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“Остров (Ostrov / The Island)”

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“Остров (Ostrov)” (2006) Pavel Lungin
(ロシア盤DVDで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com、米盤DVD→amazon.com、英盤DVD→amazon.co.ukもあり)

 2006年製作のロシア映画。英題”The Island”。『タクシー・ブルース』、『ラフマニノフ ある愛の調べ』“Царь (ツァーリ)”のパーヴェル・ルンギン監督作品。
 北の孤島にある修道院と、罪を抱えながらも聖人として崇拝されている修道士の姿を通して、人間の罪や赦しとは何かを静かに問う、寓意的な作品。
 二次大戦中、石炭運びのタグボートがドイツ船に拿捕され、一人の船員が、殺されたくなければ船長を撃てと強要される。辛うじて生き延びたその船員は、以降40年近く、外界から孤絶した修道院で、ボイラー室に寝起きしながら、釜にくべる石炭を運んで暮らしている。
 何故か未来を予知したり、病を治す能力を持つようになった彼は、いつしか聖人と崇められるようになり、その救いを求めて遠方からはるばる修道院を訪れる人も少なくない。修道士の中には、彼を擁護する者も反発する者もいるが、彼自身は自分の抱えている罪の重さに常に苦しんでいる。
 そんな彼のことを、真に理解できる者はいない。擁護する者も反発する者も、彼と触れあうことで改めて自身の信仰と直面することになり、奇跡を求めて訪れた人々も、それぞれの内面を問われることになる。
 そしてある日、一人の父親が精神を病んだ娘を伴い、聖者による救いと癒しを求めて修道院を訪れるのだが……といった内容。

 まず、極上の映像美に圧倒されます。
 雪深い北海の孤島の自然を捕らえた、まるで水墨画でも見るかのようなモノクロームに近い、詩情あふれる映像がとにかく素晴らしい。そして、淡々と進む静かな話を控えめに彩る、音楽(Vladimir Martynov)の深みのある美しさで、映像美もまた相乗効果に。
 主人公を演じるPyotr Mamonov(同監督の”Царь (ツァーリ)”でイヴァン雷帝を演じて圧倒的だった人)の存在感と演技もマル。滑稽な老人、苦悩する人間、聖者のような風格など、一人のキャラクターの様々な側面を自在に演じ分けることで、セリフも動きも少ないストーリーに、見事なメリハリと緊張感を与えています。
 テーマ的には、これは神の実在を前提とし、その前での人間の罪や赦しや信仰とは何かを問うというものなので、非キリスト教文化圏の人間には、いささか敷居が高いです。奇跡は奇跡のままとして描かれ、合理的な説明がなされたりはしない。
 しかしそれらを踏まえて見れば、深く静かな感動が訪れます。
 全編に渡ってストーリーは、俗世と隔絶した孤島のドラマとして描かれ、ソヴィエト体制下での宗教弾圧等の話は出てきません。鑑賞前は、ひょっとしたらソロヴェツキー修道院の悲劇なんかと似た展開もあるのかと想像していましたが、そういった要素は皆無でした。
 というわけで、おそらくこれは寓意的な内容だと思った次第。

 宗教色が濃い内容なので、見る人を選ぶタイプの映画だとは思いますが、淡々としつつユーモラスな描写もあり、ストーリー自体のドラマチックな仕掛けもあり、それに何と言っても前述したように、その詩情溢れる映像美だけでも素晴らしい一本。
 信仰について、特にロシア正教におけるそれに興味のある方にオススメです。

 Vladimir Martynovによる、美しく叙情的で、ちょっと感傷的なテーマ曲。

“Свои (Svoi / Our Own)”

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“Свои (Svoi)” (2004) Dmitri Meskhiyev
(アメリカ盤DVDで鑑賞→amazon.com

 2004年製作のロシア映画。英題”Our Own”。同年のモスクワ国際映画祭で最優秀作品賞を受賞。
 二次大戦の最中、ドイツ占領下のソ連東部で、脱走した3人のロシア人捕虜を巡る男泣き系ドラマ。

 1941年、ドイツ占領下のソ連東部(おそらくウクライナ)、ドイツ軍の捕虜となった大勢のロシア人の中から、初老の司令官、中年の人民委員、青年狙撃兵の3人が脱走し、近在の青年狙撃兵の実家がある村に逃げ込む。
 狙撃兵の父親は3人を納屋に匿うが、しかし既に村にはドイツ軍への内通者がいた。
 3人はまず、自分たちを殺しにきた男を返り討ちにするが、次にドイツ軍のために動いているロシア人の警察隊が、3人を探しに村へやってくる。しかもその長官は、青年狙撃兵とは恋人を巡って争う恋敵の男だった。
 その捜査をやり過ごした3人は、武器を手に入れるために、警邏中のドイツ兵を襲う。しかし、殺したドイツ兵の死体が発見され、犯人を捕らえるために近在の村から人質が集められ、狙撃兵の姉妹も捕らえられてしまう。
 狙撃兵の父親は娘を釈放してくれるよう警察に交渉に行くが、警察長官は彼の息子と恋敵の関係にあるので、他の人質のように賄賂が通用しない。
 父親は息子を守るため、そして娘たちを救うために、3人と共に警察長官を暗殺することを決意するのだが…といった内容。

 ストーリー自体はシンプルで、全体的にも比較的地味な作品ではあるんですが、冒頭、どこか長閑な雰囲気で始まり、それが軍の侵攻で一気に恐ろしい殺戮の場と化すコントラストがスゴい。この場面の容赦ない描写のおかげで、以降の「何が何でも生き延びる!」というストーリーの軸に、ガッチリ芯が通っています。
 そして、こういったストーリーを軸にして動き回るそれぞれのキャラが、決して高潔な英雄とかではなく、殺されないために軍服を脱いで民間人のふりをするわ、納屋に隠れながらも羽目板の隙間から外を覗き見て、女たちの太腿にハアハアするわ、襲撃が成功するとガキみたいにはしゃぎ回るわ、身に危険が迫ると泣いて命乞いをするわ……と、思いっきり生臭い人間たちなのが良い。
 そういった連中たちのサバイバル〜アクション・ドラマで、それがクライマックスに向けて、父子だの仲間だの愛国心だのといった「泣き」系のドラマへと盛り上がっていくので、これはなかなかグッときます。
 ただ愛国心に関しては、これはおそらく現在のロシア人にもアピールするだろうし、前述したモスクワ国際映画祭での受賞の一因という気もするんですが、それをソ連東部を舞台にしてウクライナ人俳優のボグダン・ステュープカを使って語るあたりは、ちと政治的な意図が感じられなくもない……かなぁ?

 配役も実に良いです。
 まず前述したように、狙撃兵の父親に2009年版『隊長ブーリバ』の主役だったボグダン・ステュープカ。司令官は“Край (The Edge)”の主演セルゲイ・ガルマッシュ。人民委員は『ナイト・ウォッチ』『デイ・ウォッチ』『提督の戦艦』の主演コンスタンチン・ハベンスキー。青年狙撃兵は『第九中隊(アフガン)』で(確か)「巨匠」役だったミハイル・エフラノフ。警察長官も同じく『第九中隊(アフガン)』のフョードル・ボンダルチュクという布陣。
 村の女たちも、狙撃兵と恋仲の娘といい、司令官といい仲になる少しトウのたった隣家の娘といい、ちっとも美人じゃないんだけれど、いかにもロシアの農家の女といった土臭さや逞しさがあって説得力大。

 戦時下の男のドラマとはいえ、必ずしも痛快アクション娯楽作というわけではなく、民謡などのうら寂しい音楽も相まって、ペーソスや哀愁なんかも漂っており、長閑な可笑しみもあれば、容赦ない残酷もあり。ここいらへんは好みが分かれるところだとは思いますが、個人的には、渋い小品ながらもなかなかの見応えという印象。
 作品自体のクオリティも高いので、題材に興味のある人なら見て損はないと思います。
 予告編が見つからなかったので、哀愁漂う音楽も魅力的なタイトル・シークエンスのクリップ。

『ブレスト要塞大攻防戦』(Брестская крепость / Brestskaya krepost / Brest Fortress)

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“Брестская крепость (Brestskaya krepost)” (2010) Aleksandr Kott
(ロシア盤DVDで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com、”Fortress of War”のタイトルで英盤DVDあり→amazon.co.uk

 2010年製作のロシア映画。英題”Brest Fortress” a.k.a. “Fortress of War”。
 1941年、ドイツの侵攻を受け、後にソ連から英雄都市の称号を受けた要塞のある街ブレストの、九日間に渡る攻防戦を描いた戦争ドラマ。

 ソ連とポーランド国境の街ブレスト(現在はベラルーシ)では、独ソ戦開戦の噂が流れつつも、要塞に住居する兵士の家族を含めた街の人々は、ダンスに映画に音楽にと楽しい日々を過ごしていた。
 しかしある晩、ソ連軍の軍服を着たドイツ兵たちが、密かに列車で駅に到着する。人々の気付かぬうちに、ドイツ軍は街の水道と電気を断つ。
 翌朝、孤児で軍楽隊の少年兵サーシャが、互いに好き合っている少女アーニャと釣りに出掛けているとき、ドイツ軍の攻撃が始まる。街はあっという間に戦場となり、殺戮の場へと化してしまう。
 ドイツ軍は優勢で、ソ連軍は街の数カ所に分断されてしまう。サーシャは伝令として走りながら、行方不明になったアーニャを探し求め、他の恋人たちや家族にも過酷な運命が襲いかかる。
 それでもソ連軍は果敢に抵抗を試みるが、援軍は断たれ、やがて水も欠乏していき…といった内容。

 いや、とにかく戦闘シーンに圧倒。
 まず、街が戦場ということもあり、爆発し崩れ落ちる建物といったスペクタクルがとにかく凄くて、これおそらく撮影用に街のセットを組んだんでしょうが、とにかくスケール感と迫力がハンパない。そこに、死屍累々、人体破壊容赦なしの、凄惨な戦場描写が襲いかかる。
 導入部の平和時の描写が、雰囲気は長閑だしユーモアもあるし画面も美麗なだけに、そこが残酷な戦場と化したときのコントラストも効果絶大。加えてそこに家族だの恋人だのといった、エモーショナルなヒューマン・ドラマのアレコレが入ってくるもんだから、もうグイグイ引き込まれてしまいます。
 内容が政治的に中立かどうかは、ドイツ軍の立ち位置が完全に悪役であるところとか、ポーランドの視点が欠けているような気がするとか、いささか疑問は残るんですけれど、それにしてもこのドラマとしてのパワーはスゴい。
 キャラクター描写も、それぞれ細かなエピソードを使って上手く立てているので、感情移入もバッチリ。音楽の使い方などに多少の通俗性は感じられるんですが、それらも最終的には良い方向に作用している感じ。
 ただ、スペクタクル・ヒューマン・ドラマとして出来がいい反面、鉛を呑んだような重さには欠けるのが、評価の分かれどころかも。
 いや、重いんですよ。重いしエグいし辛い。でも、同時にヒロイズム的な視点もあるので、描写自体は容赦ないんですけれど、変な言い方ですが「見やすい」映画に仕上がっているという印象。少なくとも内容のわりには、見終わってドヨ〜ンと落ち込んだりとかはなかった。

 ストーリーとしては、歴史の一幕とは言え実に悲惨な内容ですし、残酷描写もふんだんに出てきますが、なにしろドラマ的にパワフルなのと、見応えも見所もいっぱい、そしてまた変な言い方になりますけど、見終わった後に娯楽映画的な「面白かった!」感がちゃんとあるので、モチーフに興味ある方だったら、間違いなく一見の価値ありかと。

【追記】2015年1〜2月の「未体験ゾーンの映画たち2015」で、『ブレスト要塞大攻防戦』の邦題で日本上映、同8月にDVD発売。
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『サウナのあるところ』”Miesten vuoro (Steam of Life)”

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“Miesten vuoro” (2010) Joonas Berghäll & Mika Hotakainen
(フィンランド盤DVDで鑑賞、英アマゾンで英語字幕付きDVD入手可能→amazon.co.uk

 2010年製作のフィンランド映画。英題”Steam of Life”。
 サウナで身も心も解きほぐされた男たちが、悲喜こもごもの様々な個人史を率直に語る様子を、美麗な自然描写を交えて描いたドキュメンタリーで、同年のアメリカのアカデミー賞、外国語映画賞フィンランド代表作品。

 サウナ発祥の地フィンランド。我々日本人の感覚からは想像もつかないほど、いたるところにサウナがあり人々の生活に密着している。
 そんな同地で、工場労働者、林業従事者、高齢者、元犯罪者、軍人、ホームレス、等々、様々な男たちが、自分の気持ちや過去を赤裸々に語る。それぞれのエピソードの合間には、フィンランドの美しい自然や、同国の各地で見られる様々な仰天サウナの光景などが挿入される。
 そして男たちの語る悲喜こもごもの話は、やがて汎的な人生哲学へと繋がり、そして感動的なエンディングに……といった内容。

 いや、これはいい!
 サウナ風呂の中で裸の男たちが思い出話をするという、ホントそれだけの映画なんですが、ラストはもうウルウルに……。
 テーマとしてはおそらく、サウナの持つ人の精神を解放する力。よって語られる話も、家族の喪失や人生の挫折等、かなりシビアだったり重かったりする内容が多め。しかし同時に絶妙なユーモアも随所に挟まれ、加えて映像は実に美麗で、特に自然描写が詩情たっぷりの仕上がり。
 そんな中から、次第に「面白うてやがて悲しき」人の世の常々が浮かびあがってきて、そしてラストで一気に感動で揺さぶられて泣かされる。
 いや、いいわ、これ!

 ただ大きなクセがありまして、「サウナに入る男たち」という題材なので、当然のことながら裸の男のオン・パレード。映画の場面の8割方は、サウナに入っているマッパの男。3、4歳の幼児から70、80のオジイチャンまでいますが、とにかくこんなに大量に男の裸が出てくる映画も珍しいかも(笑)。
 でもって大らかな欧州人のことなので、当然ブラブラと丸出しなわけで、うむむむ、素晴らしい映画なので是非日本公開して欲しいけれど、こーゆーのって無修正で公開できるのかしらん……。
 ぶっちゃけ私は、そもそもはスケベ心で注目した映画でして(笑)、感動すると同時に、しっかりソッチの好奇心も満たされました(笑)。

 でも、スケベ心抜きにしても、ホントいい映画。
 前述の感動に加えて、面白場面やユーモアもアレコレ。畑をコンバインが走っていると思ったらサウナだったとか、「孤児を引き取って云々…」とか語っていたオジサンの話が実は……とか、何度かぷっと吹き出しました。
 というわけで、実に静かで内容も地味極まりないドキュメンタリー映画ですけど、感動あり笑いあり詩情ありで、しみじみ良い映画でした。『歌え!フィッシャーマン』とか好きな方だったらマストかと。

 映像の美麗さと、いかに男の裸しか出て来ない映画か(笑)ということは、下に貼った予告編からもお判りかと。
 いや〜、ホント良かったぁ……ラスト、マジで感動します。

 放送コードか何かの関係か、局部に修正が施されたバージョンの予告編も貼っておきます。 先に貼ったオリジナル版と見比べると、修正というノイズが美的効果に及ぼす影響について、その比較ができて興味深し。

《追記》『サウナのあるところ』の邦題で2019年9月14日から日本公開。

“Aşk Tutulması”

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“Aşk Tutulması” (2008) Murat Şeker
(トルコ盤DVDで鑑賞→amazon.com

 2008年製作のトルコ映画。英語題は”The Goal of My Life”。
 サッカーチームの熱狂的なサポーターの青年と、恋愛にトラウマのあるキャリアウーマンの恋模様を描いた、ロマンチック・コメディ。

 30歳で製薬会社のセールスマンをしているウールは、ハンサムなのにまだ独身で、加えてサッカーチーム、フェネルバチェの熱狂的なサポーター。その熱狂ぶりは、昔ガールフレンドに「チームとあたしとどっちが大事?」と迫られて、チームを選んだほどであり、部屋はグッズで埋め尽くされ、チームの勝利のために様々な変わったジンクスを守っている。
 保険会社のキャリアウーマン、プナルは、ファッションモデルばりの美人だが、29歳でまだ独身。実は過去に恋人に捨てられたトラウマがあり、それも原因してか喘息の発作にも苦しめられている。
 ある日、ウールの運転する車がプナルの車に追突して、この二人は出会う。ウールはプナルの美しさに見とれるが、ある意味で男嫌いになっているプナルはまったく興味なし。しかし、実はウールの母とプナルの母には共通の友人がいて、年頃の息子と娘を持つ二人の母親は、偶然を装って密かに見合いを計画する。しかしプナルは、それをウールの計画だと誤解して「二度と顔を見せないで!」と言い放ってしまう。
 そんなある日、プナルの上司のエロ男が、彼女を騙して夕飯に誘い口説こうとする。プナルは拒絶して立ち去るが、喘息の発作に苦しんでいるところをウールに助けられる。プナルを忘れられないウールは改めて愛を告白し、やがてプナルもそれを受け入れ二人は相思相愛になる。
 こうして目出度く結ばれたかに見える二人だったが、ウールと同じくフェネルバチェのファンだったプナルの父親が、将来の義理の息子と一緒にサッカーの試合を見ようとした際、それがウールの守っているジンクスに触れてしまう。その結果、二人は大喧嘩をしてしまい、二人の婚約も破談。
 じきにウールはそれを悔いて、プナルに赦しを求めるが、プナルは「たかがサッカー」に振り回される男たちの子供っぽさにウンザリ。ウールを拒絶して父親に対しても怒りを爆発させたところ、喘息の発作が起きてそのまま重症化、病院で意識不明の重体になってしまう。
 ウールはプナルを救うため、そして自分が子供から一人前の男になるためにも、フェネルバチェのサポーター仲間に頼んで、一大願掛けをするのだが…といった話。

 まあ、他愛もないと言えば他愛もないロマコメですが、ウールのちょっとイカれた好青年ぶりと、プナルのコケティッシュで溌剌とした魅力もあって、軽く楽しく見られます。
 内容の盛り沢山さという点では、インド映画なんかと同様で、ロマンティックと笑いと人情と涙がテンコモリ。ウールのサッカー狂いのせいで、あちこちでおかしなことになってしまうという部分で笑いをとりながら、それと同時に、何故そんなにフェネルバチェを好きなのかといった理由に、少年時代の父親とのエピソードを絡めて人情味を絡めたり。
 ポップでカラフルな映像や、イタリアン・ポップ風の軽快な劇中歌、コテコテすぎないユーモア感覚も上々。ストーリー的にはもう少し、エピソードにひねりが欲しい感はありますが、人情や泣かせ要素も見せ方がトゥーマッチではないので、全体的に見やすくウェルメイドな印象。テイストとしては、泥臭くないインド映画から歌と踊りを抜いて、更にもうちょいハリウッド映画寄りにした……みたいな感じ。
 後半、ヒロインの生死が危ういという展開にまで至るのは、ちょいとトゥーマッチな感じもあるんですが、サッカーチームの熱狂的なサポーターという要素と、人を愛するというロマンス要素を、《ひたすら捧げる無償の愛》という共通点で重ね合わせて、上手くクライマックスから最後のオチまでを活かしているのが好印象で、さほど鼻白んだ感じにもなりませんでした。
 とはいえ、実は個人的には、とにかくウール役のTolgahan Sayışmanが「カ〜ワイイ !」ので、それだけでもう「全部オッケー!」だったり(笑)。このコを見ているだけでも、一時間半くらい全く苦にならないぞ(笑)。
 キャラクターとしても、ハンサムなんだけどちょっとイカれていて、抜けているところも子供っぽい所もあり、何でもかんでも真っ直ぐで一生懸命で、それが頑張って「男を見せ」て一人前になる……という話なので、もうかなり好みのツボ。かいぐりかいぐりしてやりたい(笑)。

 というわけで、役者の容姿で10点、キャラの魅力でもう10点プラスとなり、個人的には大甘の評価に(笑)。
 でも、罪のないロマンティック・コメディとして、軽く楽しく見られる一本であることは確かです。

ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品2本、”Üç Maymun (Three Monkeys)”+”Uzak(Distant/冬の街)”

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“Üç Maymun” (2008) Nuri Bilge Ceylan
(トルコ盤Blu-rayで鑑賞→amazon.com米盤DVD英盤DVDもあり)

 2008年製作のトルコ映画、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品。同年のカンヌでの監督賞受賞作。英題”Three Monkeys”。
 交通事故を起こしたボスの身代わりを引き受けたことにより、お抱え運転手の一家が徐々に崩壊していく様を描いた内容。

 選挙を控えた政治家が、夜道を一人で車を運転中に、人を轢いてしまう。通りがかりの車に、姿は見られなかったもののナンバーは控えられてしまい、政治家は自分のお抱え運転手に、事故の身代わりを引き受けてくれと頼む。服役は長くて数ヶ月、その間の給料も出すと言われ、運転手は身代わりを引き受けることにする。
 運転手には妻と息子が一人いたが、父親の服役中に、息子は受験に失敗してしまう。荒んでいく息子を案じた母親は、息子に頼まれるまま、車を買う金を例の政治家から貰おうとする。政治家は彼女に、金と引き換えに彼女の肉体を要求する。
 母親はその条件を受け入れるが、やがてそれは息子の知る所となり、そして出所してきた父親も、自分が服役している間に家族に何がおきたのか、徐々に知り始め……といった内容。

 ……いや、スゴいわ。
 私にとっては初ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品ですが、この監督に対する世評の高さも思い切り納得。動きの少ない堅牢な構図と、セリフも少なく音楽も基本的に現実音のみという、実に静かで淡々とした作風ながら、見事なまでの緊張感と面白さ。
 ストーリー自体は、さほど目新しいものではないけれど、それでも「いったいどうなっちゃうんだろう」と目を離せません。ちょっとサイコ・サスペンス的な風味もあり。
 しかしそれ以上に、それぞれのキャラクターが抱えた複雑で重い心情を、セリフに頼らない映像表現によって、ものすごくリアルに、微細な部分まで描き出すあたりが、ホント面白くて見応えがある。簡単な言葉では説明できないような感情を、映像のみで表現していく凄さが素晴らしかった。
 加えて、アンバーを基調色にしたシャドウの深い、映像自体の美しさ。
 カメラは余り動かないタイプですが、堅牢な構図の引きの絵も、シズル感がすごいクローズアップも、どっちも素晴らしくて、思わず何度も「うわ、すごい絵!」と目を見張ったり。個人的には、夢か現かで顕れる幽霊のシーンもツボでした。
 こりゃ、他の作品も見んと……。

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『冬の街』(2002) ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
“Uzak” (2002) Nuri Bilge Ceylan
(英盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk米盤DVDあり)

 というわけで、カンヌでグランプリ(パルムドールの次点)および主演二人が男優賞を受賞という、2002年度作品”Uzak”(英題”Distant”、邦題『冬の街』)も見てみました。
 イスタンブールに住む中年写真家の元に、田舎から従弟の青年が来るという、それだけの話。

 冬のイスタンブール、写真家として成功している中年男マームットは、アパートに独り暮らしで、ときおりデリヘル嬢を買っている。そこに、田舎で失業してしまい、マームットを頼って上京してきた従弟の青年ユースフがやってくる。
 ユースフは居候をしながら、港で船の仕事を探し始めるが、なかなか見つからない。また、二人の関係もライフスタイルの違いから、どこかギクシャクしており……というのがひたすら淡々と続く、ホントそれだけの話。

 これまたセリフはが極端に少なく、感情吐露系のそれに至っては皆無で、音楽もなく現実音のみ。そして、美麗な画面と繊細極まりない演出で、微妙な感情の揺れ動きのみが表現されていく。
 そういった日常的な描写が、何ともまたリアルで、しかも不思議とちっとも飽きさせない。ホント、日常的などうってことない光景が続くだけなんですが、ディテールを見ているだけで面白いという不思議さ。
 ドラマ的には、別れた妻とか母親の病気とか、起伏がまったくないわけではないんですが、それらが発展して何らかのストーリーに繋がっていくかというと、そういうわけでもなく、ただそういった状況下での、喜怒哀楽等の単純な言葉では表現できない、微妙な感情の起伏を描くことに主眼が置かれている感じ。
 そんなこんなで、最もクライマックス的なのが、電気スタンドが倒れるとか(笑)、ネズミ取りにネズミがかかるとか(笑)、そんなことだったりするんですけど、でも不思議と面白いんだよなぁ……何なんだろう、これは(笑)。…… あ、時計がなくなるっていう《事件》もあったな(笑)。
 で、distantというタイトル通り、この映画では主人公二人を筆頭に、人々の間にはそれぞれ心理的な距離があるんですが、これまた縮まりもしなければ離れもしない。う〜ん、こういう非物語志向のドラマってのは、私はあんま得意じゃないんだけど、でもこの面白さは何なんだろう……自分でもちょっと不思議。
 とはいえ、別に辛気くさいとかではなく、例えば二人がビデオでタルコフスキーの映画を見ていて、ユースフが退屈して部屋に戻ってしまうと、マームットがビデオをエロビに交換するとかいったユーモアもあるし、何よりかにより、相変わらず映像美が素晴らしく、特に冬のイスタンブールの港の光景は、その美しい詩情に息を呑むほど
 もちろんこれを見て、これは現代人の置かれている状況を……みたいに解釈することも可能でしょうけど、なんかそれもヤボかなという気も。美麗な映像に酔い痴れながら、繊細な演出に驚きつつ、微妙な感情の起伏をドラマとして味わう、私にはそれで充分って感じ。ネズミの件は、明確にメタファーでしたが。
 あ、あと映像のリズムが生理的に好みに合っているのか、本筋と関係ないディテールでも、「この雪の固まりが落ちるタイミングすごい!」とか、「このネコが横切るタイミング完璧!」とか、ヘンなところでコーフンした箇所があちこちありました(笑)。

 そんなこんなで、このヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品、私はすごく好きでしたし、面白いとも思うんですが、ではどこがどう好きなのかと問われると、自分でも上手く説明できない感じ。
 ”Üç Maymun (Three Monkeys)”では、ストーリー的な興味深さや、幽霊といった超現実の介在も、私のツボにヒットしたんですが、それらの要素がない”Uzak(Distant/冬の街)”でも、やはり同様に面白かったということは、こりゃいったいどういうことなんだろう……困ったな(笑)。
 ともあれ、今年のカンヌでまたグランプリを獲ったという新作、”Bir Zamanlar Anadolu’da (Once Upon a Time in Anatolia/昔々、アナトリアで)”も、今度は殺人事件絡みの内容だというので、こりゃまた是非見てみたいものです。

“Mahpeyker – Kösem Sultan”

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“Mahpeyker – Kösem Sultan” (2010) Tarkan Özel
(トルコ盤DVDにて鑑賞→amazon.com

 2010年製作のトルコ映画。17世紀初頭のオスマン帝国、平民の出ながら時のスルタン、アフメト1世の寵妃となり、以降孫の代に至るまで帝国を支えた女性、キョセム(マーペイカー?)の生涯を描いた歴史もの。

 現スルタンの祖母にあたるキョセムは、廃墟となっている自分の生家を訪れ、それまでの生涯を回想し始める。娘時代、彼女は母の付き添いで宮殿に行き、そこでスルタン、アフメト1世と出会い、互いに一目で恋に落ちる。
 彼女は母と引き離され、そのまま宮殿に留め置かれる。アフメト1世は彼女にマーペイカーという名を与え、その場で秘密裏に結婚するのだが、ハレムで権威を振るうスルタンの祖母と母はそれが気に入らず、花嫁教育のためという口実で、彼女をスルタンから引き離してしまう。
 マーペイカーはスルタンと会えぬまま義祖母と義母からいじめられ、その間に二人はスルタンに別の女を与える。やがてその女が妊娠し、マーペイカーはスルタンに忘れられてしまったと思い、また、重なるいじめにも耐えかねて、ついにハレムからの脱走を試みるが、あえなく捕まってしまう。
 しかし、その騒動が切っ掛けとなってスルタンは祖母と母の企みを知り、二人を古い宮殿に幽閉すると、マーペイカーを改めて第一妃として迎え入れ、キョセムという名を与える。こうして二人は幸せに暮らし、やがて子供にも恵まれるのだが、その幸せはながく続かず…といった話。

 ヒロインの回想で語られる映画の前半は、彼女とアフメト1世のロマンティックなラブロマンスに、姑の嫁いびりや女の嫉妬といったドロドロ劇が加わった、通俗歴史劇といった味わい。回想が終わってからの後半は、それから一気に三十余年後、ヒロインと現スルタン(キョセムの孫)の母后の間の権力争いから、キョセムの死までが、剣戟アクション等も交えて描かれるという構成。
 ストーリーのフォーカスは、主人公の無垢だった娘時代の心情と、時を経て陰謀まみれとなった最晩年の心情に置かれていて、歴史的な背景とか叙事的なアレコレは、「そんなの皆さんご存じでしょ」ってな感じで詳しく説明してくれない作りなので、私としては正直判りにくかったなぁ……。で、後でWikipediaなどを読んで、色々納得した次第(笑)。
 また、全体の尺が1時間半程度ということもあって、モチーフのわりには全体的にこぢんまりした印象。話のほとんどがハレムや王宮といった閉鎖空間の中なので、歴史劇的なスケール感にもいささか乏しく、かといって人間模様のドロドロ劇の方も、まあ通俗娯楽の範疇を出ていない感じ。
 ただ、衣装やら美術やらといった目の御馳走面は、これはゴージャスでなかなか楽しめます。オリエンタリズム絵画の名品を彷彿とさせるような、ロマンティックで美麗な場面があちこちに。娘時代の主人公はかわいいし、スルタンもすこぶるハンサムなので、ヒストリカル・ロマンス劇的なお楽しみどころは様々あり。
 街のパノラマなんかは基本的にCGで、ちょい安っちいのは残念ですが、それでも建築途中のブルーモスクなんて嬉しい絵面もあり。
 演出自体は凡庸。ロマンティックに美しくといった場面は、わりと上手くこなしているんですが、陰謀劇の緊張感やアクション場面はイマイチ。

 というわけで、モチーフに興味のある方なら、内容的な満足度は別としても、目の御馳走のアレコレだけでも、けっこう楽しめるのでは。
 私の場合は、アフメト1世がハンサムだわおヒゲさんだわ胸毛もあるわで、モロ好みのタイプだったので、そこだけでも10点加算です(笑)。
 因みに、この方→Gökhan Mumcu公式サイト(音出ます、注意)、

『ヴァルハラ・ライジング』”Valhalla Rising”

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“Valhalla Rising” (2009) Nicolas Winding Refn
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com

 2009年製作のデンマーク/イギリス映画。監督は『プッシャー 麻薬密売人』『Bronson』のニコラス・ウィンディング・レフン。マッツ・ミケルセン主演。
 口がきけない片目のヴァイキング戦士のダークで幻想的な遍歴を描いた、寓意的なコスチューム劇。

 主人公は《片目》と呼ばれるヴァイキング風の戦士。多神教のケルト風部族の捕虜であり、鎖に繋がれ檻に入れられ、ときおり闘犬のように他の捕虜と死闘をさせられている。
 ある日彼は、隙を窺い反撃に転じて脱走するが、その際に同じく奴隷にされていた別部族の少年も共についてくる。
 逃げた二人は、キリストを信仰する戦士の一団(エンドクレジットでは「クリスチャンのヴァイキングたち」と表記)に出くわし、「共に聖地へ戦いに行こう」と誘われる。
 二人はこの一団と共に出帆するが、凪で船が動かなくなり濃い霧に包まれる。いっこうに風も吹かず霧も晴れない中、やがて戦士の一人が「これは呪いのせいだ」と少年を殺そうとするが、《片目》はそれを返り討ちにする。
 暫くすると、船はいつの間にか真水に浮かんでおり、霧が晴れると、そこはいずことも知れぬ森の中の川だった。
 一行が上陸すると、木の櫓が立ち並んだ場所があり、櫓の上にはネイティブ・アメリカン風の装飾品を付けた死体が置かれている。
 一同はこの地に、神の征服の印として十字架を立てる。
 しかし一人が忽然と姿を消し、彼の持っていた剣だけが見つかる。また、一行が川の上流に向けて出帆すると、どこからか石の鏃の矢が飛んできて、また一人殺される。
 いずことも知れぬ場所で謎の敵に囲まれているうちに、一行は次第に狂気に囚われていく。そして、自分たちは既に死んでいるのではないか、《片目》が自分たちを地獄に連れてきたのではないかと怪しみ始め……といった内容。

 なかなか意欲的な作品ではありました。
 セリフは極端に少なく、登場人物も《片目》を除いては全員名前すらなく、その《片目》ですら、口がきけない彼のことを、捕らえていた部族の者がそう呼んでいたというだけで、実際の名前ではない。
 そしてこの《片目》を始め、登場人物のは全員、出自について全く説明がなく、会話や服装などから、各々の立ち位置を何となく想像するしかない。劇中で起きる様々な出来事も、何故そうなったのか、どうしてそのキャラはそう思ったのか、等々、これまた合理的な説明は一切排された作り。
 というわけで、一見史劇風には見えるんですが、表層的なものには囚われずに、これはそういったモチーフを使って描いた、一種の寓意劇のようなものだと考えた方が良さそうです。
 正直、ストーリーだけを追うと「ワケワカラン」系の内容なので、普通に血湧き肉躍るヴァイキングものとかを期待すると、裏切られること間違いなし。

 いちおう私の解釈では、これは「信仰と贖罪と救済の話」だという気がします。
 劇中で繰り返し出てくるモチーフに、幻視の中の《片目》の姿というものがあるんですが、その色が最後だけ変わっている理由とか、また、キリストの名のもとに聖地を求めながら、実は富や権力を目的としている戦士たちと、純粋に《片目》を信じてついてくる少年との対比とか、更に、生き残った者と死んだ者の間には、どういう違いがあったのか……などといったあたりに、そこいらへんの鍵があります。
 つまりこれは、(ネタバレを含むので白文字で)《片目》にとっては、それまで犯してきた己の「罪」を、我が身を犠牲にして少年を救うことで「贖い」、少年にとっては、ただひたすらに《片目》を「信じる」ことによって、最終的に一人だけ生きのびることができ、故郷にも帰れる約束を得ることで、結果として、《片目》と少年の二人が共に「救われる」という話であり、則ちそれは、キリストとキリスト者の関係に重ね合わされているということ。
 そしてそれらを、宗教の名の下に行われる、戦士たちの世俗的な欲望と対比させることで、上辺だけの「信仰」と、本質的なそれとの差異を明らかにしている……というのが、私個人の解釈であります。

 全体の雰囲気は、スケール感があって美しい自然描写と、生々しくグロテスクな人間たちの描写の対比や、ポストロック風の音楽の使い方など、ヴェルナー・ヘルツォークの『アギーレ 神の怒り』を思い出させます。
 映像はかなり凝っていて、静謐で美麗な絵あり、ホラーそこのけのオソロシイ系ありと、鮮烈で印象的なイメージが多々あって、映像的な見所はいっぱい。
 グロテスク要素には、残酷描写も含まれています。
 例えば、石で砕かれた頭から脳ミソが見えているとか、ナイフで腹を切り裂いて腸を摑み出すとか。
また、一行が狂気に陥るシーンでは、沼に突っ伏したヒゲモジャのむっさい男を、同じく髭面の巨漢が後から、泥まみれになって犯す……なんて場面も。残念ながら二人とも着衣ですけが(笑)。

 というわけで、これは紛れもなく見る人を選ぶ映画。
 私としては、自分なりに内容を咀嚼できた感があるのと、美と汚穢が同居する映像的な魅力などもあって、もう一押し何かに欠ける感はあれども、好きか嫌いかなら問答無用で「好き」な作品。
 前述した要素がツボにはまる人、そしてヘルツォーク好きの人には、かなり琴線に触れる部分ありかも。
 にしても、このニコラス・ウィンディング・レフン監督、過去に見た2本『プッシャー 麻薬密売人』『Bronson』と、今回の『Vaihalla Rising』、どれもこれもスタイルが全く異なるのが興味深い。
 今年のカンヌで監督賞獲った新作『Drive』が、ますます気になります。

【追記】2012年9月14日、日本盤DVD発売。

ヴァルハラ・ライジング [DVD] ヴァルハラ・ライジング [DVD]
価格:¥ 4,179(税込)
発売日:2012-09-14

“Rakht Charitra”、”Rakht Charitra 2”

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“Rakht Charitra” (2010) Ram Gopal Varma
(インド盤DVDで鑑賞)

 2010年製作のインド/ヒンディ映画。とはいえ撮影は主にテルグ語で、テルグ版とタミル版もあるらしいです。ラーム・ゴーパル・ヴァルマ監督作品。
 南インドの実在政治家をモデルに、血で血を洗う壮絶な政党抗争を描いた叙事詩的な作品で、無印と『2』の2部作に分かれています。

 舞台は南インドのアーンドラ・プラデーシュ州アナンタプール県。
 人望の厚い地元政治家が、ライバルの謀略と身内の裏切りによって、人々の見ている前で銃で撃たれ、更に頭を岩石で叩き潰されて殺される。殺された政治家の長男は復讐を誓い、残された父の部下たちと共に、敵の配下を次々と殺していく。
 また、都会の大学に通っていた次男プラタープ(これが主人公)も、父が殺されたとの報せを受けて帰郷する。兄は弟に「復讐は自分がするから、お前は学問を続けろ」と諭すが、そんな兄も敵とその一味である警察の手によって惨殺されてしまう。プラタープは怒りに燃え、父と兄の敵である3人を自分の手で殺すと誓う。
 その誓いの通り、彼は敵を一人ずつ殺していくが、一番の悪玉の息子で、その所行から悪魔のように怖れられている男が、自分の兄を候補者に立てて選挙に臨む。そして対立候補を全て暴力で排除していき、その魔の手は映画スターから政治家へ転じた大物の身辺にまで及ぶ。
 大物政治家はその対抗措置として、プラタープに政界に進まないかと声をかける。彼はいったんは悩むが、例の悪魔のような男が、昼日中に街の娘を誘拐して強姦したにも関わらず、訴え出た警察には相手にして貰えず、娘は焼身自殺してしまったという話を、その被害者の兄から聞く。
 主人公は、社会というシステム自体の持つ問題と、銃よりも政治の方が強いと考え、件の大物政治家を後ろ盾に自ら選挙に立候補する……という内容で、ある程度の区切りがついたところで「第2部へ続く」となる。

 とにかくバイオレンス描写の強烈さが話題になった作品で、もうアヴァンタイトルの段階から、人は死ぬわ血は飛び散るわ……。で、そこに「ガンジーは『インドの魂は田舎にある』と言ったが、その田舎では暴力の連鎖が延々と続き……」ってな講談調のナレーションが加わって、映画はスタート。
 本編に入ってからも、もう次々と人が死ぬ死ぬ。
 普通の復讐モノのパターンだったら、父と兄の敵3人を斃してめでたしめでたし…となるところが、この3人も何と映画の前半1時間で全員御陀仏。後半に入っても同様で、何のかんのでバッタバッタと人が死にまくり。
 実話を元にしているということもあるんでしょうが、いわゆるストーリー的なヒネリとか起承転結とかは、ほぼ皆無という作劇で、最初から最後までアクセル全開で突っ走る感じ。政治的なパワーゲームとか謀略とかいった部分は、必要最小限のドラマはあるものの、基本的にはほぼナレーションで説明。
 でもってこのナレーションがまた、何とも大時代的な口調で「彼はまだ、自分が二度と引き返せない道に踏み込んだことを知らなかった!」とか「ここで物語に新しい人物が登場する!」とかいった塩梅で、最初は何じゃこりゃとか思うんですけど、それが次第に叙事詩的な効果へと転じていくのがスゴい。
 そういう具合でストーリーとしては、次々と起きるバイオレントな事件が串団子になっただけみたいな感じなんですけど、その団子も串も特大とでも言うか、凄まじいパワーで押しまくり、弛緩もなければインフレもなく、思わず肩に力が入りっぱなしのまま、気付いたら2時間経過というスゴい作品でした。

 役者さんの熱演もそのパワーに一役買っていて、特に主人公プラタープを演じるヴィベーク・オベロイは、インドにしてはアッサリ目のハンサム君ですが、冒頭の平凡な大学生から、復讐に燃えるバイオレントな男、そして冷徹な政治家への転身というキャラクターを、見事に演じています。
 というわけで、暴力が渦巻く人間の世界を、その是非や虚しさを説くでもなく、事象のみ淡々と(ってのは視点の話で、描かれるもの自体は淡々どころかギッラギラなんですけど……)綴っていくという、一種の神話的な叙事詩みたいな味わい。
 第2部がどうなるかは判りませんけど、いや、こりゃスゴいわ……。
 ってのが、1本目の無印を見終わったときの印象でした。

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“Rakht Charitra 2” (2010) Ram Gopal Varma
(インド盤DVDで鑑賞)

 そして、無印が公開されてから数ヶ月後に封切られた、第2部にして完結編。
 第一部で父と兄の敵をとり、政治家としても成功し、邪魔者も悉く排除し、今や怖れるものは何もなくなったかに見えたプラタープだったが、ある日爆弾で命を狙われる。彼は辛うじて難を逃れるが、暗殺の主犯は父の敵として自分が殺した男の息子、スーリヤだった。
 いったん地下に潜ったスーリヤを探し出して殺すために、プラタープは配下にスーリヤ周辺の人間を一人ずつ始末していくよう命じる。しかしプラタープの動きを警戒した警視が、まずスーリヤの妻を保護し、それを通じてスーリヤに投降するよう薦める。
 警戒が厳しくなったプラタープを暗殺するのは当分困難であり、しかも刑務所に入れば自分の身の安全も確保できると踏んで、スーリヤは自分の復讐を長期戦に切り替えて入獄する。プラタープは自分の政治力でスーリヤを始末しようとするが、それが不可能と判り刑務所に刺客を送り込むが、スーリヤはそれを撃退する。
 実はスーリヤは、プラタープに父親を殺された後、残された母や妹弟を守ることを優先して、一度は復讐をあきらめていた。しかしその母や妹弟が、プラタープが関与しているTV爆弾の犠牲となってしまい、以降プラタープを憎み、彼を殺すことだけが生きがいになったのだった。
 互いの事情を鑑みて、プラタープはスーリヤと話し合いを試みるが、スーリヤの意志は頑として変わらない。そして、獄中で何もできないかに見えたスーリヤだったが、獄中で彼の話を聞き、彼に心酔するようになった仲間の助けや、打倒プラタープのため彼の立場を利用したい対抗政党の思惑も絡み、それはやがて、彼の妻をも巻き込む大きな動きになっていき……といった内容。

 第2部を見て、な〜るほど、こう来たかぁ…と、まず感心。
 第1部で主人公プラタープが、暴力の被害者から復讐者を経て冷徹な政治家へと変身していったのを踏まえ、第2部にはまるで第1部前半のプラタープの写し身のようなスーリヤというキャラクターを出し、その二人を拮抗させる。これは上手い。
 見ているこっちとしては、最初は第1部の延長線上でプラタープに心情的に寄り添って見ているのだが、スーリヤの背景が明らかになっていくと共に、必然そちらの方にも感情移入してしまう。
 そうやって見続けた結果、善悪という定規は完全に喪われ、残るは、いったいどうすればこの憎しみの連鎖を止められるのか、二人の主人公をそこから解放できるか、観客自身で考えざるを得なくなる。

 DVDのジャケットには、無印も『2』も共通して、キャッチコピー代わりの2つのエピグラフが記載されています。
 1つはマハトマ・ガンジーの「『目には目を』は、やがて全世界を盲目にする」という言葉。もう一つは『マハーバーラタ』からの「復讐は最も純粋な感情」というもの。
 この2つの矛盾をどうやって解決するか、それを観客自身に考えさせるというのが、おそらくこの映画の最も大きなテーマであり、映画の最後に監督から観客へ向けて、そういったメッセージが字幕で出されます。普通はダイレクトにこういうことをされると、いささか鼻白んでしまいそうなところを、この構成でドラマを見せられた後だと、それも素直に受け止められる気持ちになる。
 そういうわけで、実話に基づく現代のドラマを描きながら、そこに神話的な普遍性を持たせ、叙事詩のように描く(実際、挿入歌の歌詞には「現代のマハーバーラタ」という言葉が出てくる)という点では、実に見事な構成。プラタープとスーリヤのエピソードを意図的に重ね合わせているのも、いかにも叙事詩的で効果大。
 全体を通じての力強さも文句なしで、意欲的な力作として申し分ないと言えると思います。

 ただ惜しむらくは、ひたすらエクストリームなエピソードの連続だった第1部に対して、第2部は謀略やパワーゲームや暗殺といった、より論理性や緊張感やサスペンスが必要とされる内容なのに、ナレーションとムード映像に頼った演出ではそれを保たせられず、あちこち弛緩してしまっているところ。
 ぶっちゃけこのラーム・ゴーパル・ヴァルマという監督は、演出のパワフルさや映像の外連味は良いものの、ロジカルにしっかりくみ上げていく演出の基礎力は、正直あまりないと思います。本来ならサスペンスフルにハラハラドキドキの展開で見せなければいけない部分を、馬鹿の1つ覚えみたいなスローモーションだけで押し通したりするのが、ちょっと「あちゃ〜……」な感じ。
 とはいえ、第2部のもう一つの要である2人のキャラクターの激突に関しては、第一部同様に好演のヴィベーク・オベロイに加えて、タミル映画のスターであるスーリヤが、そのハンパない目力を生かし切った負けず劣らずの好演なので、思い切りエモーショナルに盛り上がります。
 またサポートロールの、プラタープの妻役のラディカ・アプテ(?)と、スーリヤの妻役のプリヤマニが、ここぞという場所でしっかり好演して盛り上げてくれる。
 そういったエモーション面で、ドラマや演出の弛緩部分を補完してくれるので、ギリギリ全体の力強さが持続できている感あり。

 まあ何と言っても重いテーマですし、明るく楽しいシーンなんて1部2部通して2、3箇所あるかないかだし、ましてやインド映画的な歌舞なんて皆無に近い(BGM的な挿入歌意外は、結婚と祭りの場面でちらっと踊りがあるくらい)内容ですけど、とにかくパワフルさは太鼓判。
 2部の個人的な評価はちょっと辛めになってしまいましたが、それでも見て損はない力作であることは間違いなし!

“Veda”

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“Veda” (2010) Zülfü Livaneli
(トルコ盤DVDで鑑賞→amazon.com

 2010年製作のトルコ映画。トルコを代表する大音楽家であり映画監督でもある、スリュフ・リヴァネリ監督作品。タイトルの意味は「farewell (さらば)」
 近代トルコ建国の父、ムスタファ・ケマル・アタテュルク(ケマル・パシャ)の生涯を、幼馴染みの側近Salih Bozok(サリフ・ボゾク?)の目を通して描いた作品。

 1938年のイスタンブール。ドルマバチェ宮殿でアタテュルクは危篤状態にある。アタチュルクの幼馴染みであるサリフは、彼が死んだら自分も殉死すると誓い、テッサロニキで共に育った少年時代から、現在に至るまでの彼との思い出を、残す自分の息子に宛てる手紙として綴り始める…といった内容。
 死の床にあるアタテュルクを見守るサリフの姿と、テッサロニキで過ごした少年時代から青年期、壮年期に至るまでを交互に配し、イタリアートルコ戦争、バルカン戦争、第一次大戦、トルコ革命、イズミール奪還、アタチュルクの結婚などを、点景的に綴っていく構成。

 画面等のスケール感はタップリ。
 ただしドラマのフォーカスは、歴史劇的なダイナミズムではなく、その中におけるキャラクターの心情などのディテールにあるので、歴史劇的な見応えを期待してしまうと、ちょいと肩すかしになります。政治やパワーゲームといったものよりも、母子関係や三角関係といった、人情劇やメロドラマ的な要素の比重のほうが高い。
 にも関わらず、アタテュルクの人物像は理想化された英雄像そのままで、ダーティな部分や人間的な弱みを見せたりはしないので、どうも全体的に「きれいごと」に留まってしまっている感じ。また、タイムスパンを長くとった内容にも関わらず、尺が2時間弱というせいもあってか、アタテュルク以外ののキャラクターも、それぞれ掘り下げ不足の感は否めない。
 内容的にはエモーショナルで面白いものの、人間ドラマとして見ると、いまいち薄味で食い足りない感じはします。

 ただし映像的な見所はタップリ。
 スペクタクル面では、まずスローモーションだけで描く一次大戦の光景が、迫力、スケール感、映像的な面白さなど、実に見事な見せ場に。あちこちCGを交えながら再現された、当時の風景の数々も大いに魅力的。
 また、母と息子、悲劇の恋人との出会いと別れなどの、感傷的でエモーショナルな情景など、身の丈サイズの見所も多々あり。クライマックス、幼少時代から晩年までを一気に俯瞰するロマンティックで幻想的な仕掛けは、ちょっと感動的でもあります。
 衣装、セット、美術などは、説得力も重厚さも美しさも兼ね備えており、ほぼ満点。

 また、監督が大音楽家のリヴァネリだけあって、音楽が巧みに使われているシーンが多いです。
 それは劇伴だけではなく、酒場で演奏される音楽と踊り、蓄音機で奏でられるSPレコード、恋人のタンブール(リュートのような撥弦楽器)を爪弾きながらの歌、妻となる女性のピアノの弾き語り、合唱する軍人たち、パーティの歌と踊り……といった具合に、ドラマの要所要所に印象的な音楽を奏でる場面が配されるので、トルコ音楽好きにはそこだけでも大いに楽しめるかと。
 私は、見終わってすぐにサントラ盤を探して購入しました。

 というわけで、叙事は絵解きで叙情がメインと割り切れば、映像的なクオリティ自体も高く、感動的な場面や史劇的な目の御馳走も多々あるので、モチーフに興味のある方ならば、お楽しみどころは多々あり……といった感じです。

『Veda』の、感傷的で叙情的な美しい主題のテーマ曲。

『Veda』から、レトロな感じのピアノの弾き語り曲。映画ではこれに男性陣(軍人たち)が唱和して合唱になっていくのが良かったんですが、残念ながらCDに収録されているのは女声ソロヴァージョンのみ。