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レオ(とパンジャ)は、最初から「白いライオン」だったのだろうか?

 さしあたっての締め切りが片付いたので、先日ここで書いた手塚治虫の『ジャングル大帝 漫画少年版』を、ゆっくりじっくり読んでおります。
 種々のバージョンがあるという同作ですが、私がこれ以外で読んだことがあるのは、講談社の手塚治虫全集版のみ。というわけで、バージョンによる内容の違いは、私が気付いた分も気付かない分も含めて色々あるんでしょうが、私の場合、例によって全集版の本すら実家にあって手元にないので、細かな比較はできず。う〜ん、読み比べのためだけに、また文庫版を買っちゃいそうな自分が怖い(笑)。
 とはいえ、今回このマンガ少年版を読み始めたら、じきに、細かい部分ではなくて、もっと大きな部分に関する素朴な疑問が、頭に一つ浮かびました。
それは、
「レオ(とパンジャ)って、本当に最初から、白いライオンという設定だったの?」
ということ。
 私の記憶にある限り、マンガでもアニメでも、パンジャもレオも「白いライオン」で、その「白い」というのが、キャラクターの外見的特徴として、最大かつ重要な要素だったはず。
 ところが、今回の復刻版を読むと、何故かこの「白い」という要素が、なかなか出てこない。
 第一話で、パンジャの毛皮を欲しがっている黒人酋長が、白人のハンターと組んで罠をしかけるときも、パンジャの形容として、「ジャングルの帝王」や「森の化身」といった言葉は出てくるんですが(1巻・4ページ……以下特記以外は全て1巻)、肝心の「白い獅子(ライオン)」という表現がいっさい見あたらない。
 とはいえ絵を見ると、他の雄ライオンのたてがみは黒く塗られている(5ページ)のに対して、パンジャのたてがみは白いままで、まあ白黒のマンガ画面で見る限りは「白いライオン」に見えるんですけど、セリフのフォローが何もない、特に酋長が、白い毛皮の希少性ゆえにパンジャに執着しているといった内容がいっさいないのは、キャラクターを立てる要因として「白いライオン」というものを設定したのだとしたら、いささか不自然に感じられます。
 そこで、次に気になるのが、目を閉じて堂々と闊歩するパンジャの姿が描かれている、第二話のカラー扉(7ページ)。
 このパンジャは、たてがみと尻尾の房は白く無彩色のままなんですが、他のボディ部分には薄いベージュが塗られています。
 これを見て思い出したのが、ウィキペディアにも載っている有名なエピソード。

「白いライオン(ホワイトライオン)」というアイディアは、手塚がかつて動物の絵本を依頼された際にライオンの絵を白熱灯の下で彩色したところ、電灯の光のために、できあがってみたら色がきわめて薄くて没になった失敗談が発端という。

 これってひょっとして、実はこの扉絵のことなのかしらん、なんて思ったり。
 さて、同話の後半で、いよいよレオが誕生するわけですが、ここでも奇妙なことに、「白いライオンの子が生まれた」という、セリフによる描写がいっさいない。生まれた子供が真っ白だったら、レオの母エライザ(ただし漫画少年版ではこの名は出て来ない)を捕らえているクッター氏にしろ、輸送船の乗組員にしろ、もっと驚いてもよさそうなものだけど、そういったリアクションはいっさいなし。
 それどころか暢気にも、

「ほほう! こりゃあ かわいらしいな 母おや似だな」
「おいおい ライオンはどれだって みんな顔が同じだ」
(15ページ)

なんてセリフのやりとりすらある。
 もし、パンジャは白で、その子どものレオも白という設定が、当初から存在していたのだとしたら、こういう展開にはならないと思うのだが……。
 以降、レオをメインに話は続いていくんですが、相変わらず「白いライオン」という要素は皆無。
 出会った魚も鳥も、別の船の船員もネズミも、人間サイドの主要キャラクターであるケン一やメリイやヒゲオヤジも、レオをネコと間違えることはあっても、誰一人としてレオが白いということに驚かないのだ。
 そんなこんなで、レオの色が白いということに関しては、テキストでは何も触れられないまま話は進み、やがてレオは、ケン一たちと一緒にアフリカに戻り、パンジャの毛皮と出会うのだが、このときも

「ぼくと おなじ におい!」
(43ページ)

というセリフはあれども、毛皮が同じ白だという要素は出て来ず。
 そんな調子で、第四話まで続きます。
 そして、次の第五話。
 ここにいたって、ようやくカラー扉(45ページ)の「前號まで」というあらすじ中に、「白い獅子パンジャは」という一文が初めて出てくる。
 ただし、カラー扉に関しては、レオの姿が初めて描かれた第三話、次の第四話、そしてこの第五話でも、レオの身体の大半は彩色されない白ではあります。血管の赤みと思しき両耳部と、ボディのシャドウと思しき部分等のみに、ほんのり赤褐色系の彩色が施されている。
 しかし奇妙なことに、第五話のカラー扉では、キャプションでは「白い獅子」と名言されているパンジャの毛皮が、絵ではたてがみ部分のみが白く、顔やボディははっきりとしたオレンジ色になっている。
 そして、この第五章でも、本文になりと、やはりレオやパンジャの白さには触れられない。パンジャの毛皮を持ち運ぶレオを見て、ケン一とメリイが交わすセリフも、やはりまた、

「この子は なんてまあ 毛皮を こうもって まわるんだ ろう」
「その毛皮と レオとなにか かんけいがあ るんじゃ ないか」
(49ページ)

という具合で、二者の間の「白い」という共通項は描かれないままだ。
 この調子で、第五話でも、扉以外の本文中では最後まで、レオやパンジャが「白い」と明示するシーンはない。
 ところが、次の第六話になると、様相が一変する。
 まず、カラー扉(55ページ)は、古代エジプトでスフィンクスの前で眠る、レオの先祖の白獅子アンドロクレス(ただし漫画少年版ではこの名は出て来ない)である。
 そして本文に入ると、まず2ページめで、レオの消息を求めるヒゲオヤジが

「雪みたい白い ししのことをきか なかったか」
(57ページ)

と言うのを皮切りに、次のページでは、まるでだめ押しのように

「ワタみたい な白さだよ」
「ケムリ みたいな白さだッ」
「歯の白さ だ、わかるか」
(58ページ)

と続き、以下も

「で、しってるか 白いししを」
「白いしし? そんなもの いるのかい わッははは」
「白いしし! いますとも」
(58ページ)

と、これまで一度もセリフには出て来なかった「白い獅子」が、何と6コマに渡って連発されるのだ。
 更に、7コマめからは、やはり後に主要な役を負うアルベルト少年によって、アフリカ大陸における「白い獅子」の解説が、

「医斈上では シロコという んですよ」
「今からざっと 四千年まえに 『白いしし』がでた というきろくが あります」
(58ページ)

という具合に始まり、以降2ページ半(59〜61ページ)に渡って続く。
 そして、この第六話以降、レオが白いライオンだということが、あらすじや本文中で、折に触れて語られるようになります。
 つまり、私が今回の復刻版を読んで、どう感じたかというと、
「レオもパンジャも、最初は白いライオンという設定ではなかったのでは?
その設定は、第五話から六話の間ぐらいの時期に、後から付け足されたものなのでは?」
という印象を受けたということです。
 ひょっとしたら、こんなことは周知の話なのかも知れないけれど、寡聞にして私自身は、これまでそういった話は読んだことも聞いたこともなかったもので、これが事実だとしたら、ひどくビックリなわけで。
 ホントのところはどうなのかは、私にはこれ以上のことは判りませんが。
 もう一つ、パンジャの色に関しては、実は物語が後半に入ってからも、レオが自分の子どものルネとルッキオに、パンジャの毛皮を見せるシーン(2巻・13ページ)で、たてがみは白だが顔とボディーはオレンジ色をしているのも興味深いところ。
 ひょっとすると、パンジャに関しては、かなり後半になっても、全身が真っ白という設定ではなかったのかも。特典の複製原画にある、学童社版の単行本用表紙原画でも、やはりパンジャの色は、たてがみと尻尾の房のみ白(をイメージさせる薄いブルーのシャドウ)で、顔やボディはベージュ色をしているし。
 更に余談になりますが、もし『ジャングル大帝』の成立に、エドガー・ライス・バロウズの『ターザン』シリーズや、南洋一郎の『バルーバ』シリーズの影響もあったのだとすると、当初のパンジャは両シリーズに出てくるような「金獅子」を想定していて、第一話でたてがみが白いのも、白毛ではなく金毛のつもりだったのかも……なんて、更に妄想も膨らんだりして(笑)。

今年のあれこれ

 2009年も残り一日なので、今年のあれこれをちょいと反芻してみたり。

 マンガは、ゲイ雑誌を主軸に一般向けも二つほど(うち一つは、まだ世に出ていませんが)混じって、わりと充実していたかな。『父子地獄』を完結できたのも嬉しい。
 あと、月産ノルマ78ページという月があって、これは自己記録を更新してしまった(笑)。私はアシスタントを使わず一人でやっているので、流石にこれはちょっとキツく、某少年週刊マンガ誌の編集さんにも驚かれました(笑)。
 とはいえ、年間を通しては、そうメチャクチャ忙しかったというわけではなく、10年ほど前の、「バディ」で『銀の華』、「ジーメン」で『PRIDE』を、毎月並行連載しつつ、「ジーメン」では表紙イラストとレギュラー記事も幾つか担当し、合間に挿絵なんかもやりつつ、更には別名義での小説連載までしてた頃にくらべりゃ、ぜんぜん余裕かも。正直、あの当時のことをもう一度やれと言われても、今じゃ体力的にも無理だと思う(笑)。
 マンガ単行本も、日本で一冊、フランスで三冊(まだ最後の一冊は手元に届いていないけど)、イタリアで一冊出せたので、全部併せると例年以上のペースに。
 それと、マンガ関係で今年一番驚いたのが、文化庁メディア芸術祭から、『外道の家』がノミネートされたのでエントリー承諾書にサインしてくれ、という書類が来たこと。まあ、結果はもちろんかすりもしませんでしたが、ゲイ雑誌発のあーゆー作品が、こーゆーのにノミネートされたことだけで、もうビックリでした(笑)。

 一枚絵関係だと、これはやっぱりこのブログで詳細をレポした、フランスでの個展が大きかったですな。セレブにも会えたし(笑)。
 あと、オーストラリアの企画展にも参加したし、銀座の画廊の企画展にも監修で関わったけ。銀座ではトークショーもしましたが、ここんところ毎年、何かしらの形でこのトークショーってぇヤツをやっているような気がする(笑)。
 イギリスとフランスで一冊ずつ、アートブックへの掲載があったのも嬉しい出来事。

 プライベートでは、何よりかにより20年来の念願だった、モロッコ旅行ができたのが嬉しかった。
 アイト・ベ・ハッドゥの景観やメルズーガの大砂丘でのキャンプは忘れがたいし、マラケシュの喧噪も懐かしい。フェズのメディナで道に迷い、加えて暑さでヘロヘロになったのも、今となっては楽しい想い出。人里離れたところにある、ローマ遺跡のヴォルビリウスから、持参した携帯で鎌倉の実家に電話したら、ちゃんと繋がって父親が出たからビックリもしたっけ(笑)。
 タジン(モロッコ料理)も、色んな種類を食べられて美味しかった。個人的には、マトンとプルーンの入ったヤツと、肉団子と卵が入ったヤツが好きだったな。あと、パスティラという、鳩の肉をパイで包み焼きして、上にアーモンドと砂糖がまぶしてある、不思議な料理(笑)。しょっぱいんだか甘いんだか、何とも形容しがたい味なんだけど、でも不思議と美味しいのだ。
 あとはやっぱり、屋台のオレンジ・ジュースですな。生のオレンジを、その場でギュッギュッと幾つか搾って、ガラスのコップに入れてくれるの。疲れて喉が渇いたときには、これが一番でした。イランやパキスタンのザクロ・ジュース以来の、感激の美味しさ(笑)。

 映画は、ブログでもいろいろ書きましたが、輸入DVDで見た未公開映画に、感銘を受けたのが多かったような。
 何だかねー、最近「これは見たい!」って楽しみにしてたヤツが、劇場公開されずってパターンが多くて……。昨年暮れだったかも、ドイツ映画の実写版『クラバート』が、ドイツ映画祭か何かで上映されて、どーしてもスケジュール的に行けなかったんで、いつか一般公開されるんじゃないかと待ちつつも、けっきょくそれっきりでソフト化もされてないみたいだし……。
 そんな中で、『キング・ナレスアン』の日本盤DVDが無事出たのは、もうホント嬉しかったし、この間書いたように、『戦場でワルツを』を無事劇場で見られたのも嬉しかった。
 現在公開中のヤツだと、『監獄島』は、愛しのストーン・コールド・スティーブ・オースチン様主演だから気にはなるんだけど、内容的にどんなものなのか(笑)。ストーン・コールド様だけが目当てだったら、脱ぎっぱなしのプロレスのDVD見てた方がオイシイかも知れないし(笑)。因みに、このストーン・コールド様のプロレスの輸入盤DVD、私の気付かないところでウチの相棒が、ジャケを見てレザー系ゲイAVだと勘違いして、ホクホク喜んで再生し、中身を見てガッカリしたという逸話が、我が家にはあります(笑)。
 あと、映画じゃなくてテレビドラマですが、年末になってNHKの『坂の上の雲』を見たら、思いのほか出来が良くてハマってしまった。このドラマのことを何も知らなかったので、何を見るでもなく漫然とテレビを点けたら、第三話の再放送をしている最中で、軽い気持ちで「お〜、明治ものだ!」と見始めたら、そのまま最後まで目を離せなかった(笑)。
 私は普段、連続テレビドラマを見る習慣が全くないんですが、こればかりは、残り二話もしっかりチェック。放送時間になってテレビの前にやってきた私を見て、相棒が「ひゃ〜、珍しいね!」と驚いてた(笑)。というわけで、気に入ったにも関わらず、一話から三話前半までは未見なので、年明けとかにまた再放送してくれないかしらん。それとも、さっさとDVD出すとか……って、NHKだとDVDも高価そうだけど(笑)。
 それとまあ、こーゆーゲイはけっこう多いんじゃないかと思いますが、広瀬武夫役の藤本隆宏ってイイですね(笑)。相棒も「誰だい、これは?」と目を輝かせていました(笑)。越中褌でのヌードがあったので、今度は六尺姿を希望(笑)。
 昔の東宝の『日本海大海戦』では加山雄三だったけど、あたしゃこっちの藤本氏の方がダンゼン好きだ。しかし、気に入ってしまっただけに、今から「杉野はいずこ」のシーンを見るのが、怖いような楽しみのような……。

 マンガは、ブログで紹介しそびれていたヤツだと、何と言っても吾妻ひでおの『地を這う魚 ひでおの青春日記』が素晴らしかったなぁ。

地を這う魚 ひでおの青春日記 地を這う魚 ひでおの青春日記
価格:¥ 1,029(税込)
発売日:2009-03-09

 何がいいって、面白いとかしみじみするとか、そーゆーのもあるんですけど、何よりかにより作品全体の空気感がタマラナイ。その空気感に浸りたいがために、もう何度読み返したことか。
 自分が入っていきたくなる世界がそこにある、個人的な大傑作。
 最近買ったヤツでは、夢枕獏/伊藤勢『闇狩り師 キマイラ天龍変』1巻。

闇狩り師 キマイラ天龍変 1 (リュウコミックス) 闇狩り師 キマイラ天龍変 1 (リュウコミックス)
価格:¥ 590(税込)
発売日:2009-12-16

 雑誌『リュウ』を、オマケの手ぬぐいとクリアファイルに惹かれて買ったら(って小学生かい)、そこに連載されていたマンガで、絵に勢いがあってカッコイイので、単行本出たら買おうと待ち構えておりました(笑)。
 もともとが小説の外伝的な位置づけらしく、ストーリーの方はちょっとよーワカラン部分もあるんですけど(夢枕氏の小説も、浅学にも私は、20年以上前に『猫弾きのオルオラネ』を読んだっきりだし)、やっぱ勢いのある絵と迫力のある画面構成がカッコイイです。
 しかし、ドーデモイイことなんですけど、この伊藤勢といい、伊藤真美とか伊藤悠とか、伊藤姓のマンガ家さんって、絵に勢いがあって画面構成に迫力のある、カッコイイ作風の方が多くありません?(笑)
 何だか、だんだん「今年を振り返る」じゃなくて、ただの「近況つれづれ」になってきたので、ここいらへんでオシマイ。

プレゼント

 予約していたブツが、クリスマス当日に届きました。
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 キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
 というわけで、小学館クリエイティブの『ジャングル大帝 マンガ少年版 豪華限定版』です。ご覧のように、輸送用のケースに入っております。

 で、それを開けると……
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 チョコレートのギフトボックスみたいな、黄金色の外箱が。前に買った『完全復刻版 新寶島 豪華限定版』と同じパターンですな。

 で、それも開けると……
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 B5版ハードカバーの本2冊と、付属の小冊子、複製原画なんかが出てくる。
 まだパラパラとめくっただけで、きちんと読んではいないんですが、やっぱ大判なのと、カラーや2色ページが再現されてるのは嬉しいなぁ。
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 というわけで、期せずして自分から自分へのクリスマス・プレゼントをゲットしました(笑)。
 実は、「ちぇっ、なかなか届かねェなぁ」なんて思ってたんだけど、こーゆーオチだと、ちょっと嬉しい(笑)。

 そういやこの黄金の外箱って、ガキの頃に良く見かけた、クリスマス用のチョコレート・ギフトを思い出させますね。表面がクリスマス・モチーフのレリーフになっているデッカい板チョコで、付属の小さい金属製のハンマーで砕きながら食べるやつ。
 あれは、外箱のゴージャス感といい、レリーフの物珍しさといい、ハンマーで砕くギミック感といい、少年時代に大好きだったっけ。懐かしい(笑)。
 で、『ジャングル大帝』も、少年時代の記憶と密接に結びついているので……って、流石に私は、このマンガの連載をリアルタイムで知っている年代ではないんですが、テレビアニメと、親に買って貰ったレコード『子どものための交響詩 ジャングル大帝』が大好きだったもんで、ますます懐古的な気分に(笑)。
 自分が使っていた幼児用スプーンも、レオの絵が付いていたし、レオの顔の形をしたお風呂用のスポンジなんてのも使っていた記憶が。確かスリットが入っていて、中に石鹸を入れられるようになっているの(笑)。
 そんなこんなで、ちょいノスタルジー気分の、クリスマス当日でした。
 しかし、こんな気分になってしまうと、頭の切替をしてゲイSMマンガを描く仕事に戻るのが、ちょいと厄介でもあります(笑)。

『シュマリ』のホモソーシャル性とホモセクシュアル性

シュマリ 1 (手塚治虫文庫全集 BT 25)シュマリ 2 (手塚治虫文庫全集 BT 26)
 手塚治虫文庫全集で『シュマリ』が出ていたので、久々に読みたくなって購入。例によって、私の持っていた本(小学館文庫版)は、実家に置いてあって手元にはないもんで。
 で、およそ20年ぶりくらいに再読したら、中盤で描かれるシュマリと人斬り十兵衛の関係性に、やけにドキドキしちゃったりして。
 というのも、基本的にこの二人の関係は、あくまでも「男同士の固い友情」、つまりホモソーシャル的なものなんですが、今回再読したら、そこに、ホモソーシャルからホモセクシュアルへと揺らぐ、微妙な「危うさ」のようなものを感じてしまっだのだ。
 加えてこの十兵衛というキャラが、ヒゲ面の中年男だし、腕や足にはしっかり毛も生えているし……まあこれは手塚マンガの常で、コマによってあったりなかったりするんですけど(笑)、内面的にも、過去を捨てた寡黙で一本気な男、しかもめっぽう腕も立つ、という、ツボのド真ん中を付いてくるタイプで、オマケにしょっちゅう、褌一本の裸になるもんだから、なおさらドキドキしたりニヤニヤしたり(笑)。

 具体的に、どーゆートコロにドキドキしたかというと、シュマリと十兵衛は、札幌の集治監(監獄)で出会うんですが、最初はフツーに、互いにタダモノならぬ気配を感じて牽制し合うような、いかにも「男と男」の関係なんですな。
 ところが、とある事件をきっかけに、十兵衛はシュマリに一目置く……というか、その男気に惚れて、シュマリが炭坑に移送されると、自分も一緒についていくことを望む。
 で、いざ炭坑に移ると、二人は起居を共にするようになるんですが、ここでの十兵衛は、シュマリのためにたすき掛けで料理は作るわ、針仕事はするわ、弁当のオカズに気を配るわ、あまつさえ、食卓で物価の高さに愚痴をこぼしたり、厨房で後かたづけをしながら情歌めいた都々逸を口ずさんだり……と、まるでシュマリの女房のように振る舞うわけですよ。
 はぐれ者のいかつい野郎どもが、こうして二人身を寄せ合って暮らすというのは、それだけでも私的には、かなり「萌え」なシチュエーションなわけで(笑)。
 では、どこが前述の「危うさ」に通じるかというと、基本的に、「男が男に(精神的に)惚れる」という、ホモソーシャル的なリレーションシップとは、これは、二者が互いに相手を「オス同士」だと、認め合っていることが前提となるわけですよ。
 ところが、この場合の十兵衛は、シュマリの中に、自分の「オスらしさ」を越える「男性性」を見て、共に生きたいと願った結果、自らシュマリの女房役を買ってでている。つまり、「対等のオス同士」だという関係は、この段階で既に崩れているんですな。

 そこでちょっと、十兵衛がシュマリの男気に惚れた「事件」を、改めて振り返ってみると、未読の方のお楽しみを削がないように詳細は省きますが、実はこの事件は、「男根の切断」で始まり「睾丸の粉砕」で終わっている。
 となると、いささか強引ではありますが、この一連の流れを構造的に整理して考えると、以下のような構造が浮かびあがってくる。
 まず、オスだけの社会で、あるオスAが自分の強さを誇示するために、他の弱いオスを力によって去勢する。
 そこに、もっと強いオスBが現れて、オスAはオスBに負けて去勢されてしまう。
 それを見ていたオスCが、オスBの中に自分を越えるオスらしさを認め、そこに惚れ込む。
 そして、オスBが群れを離れる際、行動を共にすることを望んだオスCは、自らに状況的な去勢を施す……つまりジェンダー・ロール上でフェミナイズすることによって、オスBと「つがい」の関係になろうとする。
 どうです、こう書くと、かなり「危うい」感じでしょう(笑)。

 まあ、深読みのし過ぎだと思われるのは、重々承知のうえではあります。
 しかし、実際に十兵衛が、炭坑に移送されるシュマリについていきたいと望む場面では、彼は「道行き」なんていう、男女の駆け落ちや心中行の意味がある言葉を使っていたりするんで、こりゃ深読みもしたくなるってもんです。
 そして、もっと後になって、十兵衛の昔馴染みだったらしい「なつめ」という女が出てくると、こういった「危うさ」が、もっと深まってくるんですな。
 なつめは、十兵衛を慕って追ってきたんですが、それを十兵衛は「そんな女は知らない」と突っぱねる。そんな十兵衛に対して、シュマリはそれとなく「その女と一緒に行け」、つまり、自分ではなくその女と「つがい」になれと勧める。すると十兵衛は、こう答える。

見損なっちゃ
いけねえ
おれはおまえと
死ぬまで離れんと
決めたんだ
おれにとっちゃ
おまえさんしか
頭にないんだよ

 という感じで、こうなるともう、恋愛感情による三角関係の様相と、構造的には同じなわけです。
 もちろん全体を通じて、あくまでも「男と男のあつい友情」という枠は、外見的には崩れてはいないんですけれど、どうも私には、このシーンが「ホモソーシャルという分厚い楯の隙間から、一瞬、秘められたホモセクシュアル的な情念が噴出した瞬間」のように見えてしまう。

 こんな感じで読み解いて(或いは意図的に誤読して)いくと、まだまだ他にも気になる要素が出てくる。
 例えば、なつめというキャラは、初登場時に「男装」しているんですな。
 まあ、こういった異性装というのは、手塚作品では定番のネタなので、それほど特別視することではないんですが、しかし、十兵衛が以前関係を持っていた「女」が、こういった「男装」が可能な、つまり、性差にアンドロギュヌス的な「曖昧さ」を持つキャラクターだということは確かなわけで。
 また、この場にはもう一人、オス的な獣欲の塊のような、弥十という男(これ、音が「野獣」と同じなあたりが、いかにも手塚作品っぽい)が居合わせている。
 弥十は、なつめが女であることに気付き、オスとしての欲望の手を伸ばす。それを感じたなつめは、十兵衛に庇護を求める眼差しを向けるんですが、十兵衛は全くそれに気付かない。この場面のみならず、十兵衛が女に対して、何らかのオス的な興味を示すシーンは、全体を通して皆無なんですな。
 更にもっと言うと、十兵衛が捨てた過去の中にも、男色や衆道といったものに結びつけることが可能な要素があったりする。
 とはいえ、この件に関しては、読者の知識次第で、そういう深読みも可能になるというだけで、マンガの中でそういった部分に関する言及があるわけではないですし、前述した知識というのも、一般的というよりは、かなり偏向したものだとは思いますが。
 まあ、こんなことを考えていると、どんどん「ゲイ的な興味」から「やおい的な妄想」になってしまいそうなので、ここいらへんでヤメにしておきましょう(笑)。

 そんなこんなで、もともと『シュマリ』という作品は好きだったし、十兵衛だけではなく、お峯さんとかポン・ションとか、好きキャラもいっぱいいたんですけど、今回の久々の再読では、やっぱりこの十兵衛が絡む第11章から第23章までが、特に印象に残りました。
 でも不思議なことに、最初に読んだときも……これは確か高校生の頃だから、ひゃ〜30年前だ(笑)、それから何度か再読したときも、十兵衛とシュマリの関係性にジーンときたり感動した記憶はあるけれど、こういう感じでドキドキしたっつー記憶は、全くなかったりします。
 ひょっとしたら、歳くってプラトニック・ラブに憧れるようになったのかしらん(笑)。それとも、やおい脳が進化しちゃったのかも(笑)。

つれづれ

 両親の金婚式のお祝いで、久々に実家へ帰省。とはいえ、私は東京在住、実家は神奈川なので、帰省といっても超短距離なんですが。
 母と雑談していたら、先日レヴィ=ストロースが100歳で亡くなったという話題になり、私が「死んだことより、まだ生きていたことにビックリした」と言ったら、母も同様で「もっとずっと昔の人だと思ってた」そうな。同じように感じられた方、けっこういらっしゃるのでは。
 とはいえ私は、その名前と『悲しき熱帯』の書名を知っているだけで、実際には読んだことがない。で、家にあるかと尋ねたところ、あるとのこと。「もう読まないから、持っていっていいよ」と言われたので、ありがたくいただいてきました。
 でも、ハードカバーの上下巻だし、ムズカシソウだし、読了できるか、ちょっと自信なし(笑)。文化人類学には興味があるけど、現代思想とかはサッパリだしなぁ。親にも「けっこう手強いよ」と脅されてしまった(笑)。

 別の休日、天気が良かったので、散歩がてら清澄庭園へ。
 紅葉が見られるかと思ってたけど、赤くなっていたのは一本だけ。想像していたよりも狭かったし、けっこう人出も多かったし、背景に高層ビルも見えるし……と、日本庭園的な滋味はあまり満喫できず。全国から集めたとかいう名石の数々も、ちょいとスペースに対して数が多すぎる感じで、何だか成金趣味に見えちゃったなぁ。
 とはいえ、池の周りをぐるりと散歩するのは気持ちよくて、しかもその池にカモやらカメやらコイやらがウジャウジャいるので、ついつい庭の風情よりも、そっちの生き物たちに目が釘付けに(笑)。
 そんなわけで、写真はそんなカモとカメとコイの三位一体図。略してKKK(違う)。三種類同時に1フレームに収まるように、シャッターチャンスを狙うのが、けっこう難しかったです(笑)。

 最近買ったマンガ本。

芋虫 (BEAM COMIX) 『芋虫』丸尾末広/江戸川乱歩

 何てったって、乱歩の『芋虫』といえば、私自身も大きく影響された小説だし(で、『闇の中の軍鶏』とか『だるま憲兵』を描いた)、丸尾末広さんのマンガと乱歩といえば、昔の短編でも『芋虫』ネタを扱ったものがあって大好きだったし(『薔薇色ノ怪物』とかあそこいらへんの初期の短編集で読んだんだけど、手元に本がないので、タイトルや収録単行本が判らず)、前の『パノラマ島綺譚』もホント素晴らしかったから、大いに期待して購入しました。
 その期待は裏切られず、やはりすごい作品だった。当然のことながら、『パノラマ……』の時の何かを突き抜けたような絢爛豪華さとは異なり、今回は薄暗く閉じた世界で繰り広げられる性的でグロテスクな美の饗宴なので、もう私のハートはますます鷲掴みに。
 毎日毎日、繰り返し飽きもせず眺めております。

 最近見たDVD。

ロード・オブ・ウォリアーズ [DVD] ロード・オブ・ウォリアーズ(2006)モンス・モーリンド/ビョルン・スタイン
“Snapphanar” (2006) Måns Mårlind / Björn Stein

 例によって酷い邦題には閉口しますが、17世紀、スカンジナビア半島南端にあるスコーネ地方の所有権を巡って、デンマークとフィンランドが戦った「スコーネ戦争」を描いた史劇です。スウェーデン/リトアニア/デンマーク/フィンランド/ノルウェー合作のテレビ映画。
 北欧史なんて何も知らないので、当然このスコーネ戦争も初耳。加えて映画の主人公たちが、デンマーク軍でもフィンランド軍でもなく、その時点ではフィンランドに属しながらも被差別下にあるスコーネ地方で、自由を求めてデンマーク軍に加わっている義勇軍なので、パワーバランス的にもちとヤヤコシクて、最初のうちはキャラクター配置を掴むのがちょっと難しかったりしましたが、いったん乗ってしまえば後は快調、波瀾万丈の起伏に富んだストーリーをたっぷり楽しめます。
 内容的には、娯楽活劇とシビアな歴史劇の折半といった感じで、ちょいとそこいらへんが上手く噛み合っていない感はありますが(IMDbを見ると、どうやらこのDVDはオリジナルより14分短い短縮版のようなので、そのせいもあるのかも)、キャラクター・ドラマとしては個々の登場人物が魅力的だし、それを上手く生かしたグッとくるシーンも多々あるので、見ている間、2時間40分という長さは全く感じさせませんでした。
 ただ、本格的な歴史劇を期待してしまうと、フォーカスが施政者ではなく市井の人々なので、国家間のドラマ描写が少なかったり、いささか処理が安易だったりするのが物足りなくはあります。
 映像的には、ゲリラ戦的な手法のスコーネ義勇軍がメインなので、大規模な戦闘シーンはないせいもあり、物量感やスケール感はそれほどでもありませんが、いかにも寒々しい北欧の風景とか、貧しい農村とか城塞といったセット(後者は本物かも)とかは、ちゃんと必要充分以上の説得力あって佳良です。
 そんなこんなで、まあ何といっても稀少な題材ですし、モノガタリ自体はなかなか面白いので、コスチュームものがお好きだったら見て損はないです。
 あ、例によって責め場もあり。上半身裸にされた主人公が、鎖で両腕を左右に引っ張られ、見物人に囲まれて背中をフロッギング。雰囲気はけっこういいです。
 でも、主人公がマッチョではなく、どっちかというと優男なのが、私個人にとってはマイナス・ポイントだったり(笑)。ヒゲはあるけど、顔立ち自体はあんまタイプじゃないし(笑)。

『W(ワンダースリー)3』手塚治虫文庫全集版

 本屋に行ったら、手塚治虫文庫全集の第一回配本が並んでいたので、『W(ワンダースリー)3』(以下『W3』)全二巻を購入。

W3(1) (手塚治虫文庫全集 BT 15) W3(2) (手塚治虫文庫全集 BT 16)

 最大のお目当ては、2巻に収録されている「少年マガジン版」の復刻。
 馴染みのない方に簡単に説明しますと、『W3』は最初は「週刊少年マガジン」に連載されていたものの、とあるトラブルによって連載が中断、仕切直しを経て「週刊少年サンデー」で再連載されたという経緯があり(詳しくはWikipediaの「W3事件」でも見てください)、これまで単行本等で読むことができたのは、「少年サンデー版」の方。
 で、今回の文庫では、1巻と2巻の中途まで従来の「少年サンデー版」ベースの全編を収録し、2巻の後半に「少年マガジン版」の雑誌掲載分を復刻、という形になったもんですから、ウホウホ喜んで買ってきたわけで。

 まあ、未収録分を読むというためだけなら、2巻だけを買っても良かったんですけど、私の持っている『W3』の単行本(秋田書店サンデーコミック版)は、何てったって自分が小学生の頃(笑)に買ったものですし、実家に置いてあって手元にはないから、1巻も一緒に買いました。あともう一つ、あんまり大きな声では言えない個人的事情もあるんですが……それは後述(笑)。
 というわけで、「少年マガジン版」を全部読むのはこれが初めて(第一話の冒頭だけ何かで見た記憶あり)なんですが……
 ナルホドねぇ、これまで自分が読んでいた最終版の『W3』では、主人公・真一(および小川村を巡るアレコレ)と、主人公の兄・光一(および秘密組織フェニックスを巡るアレコレ)の間に、どこか微妙に埋まりきらないような齟齬を感じていたんですが(とはいえ、そういった齟齬……具体的に言うと、前近代的な日本の農村風景と、モダンな国際スパイ映画的な世界と、銀河スケールのSFテイストが、ひとかたまりになったストーリー……も、私にとっての『W3』の魅力の一つなんですけど)、当初の「少年マガジン版」では、こういった絡みかたをしていたんですか。これならきちんと繋がるなぁ。納得。

 作劇法の差異も興味深くて、モノガタリ全体の輪郭を最初から露わにしている最終版に対して、「少年マガジン版」は、謎の提示を冒頭に置き、関係の読み取れない複数の事象を並行して進行させ、やがてモノガタリ全体の大きな輪郭が見えてくる……という作りになっていて、これはかなり惹き込まれる。以前どなたかが(確か、みなもと太郎氏だったと思うけど)、「仕切直し後(つまり最終版)の『W3』を読んで、「少年マガジン版」との違いにガッカリした」といったようなことを、書かれているのを読んだ記憶がありますが、なるほど、その気持ちも判ります。
 ただ、作劇が魅力的とはいえ、同時に、光一青年とフェニックスの関わりとかは、今となっては荒唐無稽に過ぎる感もあるので、そこいらへんのディテールを割愛してモノガタリの枠外に置いてしまった最終版の方が、やはり「正解」なのかな、って気はします。それに、真一少年のキャラクターも、「少年マガジン版」のあか抜けたカッコイイ少年よりも、やっぱ最終版の、『無法松の一生』か『けんかえれじい』かってな、不器用で無骨(少年の形容には相応しくない言葉ではありますが)な少年の方が、私にとっては魅力的。

 しかし、改めて読んでみると、小川村のアレコレとか、エンディングのムードとか、ガキの頃に読んだときよりも、大人になった今の方が、ノスタルジーとかいろいろ入り交じって、なんか、しみますね。
 さて……と、前述した「私が1巻も買った大声では言えない理由」ですが……ま、判る方にはお判りですよね(笑)。毎度毎度こんなネタで申し訳ないんですけど、幼心にもアレ的にムズムズしたという意味でも、この『W3』には思い入れがありまして。
 この文庫全集版で言うと、210〜211ページ、285〜288ページあたりがソレなんで、お手持ちの方はご確認あそばせ。二つあわせて見ると、思っくそご納得いただけると思います(笑)。
 しかしまあ、久しぶり(20年ぶりくらい?)に再読したんですけど、我ながらホント、三つ子の魂百までとゆーか、雀百まで踊り忘れずとゆーか、自分の「変わってなさ」に呆れてしまう(笑)。

“Secret Identity: The Fetish Art of Superman’s Co-creator Joe Shuster”

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“Secret Identity: The Fetish Art of Superman’s Co-creator Joe Shuster”

 ヘテロ系ヴィンテージ・フェティッシュ・アート画集(洋書)のご紹介。
 書名からもお判りのように、この本は、誰でも知っているアメコミ由来のスーパーヒーロー『スーパーマン』の生みの親の一人、作画担当のジョー・シャスターが、”Nights of Horror”というアンダーグラウンドなフェティッシュ雑誌に発表した、イラストやマンガを集めた画集です。
 まず、何よりかにより、アメリカ的な健全明朗さを絵に描いたようなスーパーマンの、オリジナル・クリエーターが、こんなボンデージ画やサドマゾ画を描いていた……という事実にビックリ。
 もちろん私は、そのオリジナル版アメコミの『スーパーマン』は読んだことがないので、実感としては良く判りませんが、それに慣れ親しんできたアメリカのファンにとっては、この画集に収録されているフェティッシュ・アートの数々は、どう見ても「クラーク・ケントやロイス・レーンやジミー・オルセンやレックス・ルーサーが、裸でSMに興じている」としか見えないらしく(……と、解説にそんなことが書いてあります)、そりゃ、衝撃度やお宝感もさぞや大きいんだろうなぁ……なんて思ったり。
 とはいえ、件のアングラ雑誌は、発行されていたのが1950年代ということもあり、絵の内容自体は、現在の我々の目には、ごくごく大人しく映ります。
 拘束された裸の男女が、鞭で打たれていたり焼きゴテを押されたりしてはいても、陰部は決して露出しない。絵柄が淡泊で表情もシンプルなせいもあり、性的や暴力的な情景が描かれていても、何となくノンビリほんわかしたムードがあって、時としてキュートで愛らしくさえ見えます。
 というわけで、この画集の場合、絵の内容そのものよりも、スキャンダラスな話題性の方が大きい、という感は、正直否めません。
 じっさい、同じくヴィンテージ・フェティッシュ・アートでも、ジョン・ウィリーやエネグやエリック・スタントンなんかの作品と比べると、エロティック・アートとしては、かなり薄味ですしね。

 ただ、個人的に、この人の描く「マゾ男」には、大きく興味を惹かれます。
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 本書の収録作のうち、表紙や上のサンプル画像のような「男マゾもの」の絵は、全体のおよそ3〜4割と、決して多くはないんですが、そこで描かれている被虐者には、世間一般で見られる「男マゾもの」とは、ちょっと異なる特徴があるんですな。
 概してノンケ作家さんの描く「男マゾもの」は、美しく強い女性から、侮蔑され虐げられながら、そこにマゾ男は被虐の悦びを感じ、女性を女王や女神として崇める……といった構図が多い。絵画だと、古くはエリック・スタントンから現在では我が国の春川ナミオに至るまで、被虐者の男の「情けなさ」や「みじめさ」が強調されている。
 ところが、このジョー・シャスターの描く「男マゾもの」には、それがほとんど見られない。シャスターのマゾ男には、スタントンのマゾ男の「哀れさ」や、春川ナミオのマゾ男の「矮小さ」といった要素は、微塵も見られない。また、フェミナイズによる恥辱といった要素も皆無です。
 そもそも体型からして、被虐者の男は皆、筋肉隆々のヒーロー体型ですし、責めを受けているときの表情も、「惨めに泣き叫ぶ」ではなく、「男らしく耐える」風に描かれている。いかにも『鋼鉄の男』と賞される世界的なヒーローの、生みの親らしい作風。
 つまり、シャスターの男マゾ絵は、世間的に(おそらく)多勢を占めるであろう、「自らを貶めることに酔うマゾ」とは、明らかに異なっている。画家自身のマゾヒズム傾向の有無や、その指向性については、私は何とも言えませんが、しかし少なくとも彼の描いた絵からは、以前ここで『野郎系パルプ雑誌の表紙絵』について書いたときと同様に、「苦難に耐える自分の男らしさに酔うナルシシズム系のマゾ」の香りが、濃厚に漂ってきます。
 それが、私の変態アンテナにビンビン反応するので、こうしてご紹介する次第。

 まあ、前述したように、エロティシズムそのものは薄味ですが、例え直截的なエロスは期待できなくても、絵そのものには、サブカル好きの方にウケそうな、ちょっとユルくてキュートな魅力があるし、その絵の雰囲気を活かした、ポップで明るくて品の良いデザインやレイアウトも、実にいい感じ。
 約22センチ四方の正方形という、版型のコンパクトさも、本の内容に良く合っています。造本もしっかりしていて、印刷も美麗。ちょっと、ギフト・ブック的なかわいさもあったりして。
 あと、作家の生い立ちや、時代背景などを絡めた解説も読み応えありそう(けっこう長いんで、まだほとんど読んでないんですけど)だし、序文がスタン・リー、裏表紙の推薦文はアレックス・ロスという豪華さなので、アメコミに興味のある方なら、資料的な価値も高いかも?
“Secret Identity: The Fetish Art of Superman’s Co-creator Joe Shuster”(amazon.co.jp)

『三羽のカラス』とか”XXL”続報とか

Sanwanokarasu_2 児雷也大画伯から、御著『三羽のカラス』を頂戴しました。ふふふ、サイン入り。役得、役得。
 大画伯のマンガは、基本的にはほのぼのラブラブ系が多いけど、今回の単行本は、ちょっとダークなヤツとか、ちょい無理矢理系とか、ボンデージのシーンとか入っていて、嬉しいなぁ(笑)。でも、もし収録作から一番のお気に入りを選べと言われたら、ハートウォーミング系の『希望町三丁目富士乃湯物語』。私の趣味からすると、意外かもしれないけど(笑)。
 それにしても、どのページもどのコマも、画面の密度が濃いこと濃いこと。おかげで、読み終わるのに、えらい時間がかかったぃ(笑)。
 あとは、凝り性の大画伯らしく、これ、装丁もレイアウトも、全部ご自分でおやりになったんでしょうね。完成原稿を、ネーム入力済み(&陰部修正済み)のQuarkXPressファイルで納品するマンガ家なんて、大画伯の他にいらっしゃるんでしょうか。
 因みに、御自身のブログで、以前、

「『三匹のブタ』発売おめでとうございまーす」と。
なにその児童図書っぽいタイトル。

などとお書きになっておられましたが(え〜、いつも画伯には大先生呼ばわりされてるので、そのお返しに、ちょっと通常以上に敬語調にしてみました)、じっさい、カバーを外すとホントに児童図書っぽく見えたりして(笑)。こーゆー感じの本、学級文庫とかにあったような(笑)。
 あ〜、あといい機会なので、世間様、特にノンケさんと腐女子の皆様に一言。
 え〜、よく私の絵を「ガチムチ」呼ばわりされる方がいらっしゃいますけど、基本的に私のキャラはただの「マッチョ」でして、「ガチムチ」じゃないんですよ。ホントーの「ガチムチ」ってのは、児雷也大画伯のお描きになるような男のことを言うんです。
 さて、もう一つ書籍情報。
 以前ここで紹介して、その後ここで「amazon.co.jpでの取り扱いがなくなっちゃった」とお伝えした、世界のゲイ・アートの超マエストロ、Tom of Finlandの超豪華画集”XXL”ですが、また復活していました。マーケット・プレイスですけど、今ならamazon.co.jpで入手可能なようです。
“XXL” Tom of Finland (amazon.co.jp)
 前回、買い逃して悔しい思いをした方、いらしゃいましたら、今がチャンスかも。

マンガとか

 宝島社・刊『このマンガがすごい! 2009』で、拙著『外道の家』が、オトコ編36位にランクインしておりました。
 確かこのシリーズでは、以前にもピックアップコーナーみたいなとこで、拙著『男女郎苦界草紙 銀の華』を取り上げていただいたことがありますが、ランキングに入ったのはおそらく初めてです。嬉しい、嬉しい(笑)。
 因みに、選者による個別ベストの方には、児雷也画伯の『仰ゲバ尊シ』と大久保ニューさんの『坊やよい子だキスさせて』という、ゲイ雑誌発のマンガが二冊入っていまして、これまたなんか嬉しいですね。
 さて、これだけではなんなので、ついでに自分が今年買って、印象深かったマンガについても、ちょっと列記してみましょうか。
 あ、でもベストとかそーゆーんじゃなくて、個人的に「これ、好き!」ってヤツを。
暁星記』菅原雅雪
 これが無事完結したってのが、私にとって、今年最大のニュースかも。いやホント、雑誌で第一話を読んで夢中になってから、掲載誌変更や単行本描きおろし形態への移行も含めて、ず〜っと、ず〜っと、続きを心待ちにしながら追いかけていたもんで……。無事完結なんて、ホント、夢じゃなかろか。
 あ、因みに半裸のガチムチキャラも、いっぱい出てきます(笑)。
天顕祭』白井弓子
 帯の「古事記ロマンファンタジー」という言葉に惹かれ、書店に備え付けられていた立ち読み用のサンプル小冊子を開いたら、主人公がカッコイイ無精ヒゲの鳶職だし、絵柄もステキだったので、そのままレジへ。実は、やはり帯に元来は同人誌発のマンガとあったので、ひょっとしてやおい風味もあるのかとヨコシマな期待感もあったんですが(笑)、そうではありませんでした。でも、そんなこととは関係なしに、内容に大満足。
 え〜、前述のヨコシマな期待感に関して、ちょっとイイワケさせていただくと、何も「女性作家の同人誌=やおい」という思いこみがあったわけではないんです。ただ、マンガの鳶さんの絵を見たら、ふと、むか〜し同人誌や「June」に、ガテン系のオッサンたちのやおい(これ、やおいやBLが「美少年マンガ」とか「耽美マンガ」とか呼ばれてた当時は、すごく珍しかったんです)を描かれていた、まのとのま(……だったと思う)って作家さんのことを連想しちゃったのだ(笑)。
らいでん』塚脇永久
 雑誌で見た新連載予告カットで一目惚れ。日頃買ったことのない月刊少年誌を買いに、思わず本屋に走りました。以来、単行本を心待ちにしており、めでたく第一巻発売時にも即購入。というわけで、「この絵、好き!」ってのがきっかけで、読んでみたら話もキャラも好きだった、というパターン。
 あ、筋肉絵好きの方にもオススメです。
夜長姫と耳男』近藤ようこ
 単行本『月夜見』で知って以来大好きで、特に『妖霊星』は、確実に、我が生涯通じてのマンガベストテンのうちの一本なんですけど、坂口安吾原作の本作もまた、やっぱりクライマックスで鳥肌が。
錆びた拳銃』谷弘兒
 かつて「ガロ」や「幻想文学」あたりで拝読して以来、好きな作家さん。寡作な方(たぶん)なので、近所の本屋さんで、この新作単行本を見つけてビックリ、即購入。『薔薇と拳銃』の印象が強いせいか、レトロと猟奇とエログロナンセンスとラヴクラフトが、渾然一体となった作風の作家さんという印象でしたが、本作では、猟奇とエログロはなし。
 表題作は、均整の取れた肉体美の二人のマドロス青年というキャラクターのせいか、どことなくコクトーやジュネの描くホモエロティシズムに通じるものを感じます。
童貞少年』やながわ理央
 ノンケさん向けエロマンガですが、この作家さんの描く少年キャラは、カワイイながらもちゃんとオトコノコオトコノコしていて、かなり好き。そんな少年たちが、ボイン(死語)なお姉さんたちに、あの手この手で筆おろしされる短編集。
 あ〜、この少年キャラで、以前ロリキャラで描いていたみたいな、「公園のホームレスに輪姦されたあげく、全員から小便を引っかけられる」話を描いてくれたら、もうサイコーなのに……って、いくら何でもそれは無い物ねだりですな(笑)。
愛玩少年』水上シン
 以前、献本でいただいた雑誌で拝読して以来、続きが気になっていた作品で、偶然アマゾンで単行本が出ているのを見つけて購入。いわゆるBLですけど、まだ「美少年マンガ」とか「耽美マンガ」とか呼ばれてた頃みたいな、ナルシスティックでお耽美な雰囲気があるところが好き。
 あと、レトロだし、軍服だし、加虐と被虐もあるし、少年は坊主頭だし……と、好きツボもイッパイ。
 う〜ん、しかし改めて最後の二つを見ると、果たして自分が本当にマッチョ系ゲイマンガ描きなのかどうか、我ながら自信がなくなってきた(笑)。

つれづれ

 ここのところ連日、『ザ・チャイルド』『ファンタズム』『パンズ・ラビリンス』と、発売を楽しみにしていたDVDが届いてホクホクなんだけど、現在我が家では、HBO&BBCのテレビシリーズ『ROME ローマ』を連夜鑑賞中なので、これらの封を開けるのは、まだまだ先になりそう。
 で、『ROME』ですが、期待に違わぬ面白さですな。歴史ドラマ的な要素と昼ドラ的な要素が、上手い具合にミックスされていて、実にいい塩梅の娯楽作になっている。第一話からいきなり、フロッギングだの、敗将が衆目に晒されながら素っ裸に引ン剥かれて、敵将の前に跪かされるだのといった、美味しいシーンもあるし(笑)。
 まだ第八話までしか見てないので、当分の間は楽しめそう。

 音楽は、ちょっと前まで Social Harp とかShape Notes とか呼ばれる、18世紀アメリカの宗教合唱曲にハマって、良く聴いていました。映画『コールド・マウンテン』で使われていたのを聴いて、宗教曲らしい荘厳さと、民衆的な素朴さが入り交じった美しさが、 すっかり気に入っちゃいまして。
 で、何枚かそれ関連のCDを探して購入してみたんですが、洗練され過ぎていたり荒削り過ぎたりで、どうも帯に短し襷に長しというものばかり。未だに、これといった決定盤に巡り会えないのが残念。

 読書は、オルハン・パムクの『わたしの名は紅』という本を、ちまちまちまちま、ゆっくり時間をかけて読んでいます。オスマン・トルコ時代のイスタンブールを舞台に、一人の細密画家が殺されるところから始まる、ちょっとウンベルト・エーコの『薔薇の名前』みたいな感じの話。
 マンガは、ここんところあまり積極的に読もうという気分にならず、もっぱら献本で戴いた雑誌オンリーだったんですが、久々にガツンと手応えのありそうなものを読みたくなったので、近所の本屋さんの平台に並んでいた中から、江戸川乱歩×丸尾末広の『パノラマ島綺譚』と、沙村広明の『ブラッドハーレーの馬車』を買ってみました。どちらも大いに読み応えありで、大満足の読後感。

 仕事の合間には、息抜きも兼ねて、イタズラ描きなんぞをつらつらと。
 例えば、こんなの。珍しく二次創作で、しかも女性の絵です。
sapphire
 私は、ファンアートは殆ど描くことがないんですけど、先日珍しく、描いてみたい気分になったので、こんな感じになりました。元の作品が何なのかは、まあ言わぬが花ってことで(笑)。
 因みに「あのキャラを、自分のタッチで描くと、どーなるんだろう?」ってな感じで描いていますので、元の絵とは、似ても似つかない造形になっています(笑)。でも、描いてみたら楽しくなっちゃって、ついつい同じキャラの別バージョンと、同じ作品に出てくる別キャラも描いてみたりして。
amairo
 繰り返しますが、元の絵にはちっとも似ていません(笑)。

 さて、オンナノコばかりじゃ色気がないので(……って、どーゆー理屈だって気もしますが)、野郎のイタズラ描きも載っけましょうかね。
raku
 マンガ用のキャラデザを兼ねた、イタズラ描きいろいろ。この中の一人は、現在作業中の短編マンガの主人公。
 ……とまぁ、こんな感じの毎日を送っております、という近況報告でした。