単行本『ウィルトゥース』発売記念……ってなわけでもないですが、古代ローマつながりで、春にカルタゴに行ったときに撮った、ローマ遺跡(とフェニキア遺跡)の写真を、スライドショー仕立てにしたムービーをアップいたしませう。遺跡とか旅とか歴史とかに興味のある方、よろしかったらご覧くださいませ。
例によって、ビデオ編集と音楽も手作りでゴザイマス(笑)。
古代ローマ帝国の遺跡というと、本家本元のローマには、もうかれこれ20年以上前に一度行ったきりなんですが、初めての海外旅行だったせいもあって、コロッセオのスケールには圧倒されたし、フォロ・ロマーノを散策したのがすごく楽しかったことは、今でも良く覚えています。
イタリア本国以外では、トルコで見たベルガマ(ペルガモン)の円形劇場が、山の斜面に作られていて、急勾配の上に反対側には何にもないもんだから、今にも転がり落ちてしまいそうで超怖かったのと、同じくトルコのエフェス(エフェソス)のやはり円形劇場が、もう余りの巨大さにカメラのフレームにもぜんぜん収まらなかったことなんかが印象深いです。
そのとき撮った写真。左がペルガモン、右がエフェソスです。
あと、ヨルダンのジェラッシュに行ったときは、とにかくどこもかしこも柱だらけで、何だか建物を建てるために柱を立てたんじゃなくって、まるで柱を立てるために建物を建てたみたい……なんて思ったっけ(笑)。
左がジェラッシュの列柱通り、右が大神殿(……だったかな?)
カルタゴのように、ローマに滅ぼされた遺跡や、あるいはローマの支配下にあった遺跡というと、これはやはりシリアのパルミラとヨルダンのペトラが最高だったなぁ。ただ、パルミラでは、砂漠のド真ん中だというのに雨に降られてビックリしました(笑)。
これは、二枚ともパルミラ。右の写真、雨で路面が濡れています。
ペトラは、何と言ってもエル・カズネが有名なので、お目当てはもちろんそれでしたけど、いざ行ってみたら、その奥にまだまだ山ほど遺跡があり、山の上に上るとエル・カズネよりもずっと巨大なエド・ディルなんてものもあるし、山頂から周囲の山々を見回すと、砂漠のあちこちの岩壁に、風化して半ばとろけたような岩窟遺跡が点在してるわで、そのスケールに大興奮しましたっけ。
左から、有名なエル・カズネ、その奥の遺跡群、エド・ディル、山頂から見た遺跡群。
あと、ここいらへんをウロウロしていたときは、私は貧乏気ままなバックパッカーだったもんですから、遺跡とかでボケ〜ッとしていると、現地の人たちに声を掛けられて、ひととき仲良くなったりもするんですな。で、パルミラに行ったときも、そんな感じで、地元のトラック野郎の集団に声を掛けられて、お昼ご飯(アラビアパンと何かの実の漬け物だった)をごちそうしてもらいました。
これがそのシリアのトラック野郎どもなんですが、確か「お前の仕事は何だ」と聞かれて、「画家だ」とテキトーに応えたら、「俺の顔を描け」「俺も描け」ってな具合で、こいつら全員の似顔絵を描かさる羽目になってしまった。で、アラブ人って似たような顔つきだから、描きわけが難しくってねぇ(笑)。
しかし、こうして改めて写真を見ると、自分の若さと細さの方がビックリですな(笑)。誰だこりゃって感じ(笑)。まぁ、まだ20代だったし、体重に関しても、このときは長期の貧乏旅行のおかげで、日ごと自己最低体重を更新してましたから。
因みに、一番右の写真で私が頭にかぶり物をしているのは、これはこの中の一人が、自分の頭のやつを解いて、「お前もかぶってみろ」と巻いてくれたんです。
「個展〜2007・パリ(&チュニジア旅行)」カテゴリーアーカイブ
帰朝報告〜オマケ
帰朝報告〜日誌風(5)
帰朝報告、その6。
3月5日
九時頃に目が覚める。今朝も足は痛くない、良かった。もう歳なので、一日遅れで来るかもと心配してたのだ(笑)。
オリヴィエとランチの約束があったので、午前中に旅行代理店を探して、パリ滞在の後の寄り道用チケットを手配することにする。
オリヴィエの情報をもとに、メトロに乗ってオペラへ。ところがオペラの駅が改装中で通過してしまい、一つ先のマドレーヌから徒歩で引き返す。
教えてもらった代理店を探して、オペラ大通りを歩く。なかなか見つからず、かわりに、メガネのパリー・ミキのパリ店を発見(笑)。けっきょく、目当ての代理店を見つける前に、HISのパリ支店を見つけたので、ここで手配することにする。
チュニスへの往復エア・チケットを調べる。ユーロ高もあって、予想していたより高い。日本で手配しておいた方が安かったかも、失敗だったなぁ。しかし、とりあえずチケットはゲット。宿泊は現地で探すことにして、往復の航空券のみ購入。
ギャラリーに戻り、オリヴィエとランチ。自分一人だったら、怖くて絶対に入っていけないような、怪しげな路地の奥にある、モーリシャス料理の店へ。……あれ、マルティニーク料理だったかな? 自信がなくなってきた(笑)。
陸稲に鶏や野菜の煮込みがかかった、カレーのような料理をいただく。インド料理から辛みを抜いたような味で、とても美味しい。食事をしながら、この個展が終わた後のプランや、今年のスケジュールなどについて話し合う。オリヴィエは、アイデアマン。次から次へとアイデアを聞かされるが、さて、その中の幾つが実現するやら。
ランチの後、オリヴィエは来客の予定があるので別れる。
オリヴィエから預かったお土産を、沢辺さんたちに渡したいので、電話してみる。書店で営業の最中だった。後で聞いたら、パリ市内の二件の書店で、『日本のゲイ・エロティック・アート』シリーズ100冊、『田亀源五郎【禁断】作品集』20冊の受注がとれたらしい。
因みに『日本のゲイ・エロティック・アート』に関しては、フランスでは実に好評でした。このシリーズを編纂する際、私の念頭には、「1.エロティック・アート本来の効果、つまりオカズとしての有用性」、「2.オカズ云々を離れたレベルでの、独立したタブローとしての評価」、「3.それらを記録し、分析的に俯瞰することによる、文化史的な意義」という、三段構えの構成を持たせるよう心掛けていました。フランスでの反応は、それらのいずれのレベルもきちんと踏まえた上で、きちんと高評価してくれる声が多いのが嬉しい。
話がズレましたが、沢辺さんたちとはポンピドー近辺で待ち合わせて、パリ市庁舎近くのカフェでお茶。オリヴィエからのお土産を渡す。因みに中身は、薔薇のジャムと、「桜風味の煎茶」という奇っ怪なモノ。後者に関しては、オリヴィエも「ストレンジすぎるだろうか」と心配していたけど、私が無責任に「大丈夫、大丈夫、みんなストレンジなものが好きな人たちだから」と後押ししてしまった(笑)。
沢辺さんたちは、明日の午前中に帰国するので、ここでお別れ。
夕方から、フォト・セッションの予定が一件入っていたので、ギャラリーに戻る。
カメラマンのアレックス・クレスタに紹介され、早速撮影開始。
アレックスは、けっこう野郎系のポーズや表情をリクエストしてくる。ところが、身近な方はご存じだと思いますが、私の所作は、かなりフェミニンな方。言われるままに顔を顰めたり、ビデオスターみたいにハンクなポーズをとるものの、どーにも落ち着きが悪い(笑)。そうそう、頼まれてシャツを脱ぎ、上半身裸にもされましたが、きっと期待していたものと違っていたんでしょう、すぐまた着せられました(笑)。
でも、アレックスはとてもチャーミングな人で、しかもかなりイイ男。カメラマンより、モデルにしたいくらい。撮影後、しばらく楽しく雑談し、お互いの連絡先を交換。
フォト・セッションの後、画家のギー・トーマスがギャラリーに来る。
丁寧なペンシル・ドローイングで、熊系のポートレイトを描くアーティストで、日本で言うと、ちょっとakiくんみたいな作風の人。お土産に、サンタ姿の熊オヤジを描いたドローイングのプリントを貰いました。
概してパリで会ったアーティストたちは、絵に対する自分の思想や哲学をはっきり持っていた。変に謙遜してみたり、斜に構えてみたりといった、不要なポーズがない。創作行為に対して真剣に向かい合っている感じで、会話していて手応えがあります。
彼も例外ではなく、会話もかなりつっこんだ内容に。
夜は、パトリックも呼んで三人で、このギャラリーでディナーを食べることになっていたので、オリヴィエがそのための買い出しに出かける。
オリヴィエが戻ってくる前に、パトリックが到着。私に見せるために、自分が八〇年代に東京に行ったとき、新宿のカバリエで買ったという、三島剛の画集二種(第二書房の『若者』と、サン出版の『OTOKO』)と、矢頭保の写真集を持ってきてくれた。
当然これらは私も持っていますが、一緒に見ながらアレコレ語り合っていると、ページの間に雑誌の切り抜きが挟まっていた。フランスのゲイ雑誌の切り抜きだったんですが、それが何と日本のゲイ・エロティック・アートを紹介している記事だったもんだから、私は大興奮。
切り抜きは、”Gay Pied Hebdo” という雑誌の246号から。今から二〇年ほど前の記事だそうで、Didier Lestrade という記者が、三島剛、木村べん、矢頭保、長谷川サダオ、高蔵大介、林月光、内藤ルネ、武内条二らの作品を、図版入りで数頁に渡って紹介。過去、日本のゲイ・エロティック・アートが、フランスで紹介されていた事例を見るのは、これが初めて。
やがてオリヴィエが戻ってきて、三人で食事。アート論から下ネタまで、さんざん喋って盛り上がり、深夜を過ぎた頃にお開き。
オリヴィエとパトリックが帰り、私は就寝。
3月6日
今日は、個展の設営を手伝ってくれたベルナールから、リュクサンブール美術館で翌日から始まる「ルネ・ラリック展」の、プレス向け内覧会に招待されている。
朝の九時前、ギャラリーにオリヴィエが迎えにきてくれて、タクシーで美術館に向かう。お天気は、あいにくの小雨。
美術館でベルナールが迎えてくれる。あいかわらず会話はないけれど、優しい笑顔で併設のカフェに案内してくれて、軽くコーヒーなどを勧めてくれる。パトリックも来ていた。
一服した後、受け付けでプレス用のセット(カタログ、CD-R、DVDなど)を貰い、会場へ。
来客は全て、招待された美術関係者だけという贅沢な環境で、ラリックの美しい宝飾品の数々や、ラリックの工房のスケッチ、時代背景を語る古写真や絵画などを見る。解説文は全てフランス語のみだが、オリヴィエやパトリックが意味を教えてくれる。箱根のラリック美術館からも、けっこうな数の作品が来ていた。
展示をじっくり堪能し終わった頃、ベルナールが「カフェにシャンパンとかがあるから」と誘ってくれる。私は出口の売店を見たかったので、オリヴィエたちに先に行っていてもらい、カタログだのポストカードだのを物色。
カフェに行くと、ちょっとしたパーティー会場のようになっていた。シャンパン、ワイン、コーヒー、(パトリックの解説によると)有名ブラッセリーの軽食、(やはりパトリックいわく)有名パティスリーのお菓子なんかが、食べ放題、飲み放題状態。試しにマカロンを一つつまんでみたら、これがすこぶる美味い。ついつい続けてパクパク。
会場の人にオリヴィエが、私の個展のDMを配る。ここいらへんが面白いところで、アートに関して、これはファイン・アートだの、これはコマーシャル・アートだの、エロティック・アートだの、ポルノグラフィーだの、マンガだの、BDだの……といった、区分や敷居が全く感じられない。
時に日本で、私の作品のフランスでの反応に関して、「アートとして評価された」的な意見を聞くが、おそらくそれは間違いだろう。アートであるなしなんて、たぶんどうでもいいことなのだ。良いと思うかどうか、それが全てのような気がする。ここのところ経験した私の驚き、例えば、大手新聞が作品を掲載したとか、マンガの批評の中にプルーストやロランの名前が出てきたとか、デヴィッド・リンチと同枠のテレビで紹介されたとか、そういったことは、そういったものと私の作品を分ける区分が枠が、そもそも存在していないからなのかも知れない。
もっとも、帰国後に沢辺さんと話したときは、沢辺さんは私の説にはいささか懐疑的で、やはり層によっては枠は存在しているのではないか、とも言っていた。これに関しては、私もその可能性はあるとは思う。それぞれの消費層の中には、やはりジャンル的な枠の考え方はあるのかも知れない。しかし、とりあえず今回の滞在中に私が交流のあった、美術関係層やマスコミ関係層に関して言えば、やはり前述したリベラルな印象が強い。
このパーティーには、私のオープニング・パーティに来てくれていた人も何人かいて、挨拶を交わす。それ以外にも、パリ市内のギャラリー・オーナーなどと雑談したり。
一段落ついたところで、オリヴィエとパトリックと三人で会場を出る。
小雨の中、メトロの駅に向かう。その途中、美術館から一緒になった知らない人に、道すがらの建物の窓を指さして、「あそこがマン・レイのアトリエだったんだよ」などと教えてもらう。
オリヴィエは、これから来客の予定があるので、ここでいったんお別れ。
パトリックはジムに行く予定だけど、まだ少し時間があるというので、それまでどこかでお喋りすることにする。「いいカフェがある」と、クリニャンクールまで連れていかれる。
パトリックの言った「いいカフェ」の、何が「いい」のかは、カフェに着いたらすぐに判った。アラブ系の肉体労働者のたまり場のカフェなのだ。つまり「眺めがいい」ってこと(笑)。ガタイのいいヒゲ面の、ちょいと目つきの険しい男たちがたむろしてるのを見て、パトリックが「ゲンゴロー・ガイがいっぱいだ」と喜ぶ。まったく、ノンケ好きなんだから(笑)。
パトリックには「ジムの時間になったら、私のことは気にしないで、適当に切り上げてね」と言ったのだが、「大丈夫」「いや、大丈夫」「もうちょっと話そう」「まだ大丈夫」の繰り返しで、けっきょく、最初は「二〇分くらい」と言っていたのが、小一時間ほども話し込んでしまう。
ようやく重い腰をあげて、パトリックともお別れ。抱き合って別れを惜しむのも、パリの市街なら違和感なくできるのが良いところ。
その後は、買い物か観光にでも行こうかと思っていたけど、雨がまだ降っているので、歩き回る気がしない。地下鉄一本で行ける屋根のあるショッピングセンター、フォーロム・デ・アールに行ってみることにする。
ショッピングセンターで、本屋やCD屋、DVD屋などを物色。昔だったら、ここを先途といろいろ買いまくるところだけど、今はインターネットのおかげで、家にいながらにして海外通販が可能。けっきょく何も買わずに、ギャラリーに戻る。
今夜は、オリヴィエの友人と、またギャラリーでディナーの予定。
やがて、その友人二人が来たけれど、申し訳ないけれど名前を忘れてしまった。
うち一人はクロアチア人、現在はスペインのファッション・ブランドで働いている人。パリコレのショーの演出のために、フランスに来ているところだそうな。オリヴィエとの関係は「掲示板で知り合った」ですと。……ナンパかい(笑)。
この彼が、トラッシュなものが大好きで、オリヴィエのPCで、そーいったテイストのYouTube映像を、次から次へ見せてくれる。
中でも最高なのが、ブルガリアで大人気だという、熊系ドラァグ・クイーン演歌歌手、Azis。ビデオ見て、私もイッパツで大ファンになった。この人はマジで好きなので、帰国したらDVD探さなきゃ。
あと、ペルーのセクシー(?)テクノ民謡とか、クロアチアの超絶早弾き女性キーボード・プレイヤーとか。他にも、「アメリカン・アイドルで落選したオネエさん」とか「ミンクのコートを買って♪と歌うクロアチアのビッチ系セクシー歌手」とか、いろいろあったんだけど、名前を覚えていないので探せず。で、そういった数々を見せられ、五人集まってのオカマノリも手伝って、腹が痛くなるほど笑い転げる。
かと思えば、前述の Azis の歌が「トルコ歌謡に似ている」という話から、思いがけなくオリヴィエと、ゼキ・ミュレン(トルコの美輪明宏みたいな歌手)やイブラヒム・タトリセス(トルコの熊系オジサン演歌歌手)の話で盛り上がったり。
けっきょくお開きになったのは、夜中の一時過ぎ。私は、明日の午前中にチュニス行きの飛行機に乗るので、慌てて荷造り。
3月7日
朝の八時、オリヴィエが来る。ギャラリーの鍵を返し、一緒にメトロの駅へ。
オリヴィエは、空港行きのRERに乗り換えるガール・デュ・ノールまで、送ってくれる。駅のホームで、抱き合って両頬にチュッチュッと、お別れの挨拶。オリヴィエのマシンガン・トークは、私が乗った列車のドアが閉まるまで続いていた(笑)
そんなこんなで、パリ滞在はここまで。
このあと私は、チュニジアのあちこちを一週間ほど旅して、3月14日に日本に帰ったわけです。
以上をもちまして、帰朝報告、全編の終了。
(終わり)
帰朝報告〜日誌風(4)
帰朝報告、その5。
3月4日
サイン会当日。
十時頃に目が覚める。幸い、足は痛くなっていない。良かった。
夕方にオリヴィエとギャラリーで待ち合わせ、一緒にサイン会に行くことになっているので、それまで遊びに出かけることにする。
カフェで、オムレツとカフェ・クレームでブランチ。一回一回の食事の量が多いので、一日二食でちょうどいい感じ。
それから、ルーブル美術館に行ってみることにする。前に行ったことはあるけれど、それはピラミッドができる前だったので、どんな感じか見てみたかった。
ルーブル到着。中庭にできたガラスのピラミッドを見て、つくづく感心。まず、こんな大胆なことを思い付いた、その自由な発想力自体がすごいし、それを実現した実行力もすごい。そして、いざ出来上がったものが、きちんと美しいというのが、一番すごい。伝統とモダンの、絶妙の調和。過去を大事にしつつ、そこに現代の息吹きも加えて、新しい美に生まれ変わらせていくという感覚に、心の底から感心。
出かける前は、ちょっと中にも入ろうかと思ってたけど、入り口の長蛇の列を見て、それはやめにする。中庭の適当な場所に座って、のんびり池越しのピラミッドを眺める。
しばしくつろいだ後、チュイルリー公園へ。ルーブル側から見ると、公園の樹木がまっすぐなパースを作り、その向こうにコンコルド広場のオベリスクが見え、更にその向こうに凱旋門が見える。一点透視法のお手本みたいな風景。そして視点を左にずらすと、エッフェル塔も見える。パリらしいモニュメントを三つ同時に見られて、とりあえず観光した気分になる。
公園を散歩がてら、コンコルド広場に向かう。古代彫刻を模した石像があちこちにあるが、その上にいちいち鳩が1羽ずつとまっている。何だかユーモラスで面白く、写真を何枚か撮る。散歩したり、ベンチでくつろいだりしながら、ゆっくりと公園を通り抜けて、出口の側の本屋に入る。ボタニカル・アートのカードとかがキレイだったけど、けっきょく何も買わなかった。
コンコルド広場からマドレーヌ寺院に向かい、そこからオペラ・ガルニエへ抜ける。途中のカフェで一服。
気が付いたら四時近くだったので、ギャラリーに戻ることにする。
オリヴィエと一緒に、サイン会のある書店 “BlueBookParis” に向かう。場所はポンピドーの近くなので、徒歩で移動。
本屋についたら、もう行列が店の外まではみ出していた。ショーウィンドウに私の画集 “The Art of Gengoroh Tagame” と、同時発売の児雷也画伯の画集 “The Art of Jiraiya” が、仲良く並べてディスプレーされいていて、何だか嬉しくなる。
一昨日のパーティーでも会った書店のスタッフ、メイディ・ハシェミが出迎えてくれる。アラブ系の顔に、人なつこい笑顔がカワイイ。沢辺さんたちも既に店に来ていて、中山さんが「あっちにいますから、何かあったら呼んでください」と言ってくれる。
17:30、サイン会スタート。お客さんに、メモ用紙に名前を書いてもらい、それを見ながら本にサインしていく。片言の日本語で挨拶してくれる人あり、英語で話しかけてくれる人あり。ここいらへんは、日本でやるサイン会とあまり変わりなし。たまに、書いてもらったアルファベットが、私の目では判別できないこともあり、そんなときは横からメイディが助けてくれる。
日本のサイン会と違うところは、ご夫婦名義……というか、自分とパートナーの名前を一緒に入れて欲しいというリクエストが多いこと。微笑ましいと思いながら、同時に、一冊ずつ買ってくれりゃ売り上げも上がるのに……とも思ってしまう(笑)。それともう一つ、自分で描いた絵をプレゼントしてくれるファンも何人かいて、これは日本では経験したことがないなぁ。
自分の分と一緒に、友人に頼まれた分とか、友人にプレゼントする分を一緒に頼む人も多く、「誕生日プレゼント用のメッセージを入れてくれないか」というリクエストも数件。そんなときには、英語と一緒に日本語で「誕生日おめでとう!」と書いてあげる。
サインした本は、やはり “The Art of Gengoroh Tagame” が多く、続いて “Gunji” や “Arena”、およびこれら三冊のコンボセット。ただ、中には日本語版の『嬲り者』や『PRIDE』持参の人もいて、珍しいところでは、同人誌『G-pro Party』を持ってきた人まで。オープニング・パーティにも来てくれた、在仏の均さんも、今や貴重な『獲物』他数冊持参で来てくれました。
オープニング・パーティで取材され、昨夜の “Yes Sir!” でも会った例のインタビュアー氏とも再会。「昨夜は良く踊ってたね」と冷やかされる。
変わったところでは、「この字を一緒に書いて欲しい」と、『戌』という漢字が印刷された名刺を出した人がいました。「これ、ドッグって意味だよ?」と確認すると、「自分のゾディアックがドッグなんだ」との答え。十二星座には犬はいないから、おそらく干支なんでしょうな。
サインと一緒に、ちょっと絵を描いてくれというリクエストする方もいましたが、ギャラリーとの契約で、ドローイングを描くことは禁止。申し訳ないけれど、そう理由を言ってお断りする。
漢字で「闇馬」と書かれたジャンパーを着ていた人がいたので、文字を指さして「ダークホースだね」と言ったら、「ダークホース・コミックのジャンパーなんだ」と裏地を見せてくれた。確かに裏地には、赤地に黒でアメコミのプリントが。で、その「闇馬」さんが、プレゼントだと言って茶色い紙袋をくれた。お礼を言って開けてみると、中に入っていたのは、前にもここで書いた、私が大ファンのマーク・ミン・チャンの画集。「えっ?」と思って名前を書いてもらったメモを見ると、この「闇馬」さんがアーティスト御本人。
もうビックラこいて、思わず席から立ち上がって「大ファンなんです!」と握手。私が大喜びする様子を見て、横でメイディが「マークもここで原画展をしたことがあって、今回も僕が来るように連絡したんだ」と得意そう。並んでいるお客さんには申し訳なかったけど、手早く連絡先を交換して、一緒に記念撮影。
そんなこんなで、二時間半ほど、ず〜っとサインしっぱなし。ミネラル・ウォーターのミニペットを用意して貰っていたんですが、スタート前に一口飲んだだけで、残りを飲めたのは一段落した後。
列がなくなったので、今度は今日は来られなかったけど、書店にお取り置きを頼んだり通販を申し込んだ人の本にサインを入れる。その最中にも、新しい客がパラパラ来るので、そんなときは中断。
取り置き分には、入れる名前を書いたメモが本に挟んであるんだけど、名前以外にも何か書いてあるものがある。メイディに「これは何?」と確認すると「バースデイ用メッセージ希望」とか「ドローイングのリクエストだけど、それは無理だから無視して」とかいう答えが。一番ウケたのは「あ……それは、代金まだ未払いってこと」ってヤツ。バーロー、うっかり一緒に書きこんじゃったらどーすんだよ(笑)。
取り置き分が終わったところで、お店用の色紙を頼まれる。オリヴィエに目で確認すると、ドローイングOKの返事。サインと一緒にヒゲのオヤジの顔を描く。
そろそろお開きにしようかと、改めて書店のスタッフたちに挨拶。メイディがお土産に、マーク・ミン・チャンの原画展のポスターをくれる。コートを着ていたら、また来客。そのサインを終えて、店から出て、待っていてくれた沢辺さんと「ゴハンどこで食べようか」とか話していたら、また来客。再び店に戻ってサインしてたら、メイディが「ホラホラ、早く行かないと一晩中サインする羽目になるよ」と笑ってた。
オープニング・パーティでも会ったカメラマンの Kaseda さんも一緒に、みんなで近くのコルシカ料理屋に入る。しばらくして、アニエス・ジアールとそのパートナーが合流。注文とか通訳とか、Kaseda さんのフランス語が大活躍。
沢辺さんも私も、アニエスが話してくれるフランスの出版界の様子に興味津々。アニエスは、沢辺さんのことを、てっきりゲイだと思っていたらしい。無理もない、私だってときどき、沢辺さんがノンケだってこと忘れちゃいます(笑)。因みに沢辺さん、パリ滞在中に二度ほど、田亀源五郎と間違えられたたしい(笑)。
食事が終わり、店から出たところで、仕事あがりらしいメイディとバッタリ。「何でまだこんなとこにいるの!」と笑われる。
アニエスたちと分かれて、歩いて帰る。ホテルに帰る前に、ちょっとギャラリーに寄って、熱いお茶でも飲んでいかないかと、沢辺さんたちを誘う。
そんな感じで一服していたら、もう深夜近く。中山さんとみずきちゃんが、ソファで舟を漕ぎ始める。沢辺さんたちが帰り、私もバスを使って就寝。
(続く)
帰朝報告〜日誌風(3)
帰朝報告、その4。
3月3日
九時過ぎに目が覚める。誰もいない朝のギャラリーは、昨夜のにぎわいがうそのよう。
オリヴィエが十一時頃に来ると言っていたので、待っていのだたが、一時になっても来ない。テーブルにケイタイの番号のメモを残して、テキトーに出かけることにする。
因みに、このギャラリーは予約制なので、誰もいなくても無問題。
近くのカフェで、クロック・ムッシュとショコラでブランチ。どちらもすこぶる美味しい。
今回、パリでの用事を終えた後で、どこか別の場所に寄ってから、帰国したいと思っているので、安チケットを探しに行くことにする。……が、土曜日の午後なので、オフィスは休みだった。
チケット探しはあきらめて、沢辺さんに電話してみる。サン・ジェルマンのあたりで、みんなで昼ゴハンの最中だった。私はポンピドー。オデオンで待ち合わせることにする。
オデオンで、沢辺さん、那須さん、中山さん、ふみちゃん、みずきちゃんと合流。みんなでリュクサンブール公園を散歩しに行く。
公園のカフェでお茶。那須さんと「去年、アップリンクでイベントしたときは、まさかこーゆー面子でパリでお茶するなんて、想像もしてなかったよね〜」とシミジミ。あちこちのテーブルで、客が残した角砂糖を、鳥が包み紙ごと丸飲みしていた。
買い物がてら、サン・ジェルマンをブラブラ。ロウソク専門店が面白かった。見るからに高級そうなパティスリーで、沢辺さんがエクレアを買って、みんなにふるまってくれる。似たようなことをするオノボリさんは多いらしく、近くのゴミ箱には、同店の空き箱が山のように(笑)。
別に用事があった中山さん、買い物に行ったふみちゃんと分かれて、沢辺さん、那須さん、みずきちゃんと一緒に、カフェでお茶。窓際の席に座ってひょっと外をみたら、斜め向かいに、昨日と一昨日、二日連続でお誘いをパスしてしまった、例のベア&ウルフバーがあったのでビックリ。
夕飯は、以前パリに住んでいた私の友達がオススメしてくれた、イタリアン・レストランへ行くことにする。ポンピドーで中山さん、ふみちゃんと待ち合わせて、みんなでゴー。
レストランは、リーズナブル&美味で大好評。フランス語のメニューの解読は、もっぱら中山さんにお任せ。デザートに何を頼むかで盛り上がる。
23時近くなってギャラリーに戻ると、オリヴィエがいた。案の定、バーで盛り上がりすぎて、15時頃まで寝ていたらしい。
今夜、ゲイのクラブ・イベントに行こうと誘われる。でも、出かけるにはまだ早いので、しばらくお喋り。この頃になると、オリヴィエのフランス語訛りの英語にもだいぶ慣れて、聞き取りもそんなに苦ではなくなってきた。
しかし、オリヴィエはとにかく早口でマシンガン・トーク。加えて知識や興味の幅がとんでもなく広く、しかも連想ゲームのように話題が拡がっていくので、こっちもかなり集中力が必要。日本の文化や歴史にも詳しく、ルネッサンスやバロック絵画の話をしていたはずが、二十分後にはいつの間にか、部落問題やらアイヌ民族やら、仏教や神道や三種の神器の話になっていたりする(笑)。そんな具合で二時間ほど喋っていたら、夜遊びに出かける前に疲れてしまった(笑)。
「そろそろ出かけよう」と、オリヴィエが着替える。着替えるといっても、フツーの服ではない。ナチスの将校のような(実際は、ロシア軍の軍服らしいが)コスプレ姿だ。これが、オリヴィエのゲイ・コミュニティでのトレードマークらしい。
軍服姿のオリヴィエと、歩いてクラブに向かう。Bains Douches というクラブで行われた、“Yes Sir!” というパーティ。マッスル&野郎寄りのベア・パーティーだそうな。
クラブの前は、既に入場待ちの行列が。私たちはインビテーションなので、並ばずに入れた。クロークで上着を預け、中に入る。広さは、西麻布のYellowくらいかな。フロアもラウンジも、坊主またはスキンヘッド&ヒゲのマッチョだらけ。半分くらいは上半身裸。長髪とか細身とかもいるけど、少数派。見渡したところ、東洋系は私だけ。
しばらくオリヴィエと一緒にラウンジにいて、次々と紹介される人に挨拶とかしていたのだが、それも一段落ついたようなので、フロアへ踊りに行く。マッチョはマッチョでも、やはり人種の違いか、日本で見るそれとは、筋肉の大きさが圧倒的に違う。
ファッションはおしなべて今風で、ボトムはローライズのジーンズやカーゴパンツ。上半身裸を除けば、このまま昼間に外を歩いていても、全く違和感がなさそう。強いて言えば、黒のトップスと迷彩柄のボトムが目立つくらい。たまにレザーキャップとかボディーハーネスとかもいたけど、正直言って浮いている感じ。何かの主張としてのゲイ・ファッションというスタイルは、既に過去のものなのだろう。
しかし、やっぱり一番浮いていたのは、オリヴィエの軍服姿だった(笑)。もっとも自分も、服装は黒T&カーゴだけど、人種や体格という点で浮いていただろうなぁ(笑)。
フロアで、昨夜のゲイ・テレビ局のインタビュアーと再会。今日は上半身裸。すっげーいい身体のうえに、両肩と背中にとてもきれいな和風のタトゥーが。「ホレホレ」と自慢してきたから、それに乗じてあちこち触らせて貰う。他にも何人か、昨日のパーティーで会った人と挨拶したり、ファンだという人と話したり。音楽が轟音なので、フロアでは自然と上半身を寄せ合って、肩に手を掛け合ったりして、耳元で大声で怒鳴るように話すことになる。だから、しばらく話していると、相手の息で耳がベタベタしてきたり(笑)。
フロアがどんどん混んでくる。ラウンジも併せて、三百人くらいいたんじゃなかろうか。この頃になると、東洋系も三人くらい見掛けた。女性も数人。同伴なら入れるミックス形式なのかな? 途中で上を脱ぎだす連中も多いので、いつの間にか裸の割合が三分の二くらいに。混んだフロアを誰かが通り抜けようとすると、必然的に肌が触れ合う。毛深い人だと「ふさっ」とか「ざらっ」とした感触、毛の薄い人だと「ぺとっ」とか「ぬるっ」とか。
フロアには汗の臭いが充満し、苦手な人は嫌なんだろうけど、私は好きだから気分もアガる。筋肉やら体毛やらタトゥーやらボディーピアスやら、目の保養もタップリ。知り合いやファンで、カッコよかったりカワイかったりする子には、もう遠慮なくハグ。
音楽は、あれは2ステップなのかな、ブレイクビーツの作り出すグルーヴが気持ちよくて、久々に赤い靴シンドローム(踊り出したらとまらなくなっちゃうという、私のビョーキ)が発症。なかなか好みのプレイをするDJさんでした。
オリヴィエは途中で帰ったけど、私は居残り。けっきょくそのまま、朝の五時まで踊ってました。
歩いてギャラリーに帰り、バスを使う。
児雷也画伯に「パリからメールくれ」と頼まれていたので、オリヴィエのPCを借りて、ウェブメールを出す。フランス語用のキーボードだから、ちょっと使いにくい。オマケに、日本語変換ができないので、ローマ字表記。
一服して就寝。踊りすぎで、明日、足が痛くならないか、ちょっと不安。オッサンは辛いね(笑)。
(続く)
帰朝報告〜日誌風(2)
帰朝報告、その3。
3月2日
個展初日。
朝8時頃、爽やかに目覚める。相変わらず、時差ぼけの兆候なし。
小腹が空いていたので、カフェにでも行こうかと思ったけど、昨日オリヴィエが持ってきてくれたサンドイッチが冷蔵庫に入っていることを思い出し、お茶を淹れて食べる。因みにオリヴィエはお茶マニアで、キッチンの棚は紅茶や中国茶やハーブティーの山。
オリヴィエが来るのは昼頃と聞いていたので、さてそれまで何をしようかと考えているところに、沢辺さんたちが遊びに来てくれた。今回は中山さんも一緒。しばらく雑談した後、沢辺さんたちはお出かけ、私はこのままオリヴィエを待つことにする。
正午過ぎ、オリヴィエが、オープニング・パーティ用の大ワインやミネラル・ウォーターを、大量に持参して到着。ギャラリー内に運び込むのを手伝う。
一服しながら、今日の打ち合わせ。パーティーには、テレビ局の取材が二つ入るそうな。
ドア・オープンは18:00。それまでオリヴィエは、プライス・リストの制作やら何やら細々した用事があり、逆に私は何もすることがないので、17:00頃までフリーになる。
ならば観光でもしようかと、出かけることにする。
メトロを乗り継いで、サン・ミッシェルにある中世美術館へ向かう。ユニコーンのタペストリーが有名で、それをイギリスのトラッド・ギタリスト、ジョン・レンボーンのアルバム "The Lady and the Unicorn" で見て以来、一度行ってみたかった美術館。
建物は、中世の城だか教会だかの建物をそのまま使っていて、手前には、パリに残るローマ帝国時代の遺跡もある。規模はさほど大きくはないけれど、建物の風情と、展示されている中世彫刻やテンペラ画や工芸品が実に良くマッチしている。そんなに混んでもいないし、雰囲気も好みで気に入りました。
お目当てのタペストリーは、想像していた以上に巨大で、更に、一枚ではなく六連だったのでビックリ。写実性と装飾性のブレンド具合がとても美しい上に、動物たちの姿にはユーモラスな可愛さも。
ギフトショップで、タペストリーの図案を使ったゴブラン織りのクッションカバーを二つ購入。オレンジの樹の柄と、ウサギの柄のヤツ。けっこうなお値段だけど、モノが良いのでいたしかたなし。他にも、中世美術の本やら中世音楽のCDやら色々あったんだけど、長居していると破産しそうな気がしてきたので(笑)、適当に退散。
気が付くと16:00を回っていたので、ちょっとカフェで一服してから、ギャラリーに戻ることにする。
18:00までには、ギャラリーの支度もすっかり整い、あとはお客を待つばかり。
ちょっと緊張してくる。どのくらい人がくるのか、さっぱり見当がつかないし、閑古鳥だったらどうしよう……ってな不安もあるし。
じきに、最初の来客。そして、ポツポツと人が増え始める。「ボンジュール」と言ってお迎えするものの、それ以上の会話はできないので、何だか所在がない気分。
窓の外が暗くなってきた頃には、いつの間にかギャラリーは人で一杯に。閑古鳥の不安はなくなり、ホッと一安心。英語で話しかけてくれる人も増え、ジャーナリストの女性(……と、遠目には思ったんだけど、接近してお話ししたらトランスジェンダーの方でした)や、まだ若そうなファンの男性(「軍次」の感想を、とても具体的に熱っぽく語ってくれて、嬉しかったな)などと話しているところに、沢辺さんたちも来てくれる。
テーブルの上には、仏語版 “Gunji” と”Arena”、出たばっかりの画集 “The Art of Gengoroh Tagame”(出発前に著者見本が届かなかったので、現物を見たのは私もこの日が初めて)、沢辺さんが持ってきてくれた『日本のゲイ・エロティック・アート』1と2、そして近日発売予定の『田亀源五郎【禁断】作品集』の見本などが並べられていて、お客さんたちは思い思いに中を見ている様子。
ニコラ到着。足下を見ると、普通の革靴。「アラ、ハイヒールじゃないじゃない」と突っ込むと、「フン、気分じゃなかったのよ、でも、本当に持ってるんだからね!」と返される。ビッチなヤツ(笑)。パリ在住の日本人の方にもお会いする。英会話ばっかで疲れているときに、母国語でお喋りできるのは本当にありがたくて、何だかホッとします。
気付かないうちに、パトリックも来ていた。「ゲンゴロー、ゲンゴロー」と呼ぶので何かと思ったら、ワインボトルのラベルを、この個展のDMに張り替えたものを見せられた(笑)。
別のフランス人に「僕を覚えています?」と話しかけられる。確かに顔は見覚えがあるんだけど、どこの誰かが思い出せない。そう詫びたら、一昨年、フランスのゲイ雑誌 “Tetu” の取材で、東京で会ったインタビュアーの人だった。今回の個展の記事と一緒に、今度あらためて同誌に記事が載るそうな。
全般的にお客には、坊主&ヒゲというタイプが目立ち、いささか偏ってる感じ。沢辺さんにそう言ったら、「でもまあ、田亀さんのファンなんだからねぇ」と言われた。それもそうか。
テレビ取材、一件目スタート。ゲイ向けのケーブルテレビだか衛星放送だからしい。カメラマンもインタビュアーも、またまたどちらも坊主&ヒゲ、しかもかなりのマッチョ。挨拶して握手したら、二人とも手の皮がえらく固くて分厚い。まるで土方さんみたいだと思ったけど、ひょっとしたら、ウェイト・トレーニングのせいかもね。
取材があると聞いたときから、ちょっと嫌な予感はしていたんだけど、案の定、通訳なしの英語インタビュー。うう、これはかなりキツい。おまけに周囲には見物人の輪が。この中で下手な英語を喋るのは、何とも恥ずかしい。
一回、質問の意味がどうもうまく掴めずに困っていたら、中山さんがヘルプで駆けつけてくれました。サンクス。それでも難航。発音のせいで単語が聞きとれないこともあるので、インタビュアー持参の質問事項を書いたカンペを見せて貰い、それでようやく理解できた。
まあ、さほど長い時間ではなかったので、何とか無事に終了できました。
だいぶ気持もほぐれてきて、新しいお客さんにも、自然と「ボンソワール」と声を掛けられるようになる。
ギャラリー内は禁煙なので、沢辺さんを誘って廊下に出て一服する。階段や踊り場は、同様の喫煙者のたまり場に。そこに混じって、ファンの人や、パリコレの取材で来ているという日本人カメラマン氏などとお喋り。
そこにアニエス・ジアールが来た。「久しぶり〜!」と喜び合った後、沢辺さんたちに紹介。しばらくそのまま雑談するものの、よく考えたら私は会場の外にいて、アニエスはまだギャラリーの中にも入っていない。慌てて「とりあえず見て!」と、中に案内する。
オリヴィエに呼ばれて、画家のザビエル・ジクウェルに紹介される。一緒に画集 “Stripped – The Illustrated Male” に載ったアーティスト。画集をプレゼントして貰う。技法や画材などについて、互いに聞いたり聞かれたり。ここいらへんは、日本で他のイラストレーターと会ったときと変わりませんね。
やがて、二件目のテレビ取材がスタート。今度は大手テレビ局。後で聞いたら、どうやらキャナル・プリュスだったらしい。
取材チームのチーフらしい、ドレッドの黒人が「スパイクです」と自己紹介するもんだから、つい「スパイク・リー?」と茶々入れると、「いや、実は本名は○○なんだけど、顔がスパイク・リーに似てるから、そーゆー綽名になったんだ」ですと。
番組の内容は「日曜美術館」みたいなものらしく、同じ枠で一緒に放送されるのは、ちょうど同時期にパリで大規模な個展をしていたデヴィッド・リンチだと聞いてビックリ。デヴィッド・リンチと私が、同じ番組枠で紹介って……う〜ん、やっぱ日本じゃ考えられないわ。なんてリベラルな国!
幸いなことに、今回はインタビューはなし。インカムを付けた私が、いろいろなお客さんと交流するのをロングで撮って、後で、お客さん個々人に、作品の感想などを聞くという作りにするとのこと。だから「絶対にカメラを見ないでくれ」と釘を差されました。
そんな具合で、私はテキトーにお喋りを続行。ポットの那須さんは、中山さんと談笑中のところを撮られ、ついついカメラを気にしてしまい「もっと自然にして!」と注意されたそうな(笑)。
だいぶ遅くなってから、エスタンプのプリントを制作してくれた人に紹介される。この人の名前もオリヴィエだった。オシャレな初老の紳士といった風情で、メビウスや宮崎駿のエスタンプ制作もした方だそうな。
溝口健二が大好きだそうで、小津よりも黒澤よりも溝口で、特に「『山椒大夫』は大傑作だ!」と言う。で、私が「え〜、でもあのラストは、ちょっと救いがなくて、仏教説話的には云々」と異を唱えると、「いやいや、あれはシェイクスピアのようで云々」と返してくる。こういう議論は面白いけど、私の英語力では限界があり、ちょっと悔しい思いをする(笑)。オマケに、彼が話題に出した『赤線地帯』や『楊貴妃』は、私は未見。で、こっちが『雨月物語』や『西鶴一代女』を話題にしようとしても、英題も仏題も判らないので、なかなか伝わりにくいし。
この人に限らず、あちらの日本文化好きの人は、概して知識の幅の広さや深さが半端じゃないことが多く、驚かされることが多々ありました。
そんなこんなで、19:00頃から22:00頃までは、人が途切れることもなく、ギャラリー内は満員状態。沢辺さんの概算によると、「のべ150人くらいは来たんじゃないか」とのこと。
22:00を廻ると、少しずつ人も減ってきました。帰り際に、何人もから「ビッグサクセス、コングラチュレーション!」と言って貰え、嬉しい限り。
だいぶ人が減ったので、椅子に座ってひと息ついていたら、例のテレビカメラが寄ってきた。取材されていたこと、すっかり忘れてました(笑)。
で、あんまりカメラが寄るもんだから、「カメラ見ていいの?」と聞くと、「いいよ」と返事して、テーブルの上の私のウェストポーチに寄っていく。「中身見たい?」と聞くと「見せて」。で、携帯用の電子辞書やら、万年筆形の筆ペンやらをご披露(笑)。
これで取材は終わり。最後にカメラに向かって「この映像が放送されることを了承します」というような内容を言わされました。
で、腰に付けてたインカムを返して「バイバイ」。
アニエスがきて、もっとワインが欲しいみたいなジェスチャーをしたので、未開封のものを「自分で開けて!」と瓶ごと渡す。
気の毒なことに、夕飯を食べそびれてしまった沢辺さんたちは、オリヴィエが出してくれたクッキーをポリポリ食べる。じっさい、オープニング・パーティで出されたものはワインのみで、いわゆるおつまみのようなものは一切なかった。考えてみりゃ、私も朝にサンドイッチを食べたきりだったので、一緒にポリポリ。
アニエスとは、明後日のサイン会の後に、一緒に御飯を食べようと約束してバイバイ。やがて沢辺さんたちもホテルに戻り、ギャラリーには、オリヴィエ他数人が残っているだけ。気が付くと、もう深夜を廻っていました。
オリヴィエに「これから、昨日オープンしたベア&ウルフバーへ行こう」と誘われたけど、ちょいと疲れが限界に。体力的にというより、英会話を続けるのがもう限界。ヒアリングの集中力が続かず、相手の言葉を聞いていても、ノーミソが途中で理解を放棄する感じ。言語中枢がオーバーヒート起こしたみたい。
で、申し訳ないけど私はパスさせていただき、もう寝ることにしました。シャワー浴びるのも面倒だったので、顔だけ洗ってバタンキュー。
(続く)
帰朝報告〜日誌風(1)
帰朝報告、その2。
2月28日
フィンランド航空を使いヘルシンキ経由で、夜、パリのシャルル・ド・ゴール空港に到着。
ゲートで、ギャラリー・オーナーのオリヴィエ・セリがお出迎え。前もって写真を貰っていたので、すぐに判りました。写真を見たときから「デカそうなヒゲ熊だな〜」と思っていたんだけど、実際会ってみると、身長は私より頭一つ高いし、ウェスト周りなんか倍はありそうで、ちと圧倒される。オマケに、後になって年下と知って、更にビックリ。
「腹が減ってるか?」と聞かれたけど、機内食でブロイラー状態だったので、ノーサンキュー。そのまま、RER(パリの郊外を走る電車)とメトロ(地下鉄)を乗り継いで、ギャラリーに直行。
小一時間後、ギャラリー “ArtMenParis” に到着。メトロのストラスブール・サンドニ駅から、徒歩3分ほどという好立地。ポンピドー文化センターやバスティーユ広場は徒歩圏内、主だった観光エリアや文化エリアにも、メトロ一本で数分という便利なエリア。
因みに、私の宿泊先はギャラリーのロフト……と、オリヴィエは呼んでいたけれど、ギャラリー内の一角をカーテンで仕切った小部屋。オリヴィエは「片づけが間に合わなくて、まだ散らかっている」と、しきりに詫びていたけれど、なんのなんの、私の家に比べると百倍は片付いている(笑)。
お茶を淹れてもらい一服した後で、手荷物で持参した個展用の原画を見せ、展示のレイアウトなど明日の作業に関する打ち合わせ。事前にギャラリーの写真と図面をメールで貰い、展示に関してアバウトなプランは立てていたものの、やはりいざ現物を見てみると、いろいろ変更や微調整の要あり。あと、オリヴィエの英語は、フランス語訛りがきついうえに、かなりの早口でマシンガン・トークなもんだから、ついていくのがけっこう大変。
それでも何とか打ち合わせも終わり、深夜12時過ぎにオリヴィエは帰宅。ギャラリーの鍵を預かり、表門を開けるための暗証番号も教えてもらう。
一人残って、バスを使う。時差ぼけが心配だったけど、いつも日本で超夜型の生活なのが幸いしてか、ベッドに入ったらすぐに眠くなりました。
3月1日
朝、7時頃に自然と目が覚める。頭もスッキリ。やはり時差ぼけの兆候はなし。
オリヴィエが来るのは1時の約束だったので、ちょいと近くを歩いてみることにする。表門を出て適当にウロウロしていたら、すぐにカフェを見つけたので、入ってコーヒーを注文。あまり食欲がなかったので、朝ゴハンは頼まず。
コーヒーの後、もうちょっと近所を探索して、9時頃にギャラリーに戻る。で、前日に別便でパリ入りしているはずの、ポット出版の沢辺社長のケイタイに電話。すぐにつながって、沢辺さんたちがギャラリーに来ることになる。ギャラリーの入り口がちょっと判りにくいので、ドアを開けてお待ちする。
沢辺さん一行(沢辺さん、「日本のゲイ・エロティック・アート2」のアップリンクでのイベントを一緒にやったポットの那須さん、ふみちゃん、みずきちゃんの四人)がギャラリーに到着。一緒にパリ入りしたはずの、タコシェの中山店長の姿は見えず。どうやら、別の約束があったようで。
ギャラリーを披露した後、しばし雑談。沢辺さんたちの泊まっているホテルは、通り一本向こうなだけの、とても近くだそうな。そして、那須さんのお仕事用英文レターを書くのを、ちょっとお手伝い。
一服した後、ちょっと外でお茶でもしようと、みんなで外出。ちょっぴり歩いてカフェに入り、慣れないフランス語メニューと格闘しながら、何とかカプチーノを注文。ユーロが高いせいもあって、想像していたよりも物価が高い印象。
お茶しながら雑談していたら、外を大量のパトカーがサイレン鳴らしながら走り、しかも中には武装警官がぎっしり乗っていたもんだから、みんなビックリ。しかし、道行く人々はべつだん驚いたり慌てる様子もないので、ちょっと安心する。
そうこうしているうちに時間がきたので、みんなと分かれてギャラリーに戻る。
ギャラリーに戻ってしばらくして、オリヴィエが来る。サンドイッチを持参してくれたんだけど、なぜかまだ食欲がなかったので、「後で食べるから」と冷蔵庫にしまってもらう。特に胃の調子が悪い感じでもないんだけど、やはり少しナーバスになっているのかな。
しばらく雑談をしていると、展示作業のお手伝いをしてくれる、またまた立派なヒゲ熊系のニコラが到着。彼もアーティストで、作品の写真を見せてくれるましたが、コンセプチュアル・アートと抽象絵画の中間のような作風でした。
ニコラがマット切りなどの額装の準備を始め、そのあいだ私は、今回の個展用に制作したエスタンプ(複製画)に、エディション・ナンバーとサインを書きこむことにする。
エスタンプの種類は二種類。
まずは、個展用の完全な新作「七つの大罪」連作。
これは、七枚セットで限定七部のみの制作。印刷媒体等へ発表する予定はありません。ただし、画像はそのうち ArtMenParis のウェブサイトと連動して、私のサイトにも載せる予定ですし、エディション・ナンバーが入ったもの以外に、E.A.(エプルーブアルティストの略で、アーティストプルーフとも呼ばれる、アーティスト用の保存分)を私が所蔵しているので、別の個展なり何なりの際に展示はできます。
もう一種類は、サイトにも載せている旧作で、「さぶ」の挿絵用に描いた「忠褌」というモノクロ作品。こちらは刷り数も多く、限定25枚。これも、私が所蔵しているE.A.があります。
これらは、そのうち日本国内でもご披露できるといいんですが。
サイン入れ作業の最中に、もう一人の助っ人ベルナールが到着。この人はヒゲでも熊でもなく、細身のインテリ風オシャレさん。お仕事は、美術評論家だかキュレーターだかだそうだけど、英語を喋らないので、あまり交流はできず。
サイン入れも額装も終わり、四人で配置や順番をあれこれ決めていく。みんな積極的にアイデアを提案してくれるので、なんだか文化祭前夜みたいで楽しい。
窓の外が暗くなり、展示も八割方終わったところで、カメラマンのパトリック・サルファーティが到着。これから、私をモデルにフォト・セッションです(笑)。
パトリックは、メールヌード写真ではベテランで、何冊も作品集を出している人。コマーシャル・フォトグラファーでもあり、80年代には、キクチタケオやトキオ・クマガイの撮影で来日経験もあるそうな。因みに、このギャラリーで私の前に開催されていたのが、キース・ヘリングが訪仏した際にパトリックが撮影した「パリのキース・ヘリング」という個展でした。
小柄だけど筋肉はムッキムキで、ちょっとシャイな感じだけれど、笑顔を絶やさない素敵な人。私の作品を絶賛してくれるのも嬉しいんですが、更に、三島剛や矢頭保の大ファンでもあるので、更に嬉しくなったり。オマケに、少し話しただけで妙に波長が合う感じ。
で、しばらく会話した後、撮影開始。
幸いなことにヌードではなく、いつも来ている服に手だけバイカー用のような大きな革手袋という、ちょっと不思議なスタイリングでのポートレート。壁に掛かった自分の絵の前で、いろいろポーズをとらされます。指示の出し方が上手いのか、モデルをしていても、意外と緊張しないで済みました。
でも、初めは「いいかい、ワン・ツー・スリーでシャッターを押すからね」と言っていたのが、撮影に熱が入ってくると、いつのまにか「アン・ドゥ・トロワ」になってたのが可笑しかったな。あと、引きをとろうとパトリックが後ずさりしたとき、ライティングのアシストをしていたオリヴィエにぶつかり、オリヴィエの巨大な腹に小柄なパトリックがバウンドして跳ね返ったもんだから、思わず吹き出してしまった。それから何故か、しばらく笑いが止まらなくなって、申し訳ないことに撮影を一時中断させてしまいました。
撮影が終わった後も、引き続きパトリックとソファに座ってお喋り。話せば話すほど面白いし、価値観や世界観も共通する部分が多いので、その人柄にどんどん惹かれていきます。
そうこうしている間に設営も終わり、テーブルの上にはパンやチーズが並べられ、そしてシャンパンのコルクが抜かれ、オリヴィエの「明日の成功を祈って!」という音頭で乾杯。普段はアルコール類を一滴も飲まない私ですが(すっげ〜下戸なんです)、この時ばかりはちょっぴりお相伴しました。
あとはワインが開けられ、五人でテーブルを囲んで、ギャラリーのキッチンで料理されたピザやラビオリで晩御飯。会話が盛り上がると、たまにフランス語オンリーになっちゃったりするんですが、すぐにオリヴィエかニコラが英語でフォローしてくれるので、さほど置いてけぼりにはならずに済んだかな。
誰かがかけたCDが、私の大好きなファイルーズ(レバノンの女性歌手で、アラブ歌謡を代表する大歌手の一人)だったので大喜びして、「ファイルーズ大好きで、ちょうど日本を出るちょっと前にも、彼女とベイルートのドキュメンタリー映画を見たばっかりなんだ」とか言ってたら、ニコラはレバノン人だと聞いてビックリ。
で、「アラブ文化が好きなの?」と聞かれたから、「うん、今回もフランスに来たついでに、チュニジアに寄ってみたいと思ってるんだ」とか答えたら、今度はパトリックはチュニジア生まれだと聞いて、またビックリ。思わず、コスモポリタンとかボヘミアンとかいった言葉を連想して、我ながら古いなぁと思ったり。
因みにレバノン出身のニコラは、アルコールが入るとだんだんオネエ度が増していきました。そして、去年のベアプライドに女装で参加したところ、シャネル(ニコラいわく「イミテーションじゃないシャネル」)のブレスレットを盗まれてしまった話をして、「いくらベアでも、所詮クィアはクィアね!」とか締めるもんだから、もう大笑い。
更には、ゲラゲラ笑っている私に「明日のアンタのオープニング、そんときの女装で履いた、ゴージャスなハイヒールで来てあげるわよ!」なんて追い打ちまで。けっこうイケてる熊さんなのに、中身はかなりビッチなんだから(笑)。
そんな感じで12時を過ぎ、オリヴィエから「これから一緒に、新しいベア&ウルフ・バー(日本でも「オオカミ系」なんて言葉がありますが、外国でもウルフ系ってのがあったんですな)のオープニング・パーティに行かないか?」と誘われたんですが、ちょいと疲れていたし眠くもあったので、申し訳ないけどパス。
やがて四人は帰り、後は私一人に。
設営の済んだ無人のギャラリーを、記録用にデジカメで撮影してから、シャワーだけ浴びて、さっさと就寝。この晩も、あっという間に眠っちゃいました。
(続く)