、でも、かなりの凄み。
最近制作のゲイ・ポルノでも、こういった史劇風のものってのも、全くないわけじゃないんですが、残念ながらクオリティが、この作品の足下にも及ばないものばかりです。
なんかね、ローマ風の衣装を付けて、それ風のセットでセックスしたりはするものの、キレイにタンニングした肌にビキニ跡がクッキリとついていたり、ラテックスのコンドームを使ってたりすると(まあ、これは仕方ないことではありますが)、興ざめも甚だしい。もちろん、モノガタリなんてあってなきが如しで、コスチューム・プレイではなく、悪い意味での「コスプレ」にしかなっていないんですな。
あと、ハードコアのポルノビデオって、どうしても「結合部分をよく見せる」とかの工夫ゆえに、本来ならば陰になる部分にも照明を当てるから、結果として画面がフラットになりがちだったりします。まあ、上手いスタジオだとそこいらへんも上手くて、二灯三灯使いながらも陰影にはメリハリを付けて、全体も局部も共に見応えある画面作りはしていますが、そーゆー優良スタジオは限られている。
でも、この “Centurians of Rome” は、そこいらへんがけっこう「映画的」なんですな。シーンによっては、オーラルセックスやアナルセックスをしていても、性器や結合部分が完全に影に隠れてしまっていたり、暗すぎて見えないことも多々ある。でも、それがかえってナチュラルな淫靡さを醸し出していたり、エロティックな雰囲気だったり。光と影で画面を作るという意識や、最近のAVでは見られなくなった職人的な技術が、しっかりあるという感じです。
DVDの画質は、もちろん私が以前持っていた裏ビデオ版と比べると、問答無用の良画質ですが、こういうクラシック・ゲイ・ポルノのソフト全般と比べても、かなり佳良です。デジタル補正しているようで、映像はかなりシャープで鮮明。ただ、シャープネスをきつくかけたせいなのか、ちょっと全体的にフィルムの粒状感が目立ってしまったような、ザラザラした感じはあります。
画質のサンプルは……う〜ん、内容が内容なだけに、キャプチャ画像をアップするのは差し控えます(笑)。どんな内容か知りたい人は、Centurians of Rome でGoogleのイメージ検索をすれば、スチル写真やキャプチャ画像が幾つかヒットするので、それを参考にしてください。
ディスクは、プレスではなくDVD-Rですが、フルカラーのピクチャーディスク仕様。メニュー画面あり、チャプター付き。
“Maciste en las Minas del Rey Salomon”
“Maciste en las Minas del Rey Salomon” (1964) Piero Regnoli
前にここで「責め場がなかななか良い」と書いた、レジ・パーク主演のソード&サンダル映画のスペイン盤DVD。伊語原題”Maciste nelle miniere di re Salomone”、英題”Maciste in King Solomon’s Mines” a.k.a. “Samson in King Solomon’s Mines”。
まあ、お話としては、マチステものは大概そうなんですが、この映画もお手軽この上ない内容。悪人によって国を乗っ取られた王子と王女を助けて、筋肉マンが大暴れ、民衆も味方に付けて悪人どもを退治して、いずこへともなく去っていく……ってだけです。新味やら独創性やらは、ほぼ皆無(笑)。私は基本的に、フィクションの「お約束」ってのは好きですし、自分の作品でも、けっこう意図的にクリシェを援用したりするんですが、しかしここまで「お約束オンリー」ってのも、ちょっとねぇ(笑)。
ただまあ、ソロモン王の宝窟ネタなのでアフリカが舞台だから、お話はともかくとしても、雰囲気は何となくマチステ映画とターザン映画が混じったようで、ちょいと独特です。そういや、ターザン映画っつーと、アメリカでワイズミューラーのターザンBOXの第二弾が出たけど、これ日本盤は出ないんだろうか。期待して待ってるんだけど、リリース情報がない。
この映画には関係ないけど、ソロモン王の宝窟ってネタも、ハガードの小説が大好きなので、ここらで最新技術を使ってマジメな映像版を見てみたいもんです。リチャード・チェンバレン主演のヤツは、コメディタッチでそれなりに楽しめたけど、所詮はインディ・ジョーンズのバッタモンって感じで、ぞくぞくやワクワクはしなかったし。最近もホールマーク製のヤツを見たけど、これはイメージのショボさ演出の外しまくりにガッカリだった。ハガードとかメリットとかの秘境探検小説を、正攻法で映像化してくれないもんかなぁ。でも、PC的に引っかかる要素が多すぎるからダメかなぁ。
話がズレましたが、そういうわけでこの映画、内容的にはさほど見るべきものはないですが、モノガタリの構成そのものは緩急があるし、セットのスケール感なんかも、目を見張るほどではないけれどショボ過ぎもしない、といった感じで、肩の凝らない娯楽作としては、そこそこ手堅い出来です。
でもまあ、私にとっての最大の魅力と言えば、やっぱりレジ・パークの責め場なんですけどね(笑)。ヘラクレスものでは責め場がなくて残念だったから、この映画で責め場があるのは、とっても嬉しい(笑)。
ただ、残念ながら今回、ヒゲがないんですな。この人のご面相って、ヒゲがあればそこそこかっこよく見えるし、時にチャーミングだとも思うんだけど、ヒゲがなくなると、どーにもこーにも……(笑)。
それはそれとして、お目当ての責め場はどういうものかというと、善玉を助けに来たマチステが、網をかぶせられて捕まった後、公衆の面前で鳥カゴみたいな檻に入れられて、両腕を馬裂きにかけられる、ってな内容。
まあ、馬裂きそのものは、これはもうソード&サンダル映画のお約束みたいなもんで、もう何回見たか判らないくらい、しょっちゅう出てくるネタ。ホント、当時のボディビルダー男優って、みんな一度は馬裂きを経験してるんじゃないかってくらい定番(笑)。
ただ、今回の馬裂きは、檻の内側に刃物が突き出していて、引っ張られてバランスを崩すとブッスリってなアレンジが加わっていることと、レジ・パークが実に良く熱演しているということと、更にこのシーンの尺がかなり長く、おまけに様々なアングルと丁寧なカット割りで、他の映画の馬裂きと比べると、かなり見応えがあるし満足度も高い。
ホント、これでヒゲ付きだったら最高だったのに(笑)。
そして馬裂きの後は、マチステ君は催眠術だか魔法の足輪だかのせいで、鉱山労働の奴隷にされちゃいます。責め場ってのとはちょっと違いますが、奴隷とか強制労働とか好きの人なら、ここも嬉しいポイント。
あと、この映画は全般的に、レジ・パークの筋肉美を見せるフェティッシュなカットが多くて、責め場でも強制労働でも怪力発揮シーンでも、かなりのクローズアップで筋肉の動きを舐めるように見せてくれたりするんで、ボディビル好きや筋肉マニアだったら、けっこう楽しめるはず。スティーヴ・リーヴスとミスター・ユニバースの覇者を競い、シュワルツェネッガーのアイドルだったボディービルダーの肉体を、タップリ堪能できまっせ。
パーク以外の責め場では、善玉青年が鞭打ちやスパイクの生えた板でプレス責め、なんてシーンもあります。う〜ん、これをヒゲ付きのパークでやってくれたら、どんなに嬉しかったか(笑)。
あ、因みに女責めもあります。ブロンド美女を、ラックに縛って引き延ばし責め。
ってな感じで、責め場とかはけっこう見応えありなんですが、俳優とか演技とかキャラクターとかは印象が薄い。記憶に残るのは、悪の女王のウンコみたいなヘアースタイルくらいで(笑)。
DVDはPAL、リージョン2。スクイーズなしのビスタ。音声はスペイン語とイタリア語、字幕はなし。
アメリカ盤DVDは“Warriors 50 Movie Pack”に収録。色は落ちちゃってるし左右も切られちゃっていますが、ディテールはそれなりに残っているので、アメリカ盤としては画質は悪くないほうかな。
“Hellbent”
“Hellbent” (2004) Paul Etheredge-Ouzts
前に『ザ・ヒル』っつーC級以下のホラー映画(笑)を紹介したとき、「やだ、ひょっとして野郎版ジャーロ? 憧れの野郎系スラッシャー?」なんてことを書きましたが、いや、あるもんですね、世の中にはそんな映画が。
っつーわけで、「そんな映画」の “Hellbent” をご紹介。
と言ってもこれは、2004年制作のアメリカ映画なので、もちろんジャーロ映画であるわけもなく、今どきのスラッシャー映画です。
ただ、ちょっと面白いのは、スラッシャー映画であると同時に、ゲイ映画でもあるんですな。それも、サイコ系映画でありがちな犯人がゲイだとか、あるいは殺されるのがゲイばっかりだとか、そーゆーレベルではなく、ゲイ・コミュニティの中での出来事を描いた、ゲイしか出てこない映画。
つまり、スラッシャー映画とゲイ映画という、二つのジャンル・フィクションが合体した映画、というわけ。
物語の舞台はウェスト・ハリウッド、ハロウィンの前夜から始まります。
深夜の公園でハッテンして、カーセックスの真っ最中のゲイのカップルが、悪魔のマスクを被った上半身裸のマッチョ男に、鎌のような刃物で首チョンパされて殺されてしまう。
翌日、警察でバイトをしている主人公エディ(健全にニコニコしている好青年で、万人受けしそうなタイプの、ノンケさんの世界で例えると、ヒロインタイプのカワイコチャン系ゲイ)は、署長さんだか誰だかから、この事件に関するチラシを、ゲイ・コミュニティ内のショップとかに配ってくれと頼まれる。
余談ですが、この段階でエディが、ノンケ社会で問題なく暮らしている、カムアウト済みのオープンリー・ゲイだってのが判ります。
で、実はエディは、自分も警察官になりたかったんだけど、ある理由でなれなかった、警察マニアのゲイなので、ハロウィンだし、警察のビラ配りの仕事という大義名分も得たので、趣味の警官コスプレの恰好で、嬉々として街にくりだす。で、ビラを置かせて貰いに行ったタトゥー・スタジオで、ちょいワル系のジェイクに出会って一目惚れ。
ビラ配りのバイトを終えたエディは、ハロウィンのパーティーに行くために、友達と待ち合わせ。その顔ぶれは、フェロモンムンムンのラテン系バイセク男で、レザーのカウボーイ・スタイルに身を固めたチャズ、ルックスはナード系なのに、似合いもしないハードゲイ系のコスプレをしてしまったジョーイ、素材はマッチョな大男だけど、ゴージャスなドラァグ・クイーンに化けたトーベィ。
仲良しゲイの四人組は、車でパーティー会場に向かう途中、よせばいいのに例の殺人があった公園に寄り道する。で、肝試し気分なのか「ここで昨夜、生首切断殺人が起きたんだぜ〜」なんてぬかしながら、ツレションしてるところに、例の殺人鬼に出くわしてしまう。彼らはそれを、ハッテン中のお仲間だと勘違いして、からかったりするのだが、男の手に鎌が握られているのを見て、ちょいとヤバそうだと退散する。
パーティー会場に着いた四人は、屋台を冷やかしたり、バンドのライブを見に行ったり、バーで飲んだり、クラブで踊ったり、男を引っかけたりと、ハロウィンの夜を楽しむ。エディはタトゥー・スタジオで一目惚れしたジェイクに再会するし、モテないナード系のジョーイにも、何とジョックス系のボーイフレンドができそうな気配が。
しかし、そんな楽しい四人組の側には、例の悪魔マスクの殺人鬼が影のようにつきまとっていて、やがて一人一人、生首狩りの餌食になっていく……ってなオハナシです。
ストーリーからもお判りのように、基本的な構造は「乱痴気騒ぎをする馬鹿な若者たちが、次々と連続殺人鬼の犠牲になっていく」という、『13日の金曜日』あたりから続くスラッシャー映画のパターンを踏襲しています。で、その合間合間を、現代アメリカのゲイ・コミュニティーの風俗描写で繋いでいく。
で、このふたつの要素が絡み合っていく。どんな具合かと言うと、まず冒頭で殺人をツカミに置き、その後はゲイ的な小ネタやディテール描写で各々のキャラクターを立てていき、こっちもだんだんキャラに感情移入してきて、同じゲイとしてゲイ映画的にハッピーな気分になりかけたとき、その頃合いを見計らって殺人シーンでそんな感傷をブッタ切るっつー、かなり邪悪な(笑)構成。これはなかなかのもので、ここまでは文句なしに面白かった。
また、二種類のジャンル・フィクションの合体という点では、ある種のスラッシャー映画において、被害者の死が「アモラルな若者への罰」のような解釈が可能なように、この映画でも、四人組が殺されていくのは「年長のゲイに対する無神経な言動への罰」としても解釈できるのが面白いですね。
もう一つ、ジャーロ系の要素とゲイ映画の合体という意味で、女装系には見向きもしなかった殺人鬼が、彼がカツラを取って「ホラ、男としてもイケてるでしょ?」と自分をアピールしたとたん、毒牙にかかってしまうってのが、ジャンル・フィクションの構造自体に対するパロディのようで面白かったなぁ。
スラッシャー映画としては、殺しが鎌で生首チョンパという派手な手口さだし、シーンの描写も、サスペンスとショッカーを織り交ぜた見せ方で、これまたなかなか悪くない。グロ描写自体は控えめですが、首を刈り取られた死体とか、低予算だろうに特殊効果は頑張っている。
レンタルビデオ屋の棚に並ぶ、大量の安〜いホラーと比べても、かなりマトモな部類。見ていて、下手でウンザリするってなことは、決してありません。
ゲイ映画としては、恋愛の奥深さとかエロなセックスとかはないですが、散りばめられたゲイ的な小ネタは、それなりにけっこう楽しい。
個人的にウケちゃったのは、犯人はどんなヤツなんだろうと四人組が話しているときに出てくる、「きっと、年寄りのゲイがあたしたちみたいなのに嫉妬して、クローゼットから出てきたのよ!」っつーセリフ。じっさい、自分の「秘密」がバレることを恐れるクローゼット・ゲイが、職場でカムアウトしているオープンリー・ゲイにホモフォビックな嫌がらせをしたり、あるいは、ゲイ・パレードのような「公の」ゲイたちに対して、批判的な言動をとることはあるので、こういったセリフもまんざら冗談では済まされない点がある。
その反面、オープンリー・ゲイである若い四人組が、年輩のクローゼット・ゲイに対して、明らかに侮蔑的であるとか、ジョックス軍団(つまりモテ筋の体育会ゲイ)はナードなジョーイを馬鹿にするとかいった具合に、ゲイ・コミュニティーを「明るく楽しいパラダイス」としてだけ賛美するのではなく、その内に存在する「ゲイがゲイを見下す」差別的なヒエラルキーも、きちんと描写するという、視点のニュートラルさも好ましい。
そんな具合で、前半はかなりノリノリで見られたんですが、いざ四人組が一人ずつ殺されていく後半になると、ちょいとダレてくるのは残念。
と言うのも、この四人組はそれぞれ別行動中に襲われるので、誰かが殺されても、他の連中にはそれが判らない状況なのだ。だから、登場人物たちにとって、死は「不意に唐突に訪れる」だけで、「自分たちが何者かに狙われている」「次に殺されるのは誰だ?」「生き延びるにはどうしたらいい?」といった、サスペンス的な要素が全くない。しかも、無作為な無差別殺人ではないので、ショッカー・シーンも増やせない。
これを、主人公エディとその相手ジェイクのロマンスや、その他諸々のゲイ映画的な小ネタだけで繋いでいくのは、いかにも苦しく、どうしても後半は間延びした印象になってしまう。物語としては、エディが警察官になれなかった理由とかの伏線もあるし、個々の描写が面白い部分も多々あるんですが、やはり軸が弱い。総合的には、スラッシャー映画としてもゲイ映画としても、ちょいと中途半端の虻蜂取らずになってしまったのが惜しいです。
冒頭で、エディが警察のデータベースから、自分のタイプの犯罪者の写真をプリントアウトしてたりするので、ひょっとしてこれは、ナルシズムやサドマゾヒズム的な要素を含めた展開への伏線か、なんて期待もしたんですけどね。単なる小ネタでしかなかった。スラッシャー映画には、映画を見ることによって、観客が殺人行為を、加害者的あるいは被害者的に疑似体験するとか、時に現実的なモラルが逆転して、殺人鬼が観客にとってのヒーローになる(ジェイソンだのフレディだの……ね)といった、ねじくれたサドマゾヒズム的な要素があるんで、そこいらへんに絡めてくれたら面白かったのに。
役者さんは、それぞれキャラも立っていて、全体的に好印象。
私の一番のお気に入りは、ラテン系のチャズ(この子)なんですけど、殺され方も一番凝っていたから嬉しい(笑)。この映画では全体的に、殺しはズバッと一発で終わる感じなんですが、この子だけ、ちょっとジワジワ嬲り殺し的な要素があるし……って、こんなことで喜んで、自分のセクシュアリティが、前述のねじくれたサドマゾヒズムそのものだと、カムアウトしてどうする(笑)。
殺人鬼の方も、こんな感じでなかなかカッコいい。アスペクト比の狂いか、リンク先の写真はちょいと細身に見えますけど、実際はもっとゴッツイです。
こういったキャラを使って、内容がもっとヘンタイ的だったら良かったのに(笑)。あ、でも、映画前半タトゥー・スタジオのシーンで、血の滴が裸の背中を伝って、ジーンズの隙間に入りそうになる寸前、それを彫り師が手袋で拭う……ってのは、フェチ的にゾクッときました(笑)。
あと、私事ではありますが、パーティー会場で Nick Name というゲイのパンク歌手がゲスト出演しているんですが、私、以前この方からファンメールをいただいたことがありまして。パフォーマンスを拝見するのはこの映画が初めてなんですが、超マッチョ二人を従えた、シアトリカルなスラッシャー風パフォーマンスで、ちょいと面白かったです。
DVDは米盤、リージョン1、ビスタのスクィーズ収録。
日本盤は出てませんけど、おそらく出る可能性もないでしょうなぁ。ビデオ撮りとはいえ、こういった映画が商品として成立しうる、アメリカのゲイ・マーケットの大きさは、やはり今さらながらうらやましい。
佳品どまりではありますが、決して悪くはない映画です。少なくとも、『ザ・ヒル』よりゃ百倍マトモよ(笑)。
“Hellbent” DVD (amazon.com)
画集”STRIPPED”に参加
ゲイ・アーティストの画集やメールヌード写真集を数多く出していて、ゲイ向けのワールド・トラベル・ガイド"Spartacus"の版元としても有名な、ドイツのゲイ向け出版社Bruno Gmunderが、創立二十五周年企画として、世界のゲイ・アーティストたちの作品を集めた"STRIPPED – The Illustrated Male"という画集を出版しました。
今年の春頃だったか、私のフランス語版"Gunji"を見た同画集の編集者の方から、メールでオファーをいただきまして、面白そうな企画だったので、作品を五点提供という形で参加しました。
で、昨日、謹呈本が到着。何だかえらく重い小包でビックリしたんですが、開けてみたら納得でした。
版型は、A5より少し横長といった感じでさほど大きくはないんですが、束がムチャクチャ分厚い。定規で測ったら(笑)3センチ5ミリくらいありました。表紙は角背のハードカバーで、マットPP貼りのカバー付き。本文用紙もしっかりしたツヤ紙で、全ページフルカラー。
すンげー頑丈でしっかりとした本で、これが何冊も入ってたんだから、そりゃ重いわけだわ。荷物を受け取ってくれた相棒は(因みに私はまだ寝てたのだ)、おかげで腰を痛めそうになりました(笑)。
ページ数は400ページ近くあり、総勢五十人以上のアーティストの作品が、一作家あたり四〜八点くらいずつ収録されています。因みに、どんな作品を何点提供するかは、基本的に作家が自由に決めることができました。ただ、点数に上限はありましたし、内容的なセンサーコードも皆無ではなかったですけどね。
流石に五十人以上もいると、初めて見る作家も少なくありません。作家名に併記されている出身国も、やはりアメリカが多いとはいえ、それでもイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、スペイン、オーストリア、カナダ、オーストラリア……と種々様々。
物故している作家やヴィンテージものは含まれていないので、印象はさながら、世界の現役ゲイ・アーティスト目録といった感じ。じっさい、イラストレーターズ・ファイルなどと同様、巻末にはそれぞれの作家の連絡先も記載されています。
また、これだけ色んな国の作家さんたちが一堂に会しているのを見ると、「うんうん、やっぱ絵に国境はないよね〜」と、何とも楽しい気分になります。ビバ、絵描き!
ただ、残念だったのは、日本およびアジアの作家が、私一人だったこと。アジア系作家にまで拡げれば、中国系や日系らしき名前もあるんだけど、ちょっと淋しい。
作風は、ほんと様々。古典的でリアルな油絵あり、ニュー・ペインティング風あり、カートゥーン系あり、アメコミ風あり、日本のマンガやアニメの影響が伺われるHENTAI系もあり。私は、どうせなら目立ってやろうと、浮世絵風とかマンガの一ページとか、他の国の作家さんと作風がかぶらないような作品で参加。上手くいったような気もするけれど、ちょっと浮いているような気も(笑)。
具体的な収録作家は、知人だと、メールを貰ったのをきっかけに知り合ったPlayerや、以前私が紹介してジーメンに作品が載ったこともあるLoganなど。Loganとは掲載ページがお隣同志だったので、何だか知らない人ばっかのパーティー会場で、友人にばったり会ってホッとしたみたいな気分に(笑)。
他には、西洋絵画の伝統的リアリズムの系譜を受け継いでいる作家だと、Douglas Simonson、Beau、Steve Walker、Ross Watsonなんかが有名どころでしょうか。
コミックス系では、Patrick Fillionは本も沢山出している人気作家。
ボンデージ系のIra C. Smithの作品は、80年代のDrummer誌やシスコのセックス・クラブのポスターなんかで見て好きだったので、久々に見られたの嬉しい。
嬉しいといえば、私が個人的に大ファンで、かつてはFury 161というペンネームでも活躍していた、中国系フランス人のMarc Ming Chan。この人の硬質な鉛筆ドローイングは、スーパーリアル的に描き込んだものも、ざっとラフに描いたものも、どっちも本当にセクシーで素晴らしい。以前はサイトもあったんだけど、どうやら閉じちゃったらしく残念に思っていたので、嬉しい再会。
今回初めて知った作家だと、アメコミ調とリアリズムの混淆で描かれるファンタジックなマッチョ・ガイがかっこいいSean Platter、アメコミとウィリアム・ブレイクのミックスみたいな画風が面白いBrad Rader、暴力的なムードを漂わせるスキンズを描くSepp of Vienna、これまたアメコミ調でかっこいいマッチョを描くJJ Kirby、色鉛筆でボリス・バレジョーのゲイ・アダルト版みたいな絵を描くCraig Hamilton、フォービズムみたいなタッチで気持ちのいいポートレイトを描くTom Jones、古典的技法のリアル系の油絵でちょっとラフでダーティーな香りのする男たちを描くJames Huctwithなんかが、新たなお気に入りになりました。
作家ではないんですが、フラップでメッセージを書いているのが、Tom of Finland Foundationのプレジデントで、エロティック・アート・コンテストの主催(このコンテストには、以前に日本からも不破久友さんやKenyaさんといった方が応募して、それぞれ賞を貰っています)もしているDurk Dehnerでした。Tom of Finlandのパートナーだった人で、私は、TomのアトリエでもあったLAのご自宅にお邪魔したり、NYのレザーパーティでご一緒したことがあるので、何とも懐かしい気持に。
まあ、そんなこんなで、ゲイ・アート好きなら買って損はない、納得のヴォリュームの高品質画集。
版元のBruno Gmunderの本は、以前は東京の洋書屋で良く見掛けたので(何で以前かというと、ここんところ洋書はネットで買ってばっかりで、本屋巡りをあんまりしなくなっちゃったのだ)、この"STRIPPED"も上手くすると日本の店頭にも入ってくるかも。
以前だったらこういった本は、amazon.co.jpでも買えたんですが、既に.comでも.co.ukでも.deでも.frでも.caでも既に取り扱っているのに、何故か.co.jpでだけ扱われていない。何かルールが変わっちゃったんですかね? チンポの絵がいっぱい載ってるから? まったく、この文化的後進国め!
ISBNは3-86187-871-2、お値段は$29.95(amazon.comだと、34% OFFで$19.77)。
機会があったら、ぜひお手にとって見て欲しい逸品です。
“Stripped: The Illustrated Male” (amazon.com)
『ヘラクレス・サムソン・ユリシーズ』
『ヘラクレス・サムソン・ユリシーズ』(1963)ピエトロ・フランチーシ
“Ercole sfida Sansone” (1963) Pietro Francisci
ピエトロ・フランチーシ(前はフランシスキと表記しましたが、allcinema ONLINEの表記に合わせました)監督による、『ヘラクレス』『ヘラクレスの逆襲』(スティーヴ・リーヴス主演)に続く、三本目のヘラクレス映画、イタリア盤DVD。英題 “Hercules, Samson & Ulysses”。
ヘラクレス役は、リーヴスからカーク・モリスにバトンタッチ。
ヘラクレスは、弟分のユリシーズや部下を引き連れて、漁船を襲う海獣退治に出かけるが、嵐にあって遭難してしまう。難破した船が流れ着いたのは、イスラエルのガザ。そこに住むヘブライ人たちは、暴君の圧政に苦しんでおり、勇者サムソンがそれに抵抗して闘っていた。
ヘラクレス一行は、故郷へ帰る船を入手するために村を離れるが、その途中でライオンに襲われてしまう。ヘラクレスがライオンを倒して事なきをえるが、それを見た地元民の一人が、ヘラクレスをサムソンと勘違いしてしまい、一行の身柄を暴君に引き渡してしまう。一方、ヘラクレスたちが村を出てから後、暴君の使者がサムソンを探すために村にやってくる。そして、村人たちがサムソンを匿っていたことを知り、皆殺しにして火を放つ。
暴君の王宮に連れて行かれたヘラクレスは、彼がサムソンであるという誤解は解けるものの、美姫デリラの入れ知恵によって、ユリシーズたち仲間を人質にとられ、サムソンを捕らえるよう強要される……ってな内容の、ギリシャ神話 meets 旧約聖書なオハナシです。
まず冒頭から、漁船を襲う海獣が、アザラシ(トドかな?)の頭のアップとアシカが泳ぐロングをカットバックしただけで、しかも決して漁船と同時にフレームインしないっつー、あまりの絵面の安さに「ど、どーしちゃったの、フランチーシ監督!?」と、思いっきり映画の先行きが不安になります。
引き続き、ギリシャの王宮やヘラクレスの邸宅のシーンになると、今度はまあそこそこスケール感も豪華さもあるので、ちょっと一安心しますが、しかしかつての『ヘラクレス』『ヘラクレスの逆襲』のような、デリシャス・ゴージャスでリッチな味わいには程遠い。
キャストのランクが全体的に下がっているように、予算の関係もあるんでしょうが、もう一つ、今回の撮影はマリオ・バーヴァじゃないということも、かなり痛手となっている感じ。旧作と似た絵面が多いせいもあって、どうも全体的に旧作の縮小再生産といった感じが免れられない。特に、『ヘラクレス』や『ヘラクレスの逆襲』でも出てきた「例の泉」(かたやアマゾンの、かたやオンファーレの宮殿にあった、ちょっとした段差で小さな滝のようになっている「あの泉」です)のほとりのシーンなんて、「う〜ん、同じ監督でも、役者と撮影の差で、こんなにも違うものか……」と思ってしまったくらい、およそ魅力のないシーンになってしまっている。それにしてもこの泉、ソード&サンダル映画では本当にしょっちゅう出てきて、もう何回見せられたことか……(笑)。
演出自体のテンポやテイストは、テキパキと進む話、クラシカルで時に優雅さすら感じられる雰囲気、程良いノンビリ加減を醸し出すユーモア描写など、以前のフランチーシ作品とあまり変わりません。ただ、そういったテイストが「既に時代に合わなくなってしまっている」ようなギクシャク感があり、例えて言うと、ヒッチコックの『トパーズ』や『引き裂かれたカーテン』のように、どこか居心地の悪さを感じさせるのも正直なところ。
特に、村人たちが虐殺されるシーンの、掌を土壁に釘付けにすると鮮血が滴るカットや、逃げまどう子供達を弓矢で射殺すカットといった、過去のフランチーシ作品ではおよそ見られなかった残酷趣味は、かなりビックリしてしまいました。またもや “The Pirates of the Seven Seas” や『闘将スパルタカス』同様に、史劇からマカロニ・ウェスタンへという、時代の変化を感じさせます。
とはいえ、それでも凡百の安手のソード&サンダル映画よりは、演出的にも絵作り的にもワンランク上の格は感じさせますし、物語的にも、ヘラクレスとサムソンを共演させるという、元がキワモノ的な発想なわりにはさほど珍妙でもなく、娯楽作として上手く仕上がっています。
そもそも『ヘラクレス』のラストの神殿崩しのイメージは、おそらくサムソン伝説が元になっているんでしょうし、二人に共通するライオン退治をモノガタリの鍵にもってくるとか、いちおう工夫もされている。ただ、今回もラストに神殿崩しがあるんですが、これが『ヘラクレス』のフルスケールとは違ってミニチュアで、しかも実写との合成もないもんだから、イマイチ盛り上がりに欠けるのが残念。
ヘラクレスが異国に漂着するっつーと、マーク・フォレスト主演の南米のマヤだかインカだかに辿り着くっつーのもありましたが(因みに、マヤの王子役がジュリアーノ・ジェンマ)、あれなんかと比べればキワモノ臭は薄い方。「ヘラクレス vs ○○」パターンで比較しても、レジ・パークの「ヘラクレス vs 狼男」の映画なんかよりゃ、内容は百倍はマトモだし(笑)。
話自体は、お約束のテンコモリではありますが、ツボを押さえた話運びとテンポのいい展開で、フツーに楽しく見られるし、観賞後の後味も極めてハッピー。
で、この「ヘラクレス vs サムソン」というのは、「ドラキュラ vs フランケンシュタインで恐怖も二倍!」なユニバーサル・ホラー映画や、「母が二人で涙も二倍!」の三益愛子映画みたいなノリなわけで、「マッチョ二人で筋肉量倍増!」なところが見せ所なんですが、これに関してはグッド・ジョブ!
デリラと組んだヘラクレスは、自らを囮にしてサムソンを捕らえにいき、メソポタミア風の遺跡で両雄対決するんですが、このシーン、かな〜り楽しいです(笑)。
まず、ヘラクレスは、デリラに捕らえられたヘブライ人の捕虜に変装してるんですが、そこにサムソンが現れると、歌舞伎の早変わりよろしく、片手でさっと服を引き抜いて半裸になる。
で、二人のボディービルダーの取っ組み合いが始まるんですが、なんせ神話的な怪力同志ですから、柱にぶつかっちゃあ柱が倒れ、石壁にぶつかっちゃあ石壁が崩れ……といった具合に、闘うにつれて遺跡がどんどん崩壊していく。鉄棒で闘っていたのに、いつの間にか二人とも鉄棒をUの字に曲げて、相手の身体を挟み合っているシーンなんか、ほとんどギャグだし、もうなんかね、ノリはすっかり『サンダ対ガイラ』で、史劇でも何でもなく、怪獣映画を見ている味わいなのだ(笑)。
そして、お約束通りに、二人の英雄は闘いを通じて和解、仲間になるんですが、それを見てデリラ嬢が「ヤバい!」と逃げ出すと、まずサムソンが投げ縄で馬を倒し、落馬したデリラ嬢がスタコラ逃げるところを、今度はヘラクレスが投げ縄でキャッチ。で、サムソンと二人で縄をエンヤコラと引いて、捕まえたデリラ嬢をたぐり寄せる(笑)。
この後は、もうだいたいお判りですね。二人仲良く、力を合わせて悪人退治です。ここいらへんのノリは『ヘラクレス』でも『ヘラクレスの逆襲』でも見られなかったので、なかなか新鮮。
ヘラクレス役のカーク・モリスは、マチステ映画には良く出ていた人ですが、今回はフルフェイスのおヒゲさん。髭面のカーク・モリスって、私はこれで初めて見たので、ひょっとしたら貴重かも(笑)。ただ、この人は基本的にベビーフェイス、カワイ子ちゃん系の青年顔なので、正直あんまりヒゲが似合っていない。でも、他のマチステもののソード&サンダル映画で見るときよりは、何となく落ち着きや風格が増している感じはあり、けっこう頑張って演じているなぁ、という気はします。
対するサムソン役のリチャード・ロイドは、私は全く馴染みがない人で、IMDBのフィルモグラフィを見ても、三本のソード&サンダル映画を含めて、出演作は七本しかありませんでした。顔は、ミンモ・パルマーラやシルベスタ・スタローン系のイタリア顔で、私は正直いって苦手な部類ですが、筋量はけっこうあります。ただ、筋肉自慢なのは判るんだけど、必要のないシーンで、さりげに胸筋をピクピク動かしてみせたりするのが、何ともウザい(笑)。
デリラ役のリアナ・オルフェイは、スティーヴ・リーヴスの “The Avenger” とか、ゴードン・ミッチェルの “The Giant of Metropolis” などのソード&サンダル映画でお見かけした顔ではありますが、いかんせんデリラというには美貌も貫禄もオーラも不足。そうそう、珍しいところでは「映画はおそろしい DVD BOX」に入っていた『生血を吸う女』にも出てましたね。
DVDはPAL、非スクィーズのビスタ、レターボックス収録。音声はイタリア語のみ、字幕なし。特典なし、チャプターあり。画質は良好。
ま、フランチーシ監督なんで、残念ながら責め場とかは皆無ですが、こんな感じで、二人のボディビルダーの筋肉美は、タップリ堪能できます。
【追記】アメリカ盤DVD-R出ました。画質良好。
[amazonjs asin=”B008NNY86S” locale=”US” title=”Hercules, Samson And Ulysses”]
“Il Gladiatore di Roma”
“Il Gladiatore di Roma” (1962) Mario Costa
ゴードン・スコット主演のソード&サンダル映画DVD、イタリア盤。英題”Gladiator of Rome”。
イタリア語での鑑賞だったので、物語の細部は判りませんが、どうやらカラカラ帝時代のローマで、とある裕福な一族が、濡れ衣を着せられるか難癖を付けられるかして、家人は殺され、使用人は奴隷に売り払われてしまう。で、軍役か何かで家を離れていて助かった息子と、彼と愛し合っている使用人の娘、その娘を守る力持ちの使用人という三人を軸に、仇敵を倒して家を再興する……ってな話みたいです。
ゴードン・スコットは怪力の使用人の役。いちおう主役にクレジットされていて出番も多く、奴隷にされて連行されている途中に、溺れている貴族を助けたために、後になって幸いに繋がるといった、まんま『ベン・ハー』みたいなエピソードやら、宿場の娘とのラブ・ストーリーとか、脱走に失敗して殺されかけたところを、剣闘士にスカウトされるとかいった、ドラマティックなエピソードも用意されています。
ただ、いかんせん役回りが、「無実の罪で陥れられた者の復讐譚」の中で、「陥れられた者その人」ではなく「それを助ける助力者」という、モノガタリの中心軸から外れた存在なので、どうも映画全体の焦点も定まらない印象。
それと並行して、助かった息子の帰還とか、捕らえられた恋人の救出劇なんかが描かれるんですが、これまたどうも印象が薄い。ひょっとすると、セリフをしっかり理解しながら見れば、また違う印象になるのかも知れませんが。
あと、ゴードン・スコットは剣闘士にはなるものの、描かれるのは訓練所の光景ばかりで、剣闘士としてアレーナで闘うシーンがまったくない(とゆーか、そもそもアレーナ自体が一回も出てこない)のも、何だか肩すかしをくらった感じ。
という感じで、映画そのものの出来は、ちょいとイマイチ感が拭いきれないんですが、ゴードン・スコットを愛でるという点のみにおいては、実はけっこういい感じです。
まず、ありがたいことにヒゲ付きなんですな、スコット君。加えて、ローマものにしては珍しく、徹頭徹尾腰布一枚の上半身裸。服を着ているシーンが一度もないので、肉体美(まあ、スコット君だから、バルクはそれほどないんですが、ナチュラル・マッチョって感じで、個人的にはけっこう好きな体つきです)は最初から最後までタップリ拝めます。元ターザン役者の、本領発揮ってトコでしょうか。……違うか(笑)。
それとね、責め場が二カ所あって、これがどちらも悪くない。
まず、最初に脱走に失敗して、一緒に捕まった主人の恋人共々、石壁に鎖で磔に。このシーン、鞭で引っぱたかれるのは娘だけっつーのは、私としてはかなり物足りなくはあるんですが、両手両脚喉元を太鎖で拘束されて、腋窩も露わな大の字の磔姿そのものがセクシーだってことと、二股になった焼き鏝で目を潰されそうになるってのが、かな〜り嗜虐心をそそられます。私、スコット君の顔が好きなもんですから、こーゆー姿でそーゆー演技をしているのを見るだけで、けっこう満足度大。
もう一カ所は、また脱走に失敗して、今度は主人の恋人と宿屋の娘まで一緒に、三人そろって石切場で磔にされて、火あぶりにされそうになるところ。スコット君だけ、セント・アンドリュース・クロス(X字刑架)に後ろ手縛りという、変則的なスタイルなんですが、後ろ手拘束は私の好物でもありますし、今回もまた首元にジャラジャラ巻き付いた鎖が、残酷味があってヨロシイ。まあここは、積んだ薪に火を点けられそうになるってくらいで、責めらしい責めはないんですが、でもまあそれなりに身を捩ったり、悶えたりして目を楽しませてくれます。
そんなこんなで、「ヒゲの生えたゴードン・スコット好き」な方だったら、けっこうそこだけでも楽しめると思います。
DVDはPAL、非スクィーズのシネスコ、レターボックス収録。音声はイタリア語のみ、字幕なし。特典等もなく、チャプターがあるだけ。画質は、ちょっとボケた感じはありますが、目に付く傷や退色などはなく、暗部のツブレや明部のトビも気にならず、おおむね良好。
アメリカ盤DVDは、前に紹介した “Warriors 50 Movie Pack” に収録されていますが、そっちの方は、トリミング版、フィルムはボケボケの傷だらけで、トビまくりツブレまくりのハイコン状態、色なんてほとんど残ってやしないっつー、とっても悲惨な画質です。マニアだったら、やっぱりこっちのイタリア盤を押さえておきたいところ。
『闘将スパルタカス』
『闘将スパルタカス』(1963)セルジオ・コルブッチ
“El Hijo De Espartaco” (1963) Sergio Corbucci
スティーヴ・リーヴス主演のソード&サンダル映画、スペイン盤DVD。伊語原題 “Il Figlio di Spartacus”、英題 “The Slave” a.k.a. “Son of Spartacus”。
リーヴス演じるローマ軍人ランダスは、隣国の提督のもとに間諜として派遣されるが、船旅の途中で海に落ちてしまう。何とか岸までは泳ぎついたものの、今度はそこで奴隷商人に出くわして、捕らわれて奴隷にされてしまう。ほどなくランダスは、奴隷仲間と共に脱出し、目的地であった提督の館に着くが、そこでは民人が虐げられていた。そしてランダスは、奴隷仲間の一人の導きによって、自分がスパルタカスの遺児であると知り、以来、黒い鎧兜で正体を隠した姿で、民衆のために戦う義賊となる……ってのが、大筋。
この内容で『闘将スパルタカス』っつー邦題は、一種の詐欺ですな(笑)。
全体のノリは、史劇やスペクタクルというよりは、西洋チャンバラ映画に近く、「弱きを助け強きを挫く」系の、痛快娯楽作。
じっさい、正体を隠したランダスが立ち去った後には、壁に「S」の文字が残されている……といった、まんま「怪傑ゾロやん!」みたいなネタも(笑)。ただまあ、ローマ時代ということもあって、中世ものみたいな華麗な剣戟シーンとかはないですけど。
有名人のご落胤ネタというのも定番ですが、同じソード&サンダル映画だと、マーク・ダモン主演の “Son of Cleopatra” なんかと同系統ですな。そういや、どっちもロケ地がエジプトで、ピラミッドやスフィンクスがデ〜ンと出てくるのも同じだ(笑)。
監督は、前に紹介した『逆襲!大平原』と同じセルジオ・コルブッチ。画面にはスケール感があり、アクション・シーンのキレも良く、手堅くしっかり見せてくれます。
音楽がピエロ・ピッチオーニ、仇役がジャック・セルナスってのも、『逆襲!大平原』と同じ。
更に、またまたジョヴァンニ・チアンフリグリア君もチラッと出てくるんですが、今回の役どころはというと、港でオンナノコを鞭打っているところをリーヴスに止められる……って、これまた『逆襲!大平原』とおんなじなのが可笑しい(笑)。
全体的には『逆襲!大平原』よりは軽いノリなので、大作感はない反面、娯楽アクション作品としての面白さはタップリ。ただ、惜しむらくはクライマックスが、まず仇敵の提督&ジャック・セルナスと対決して、その後は反逆者としてローマと対峙するという、二段構えになっているせいもあって、カタルシスが分散してしまった感はあり。
ちょっと面白かったのは、悪役の倒し方が、悪人の集めた黄金を鍋に入れて、それを熱して溶かしたものを顔面に浴びせる……っていう、比較的エグめの方法だったこと。ソード&サンダル映画では、意外とこういう残酷趣味のようなものにはお目にかからないので、これまた “The Pirates of the Seven Seas” のときに書いたのと同じく、史劇映画からマカロニ・ウェスタン映画への過渡期を感じさせる要素でした。
今回のリーヴスは、ヒゲがないからちょっと寂しくはありますが、正体を隠した義賊スタイルの時は、なかなかカッコいいです。上半身裸の剣闘士スタイルで、顔は兜で見えないんですが、兜の色が黒いせいもあって、ブラック・レザーやメタルのような、ちょいとハード系のフェティッシュな魅力がある。
DVDのジャケットになっているステキシーンですが、これは前半でリーヴスが奴隷商人に捕らわれたときの姿。でも、残念ながら映画本編では、上半身裸ではなくチュニック・スタイルなんだよな。首枷のまま鎖に繋がれて連行されたりはしてくれるんですが、肌は出し惜しみしていて、馬に引きずられて服が破けても、乳首も見えない程度の破れかたなので、物足りないのと同時に、なんか「……だまされた」感が(笑)。
他には、後半で再度捕まって、木の檻に入れられるシーンとかもあります。ここは、檻の横木に両手も括り付けられるので、けっこうそそられはするんですが、太い木格子に邪魔されて身体が良く見えないのが残念。
この前段でも、地下牢で追いつめられて捉えられるときは、前述した上半身裸の剣闘士スタイルなのに、牢屋に入れられた後は、なんでわざわざマントなんか着せるかなぁ(笑)。裸で鎖に繋いどきゃいいじゃん(笑)。
あと、クライマックスで磔にされかけたりもしますが、残念ながら未遂。
そんなこんなで、責め場はそこそこあるんだけど、そこで肉体美を出し惜しみしちゃってるあたりが、かえってすっげ〜残念で欲求不満が溜まります(笑)。
リーヴス以外では、まず冒頭で奴隷の磔刑がありますが、それよりも中盤に出てくる、奴隷だか反逆者だかを十人くらい堀の中の柱に縛り付けて、そこに水を入れて水責めにするシーンの方が見応えあります。ここはけっこう悪くない。あと、宴席の真ん中に半透明のテントを設えて、そこに人を入れて煙でいぶし殺して余興にする……ってシーンもありますが、アイデアほどには見た目は面白くない。
DVDはスペイン盤なのでPAL。ビスタ、非スクィーズのレターボックス。リージョン・コードは2。音声はスペイン語とイタリア語。字幕なし。
画質は、ちょっと経年劣化による色調の変化が気になるし、いささかボケ気味ではあるものの、まあ佳良な部類。少なくとも米版VHSよりは遙かにきれい。ただ、ワイド画面のわりには、左右が切れている感じがするので、一度スタンダードにトリミングされたものを、更に上下を切ったという可能性あり。
【追記】アメリカ盤DVD-R出ました。画質良好。
[amazonjs asin=”B008NNY8BS” locale=”US” title=”The Slave”]
“Bang Rajan”
<
"Bang Rajan" (2000) Tanit Jitnukul
タイの史劇映画です。
興味を持ったきっかけは、何かで目にしたスチル写真が、えらく気に入りまして。口ヒゲ&強面で上半身裸のマッチョたちが、ずらりと並んでこっちを睨み付けている白黒写真で、えらくカッコよくってねぇ(笑)。で、調べてみたら「タイ映画の歴代観客動員数の記録を塗り替えた!」とか「オリバー・ストーンが惚れ込んで配給権を獲得!」みたいな、にぎにぎしい惹句が出てきたもんだから、えいやと思い切ってアメリカ盤DVDを購入してみました。
タイの史劇映画というと、私は日本盤が出ているもので、『ラスト・ウォリアー』ってのと『セマ・ザ・ウォリアー』ってのを見ています。
クレジットでは『ラスト…』の監督はタニット・チッタヌクン、『セマ…』の監督はサニット・ジトヌクル、となっている。ところが、今回IMDBで調べて見たら、これ、どっちも同じ人で、この"Bang Rajan"の監督の Tanit Jitnukul なんですね。表記の揺れってのは難しい問題だけど、多少強引でもいいから統一してくれないと、余計な混乱を招きますなぁ。
で、正直なところ『ラスト…』は、ちょっとウムムな出来でした(笑)。歴史モノかと思っていたら途中から伝奇モノになって、まあそれはそれで構わないんですが、主人公があまりにもトンデモナイ男でして(笑)。まったく、自分を慕う娘を抱いて、妊娠すると腹を裂いて胎児を取り出し、それをミイラにして式神にする……なんて男の、いったいどこに感情移入せいっちゅーんじゃ(笑)。そんなこんなで、先の予測のつかない展開と、行動原理が理解できないキャラクターたちに振り回されて、半ばボーゼンと見ていると「え〜っ、ここで終わりかよ〜っ!」ってな驚愕のエンディングという、かな〜りスットコドッコイな映画(笑)。ま、そのぶんヘンな面白さはあるんで、キワモノ好きの方だったら一見をオススメしますが(笑)。
それに比べると、『セマ…』の方はだいぶマトモで、農民が兵士になって、紆余曲折がありながらも頭角を現していく様子と、お偉いさんの娘との身分違いの恋とか、恋敵との確執なんかを絡めた、それほどビックリもしない内容。ただ、キャラクターの内面描写がイマイチだったり、エピソードのつなぎがぎこちなかったり、その時代のタイの人々の価値観に馴染めなかったりとかあって、もうひとつモノガタリには乗り切れない。
で、この"Bang Raljan"、DVDが届いてから同じ監督だと気付いて、「うわ、失敗した!」とか思ったんですが、ところがどっこい、いざ見てみると、『ラスト…』や『セマ…』とは桁違いに出来が良かった!
物語の舞台は、18世紀中頃、ビルマ(現ミャンマー)の侵攻に押されている、シャム(現タイ)のアユタヤ王朝末期で、国境近くの村々は、ビルマ軍による掠奪や虐殺の憂き目に晒されている。
それでも何とか生き延びた村人たちは、タイトルにもなっているバング・ラジャンという村に集結する。村人たちは、王都アユタヤに使者を送って、ビルマ軍に対抗する大砲をくれと頼むが、その願いは聞き入れられない。
敵の猛攻に晒されながらも、母国からは見捨てられた村人たちは、バング・ラジャンの砦に立て籠もり、自分たちの手でゼロから大砲を鋳造し、数でも力でも圧倒的に勝るビルマ軍に、絶望的な戦いを挑む……ってな具合で、コレ系が好きな人だったら、この筋立てだけで、もうグッとくるのでは。
映画の構成は、ビルマ軍との戦いという見せ場を作りながら、その合間合間に村人たちの日常の描写を挟み、登場人物のキャラクターを立てていき、枝葉を入れたり寄り道することもなく、クライマックスの大戦闘シーンに繋いでいく。
基本的には群像劇で、戦いで負傷した村の長、その後を継がせるべく新たに迎え入れた戦士、妻思いの弓の名手と夫に気遣う妻、ちょっと三の線の若造と村娘の恋模様、いつも酔っぱらっているが腕は立つ過去に謎のある戦斧の使い手、村人たちの精神的な中核となっている僧侶……といった多彩なキャラクターが、それぞれ日常的なちょっとしたエピソードを得て、生き生きと動く。神話的な英雄や伝説的な勇者を出すわけではなく、あくまでも、農村の村人たちが生きるために力の限り戦うという軸は外さない。
戦闘シーンの迫力はかなりのもので、モブやセットのスケール感や戦いの臨場感も充分。流血描写も容赦なしで、切ったり刺されたりの描写はかなり「痛い」し、突く刺すだけでなく「寄ってたかって殴り殺す」なんてシーンなんかは、見ていて「ひぃ〜、この殺され方だけはイヤ〜ッ!」って感じ。虐殺された村人たちの死体の山の描写なんかも、けっこう生々しくてショッキング。
とはいえ、それらの描写は決してスプラッター趣味や露悪趣味には走らず、リアリズムの重さという範疇にきちんと収まっている。これは、リドリー・スコットの『グラディエーター』などと同様の、おそらくはプライベート・ライアン・シンドロームとでも言うべき現象の一環なんでしょうが、オリバー・ストーンが惚れ込んだというのも納得で、彼の『アレキサンダー』の戦闘描写は、けっこうこの"Bang Rajan"に影響されているような気も。
そんなこんなで、キャラクターのドラマのような「静」の部分と、アクションやスペクタクルといった「動」の部分のバランスは極めて良く、しかもモノガタリ全体は、娯楽映画的なツボをしっかりと押さえて過不足のない堂々たる筋運び。ただ、仏教的な死生観が濃厚なので、そこを把握しておかないと、ちょっとモヤモヤが残る可能性はあり。
あと、情緒面の描写が過剰に過ぎるきらいはあって、おかげでせっかくの感動シーンも、心が揺さぶられる前に鼻白んでしまう感がなきにしもあらずではあります。でもまあそれは、くさいと感じてしまった自分の心が汚れていると思うか、民族性の違いだと思って、ガマンしましょう(笑)。
また、ちょっと全体的に色調補正がキツ過ぎて、シャドウ部がベッタリ潰れてしまっていたり、色カブリを起こして黒が黒じゃなくなっていたりするのは気になりました。監督やカメラの意図と言えばそれまでなんですが、これが気にならないのは、正直いささか無神経な気はします。
俳優さんたちは、まあとにかく皆さんカッコいいわ(笑)。
徹頭徹尾腰布一丁の半裸で、ヒゲや刺青もあって、しかもマッチョ揃いとくれば、もう私のツボは押されまくりではあるんですが(特にメインの二人は、もう惚れ惚れ)、それを抜きにしても、皆さん精悍で、実にいい目をしている。強さも弱さもあるキャラクター描写とか、それを堂々と演じている俳優の佇まいとか、戦いの際の剣さばきのケレン味とか、男のカッコ良さは存分に堪能できます。
まあ良かったら、Bang RajanでGoogleのイメージ検索でもしてみてください。このBlogにアップしたアメリカ盤DVDのジャケ写は、正直あんまり良くないんで。他のスチルを見れば、私がカッコいいカッコいいと連呼しているわけが、もう一目瞭然でしょうから(笑)。
野郎どもの濃いキャラに押されて影が薄くなりがちではありますが、女優さんたち(目立つのは二人だけだけど)も佳良です。
というわけで、これが未公開でビデオスルーですらないってのは、何とも惜しい気がします。『ラスト…』と『セマ…』が出ていて、この"Bang Rajan"が出ていないってのは、監督さんにとっても気の毒だと思うんで。
ただ、この三本では"Bang Rajan"が一番古いってのは、監督の作家性としては、ちょいと問題アリって気もしますけど(笑)。
米盤DVDはリージョン1、収録はスクィーズ。音声はタイ語で英語字幕付き(字幕のON/OFFはできず出っぱなし)。映像特典等は何もなし。
ストーリーがシンプルで真っ直ぐなせいもあり、内容把握の難易度も低めなので、よろしかったらぜひご覧あれ。オススメです。
最後に残酷ネタ。
え〜、惨殺されるマッチョを見るのが好き、とゆー私の魂の同志諸君。見どころタップリですぞ、この映画(笑)。
YouTubeに米国版予告編があったので、貼っ付けておきます。
ラスト・ウォリアー [DVD] 価格:¥ 3,990(税込) 発売日:2005-06-03 |
セマ・ザ・ウォリアー [DVD] 価格:¥ 5,040(税込) 発売日:2006-03-03 |
画集『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』、ようやく完成
2003年12月に第一巻を発売して以来、長らくお待たせしていましたが、ようやくこの8月21日に、『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』が発売されます。
実のところ、二巻を発売できるかどうかは一巻の成績次第だったのですが、無事2004年の9月にゴーサインが出ました。で、さっそく動き始めたんですが、収録を予定していた作品の収集に、思いのほか手間取ってしまい、更に予期せぬトラブルも幾つか起き、結局このように、およそ二年遅れの発売となってしまいました。
今回の収録作家は、長谷川サダオ(さぶ・アドン・ムルム・薔薇族)、木村べん(薔薇族・さぶ・アラン)、児夢/GYM(さぶ)、林月光/石原豪人(さぶ・ジュネ)、遠山実(薔薇族・さぶ)、倉本彪(アドン)、天堂寺慎(風俗奇譚?)という顔ぶれになっています。
ゲイ雑誌の大御所であった長谷川サダオや木村べん、ゲイ・アートのみならず昭和を代表する挿絵画家としても名高い林月光/石原豪人に加え、児夢/GYM、遠山実、倉本彪といった、知る人ぞ知る「幻の作家」の作品も多く収録でき、一巻に負けず劣らず充実した内容の画集であり、同時に日本のゲイ文化史を振りかえる上での貴重な資料になったのではないかと思います。
本の総ページ数は220ページ強で、構成は一巻同様に、160点以上の図版(カラー88ページ)に加え、可能な限り調べた結果による各作家のバイオグラフィーや、時代によるゲイ文化史の変遷や作品論といったテキストを、併せて収録しています。
で、実はこのBlogを始めたきっかけは、この本でして。
というのも、一巻のテキストを執筆しているとき、慣れないせいもあってひどく手こずり、加えて不眠症になってしまったんですよ。論文とか、生まれてこのかた書いたこともなかったから、書き方そのものからして良く判らなくて(笑)。
で、少し文章を書くトレーニングをしておいた方がいいな、なんて思っていた矢先に、プロバイダさんからBlogの案内が来たので、ちょうどいいやと乗っかってみた次第でして。
そんなトレーニングの甲斐あってか、二巻の執筆は、一巻のときよりはスムーズにこなせたような。
発売は21日ですが、既に版元のポット出版さんのサイトやamazon.co.jpでは、もう予約を受け付けています。
あと、この本に絡めて、評論家の伏見憲明さん(序文をお願いしました)と私との対談が、既に発売中の雑誌『QJr クィア・ジャパン・リターンズ vol.2』に掲載されてますので、よろしかったら是非そちらもどうぞ。たまに「顔が見たい」なんてリクエストいただくことがあるんですが、ははは、この『QJr』の対談ページに、恥ずかしげもなくイッパイ載ってます、私の顔写真(笑)。
ポット出版のサイト
『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』(amazon.co.jp)
『クィア・ジャパン・リターンズ vol.2』(amazon.co.jp)