春頃から仕事の合間にちまちま作っていた、Poser 5とVue 5 Espritを使った3DCGムービーが、ようやく3分(笑)ほどの長さになったので、本家サイトの方にアップしました。
まあ、本来なら本家のコンテンツはアダルト向けなので、このBlogでは紹介しないようにしているんですが、今回アップしたムービー、出来たのはまだイントロ部分だけなんで、困ったことに(笑)エロくも何ともない。だから、これならこっちでも紹介しちゃってもいいかな、と。
興味とお時間のおありの方は、見てやってつかあさい。下の画像をクリックすると見られます。
あ、movファイルなので、見るにはQuick Time Player(バージョン6以上)が必要です。それと、サウンド付きなのでご注意をば。
Act 1 (01:40) – 3.4MB
Act 2 (02:04) – 4.4MB
制作手順としては、衣装や小道具などは六角大王 Super 4でモデリングし、六角大王やフリーのUV MapperとPhotoshopなんかを組み合わせてマッピング。
それらをobjファイルでPoser 5にインポートし、ダイナミック・クロスなどの設定をして、フィギュアと組み合わせてから、キャラクター・アニメーションやクロス・アニメーションを作成。フィギュアはどちらもDAZのMichael 2。主人公のカツラとヒゲもDAZ製で、それぞれWedge CutとMillenium Beardというヤツ。
Poseのアニメーション・ファイルが出来上がったら、それをVue 5 Espritにインポートして(その際にMover 5というプラグインを使用)、砂漠や岩山や雲といった背景を配置。カメラワークや大気アニメーションを組み合わせて、シーン全体のアニメーションを設定、レンダリング。
レンダリングされたQuick Time Movieを、iMovieにクリップとしてインポート。
この作業を必要カットごとに繰り返し、ワン・エピソードが揃った時点で、iMovieで編集。
映像の編集ができたら、GarageBandでカットの尺にあわせたBGMを作成。音が出来たらiTuneに書き出し、再びiMovieにインポートして、映像に合わせて編集。
……ってな工程です。
では、作ってみて気になったor気付いたことを幾つか。
ダイナミック・クロスですが、Poser上では何の問題もなかったにも関わらず、それをVueにインポートしてレンダリングすると、たまに挙動がおかしいことがある。例えば2秒のアニメーションを作るとして、おおかたは何の問題もないんですが、その中の1、2フレームだけ、クロスがフィギュアに追従しきれずに、フィギュアがクロスを突き破ったりすることがある。
これに関しては、原因を推察して、回避しようといろいろ試みたんですが、最終的には原因も解決法も見つからず断念。今回アップしたムービーでも、ところどころクロスが破けてしまっているのが、判ると思います。
Vueのレンダリングは早いですが、ちょっとでもボリュメトリック・ライトなんかを使うと、やはりいきなり重くなる。今回は、目が光るシーンで使いましたが……いや〜、たったこれだけなのに、えらい時間がかかった(笑)。これで大気もボリュメトリックにしたり、ソフトシャドウを組み合わせたりしたら、いったいどうなることやら。やらないけど(笑)。
Vueのモーションブラーは、最終レンダリング品質にしても、妙に粒状感が目立って、あまり自然には見えない。レンダリング品質を更に上げれば良いのかもしれないけれど、そうなると私の環境では時間がかかりすぎて、趣味のアニメーション制作という意味ではストレスが大きすぎる。けっきょく今回は、モーションブラーはいっさい使いませんでした。
まあ、気になった点はこのくらいで、あとは至極快適でした。まあ、上を見ればキリはないんでしょうが、少なくとも以前、G4 350MHz + Poser 4でアニメーションを作っていたときよりゃ、何倍も快適です。
ただ、Vueをかませることで「できること」が増えてしまった分、変にあれもこれもと色気を出して、結局はちょっと中途半端になっちゃったかな、という感もあり。前のように、フィギュアと必要最小限の小道具のみで、あとは地面も背景もないマックロケで、ストーリーも演出もヘッタクレもなく、ひたすら「ヤル」だけのムービーの方が、映像的には面白かったような。BGMを付けるのも、付くとちょっとマジっぽくなっちゃって、「シャレですよ、シャレ」といったユルい感じが薄れちゃったかも。
あと、私にとっての3DCGアニメーションの面白さって、多分にパペット・アニメーションやグランギニョルやピグマリオニズムといったものの魅力に近いので、変にリアルっぽくなっちゃうのも考えもの。ハイパーリアルな3DCGって、「すごい」とは思うけど「面白い」とは思わないし。そこいらへん今のハリウッドって、リアル系は実写の補助的役割に集中して、キャラクター・アニメーション系はマンガや人形的なデフォルメ世界を志向する、と、はっきり別れているようで、批判はいろいろあるんでしょうけど、個人的には素直に感心しちゃいます。
とまあ、いろいろあれども、けっこう楽しく作ってきたんですが、はてさて、続きが出来るのは、いったいいつになりますやら(笑)。
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クラシック・エジプト映画のオムニバスDVD
“Music from the Golden Era – Volume 1”
エジプトのRotana Distributionから発売された、昔のエジプト映画から歌のシーンだけを集めた、オムニバスDVDのご紹介。
登場歌手は、ジャケ写にもなっているウム・クルスーム、アブドゥル・ハリム・ハーフェーズ、ファリド・エル・アトラーシュの他、もちろんアスマハーンも……という具合に、アラブ歌謡に興味のある人だったら知る人ぞ知る大御所揃い。
他には、私は初めて名前を聞く人たちで、サイード・アブドゥル=ワハーブ(ちょっと検索してみたら、かのモハメッド・アブドゥル=ワハーブの甥っ子だそうな)、ライラ・ムラード、アーメッド・アダウェヤ、モハラーム・フーアド(ここいらへん、発音表記に自信なし)など。
14曲収録のうち、一本を除いて残りは白黒。カラーの一本は、ファッションからして60年代らしい(サイケなジオメトリック柄のミニスカ・ワンピを着たオンナノコたちが踊ってたから、ちょっとビックリしました)んですが、他はおそらく40〜50年代の映画ではないかと。
歌と音楽は、とにかく素晴らしいの一言。優雅で重厚なストリングスに、コブシがたっぷり効いた歌。アラブ音楽にタンゴなどの要素を取り入れた、ちょっと西洋寄りでポップな歌。コミカルで軽妙な歌。いかにもロマンチックな恋の歌。英語字幕を選択できるので、歌詞の内容が判るのもありがたい。
懐メロ系アラブ歌謡がお好きな方だったら、満足すること間違いナシでしょう。
個人的にお気に入りは、まず夭逝の美人歌手アスマハーンの”Layali El Onss”。長い節回しを見事に聞かせる歌声に加えて、そのオーラを感じさせる堂々たる美貌がズゴい。ジョーン・クロフォードみたいです(笑)。同じDVDで、彼女のライバルだったウム・クルスームの映像を見ると、ちょっと「絵として見たときの冴えなさ」を感じてしまうので、アスマハーンが亡くなったときに「ライバルの抹殺を図ったクルスームの陰謀」なんて流言が出たという逸話が、何となく納得いきます(笑)。
それから、ファリード・エル・アトラーシュの”Mat’olsh Lehad”。レビュー仕立てで、セットや曲調を、タンゴ調、ヌビア(スーダン)風、ベドウィン風と、次々と切り替えながら、尺も長くたっぷりと聞かせてくれるナンバーで、これはかなり楽しい。
アブドゥル・ハリム・ハーフェーズの”Lahn El Wafaa”も、同じくステージ仕立ての長い曲。長いイントロから、彼のソロ、女性歌手とのデュエット、コーラスの掛け合いまで、舞台の袖で涙ぐんでいる老人(どうやらけっこう感動的なシーンらしいので、どーゆー話なのか気になります。このオジイチャンが作曲した歌なのかなぁ)ともども、たっぷり見せて&聞かせてくれます。
同じハーフェーズでも”Ana Lak Ala Toul”になると、今度はギター片手に小舟の上から、出窓に佇む美女に向けて「君に会ってから眠れなくなっちゃったんだよ〜」と歌いかけ。絵面が、何だか若大将シリーズみたい。
他にも、男女六人で軽妙な掛け合いを聞かせる、サイード・アブドゥル=ワハーブの”Alby El Assi”とか、太めのベリー・ダンサーを取り囲んだオジサンたちのコミカルな様子を見せる、モハラーム・フーアドの”Remsh Eino”といった、楽しい系の歌もまたヨロシ。
ともあれ、個人的には大満足。全部で90分あるんですが、見終わったときの印象は「短〜い、もっと見た〜い!」でゴザイマシタ。ま、ここいらへんはVolume 1とあるんだから、2以降に期待いたしませう。
画質は美麗。もちろんフィルムの経年劣化のよる傷等はあるし、全体的に少々コントラストがきつめですが、ディテールの再現性などは極めて良好。アスマハーンのなんて、これが戦前のフィルム(亡くなったのが1944年らしいので)とは思えないくらい状態が良くてビックリ。
音声は、曲によってはちょっと割れているものもありますが、古さを考えれば充分良いといって差し支えないのでは。
リージョン・コードはALL。NTSC。スタンダード・サイズ。字幕は、前述の英語の他、仏語も選択可能。アラビア語字幕はなし。
チャプター・メニューでは、各々の歌の歌手、作詞者、作曲者、収録されている映画のタイトルなどの、英文クレジットあり。共唄者のクレジットがないのは残念ではありますが、全体的になかなか行き届いた好ディスクです。
とゆーわけで、アラブ歌謡好きの方には、なかなかオススメの一枚です。
因みに私は、www.maqam.comで購入。ここはCDの試聴もできるので、アラブものを探すときには重宝しております。買ったことはないけど、アラブ音楽用のキーボードとか、エレクトリック・ウードなんてのも売ってます(笑)。ただし英文オンリーの海外サイトなので、ご利用はあくまでも、at your own riskだというのをお忘れなく。
最後に、お好きな方へのご参考として、収録曲の一覧を。
Om Kolthoum “El Ward Gameel”
Abd El Halim Hafez “Ana Lak Ala Toul”
Farid El Atrash “Ya Habiby”
Saad Abd El Wahab “Alby El Assi”
Layla Murad “Baheb Ethnein Sawa”
Asmahan “Layali El Onss”
Moharram Fouad “Remsh Eino”
Ahmed Adaweya “Habba Foak”
Om Kolthoum “Nacheed El Khetam”
Abd El Halim Hafez “Zalamouh”
Farid El Atrash “Mat’olsh Lehad”
Layla Murad “Ya Aaz Men Einy”
Om Kolthoum “Onshoudat Baghdad”
Abd El Halim Hafez “Lahn El Wafaa”
『キングダム・オブ・ヘブン』
『キングダム・オブ・ヘブン』(2005)リドリー・スコット
“Kingdom of Heaven” (2005) Ridley Scott
いやあ、素晴らしい!
この映画で描かれている様々なもの、例えば、衝突する異文化とそこに生まれる軋轢、それらの解決に必要な相互理解、人類が普遍的に抱えつつ、しかし未だに解決できずにいる「平和」という命題、などなど、まさに今の時代にしか作られ得ず、同時に今の時代だからこそ作られなければいけない、そういうタイプの作品。
仮に、歴史を知る意義の一つに、その歴史から現代に生きる我々が何かを学ぶということがあるとすれば、この映画は間違いなくそれを達成しています。(念のために、この映画が史実的に正しいと言っているわけではなく、この映画の作り手が、そういったスタンスで、歴史を基にした「フィクション」を作り上げることに成功している、という意味)
あと、自らの魂に恥じない生き方をするといった点に、個人的に大いに感動しちゃったんですけど、ここいらへんは文章にすると「酔ってま〜す」系の、こっぱずかしくてクサいものになりそうなんで、自粛(笑)。
まあ、多少の瑕瑾はあります。
最も大きな問題は、上映時間に対して、エピソードやメッセージを詰め込みすぎていて、全体的に駆け足の感が否めないこと。特に前半の飛ばしっぷりは、こちらの感情が置いてきぼりにされてしまう感じ。そのせいもあって、物語がエルサレムに入ってからは、そこで繰り広げられるパワーゲームが余りにも面白すぎるせいもあり、中盤、主人公周りのエピソードが、物語的な魅力としては色褪せてしまうような印象もありました。ただ、クライマックスからエンディングにかけて、しっかりそれらが絡み合って、全体を盛り上げてくれたんで、最終的にはオッケー。
また、ちょっとしたセリフに込められたニュアンスや、それが意味するところを正しく読み解くためには、歴史やカソリックやイスラムに関する知識が、それなりに必要とされる様子。おそらく私も、全て理解できたとは思えないので、そこいらへんはDVDになってから、じっくり再見するのが楽しみ。
ただ、そういった欠点も、各役者の発する存在感と、圧倒的な映像の表現力で、結果的には帳消しだという印象。
特に、描かれているものが、キャラクターにしろ民族という問題にしろ宗教という要素にしろ、それらを見る視点が、かなり引いた俯瞰的なものなのであり、同時に多様性を持ちあわせているという点は、個人的に大いに魅力的。娯楽大作の枠組みの中で、こういったことをこれだけきちんとやり遂たのは、これは拍手喝采もん。
映像に関しては、セットや衣装の見事さはもちろんのこと、その油彩画的な陰影の深い、重みのある美しさは絶品です。ここいらへんは、同じ監督の撮った史劇同士で比較しても、『グラディエーター』や『1492 コロンブス』を凌駕している感じ。
全体的には、エンタテイメントとしては重かったり、判りにくかったりする部分もありますが、かといって決してワケワカンナイとか退屈だということはなく、アクション・スペクタクル・シーンだけ取り出しても、充分以上にオツリが来る見応えですから、オススメの逸品です。
役者も好演。
主演のオーランド・ブルームは、『ロード・オブ・ザ・リング』『パイレーツ・オブ・カリビアン』『トロイ』などと比較すると、ぐっと「大人っぽく」なりましたね。キレイカワイイ王子様に、ちょっと渋みもプラスされた感じ。鑑賞直後は、正直いささか線が細いという印象もあったんですが、あとからつらつら反芻していると、この映画の主人公のような、社会的な立場や肉体的な強さではなく、魂の純粋さが鍵となる「英雄ならざる英雄」像には、案外このくらいで正解なのかも……なんて気もしてきます。主人公として物語全体を牽引していく力は、ちょっと弱い部分がありますが、基本的に群像劇であるこの映画の場合は、それほどマイナスな印象はなく「少し惜しい」程度。
周囲を固める役者さんは、いずれも大いに魅力的で、中でもエルサレム王役のエドワード・ノートンと、サラディン役のハッサン・マスード(シリアの役者さんだそうですが、こういった役にちゃんとそういう人を持ってくるあたりも、大いに好印象です)の二人は素晴らしい。他も色々と魅力的なキャラクター揃いなんですが、ここが諸刃の剣でもあり、魅力的ゆえに「もっと見たい」感が強くなるのに、前述の時間不足もあって描き込み不足となり、結果としてはちょいと物足りなさが残ってしまうのが残念。
個人的にご贔屓のブレンダン・グリーソンは(タイプなんです)、う〜ん、『トロイ』に引き続き、また悪役かぁ(笑)。まぁ、魅力的な悪役ではあったけど、カワイイ笑顔を見られなかったのが残念。次の『ハリー・ポッター』では、どんな役なんだろう。ハグリッドみたいなタイプの役だったら嬉しいんだけどな(笑)。
あと、最初の方に出てきたゲルマン人風の大男、良さそうじゃんと思ってツバつけといたら、あっという間に死んじまうし、港でバリアンを案内する男も、いいカンジと思ってたら、それっきりもう出てこないし……ううう(泣)。
音楽のハリー・グレッグソン=ウィリアムズも良い仕事してます。キャラクターのモチーフなどのクラシカルな要素と、民族音楽的なコラージュのような要素が、上手い具合に絡み合って、画面とも上手く合った聴き応えのあるものになっています。『シュレック』のときのスコアも好きだったし、今度の『ナルニア』の音楽もこの人らしいので、これは楽しみがますます増えた感じです。
あ、でも主要人物の葬儀シーンで、『ハンニバル』の劇中オペラの音楽を流用するのは、ちょっとやめて欲しかった(笑)。パトリック・キャシディが『ハンニバル』用に書いた、この”Vide cor meum”という曲、個人的には大好きなんですが、やっぱり『ハンニバル』のイメージが強すぎて(エンドクレジットでも使われてたし)、好きな分なおさら違和感も大だったなぁ。
あと、個人的に大喜びしたのは、テーマ曲を歌っていたのが、大大大好きなナターシャ・アトラスだったということ。何の予備知識もなかったんで、エンドクレジットで彼女の歌声が聞こえてきた瞬間、椅子の中で声を出さずに「キャ〜」と喜びで身悶えしちまいました(笑)。
この人は、確かアラブとスペインの血を引く在英の女性歌手でして、その昔はTrancegrobal Undergroundというエスノ・トランス系のユニットの歌姫として名高く、1995年の最初のソロアルバム”Diaspora”以降、何枚も単独のアルバムやゲスト参加したアルバムが出ています。もしこの映画で彼女の歌に惚れた方がおられましたら、ぜひ他のアルバムも聴いてくださいまし。
クラブ系やグルーヴ感の強いのがお好みなら”Diaspora”、伝統寄りがお好みなら”Halim”、ポップ寄りがお好みなら”Gedida”か”Ayeshteni”か”Something Dangerous”、アンビエント寄りがお好みならNatacha Atlas & Mark Eagleton Project名義の”Foretold in the Language Of Dreams”なんかをどうぞ。
ちょっと蛇足になりますが、こういう内容の映画だと、当然のごとく字幕の情報量では限界があり、正直なところ、私が判ったところだけでも、幾つか残念な取りこぼしがありました。
というわけで、気になったところをかいつまんで幾つか。
一番残念だったのは「サラディン」という表記ですね。映画の中では「サラディン」という英語風ではない「サラーフ・アッディーン」というアラブ風の発音になっていって、こういった配慮は異文化を表現するときの謙虚さとして、映画の内容とも合致している好姿勢なのですが、そういう配慮は翻訳では生かされていませんでしたね。
それと、これはもう翻訳の限界なんですけど、「アッサラーム・アレイクム」の使い方がありまして、これは直訳すると「あなたの上に平安あれ」という意味の、イスラム社会で日常的に使われる挨拶です。で、それの返事は「アレイク・ムッサラーム(ワアレイクム・アッサラーム)」(あなたの上にも平安あれ)と返すわけです。
で、この映画の中では、この挨拶を英語とアラビア語でやりとりするシーンがある。片方がアラビア語で言い、それに英語で答えるシーンと、英語での語りかけに対して、アラビア語で返すシーンが両方。それも、それぞれ相手の言葉を使って。確かラスト近くに、サラディンとバリアン、バリアンとサラディンの部下(……名前忘れた)で交わされていたと記憶してるんですが、間違ってたらごめんなさい。最初のが、サラディンの英語にバリアンがアラビア語で返し、次のがバリアンのアラビア語にサラディンの部下が英語で返すんだったかな? う〜ん、ちょっと自信なし。
で、この「平安」とはpeaceなわけです。May peace on you……だったかどうか、正確には覚えてませんけど、異文化の衝突という場において、それでも互いを尊重しあい、互いの平和を願い合うという、この映画のテーマの根幹に関わることが、この「『あなたにPeaceあれ』という意味の挨拶を、それぞれ相手の言葉でやりとりする」という、たったそれだけの行為に凝縮されているわけで、ここいらへんは私的にはかなりグッとくる感動ポイントでした。
ついでにもう一つ、中盤に井戸を掘るバリアンに、王女シビラが「エルサレムを作ろうとしているみたいね」(だったかな?)とか話しかけるシーンがあるんですが、字幕にはなかったけど、セリフではただのエルサレムではなく、New Jerusalemと言ってるんですな。クリスチャンにとってのNew Jerusalemという言葉の意味と、”Kingdom of Heaven”という映画のタイトルからしても、シビラがバリアンの本質、その目指すところに、知ってか知らずか迫っている好セリフだ、なんて印象深く思ったり。
もしこれからご覧になられる方がおられましたら、そういう要素に気を配りながら、ちょっと注意して聞いてみてください。きっと他にもいろいろと、面白い発見があると思います。
いっそ、謎解き本とか攻略本とか出ればいいのに(笑)。
あ、責め場は特になし(笑)。捕虜の王様を裸にして、ロバに乗せて引き回しの晒し者にするくらい。
リドリー・スコットって、グロテスク美学はけっこう持ちあわせているのに(今回も幾つかあって、ニヤニヤさせられました)、悪趣味な部分があるわりには、変態性に欠けるんだよなぁ(笑)。
GarageBandとかMIDIキーボードとか
買っちまいました、MIDIキーボード。
お値段的にお手頃だった「M-Audio Keystation 49e」ってヤツ。
ガキの頃、7歳までピアノは習っていたんですが(ブルグミューラーやツェルニーのアタマくらいまで……って言えば、ピアノを習ったことのある人だったらお判りかと)、鍵盤をいじるのはそれ以来なんで、何と34年のブランク(笑)。
当然、指はぜんぜん動かない。にも関わらず、当時発表会で弾いた曲なんかは、最初の方だけなら身体が勝手に覚えていたりするんで、ビックリです(笑)。
んでまあ、仕事の合間に息抜きを兼ねて、つらつら音楽なんぞを作ってみたりしてたら、いやぁ、楽しい楽しい。
それにしても、ちょっとロック・ミュージシャンに憧れてた(笑)中学時代に、「ミュージック・ライフ」や「音楽専科」といった音楽雑誌に載ってた広告で、ミニ・モーグ(当時は「ムーグ」って言ってましたけど)だのポリ・モーグだのアープ・オデッセイだのメロトロンだの(プログレ小僧だったせいもあり、憧れはシンセ系に偏っております)を、値段の高さに仰天しつつ指をくわえて眺めていた頃からすると、パソコンについてたオマケのソフト+1万そこそこのキーボードで音楽制作を楽しめるなんて、うむむむ、まさに隔世の感。
って、ババくさい感想だなぁ、我ながら(笑)。
まあ、指は動かなくても、タイミング補正してくれるクォンタイズっつー強い味方もあるし(笑)、ミスタッチも後でエディター使って修正できるし(笑)、もう、書道で言うところの「ちょうちん」しまくりではあるものの、テキトーに音楽作っては遊んでいます。
で、どんなジャンルかといいますと、これが日頃の雑食性が反映されたようなとりとめのなさでして。
最初に出来たのは「スーダン歌謡風」だし、次は「スメタナ風」だし、この間なんて「ブラスがガンガン効いたカッコいいハウスを作ってみよう!」と意気込んでトライしたものの、出来上がったものはなぜか「いなたいドドンパ」にしか聞こえなかった(笑)。
とゆーわけで、とっても楽しいんですが、困ったことに、今度はGarageBandからLogicにアップグレードしたくなってきちまいまして(笑)。
いや、だってホラ、こーなると今度はソフトシンセとかさぁ、使ってみたくなっちゃって。それこそモーグやメロトロンのエミュレーター(……でいいのかな?)なんかもあるし。
でもな〜、LogicだとMac miniじゃツラそうだしな〜。
む〜ん、泥縄。ああ、困った(笑)。
最近買ったCDあれこれ
World’s End Girlfriend “The Lies Lay Land”
日本発。
エレクトロニカやポストロックや現代音楽といったジャンルを越境した、驚異のミクスチャー音楽の旗手、待望の新作。
過去の作品全てが傑作という、とんでもないアーティストなのだが、今回もまたまた期待に違わぬ大傑作。もう、どこまでいっちゃうんだろう。本気で目が離せない。
今回は、ソリッドでエッジの効いた部分が若干後退し、反面、オーガニックでカオティック部分が前に出てきた感じ。エレクトロニカ的な要素よりも、ポストロックや音響系っぽい要素が目立つというか。音の構成(ギター、ノイズ、ストリングス、ピアノ、ドラムス、サックスなどなど)のせいもあって、God Speed You Black EmperorやSilver Mt Zionなんかとの相似性も感じたり。
しかし、繊細な叙情性と暴力的な攻撃性が混在し、見事なまでの緊張感と構成力で渾然一体となって襲いかかってくる、名状しがたい「美」は相変わらず。もう、聴いてると胸が掻きむしられるような感動が。今年のベスト・ワンは、早くもこれで決まりかも。
名前を挙げたジャンルやアーティストを好きな方は勿論のこと、ジャンルを問わず、いや、ジャンルに拘らずに音楽を愛する方なら、ぜひご一聴を。
Hector Zazou “L’absence”
フランス発。
この人も越境系ですな。ZNRの頃は室内楽的、Zazou Bikayeではエレクトロ・アフロ・ダンス。ワールド・ミュージック系のアーティストのプロデュースも多い。
特にテーマを絞ったコンセプト・アルバムには傑作が多く、極北の海をテーマにした”Songs From The Cold Seas”(Bjork、Suzanne Vega、Jane Siberry、Varttina、加藤登紀子なんつー面々が参加)、ケルト音楽をテーマにした”Lights In The Dark”(Mark Isham、Peter gabriel、坂本龍一、元Dead Can DanceのBrendan Perryなんて面々が参加)、アルチュール・ランボーの生涯をモチーフにした”Sahara Blue”(これまた坂本龍一、David Sylvian、John Cale、Sussan Deihim、Bill Laswell、Khaled、Brendan Perryに今度はLisa Gerrardも、あとジェラール・ドパルデューまで参加)など、どれも愛聴盤。特に”Sahara Blue”は傑作ですぞ。
今回は、クロスオーバー感やミクスチャー具合は、わりと控えめ。クールで硬質な電子音を基調に、浮遊感のあるノイズや女声ヴォーカルが被さるような、ちょっと前のトリップホップみたいな感じ。新鮮味はあまりありませんが、フワフワしていて、ちょっとダークで、とってもキレイ。あんまり重くはありません。Massive AttackやPortisheadあたりの音がお好きな方にオススメ。あと、LambとかNicoletteとかが好きだった方も気に入るかも。ドラムン・ベースっぽい要素はありませんが、全体の空気感とかが似てます。
個人的には、ゲストにアーシア・アルジェントの名前があってビックリ(笑)。歌ってんのかと期待したら(女優の歌モノって好きなのよ)、喋りだけだったので、ちとガッカリ。
Riccardo Tesi & Banditaliana “Lune”
イタリア発。
フォーク/トラッド系のアコーディオン(イタリアだとメロディオンとゆーらしいですが)奏者が、以前のソロ・アルバムのタイトルを、そのままバンド名にして新作を発表。
同じアコーディオン系でも、ミュゼットやバンドネオンみたいな哀調はあまりなく、泣き節でもどっかノホホンとした陽気な雰囲気があるのが、イタリアっぽいような(ホントかよ)。曲調も、目まぐるしいソロを聴かせるタイプではなく、バンド・アンサンブルをじっくり聴かせる感じ。
インストと男声ヴォーカル曲が半々。ヴォーカルはクセがない美声。歌い方はしっかり朗々としているけど、力みすぎず歌い上げすぎずなのは高ポイント。演奏はメロディオンにサックスやベースが重なり、アレンジもトラッドよりだったり、ちょっとアーバンな雰囲気を加えたり、メロウだったりハッピーだったり、ヴァリエーション豊かで飽きさせません。
あと、曲によってはサズ(トルコの弦楽器)やタブラなんかも入っているので、ちょっと汎地中海音楽的な雰囲気もあり。Fabrizio De Andreが好きな方、一度お試しになってみては。
オマケにリミックスが二曲入っていたけど、う〜ん、これは蛇足かも(笑)。
Wim Mertens “Shot And Echo / A Sence Of Place”
ベルギー発。
ミニマル音楽のWim Mertensの旧譜”Shot And Echo”が、同時期に発表されたミニ・アルバム”A Sence Of Place”と未発表トラック等を加えて、二枚組で再発売。
Mertensの作風は、ピアノ・ソロ+ヴォイスによる叙情的でセンチメンタルな作風や、様々な楽器のアンサンブルによるミニマル寄りでタイトかつドラマチックな作風や、一つの楽器をほぼ単音で奏でる更にミニマルかつストイックな作風などがあります。で、それらの作風を一つのアルバムに混在させるのではなく、アルバムごとにタイプをはっきりと分けて、代わる代わに発表しています。
最初の”Shot And Echo”は、アンサンブルによるミニマル路線でありつつ、そういった構築的な魅力に、どこか古楽を思わせるような牧歌性や、ちょっと感傷的で湿った叙情性も加わった、これぞMertens音楽の魅力本領発揮といった感じの傑作。
もう一枚の”A Sence Of Place”は、これは今回初めて聴いたんですけど、アンサンブルを使わないストイック路線のミニマルでした。とはいえこちらも、ゴリゴリにストイックなのではなく、モチーフが”Shot And Echo”と同じだというせいもあり、他の同路線のアルバムと比較すると叙情寄りな感触。あと、メロウな旋律が短音で静かに繰り返される様は、何だかポリフォニー以前の古楽のようでもあり、なかなか魅力的でした。
というわけでこの再発盤、どちらかオリジナルをお持ちの方でも再購入の価値は大。あと、前述したように傑作でありながら、長らく廃盤でもあったので、買うなら今がチャンスかも。
あとMertens入門用にも好盤……だとは思うんですが、実はこの方、アルバムの数がもンのすご〜く多いし、しかも二枚組やら三枚組を一度に四種類発売とかしやがるとゆー、けっこうハマると泥沼の、ファン泣かせの人ではあります(笑)。
城卓矢『なつめろ全曲集』
日本発。
何だかいきなりなラインナップですが(笑)、前々から欲しかったところ、ぐーぜん店頭で見つけたもんで。
で、何で欲しかったかと言うと、実は私、この人の歌は「骨まで愛して」しか知らなかったんですが、ちょっと前にテレビで「骨まで愛して」を久々に聴いたら、そのサビ、「♪骨まで〜骨まで〜骨まで愛して欲しいのよ〜」の、二回目の「骨まで」の「ほ」の声のひっくり返り具合に、一発で惚れちゃいまして。……って、どんな理由だ(笑)。
んで、目当ての「骨まで愛して」は、もちろん満喫したんですが、今回他の曲も聴いたところ、いやビックリ。
上手い人だという記憶はあったんですが、加えて表現力がスゴい。
タイトルからしてビックリの「なぐりとばして別れよか」とか、民謡+リズム歌謡でゴキゲンな「スタコイ東京」「ダッキャダッキャ節」、極めつけはサンバ+ヨーデルとゆーコンセプトからして理解不能な「トンバで行こう」、などなど、けっこうトンデモナイ曲が多いんだけど(笑)、どれもこれも見事に歌いこなしてます。特に民謡系(っつーか「ユーモラスな田舎者系」)の歌なんて、私はこのテは、千昌夫にしろ吉幾三にしろ、正直かなり苦手なんですけど、この人が歌うと全く気にならない……っつーか、逆に好き。全力投球のトゥー・マッチさも含めて、マジかっこいい。これは、しっかりした歌唱力と、それでもそこはかとなく香る泥臭さが魅力のキモなのかなぁ。
ああ、もちろん「風の慕情」とか「ああふるさと」とか、普通にいい曲もあります。やはりどこか泥臭さがあるんですが、それも何だか色っぽい。何だか、ヴィンテージ・ゲイ小説の名手・楯四郎や、昔の『さぶ』の小説読んでるみたいな魅力が(褒めてんのよ)。そーゆー野郎系やレトロな男の色気が好きな人には、「さすらい東京」「男無情」「忘れるものか」なんて曲もオススメ(笑)。
まあともかく、早逝してしまったのが、ホントに惜しいと思います。
あとね、実は私、子供の頃からこの方の顔が好きでして(笑)。長じてからも、中古レコード屋とか巡っちゃあ、この人のシングルやアルバムが出てくると、ジャケ見ては「いい男だな〜」なんて思ったりして。……って、その割りには、今まで買ったことなかったんですけど(笑)。そういう意味では、このCDのジャケットは、ちょっとアウト。あんまりいい写真じゃない。
もひとつ不満。今どき、15曲入り(+カラオケ一曲)で3100円のCDって……高価すぎないか?
『ファイアー・アンド・ソード』のサントラ、他、最近買ったCD
“Ogniem i mieczem (OST)” Krzesimir Debski
前にここで「もしサントラ盤があったら、絶対に欲しい。……なさそうだけど(笑)」と書いた『ファイアー・アンド・ソード』のサントラですが、探したら……ありました(笑)。う〜ん、ネットは広大だわ(笑)。
もう大喜びで注文し、首尾良く届いてからは聞きまくり。やっぱ、すっげー良いです。
えー、どーゆー感じかともうしますと、まずロシア民謡とかの哀感のあるメロディーを思い浮かべてくださいまし。で、それを流麗かつ分厚いストリングスで味付けする。メロウな曲調の場合は、ソプラノやコーラスで哀愁をプラス。戦闘やコサック騎兵の進軍といったアップテンポの場合は、哀愁を帯びた陽気さをプラスしつつ、ブラスやティンパニでガンガン盛り上げる。エピック的な壮大な雰囲気や、人の世の無常さを描く場合は、もう重厚なオーケストラと混声合唱で、ひたすら朗々と歌い上げる。で、その合間合間に、シンプルな民謡なんかもちょっと挟まったりして。
ってな感じで、史劇系のサントラ好きだったら、満足すること間違いなしの一枚。これがもしメジャーな映画のサントラだったら、『その時歴史が動いた』とかのBGMに使われてそうです(笑)。
でもって、作曲者のクジェシミール・デブスキという人について検索してみたら、かのホセ・クーラがエヴァ・マラス・ゴドレフスカという人(私は寡聞にして知りませんでしたが、ポーランドの国民的ソプラノ歌手だそうです)とデュエットした『ソング・オブ・ラヴ』というアルバムが引っかかった。これに件のクジェシミール・デブスキが何曲か提供しており、指揮もしている。オマケに他の収録曲の中には、ここで触れたヴォイチェフ・キラールの名前も。っつーわけで、これも即注文(笑)。届くのが楽しみ〜。
で、この『ファイアー・アンド・ソード』のサントラを購入したサイト(イタリアのサイトでした)、何だか他であまり見かけないサントラがありまして、ついつい嬉しくなって一緒に幾つか購入してしまいました(笑)。何を買ったかというと、以下の通り。
順番に『ポンペイ最後の日』『ユリシーズ』『ソロモンとシバの女王』『シンドバッド黄金の航海』『ニコライとアレクサンドラ』『美しき冒険旅行』。ちょいと史劇系に偏ってますが、実はちょうど今、そのテのコスチュームもののマンガを描いている最中なので、仕事のBGMにはうってつけかも(笑)。
『キング・フォー・バーニング』
『キング・フォー・バーニング』(1994)トム・トエレ “Konig der letzten Tage” (1993) Tom Toelle |
16世紀中頃、宗教改革時代のヨーロッパを舞台に、ドイツの都市ミュンスターに立てこもり、千年王国を築こうとした再洗礼派の悲劇を描いた、ドイツのテレビ映画。
主人公は、信徒のリーダーであり自称預言者であるヤン・ボケルソン。再洗礼派の力を危険視したカソリックは、軍を派遣してミュンスターを包囲する。城壁に閉ざされた世界の中、やがてボケルソンの力は市長をも凌ぎ、自ら王として君臨する。彼は一夫多妻制を認め、反抗する者は処刑という恐怖政治を施行するが、同時に包囲された市内では食料が不足して飢餓が襲いかかる。そしてついに軍隊が突入し、血みどろの悲劇の幕が……ってのが、大まかなあらすじ。
画面は極めて重厚。いわゆるテレビドラマ的な画面の狭さをほとんど感じさせない、たっぷり引きのある構図。時代の雰囲気や内容に良く合った、程良く沈んだ色調。衣装や美術も凝っていて、いかにも中世ヨーロッパらしい「不潔感のある豪奢さ」が良く出ています。絵的に時代物の雰囲気を楽しむという点では、ほぼ満点の出来映え。
ただ惨劇の描写は、これはテレビものの限界か、近年の映画と比べるとかなり大人しいです。虐殺にしろ処刑にしろ、目を背けたくなるような無惨さや力強さはなく、あくまでも「こういうことがありました」という説明以上にはなっていない。まあこの間の『パッション』みたいなのは例外としても、例えば『薔薇の名前』や、あるいは『1492・コロンブス』あたりと比べても、ぜんぜんソフトなので、そういうのが苦手な方には良いでしょうが、個人的には、この題材だったらもうちょっと「禍々しさ」を感じさせて欲しかったかな。
物語も面白いし、しかもこれが史実となるとますます興味深いんですが、どうも全体に駆け足で、説明不足の感が残るのは残念。
特に、キャラクターの描写にそれが顕著で、例えば主人公は、それが狂信者にせよ誇大妄想狂にせよ、あるいは単なる権力欲に満ちた人物にせよ、かなり複雑で面白いキャラクターのはずなんですが、どうも内面描写が不足しているせいで、あまり説得力がないし感情移入もしにくい。彼がなぜ再洗礼派に入信したかということすら、良く説明されないし。これは他の登場人物、例えば物語のオブザーバー的な役割である主人公の級友や、主人公以前に再洗礼派のカリスマであった預言者や、その妻といったキャラクターも同様。役者さん自体は、それぞれ雰囲気に合っていてイイ感じなので、何とももったいない感じです。
しかし、ひょっとしたらこれは、『ファイアー・アンド・ソード』の時に書いたのと同様に、このDVDは短縮バージョンなのかも知れません。IMDbで調べても、残念ながらランニング・タイムが明記されていないのではっきりとは判らないのですが、テレビのミニシリーズだとは書かれているので、その可能性は大かも。もし完全版があれば見てみたいなぁ。
あと、特筆すべきは音楽。暗い翳りや哀感を帯びたドラマチックで重厚なストリングス、教会音楽を思わせるゴシックな雰囲気のコーラス(ゴシック期の音楽という意味ではなく、あくまでも雰囲気として「ゴシックっぽい」ってこと)、どこか恐ろしげにズンズン響く打楽器などなど、たっぷり楽しませてくれます。
スコアを書いたのは、コッポラの『ドラキュラ』やポランスキーの『ナインスゲート』と同じ、ポーランド人作曲家ヴォイチェフ・キラール。これらのスコアが好きな人だったら、ぜったいこの『キング・フォー・バーニング』の音楽も気に入るはず。
で、サントラがあったら欲しいな〜、なんて諦め半分で探してたら、純正のサントラじゃないけど見つかっちゃった(笑)。これに関しては、後ほど詳述。
というわけで、全体的には多少の不満はありつつも、美術や音楽の素晴らしさ、題材の興味深さなどを併せると相殺される感強しなので、こういった内容の映画に興味のある方でしたら、見て決して損はないと思います。
余談ですが、『刑事ジョン・ブック 目撃者』で描かれていたアメリカのアーミッシュも、確か再洗礼派の流れを汲む一派だったと思うので、同じ宗教コミューンの行き着く先の違いなどを考えると、またいろいろと感慨深いものがあります。
では、恒例の「責め場」紹介。例によって、嫌な人はこの段は飛ばしてください(笑)。
この映画では「焼けたヤットコで肉を引きちぎっていく」処刑が見れます。
まあ前述したように過激さはなく、肌を挟むヤットコ、苦悶する顔のアップ、火傷痕のメイク……といった、あくまでも昔の映画に良くある「そのものズバリは映さない」タイプの表現。今どきの映画風の、CGや特殊メイクでスゴイものを見せてくれる……なんてことはない。でも個人的には、受刑者がヒゲ面&腰布一丁というダブルコンボだし、公開処刑だし、あんまり映画で見たことのないシーンだし、けっこう嬉しい儲けもの(笑)。
もう一つ、鉄檻に入れての晒し刑なんてものもあるんですが、これは動物園みたいにフツーの檻の中に、完全着衣のまま入れられているだけなので、あまり興趣はかき立てられなかったなぁ。人型のカゴに入れて城壁から吊しでもしてくれれば、もっと良かったんだけど(笑)。
さて、前述の音楽ですが、サントラ盤は見つからなかったものの、代わりにコレを見つけました。
ヴォイチェフ・キラールの映画音楽を、ポーランド国立ラジオ交響楽団が演奏しているアルバムです。指揮はアントニー・ウィット。……知らないけど(笑)。
これに『キング・フォー・バーニング』こと “Konig der letzten Tage” からのスコアが、5曲入っていました。映画を見て心に残った曲は全部入っていて、私的には大満足。改めて聞いても、う〜ん、やっぱり良いわぁ。映画のタイトルバックでかかる “Intrada” なんてホントいい曲。ゴシック・ホラー好きには、コーラス入りの “Sanctus” とか “Mizerere” の暗黒っぷりなんかタマンナイし。
他に収録されているのは、前述のコッポラの『ドラキュラ』から6曲、ポランスキーの『死と処女(おとめ)』から3曲、どうやら日本未公開らしいポーランド映画 “The Beads of One Rosary” と “Pearl in the Crown” から、それぞれ1曲と2曲。いずれも劣らぬ良い曲揃いなので、興味のある方にはぜひオススメ。
レーベルはクラシックの廉価版で有名なNAXOS。タイトルは”Bram Stoker’s Dracula and Other Film Music by Wojciech Kilar”、カタログ・ナンバーは8.557703。
NAXOS JAPANのサイトでは見つからなかったので、国内盤(ってもここのはいつも、輸入盤に解説付きの帯を付けたものですけど)は出ていないのかもしれませんが、輸入盤ならamazon.co.jpで「クラシック」で検索すると簡単に見つかります。
『アレキサンダー』
『アレキサンダー』(2004)オリバー・ストーン
“Alexander” (2004) Oliver Stone
正直なところ出だしからしばらくは、見ていてかなりイライラさせられた。
いきなり世界の七不思議の一つアレクサンドリアの大灯台が出たときには、思わず嬉しくなっちゃったものの、その後は、まるでドラマへのスムーズな導入をあえて拒むかのように、説明的なモノローグが延々と続く。そして、壮麗さもなければ原初的な荒々しさもない、美的にはほとんど魅力が感じられないマケドニアの衣装やセット。グラグラとドキュメンタリー調に揺れ、人物ばかりを追って世界を捉えないカメラ。ひたすら下卑たいがみあいを続ける、人物的にはおよそ魅力的ではない王や王妃、親族たち。幼年期の主人公のエピソードのとりとめのなさ。成長した主人公の、まるで何か悪い冗談のようなコスチュームの似合わなさ。
それでもやっと、母からの自立や父子のすれ違いなどを経て、こちらがドラマに乗りかけてきたかと思えば、その矢先に、見せなければいけない(と思われた)シーンはナレーションであっさり流され、いきなり次はガウガメラの戦い。
正直なトコロ、ここいらへんでいいかげんにもう限界。「いやぁ、こりゃあハズれだったかなぁ……」なんて諦め気分に。
ところが、やけに埃っぽい臨場感のある戦闘シーンを見ているうちに、だんだん気分がのってきた。
特に戦闘後の、どう見てもベトナム戦争か何かの野戦病院にしか見えないシーン。ここまで来て、ああ、神話伝説の類から虚飾やロマンを剥ぎ取り、リアリズム的にそれらを再構築しようというのが監督の意図ならば、それはそれで面白いよな、なんて感じたりして。
そして、バビロン入城(ここで、またもや世界七不思議の一つバビロンの空中庭園と、崩壊しているバベルの塔が、同一フレームに収まっているなんていう、何とも贅沢な画面が見られて、これまた嬉しくなっちゃった)あたりから、決定的に風向きが変わる。
例えば、前半のギリシャ文化圏の美術の貧相さは、中盤以降のアジア圏の美術の豊かさと対比されて、それまで主人公たちが信じてきた「文化的なギリシャと野蛮な他国」という対比が、実は全く逆であったということを、登場人物たちと同時に私にも知らしめる意義へと転じた。
そして、更に遠征が進むにつれて、私が当初期待していたような英雄やカリスマとしての主人公ではなく、幼少期からの根強いトラウマとコンプレックスを抱え、ひたすら自分の存在意義と自分を受け入れてくれる居場所を探し続けた、寄る辺ない不幸な青年像が露わになっていく。
これならば、マケドニア王としてのコスチュームが似合わず、薄汚れてボロボロになればなるほどしっくりしてくるのも合点だ。見ていて嫌ンなっちゃうような両親も、そりゃあトラウマもコンプレックスも根深くなるわと納得。幼児期のエピソードも、ちゃんと伏線として回収されるし、焦点が写実的リアリズムや人物の内面にあるのならば、カメラだってこれが妥当なのだろう。作劇上は見せなければいけないはずなのに省略されていた部分も、後半になって、物語の実像を掴み始めたタイミングを見計らって、ちゃんと好位置に挿入されるし。
理解者と理想を求めて突き進むが、突き進めば突き進むほど孤独になり、トラウマにもコンプレックスにも押し潰され、最後まで己の居場所を見つけられずに死んだ一青年の悲劇。自らを重ね合わせていた「己の影に脅えていた」愛馬は、伝説としてしかるべき時と場所で息絶えたのに、主人公にはそれすらも与えられない。母によって自分のアイデンティティーを否定された息子は、熱望した父には受け入れて貰えず、最終的には母の嘘(と、ここでは言い切ってしまうが)に縋らざるをえない。不在の父親は母の語るゼウスに置き換わり、自らをヘラクレスに模しながら(ヘラクレスの父親はゼウスであり、その装束はライオンの毛皮である)、自分を迎えにくる鷲の幻影(鷲はゼウスの象徴だ)を見ながら息絶える。
う〜む、これはかなり悲しいぞ。
ただ、こういったことは、いわば現実的な視点による伝説の解体であり、それは単なる伝説の矮小化となる危険も秘めている。
しかし、それも巧みなバランス配分によって回避される。
例えば、主人公の卑近で人間的な物語と同時に、そこにギリシャ悲劇との重なり合いが提示される。最も露骨なのは主人公のエディプス・コンプレックスの語源である「オイディプス王」だが、それ以外にもメディア、ヘラクレス、プロメテウスといった、必然的にソフォクレス、エウリピデス、アイスキュロスの三大悲劇詩人を連想させるキーワードが配されている。これによって、一見解体されて矮小化したような物語も、しかしそれもまた伝説の持つ普遍性の一つであることが示されている。
また、アレキサンダー大王を主体としたドラマをメインとしつつ、その外側にそれを後になってから俯瞰的に回想するプトレマイオスの語りを配置するという、物語の枠を二重にして対比させている手法も同様だ。このことによって、物語の最終的な全体像は、さらに外側にいる観客(つまり私だ)それぞれの判断に委ねられる。こうして、幻想を剥ぎ取られて解体された伝説が、現代人である私の内に再構築されたとすれば、そこには新たな普遍性が生まれる。
ここいらへんも、なかなか面白い。
観客への問いかけという点では、その姿勢が挑発的なのも面白い。
主人公はたびたび、異なる文化を受け入れようとしない、理解しようとしない人々に苛立ちを見せる。これは同時に、観客に向けられた試金石でもある。
映画で語られる同性愛の要素(厳密に言うと、この時代における男同士の交わりというものは、現代における同性愛とイコールではないのだが、そこいらへんは煩雑になるし、同様の問題については以前に自著で詳しく触れているので割愛します)は、そこには物語的な必然性はない。同性愛的な描写は、この時代には同性愛がタブーではなかったということを描くためにしても、テーマの一つに同性愛を盛り込むためにしても、いずれにしても中途半端だ。変に執拗なわりには、深く突っ込まれることがない。
ところが、仮に、歴史上の偉人が同性愛者であったということを描くのが、その偉人を貶めていると怒るとすれば、それはそう怒る人々が、同性愛を劣った忌むべきものだという、差別的な考えを持っているということを露呈することになる。また、必然性がない同性愛的要素の描写に疑問を唱えるとすれば、それはすなわちそういう疑問を抱く人々が、一見理知的に同性愛を受容しているように見えながら、実のところは彼らが同性愛に対して「必然がなければ表に出てはいけないもの」と、無意識のうちにやはり差別的に捉えていることを示してしまう。
実のところ、この映画のアレキサンダーとヘファイスティオンの関係は、もしそれが男女のものであったのならば、観客は何の違和感もなく自然に見るだろう。そかしそれが同性愛であるというだけで、こういった「なぜ同性愛者にするのか」「なぜ同性愛を描く必要があるのか」といった疑問が噴出する。
かつて映画においてゲイはタブーであり、『ベン・ハー』や『スパルタカス』でも同性愛的な要素は巧みに隠匿されていた。現在ではゲイを描いた映画は、珍しくも何ともなくなった。しかし実は、それはあくまでも映画の主眼が同性愛の特殊性に搾られた場合か、あるいは同性愛者に特定の役割を担わせる場合にのみ通用しているだけであり、ごく当たり前に同性愛者が登場することについては未だに否定的だということを、この映画を巡る論議は露呈する。
つまり、この映画における同性愛的な要素を、「なぜ」を抱かずにそのまま受容することができなければ、その観客はアレキサンダーが劇中で非難している、「他文化を受け入れようとしない人々」と同じになってしまうのだ。
これはかなり挑発的であり、問題提起の手法としては興味深い。
こんな具合に、この映画は最初の印象とは裏腹に、最終的にはある意味で面白く見られた。
とはいえ、そういった「面白さ」が全て成功していたか、あるいは、映画作品として素晴らしかったかといえば、残念ながら必ずしもイエスとは言えない。
歴史上未曾有のことを成し遂げた主人公について、「なぜそれをしたか」という部分に関してはある程度の説明があるし、「どういう人物だったか」という考察としても興味深いものの、では「なぜそれができたか」という説得力には乏しい。主人公の成育史など「理」に訴えかけてくる部分は多いが、「感覚」に訴えかけてくる部分が乏しく、結果としてエモーションはさほど揺さぶられないからだ。
また、登場人物が多いわりには語られるのは主人公のことばかりで、群衆劇的な魅力にはおよそ欠けている。少なくとも私は、脇を固める人々のうち、だれ一人としてそこに「生きた魅力」を感じることはできなかった。
前述したエモーションの欠如の理由の一つには、映像と音楽のミスマッチもあるかもしれない。音楽担当のヴァンゲリスは、ギリシャ出身であると同時に、かつて”Spiral”や”China”といったアルバムで東洋思想への接近を見せたこともあるので、理屈から言えば適材であるとも言える。また、ヴァンゲリスの楽曲自体を、劇伴であることを離れた独立した作品として聞いてみると、近年の”El Greco”や”Mythodia”以降の路線の延長線上にあるなかなかの好作だ。しかし、基本的に「ロマン」を謳う彼の作風と、古代憧憬的なロマンを次々と解体していくこの映画の内容は、やはり何ともちぐはぐで、どうも水と油のような印象を受けてしまった(もちろん上手く合致していた部分もありましたが、総合的に見ると、ということです)。
もしヴァンゲリスが、Aphrodite’s Child時代の”666″や、Vangelis O. Papathanassiou名義の”Earth”の頃のように、ロマンチシズムと同時に土俗的な荒々しさやロック的なアナーキーさを持ちあわせていた頃の作風であったのなら、もうちょっと上手く映像と合致したかもしれない……なんて、つい埒もないことを考えてしまうのは、ただのファン心理か(笑)。
というわけで、考えながら見る分には、単に自分の深読みに過ぎないかもしれない部分も含めて、なかなか面白く見られたのだが、私は基本的に、表現の本質とは、理屈や知識とは無縁のところにあると思っているので、そういう面白さだけでは物足りない……というのが総合的な印象。
しかし、退屈はしなかったし、趣味の相違を除けば、作家性がハッキリしているという点は興味深いし、意欲的だし、志も感じられる作品ではある。内容的な如何ではなく、アクの強さと言ったベクトルで見れば、こういったパワフルな作風は好みでもある。
というわけで、いろいろと微妙ではあるものの、好きか嫌いかと聞かれたら「好き」ですね、この映画。
あ、でも、私個人のゲイ的な興趣を擽られる部分は、皆無でした(笑)。
ただし、アレキサンダーとヘファイスティオンが、裏でやることやっているのではなく、本当にセックスはおろかキスもしていなかった……と解釈するならば、そーゆープラトニック・ラブとしての同性愛に憧れる方だったら、それなりにオススメできるかも。見ようによってはこの二人の関係は、アレキサンダーがちゃんと男とセックスもしたがっているマジモンのゲイで、しかしヘファイスティオンはあくまでもプラトン的な理想としての同性愛を希求しているだけなので、アレキサンダーはどうしてもヘファイスティオンにセックスを迫ることができず、代わりにセックスはペルシャ人のダンサーと……なんて風にも受け取れる。だとしたら、実はヘファイスティオンすら真の理解者ではなくなるわけで、これはえらい悲しいことです。
ただまあ、私個人としては、そんなセックスフォビックなロマンチシズムは好きじゃないけど。
責め場的な見所? ……まあ、死体や血はいっぱい出てきますよ。
それだけ(笑)。
Garagebandとか
ようやく修羅場が明けたので、プロットやラフやコンテ等の軽い仕事をしつつ、溜まった未見のDVDをせっせと鑑賞したり、Garagebandいじくったりしてしてたら、あっという間に次の締め切りが目前に。あうあう(泣)。
それにしてもGaragebandってのは楽しいソフトですなぁ。現在ちょっとハマり気味。これとかPoserとかBryceとか、趣味の範囲でちょこちょこいじるだけでも楽しめる系のソフトって、本当に好きだ。
もともとループ系やサンプリング系の音楽は好きなせいもあって、プリセット切り張りしたり楽器の音色を変えて遊んでるだけでも楽しいんだけど、困ったことに、最近だんだんMIDIキーボードを買いたいという欲求が(笑)。ブラウザのキーボードからトラックパッドで単音を打ち込んで(iBookでやってるもんで)、あとからタイミングを調整したり和音を足したりしてたら、8小節作っただけで疲労困憊、力尽きました(笑)。
でまあ、そんなこんなで曲が20分ほど溜まったので、試しにCDに焼いてみたりして、そうなるとジャケも欲しいから、ここいらへんは昔取った杵柄でサクっと作ってみたりして、どうせなら最近お気に入りのConstellationレーベルっぽい雰囲気を狙おうか……ってんで、でき上がったのがコレ。
見開き状態。興味のある方はクリックすれば、もうちょっと大きな画像になります(笑)。
お蔵だし〜アゲアゲ系ハウスのシングル in 90’s
昨日の続き。10年ほど前に買ったハウスのシングルから、イケイケ系のお気に入りを幾つかご紹介。
因みに、私はDJさんではないので、以下のシングルは全てCD。あと、私的にこのテのヤツは「気持ちいぃ〜」「カッコいぃ〜」「イッちゃう〜」ってのが全てですんで、解説らしい解説は書けません。ご了承を。
Ultra Nate “Rejoicing”
これはガラージ? でいいのかな? う〜ん、ハウスやテクノのジャンル分けって、どうも良く判らなくて。「シカゴ・ハウス」とか「デトロイト・テクノ」とか聞くと、何だか「関サバ」とか「松阪牛」とか連想しちゃうし(笑)。
ともあれ、ちょいゴスペル風味の歌ものハウスなんだけど、歌い方は割と突き放したようでドライ。基本的に「気持ちいいハウスは、長ければ長いほど嬉しい」ので、8分程ある”Deee-Liteful Stomp Mix”がお気に入り。
Morel I.N.C. “Why Not Believe In Him?”
これは更にゴスペルっぽい。グイグイ盛り上げてくれるコーラスが、すンごい多幸感。オルガン・ソロもイカしてます。これまた9分以上ある”The Sunday Noon Mix”がお気に入り。
Outrage “Tall N Handsome”
何だかジャケがスゴすぎますが、多分これは再発モノ。RuPaulとかRight Said FredとかClub 69とか、それ系のゲイもの好きなら気に入るのではないかと。もうちょっと泥くさいですけどね。
リミックスが6種入ってますが、正直どれもイマイチ。Original Mixが一番良いので、それのエクステンデッドがないのが残念。
Grace Jones “Slave To The Rhythm”
オリジナルは80年代の曲ですが、リミックスを施されて再発されたシングル。オリジナルも大好きだったけど、リミックスも”Love To Infinity Classic Paradise 12″ Mix”ってのが好きでして。ドラマチックなストリングスとシャカシャカビートにシャウトを挟んで、ジワジワと溜めながら次第にグイグイ引っ張っていく展開、そしてやがてオリジナルのイントロが現れ、そこにリズムセクションが次々に加わっていくあたり、もう本当にスリリングに気持ちよくって最高。7分半以上あるし。
Grace Jonesといえば、LDで持ってた『ワンマンショー』っつーLIVE(仕立てのプロモかな?)が大好きでしてねぇ。その中でアコーディオン片手に、涙を流しながら「薔薇色の人生」をシャウトする勇姿にシビれまくったもんです(笑)。DVDで出ないかなぁ。
ま、とりあえずはこんなところで。
基本的に有名な曲ばかりなので、おそらく今でもオムニバス盤やミックス盤で聞くことができるのでは?
ただしこーゆーのって、フロアの追体験的な要素大なので、独立した音楽として聞いて、どれだけ楽しめるかは判りませんが……。
しかし我ながら、なかなかゲイゲイしいラインナップだなぁ(笑)。