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“Vizontele”

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“Vizontele” (2001) Yilmaz Erdogan, Ömer Faruk Sorak

(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで購入可能→amazon.com

 2001年製作のトルコ映画。Yilmaz Erdogan監督・主演作品、共同監督Ömer Faruk Sorak。
 70年代初頭、トルコの僻地の田舎村に初めてテレビが来ることになり、それを巡る人々の騒動を描いたコメディ作品で、本国では大ヒットしたそうな。

 電話はロクに通じず、新聞も二日遅れで届く田舎村。娯楽はラジオと、村に唯一ある天井のない映画館だけ。そんな村に初めて《ヴィゾンテレ(テレビジョンの勘違い)》なる《絵が出るラジオ》が来ることになり、村長さんは歴史的な出来事だと大張り切り。
 ところが、アンカラから受信設備と受像器を届けにきた技師たちは、この僻地に来るだけで疲労困憊。こんな田舎に一日たりともいられるかと、「高い所に設置するように」とだけ言い残して、さっさと帰ってしまう。村長さんは、何だかわけの判らないヴィゾンテレ一式を抱えて大弱り。
 そこで白羽の矢が立ったのが、村人から《きちがいエミン》と呼ばれている、頭はちょっとイカれているけれども、変な仕掛けを作ったりラジオの修理だけはできるという変人。村長さんを先生と慕うエミンは、大喜びでこの大役を引き受ける。
 しかしヴィゾンテレの到来が嬉しくないのが、村の映画館を経営する一家。もともと村長一家とは仲が悪い上に、ヴィゾンテレに客を奪われては大変と、宗教家を抱き込んで「ヴィゾンテレは悪魔の機械で人々を堕落させる!」と反対キャンペーンを始める。
 そんな中、いよいよヴィゾンテレが高い丘に設置され、華々しいセレモニーの中、村長とエミンの手でスイッチオン。しかし映るのは砂嵐だけ。こりゃ場所が悪かったかと、別の丘に移動してみても結果は同じ。結局いくら試しても映像は映らず、村長の面目も丸つぶれになってしまう。
 落ち込む村長に、エミンは「丘がだめなら、もっと高い所で試そう」と、誰も登らないような、このあたりで一番の高山のてっぺんにヴィゾンテレを持って行こうと提案。いったんは諦めかけた村長も、エミンの不屈の魂に押されて、一緒に行くことにする。
 果たしてヴィゾンテレは映るのか? ……といった話。

 これは面白かった。
 基本的にはコメディで、テレビの出現を巡るドタバタ劇なんですが、それだけではなく合間合間に、徴兵された村長の息子と村の娘の仄かな恋愛とか、村の子供たちの悪戯風景とか、飲んだくれの夫に顧みられない妻の悩みとか、微笑ましかったり、しんみりしたり、切なかったり……といった、様々なエピソードがぎっしり詰め込まれている。
 キャラクターも、きちがいエミン(=監督&脚本の人)と人の良い村長さんを筆頭に、出征した息子が心配でたまらない村長の妻とか、アンカラかぶれで女好きでホラ吹きの映画館一家の息子とか、どもりの宗教家とか、スイカ売りのデブとその妻とか、ひと癖もふた癖もある連中が勢揃いで、しかもそれらが皆、いずれも愛すべき人物に描かれている。
 民族要素の色濃い軽快なテーマ曲を初め、音楽も実にご機嫌。

 ただ、一つ大いにビックリしたのが、ドタバタやペーソスで笑わせて、二段オチまで用意して、たっぷりハッピーな気分にさせておいて、しかしラストで一気に急転直下、思っくそシビアな展開になったこと。
「うわぁ……ここまできて、この終わり方?」と、しばし呆然。
 いちおう、この急転直下のエンディングがあるおかげで、実はこの映画は、笑わせて楽しませるだけではなく、あちこちに仕掛けられていた風刺性……文明の利器の持つ意味とか、宗教と世俗、伝統とモダン、都会と田舎の対立とか、トルコという国の置かれている状況とか、そういった諸要素が一気に深みを増すという効果があるんですが、それにしても、それまでが楽しすぎたせいもあって、このエンディングには一瞬頭が真っ白に……。
 というわけで、思いっきり楽しいコメディ映画なのに、同時に何と言うか、無常観漂う悲劇でもあったりするので、何とも複雑な後味に。

 聞くところによると、トルコ映画ではそういうのは珍しくないらしんですが、なんかちょっと……慣れないと消化に悪い、みたいな感じではありました。
 しかし、そんな「複雑な後味を覚悟」という前提付きで、それでも実に面白い一本ですので、一見の価値はありのオススメ作品です。IMDbでも7.8点という高評価。

“Guzaarish”

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“Guzaarish” (2010) Sanjay Leela Bhansali
(インド盤Blu-rayで鑑賞、米アマゾンで購入可能→amazon.com

 2010年製作のインド/ヒンディ映画。監督はご贔屓サンジャイ・リーラ・バンサーリ。主演はリティック・ローシャン&アイシュワリヤ・ラーイという、これまたご贔屓コンビ。
 事故で全身麻痺となったマジシャンと、彼の望む尊厳死を巡る内容。

 主人公はかつて天才マジシャンとして名声を博しながらも、事故で14年間寝たきりになっている男。自分で鼻の頭を掻くこともできない彼を、美人の看護婦が12年間、一日の休みもとらずに献身的に介護している。
 そんなある日、主人公は自分の顧問弁護士を呼び、尊厳死をしたいと告げる。その望みは、件の看護婦、弁護士、主治医、彼の元に押しかけでやってきた弟子といった人々の間に波紋をもたらす。
 インドでは尊厳死は認められていなかったが、弁護士は彼の意を汲み、それを認めろというリクエスト(guzaarish)を法廷へと持ち込む。また主人公は、自分がホストを務めるラジオ番組を通じて、尊厳死の是非をリスナーにも問う。
 果たして死とは、そして生とは何なのか。人間の命は誰のものなのか。人生とは、そして幸福とは何なのか、主人公と周囲の人々の下す決断はどうなるのか……といった内容。

 まあ、何と言っても巨匠(と言っていいと思う)バンサーリ監督の作品なので、一定以上の水準は楽々クリアしている見事な出来映え。
 圧倒されるような映像美、エモーショナルな展開、格調高い演出などは、いつも通りの見事さ。重たいテーマを扱いながら、全体が重くなり過ぎない手綱さばきも上々。
 テーマとしては、既存の価値感そのものに疑問を発し再考を促すという、いかにもこの監督らしいもので、この難しいテーマを、主人公という軸を一本きちんと通すことによって、最後は余韻があって清々しさすら感じられる作品に仕上げているのは、かなりスゴいと思います。
 ただし同時にこの監督は、リアリズムよりはロマンティシズムや美学を優先させる傾向があるので、果たしてこのテーマにこういったアプローチが合っているのかという部分で、いささか疑問が残る感はあり。また、ストーリー的にも、ちょっと部分的に作りすぎの感があるのは否めない。
 特にストーリーに関しては、展開の意外性を狙ったのかのような、後半の作劇が大いに疑問。
 尊厳死を望む主人公と、周囲の人間が、悩み悲しみながらも次第にその意を汲んでいくという、その構図だけでも充分以上にドラマティックであるにも関わらず、14年前の事故の真相とか、押しかけ弟子の正体とか、美人看護婦の過去とか、個人的には蛇足としか思えないエピソードが、後半になってからあれこれ挟まってくる。
 結果として、ストーリー自体が嘘っぽいものとなり、しかも展開も駆け足気味で、せっかく場所を自宅に移しての法廷劇の場面の、特に主人公と母親のエピソードで最大限に高まる感動が、これらの蛇足によって薄まってしまった感あり。
 ただ、ラストにはそういった不満も消えて、「このエンディングで、この清々しい余韻の残る感動って、スゴい!」という気分になったので、まぁ帳消しという感じも。
 映像自体は、いつもながらホント溜め息ものの美しさ。
 日常パートで見られる布や光を使った表現、夢や回想に出てくるマジック場面のファンタジックな美しさ……などなど、もうこれは見所だらけ。まぁちょっと「……ひょっとして『潜水服は蝶の夢を見る』と『プレステージ』を見て思いついた?」みたいな気がしなくもありませんが(笑)。
 役者さんもそれぞれ佳良。特にリティック・ローシャンは素晴らしかった。

 という感じで、作品としては部分的に瑕瑾がないとは言えないし、完成度としても”Devdas”や”Black”、そして世評はイマイチながら私個人としては高評価の“Saawariya”よりも、正直落ちると思いますが、それでも充分以上に見応えのある作品。
 毎度のことながら、この監督の作品が本邦では殆ど未紹介なのは、つくづく惜しいと思います。

“Bruc. La llegenda (Legend of the Soldier)”

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“Bruc. La llegenda” (2010) Daniel Benmayor
(イギリス盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 2010年製作のスペイン映画。スペイン独立戦争、モンセラート山麓の戦いでナポレオン軍に大敗を喫させた《Brucの太鼓》伝説を題材にしたアクション・アドベンチャー史劇。
 英DVD題”Legend of the Soldier”、インターナショナル・タイトル”Bruc, the Manhunt”。

 1808年、スペイン独立戦争、モンセラート山麓Brucの戦いで、ナポレオン軍は数的に優勢であったにも関わらず、「何百ものスペイン義勇兵と悪魔の仕業のような音」によって全滅した。しかし、戦いの後に戦場を訪れたフランス人の隊長は、その証言に疑問を抱き、それは太鼓の音が山に反響したのではないかと推理する。
 その推理は正しく、件の鼓手の正体はある村の炭焼きの息子で、今では村の皆からBrucとあだ名され英雄視されていた。しかし、本人はそれを居心地悪く思っており、更に悪いことには、村を訪れた仏人ジャーナリストが彼の絵を描いたことによって、その存在と居場所が仏軍の知る所となる。
 仏人隊長はナポレオンから、フランスの不敗を全欧に示すためにも、件の鼓手の首を切って持ってくるよう命を受け、手練れの部下数名と共に鼓手の捜索に向かう。そしてある晩、鼓手が恋人と逢い引きしている間に、彼の家は暗殺部隊に襲われ、家族が皆殺しにされる。
 鼓手は辛うじて山に逃げるが、部隊は家々を爆破し、村人たちを脅し、鼓手の恋人を見つけ出すと、彼女を人質にして山狩りを始める。最初は逃げ回っていた鼓手だったが、フランス人たちが聖職者も見境無く殺し、恋人の身体も傷つけるに至って、ついに反撃に出てモンセラート山で彼らと対決する……といった内容。

 題材となった《Brucの太鼓》というのは、「一人の鼓手が打ち鳴らす太鼓がモンセラート山に反響し、仏軍がそれを数百の軍勢のように錯覚して遁走した」という伝説らしく、それを「実際はこれこれこうでした」と膨らませて描いた内容で、映画全体の印象は、肩の凝らないアクション・アドベンチャーという感じ。
 ストーリー的には、戦う青年の成長を軸にして、近親者の悲劇、きれいな娘さんとのロマンス、そして追い詰められる主人公が遂に逆襲に転じるカタルシス……と、いかにも古典的な冒険小説のような味わいです。そこにもう一つ、Brucの戦いの真相がどうであったのか、それが、小出しにされる主人公の回想通じて、その実際が明らかになっていく……という要素もあるんですが、これはさほど成功していない感じ。
 主な舞台となるモンセラート山は、現在では奇岩で知られる観光名所ですが、その風景を存分に生かした、上下にたっぷり拡がりのある映像の数々は、大いに魅力的。
 やはり観光名所であるモンセラート修道院も、有名な黒い聖母像も出てきたりして、私自身、ここいらへは観光で行ったことがあるせいもあって、そんな中で繰り広げられる追跡劇は、かなり楽しめました。撮影もなかなか美麗で、程々にケレン味もあって佳良です。

 ただ、肝心の演出がいささか凡庸。
 追い詰められていく主人公という要素が、物語的には描かれているんですが、それが心理的に迫ってくるまでには至らず。けっこうサスペンスフルなシーンとかもあるんですが、イマイチ緊張感に欠ける感じ。また親兄弟や恋人といった主人公回りのドラマも、通り一遍のクリシェをなぞっただけという程度。
 逆に、本来ならば《悪役》側のはずの追跡者たち各々に、判りやすい絶対悪では終わらせないような描写を、あれこれと付加しようとする姿勢が見られるんですが、これが却って、全体のシンプルな構造と齟齬をきたしてしまい、感情移入やドラマのエモーショナルな盛り上がりを、邪魔してしまっているきらいがあります。
 そこいらへんのバランスがちょっと悪く、どうせなら全体をクリシェで固めてしまって、古典的な痛快娯楽作にしてしまった方が良かったような気もして、何となく虻蜂取らずになってしまっているのが残念でした。

 ただ、それぞれの役者の佇まいなどは佳良です。
 主人公を演じるファン・ホセ・バジェスタは、ちょい泣き虫顔のナイーブそうな若者で、上手い具合に雰囲気がキャラと合っている感じ。恋人役のアストリッド・ベルジュ=フリスベも、文句なしのカワイコちゃん。
 追跡者側は、一同を率いるフランス人隊長役にヴァンサン・ペレーズ。目力で狼を追い払うなんて面白シーンもあり。部下の一人、口のきけないマッチョに格闘家のジェロム・レ・バンナ。肉体美を見せるシーンも、しっかりあります(笑)。隊長の腹心であるアラブ人に、『ヴィドック』で主人公の相棒ニミエ役だったムサ・マースクリ。
 他の部下も、隻眼だったり二枚目の騎士風だったりと、キャラは劇画的に立っていてなかなか楽しいです。だからこそ尚更、イマイチ痛快娯楽作になっていないのが残念な感じがしてしまう。

 とはいえ、アクション・シーンのアレコレとか、風景の素晴らしさとか、お楽しみどころもあちこちありますし、尺も1時間半足らずとコンパクトなので、題材に興味のある方やスペイン好きの方だったら、気楽にそこそこお楽しみいただけるのでは。

“Marketa Lazarová (マルケータ・ラザロヴァー)”

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“Marketa Lazarová” (1967) Frantisek Vlácil
(英盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 1967年制作のチェコスロバキア映画。監督は前に見て感銘を受け、ここで感想を書いた”The Valley of the Bees (Údolí včel)”と同じフランチシェク・ヴラーチル。
 グラジスラフ・ヴァンチュラ(って知らない名前ですが)の同名小説を元に、中世の対立する部族や異なる宗教間での愛を描いた、叙事詩的内容の作品。1998年にチェコの映画関係者によって、20世紀チェコ映画のベスト1に選出。
 日本でも2006年の「チェコ映画回顧展1965-1994」等で上映があった模様です。(参考

 13世紀のチェコ。地方豪族の息子、ミコラーシュとアダムの兄弟は、支配階級の貴族一行を襲い、金品を強奪して、貴族の息子クリスチャンを捕虜にする。
 すると同じく地方豪族で、ミコラーシュたちとは対立関係にある長ラザルが、ミコラーシュの強奪に便乗して、ハイエナのように獲物をあさる。そこを兄弟に捕らえられたラザルは、娘マルケータの名をだして命乞いをする。
 ミコラーシュはラザルを見逃し、クリスチャンを自分の村に連れ帰る。ミコラーシュの父コズリクは、敵を皆殺しにしなかったことで息子を責める。一方でクリスチャンは、ミコラーシュの妹アレクサンドラと恋に落ちる。
 後日、ミコラーシュはラザルのもとを訪れ、支配階級の圧政に対抗するために同盟を持ちかける。しかしラザルはそれを拒否し、逆に彼を配下の手で袋叩きにする。ラザルの娘で、信心深く将来は修道院に入って神に仕えることを願っているマルケータは、父の振る舞いにショックを受ける。
 マルケータはミコラーシュに救いの手を差し伸べるが、彼はそれを拒否して帰って行く。やがて傷も癒えたミコラーシュは、報復としてアダムと共に郎党を率い、ラザルの館を襲い火を放ち、ラザルを門扉に釘で磔にし、マルケータを連れ去り、そして犯す。
 ミコラーシュの父コズリクは、息子がマルケータを連れ帰ったことを快く思わないが、ミコラーシュの母は、男たちの神をも畏れぬ狼のような心に、愛が人間らしい火を点すと預言する。
 息子を惑わした罰として、コズリクはマルケータに鉄釘のついた靴を履かせるよう命令するが、ミコラーシュはそれを拒否する。クリスチャンも共に異を唱え、アレクサンドラもクリスチャンを庇う。その結果、4人は鎖で村の外に鎖で繋がれてしまう。
 一方、支配階級側は軍勢を集め、コズリクの村を襲撃しようとしており、その一行にはクリスチャンの父も加わっていた。彼らは進軍中にアダムを捕らえ、それを人質にコズリクに降伏を迫るが、コズリクも人質としてクリスチャンを披露する。
 そして、隙を見て逃げ出したアダムが弓で射殺されたのをきっかけに、ついに戦いの火蓋が切って落とされ……といった内容で、この後もあれこれ事件が起こり、最終的には、ミコラーシュとマルケータの関係を軸に、悲劇的ではあるけれど救済の光も残る結末へと物語は進んでいきます。

 いや〜、これまた手強かった……。
 なんせ、そもそもの物語の背景に当たる勢力分布が複雑な上、更に作劇法が叙事を丁寧に説明してくれるタイプではない。
 断片的とも言えるエピソードや、フラッシュバック、セリフの一端といった効果を多用して、散りばめられたそれをつなぎ合わせると、ようやく全体像が見えてくるという作り。おかげでもう誰が何なのか、このシーンが何を意味しているのか、もう最初のうちは混乱し通しでした(笑)。
 で、半分まで見たところ(二部構成の作品です)で、もうギブアップ。DVDをいったん止めて、同梱のブックレット掲載の解説を読み、それでようやく全体像が把握できたので、改めて後編を鑑賞。
 すると、基本となるストーリーの骨子自体は、実はさほど複雑ではないことが判りましたが(それぞれのキャラクターの立ち位置や、勢力的な所属を理解して見れば、物語自体はオーソドックスとも言える叙事詩的な内容だった)、それでも頻出する宗教的&哲学的問答とかに、やっぱりノーミソがきりきり舞い(笑)。
 テーマとしてはおそらく、人間らしい感情や愛は、部族習慣や宗教のドグマを上回る強さがあるということだと思うんですけれど、ストーリー的な意味でもテーマ的な意味でも、多種多様なエピソードが混在していて、しかもそれがシャッフルされたかのように提示されるので、ホント手強いこと手強いこと(笑)。
 でも、難しいアレコレは置いといて、とりあえずシンプルな愛の物語という側面をピックアップしてストーリーを追うと、これはなかなか感動的な内容で、基本的には悲劇ではあるんですが、ラストの後味も良かった。

 というわけで、内容把握に関しては、どれだけ理解できたか心許なくはあるんですが、映像的にはもう圧巻。
 一見、エイゼンシュテインか黒澤明かという感じの、重厚で堂々たる史劇のようなんですが、そういったスタイルと同時に、アヴァンギャルドなカメラワークとか、鮮烈なイメージのフラッシュバックとか、前衛映画もかくやという映像が混じっている。
 そんな静と動、古典と前衛といった、対象的なイメージが入り乱れ、しかもそのどちらもが、ハッとするほど美しかったり圧倒的だったり。
 美術や衣装も、キリスト教的なものから異教的なものまで、目の御馳走いっぱい。伝統的な合唱を多用した音楽も素晴らしかった。
 また、マルケータの美しさを筆頭に、それぞれのキャラクターの佇まいや面構えなども良く、とにかくいろんな意味でオナカイッパイになった一本。
 というわけで、これまた「理解できたかできないかは脇に置いておいて、好きか嫌いかで言えば問答無用で好き!」なタイプの映画でした(笑)。
 とりあえず、劇中の音楽とスチル写真を使った、ファンメイドのクリップを貼っておきます。映画の史劇&叙事詩的な側面の雰囲気は、これでだいたい掴めるかと。
 でもまぁぶっちゃけ、とにかく手強かったので、できれば日本語字幕付きで再鑑賞してみたい……というのが本音かな(笑)。

Blu-ray_MarketaLazarova
【追記】この『マルケータ・ラザロヴァー』、昨年2011年にデジタル修復され(参考)、同じく昨年暮れにチェコ本国でDVDとBlu-rayが発売されました。
 Blu-rayはリージョンA&B再生可能(Cはテストレポートなし)、英語字幕付きだという情報をネットで得たので(参考)、チェコの通販サイトをあたって何とか購入してみました。
 手元に届いた商品を試してみたところ、情報通りリージョンA固定のBlu-rayプレイヤーで問題なく再生、英語字幕もちゃんと収録されていました。
 ジャケット裏の解説や、同梱の薄いブックレットも、チェコ語と英語併記。
 Blu-rayディスク1枚と、ボーナスDVDディスク1枚の二枚組。ボーナスディスクには関係者インタビュー、ショート・ドキュメンタリー、フィルモグラフィ、ギャラリーなどが収録されている模様(まだ内容は未確認)。
 そして特筆すべきは、画面と音のレストア。
 映像は、英盤DVDとは比較にならないほどの美麗さで、ディテールの再現性、階調の豊かさなど、文句なしの高画質。強いて言えば、ハイライトの飛びに若干キツい部分が見られるのと、章題の中間字幕部分が、シャープネスの影響か、少しザラついた画質になっていることくらい。
 音質も向上していて、この映画では音楽と画面がシンクロする場面が多々あるので、そういった部分での効果が倍増している感じ。私はチェコ語のヒアリングなんて全くできませんが、それを前提に、セリフ等も囁きから怒鳴り声まで、よりクリアになっている印象があります。
 ご参考までに、私がオーダーしたサイトは、こちら

【追記2】後に米クライテリオンからもBlu-rayが出ました。日本のアマゾンでも取り扱いあり。
[amazonjs asin=”B00BX49BZM” locale=”JP” title=”MARKETA LAZAROVA”]

“Мольба (Molba / ვედრება / Vedreba / The Plea / 祈り)”

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“ვედრება / Vedreba” (1967) თენგიზ აბულაძე / Tengiz Abuladze
(ロシア盤DVDで鑑賞、米アマゾンのマーケットプレイスで入手可能→amazon.com

 ソ連/グルジア映画、テンギス・アブラゼ監督作品。露題”Мольба (Molba)”、英題”The Plea”、邦題は『祈り』と『嘆願』と二例確認。
 グルジアの詩人ヴァジャ・プシャヴェラ(Vazha Pshavela)の詩をベースにしたもので、アブラゼ監督作品としては、これと1977年制作の『希望の樹(幸せの樹)』(未見)、1984年制作の『懺悔』で、三部作となっているらしいです。
 内容は、中世(?)のコーカサス(カフカーズ)で対立している2つの部族にまつわる、叙事詩的な悲劇的エピソード2つと、いつともいずことも知れない廃墟のような古城で、巡礼と天使と悪魔が信仰や欲望について語る言葉や、様々な象徴的なイメージを織り交ぜながら、劇映画的な台詞ではなく、詩の朗読を主体として綴ったもの。
 今回は各々のストーリーを最後まで解説してしまうので、ネタバレ等がお嫌な方は、次の段は飛ばしてください。

 叙事詩的な挿話は、共にコーカサス山中の村を舞台にしており、一つめはムスリムと敵対しているキリスト教徒の村が舞台。
 そこでは、打ち負かした敵の右手を切り取って持ち帰り、それを城壁に晒すのが慣習なのだが、敵に敬意を払った一人の勇者は、それをせず、更に斃した敵のために生け贄を捧げて祈る。
 このことが長老を初め他の村人たちの反感を買い、勇者は家を焼かれ、家族共々村から追放されてしまう。雪原を彷徨う彼は、故郷と信仰に別れを告げる。
 二つめの挿話は、ムスリムとキリスト教徒、二人の狩人が山中で出会うことから始まります。
 獲物は一つしかなく、ムスリムの狩人は獲物を半分に分け、更に家路から遠く離れているキリスト教徒の狩人を、自分の家に客として泊めようと提案する。こうして二人はムスリムの村へ行くが、長年敵対しあっていた二つの部族だけに、周囲の村人はそれを是としない。
 敵であっても、掟に従って客としてもてなすべきだという主張は、親類縁者を殺された村人たちによって退けられ、敵部族の狩人は捕らえられ、祖霊を慰めるための生け贄として殺されてしまう。それを見た村の娘は、残されるであろう彼の妻のことを思い、涙する。
 残る一つのエピソードが、巡礼と天使と悪魔の話です。
 いずことも知れぬ廃墟のような古城で、神と善を求める巡礼に対して、悪魔は人間の欲望について語る。天使は人間に寄り添うものの、多くの人間はその姿を見ることがない。巡礼は人の世の苦しみを嘆くが、やがて悪魔は天使と婚礼をあげ、天使は母となり子供を抱くが、それは人間の赤ん坊ではなく猿だった。
 周囲では家屋が燃やされ、盲目の乞食の群れが騎兵に蹴散らされ、大勢の人々が見渡す限りの墓穴を掘り続ける。その光景に巡礼は、「もう墓穴は見たくない、もっと幸せな良いものを見せてくれ、私は世界を見たくない」と神に祈る。
 しかし天使は絞首刑に処され、人々は無表情にそれを見上げる。そして祈りの言葉ともに、映画は幕を降ろす。

 う〜ん、これは手強かった。私の知識と語学力では、半分も理解できたかどうか……。詩の朗読がメインなので、見慣れない古風な単語が山ほど出てくるし、固有名詞もそれが何なのか判らないことが多くて……見終わってから調べましたが、《Kistin (キスト人)》なんて言葉、初めて聞きました。
 コーカサス地方には、そういった少数部族がいろいろあるらしく、いちおうこの映画で出てくる二つは、キリスト教側が《Khevsur》(参考) 、ムスリム側が《Kistin (キスト人)》(参考)のようです。
 そんなこんなで、良く判らないことが多々あったとんですが、まあそのそもがストーリーを追うタイプの作品ではないし、何と言ってもモノクロの映像がものごっつう魅力的なもんだから、見ていてちっとも退屈ではなかったり。

 全体の雰囲気は、パゾリーニとタルコフスキーとパラジャーノフを足して三で割ったみたいな感じ。
 とにかく、登場人物の顔だけでも何とも味わいがあって魅力的だし、衣装や風景(鑑賞後にあれこれググっていたら、例えばこことか、劇中で見覚えのある光景が出てきたので、出てくる建物とかもどうやらセットではなく、実際に存在するものを使っている模様。)や、スチル的な映像感覚も素晴らしく好みでした。
  おそらく、ちゃんと理解しながら読み解けば、もっと色々と意味が見つかるんでしょうが(この監督の『懺悔』はそういう作品でしたし)、画面をボェ〜っと見てるだけでも充分幸福。
 というわけで、理解できたかできないかは脇に置いておいて……って、それでいいのかって気もしますけど(笑)、好きか嫌いかで言えば、問答無用で「好き!」です、この映画。

 以下、幾つかクリップを貼っておきますが、これらを見て「ぐっときた!」という方だったら、おそらくワケワカンナクても見て損はなし(笑)。
 敵の右手を切り落とさなかった勇者のエピソードから、冒頭〜決闘〜村への帰還部分のシークエンス。

 二人の狩人のエピソードから、墓所での生け贄のシークエンス。

『アイアンクラッド (Ironclad)』

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“Ironclad” (2011) Jonathan English
(米盤Blu-rayで鑑賞→amazon.com

 2011年製作の英・米・独映画。
 13世紀初頭のイングランド、マグナ・カルタ調印後に掌を返し、賛同者を弾圧していくジョン王と、それに抵抗して篭城した地方豪族やテンプル騎士の戦いを、正史から消された逸話として描いた、アクション史劇。
 主演ジェームズ・ピュアフォイ、共演ポール・ジアマッティ、ブライアン・コックス、デレク・ジャコビ。

 13世紀初頭イングランド、ジョン王(ポール・ジアマッティ)はマグナ・カルタに調印したものの、これで内戦が終わったと油断した諸侯たちを、デーン人の助力を得て片端から惨殺していく。
 主人公のテンプル騎士マーシャル(ジェームズ・ピュアフォイ)はそれに巻き込まれ、護衛していた主である僧侶と、仲間の騎士たちを、ジョン王率いるデーン軍に殺される。独りカンタベリーに辿りついたマーシャルは、ジョン王に抵抗中のアルバニー公(ブライアン・コックス)と出会う。
 アルバニー公は、カンタベリー大司教がフランスのルイ王太子に応援を頼む間、堅牢な砦であるロチェスター城でジョン王の軍を迎え撃ち、時間を稼ごうとし、マーシャルもそれに同行する。ロチェスターに向かう道中、アルバニー公は顔なじみの共に戦う戦士たちを集める。
 ロチェスター城主(デレク・ジャコビ)は一行を歓迎しないが、時既に遅くジョン王の大軍が城外に迫っていた。主人公たちは城門を閉ざし抗戦するが、相手の大軍に対して味方はたったの20人程度。
 激しい攻城戦が繰り返される中、やがて食糧も欠乏していき、果たして彼らはフランスからの援軍が来るまで持ちこたえられるのか、そもそも援軍は本当に来るのか、そしてこの戦いの意味とは…? ってな内容です。

 ジョン王の手によって正史から消された…という設定であるように、歴史物としては決して正しい内容とは言えないそうで、what ifものとして見た方が良さそうですが、そこさえ気にならなければ、これはなかなか面白く見られました。少なくとも、娯楽性と迫力はタップリ。
 映像的にもストーリー的にも、スケール感はさほどありませんが、状況を篭城&攻城戦のみに絞ってあるのが功を奏していて、それによるデメリットはほとんどなし。逆にドラマとしては、フォーカスが散らずに上手く絞られているという印象にも。
 特に映像面では、下手に舞台を拡げていない分、ストーリーの殆どが城の中だけで展開するので、変に安っぽい映像になって白けたりしないのがいいです。とは言え移動中の点景に、《カワウソ漁をしている(?)漁師》みたいな《それっぽい》絵がちらりと挟んだりして、上手いことムードを盛り上げてくれている印象。
 血飛沫と人体破壊がバンバン出てくる血生臭い戦闘場面は、手持ちカメラ風の画面の迫力もあって、かなりの見応え。ただ、かなりゴアです。コスチューム劇としてはかなり過激な描写で、スプラッター・ホラー並の描写もあるので、そういうのが苦手な方には、正直ちょっとキツいかも。
 そんなアクションの合間合間には、登場人物それぞれのドラマがあれこれ挟まります。で、上手い具合にクリシェを使って、キャラクターが立って適度に感動移入もした頃に、再びオッソロシイ戦闘シーンになるもんだから、けっこうハラハラして「うぉ〜! 危ね〜! 死ぬな〜!」ってな感じにエモーションも揺さぶられたり。

 加えて役者もそれぞれ良く、まず主演のジェームズ・ピュアフォイですが、まぁ地味きわまりないムサいオッサンではあるんですが、それが真面目で無骨で寡黙な役柄に良く合っています。
 脇を固めるブライアン・コックス、ポール・ジアマッティ、デレク・ジャコビは、安心の存在感と演技力で、ストーリー全体をがっちりサポート。
 仲間の戦士たちは、見覚えがあるのはジェイソン・フレミング(怒りっぽく女好きというキャラ)くらいでしたが、ルックス的にも特徴的にも上手くキャラが立っているので、アンサンブルとして実に良い雰囲気。
 あと、音楽もなかなか佳良。古楽風味、教会声楽風味、エピック風味、泣き節、etc.…の要素を、上手い配分で織り交ぜられている感じで、ぶっちゃけ高級感は映画の出来以上かも(笑)。
 Blu-rayのパッケージには「七人の侍+ブレイブハート」なんて書いてあり、実際テーマや見所としては、アバウトに言えばそんな感じです。決してそれらと比肩するような傑作というわけではないけれど、でも肩の凝らない娯楽アクション作としては、充分に佳良な出来だと思います。
 こういったジャンルが好きで、でも歴史云々を筆頭に細かいことをあまり気にせず、そして血まみれゴア描写も大丈夫という方だったら、まず見て損はないかと。

 まぁ個人的には、この監督が前に撮った『ミノタウロス』(2006)というヤツが、何つーかそのお世辞にも良いとは言えないシロモノだったので、正直この”Ironclad”には全く期待していなかったところ、思いの外良い出来だったというのも印象の良さにつながっているかも知れません(笑)。

 あとゴア描写に関しては、残酷描写だけ集めたファンメイドのクリップがYouTubeにあったので、リンクを貼っておきます。誰がどういう具合に死ぬという意味でネタバレを含みますが、興味のある方はどうぞ。こちら

 余談。
 リドリー・スコット版『ロビン・フッド』と続けて見ると、けっこう面白いかも知れません。キャラクターやテーマ的に、けっこうアレの後日譚的にも見られるので。
 内容的にも、ロマンと現実の間で引き裂かれて、結局どっちつかずになってしまっていた感のある『ロビン・フッド』に対して、テーマをロマンに絞って上手い具合にコンパクトに纏めた本作と、対照的な見比べが出来るのが、個人的には面白かったり。
【追記】
『アイアンクラッド』の邦題で、2012年6月9日から日本公開→公式サイト
【追記2】
 日本盤DVD出ました。

アイアンクラッド [DVD] アイアンクラッド [DVD]
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2012-09-05

“Henri 4 (Henry of Navarre)”

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“Henri 4” (2010) Jo Baier
(英盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 2010年製作のドイツ/フランス/チェコ/スペイン映画。
 ハインリヒ・マン(トーマス・マンの兄)の歴史小説(未読)を原作とした、16世紀フランスのユグノー戦争と、アンリ4世の生涯を描いた史劇。

 ナバラ国(フランスとスペインの境にあった国)王子アンリは、幼少時にノストラダムスから、将来フランス王になると予言される。当時のフランスはカソリックとユグノー(プロテスタント)の争いで内戦状態にあり、アンリもまだ幼いうちからユグノーの盟主として戦場に立つことになる。
 アンリが成長すると、フランス王母后カトリーヌ・ド・メディシスは、カソリックとユグノーの講和のため、アンリと自分の娘マルゴとの婚姻を持ちかける。アンリの母であるナバラ女王ジャンヌ・ダルブレもそれに同意しパリに赴くが、遅れてアンリがパリに入ったときには、母は謎の死をとげていた。
 アンリとマルゴは反発しあいながらも結婚するが、程なくして聖バーソロミューの虐殺(カソリックによるユグノーの虐殺)が起き、アンリは兄弟の身を守るためカソリックに改宗し、そのままルーブル宮に幽閉されてしまう。
 しかし暫くの雌伏を経た後、狩りの際に遁走しユグノーを率いて兵を起こし……とまあ、こういった感じで時系列に準じて歴史が綴られていき、最終的にアンリ4世の死で幕を下ろすという内容。

 宗教戦争と権力闘争が絡み合ったドロドロの内容に、戦闘シーンや愛欲シーンなんかも交えた盛り沢山で面白い内容ではあるんですが、いかんせん、この内容で148分という尺は短すぎ。
 どうしても一つ一つのエピソードや、キャラクターの内面等が掘り下げ不足の感は拭えず、エピソードのつなぎもスポ〜ンと省略されたりするので、面白いんだけど、何だか総集編を見させられているような、ちょっと手応え不足とか味わい不足な印象。
 また、視点があくまでもキャラクター寄りで、全体を俯瞰するマクロなものが出て来ないので、前述したストーリー的なダイジェスト感とも相まって、映像的な物量は決して貧弱ではないのに、意外にスケール感に乏しい。
 とはいえ、これはエピック的な見応えという点に関しての話で、コスチュームものとしての雰囲気や、映像的な説得力自体は佳良。ゴージャス感はさほどないものの、衣装や美術は決して悪くないし、合戦シーンのも見応えもそこそこ。
 雰囲気としては、BBCの歴史ドラマを、ちょい映画寄りにスケールアップしたみたいな感じ。

 表現手法的には、あちこち面白い試みもあり。
 例えば合戦シーンは、ある合戦では戦場での殺し合いを、ダイレクトに血生臭く見せたかと思うと、別の合戦ではテント内で怯える女性の姿と、戦いの物音と天幕に写る影法師だけで描ききったり。
 また、女好きで知られるアンリ4世の話らしく、主人公の濡れ場がけっこう多いんですが、王妃マルゴとの険悪かつ獣的な、挑戦的に互いを貪り合う表現なんかも、なかなか面白かったです。

 というわけで、まああちこち物足りない感はありますし、重要な登場人物の死がセリフでサラッと流されたりして、背景事情に疎いと取り残されてしまう感もありますが、絵解き再現ドラマだと割り切れば、史劇好きならそこそこ楽しめるかと。
 ただし、過大な期待は禁物(笑)。

“BearCity”

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“BearCity” (2010) Douglas Langway
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com

 2010年製作のアメリカ映画。ニューヨークのベア・コミュニティを舞台に、痩せ形でヒゲも体毛もないけどベア好きな若者と、その友人たちを巡るアレコレを描いたゲイ・ベア版ロマンティック・コメディ。
 キャッチコピーは「ロマンスは毛深くなれる」(笑)

 主人公タイラーは、NYに住む役者志望の青年。ゲイで、好きなタイプは「ヒゲ+毛深い+デカい」のベア系なのだが、自分は細くてヒゲも体毛もないので、ベア系の掲示板に登録しているプロフィールは写真なし、キレイ系の男が好きなルームメイトのゲイにも、自分はベア好きだとカムアウト出来ずにいる。
 そんなタイラーだったが、ある日、掲示板のチャットで話しかけられたことを切っ掛けに、勇気を出してベア系ゲイバーのイベントに出掛ける。そこにいるのはベア、ベア、ベア。そんな中に偶然、タイラーがオーディションを受けたときのカメラマンで、彼がちょっと意識していたベア系のフレッドがいた。
 フレッドはタイラーを、パートナーのブレントや他の仲間に紹介する。フレッドたちの部屋に空き部屋があり、ルームシェアの相手を探していた。タイラーはそこに引っ越し、更にブレントの働くベア・コーヒーショップでの職も得る。
 こうしてベア・コミュニティ内に入ったタイラーは、そこで出会った年上の男ロジャーを好きになる。ロジャーもタイラーを意識するのだが、彼のライフスタイルは特定のパートナーを持たない自由なもので、二人が何となくいい感じになりかけても、すぐに邪魔が入ってしまい……といった内容。

 こういったアウトラインをメインに、付き合って長いので倦怠期っぽくなっているカップルが、公認浮気や3Pに挑戦しようとするエピソードや、痩せるために胃の縮小手術をしようとする男と、それに反対して気まずくなってしまうパートナーとかいったエピソードが、合間合間に挿入されます。
 まあ何と言うか、いかにも「ベア系ゲイが、ベア系ゲイのために作った、ベア系ゲイの映画」といった感じの映画。
 というわけで、扱っている世界が良くも悪くも狭いので、ベア好きのゲイならけっこう楽しめると思うけれど、それ以外の人には……う〜ん、ちょっとどうなんだろうなぁ(笑)。
 コメディとしては、笑いのとり方が「あるある」系の小ネタと、ゲイゲイしい会話の応酬なので、クスクス笑えるネタは盛り沢山。個人的にお気に入りなのが、ベア好きなのをカムアウト出来ない云々の件で「ホントはジョン・ グッドマンがタイプなんだけど、人には『ブラピかっこいい!』とか心にもないことを言っちゃうんだよね……」ってヤツ(笑)。
 ただ、笑いがそういった小ネタに終始していて、大きな仕掛けがないのはちょっと残念。
 でもサービス精神は実に旺盛で、ヌードもカラミもエッチ場面もあり。主人公がなかなかラブをゲットできない分、脇キャラがあれこれにぎにぎしく動いてくれて、エッチ場面もロマンティックから3Pや乱交まで、もうタップリ入ってます(笑)。
 また、実際にNYのベア・コミュニティの人々が主体となって作っているらしく、そういったコミュニティ内を描いたリアル感は素晴らしい。出てくる人がホントに、実際にそこで生活しているゲイにしか見えないほどで、ベア系ゲイ・カルチャーを探訪できる観光映画的な魅力は大。

 というわけで、基本的には罪のないロマコメで、ベア好きのゲイだったらお楽しみどころも多々ありますが、それ以上のものはなし。
 個人的には、もうちょっとキャラの内面に迫るとか、普遍性や批評性とかいったプラスアルファが欲しいというのは正直な感想ですけど、まあこれはこれで良いのかな(笑)。
 ベア系ゲイが好きな人にとっては、実に愛らしい映画であることは確かです。軽〜い気持ちでお楽しみあれ。

 で、この”BearCity”、台湾版の公式予告編があったんだけど、タイトル『慾望熊市』…って、なんかスゴいわぁ(笑)。

 でもって、この台湾版予告編の中で「Who wants to eat my ass?」の中文字幕が「誰要品嘗我的熊菊?」ってのにも大ウケ(笑)。「熊菊」って(笑)。
 更にこの映画、ラストで「次はサンフランシスコだ!」みたいな感じで終わるんですが、何とホントに続編ができたようで、先日その続編”BearCity 2″のティーザー予告編が公開されました。

 来春アメリカ公開だそうな。
 相変わらずベア好きゲイ限定御用達の軽いロマコメっぽいですが、スタッフもキャストも続投している様子なので、なんかちょっと楽しみに(笑)。

“Howl”

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“Howl” (2010) Rob Epstein & Jeffrey Friedman
(アメリカ盤Blu-rayで鑑賞→amazon.com

 2010年製作のアメリカ映画。ビートニクスの詩人でゲイでもあったアレン・ギンズバーグの詩集『吠える』の猥褻裁判を軸に、彼の詩の世界と、詩人自身の姿を疑似ドキュメンタリー形式で描いた作品。
 監督は『セルロイド・クローゼット』のロブ・エプスタイン&ジェフリー・フリードマン。ギンズバーグを演じるのはジェームズ・フランコ。

 実在の人物の言動を役者が再現し、それをドキュメンタリー的な手法で構築していく作品なので、いわゆる劇映画的な作りではありません。
 作品の構成要素は、主に5つに分かれます。
 まず、『吠える』の猥褻裁判を法廷劇的に描いていくパート。主役のギンズバーグは、このパートには出てきませんが、これがいわば全体をストーリー的に牽引する軸になっています。
 2つ目は、裁判と並行して別の場所で行われている、ギンズバーグへのインタビューを再現したパート。ギンズバーグのプライベート・ヒストリーや、詩作に対する考え、様々な想いなどが、モノローグのみで語られます。自身のホモセクシュアリティに関して赤裸々に語られるのも、このパート。
 3つ目は、このギンズバーグのモノローグに準じて描かれる、プライベート・ヒストリーの再現ドラマ的な映像パート。前述したホモセクシュアル要素も、このパートで実写ドラマとして描かれます。
 4つ目は、『吠える』の出版以前(おそらく)に、詩人が仲間の前で自作を朗読しているシークエンス。
 そして5つ目が、前述した4つのパートのそこかしこで出てくるギンズバーグの詩の朗読と共に、その詩のイメージをアニメーションを使ってヴィジュアル化したパート。
 以上の5つのパートが、入れ替わり立ち替わり出てきて、最終的にギンズバーグという詩人と、その詩の世界の両方が浮かびあがるという構成です。

 かなり意欲的な作品だとは思います。
 しかし、いかんせん私の語学力では台詞が難しすぎて……出てくる単語も難しければ、語られる内容も抽象的だったり法廷の論議だったりで、もう内容の半分も理解できたかどうか(笑)。
 それでも判った部分だけで言えば、なかなか興味深くはありました。
 まず、法廷パートの、検事が押してくる「文学的な価値があるか否か」という要素(つまり「猥褻か芸術か」と同じ構図)。この論議が、最終的には無効化して「自由の尊さ」に帰着し、そして映画自体も、ギンズバーグ(を演じるジェームズ・フランコ)による「holy, holy, holy……」の朗読で締めくくられるんですが、この一連の流れはちょっと感動的。
 検事が詩の文章に「特定の意味」を見つけようとし、感覚を論理で解釈して是非を判断しようとするあたりも、そういった姿勢そのもの滑稽さが良く伝わってきて面白かった。
 ギンズバーグへのインタビューも、詩がどのようにして生まれるか、作者にとってそれはどんなものなのか……といったことが語られるので、実に興味深し。作家像を垣間見ると同時に、芸術論的な面白さもあります。
 もちろんホモセクシュアル関係の話も興味深く、再現ドラマ部には、ちょっとしたセクシーな雰囲気や、ゲイ的に見ていてハッピーな気分になれる場面も多し。裁判とインタビューはカラー、パーソナル・ヒストリーと仲間の前でのポエトリー・リーディングは白黒という構成なんですが、この白黒の映像も美しい。

 ただ残念なのが、アニメーションによる詩の視覚化のパート。
 ここはいわば、映画的には最大の見せ場であるはずなんですが、イメージ自体は面白いし雰囲気も悪くないものの、2D表現の部分はともかく、3DCGのキャラクター・アニメーションが、ちょっと安っぽくていただけない。制作はタイのスタジオらしいです。
 時間や予算の関係もあるんでしょうが、このアニメーション・パートで、もっとスゴいものを見せていてくれれば、この映画はかなりの傑作になったんじゃないかと思うんですがが、残念ながらそこまでは及ばず。決して悪くはないんだけど、いかんせん、20世紀を代表する詩のヴィジュアライゼーションとしては、イメージ的なパワーが弱すぎるし、完成度も充分とも言えない。
 ここで例えば、最近で言えばジュリー・テイモアの『アクロス・ザ・ユニバース』くらいの、ハイ・クオリティなヴィジョンを見せてくれれば、この映画、かなりの傑作になっただろうに……何とも惜しいです。

 ギンズバーグ役のジェームス・フランコは、雰囲気は上々なんですが、ちょっと坊やっぽいというか甘いというか……ナイーブな感じはあるんだけれど、もう少しシャープさとか深みがあると良かったかも。
 個人的には、裁判長でボブ・バラバン、証人の一人でトリート・ウィリアムズという、20代の頃に好きだった役者さんたちが見られたのは、何だか得した気分でした。
 再現ドラマパートでジャック・ケルアック、ニール・キャサディ、ピーター・オルロフスキーなんて面子が出てくるので、ビートニクスに興味のある方なら、そこいらへんも大いに楽しめるかと。

 まあ私は、ビートニクスはよ〜知らんミーハーですし、内容の理解度もおぼつかないんですが、実写パートの映像の雰囲気の良さや、散見されるホモセクシュアル・モチーフだけでも、けっこう楽しめちゃいました(笑)。
 いかにもこの監督コンビらしく、ゲイ映画的な側面も色濃い内容ですし、時代のムードにも惹かれるし、それに何と言っても、前述したようにラストで感動しちゃったので、「判らない&惜しい」なりにも、それでも「かなり好き」と言える一本です。

“Bang Rajan 2 (Blood of Warriors: Sacred Ground)”

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“Bang Rajan 2” (2010) Tanit Jitnukul
(イギリス盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 2010年製作のタイ映画。2000年の傑作アクション史劇“Bang Rajan”の正統続編で、監督も同じサニット・ジトヌクル(タニット・チッタヌクン)。
 イギリス盤DVDタイトル”Blood of Warriors: Sacred Ground”。

 18世紀、アユタヤ王朝時代のタイで、ビルマの侵攻に立ち向かって全滅したバーンラジャン村(これが前作のストーリー)だったが、実は殺されていたと思っていた村の精神的な中枢である僧侶は、バーンラジャン村と同様に彼の指導を望む、別の村の者たちに密かに救出されていた。
 村人たちは、僧侶から授かった僧衣の切れ端を二の腕に巻き、神出鬼没のゲリラ戦法で、ビルマの捕虜となったタイ人たちを救い出しては、山中の隠れ里に匿う。ビルマ軍は、彼らの存在を幽霊のように怖れるが、侵攻自体が留まることなく、村人たちは次第に日々の食糧にも窮するようになる。そんなある日、ゲリラ戦士たちは、ジャングルの中でビルマ軍に襲われていたアユタヤ軍の部隊を救い、彼らを隠れ里へ連れ帰る。
 しかし人員が増えたことでますます食糧は乏しくなり、また、国のために戦う軍人と、隠れて生き延びながら、生き残るために戦っている村人の間では、気持ちの齟齬も生じる。隠れ里には不穏な空気が漂い始めるが、件の僧侶の人徳がそれを収める。
 一方ビルマ軍は、ゲリラの力の源は僧侶の霊力にありと考え、間諜を送り込んでの暗殺を謀る。同時に腹黒いビルマの将軍は、戦乱のどさくさに紛れてタイの黄金大仏を盗み出そうと計画していた。
 そんな折り、ついにアユタヤが陥落する。帰る国を失った隠れ里の兵士たちは出撃を決意し、村人たちにも「このまま隠れていても、今はいいが、いつかは国全体が敵の手に落ちてしまう、そうなってしまえば、村どころか祖国も失ってしまうのだ」と説き、助力を求めるが……といった内容。

 白状すると、鑑賞前はあまり期待していませんでした。
 というのも、”Bang Rajan”はあれ1本で完結した作品だと思っていたし、この監督の作品も、素晴らしかったのはそれ1本だけで、その後の『ラスト・ウォリアー』『セマ・ザ・ウォリアー』『アート・オブ・デビル』『デッドライン』などは、決して褒められた出来ではなかったので……。
 しかしこの”Bang Rajan 2″、無印”Bang Rajan”には全く及ばないものの、それでもその後の作品の中ではダントツに出来が良く、これは嬉しい驚きでした。
 あちこち残念な部分はあるものの、全体的にはかなり楽しめる仕上がりですし、続編にありがちな無理矢理感(特に”Bang Rajan”は『あの話にどーやって続編を作るっていうの!?』ってな内容なので)も、上手いこと最小限に抑えられている感じ。
 バトルシーンは相変わらず見せます。前半のゲリラ戦はアクロバティックなアクション映画風に見せ、クライマックスは史劇風のスペクタクル的にする対比も良し。
 ただスペクタクルの方は、チープなCGが興を削いでしまった感アリで、本格的にセットを組んだ前作と比べてしまうと、かなり見劣りがするのも事実。でも、CGのチープさに目を瞑れば、大雨が降りしきる中での集団肉弾戦に加えて、大仏も倒れれば地割れも起きるという大盤振る舞いなので、それはそれで楽しかったり(笑)。
 クライマックスが二段構えにしたのは、パワーやフォーカスが散ってしまったきらいはあるものの、そのかわり真のクライマックスには、前作のファン感涙の仕掛けがあります。まあコテコテでベタベタではあるんですが、ファン心理としては「キタ━(゚∀゚)━!!!!!」って感じ(笑)で、ぐわーっと熱くなって気分的に盛り上がります。
 バトルシーン以外に、隠れ里の日常風景を叙情的にじっくり描いているのも佳良なんですが、エピソード配分に失敗していて、そればかり延々と続くのはイマイチ。おかげでちょっと間延び&中だるみ感があって、これまたそこいらへんの作劇が上手かった前作に比べて残念なポイント。
 キャラクター・ドラマの方は、将来を誓い合いながらも運命に引き裂かれる男女、妻が妊娠中の夫婦、子供を人質にとられている夫婦、惹かれ合いながらも口には出せない初心な男女、父と息子、母と娘……といった設定を駆使して、燃える場面と泣かせる場面がテンコモリ。ベタなお約束と判っていても、つい熱くなったりウルウルきたり。

 続編モノなので、無印”Bang Rajan”を見ている人向けではありますが(そういう意味では今回見た英盤DVDは、タイトルを変えてそれを明示していないので不親切)、「あの傑作よ再び」という過大な期待(ストーリー自体の魅力、作劇、キャラ立ち、演出……等々、無印と比較してしまうと、どうしても全て見劣りしてしまうのは事実)さえしなければ、かなり楽しめると思います。
 個人的には、名も無き人々の熱い生き様による燃えと泣きといったテーマが、今回も変わらず引き継がれていたことや、クライマックスの仕掛けの効果でファン心理を上手く擽られたこと、そして前述したように、正直事前の期待値がかなり低かった反動もあって、鑑賞後の満足度はけっこう高し。
 そしてもちろん今回も、裸のアジアン・マッチョ出まくり&血飛沫ビシャビシャ&殺されまくりです(笑)。