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『ジュデックス』+”Nuits Rouges”

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『ジュデックス』(1965)ジョルジュ・フランジュ
“Judex” (1965) Georges Franju
(イギリス盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 1963年製作のフランス映画。監督は『顔のない眼』のジョルジュ・フランジュ。
 1910年代にルイ・フイヤード監督が撮ったサイレント活劇映画へのオマージュとして、謎の覆面義賊団と女盗賊一味の闘いを描いた映画。

 銀行創立20周年と娘ジャクリーヌの再婚を祝う舞踏会を控えた悪徳銀行家ファブローの元に、ラテン語で《裁き》を意味する「ジュデックス」の署名と共に、「これまでの罪を償うために財産を人々に返還せよ、さもなくば舞踏会の日の深夜に命を奪う」という内容の脅迫状が届く。
 ファブローは探偵を雇うが、自分は相変わらず罪業をなじりに来た老人を車ではねる等の悪行を繰り返し、更には孫娘の家庭教師マリーに結婚を迫る。ジュデックスの手がかりは何も掴めないまま、いよいよ祝賀仮面舞踏会が開かれるが、会場に鳥の仮面を付けた謎の手品師が現れる。
 そして時計が十二時を打った瞬間、ジュデックスの警告通りファブローは息絶え、手品師はひっそりと会場を後にする。父の死後、ジャクリーヌは父のしてきた悪行を知って家屋敷や財産を処分することにし、婚約者も彼女から去る。しかし家庭教師のマリーは、恋人と共にファブローの財産を狙っていた。
 そんな中、数人の覆面男たちが、ファブローの遺体を墓地から盗み出す。実はファブローは仮死状態にされていただけで、そのままジュデックスの秘密基地に幽閉され、「お前は死刑の予定だったが、娘さんの行いで救われ、終身刑に変更する」という宣告を受ける。
 一方、マリーと恋人は、夜中にファブローの屋敷に忍び込むが、それをジャクリーヌに見られてしまう。マリーたちは、ジャクリーヌを眠らせて連れ去ろうとするが、ジュデックスがそれを助ける。ジャクリーヌが目覚めたとき、その傍らには鳩の入った鳥籠と、「何かあったら、すぐにこの鳩を放ちなさい、私が助けに行きます」というジュデックスからの手紙が残されていた。
 やがて、ファブローが生きていることを知ったマリーたちは、まず彼を助けて財産を奪おうと企み、その前に口封じのためにジャクリーヌを殺そうとうるが……といった内容。

 なるほどサイレント時代の活劇映画へのオマージュらしく、まさに《奇想天外》という言葉が相応しいストーリー。
 意外であればあるほど良しといった感じで、リアリティも伏線もへったくれもない展開に偶然に偶然が重なって、まあ何とも楽しく転がっていきます。登場人物や道具立ても、つば広帽に覆面黒マントのハンサム義賊、黒い全身タイツに身を包んだ変装が得意な女盗賊、マヌケな探偵と冒険好きの少年、曲馬団の美少女軽業師、廃墟となった古城の地下にある秘密基地、電気仕掛けの様々な空想科学系不思議小道具……といった感じで、レトロ風味がいっぱい。
 モノクロ映像は美しく、活劇ながらも所々にハッとするような詩的なイメージも。映画はアイリス・インで始まり、エピソードの合間合間には、中間字幕調の装飾的な章題が置かれ、いかにも無声映画へのオマージュという雰囲気はタップリ。監督自身による、自分が幼少期に見た映画の想い出の再現といった感じもあり。
 サイレントの活劇映画っぽい強引な作劇は、思わず笑っちゃうところもあったりして、個人的には(ちょっとネタバレ気味なので白文字で)「敵と取っ組み合っていたら、相手の指輪で生き別れになっていた実の息子だと判る」と「壁を昇りあぐねていると、偶然そこに曲馬団の馬車が通り知り合いの軽業師が乗っている」の二つが大爆笑でした(笑)。

 キャストは、私の知っているところでは、ジャクリーヌにエディット・スコブ、軽業師の美少女にシルヴァ・コシナ。
 音楽は『顔のない眼』同様モーリス・ジャールで、これまたステキな曲を聴かせてくれます。特に仮面舞踏会のシーンは、音楽の良さと画面のファンタジックさが相まって忘れがたい出来。
 そんなこんなで、レトロ好きならタップリ楽しめる一本ですが、前述のように作劇やキャラクターも含めて、意図的にアナクロに徹しているので、レトロ趣味がない方には敷居が高いでしょう。
 しかしこうやって見ると、オマージュ元のルイ・フイヤードの映画も見てみたくなるなぁ……DVD出たけどスルーしてた『レ・ヴァンピール 吸血ギャング団』見てみようかしらん。

『ジュデックス』から、ファンタジックな美しさが忘れがたい仮面舞踏会のシーン。

“Nuits Rouges” (1974) Georges Franju
『ジュデックス』と同じく、ジョルジュ・フランジュ監督がクラシック活劇映画へのオマージュとして撮った1974年度作品。
 こちらはカラーで、元々はTVシリーズだったものを、再編集して長編映画に仕上げたものらしいです。

 とある学者の執事が金に困り、主がテンプル騎士団の財宝の握っていると、情報屋にたれ込む。その情報は、地下基地に潜む紅い覆面の男を頭とした覆面ギャング団一味に伝わり、学者はギャングに襲われ口を割らないまま殺されてしまう。
 警察が捜査に乗り出した頃、学者の甥で船乗りの青年が帰還する。しかし直後に本物の甥が現れ、先に現れたのは偽者だと判明する。偽者の手引きをしたことで執事は警察に拘束されるが、何も自白しないまま、ギャング団のマッドサイエンティストによってゾンビ化された刺客に殺されてしまう。
 甥は警察とは別個に、ガールフレンドと、彼女の友人で詩人かつ探偵の男と共に、3人で事件の謎を探り始める。それを知ったギャング団のボスの右腕で、キャットスーツに身を包んだ美女の殺し屋は、ガールフレンドを誘拐しようと計画するのだが…といった内容。

 奇想天外というかシッチャカメッチャカというか、これまた何とも奇天烈なストーリー。
 隠し扉だの地下基地だのゾンビ化手術だの彫像の中に潜む悪漢だの、次から次へと繰り出されるガジェットや仕掛けは実に楽しく、クライマックスはギャング団とテンプル騎士団の銃撃戦というブッ飛び具合。
 ただ『ジュデックス」とは異なり、手法的にはっきりとサイレント活劇へのオマージュを打ち出しているわけではなく(せいぜいアイリス・インが多用されるくらい)、時代設定も制作当時の《現代》なので、レトロ活劇の魅力というよりは、単に古臭くてユルい活劇映画に見えてしまう感もあり。
 また、キャラクターや役者にあまり魅力がないのも、『ジュデックス』と比べて痛いところ。美人殺し屋のゲイル・ハニカットは、峰不二子みたいでなかなかヨロシイんですが、肝心のヒーロー(甥っ子)やヒロイン(ガールフレンド)に魅力がなく、影も薄いのが何とも残念。
 とはいえ、その女殺し屋がキャットスーツ&覆面で、夜の屋根の上で暗躍するシーンや、主人公と探偵が、マネキンに化けていたゾンビ軍団に襲われるシーンや、赤覆面のボスが、バイクで下水道(?)を逃走するシーンなどに、ちらほら魅力的な映像もあり。
 まあ全体のノリはユルいんですが、テンポそのものは決して悪くなく話もサクサク進みますし、DVDも『ジュデックス』のオマケみたいにしてついてきたものなので(英盤で『ジュデックス』『Nuits Rouges』の二枚組)、レトロ好きなら軽いノリで楽しめると思います。

 ”Nuits Rouges”から、覆面&キャットスーツの美人殺し屋と警察が、夜のパリの屋根の上でまったり対決するシーンのクリップ。

レ・ヴァンピール-吸血ギャング団- BOX クリティカル・エディション [DVD] レ・ヴァンピール-吸血ギャング団- BOX クリティカル・エディション [DVD]
価格:¥ 12,600(税込)
発売日:2008-11-29

“Bol”(『BOL ~声をあげる~』)

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“Bol” (2011) Shoaib Mansoor
(インド盤DVDで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com

 2011年製作のパキスタン/ウルドゥ映画。ショエーブ・マンスール監督作品。タイトルの意味は《話す》。
 イスラムにおける父権的&女性蔑視的なドグマに囚われた父親と、その妻や娘たちの辿る悲劇を描いた社会派ヒューマン・ドラマ。パキスタン映画の興行成績を塗り替えた大ヒット作だそう。IMDbでも8.0/10という高評価。
【追記】アジアフォーカス・福岡国際映画祭2012で上映、福岡観客賞受賞。

 死刑執行直前の一人の若い女囚が、最後の願いとしてマスコミの前で話しをすることを望み、「私は殺人者ではあるが犯罪者ではない」と前置きしてから、自らの個人史を語り始める。
 彼女は貧しいが子沢山、それも女児ばかりの家に生まれた年長の娘だった。父親は熱心な宗教的求道者として周囲からは尊敬を勝ち得ていたが、ドグマに囚われ妻や娘たちを家に閉じ込め、学校にも行かせず外出もさせないという男だった。
 父は男児の誕生を望んで、繰り返し繰り返し妻を妊娠させるが、生まれてくるのは女児ばかりだった。そしてようやく息子が授かるが、その子は半陰陽と判断され、父親はその存在を恥じて家に閉じ込める。成長した彼はトランスジェンダー的な振る舞いを見せるようになる。
 ヒロインはそんな弟を独り立ちさせるために、母や妹たちや開かれた価値観を持つ隣家の息子の助力を得て、絵が得意な彼を、父親に内緒でトラックに絵を描くペンキ屋に弟子入りさせる。ペンキ屋の親方は彼の才を認めるが、彼の中性的な物腰が他の同僚やトラック運転手から目を付けられ、ついに親方のいない間に乱暴されてしまう。
 母や姉たちは、出掛けたまま帰って来ない彼のことを案じるが、父親は「そのままどこかで死んでくれればいい」とまで言う。そして、乱暴されたあと縛られて放置されていた彼は、ヒジュラ(男女以外の第三の性。多くは女性化した男性で、歌舞や売色等を生業とする)に助けられ、家まで送り届けられる。父親はそれを無視して扉を開けようとしないが、母や姉たちがそれに気付いて彼を迎入れる。
 事情を聞いた母や姉たちは、彼を無理に一人前の男にしようとした自分たちが間違っていたと悔やむが、この事件で父親はますます息子を疎むようになり、ついにはその寝室に忍び込み……といった内容で、ここまでが前半。
 後半はこれが皮切りとなり、父親が預かっていたモスクを建てるための募金の使い込みや、そんな父親が娼館の主と金銭的な取引をして、そこの娘の腹を借りることになるという事件が絡み、そんな父親と独立心のあるヒロインの対立は、ますます激しさを増していき、結果この一家はどんどん泥縄に……となっていきます。

 これはお見事。大いに見応えあり。
 前述したTGの息子の部分だけでも、かなりズッシリとしたテーマなんですが、それはまだほんの序の口。後半は、ドグマによって抑圧される女性とそれを容認してしまう社会、男児を重視する社会が産み出す様々な歪みといった、問題提起や告発に繋がっていき、それがダイナミックなストーリーのうねりと共に描かれていきます。
 死刑直前のヒロインの独白でストーリーが始まることによって、過去に何が起きたのかということと、そして現在のヒロインはどうなるのかという、二本柱で全体を牽引していくので、もう先が気になってたまらない。で、その語られる内容が、特に狙ってツイストを入れてくるわけではないのに、それでも驚くべき展開になっていくので、とにかく最初から最後まで目を離せない感じ。
 とはいえ、ひたすら重くて暗いというわけでもなく、ユーモア描写こそありませんが、それぞれのキャラクターをじっくり描き込んだ波瀾万丈の大河ドラマといった趣で、重いテーマながらもグイグイと力強く引き込んで見せていきます。
 そして、現実の残酷さと希望の双方を踏まえたラストには、思わずウルウル。

 演出も見事。冒頭、向かい合った男女が会話しているシーン……と思いきや、カメラが動くと、二人の間に鉄格子があることが判るカットから「おっ」と思わされましたが、全編に渡って、落ち着いたカメラワークと構図で見せる、しっかりとした重厚な出来映え。
 インド映画同様に、パキスタン映画にも歌や踊りは必須のようで、この映画にも何回か歌舞が登場しますが、挿入歌的な見せ方、ラジオから流れる歌に合わせて踊る、音楽のライブ場面……といった具合に、極力ストーリーに溶け込ませて自然に見せようという工夫があるので、あまり腰を折られる感はなし。
 もちろん、ドラマの置かれている社会事情を考慮しないと、理解や感情移入がしにくいであろう部分もありますし、こういうテーマだとどうしても、一部の音楽シーンが冗長に感じられる部分もあるんですが、しかし重厚なヒューマンドラマとして文句なしの見応え&良作。

 女性映画でもあり、社会派映画でもあり、ヒューマニズム映画でもあり、波瀾万丈の大河ドラマでもあり、ストーリーの面白さ、考えさせられるテーマ、胸を打たれるエモーショナルな展開の数々……と、見て損はない一本。

【余談】DVDのジャケやメニュー画面で一番デッカい二枚目男性が、実はストーリー的にはわりとどーでもいい隣家のお兄ちゃんだったので、ちょっとビックリ(笑)。

“Badrinath”

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“Badrinath” (2011) V. V. Vinayak
(インド盤Blu-rayで鑑賞、私が利用した購入先はここ

 2011年制作のインド/テルグ映画。
 寺院の守護者となるべく育てられた無双の武芸者と、神を信じない娘とのロマンスを、ブッ飛び級のスケールで描いたアクション大作。

 古来からインドの寺院は、その知識を狙う外敵や、植民地支配を目論む帝国主義者、そして現代はテロリストなどに狙われてきた。
 そんな寺院の守護者を育てるべく、ヒマラヤ奥地の秘寺バルディナースに子供たちが集められ、腕の1振りで百人の敵を倒す古武道が教えられる。中でも抜きんでいたのは、元々は修行者ではないものの「門前の小僧が経を詠む」的にスカウトされた、武芸に秀で信仰にも篤いバードゥリという若者だった。
 ある日バードゥリは、老人が孫娘を連れて寺院にお参りに来る途中、発作を起こして倒れたのを救う。老人は一命をとりとめるが、美しい孫娘のアラカナンダは、幼い頃に眼前で両親が寺院の聖火の事故によって焼死していたため、神を信じることができず、逆に憎んでいた。
 アラカナンダは初めバードゥリと反発しあうが、彼女の心は次第に彼の信仰心によってほぐされていき、やがて彼を愛するようになる。そして結婚を夢見るようになった彼女を、バードゥリの両親も未来の嫁候補として歓迎するのだが、そんな折り、バードゥリのグルである寺院の老師が、彼を自分の後継者にすると決める。
 しかしそれは即ち、バードゥリは妻帯が許されなるということも意味していた。アラカナンダの気持ちを知っているバードゥリの両親はそれを嘆くが、人並みの人間の幸せを越えたグルになるという名誉もあり、その申し出を受諾する。老師は、このことはバードゥリには教えるなと命令し、その結果アラカナンダも、自分の恋心を彼に伝えるきっかけを失ってしまう。
 しかしアラカナンダは、この寺院が冬の間は雪に閉ざされ、寺院の扉も封印されるのだが、その封印時に祭壇に供えられた灯明が、再び扉が開けられる半年後にまだ燃えていたら、灯明に供え物をした願掛けが成就するという話を聞き、そこに望みを託すことにする。彼女はバードゥリに、好きな相手と結婚できるよう願掛けしたいと、その相手がバードゥリ自身であることは伏せたまま、彼の助力を得て寺院に備える秘境に咲く花を取りに行く。
 その一方で、地方の悪辣な有力者と結婚しているアラカナンダの叔母が、悪党と結婚したことで親族から縁を切られ、また、以前公衆の面前でアラカナンダに侮辱されたことを根に持って、彼女を自分の息子の嫁にすることで、屈服させ跪かせようと企んでいた。密かに紛れ込んでいたスパイによって、アラカナンダがバードゥリに恋をしていると知った叔母一家は、彼を殺して彼女を強奪するよう、息子に命令する。
 更にもう一方、寺院の僧侶たちの中にも、バードゥリがアラカナンダを愛しており、彼らの仕える神を裏切って娘を選んだのではないかと疑いを持っており、その話はバードゥリの老師の耳にも届いてしまう。
 果たして二人の運命はいかに……? ってな内容です。

 いや、これは面白かった!
 特に今あらすじを説明した前半までは絶好調。スペクタクル、アクション、ロマンス、歌と踊りが、ジェットコースター・ムービーばりのテンポで次々と展開していき、息をもつかせぬ面白さ。
 まぁストーリーとしては、比較的シンプルな予定調和もので、もうちょっと大きな仕掛けがあってもいいかな……とは思うんですけど、それでもストーリー的な「この後どうなる?」要素が、ヒーローとヒロインのロマンス、それによる信仰と世俗愛の相克、ヒーローと老師の間の信頼や誤解、ヒロインと悪い近親者の間の因縁……などなど、上手い具合に複数要素を絡て引っ張っていくので、全体の牽引力や「目が離せない!」感は上々。
 そこに加えて、暴れ出す象だの、秘境に咲く花だの、善人だけが打たれることの出来る滝だの、閉ざされた寺院の中で点され続ける灯明だの、神の力が宿った土塊だのといった、細かなガジェットやエピソードを色々入れてくるので、それらがテンポの早さとも相まって、なかなかの効果に。
 ただ、後半はちょっとテンポが悪くなり、クライマックスも尻すぼみ感があるのが惜しい。
 前半では比較的控えめだったお笑い場面が、後半の、よりによって事態が逼迫してきた状況下で、しょっちゅう挿入されるもんだから、どうしても見ていてイライラするし、インド映画的には問題なくても、やはりそれがテンポを殺してしまっていることは否めない感じ。ふんだんに入る歌と踊りも、ちょっと後半は多すぎるかなという気も。
 とはいえクライマックスは、ヒーローとヒロインとヒーローの老師という3者の関係を、ヒロインの恋情と共に揺れ動く、信仰心の喪失/復活/再喪失といったモチーフに絡めながら、エモーショナルにグイグイ盛り上げてくれるので、展開自体は上々。前述した尻すぼみ感というのは、悪役が最後を迎えるシーンに映像的な外連味や盛り上がりが乏しいのと(まぁそれ以前が色々スゴ過ぎたので、それらと比べるとどうしても見劣りしてしまう……という要因もありますが)、ハッピーエンド後の余韻が乏し過ぎるので、あくまでも「気分的な盛り上がりが物足りない」という話であって、ストーリーの決着や、それに持っていく作劇自体は、充分以上に佳良だと思います。

 映像的な見応えとしては、まずスペクタクル面で、ヒマラヤの秘寺の大セット。色鮮やかな美術、いかにもインド映画らしいモブと小道具大道具の物量作戦、自然の雄大さ、プラスCG合成による「ないわ〜w」ってな光景……などなど、スケール感と目の御馳走感がバッチリ。
 アクションは、ワイヤー系のアクロバティックなものですが、寺院を占拠したテロリスト軍団やら、恋敵の差し向ける刺客軍団などを相手に、マッチョな肉体美ヒーローが独り剣を片手に、バッタバッタとなぎ倒していくという塩梅なので、これまた文句なしにカッコいい。
 血飛沫は派手に飛び散り、腕や首が飛んだりもするんですが、後者に関しては、一瞬見せてホワイトアウトというパターン。最初は効果のうちかと思ったんですが、後に白いマスクで画面の半分が隠される場面もあったので、どうも検閲とかそっち系の要因らしいですな。
 歌と踊りは、寺院のセットを使った大群舞あり、MTV系のカッコいい(……多分)セットを使ったヒップホップ系あり、ヒーローとヒロインがいきなりスイスだかどっかの雪山や古城にワープして歌い踊るとゆーお約束もあり、テルグ映画っぽいテンポの早い泥臭い系もあり……と、どれも楽しく、これまた大満足。
 音楽自体も上々です。

 主人公バードゥリ役のアル・アルジュンという男優は、私は今回が初見ですが(オープニング・クレジットでは『スタイリッシュ・スター』というキャッチコピーがw)、なかなかのハンサム君で肉体も見事、アクションと踊りもバッチリ(ただし踊りに関しては、動きの速いコレオグラフィーが連続すると、ちょっと息切れ感が見える部分もあり)で、こういう映画のヒーローとして文句なしの百点満点。
 特に肉体美はかなりのもので、しかもテロリスト相手の大殺陣の見せ場では、何故か上半身裸にハードゲイ風のレザーのハーネスなんか着けてたりして、かなりのお得感が(笑)。一緒に見ていた相棒も、横で大喜び(笑)。
 アラカナンダ役のタマンナ・バディア(?)は、個人的に高評価のタミル映画”Paiyaa“などでヒロイン役をやっていた女優さんで、私はこの人、美人だし、気品もキュートさもあるし、大好きです。老けメイクで老師役を演じているプラカシュ・ラジも、タミル映画の親分役や悪党役でよく見るお顔。

 というわけで、前半=文句なしの面白さ、後半=ちょい弛緩あり、ってな感じで、前述したように締めがもう一つ惜しい感もあるんですが、それでも、とにかく見所は盛りだくさんだし、インド映画に馴染みがあってもなくても、たっぷり楽しめる快作だと思います。

予告編。

“Omkareshwari”〜寺院のセットや絢爛たる色彩美による、冒頭の群舞シーン。こーゆーのって見てるだけでも嬉しくなっちゃう(笑)。

“Nath Nath”〜いかにもテルグ映画っぽい、テンポの速い楽しい系。歌詞がテーマソング的で、エンド・クレジットもこの曲でした。

“Nacchavuraa”〜ロマンティック&セクシー系のミュージカル・シーン。う〜ん、いい曲。大好き。映像的には、ずぶ濡れになったり、見晴らしのいい場所や外国にワープはお約束だけど、雪山系はいつ見ても、風邪ひきやしないか心配になりますな(笑)。

“Kto nigdy nie żył…”

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“Kto nigdy nie żył…” (2006) Andrzej Seweryn
(ポーランド盤DVDで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com

 2006年制作のポーランド映画。英題”Who Never Lived”。
 自分がHIV+だと知った若いカソリックの神父と、その周囲の人々の織りなす様々な人間模様を描いたヒューマン・ドラマ。主演はご贔屓ミハウ・ジェブロフスキー。

 若きヤン神父は、ワルシャワで麻薬中毒の若者たちをサポートしており、彼らからも慕われている。しかし今日もまた一人の若者がオーバードーズで死に、葬式の場で露わになった世代間の断絶に、彼は怒りを含んだ説教をする。
 そんなある日、彼は教会の上層部から、現在の任を離れてローマへ行くよう命令される。自分が世話をしているジャンキーたちのことを、教会が日頃から快く思っていないことを知っている彼は、その命令を拒否するために、枢機卿に掛け合おうとする。
 しかしその最中、ヤン神父は健康診断の結果HIV+だと告げられる。彼は思い悩んだ末に、母親にそれを打ち明けるが、保守的なカトリック信者である母親は、息子の病気を労るどころか、逆に非難する。彼は治療と祈りの生活のために、ワルシャワから遠く離れた田舎の修道院に入る。
 修道院で農作物を作りながら、静かな生活を送り始めたヤン神父だったが、そこでもHIVに対する偏見は根強く、シャワー室で一緒になった修道士は逃げだし、彼の育てた作物は村に出荷されることがなかった。そしてついに彼は、希望と信仰を失い、独り修道院を出てしまう。
 雨の夜道、ヤン神父は通りがかった車と接触事故を起こしそうになり、運転していた3人の若者と、そのまま行動を共にするようになる。彼らはこれから、人気歌手のコンサートに行く途中だったが、その歌手とは、ヤン神父がかつてサポートしていた麻薬中毒者の兄であり、旧知の間柄だった。
 若者たちはそんな事情を知らないまま、しかも中の一人の女性は、次第に彼に惹かれていくのだが……といった内容。

 まず、HIV+になった聖職者という、テーマ自体が意欲的。
 作品としては、社会派的な重く考えさせられるものというよりは、HIV+の神父というファクターを通じて、人間の生きる意味ということを宗教的要素と絡めながら、ポジティブなメッセージ的に観客に伝えようといった感触。
 HIVの扱いに関しては、いわゆる難病もの的に煽るわけではなく、またそこから病気以上の余計な付加要素を見いだしたがる風潮に対しても、はっきり否とという態度を示しつつ、それと共にどう生きるかということを焦点にした、ある種の啓蒙映画的なニュアンスが見られます。
 その反面、こうあるべし、こうあって欲しいといった形に、ストーリー的な決着を迎えるので、ハートウォーミングで後味も良いものの、いささか甘さが感じられるのは否めない。作劇的にも、主人公個人のドラマとしては佳良なんですが、後半のエピソードの組み方などには、伝えたいテーマのためにストーリーを《作り》すぎてしまったという感じの、ちょっとご都合主義的な部分も散見されます。

 映像は佳良。
 前半のワルシャワを舞台にしたパートは寒色系、中盤の修道院では暖色系、後半のロードムービー的な部分ではニュートラルな色調と、全体が良く計算されており撮影も美麗。特に修道院パートの美しさが良く、それが逆に、何かの拍子で露呈する病気への偏見を引き立てる効果に。
 主人公ヤン神父を演じるミハウ・ジェブロフスキーは、贔屓目をさっ引いても見事な出来。前述したように映画として好感が持てる反面、いささか甘さや食い足りなさがある内容を、その演技でしっかり保たせている感。特に修道院に入って以降の、毛もじゃヒゲもじゃが良い……ってのは、単に私の好みですけど(笑)。
 もう一つ、主人公の友人で人気歌手でもあるRobert Janowskiという、おそらく実際にも音楽スターらしい人が出演していて、映画自体のテーマをこの人の歌の歌詞に託している部分があるんですが、この部分が前述したように、メッセージ性としては効果的な反面、ドラマとしては甘さになっている感があります。

 総合的には、主人公の内面を軸にした部分は文句なしで、青春群像劇的な要素は、魅力的ではあるけれどちょっと半端、しかし志とクオリティは高し……って感じでした。
 信仰という要素が密接に絡んでくる(タイトルにもある『人が生きる意味とは』というテーマが、キリスト教的な背景思想に基づいたそれなので)のは、ちょっと日本人には敷居が高いですが、決して悪くない作品だと思います。
 若干の食い足りなさがあるのは否めませんが、重いテーマならではの悲痛だったり感動的だったりする場面をあれこれ挟みつつ(出荷されなかった自分の育てた作物に、ヤン神父が自ら火を放つシーンなんか、ちょっと泣きそうになりました……)、最終的には明らかなメッセージ性を持たせた、青春映画的な爽やかさすら感じるエンディングへ持っていった佳品。

 予告編が見つからなかったので、映画の名場面を繋いだファンメイドのクリップを。音楽は映画で使われているのとは異なりますが、作品の雰囲気は良く掴んでいるかと。

“1920 Bitwa Warszawska (Battle of Warsaw 1920)”

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“1920 Bitwa Warszawska” (2011) Jerzy Hoffman (Jerzego Hoffmana)
(ポーランド盤DVDで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com

 2011年制作のポーランド映画。インターナショナル題”Battle of Warsaw 1920″。監督は『ファイアー・アンド・ソード』『THE レジェンド 伝説の勇者』のイェジー・ホフマン。
 第一次世界大戦直後のポーランド・ソビエト戦争を描いた戦争スペクタクル+メロドラマで、ポーランド初の3D映画だそうな(私は2Dで鑑賞)。

 第一次世界大戦直後、レーニン&スターリン以下ボリシェビキは、欧州全体に社会主義国家連合を打ち立てるために、まずポーランドを押さえようとする。
 主人公の軍人ヤンは、赤軍の侵攻に備えての出征前夜、キャバレーの歌姫オーラに唐突に結婚を申し込み、オーラもそれを受諾する。二人は結婚式を挙げ、ヤンはオーラに「必ず戻ってくる」と約束して出征する。しかし出征先で、妻のオーラの写真を娼婦だと揶揄されたせいで諍いとなり、結果共産主義者の濡れ衣を着せられ処刑されそうになるが、そこに赤軍が攻め込み、ポーランド部隊は破れヤンは捕虜になる。
 一方ワルシャワでは、独立したばかりのポーランド国家元首ピウスツキ元帥とその腹心が、ボリシェビキの侵攻に対して策を練っており、やがてグラブスキ首相を廃して新首相を立て、農村や聖職者も巻き込んだ挙国一致の愛国精神を盛り上げることに成功する。
 そんな中オーラは、かねてから彼女を狙っていた男に、ヤンは生きているが赤軍に寝返ったという情報を元に脅され、身体を強要されそうになるが、やがて彼女自身、自分にもできることがあるはずだと、看護婦となって戦場に赴く。
 ヤンも無事に赤軍の手から逃れ、コサック兵の助けもあってポーランド軍に復帰するのだが、赤軍はワルシャワに向かって着々と侵攻中しており……といった内容。

 視覚的な部分に限定して言えば、あれこれ目の御馳走的な見所が沢山あり、それだけでもけっこう楽しかったんですが、映画全体の出来はと言うと……う〜ん、これは決して褒められたものではないかな、というのが正直なところ。ドラマとしては、安っぽいドクトル・ジバゴみたいな感じです。
 イェジー・ホフマン監督の、ちょいと前時代的な娯楽センスは、個人的にはけっこう好きなんですが、古典原作の時代もの『ファイアー・アンド・ソード』や、エピック・ファンタジーの『THE レジェンド 伝説の勇者』では、それがオーセンティックな味わいに繋がって有効だったのが、こういう近代ものになると、ちょっと裏目に出てしまった感あり。
 例えば、ヒーロー&ヒロイン周りには、彼らの数奇な運命を盛り上げる様々な事件が起きるんですが、なんつーか、ジュール・ヴェルヌの冒険小説ですかってな感じで、エピソードの内容もキャラの立て方も、箸休めのユーモア場面の入れ方も、何ともかんとも作劇の感覚が古くさい……。
 それでもまぁ、そういったクリシェ多用の娯楽活劇に徹してくれれば、それはそれでいいと思うんだけど、戦闘シーンになると、今度はいきなり今様のリアル志向で、戦争という名の殺し合いをきっちり描く系の生々しさになるんで、メロドラマ部分との水と油感がスゴい。
 かと思えば、ピウスツキ元帥を中軸としたパワーゲーム的な部分は、そのとき歴史が動いた系の再現ドラマみたいな感じ(鑑賞後にウィキペディアでいろいろ見てたら、けっこう皆さん本人にそっくりなので驚きましたが)なので、なんかもう軸足をどこに置いて見たらいいものやら……。

 ただ、映像自体は、過去のイベントの再現という意味でも、スペクタクルな見せ物という意味でも、物量感やスケール感は申し分なく見応えあり。デジタル・コンポジットは使っているとは思いますが、CGくささは殆どないので、重量感もかなりのもの。
 それと、ピウスツキ元帥役にダニエル・オルブリフスキー、Bolesław Wieniawa-Długoszowski(読めない……)役にボグスワフ・リンダ、グラブスキ首相役にミハウ・ジェブロフスキー、音楽がクジェシミール・デブスキ……なんて面々も、個人的には好き要素。
 また、映画の内容と合っているかどうかは別としても、ニヒルなコサックとか、薄幸の女性脇キャラとか、ヒロイックな神父様とか、逆境に立ち上がるヒロインとか、センチメントなエモーションの盛り上げ方とか、予定調和とか、昔の冒険活劇やソード&サンダルを思い出させるような、個人的にはある意味で楽しい要素もアレコレあり。

 という感じで、映画自体の出来としてはイマイチ(IMDbで4.6/10、ポーランドの映画サイトで5.1/10という評価も納得 )ですけど、歴史の絵解きとしての映像的な見せ物と割り切って見れば、お好きな方なら目の御馳走はいっぱいあると思います。
 事前の期待値がけっこう高かったので、個人的にはちょっと残念な感はありますが、それでも映像だけでも満足できちゃうような、そんな大作ではあります。
 因みにポーランド盤DVDは、英語字幕付き&メニュー画面もちゃんと英語も用意されているというインターナショナル仕様で、ケースもデジパック&写真いっぱいのブックレット式で、なかなか豪華な作りでした。
【本国版予告編】

【インターナショナル版予告編】

【追記】2014年9月26日に、『バトル・オブ・ワルシャワ 大機動作戦』の邦題で、目出度く日本盤DVD発売!
[amazonjs asin=”B00M9NTY7G” locale=”JP” title=”バトル・オブ・ワルシャワ-大機動作戦- DVD”]

“Karzan, Jungle Lord (Karzan, il favoloso uomo della jungla)”

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“Karzan, Jungle Lord” (1972) Demofilo Fidani
(”The Italian Jungle Collection”と題された2 in 1米盤DVDで鑑賞→amazon.com、併録作は女ターザンものの”Luana”)

 1972年制作のイタリア製ターザン……ならぬカーザン映画。どう見てもお馴染みのキャラクターなのに、権利の関係でちょびっとだけ名前が変わってます……ってな系統の良くあるパターン(笑)。伊語原題”Karzan, il favoloso uomo della jungla”。
 主演のカーザン役は、ジョニー・キスミューラー・Jr……って、誰(笑)。いちおうIMDbによるとアルマンド・ボッティンという役者さんで、この映画でのみ、このキスミューラー・Jrを名乗っている模様。
 なお監督のデモフィロ・フィダーニという人は、ツイッターでフォロワーさんに教えていただいたんですが、「マカロニ・ウェスタンファンの間ではクズ映画ばっかり撮ることで名高い監督」なんだそうです(笑)。

 アフリカ奥地、ジャングルの蔦を使ってサーカスのように移動する、謎の半裸白人男性の映像が撮影される。
 探検家のフォックスは、おそらく十数年前に同地で消息を絶った飛行機と関係があるのではと推測し、富豪のカーター卿に探検のスポンサーになってくれと頼む。野人を捕らえ、再度文明化することができるかということに、学術的興味を感じたカーター卿は、スポンサーを引き受け、恋人のモニカと共に探検に同行するとにする。
 アフリカに渡ったカーター卿一行は、現地で曰くありげな男《クレイジー》やポーターを雇い、毒蜘蛛や毒蛇に襲われながらも、野人の住むタブーの台地へと近づいていく。しかし、そこで原住民の襲撃を受け、隊員の一人が死に、荷担ぎ人足は逃げ帰り、残りの者は捕まってしまう。
 探検隊は柱に縛られ、あわや危機一髪…というときに、崖の上に件の野人カーザンが姿を現すが、その横には革ビキニを着たブロンドの女野人シーランの姿もあった!(えっ)
 シーランは原住民のアフロヘアーの女とキャットファイトを始め(ええっ)、そしてカーザンはモニカ一人を助け出し、自分の第二夫人にするために樹上の住居に連れ帰り(えええっ)、モニカはシーランに言葉を教えるが、シーランとカーザンはモニカを尻目に泉で水泳を始め(はあ?)、ムーディなラウンジ風オルガン音楽にのせて、腰布&革ビキニの男女のスローモーションが延々延々延々と続き……(誰か助けて…)。
 しかしモニカの協力で、カーザンとシーランは探検隊に捕まってしまい、縄で縛り上げられて連行されてしまう。そこにチンパンジーのチータが、二人を救いにくるのだが、カーザンだけは助かったものの、シーランは囚われの身のまま。
 カーザンはシーランを助けだそうと、隊の後を尾けるのだが、そこにワニが襲いかかったりゴリラの着ぐるみが襲いかかったり…ってな内容。

 え〜とまぁ、何と言いますか…久 々 に ヒ ド い も の を 見 た って感じ(笑)。
 前半の延々と続く、スリルもへったくれもない探検行の段階から、早くも退屈で死にそうになるんですが(まぁ、猛獣と人間が決して同一画面にはフレームインしないなんてのは、低予算映画のお約束なので目を瞑りますけど……)、その後、いったん原住民を撃退して助かったはずなのに、次のカットで何の説明もなく、いきなり捕まって柱に縛られているあたりでは、見ていて思わず相棒と一緒に「ええっ?」と、素っ頓狂な声を上げてしまったくらい(笑)。
 後はもう、シッチャカメッチャカとしか(笑)。モニカが野人に掠われたのに、ちっとも心配したり救出に向かおうとしない他の隊員たちとか、掠われたモニカが唐突にシーランに言葉を教え始めるくだりとか、突っ込みだしたらきりがないシロモノ(笑)。
 時代の反映なのか監督の趣味なのか、ヘンにクローズアップやあおりを多用した、カットアップみたいなサイケ風味の演出の意味不明さとか、最後の「ええっ、そんなオチ???」という驚天動地のい〜かげんエンドとか、サルが砂浜に棒で《THE END》と書くエンドクレジットとか、もう勘弁して(笑)。

 まあ、どんだけヒドいかってのを、ちょっとネタバレ込みで説明するので、お嫌な方はこの段は飛ばしてください(笑)。
 まず、曰くありげな《クレイジー》というキャラ。ニヒル系な外見の白人男性で、いちおう初登場時には「こいつは口がきけないが、腕は立ち、しかも第六感があるので役に立つ」と紹介されて、それで探検隊に加わるわけです。
 さて、こいつが探検隊に加わって何をするかというと、歩いているときも野営の間も、ひたすらハーモニカを吹いているだけ。で、そのハーモニカを落っことしてしまい、それを探している間に隊から遅れてしまい、オマケに蛇に襲われる(笑)。
 原住民との交戦が始まると、草むらの中に身を伏せているときに、目の前をトカゲだかなんだかが歩いているのを見つける。で、周囲の騒動はどこ吹く風で、それを捕まえて歯で頭を食いちぎる。それだけ(笑)。
 最終的には、原住民の投げた槍から隊長を庇って殺されちゃうんですが、え〜と、第六感とゆー設定はどこに消えたのかしら……しかもちっとも役に立ってないし……これで墓標にハーモニカを添えられても、感動どころか苦笑しか浮かばないんですけど(笑)。
 もう一つ、「ええっ、そんなオチ???」という驚天動地のい〜かげんエンドについても。
 いちおうカーザンは、シーランを連れて行った探検隊に追いついて、彼女を助け出すんですが、自分は銃に撃たれて負傷し、捕まってしまう。で、フォックスは「こいつを見せ物に出して云々」と、儲け話の皮算用を始めるが、カーター卿は「自分の興味は学術的なもので、金儲けではない」と反対する。
 そしてカーター卿は、「最初は、いったん野人となった人間を、再度教育して文明化することで、科学の発展に貢献できると思っていたが、しかし今カーザンを連れ去ってしまうと、ジャングルに一人残されたシーランは、可哀想に、生き延びることができないだろう」と主張し始め、逃げたシーランが茂みの中でメソメソしているのを、猿のチータが慰めるカットなんかを挟みつつ、カーザンを解放すべきだと主張するカーター卿と、いや、このまま連れ帰って見せ物に出すと言い張るフォックスの口論が続き、カーター卿が「金が目的なら私が出そう!」とか何とか言った、次の瞬間。
 シーンは陽光まぶしく波頭きらめく浜辺(どこ???)に変わり、ムーディーなラウンジ音楽が流れる中、原初世界のアダムとイヴよろしくキャッキャウフフと戯れあうカーザンとシーランの映像になり、チータが棒きれで砂に《THE END》の文字を書いて、はいおしまい。見ているこっちは、あまりの唐突さに、ただただポカ〜ン(笑)。

 という具合で、特にヒドかった二つをピックアップしましたが、ぶっちゃけ全編こんな感じなので、ホント突っ込みだしたらキリがないです(笑)。
 こういう《偽ターザン映画》は、インド版とかトルコ版とかエジプト版とか(日本版とかポルノ版とかも……)見ましたが、その中でもこのイタリア版は、かなりヒドいシロモノなので、ネタとして楽しみたいという方以外には、決してオススメいたしません(笑)。
 ”Karzan, Jungle Lord”から、シーランを追うカーザンが、唐突にゴリラ(の着ぐるみ)に襲われるシーンのクリップ。これまた余りの唐突さに加えて、着ぐるみとか吠え声とかいろいろヒドさに、飲んでたコーヒー吹きそうになりました(笑)。

“Yamada: Way of the Samurai (ซามูไร อโยธยา)”

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“Yamada: Way of the Samurai” (2010) Nopporn Watin
(イギリス盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk、”Muay Thai Warrior”のタイトルで米盤DVD&Blu-rayあり→amazon.com

 2010年制作のタイ映画。山田長政を主人公にしたフィクショナルな時代アクション映画。
 主演はタイで活躍する日本人男優、大関正義。タイ語原題”ซามูไร อโยธยา”、別題”Yamada: The Samurai of Ayothaya”等。

 ナレスワン大王治世下のアユタヤ王朝。未だ敵国ホンサワディー(ビルマ)の脅威衰えぬ中、アユタヤ日本人町の侍、山田長政は、アユタヤで敵国の手先となって暗躍する者の中に日本人がいるらしく、その頭目を突き止めろとの命を受ける。
 しかしその直後、忍者たちの襲撃を受けた長政一行は、その黒幕が身内の日本人重臣だと知る。仲間は皆殺されるが、長政は一人、通りがかったタイ人の衛兵たちに救われ、彼らの元で治療を受ける。
 命を救われた恩義もあり、長政は次第に彼らに親しみを覚えるようになる。しかし自分の正体を知られた黒幕は、唯一の生き証人である長政に刺客を差し向ける。長政はそれを撃退るが、タイ人衛兵たちは、彼が同じ日本人から命を狙われていると知り、不信感を覚える。しかし、衛兵たちの師である僧侶は、「人には他人に言えない秘密もあるものだ」と、彼らの猜疑心を諫める。
 一方で長政は、自分の日本古武道でタイ人衛兵たちに試合を挑むが、彼らのムエタイに手もなく打ちのめされてしまう。長政は、件の僧侶にムエタイの伝授を頼み、最初はそれを拒んだ僧侶も、長政の「自分は日本生まれだが、アユタヤで死にたい」という決意を聞き、彼にムエタイを教えることにする。
 やがて長政のムエタイは上達し、タイ人衛兵の一人とも親友になり、ついにはナレスワン大王の近衛兵を選抜するトーナメントにも出るようになる。しかしその一方で、ホンサワディー軍はアユタヤ侵攻を計画しており、また、依然自由の身のままの例の黒幕も、長政の命を狙い続けていて……といった内容。

 え〜、ぶっちゃけ、山田長政とナレスワン大王が同時代に出てくるという点から言っても、史実的には全く則しておらず、完全なフィクション作品です。
 映画全体のテイストも、いわゆる史劇ではなく完全に娯楽アクション映画。昔のソード&サンダル映画のノリに近いです。
 で、私はこれ、好きです。
 何でも衛兵たちは本物のムエタイ選手たちだそうで、訓練にしろ戦闘にしろ、アクションシーンの見応えはバッチリで、話も、愛国心とか友情とかコッテコテのオトコノコ系で、同時に日タイ友好に関する目配せもしっかりあって、しかも基本的に、全編半裸のアジアン・マッチョしか出てこない(笑)。
 200人の敵を10人で迎え撃つなんて燃え系展開もあれば、宴会なんかで歌舞シーンが入ったり、キレイどころとの仄かなロマンスがあったり、おませな少女キャラによる箸休めがあったり……と、内容的には往年のソード&サンダル系娯楽映画を彷彿させるサービス具合。エピソード構成なんかも、古式ゆかしき大衆娯楽活劇映画のクリシェに則ったという感じで、基本的にそういうのが好きな私なんかは、ちょっと嬉しくなっちゃうくらい。一方、それが古くさいと感じてしまう方もおられそうではありますけど。

 アクションの演出も、血飛沫こそCGですけど、基本はエフェクトで誤魔化したりしない正当派。その肉体をフルに使った立ち回りだけでも、なかなかの充実感&見応えでした。無双の戦士たちが返り血で真っ赤になって、スゴい形相で相手をバッタバッタ斃していく様は、カッコいいと同時に、何だか戦いというより「Massacre!」って感じもして、見ていて敵が気の毒になってくるくらい(笑)。
 日タイ友好という点でも、例えば僧侶が長政にムエタイを伝授するくだりで、「ムエタイの真髄は、手・肘・足・膝といったものを武器として用いる《攻め》にあるが、日本古武道の真髄は、相手の力を受けつつ、それを利用して攻撃に転ずるところにある。よって、もしそれらの異なる二つを共に習得し、それを合体させれば、そなたは無双の武術を身につけることになる」と説いたり、また、長政が友となったタイ人衛兵に、日本刀の柄をアユタヤの木工細工に変えた得物を送り、それをイコール、彼らの理想とする生き様に重ねて見せるなどといった形で描いていて、これもクリシェ通りながらも上手く表現しているなという感じ。
 また、生まれや国は違っても、どこの土地に骨を埋めるか、何を愛して何を守るか、それさえ同じならば同士であるといった部分も、男泣き系の燃え要素としては、けっこうグッとくる部分。
 で、ちょっと面白かったのが、《見かけや出自が違っても同じ人間》ということを表現する場合、我々の感覚だと《肌の色は違えども血の色は同じ》というのがあると思うんですが、タイだとどうもそうではないらしいということ。映画の中で長政は、タイの少女から「白い顔」などと呼ばれ、日焼けによる肌の色の違いという意識があるようなんですが、更に《血の色は違っていても》という言葉が頻繁に出てくる。まぁ、英語字幕の翻訳に因るのかもしれませんが、この《出自の違い=血の色が違う》というのは、ちょっと日本人にはない感覚ではないか……なんて思ったり。

 主演の大関正義氏は、顔はちょっと冴えないかな〜という気もしますが(すいません)身体は立派。あとナレスワン大王役が、個人的にご贔屓のウィナイ・クライブットだったのが嬉しいサプライズ。まぁ、特別出演的な感じで、さほど登場シーンもありませんでしたが……。
 因みに師となる僧侶役も、『ナレスワン大王(ザ・キング 序章・アユタヤの若き英雄、アユタヤの勝利と栄光)』や『マッハ!弐』の僧侶(後者は未見ですが)や、『ランカスカ海戦 パイレーツ・ウォー』のお師匠さん役とか、『ビューティフル・ボーイ』や『スリヨータイ』にも出ていた、ホントしょっちゅうお見かけする(そしていつもお師匠様的ポジションの)のソラポン・チャトリ。

 正直スケール感はあまり……というか全くない映画なんですが(基本的にアクションがメインで、大規模な合戦シーンなどは皆無)、全体のテイストが完全にコスチューム・アクション映画に統一されているので、それがさほどマイナス要素にはなっていない。ただ、ウチの相棒は「ちょっと安っぽくてイマイチ」と評価。
 個人的な好みとしては、もうちょっとキャラクターを掘り下げるための生活描写などのディテールが欲しかった気はしますが、これはDVD特典の未公開シーンを見たところ、実は長政とヒロイン、おしゃまな少女、子供たちなどによる、ユーモラスかつハートウォーミングなシーンあれこれが、撮影はされていたのに最終的にはカットされてしまったんですな。おそらくテンポ重視で中だるみを避けたんだと思いますが。
 結果、尺も全部で1時間半弱とスピーディな展開ですし、気楽に見られるアクション映画としては充分佳良だと思います。

 まぁ、ぶっちゃけた話、内容的には山田長政である必要は全くなく(What if的な楽しみ方は全くできず)、むしろタイに骨を埋めた無名のサムライの話にした方が、全体の収まりは良くなるのではないかとは思うんですけれど、コスチューム・アクション好きな方なら、お楽しみどころもいろいろありだと思います。
 どっか買い付けて、DVDスルーでいいから日本盤出してくれないかしら……。

“Dabangg”(ダバング 大胆不敵)

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“Dabangg” (2010) Abhinav Kashyap
(インド盤Blu-rayで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com

 2010年製作のインド/ヒンディ映画。肉体派サルマン・カーン主演。義賊気取りの腕っ節の強い警官を主人公にしたアクション映画。タイトルの意味は「恐れ知らず」。
 数々の記録を塗り替えた大ヒット作品だそうで、同国フィルムフェア賞で作品賞を含む6冠を獲得。

 主人公は幼い頃父親を亡くし、母の再婚相手の義父や、後に生まれた弟とは上手くいっていない。やがて成長した彼は、腕っ節が自慢の警察官になるが、義父や弟との関係は改善されていなかった。
 ある日主人公は銀行強盗を一人でブチのめすが、義賊を気取って、取り戻した金は自分が着服してしまう。弟はある娘と恋に落ちるが、彼女の家の貧しさが障害となって、両方の親から結婚の許可を貰えない。思い詰めた弟は、兄の隠していた金を盗んでしまうが、それを母親に見られてしまう。
 一方の主人公も、捕り物中に出会った娘に恋をするが、そんな中で母親が急逝してしまい、それを切っ掛けに主人公と義父との亀裂は決定的なまでに拡がってしまう。更に主人公が、弟の結婚式を横取りするような形で、自分の結婚式をあげたことによって、兄弟関係も更に悪化する。
 それを件の銀行強盗の黒幕の悪徳政治家が利用し、弟に兄を殺させようと仕組むのだが…といった内容。

 これは確かに面白かった!
 正直ストーリー的には新味はなく、ド派手なアクション、歌と踊り、家族の確執と再生、ヒーローと美女のロマンス、政治家のパーティーが絡んだ陰謀、お笑い……等々、古いタイプのインド映画のお約束要素がテンコモリなんですが、3時間越えも珍しくないそういったタイプの映画に比べて、本作はテンポ良く2時間でスッキリとまとめているのに、何よりも感心。
 クリシェのさばき方も上手く、例えば歌と踊りにしても、いきなり海外ロケというお約束を、主人公たちのハネムーンという設定にしていたり、また、お色気サービスで入るダンスも、ギャングの宴会に主人公率いる警察隊が潜入するという、エピソードの繋ぎとして上手く活用していたり、古くからのお約束ごととしての定型を守りつつも、それを構成上無理がないようにする工夫が見られるのが、個人的にはかなりの高評価。
 ド派手なアクションシーンも楽しく、蹴られた人が数メートルも吹っ飛んで壁をブチやぶるなんてのはお約束ですけど、クライマックスにどっかんどっかん爆発を持ってきて、その後に、上半身裸になったマッチョ同士の対決を、エモーショナルな盛り上げとシンクロさせて持ってきたりして、これまた構成の組み方や見せ方の工夫が巧み。
 で、そんなアクションや歌舞シーンが、なんかヒンディ映画というよりタミル映画っぽかったので、てっきり南インド映画のヒンディ版リメイクなのかと思っていたら、さっき調べたらそうではなかったのでビックリ。
 主人公が単なる正義感やマッチョ一本槍でなく、金をくすねたりユーモラスな一面もある、人間味を感じさせるキャラなのも効果的。ヒロインはこれがデビュー作らしいですが、まあ次から次へ美人が出てくるもんだなぁと、これまた感心。
 感動要素が過度にベタベタしていないのも佳良。
 音楽も踊りも、主題歌的な男っぽい”Udd Udd Dabangg”を筆頭に、全体的にゴキゲンな仕上がり。ただ正直、サルマン・カーンの踊り自体は、少し動きのキレに欠けるかな〜という感あり。

 というわけで全体のノリとしては、クラシックな要素をモダンな感覚で再構築したみたいな良さがあります。いろいろテンコモリでトゥーマッチな楽しさもありつつ、かといってそれほど強引な感じもせず、コンパクトで見やすく後味も良しで、「あ〜、満足満足」って感じ。
 インド映画ファンでもあまり馴染みのない方でも、痛快娯楽作が好きな方だったらタップリ楽しめること請け合いの、広くオススメしたい一本。

“Udd Udd Dabangg”

【追記】『ダバング 大胆不敵』の邦題で、2014年7月に目出度く日本公開されました。

“Band Baaja Baaraat”

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“Band Baaja Baaraat” (2010) Maneesh Sharma
(インド盤Blu-rayで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com

 インド/ヒンディ映画。タイトルの意味は「ウェディング・ミュージック・バンド」。
 恋愛抜きの約束で組んでウェディング・プラン会社を立ち上げた、大学を出たての若い男女の仕事と恋の顛末を、若者向けのフレッシュでポップな味付けで、タイトル通り音楽タップリに描いた作品。

 デリーの大学を今年卒業する主人公は、特に将来の展望もなく、出会ったカワイコチャンにコナをかけたりしているがそれも不振。そんなとき家族から、卒業したら田舎に帰れと言われる。
 実家で彼を待っているのは、サトウキビを刈り取る農作業なので、それは嫌だと、何とかこのまま都会で仕事に就こうと考える。そこで先日ソデにされた、卒業したらウェディング・プランの会社(会場の手配や飾り付けや食事や余興と行った、結婚式&披露宴の演出を請け負う)を立ち上げるというカワイコチャンに、一緒に仕事をさせれくれと頼み込む。
 最初は警戒していた彼女も、初めての仕事のトラブルで毅然とした態度をとった彼を見直し、恋愛抜きのビジネスパートナーという約束で共に会社を立ち上げる。
 二人の始めた会社は、少ない予算の結婚式でも、アイデアと真心で立派なものにし、そんな二人の心意気に惹かれた仲間も増え、口コミで評判も呼んで順風満帆。次から次へと仕事も舞い込み、遂には今までにない大規模で大予算の結婚式の演出も手掛けることになる。
 順調な仕事と並行して、二人の関係もどんどん接近、そしてついに一線を越えてしまうのだが、果たして恋のパートナーと仕事のパートナーは両立するのか、その両方の行方はいかに……? といったような内容。

 とにかく元気いっぱいな内容。
 フレッシュで溌剌とした主演俳優二人、動的なカメラワークと早いカット割りでテンポよく進む展開、若い感性が手掛ける結婚式ということで、まるで下北沢の雑貨屋みたいな、カラフルでキラキラでポップな映像の数々、ゴキゲンな音楽……と、前半戦は文句なし。
 ただ後半、フォーカスが恋愛と仕事の問題に移ると、展開面がいかにもなクリシェに偏ってしまって目新しさに乏しいのと、それと並行して、前半で見られたような青春ドラマ的なフレッシュな魅力が薄れていってしまうのが残念。
 例えば、二人の関係がギクシャクしていったところに、ヒロインに金持ちの男との縁談話が持ち上がるなんてのは、いかにも類型的に過ぎて興ざめするし、仕事の上でも袂を分かった二人が、それぞれ相手を蹴落として自分が注文をとろうとするあたりは、フレッシュでひたむきだった前半のキャラの魅力に、かなり翳りを落としてしまっている感じ。
 こういった要素は、やはり展開をお約束に頼り切ってしまった弊害だと思うので、最後は予定調和でいいにせよ、そこに至るまでは脚本にもう少し、工夫やひねりが欲しかったところ。全体の出来が上々なだけに、何とも残念。

 とはいえ、これは一種の音楽映画でもあるんですが、そういう面はかなり上手くできています。
 なんと言っても、楽曲が良い。まだ学生時代の主人公たちの日常描写に併せてBGM的に流れる、凝ったコード進行とアレンジによるロック/ポップステイストの”Tarkeebein” 、予算が少ない結婚式の余興に自分の友達のバンドを呼んだものの、ロック風の音楽にお客の反応が悪いので、ヒーローが自らそこにインド風味を加えて、更にヒロインを巻き込み、身体を張って盛り上げようとする、モダンなロック風の要素とバングラ・ビート的な要素をミクスチャーした”Ainvayi Ainvayi”、大規模な結婚式の大物ゲストの代わりに、自分たちがステージで歌い踊って見せる、やはりロック的なテイストとインド的なテイスト、そしてヒップホップ風味もある”Dum Dum”あたりは、音楽的にも映像的にも大きな見所。
 全体の中での音楽シーンの配置の仕方、ストーリーの中への溶け込ませ方なども、良く考えられていて成功している印象。
 また、予定調和的とはいえクライマックスはしっかり盛り上げてくれるし、オマケに前出の”Ainvayi Ainvayi”にブラスセクションを加えた変奏による、エンドロールのキラキラでポップな楽しさは一見の価値ありで、これのおかげで全体のお株もぐぐっと上昇した感あり。
 もちろんサントラは速攻でゲットしました(笑)。

 そんなこんなで、若干の惜しい部分はあるものの、全体的にはフレッシュな魅力に溢れていて、後味も良く、鑑賞後の満足度も高い一本でした。
 インド映画好きにも、インド映画には馴染みがない方にも、どちらにもオススメできる佳品だと思います。
 逆に、インド映画に「ヘンなもの」を期待する方には、まったくオススメしませんが(笑)。

“Tarkeebein”

“Ainvayi Ainvayi”

“Dum Dum”

“Ainvayi Ainvayi – Delhi Mix”(エンド・クレジット)

“Propaganda”

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“Propaganda” (1999) Sinan Çetin
(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで購入可能→amazon.com

 1999年製作のトルコ映画。Sinan Çetin監督作品。
 第二次世界大戦後のトルコ東部、長閑な田舎村が新たに決まった国境線によって、トルコとシリア二つの国に分断されてしまい……という、実話に基づく内容を、ユーモラスかつ感動的に描いた作品。

 第二次世界大戦終結後の1948年、アンカラで出世して役人になったメイディが、大勢の部下と共に故郷の村に帰還する。彼の幼馴染みで独立戦争では共に闘った医者のラヒム始め、村人たちは故郷に錦を飾った彼を大歓迎する。
 しかし彼の乗ってきた汽車には、大量の有刺鉄線が積まれていた。実はメイディは中央から、この地に国境を作り、その税関吏となる命を受けていたのだ。
 やがて国境に添って鉄条網が張り巡らされ、出入国ゲートも完成し、村人たちはそれを華々しく祝うが、実際のところはそれが何を意味するのか、何も判っていなかった。夜も更けて宴会も終わり、ラヒム一家はいつものように自分の家に戻るが、それは新しくできたゲートの向こう側だった。
 翌朝、教師をしているラヒムの上の娘が学校に行こうとするが、ゲートを通して貰えない。驚いたラヒムがゲートに行くと、そこにはメイディがいて、これからは国境を越えて勝手に行き来はできず、ゲートを通るにはパスポートが必要だと告げられる。
 こうして、何人もの村人が行き来を止められるが、素朴な彼らはパスポートというものが何であるかも判らないし、実のところ税関吏のメイディ自身、パスポートというのがどんなものなのか、まだ見たことすらなかったのだ。
 メイディの息子とラヒムの下の娘は愛し合っており、近く結婚を控えた許嫁の間柄で、実は既に婚前交渉もしていて娘は妊娠していたのだが、その二人の逢瀬も、この新しい国境によって引き裂かれてしまう。
 そんな中、ゲートを守る兵士たちをからかった、ひょうきん者の太鼓叩きに対して、メイディは部下に唆されて、ついに発砲命令を下してしまう。ラヒムはそんなメイディに怒り、彼を侮辱し挑発するために、自分の娘は別の男の嫁にすると言ってしまう。それを知ったラヒムの娘は、夜こっそりと国境を越えて、メイディの息子の元に忍んでいくが、メイディの部下でゴリゴリの官僚主義の男に知られて、捕まって投獄されてしまう。
 メイディの妻も、頭の固い夫に嫌気がさして家を出て、国境の向こう側に行ってしまい、息子も「僕はお父さんを愛していない」と言い放つ。自分から離れていく息子を止めるため、メイディはついに我が子に銃口を向けてしまう。
 果たしてこの国境は、このまま人々の心も家族の絆も、全て引き裂いてしまうのか? ……といった内容。

 いやぁ、面白かった。
 汽車の到着から始まる出だしは、音楽(セゼン・アクス。アルバム”Işık Doğudan Yükselir”のタイトル曲)の効果も相まって、実に重厚な味わい。そして、国境ができた晩、何も知らないラヒム一家が帰宅するのを、唯一訳知りのメイディがゲート越しに見送る場面なんか、スローモーションを上手く使って実にエモーショナルに盛り上げてくれるので、いったいこの先どんなシビアな展開に……とドキドキ&ビクビクものなんですが……。
 実はその後の展開は、確かに状況はシビアなんですけど、そんな中でもけっこう逞しく適応していく村人の姿がユーモラスに描かれたりして、決して重い暗い系にはいかないのが逆に新鮮。鉄条網を挟んで学校の授業が行われ、鉄条網越しに割礼の儀式が行われ、恋人たちは鉄条網に刺されながらのラブシーンを演じ……と、なかなか楽しい(笑)。
 で、そんな笑わせる系の展開の中に、引き裂かれた絆といったエモーショナルな展開がドカンと挟まり、更にその上にしっかりと、国家とは国境とは何かといった風刺や、人間性を無視した官僚主義の愚かしさや、人々の生活を置き去りにする政治への批判といった要素が、テーマとして浮かびあがってくる仕掛け。

 笑いも涙も感動もテンコモリという、インド映画なんかと同様の娯楽的な作りなんですが、バランスと後味が良いので消化不良みたいな感じにはならないし、作劇的にも、最後の最後まで「いったいどうなるんだろう」という、不安と期待で引っ張り、でもしっかり感動させてくれて、しかも後味も良い……という、満足の一本でした。