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“Aadukalam”

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“Aadukalam” (2011) Vetrimaran
(イギリス盤DVDで鑑賞→Ayngaran

 2011年製作のインド/タミル映画。闘鶏に人生を賭ける人々の欲望や確執を描いた内容。タイトルの意味はPlayground(遊び場)。
 第58回インド国家映画賞で、監督賞と主演男優賞を含む6冠に輝いた作品。

 闘鶏が盛んな南インドのとある町。闘鶏はチーム制で行われ、その中でも2大チームが覇を競い、単に鶏と鶏の闘いを超えて、人間同士の争いの様相も示していた。主人公はその1チームに所属する貧しい若者で、自分も鶏を育てているものの、師匠から「この鶏はダメだから潰せ」と言われてしまう。
 一方、主人公チームと対抗するライバルチームは、未だ主人公チームに勝ったことがなく、チームを率いる一家にとっては、打倒主人公チームが一族の沽券に関わる悲願となっていた。しかし主人公の師匠であるチームリーダーは、彼らが鶏のドーピング等をしているのを嫌い、挑戦を受けようとはしない。
 ライバルチームは主人公チームに挑戦を受けさせるため、嫌がらせや恫喝など様々な手を仕掛けてくる。そんなある日、主人公はアングロ・インディアン(英国とインドの混血)の裕福な家庭の娘に恋をする。その恋は、一度は受け入れられたかに見えたが、実は娘には思惑があり打算のようなものだった。
 ライバルチームの嫌がらせはどんどんエスカレートしていき、遂には交通事故を装った殺人にまで至る。主人公の師匠は、遂に試合を受けることを決め、交換条件として敗者は頭とヒゲを剃り、以後闘鶏から一切手を引けと突きつける。その試合の準備もあって、主人公は例の娘から金を借りる。
 試合当日、ライバルチームは特別に育てた鶏を余所から輸入して挑む。主人公は、以前師匠に潰せと言われた鶏を、実は諦めきれず密かに育てており、また娘に借りた金を返済したいので、自分の鶏を試合に出してくれと師匠に頼むが、自分の目に自信がある師匠は、それを拒絶する。しかし主人公は半ば強引に自分の鶏を試合に出し、それを知った師匠は皆の前で「この試合と彼の鶏は自分のチームとは全く無関係だ!」と宣言してしまう。
 ところが彼の予想とは異なり、主人公の鶏は勝ってしまう。ライバルチームは更に賞金を積んで、主人公の鶏に再戦を挑む。こうして主人公の鶏は次の試合に臨むが、一方で主人公と師匠の関係は面子を潰されたことや嫉妬などによって、目に見えない亀裂が生じてしまう。
 やがてその亀裂は、試合が終わった後も主人公の気付かないところでどんどんと拡がっていき、やがては例の娘や兄弟子も巻き込む事態となり……という内容。

 これはなかなか面白かった。
 作りとしては、お約束のミュージカル・シーンやお笑いシーンを排した、タミル映画のニューウェーブであるリアリズム系の映画なんですが、それ系の作品がもっぱら、アンチ予定調和が過ぎてやたら暗い展開になるのに対して、本作はバランス良く纏めている感じ。
 実のところ、闘鶏の試合というドラマは前半部で全て終了し(前半のクライマックスが件の試合になる)、後半はその結果引き起こされた人間同士の確執にフォーカスが移る構成になっています。
 そんな中で、主人公は後半どんどん追い詰められて、にっちもさっちもいかない泥沼状態になっていくんですが、そんな中で、古いタイプのクリシェのように、追い詰められた主人公の反撃でカタルシスを出すでもなく、かといってアンチ予定調和による、神も仏もない陰々滅々とした展開にするでもなく、リアリズム的な現実の厳しさを踏まえながら、それと同時に救いも残すという、実に上手い持って行き方をしています。
 クリシェのさばき方は音楽シーンも同様で、ミュージカル排除とはいえ、完全に無くすとか現実音で処理するというほど禁欲的ではなく、基本的に挿入歌によるBGM的な使い方をしながら、そこはかとなく曲に合わせて踊ったりもするといった塩梅で、そういったバランスに工夫が見られるのも面白い。
 エピソードの繋ぎ等の作劇には、いささか粗いところがあり、カメラワークも、凝っているわりにはあまり効果が出ていない部分もあるんですが、本物の鶏とCGを交えた闘鶏シーンは、なかなか見せる出来映えですし、エモーショナルな場面のトゥーマッチにならない見せ方も佳良。
 主人公役の男優は、およそインド映画の主演とは思えない、何とも細っこい若者なんですが、それがまた何だかニワトリっぽくて効果的。おかげで、前半の鶏同士の闘いが、後半になると人間同士の闘いに重なって見えるという、作劇的な仕掛けが実に上手く作用している感じ。

 粗がない作品ではないし、リアリズムとクリシェのバランスをとろうとして、所々ちょっと中途半端になっている感もありますが(そういう意味では、前に見た“Subramaniapuram”の方がスゴい)、ストーリーの面白さや全体的な見応えが、充分それを補ってくれるといった感じです。
 泥臭い系のインド映画が好きな方と、インド映画の現在に興味のある汎的な映画好きの方、どちらにも楽しんでいただけそうな佳品。
 予告編。

 恋の告白を受け入れて貰った主人公が有頂天になる音楽シーン。個人的には、もうちょいガッツリ踊るか、それともリアルに徹するか……と、ちょっと中途半端さを感じてしまいましたが、一般的な映画のようなリアリズム描写の枠組みの中で、いかにインド映画の伝統である歌舞を取り込むかという、そういう試行の一つとしては興味深く見られます。

『ターザン三つの挑戦 (Tarzan’s Three Challenges)』

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『ターザン三つの挑戦』(1963)ロバート・デイ
“Tarzan’s Three Challenges” (1963) Robert Day
(米盤DVD-Rで鑑賞→amazon.com

 東南アジアを舞台にした変わり種ターザン映画。お珍しやタイで全面ロケしており、アジアの小国、霊的指導者の跡継ぎ争いが持ち上がり、そこにターザンが登場し、正当な後継者の護衛として大活躍という話。
 ターザン役者は、13代目のジョック・マホニー。

 東南アジアのとある国。国の指導者かつ宗教的指導者(つまりダライ・ラマみたいな設定)は死にかけており、跡継ぎは既に選ばれて寺院で養育されているのだが、現指導者の弟は、自分の息子をその地位につかせるために、正当後継者の即位を妨害しようとしている。
 そこで護衛としてアフリカからターザンが呼ばれるのだが、寺院に向かう途中で敵に襲われ、迎えの僧侶は殺されてしまう。何とか寺院に辿りついたターザンだったが、本物だという証拠がなく、身の証しを立てるために、技力・体力・知力の三つのテストを受けることになる。
 テストをクリアしたターザンは、次期指導者の少年を護衛して、無事に都まで送り届ける使命を受ける。途中、山火事に巻き込まれたり、敵の襲撃を受けたり、迷子の子象を拾ったりと色々ありつつ、犠牲者も出しながらも、一行は何とか都に辿りつく。
 旅の途中で先代指導者は既に亡くなっており、都についた後継者の少年のために、さっそく即位の儀が執り行われる。歌舞などが盛大に行われた後、真の後継者かどうかを試すために、少年に3つのテストが課されるが、それも無事にクリア。こうして一件落着かと思いきや、件の敵が第4のテストを申し出る。
 それは平和の中で長く廃れていた習わしだったが、後継者に異議がある者は挑戦者として挑むことができ、後継者の守護者はそれと生死を賭して闘わなければいけないのだ。こうして地位を狙う例の敵と、守護者に指名されたターザンの、生死を賭けた一騎打ちが始まる……という内容。

 これはなかなか面白かった。
 まず、ターザンがエキゾチックなアジアの国に来るという設定が、まあキワモノ的な発想ではあるんですが、タイの観光局が全面協力しているだけあって、出てくる寺院とかはバリバリ本物だし、祭りのシーンも質量共に本格的と、全てにかなりのスケール感があるのが良い。
 展開は、一難去ってまた一難が串団子になっている系なんですが、これまた個々のアイデアが面白かったり、演出自体もスピーディでキレがあったりと、弛緩したり飽きたりする隙を与えない感じ。フッテージを上手く使った山火事のシーンなんて、けっこう迫力があって驚かされました。
 アイデアの方は、例えば最初のターザンに課されるテストの内容は、揺れる的を弓で射る、両腕を左右から牛に引っ張られる(DVDのジャケにもなっている、ソード&サンダルでお馴染みのアレ)、頓智クイズといった具合。
 挑戦者との戦いも、都から離れたところを開始点として、腕を紐で繋がれた状態でランニングスタート。で、ゴールまで相手を傷つけないよう、弓を構えた兵士たちが見張る中、野山や岩場を走り、断崖を吊り橋ならぬ一本のロープにぶら下がって渡り、吊された剣をとってロープを切り、谷川の橋からバンジージャンプをし、そこから川に飛び込みスイミング…といった具合で、次から次へとなかなか面白い。
 そしていざゴールでは、煮えたぎる釜の上に貼られた目の粗いネットの上で、剣を片手に真剣勝負。これらをそこそこ〜かなりのスケールで見せてくれるもんだから、これで贅沢言ったらバチが当たります(笑)。因みに主演のマホニーは、この撮影で体重が40ポンド(約18キロ)減ったそうな……。

 ただ惜しむらくは、そのターザン役者のジョック・マホニーで、残念ながら顔も身体も魅力ゼロ……歴代のターザン役者の中でも、私的にはかな〜りポイント低め。ただし敵役が「スパルタカス」でカーク・ダグラスと闘った黒人剣闘士役のウディ・ストロードで、肉体美はそっちで堪能できます(笑)。
 ストーリーに花を添える後継者の乳母役で、Tsu Kobayashi(小林鶴子)という日系らしき女優さんも出ています。流石にアフリカからチータは連れてきませんでしたが、そういうお子様向けマスコット役には、かわいい子象のハングリーといった布陣。お父さん向けには、祭礼シーンで女性群舞をご用意。

 そんなこんなで、ターザン映画のパターンをちょっと崩し、かつ本格ロケで安いキワモノにもならず、作劇や構成もクリシェを上手く使って上々、ターザンの存在も、ストーリー的には脇ながら、見せ場では上手くメインに持ってくる……と、マホニーの容姿以外(笑)は文句なしの出来映えかと。

 この予告編だと、ナレーターが「ラドヤード・キップリングの世界」とか言っているので、制作者としては東南アジアではなく、南アジアのつもりだったのかも?

ヴォイチェフ・ハス監督『サラゴサ手稿(サラゴサの写本)』+『砂時計(クレプシドラ・サナトリウム)』

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“The Saragossa Manuscript” (1965) Wojciech Has
(イギリス盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 1965年制作のポーランド映画。ヤン・ポトツキの小説『サラゴサ手稿』をヴォイチェフ・ハス監督が映画化した三時間の大作。ポーランド語原題”Rękopis znaleziony w Saragossie”。
 DVDジャケ解説によると、ルイス・ブニュエルやデヴィッド・リンチなどが絶賛しているそうな。

 ナポレオンのスペイン侵攻時代。一人の仏軍兵士がサラゴサの旅籠で分厚い本を見つけ、その挿絵に魅せられる。そこに西軍兵士が彼を捕らえにやってくるが、彼もまた本に魅せられ、スペイン語が読めない仏人のために、その内容を語って聞かせる。それはスペイン人騎士アルフォンソの物語だった。
 国外で生まれ育ったアルフォンソは、マドリッドへ行くために二人の従者を連れて、シエラ・モレナの峠を越えようとしていたが、そこで従者の一人が行方をくらましてしまう。アルフォンソが彼を探していると、盗賊のゾト兄弟が吊されている絞首台と、その近くに廃墟のような旅籠を見つける。
 旅籠に入ったアルフォンソは、謎の女に導かれて地下の不思議な広間に通され、そこでチュニジアの王女たちだという二人の美しい姉妹に出会う。彼女らはアルフォンソをもてなしながら、彼が自分たちの従兄弟だと言い、二人一緒に娶るように言う。アルフォンソは彼女らと褥を共にし、髑髏の杯で酒を飲むのだが、そのまま眠りこんでしまう。しかし彼が目を覚ました場所は、地下の広間ではなく例の絞首台の下で、二人の王女たちも姿を消していた。
 恐れをなしたアルフォンソは近くの修道院へと行き、そこで修道僧と、気のふれた隻眼の男に出会う。隻眼の男は修道僧に促され、アルフォンソに自分の身の上話を始めるのだが、それは父親の若い後妻の妹に恋をしてしまった息子の話で、奇しくもアルフォンソの昨夜の体験と重なるような内容だった。
 その晩、アルフォンソは一人チャペルで眠るが、外からは彼を呼ばう怪しい声がする。
 翌朝アルフォンソは出立するが、今度は異端審問官たちに捕らえられてしまう。彼らはアルフォンソを拷問にかけ、頭に鉄仮面をはめてしまうが、チュニジアの王女たちによって助けられる。しかし彼を助けにきた一団の中には、吊されて死んだはずのゾト兄弟も混じっていた。
 王女達はアルフォンソを再び地下の広間へ連れて行き、鉄仮面を外して髑髏の杯で酒をふるまうのだが、眠りにおちたアルフォンソが目覚めたのは、またもや例の絞首台の下で……。
 といった内容が、登場人物の語りによる入れ子構造で綴られる、幻想的な物語。

 原作は有名な幻想文学の古典で、私もタイトルは知っていますが、浅学にして未読。ストーリーの入れ子構造と、魔術的な要素が絡んでくる雰囲気などは、アラビアン・ナイトを思わせますが、検索してみたところ日本語訳は抄訳のみで、残念ながら完訳版は出ていない模様。
 映像はモノクロ。幻想ものとはいえ、朦朧としたり曖昧模糊とした映像ではなく、眩しい陽光が感じられるようなスッキリとクリアな映像で、そんな中でユーモラスにすら感じられるアッケラカンとした怪異描写が逆に新鮮。白昼の怪異といった雰囲気です。
 ポーランド映画なので、実際にスペインロケをしたのかどうかちょっと判りませんが、雰囲気はバッチリ。セットや美術は文句なしの高クオリティ。そんな中で描かれるピーカンの幻想風景は、ちょいとシュルレアリスム的な味わいが。ただ、女性のメイクはいかにも60年代的。
 全体が二部構成になっていて、現実と妖かしが目まぐるしく交錯する第一部に比べて、第二部のメインを占めるジプシー男の語る物語は、複雑な入れ子構造(ジプシーが語る話の、登場人物がまた話を始め、その中の登場人物もまた……といった塩梅)の魅力はあれども、超自然的要素はあまりない、どちらかというと『カンタベリー物語』や『デカメロン』系の艶笑譚になります。
 で、この第二部が、まぁ内容的に面白いことは面白いんですが、しかし第一部で見られたような幻想性や奇想天外な魅力には欠けるのが物足りなく、ちょっと「それはもういいから、アルフォンソの話を続けてよ!」という気分になるのは否めません。
 とはいえ最後はきちんとアルフォンソの話に戻りますし、それまでの《怪異譚》から《幻想》へとグワッと拡がるシークエンスには大いに魅せられますし、アッケラカンとした雰囲気はそのままに《狂気》が描かれる様子は、まるでホフマンみたいで大いに魅力的。

 作品全体に《翳り》がなく、どこかスコーンと突き抜けた感じがあるのが、好き嫌いが分かれるかとは思いますが、個人的には大いに楽しめた一本。
 DVDはリマスター済みの英盤で、画質は極めて美麗。興味のある方なら見て損はないでしょう。

【追記】『サラゴサの写本』の邦題で、目出度く日本盤ソフト発売。

サラゴサの写本   Blu-ray サラゴサの写本 Blu-ray
価格:¥ 6,090(税込)
発売日:2014-01-25
サラゴサの写本 [DVD] サラゴサの写本 [DVD]
価格:¥ 5,040(税込)
発売日:2014-01-25

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『砂時計』(1973)ヴォイチェフ・ハス
“The Hourglass Sanatorium” (1973) Wojciech Has
(イギリス盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 先の『サラゴサ手稿』と同じくヴォイチェフ・ハス監督による、1973年制作のポーランド映画で、
こちらの原作はブルーノ・シュルツの『クレプシドラ・サナトリウム』(未読)。ポーランド語原題”Sanatorium pod klepsydrą”。
 73年のカンヌで審査員賞を受賞。

 生気のない客達を乗せた不思議な列車。盲目の車掌が一人の若者に「もうすぐ着きますよ」と告げる。その若者ヨゼフは、サナトリウムに入っている父ヤコブの見舞いに来たのだ。
 ヨゼフは雪の中に佇む古い洋館のようなサナトリウムに着くが、扉の向こうは奇怪な壁で塞がれていて中に入ることができない。ヨゼフが窓から中に入ると、内部は廃墟のように荒れ果てており、あちこちに植物が生い茂ったり、蜘蛛の巣が張っていたり、彫像やオブジェが散乱しており、人影がない。
 しかしやがてヨゼフは、情事を終えたばかりのような姿の看護婦と出会う。看護婦に案内されてヨゼフは医師と会い、父の見舞いに来たと告げる。医師は彼を父親の病室に通すが、父親はベッドに眠ったように横たわっており、医師は「死んでもいないが生きてもいない」といったようなことを説明する。
 病室に泊まることになったヨゼフが窓の外を見ると、一人の少年が見えるが、ヨゼフを見た彼は隠れてしまう。そしてヨゼフは、もう一人の自分がさっきと同じようにサナトリウムにやってくるのを見る。そして例の扉を開けると、さっきは閉ざされていたのに、今度は向こう側が広い空間になっている。そして先ほどの少年が現れ、もう一人のヨゼフを扉の向こうへ通す。
 この時からヨゼフは、ユダヤ人街、ヨゼフの親の経営していた店、鳥を飼っている屋根裏、ロシア風の広場、ロココ調の大広間など、時間も場所も定かではない奇妙な夢のような場所を、次から次へと彷徨い、そこで父や母、ユダヤ人たち、切手のコレクションを持った少年、蝋人形と機械仕掛けの自動人形、カリブの兵隊たち、色狂いの娘、東方の三博士など、様々な不思議な人々と出会うのだが……といった内容。

 え〜、ぶっちゃけ話の内容は、何が何だかサッパリ判りませんでした(笑)。
 次から次へと奇妙な出来事が起こり、意味のあるような無いような変な会話が交わされ、ヨゼフ自身もそれに常識人的に驚くでなく、彼ら同様に奇妙な振る舞いを見せます。言うならば《不条理幻想もの》で、横で一緒に見ていた相棒いわく「頭がおかしくなりそう」な内容。
 奇妙な出来事の数々は、時に可笑しく、時に荘厳で、時に不気味。後半になってくると、ユダヤ人ゲットーのイメージや、死のイメージが影を落とすようになり、ラストは怪談的な雰囲気も。
 で、訳は判んないんですが、何よりかにより美術がスゴい!
 廃墟めいたサナトリウムといい、先々で現れる奇妙な建物や部屋や風景といい、とにかくその美術が圧倒的。そこに加えて、様々な趣向を凝らした色彩や光や影の使い方で、その映像にひたすら感嘆。
『サラゴサ手稿』では、奇妙に乾いた感じの映像美が魅力でしたが、こちらはもっとウェットな感じで、映像自体の幻想性は更に高く、全く異なる映像美に酔わせてくれるのが、何と言っても魅力的。

 そんなこんなで、全体のムードはデヴィッド・リンチかセルゲイ・パラジャーノフかといった感じなので、ナニガナンダカサッパリワカンナイんだけど、見終わったあとは「すっげ〜良かった!」という後味に。
 そこいらへんが好きな方だったら、間違いなく楽しめると思います。DVDやはりレストア済みで、画質も上々。


【追記】『砂時計』の邦題で日本盤DVDが2014年12月20日に目出度く発売!
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世界幻想文学大系〈第19巻〉サラゴサ手稿 (1980年)
価格:¥ 2,625(税込)
発売日:1980-09
シュルツ全小説 (平凡社ライブラリー) シュルツ全小説 (平凡社ライブラリー)
価格:¥ 1,995(税込)
発売日:2005-11

『バトル・キングダム 宿命の戦士たち (Ярослав. Тысячу лет наза / Iron Lord)』

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『バトル・キングダム 宿命の戦士たち』(2010)ドミトリ・コロブキン
“Iron Lord” (2010) Dmitri Korobkin
(イギリス盤DVDで鑑賞、後に日本盤DVDが出たので再鑑賞)

 2010年製作のロシア映画。11世紀初頭、キエフ・ルーシの若きロストフ公ヤロスラフ(後のヤロスラフ賢公)を主人公とした、アクション・アドベンチャー系のヒーロー史劇。

 11世紀初頭、キエフ・ルーシの王子ヤロスラフは、父の聖公ウラジーミルの命によりロストフを治めていた。同地にはスラヴ人とフィン人の部族がそれぞれ居住しており、山賊が跋扈して人々を奴隷に売り飛ばしており、王子は同地平定のため、山賊退治と部族の統一に奔走していた。
 ある日、山賊を追った王子一行は、戦闘によって異教(非キリスト教)の聖所を焼いてしまい、そこに参拝していた熊族(フィン人の氏族の一つ)の娘を救い出す。王子は身近な者を供に、娘を森の奥にある熊族の村に送り届けて協定を結ぼうとする。しかし一行は森の中で襲撃にあい、殆どの者は殺されてしまう。
 王子は一人捕虜として熊族の村に捕らわれの身となり、同時に件の娘が族長の娘だということも判る。一方王宮では、山賊たちにこちらの情報が筒抜けになっていることから、内通者がいるのではないかという疑いが持ち上がる。
 そんな中、山賊たちが王子の暗殺を狙って熊族の村を襲うが、戦いの果て撃退される。その間、王子も脱走を試みるが失敗して再度捕らわれの身となるが、件の族長の娘と互いに惹かれ合うようになる。一方の王宮では、捕らえた山賊から王子が無事だとの情報を得て、救出のための出兵を決める。
 熊族の村はルーシ軍に包囲されるが、王子は戦闘を避けるための話し合いを試みる。村から遣わされた王子からの伝令を受け、父王は王子の右腕だったノルマン人の戦士を、和平の使者として村に遣わすことを決めるのだが、実はその裏ではもう1つの陰謀が蠢いており……といった内容。

 いちおう歴史上の人物を主人公にはしていますが、基本的には「○○の若き日の一幕」といった作りなので、歴史劇としての旨味はさほどありません。どちらかというと、恋と冒険と謀略が渦巻くアクション・アドベンチャー系の通俗娯楽作品というテイスト。
 ただ、主人公が後の賢公ということもあってか、善良で知的なキャラクターではあるものの、ストーリーの殆どで熊族での村で捕虜になっているだけで、ヒーロー的なカッコいい見せ場というのがあまりないのが、ちと問題。テンポが悪いわけではないですが、ドラマのメリハリやスピード感に欠けるんですな。
 ではシリアスな深みがあるかというと、これまたそういうわけでもないので、どうしても何か中途半端な感じに。ロシアの風景を活かした映像自体は美麗ですし、役者さんたちも味がある顔が多くて佳良、セットや衣装は時代考証よりイメージ優先系ですが、映像のクオリティ自体は高いので、ちと勿体ない。
 またキャラクターも、ルックス等の雰囲気はいいんですが、大河ドラマばりにアレコレ出てくるわりには、尺が約100分と短いこともあって、誰も彼もが掘り下げ不足で個性もクリシェ頼み。結果、いくらエモーショナルなエピソードが出てきても、キャラが薄いのでさほど感動もせず。

 王子の行動が領地の平定であると同時にキリスト教の布教でもあるのはちょっと興味深く、多神教との考え方の違い等の会話もあるんですが、最終的にはけっこう強引なレトリックによってキリスト教に一本化され、巨大な十字架の建立とヤロスラヴリの街の誕生で締めくくるのは昔のハリウッド史劇っぽい感じも。
 あと、フィン人の熊族はじめ各部族とキエフ・ルーシとの同盟関係の大切さを、やはり結末で強く訴えるあたりは、今のロシアの状況を踏まえた政治的な臭いも感じられたり。
 全体的に、恋愛ドラマの持って行き方とか、コミック・リリーフをわざわざ入れるとか、作劇の感覚がちょいと古臭い感じがありますし、評価がイマイチ(IMDbでは4.6点)なのもやむなしという感じではありますが、目の御馳走と割り切って見れば、映像自体は味があって佳良です。
 スペクタクル的にこれといった見せ場がないのは、ちと残念なものの、それでもセットや衣装などは実に本格的で出来も良く、雄大な風景なんか存分に楽しめますし、熊族の森がヴェトコンばりのブービートラップだらけで楽しかったり、ちょっぴりだけですが責め場もあったり……と、細かなお楽しみどころは色々と。

 そういう感じで、多くを期待してしまうとハズレだとは思いますが、まずモチーフ自体が稀少ですし、内容的にはあれこれ惜しいものの、かといって決して退屈だったり安っぽかったりするわけでもないので、コスチューム・プレイ好きの方だったら、気楽に見る分には充分楽しめるのではないかと。
 ぶっちゃけ全体のテイストが、ちょっと昔のイタリア製ソード&サンダル映画みたいなので、個人的には嫌いじゃないです、こーゆーのも(笑)。

バトル・キングダム 宿命の戦士たち [DVD] バトル・キングダム 宿命の戦士たち [DVD]
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2011-10-07

 因みにこちらが、私が先日ウクライナのキエフで撮ってきた《ヤロスラフ賢公の黄金の門》の、外観と内部の写真(オリジナルの門の上に新しい門を被せて保存されている)。
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“Khun Rong Palad Chu (ขุนรองปลัดชู วีรชนคนที่ถูกลืม)”

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“Khun Rong Palad Chu” (2011) Surasawadi Chuachat
(タイ盤DVDで鑑賞、YESASIAなどで入手可能→YESASIA.comeThaiCD.com

 2011年制作のタイ映画。アユタヤ王朝末期、愛国心から義勇軍を立ち上げた、村の警備隊長の後半生を描いた歴史もの。タイトルの意味は「チュー助役」。
 タイ語原題”ขุนรองปลัดชู วีรชนคนที่ถูกลืม”、”Unsung Hero”という英題あり。

 とある海辺。合戦場面のカットバック。そこに血まみれで倒れている男の顔のアップ。
 男の心の声が「自分の名はチュー助役。400人を率いて、こうして故郷から遠く離れた場所で死んでいくが、その決断が正しかったのか誤っていたのか判らない…」とモノローグで語り始める。
 18世紀中頃、タイのアユタヤ王朝末期。
 空に凶兆を告げる彗星が現れ、王が崩御したとの知らせが、主人公チューの村に届く。村の助役で警備隊長でもあるチューは、村長の供をしてアユタヤに赴くが、そこで目にしたのは、後継者を巡って争い合う貴族たちの姿だった。
 その争いに巻き込まれたチューは、自分の刀を同胞に向かって振り上げるという、思ってもみなかった事態に遭遇し、また、国のことなど顧みず自分の権力のことしか考えない貴族たちの姿や、忠誠を誓っていたはずの先王の王子たちが処刑される様子を目撃する。
 そして遂に、僧衣を纏った出家者の殺害にも荷担させられるに至って、苦しみに耐えかねたチューは、宿舎に火を放って自分もその中で死のうとするが、部下たちに無理やり助け出される。
 一方、アユタヤの混乱を見た隣国ビルマは、それに乗じて長年の確執のあるタイへの侵攻を計画する。チューは、この国家存亡の危機にも関わらず、相変わらず権力争いに明け暮れる貴族たちに愛想を尽かし、平民たちに呼びかけて、自分たちの国は自分たちで守ろうと、400人からなる義勇軍を立ち上げる。
 ビルマの侵攻が激しさを増す中、チューたちは有事に備えて武術の鍛錬をするが、そこに袂を分かったはずの貴族から援軍の要請が届く。彼らを信用できないチューだったが、国の危機を見過ごすことはできず、支配階級のためでなく家族や国のために、戦いに赴くことを決意するのだが……といった内容。

 なかなか意欲的な作品。
 まず表現面が、いわゆる通常の映画ではなく、基本的に全編モノクロで、撮影は手持ちカメラのドキュメンタリー風。そこに要所要所で、血や僧衣のみにキーカラーが入ったり、一瞬ティント着色や低彩度のカラーが挿入されるという作り。
 ストーリーは、冒頭から始まる主人公のモノローグに導かれ、エピソードはタイトル付きの章立てで描かれ、《歴史書ではたった二行の記述で済まされる名もない存在ながら、真に国を思って立ち上がった平民たちの悲劇と、それに対する讃歌》というテーマが描かれます。
 基本的に、主人公の《思い》がストーリーをリードしていくので、フィクション的な起伏には乏しく、地味と言えば地味な作りなんですが、表現が上手くそれに合致しているのと、主人公の佇まいがいかにも普通のオッサン然としている効果もあり、飽きさせずにぐいぐい見られる感じ。
 いちおう合戦場面とかビルマ軍の陣中会議の様子とか、史劇っぽい場面も挿入されるんですが、個人的には、せっかく《個》の視点による歴史というテーマや表現なんだから、いっそパノラミックな視点は完全に廃してしまったほうが面白い感もあり、その不徹底はちょっと残念かも。
 クライマックスはわりとセンチメントな描き方で、それ自体に新味はないんですが、それまでフラッシュバック的に挿入されていた画面の数々が、実際はどういう意味を持っていたのかという種明かしなどもあり、同時に、それによってテーマが更に補完される効果もあったりして、そこいらへんは好印象。
 また、主人公たちの辿った運命には、やはり胸を打たれますし、更に、マルチ画面を効果的に用いたエンディングも印象的で、後味はなかなかエモーショナルです。
 ただし、テーマ的にメッセージ性が強い分、それをプロパガンダ的だと感じる人には向かないかもしれません。表現はアーティスティックながら、テーマ自体はストレートに《愛国心》というテーマを打ち出しており、敵味方や善悪といった構図事態は、割と娯楽映画的なシンプルさ。

 そういうわけで、純粋な娯楽性を求める人には、表現面の凝り方や全体の地味さがマイナスかも知れないし、芸術性を求める人には、テーマのシンプルさがイマイチ感になるかも知れませんが、個人的には、一風変わったタイ史劇として、充分以上に楽しめました。
 男泣き系が好きな方ならオススメです。
《予告編》

《ソングクリップ》

『キャプテン・アブ・ラーイド (Captain Abu Raed)』

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『キャプテン・アブ・ラーイド』(2007)アミン・マタルカ
“Captain Abu Raed” (2007) Amin Matalqa
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com

 2007年制作のヨルダン映画。アラビア語原題”كابتن أبو رائد”。
 空港の掃除夫が機長の帽子を拾ったことにより、周囲の子供にキャプテンと勘違いされてしまい……というヒューマン・ドラマ。NHK BSで『キャプテン・アブ・ラーイド』題で放送されたことがある模様。

 妻に先立たれ子供もいない老人アブ・ラーイドは、アンマンの国際空港で掃除夫として働いていたが、ある日ゴミ箱に捨てられていたパイロットの帽子を拾う。
 彼がその帽子をかぶって帰宅すると、近所の子供が空港のバスから降りてきた彼の姿を見て、パイロットだと勘違いしてしまう。彼の住んでいるのはアンマンの中でも貧しいエリアで、その噂は瞬く間に近在の子供たちの間に広がり、翌朝子供たちは大挙して彼の家に押しかけ、彼を《キャプテン・アブ・ラーイド》と呼び、世界中を旅した冒険譚を聞かせてくれとねだる。
 一度はその頼みを拒否した彼だったが、やがて子供たちの遊び場で、帽子をかぶり、キャプテン・アブ・ラーイドとして、自分の豊富な読書知識を元に、世界中の様々な話を聞かせるようになる。
 しかし、同じく近所の子供で父親から虐待されているムラードだけは、その輪に加わろうとしなかった。ムラードは、彼が本当はパイロットではなく清掃員だということを知っていて、子供たちに彼は嘘つきだと言う。
 一方、所用でアンマン郊外に出掛けた彼は、そこで彼を最初にパイロットだと勘違いした少年タレクが、父親から駄菓子売りを強制されて学校に行けなくなっているのを見つける。彼は駄菓子を全部買い取ってやり、タレクに学校へ行くよう言うのだが、タレクの父親は息子が商品を全て売り切ったことに喜び、今度は更に大量の駄菓子を売りさばいてくるよう言う。
 そしてムラードは、自分を虐待している父親の財布から金を抜き、他の子供達を連れてタクシーで空港へ行き、《キャプテン》の《嘘》を暴こうとするのだが……といった内容。

 なかなか上質なドラマ。
 前半は老人と子供たちの間の、ほのぼの交流ものといった感じなんですが、子供たちのシビアな家庭事情が見えてきて、主人公自身の過去が断片的に明かされた中盤以降、ぐんぐんシリアス寄りの展開に移行していく意外性もあって、最後まで目が離せない感じ。
 夢を見ることの大事さを描きつつ、かといってお伽噺にはせずシビアな視点も交えながら、あるものは救われ、あるものは救われず……といった感じで、ストーリーに対するリアリズム的な距離の置き方が巧み。
 そして最後には、ハートウォーミングというのとはちょっと違う、少し複雑ながらもしみじみとした余韻が。
 演出は洗練されていて、全体的には過剰にドラマチックになることがない淡々とした味わいながらも、無駄がなくテンポも良し。仄かなユーモアや詩情のはさみ方も上々。IMDbを見ると初監督作品らしいですが、とてもそうは思えない安定した力量。
 キャラクター描写や俳優陣も、主人公や子供たちを筆頭にいずれも魅力的。

 ストーリーにはシビアな要素もありますし、社会派的な問題提起といった面もあるので、予定調和的な感動とか、ほのぼの味のみを期待してしまうと、ちょっと裏切られてしまうとは思いますが、しみじみと残る後味には色々と考えさせられますし、全体のクオリティも高い一本。
 ミニシアター系の作品がお好きな方にはオススメで、もちろんアンマンの風景もたっぷり楽しめます。

“Le Grand Voyage”

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“Le Grand Voyage” (2004) Ismaël Ferroukhi
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com

 2004年制作のフランス/モロッコ/ブルガリア/トルコ映画。
 車で陸路メッカ巡礼に出た、フランスに暮らすモロッコ移民の老父と、その運転手となったフランス生まれでイスラムに縁のないハイティーンの息子を描いたロードムービー。

 レダはフランスで生まれ育ったモロッコ移民二世のハイティーンの青年。使用言語はフランス語で、アラビア語はモロッコ方言しか判らない。ある日、敬虔なムスリムである老父が、自家用車で陸路ハッジ(メッカ巡礼、ムスリムにとって重要な五行の一つ)に出ることになり、その運転手を命じられる。
 大学受験を控えていたレダは反発するが、結局は父親の運転手として共にハッジに出る。二人の車はフランスからイタリア、スロベニア、クロアチア、セルビア、ブルガリア、トルコ、シリア、ヨルダン…と、様々な国を走り抜けてサウジアラビアへと向かう。
 旅の途中、謎の老婆や調子のいい男など、様々な人々に出会ったり、車が雪に埋もれてしまったり、言葉が通じなかったり詐欺にあったりといった、旅行ならではのトラブルにも巻き込まれながら、世代も文化的背景も異なる父と息子は、共に行動しながらも衝突を繰り返すのだが、やがて……といった内容。

 良い映画。
 作りすぎないエピソードのリアル感、点景によって浮かび上がってくる、父と息子それぞれのキャラクター像、それを支える俳優の演技と存在感、ユーモアや感動やしんみりなどの配分など、見所がいっぱい。
 全体的には地味な作りながら、父子の旅行きに起きる細々としたエピソードを楽しみつつ、互いの心の相反を経ての相互理解がドラマ的なうねりとなり、クライマックスのメッカに至るまで、全く飽きることも弛緩することもなく、お見事。
 そうやって描かれるドラマからは、物理的な距離だけではなく心理的な推移も含めた、人生の縮図としての《旅》の姿が浮かび上がってきます。イスラムを良く知らない二世の目を通して、エピソードや世界が描かれていくので、ムスリムでない人間にとっても内容的な敷居の高さがないのも良い。 
 ラスト(ちょっとネタバレを含むので白文字で)、父親が参拝に行ったまま夜になっても帰って来ず、心配して探しに行ったレダが、死体安置所で父親の亡骸と再会するという展開は、ちょっと唐突に感じられる人もいるかとは思いますが、じっさいメッカ巡礼では毎年のように、混雑による将棋倒しなどから「死者○○人」といったニュースが報じられるので、こういったことも決して珍しくはないんですよね、きっと。ここいらへんは、多少の事前知識が必要とされる部分かも知れません。

 IMDbによると、この監督の劇場用長編映画としては処女作らしいですが、それでこの仕上がりは見事。またWikipediaによると、ハッジ期間中のメッカでロケを許された最初のフィクション作品だそう。
 美しい音楽や印象的な風景、そして鑑賞後のしんみりとした余韻も忘れがたく、モチーフに興味のある方なら、まず見て損はない一本。

『牛』”The Cow (Gaav)”

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『牛』(1969)ダリウシュ・メールジュイ
“The Cow (Gaav)” (1969) Dariush Mehrjui
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com

 1969年制作のイラン映画。原題”گاو‎”。ダリウシュ・メールジュイ監督。
 田舎を舞台にしたリアリズム劇で、アッバス・キアロスタミやモフセン・マフマルバフといったイラニアン・ニュー・ウェーブは、この映画から始まったんだそうな。

 イランのとある田舎の村。
 村に一頭だけいる牝牛の飼い主である中年男ハッサンは、自分の牝牛を我が子のように可愛がっていた。しかし彼が所用で村から離れている間に、牝牛が急死してしまう。彼の心中を慮った村人たちは、牝牛をこっそり古井戸に埋め、彼には「牝牛が逃げた」と言うことにする。
 やがて帰ってきたハッサンは、牝牛が逃げたと聞かされて嘆き悲しむのだが、喪失の悲しみは次第に彼の心を蝕み、村人たちの心配する中、やがては自分が牝牛だと思い込んで、牛小屋から出てこなくなってしまい……といった内容。

 ストーリーとしては極めてシンプル。
 村の家畜を狙う外部の盗賊とか、ハッサンの甥と村娘との仄かな恋情とかいった、サイド・エピソード的なものも一応はあるものの、基本はハッサンの牝牛に対する愛情と、それを喪って次第に精神に変調をきたしていく様子と、それを何とかしようとする周囲の村人たちのドラマ。
 ハッサンが牝牛をどれだけ愛しているかというのは、優しく話しかけ、精魂込めて手入れをし、牝牛のためにお土産にお守りを買ってくる……といったエピソードの数々から、痛いほど良く伝わってくるし、だからこそその牝牛が死んでしまった時の、妻の動揺や村人たちの心配も判る。そして、誰も悪気があるわけではないし、逆に《良かれ》と思ってしているのに、にも関わらずそれが裏目に出て、悲劇的な結末を迎えてしまう。
 最後、(ネタバレを含むので白文字で)どんなに手を尽くしても牛小屋から出ようとしないハッサンを、村人たちは無理やり縛り上げて町の病院に連れて行こうとするのだが、抵抗し、言うとおりに歩こうとしないハッサンに、友人が業を煮やして、つい「歩け、この獣!」と怒鳴りながら、木の枝で彼を家畜のように打ち据えてしまい、そのあと我に返る……なんて場面は、そんな気持ちも判るだけに、尚更ゾッとするような痛ましいような、そんな気持ちに捕らわれて心を揺さぶられます。

 映像はモノクロームで、画面は極めて力強し。
 平穏な村の日常を描く静的な画面と、ハッサンの狂気や、村に忍び込んだ盗賊などを描く動的な画面のコントラストも素晴らしい。イタリアン・ネオレアリスモとの近似性というのも、これがイラン映画の新たな潮流を生んだというのにも納得。
 エモーショナルな要素が、ハッサンの牝牛に対する愛情という部分のみに集約していて、余分なドラマ的な作りがないのも佳良。基本的には現実の無情さを描きながらも、あちこちにそこはかとないユーモアも忘れない作劇も佳良。
 作品世界全体を俯瞰する視点の高さや、悲劇的であると同時に仄かな救いも感じさせる、鑑賞後の余韻も味わい深し。

 『牛』から、牝牛が消えた後、村人たちが心配してハッサンを訪ねると、彼の様子がおかしいことに気づき……といったシーンのクリップ。

“Pehlivan”

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“Pehlivan” (1985) Zeki Ökten
(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com

 1985年製作のトルコ映画。監督はユルマズ・ギュネイと組んで『敵』『群れ』(どちらも未見)などを撮ったゼキ・オクテン。主演は『群れ』と同じくタルク・アカンで、この”Pehlivan”では第35回ベルリン国際映画祭名誉賞を受賞。
 タイトルの意味は「レスラー」で、文字通りトルコの国技であるオイルレスリング(ヤールギュレシ)を扱った内容。

 老いた父親と妻と三人の子供と共に暮らす主人公は、全国的な不況によって失業中。望む職が見つからないまま、仕方なくリビアに出稼ぎに行くことを考えつつ、近在の村で祭りがあると、そこで開催されるオイルレスリング大会に参加して、僅かばかりの現金や賞品の家畜を手に入れている。
 しかし家計は苦しくなる一方で、更に長いことドイツに住んでいた親戚が、当地のトルコ人排斥運動のあおりで帰国し、主人公の家に同居し始める。主人公は、友人であるレスリングの口入れ屋や、往年の名レスラーだった大工と組み、一攫千金を目指して大きな大会での優勝を目指すのだが……という内容。

 演出は極めてリアリズム志向。
 作劇にフィクション的な過剰さや虚飾がなく、家族や友人の心の動きを描く日常的な光景や、社会情勢を反映したエピソードなどが、淡々と、しかし力強く、まるでドキュメンタリー映画のように綴られていく。素晴らしく見応えあり。
 音の使い方も見事。エモーショナルな劇伴音楽ではなく、実際のオイルレスリングの試合や村祭りで奏でられる音楽がメインで、それがドラマの素朴な力強さをより引き立てる効果に。
 加えて自然音の使い方や、クライマックスの無音効果などは、もうお見事の一言。
 役者陣も、主人公とその老いた老父を筆頭に、いずれも素晴らしい存在感と説得力。
 そんな主人公の肉体的な存在感をメインに、繰り広げられる数々のレスリングシーンも見所の一つなのだが、村祭りの試合から師匠との練習、そしてクライマックスの延々と続く大会の模様など、その充実度にも大満足。
 更に主人公の《逞しい肉体》という要素が、きちんとエロティシズムにも繋がっているのが良い。
 夫の身体をオイルマッサージしながら、夫婦が次第に欲情していくシーンがあるのだが、オイルに濡れた手で分厚い胸板を撫で回す様や、屈んだ妻の襟元から覗く乳房のたわみといった具合に、抑えた描写ながらもエロティシズムもばっちり。
 というわけで、元々オイルレスリング好きの私としては、もう文句なしに楽しめました。
 ただし結末は見る人を選ぶと思います。予定調和的な快感を保証する娯楽作ではなく、そのアンチ・クライマックス的な幕の引き方には、賛否両論ありそう。
 個人的には、このエンディングは高評価。ドラマが一瞬にしてブツンと途切れて、映画の世界から現実に放り出されてしまうような感じなんですが、全体がリアリズム準拠なので、その効果も大。「ああ、現実ってこういうものだよな……」などと、しみじみ思いました。

 私が最近見たアンチ・クライマックス系のトルコ映画(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品や、セミフ・カプランオール監督『蜂蜜』『』、東京国際映画祭で見た『ホーム』『われらの大いなる諦め』など)と比較すると、まだまだ娯楽寄りの要素はありますし、日常的な表現のデリケートさも、あそこまで徹底してはいませんが、それでも題材に興味がある方なら、まず見て損はないと思います。

“Deli Deli Olma”

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“Deli Deli Olma” (2009) Murat Saraçoglu
(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで取り扱いがあったんですが、現在は品切れの模様→amazon.com

 2009年製作のトルコ映画。タイトルの意味は”Piano Girl”。

 トルコの雪深い寒村で暮らすロシア系移民の、最後の一人となった老人と、村の様々な人々との交流を描いたヒューマン・ドラマ。主演はトルコのベテラン・スター俳優タルク・アカンとシェリフ・セゼル……と、ユルマズ・ギュネイ監督の『路』コンビ。
 その昔、オスマン帝国対ロシア帝国の戦争の後、ロシア皇帝によって追放されたモロカン派の人々が、トルコのカルス地方に強制的に移民させられた。そして時は流れロシア人たちは少しずつ死んでいき、最後に残った二人の従兄弟同士のうち片割れも死に、ついに年老いた男ミーシカだけが一人残される。
 村人たちは、一人ぼっちになってしまったミーシカのことを、あれこれ案じるのだが、この村には村中の皆から怖れられている気性の激しいパピュクという老婆がいて、この老婆がロシア人を蛇蝎の如く嫌っているので、村人たちも大っぴらにミーシカを助けることができない。
 そんな中、パピュクの孫で音楽が大好きな少女エルマが、ミーシカがピアノを弾いているのを見たことをきっかけに、彼と仲良くなり家に出入りするようになる。しかしそれを知ったパピュクは烈火の如く怒り、しかも自分の息子がこっそりミーシカにツケで食糧を売っていたと知り、強引にその支払いを迫る。
 支払いに窮したミーシカは、街で売ればかなりの金額になると、父から譲り受けたピアノをパピュクに渡す。エルマは喜ぶが、パピュクはピアノを家に置いておきたくないので、息子が賭で負けた精算の代わりに、ピアノを別の家族に渡してしまう。村では西洋音楽に全く馴染みがなく、ピアノは粗大ゴミのように扱われてしまい、エルマは子供ながらに何とかそれを大事に扱わせようと奮闘する。
 そんな中、エルマの音感の良さに注目した学校の音楽教師が、彼女に音楽学校の奨学制度の試験を受けさせたいと提案する。村から将来のピアニスト、つまり歌手や女優のような有名人が出るかもと、村人たちはこぞって賛成するのだが、祖母のパピュクだけは断固反対。
 そんな最中ミーシカが病に倒れてしまう。果たしてエルマの将来は、そしてパピュクは何故そんなにミーシカのことを目の敵にするのか? ……といった内容。

 なかなか見応えのある作品。
 雪深い寒村の風景は見事に美しいし、村人たちの様子も実に生き生きとして魅力的。エルマをメインにした子供たちのエピソードも楽しく、エルマがミーシカのことを、次第に本当のおじいちゃんのように慕っていくあたりもジーンときます。
 ミーシカとパピュクの過去の因縁に関しては、まあある意味想像通りといった感じで意外性はないんですが、このエピソードを通じて、異国へ強制的に移民させられた人々の悲しみや、民俗や言語の違いだけではなく、宗教の違いによって同化することができない人々間の悲劇などを、くっきり浮かびあがらせるのが上手い。
 メインのストーリー以外でも、村の茶店で定例開催されるサズ(楽器)の弾き語り&即興詩による歌合戦のアレコレとか、いい歳した男たちがパピュクの剣幕の前ではいつもタジタジとなってしまい、手も足も出なくなるといったユーモアとか、ピアノに隠されていた謎とか、あれこれ楽しいディテールがテンコモリ。
 ミーシカを心配して村の男たちが彼の家を訪ねると、彼が編んだソックスとか彼が焼いたロシアのデニッシュとかがあるので、おそらく彼がずっと独身であったことも踏まえて(これは理由があるんですが)「……やっぱり彼はオカマだ」なんてヒソヒソ言い交わすのを、ユーモラスに描いたシーンもあり。
 強いて言えば、ちょいとテンコモリ過ぎて、これは別になくてもいいんじゃないかというエピソードもあるし、どうせなら少女エルマの視点で一貫させた方が構成としてスマートになったのではないかという気もしますけど、良い意味での通俗性を持ち合わせた、面白さも感動もある標準以上の出来であることは間違いなし。IMDbでも7.1点という評価。
 役者陣も上々。ミーシカ役、タルク・アカンのおじいちゃんっぷりが実に良いんですが、対するパピュク役、シェリフ・セゼルの烈女っぷりも、またお見事。エルマ役の少女も文句なく愛らしく、その他いろいろ愛すべきキャラクターもいっぱい。
 あと、極めて個人的なことですが、ちょうどこういった雪深い時期に同地方を旅したことがある(1月にイランのタブリーズから鉄道で国境を越えてトルコのドゥバヤジットへ行った)ので、出てくる風景や村の光景等、見ているだけでも、なんかいちいち懐かしかったり嬉しくなったり(笑)。

 ただ、後味がちょっと微妙なところがあるので(ヒューマン・ドラマ的な感動というより、ちょっと苦いものを飲み込んだようなトラジックな気持ちになる)ので、そこは好みが分かれるところ。私の好みとしては、全体のテイストと照らし合わせても、もうちょっと暖かみのあるエンディングにして欲しかったかなぁ……という気はします。
 ここいらへんは、前に“Vizontele”の感想で書いたような、これがトルコ映画的な特徴なのかな……なんて思ったり。