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“El Greco”

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“El Greco” (2007) Yannis Smaragdis
(ギリシャ盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 2007年製作のギリシャ/スペイン/ハンガリー合作映画。ヤニス・スマラグディス監督作品。「EUフィルムデーズ2011」で日本上映(ただし英語字幕版)あり。
 マニエリスムの巨匠エル・グレコ(ギリシャ人)ことドメニコス・テオトコプーロスの生涯をフィクショナルに描いたドラマ。
 音楽はヴァンゲリス(ただし1995年に限定盤、1998年の公式盤で出た同名のオリジナル・アルバムとは、全く異なる内容)。

 初老のエル・グレコが「私は明日にも火刑に処されるかも知れない」と、自分の生涯を手記に綴り始める。
 ヴェネツィアの支配下にあったクレタ島で生まれ育ち、ビザンチン・イコンの画家であったグレコは、レジスタンスとして闘っていた父や兄に憧れつつも、お前の武器は絵筆だと諭される。そんな中、グレコはヴェネツィアのクレタ知事の娘と恋に落ち、彼女に画才を認められる。
 彼女の口利きで、グレコはヴェネツィアの巨匠ティツァーノの工房に弟子入りし、その工房で、彼と生涯に渡って深い縁となるスペイン人修道士ニーニョ・デ・ゲバラと出会いう。ゲバラもまた、彼の画才に魅せられる。
 やがて恋の破局などを経て、彼はスペインへと渡り、今や高い身分となっていたゲバラの引き立てもあって名声を博するようになる。クレタから影の様に付き添ってくれた旧友との別れ、新たな女性との出会いなどを経て、彼はスペインが自分に名声と愛と幸福をもたらしたと感じるようになる。
 しかしそんな中、スペインに住む同胞のギリシャ人たちが、スペイン語を話せないゆえに異端の罪に問われたことを切っ掛けとして、彼の中に疑問が生まれ、その栄光にも影が差し始める。彼はその思いを画布へと描き、やがて彼自らも異端の疑いを持たれるようになるのだが……といった内容。

 DVDが英語字幕なしだったので、訛りのきつい英語をヒアリングのみで鑑賞しなければならなかったのと、たまにギリシャ語やスペイン語の会話が出てくると、もうサッパリ判らずわやや状態になってしまうので(笑)、かなり情報を拾い損ねていると思うんですが、でもなかなか面白かったです。
 全体の構成は、周囲から「エル・グレコ」と呼ばれながらも、絵にはギリシャ文字で「ドメニコス・テオトコプーロス」と署名しつづけた画家の思いと、その絵画の革新性を、自分のアイデンティティへのこだわりや、体制への反抗心などと重ね合わせるといったもの。
 ビザンチン絵画の「光」と、スペインの陽光という「光」、神性としての「光」、火刑の「光」などを重ね合わせた構成とか、絵画と宗教が対峙したときの、その危険性や優位性の論考など、テーマ的な見所が多かった。
 表現としては、部分的に俗に過ぎる表現があるものの(ちょっと世界市場を意識し過ぎてしまっている感あり)、全体はスケール感があって、重厚で美しい画面も佳良。
 役者さんもそれぞれ雰囲気があって、なかなかよろしい。

 そして部分的ではありますが、同性愛的なニュアンスも含まれていました。
 具体的には、ニーニョ・デ・ゲバラがグレコに寄せる思いがそれに当たるんですが、まあ昔ながらの「邪恋」的な雰囲気なので、同性愛ものとしては方法論が古いというか、さほど面白いものではなかったのが残念。

 絵画好きとしては、エル・グレコの名作のアレコレが、ちゃんとストーリーに有機的に絡んでくるのも面白いし、制作途中の名画だらけのティツァーノの工房シーンなんかも、「え〜、ホントにこれ全部同時期に描かれたの〜?」というのはあるにせよ(笑)、でもやっぱ楽しい(笑)。
 個人的には、このティツァーノの工房でモデルを使って、私の大好きな『プロメテウス』を描いている場面があったのは、かなりお得感がありました(笑)。
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 また余談ですが、劇中でティツァーノが、ドメニコス・テオトコプーロスという名前を覚えきれなくて「……もうグレコでいいや!」とかなっちゃうというシーンがあるんですが(笑)、確かに監督の名前スマラグディスとか、エンドクレジットでズラズラ並ぶ「何とかキス」「何とかプス」といった名前を見ていると、その気持ちも判るような(笑)。

 見やすい反面ちょいとアッサリしていて、もう一つガツンとくるものに欠ける感はありますし、ドラマ的な感動の持っていき方が、いささか安易な感もありますが、コスチュームものとしては、目の御馳走はタップリですし、映画自体の後味も良し。
 モチーフに興味のある方なら、楽しめる一本だと思います。

 ヴァンゲリスの音楽は、まぁ「いつものヴァンゲリス」でしたが、曲によってビザンチン聖歌や古楽がミックスされていたりするのが、ちょっと新鮮だったかな。

“Cenneti beklerken (Waiting for Heaven)”

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“Cenneti beklerken (Waiting for Heaven)” (2006) Derviş Zaim
(トルコ盤DVDで鑑賞→amazon.com

 2006年製作のトルコ/ハンガリー映画。監督はDerviş Zaimという人。
 17世紀、オスマン帝国時代の細密画師の辿る数奇な運命を描いた、寓意的な歴史劇。

 主人公はイスタンブールに住む細密画師。妻と息子を亡くした悲しみから、その面影をいつまでも留めようと、西洋風の写実法(ムスリム伝統下のオスマン帝国では異端的な行為)で二人のポートレイトを描くが、以来それまでの様式化された細密画を描けなくなってしまう。
 そんなある日、主人公はスルタンに呼び出される。罰を覚悟していた絵師だったが、彼に下されたのは罰ではなく、アナトリア地方へ赴き、同地で捕らえられ処刑を待つ身の叛逆の王子の肖像画を、首実検がわりに西洋風の肖像画として描いてこいという命令だった。
 弟子を人質にとられ、兵たちの監視のもと仕方なく同地に赴いた絵師は、その途中で盗賊に襲われたキャラバンの生き残りの娘を拾う。娘も交えた一行は、盗賊や叛乱軍の襲撃の危険に晒されながら、何とか目的地に辿りつき、絵師はいよいよ囚われの王子の肖像画を描くことになる。
 しかし、捕らわれていたのは王子ではなく、その息子だった。スルタンの部下で一行のリーダーである兵士は、厄介ごとを怖れ、真実を知る絵師と、その助手を務めていた例の娘を殺すよう命令するが、そこに王子率いる叛乱軍が襲いかかり…といった内容。

 テーマ的にも表現面もなかなか意欲的な作品で、見応えがありました。
 ストーリーの骨子的は、巻き込まれ型のアクション・アドベンチャーなんですが、実はそれは表層でしかなく、映画の本当のテーマは、その中で起きる様々なエピソードを通じて、細密画とは何であるか、西洋絵画との違いは、いや、そもそも絵とは何であるか、東と西の文化の違いとは……といったことを浮かびあがらせることにあります。
 表現面も、細密画がそのままアニメーションになったり、パンする画面に合成された樹や岩を境に、右と左でカットが切り替わったり、鏡を媒介に現実と虚構を行き来したり……といった技法を用いて、ルネッサンス以降に西洋で確立した絵画文法とは異なる、細密画の持つ時空間の自由さを、映画的に再現しようという試みが見られます。
 というわけでテーマとしては、同じくオスマン時代のイスタンブールの細密画師たちの世界を描いた、オルハン・パムクの小説『私の名は紅』と似ているところがありますが、あちらが殺人事件というモチーフを元に、実に複雑な知の世界を織り上げた『薔薇の名前』のような世界だったのに対して、こちらはもっと平明で、言うならば歴史と文化をモチーフにして語られる、寓意的なお伽噺的といった味わい。

 映画作品としては、いささか意余って力及ばずな感じもなきにしもあらずではありますが(意欲は買うけど力強さや完成度には不満もあり)、なにしろテーマが興味深いのと、スッキリきれいにまとまって後味も上々。
 また、アクション・アドベンチャー的なストーリーと裏腹な、全体を包み込む優しい雰囲気も大いに魅力的。特に、主人公の幼少時の記憶の幻想シーンや、ヒロインとの穏やかなロマンティック・シーンなどは、かなり印象に残ります。
 Wikipediaによると、この”Cenneti beklerken (Waiting for Heaven)”は、Derviş Zaim監督がトルコのアートをモチーフにした三部作の、第一作目にあたるらしいです。
 この後、カリグラフィーをモチーフにした”Nokta (Dot)” (2008)、影絵をモチーフにした”Gölgeler ve suretler (Shadows and Faces)” (2010)と続くそうなので、こうなるとそれらも見たくなりますが、既にトルコでは発売されている”Nokta (Dot)”のDVDは、残念ながら英語字幕なし。ガッカリ……。

“Cenneti beklerken (Waiting for Heaven)” 予告編

 この予告編だと、何だかスペクタクル史劇系の映画に見えますけど、実際の映画の印象とはかなり異なります。
 次に貼る、感傷的で美しいテーマ曲のPVの方が、映画の印象には近い感じ。前述したような、細密画世界の映画的再現という意欲的な表現の実例も見られます。

 因みに今回、映画を見ている間、相棒が横でず〜っと人質になっているお弟子さんのことを気にしていて、何でそんなに気になるのか尋ねたら「いい男だからもっと出て欲しい」……って、そんな理由かい(笑)
 でもまあ、確かにいい男ではありました(笑)。この人

 この映画とモチーフやテーマに共通点がある、オルハン・パムクの小説『私の名は紅』は、こちら。

わたしの名は「紅」 わたしの名は「紅」
価格:¥ 3,885(税込)
発売日:2004-11

【追記】影絵をモチーフにした”Gölgeler ve suretler (Shadows and Faces)” (2010)は、後日無事鑑賞。感想はこちら

“Günesi gördüm (I saw the sun / 私は太陽を見た)”

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“Günesi Gördüm (I Saw the Sun)” (2009) Mahsun Kirmizigül
(トルコ盤DVDで鑑賞→amazon.com

 2009年制作のトルコ映画。マフスン・クルムズギュル監督。同年の東京国際映画祭にて『私は太陽を見た』という邦題での上映あり。
 長引くクルド紛争によって故郷を追われた村人たちの離散や、引き裂かれていく家族の絆と、トルコという国そのものの姿を重ね合わせながら、スケール感タップリ、アジア的な泣かせどころもタップリに描いた、社会派感動大作。

 25年に渡る戦闘で過疎状態にある、クルド地方山間部の村。残っている数少ない数家族は、それでも幸せに暮らしていたものの、戦闘が激化していくにつれ、兄弟同士で軍とゲリラに分かれてしまったり、地雷で片脚を喪ったりといった悲劇が降りかかってくる。
 やがて軍とゲリラは大規模衝突を起こし、最後まで村に残っていた家族もついに立ち退くことになる。ある家族はイスタンブールに行って仕事に就くこと選び、別の家族は親戚を頼ってノルウェイに密入国しようとする。
 イスタンブールに行った家族は、狭いながらも親戚一同が共に暮らせる家を見つけ、港湾で魚の水揚げの仕事も見つかる。しかし、母親が体調を崩して入院中に、女子続きの末ようやく授かった待望の男子を、年長の子供たちの無垢ゆえの不幸な事故で亡くしてしまう。
 その結果、父親は裁判所によって扶養資格なしと判断されてしまい、まだ幼い子供たちは全員孤児院に入れられてしまい、子供を取り上げられた父親は悲嘆にくれつつも、入院中で重体の妻にはそれを打ち明けることができない。
 また、この一族にはトランスジェンダー傾向の青年がいて、田舎にいた頃から女性歌手の歌マネなどをしており、彼の兄はそれを苦々しく思っていたのだが、この青年は都会に来て初めて、自分と同様のトランスジェンダー/ゲイの仲間と出会う。
 今まで「ゲイ」という言葉すら知らなかった彼は、すぐに「生まれて初めて出会った自分と同じ仲間」と仲良くなるのだが、当然のごとく彼の兄はそれを快く思わず、ついに暴力を振るって弟を家に監禁してしまう。
 青年の仲間たちは、このままでいるとアンタは家族に殺されてしまうと、彼を脱出させて自分たちのところに密かに匿うが、青年の兄は、家出した弟を何としても捜し出そうとする。
 一方のノルウェイを目指した一家は、密航の手引きをしてくれる怪しげな男を頼り、コンテナに閉じ込められて窒息しそうな思いをしながら、何とか目的の地に辿りつく。
 頼りにしていた親戚とも無事に会え、言葉が通じない不自由さがありつつもスーパーでの仕事も見つかり、地雷で片脚を喪った息子の義足も手に入るのだが、やがて当局に不法滞在がばれてしまい……といった内容。

 いや、実に堂々としたもの。お見事!
 故郷を喪った二つの家族を通じて、トルコの社会が内包する問題ゆえの家族の離散や団結といった物語を、ダイナミックに、力強く、そして感動的に描いています。
 映像も素晴らしく、雄大なランドスケープから身の丈サイズの風景まで、しっかりとした撮影と効果的なカメラワークによって、重厚かつ美麗に見せてくれます。
 役者さんたちも、いずれも見事。
 似たタイプが多くて、慣れないと顔の見分けがつけにくいのが難点なんですが……まぁムサいヒゲモジャのいい男だらけなのは嬉しいんですけど(笑)……オッサンも青年もおっかさんもおじいちゃんも子供たちも、それぞれ実に良い顔&良い演技で、キャラクターの説得力とストーリーの盛り上がりに大いに貢献している感じ。
 監督と脚本と主演を兼ねているマフスン・クルムズギュルは、元々はクルド出身のシンガーソングライターで、映画監督としてのキャリアは、これでまだ2本目なんですが、その堂々たる演出手腕は、既に巨匠の風格すら漂っているかのよう。
 これを見た後、老人問題を扱った処女長編“Beyaz melek” (2007)を見たんですが、これがまたとても処女作とは思えないなかなかのもの。最近日本盤が出た、テロを描いた第3作『ターゲット・イン・NY』(2010)は、残念ながらこの2作と比べると、ちょっと出来が落ちる感はありますが、それでも部分的には見所が多々ありでした。

 さて、予告編では何故かあまりフィーチャーされていないものの、実は件のトランスジェンダーの青年を巡るエピソードが、タイトルとも関連してかなり大きなパーツを占めているのも、個人的には大きな収穫でした。
 この要素に関しては、ストーリーとしてはとても辛くて、決して見ていて楽しいものではないんですが、ホモフォビアによる悲劇を描いた、その見応えにズシンとやられました。特に、英語版のポスターにもなっているこのシーンなんか、思い出すだけでも辛くなるんですが、その力強い鮮烈さは忘れがたいものがあります。
 また、そういったテーマ部分での見応え以外にも、イスタンブールの男娼やゲイ・クラブといった、日頃あまりお目にかかれない風物が垣間見られたのも良かった。

 シリアスなテーマを真摯に扱った内容なので、いささかメッセージ性が露骨に感じられたり、エモーショナルな表現が過剰に感じられるきらいはありますが、社会派的なテーマと娯楽性を両立させた、堂々たる大作としての佇まいや、随所に見られる映像美など、見応えも見る価値もタップリです。

ターゲット・イン・NY [DVD] ターゲット・イン・NY [DVD]
価格:¥ 5,040(税込)
発売日:2011-08-05

“Undertow (Contracorriente / 波に流れて)”

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“Contracorriente” (2009) Javier Fuentes-León
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com英盤DVD米盤Blu-rayあり)

 2009年製作のペルー製ゲイ映画。原題”Contracorriente”、2010年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で、『波に流れて』の題で日本上映あり。
 保守的なペルーの漁村を舞台に、既婚男性独身男性の愛を描いた内容で、アカデミー賞外国語映画賞のペルー代表候補にもなった作品。

 主人公ミゲルは、古風な水葬の風習が残るペルーの田舎の漁村の漁師。妻帯者でもうじき初子も生まれるのだが、実は同じ村に滞在している余所者の画家サンティアゴと同性愛関係にあり、廃屋や人の来ない海辺などで逢瀬を繰り返している。
 しかし、村人たちは余所者のサンティアゴを敬遠しており、村の女たちも彼は同性愛者だと噂していたりして、ミゲルも表だっては決してサンティアゴと接しようとはしない。
 そんな中、サンティアゴは市場でミゲルの妻に話しかけ、後にそれを知ったミゲルは、そのことでサンティアゴを責める。二人は激しく言い争い、その日を境にサンティアゴは姿を消してしまう。
 ミゲルは後悔にくれるが、それからしばらくしてサンティアゴが、教会やミゲルの自宅といった、それまで決して来なかった場所に姿を現すようになる。実はサンティアゴは海で事故にあって死んでおり、幽霊となってミゲルの元を訪れていたのだ。
 サンティアゴの幽霊はミゲルにしか見えず、そしてこの地方の風習では、亡くなった人間は儀式を踏まえて水葬しなければ成仏できないとされていた。サンティアゴを成仏させるために、ミゲルは海に潜って彼の亡骸を探しつつも、彼の幽霊が他の人には見えないおかげで、初めて人前で堂々と一緒に歩ける幸せを味わう。
 そしてミゲルは、ついに海底に沈んだサンティアゴの遺体を発見するのだが、人に知られず共に過ごせる喜びを逃したくないあまり、その亡骸が発見されないよう水底の岩にロープで括り付けてしまう。
 ところが、サンティアゴの家に無断で入り込んだ村の娘が、彼が密かに描いていたミゲルの裸体画を見つけてしまう。その噂は瞬く間に村中に拡がり、ついにはミゲルの妻の耳にも届いてしまうのだが……といった内容。

 これは良い映画、
 鄙びた農村と美しい海を背景に、見事な演技で裏打ちされた魅力的なキャラクターたちの、様々な想いが交錯する様が丁寧に綴られ、ストーリーも先を読めない面白さ。ロマンティシズムもあれば現実の苦みもあり、しっとりと切ないような何とも言えない情感が全体を包み込んでいます。
 ストーリーの基本にあるのは、男同士の切ないラブストーリーと、自己受容を巡る物語ではあるんですが、キャラクターの動かし方が、ラブストーリー的な予定調和や、ゲイ的なメッセージのためといった、作為性を感じさせないのも良い。ミゲル、ミゲルの奥さん、サンティアゴ、それぞれが得たものと喪ったものが、きちんと描かれているので、結果、単純なラブストーリーやゲイ的なお説教とは一線を画した、より汎的な「人間のドラマ」になっている印象があります。
 というわけで、メインとなる主題は男性同士の同性愛ではありますが、一方的にそこだけに肩入れするのではなく、周囲の人々の心情も含めて丁寧にドラマが描かれるので、おそらくゲイでもノンケでも男性でも女性でも、作品に対してそれぞれの見方や印象が残るのでは。

 同性愛的な問題として描かれるのは、保守的な社会におけるホモフォビアと、その背景にあるラテンアメリカ的なマッチョイズム。
 特にマッチョイズムに関しては、それが当事者自身の自己受容を阻む原因にもなっている。但し、ここで面白いのが、単純にマッチョイズムを否定するのではなく、それに対する考え方自体のシフトが描かれるところ。詳細は省きますが、表層的な「男らしさ」によって自分がfagだと認められなかった主人公は、しかし「男らしさ」に基づいて自分の同性に対する愛を受け止めるに至ります。これはちょっと新鮮でした。
 こういった、既成概念に対する問いかけといった要素は、脇の女性キャラにも見られ、例えば、男性やセックスに対して積極的な、古い価値観では「尻軽女」とされるようなキャラが、実はその保守的な既成概念に捕らわれていないがゆえに、ある意味で主人公の心情に最も優しく、しかしさりげなく寄り添ったりします。

 演出も上々。
 視覚的に派手なものではなく、どちらかというと地味で淡々とした表現ですが、無駄もなければ弛緩もない。叙事と叙情のバランスも良いし、特殊効果など一切使わない幽霊の描出も見事。
 ラブシーンやセックスシーンも、セクシーさとロマンティックさとリアルの匙加減が絶妙。
 役者もそれぞれ、見事なまでの存在感と自然な演技。
 特に主人公ミゲルの、オシャレなゲイとか過剰なマッチョとかではない、普通にもっさい感じの漁師といった佇まいが、個人的には大いに魅力的。
 対するサンティアゴも、ここはバッチリかっこいい青年で押さえてくれて、更に、大地や太陽の匂いがしそうなミゲルの奥さんも良く、こういった役者のアンサンブルの良さも、映画の魅力に大いに貢献しています。おかげで映画の後味が、もう切ないのなんのって……。
 因みに映画を見終わった後、一緒に見ていた相棒から「今度こんな漫画を描きなさい!」と言われてしまいました(笑)。

 というわけで、ストーリー自体に対する好み云々はあると思いますが、ゲイ映画としての見応えと、ゲイ云々関係なく映画としてのクオリティの高さを求める方ならば、まず満足できると思います。
 オススメの一本。

『アイアン・メイデン 血の伯爵夫人バートリ (Bathory, Countess of Blood)』

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“Bathory, Countess of Blood” (2008) Juraj Jakubisko
(英盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 2008年製作のチェコ/スロバキア/ハンガリー/イギリス合作映画。
 処女の生き血風呂で美貌と若さを保ったという、エリザベート・バートリー(バートリ・エルジェーベト)の生涯を描いた映画。

 字幕なしのヒアリングオンリー鑑賞だったので、あちこち細かな部分が良く判らなかったのですが、要するにエルジェーベトを、実は血に飢えた伯爵夫人とかではなく、ハンガリー対ハプスブルグ、プロテスタント対カソリックの犠牲となり、無実の罪を着せられた一女性として再話した内容。
 というわけで、生き血風呂は実は赤いハーブ風呂で、内臓を取り出し云々は恋人となった画家のため、発作的な狂気は誤った調合の薬を飲んでしまったため…といったような感じになっていて、エルジェーベト本人に関するゴシックホラー的な描写を期待すると、ちょい肩すかしをくらうかも。
 とはいえ、対オスマン戦争や魔女裁判、エルジェーベトを魔女に仕立てる陰謀や麻薬の幻覚など、血生臭かったり怪奇だったり耽美だったりするエピソードやイメージは盛り沢山です。演出のタイプが映像派で、叙事をじっくり描くよりも、イメージとしての新奇さを優先しているので、ゴシックロマン的な雰囲気はタップリ。
 戦場を逃げ惑う全裸のトルコ美女たちにハンガリー軍が襲いかかるとか、地下墓地に保存されている氷詰めの嬰児の遺体を、帽子のつばにロウソクを点して写生する画家とか、デカい人面の駒を使った屋外チェスとか、不気味なダンジョンとか華麗な仮面舞踏会とか、オモシロ映像もいっぱい。
 また、衣装や美術は豪華だし、画面のスケール感もあります。

 ただ、一人の女性の生涯を描いた大河ドラマとして、様々な要素が盛り込まれている反面、あれこれ盛り込みすぎて、ちょいとサービス過剰の部分もあり。
 例えば、ストーリーには一人の若い画家が絡んできて、これがエルジェーベトの数少ない理解者&恋人になるんですけど、その画家の正体が実はカラヴァッジオだったりとか、エルジェーベトの周辺で起きる奇怪な事件を、旅の修道僧とその弟子のコンビ探るという『薔薇の名前』風の展開が入ってきて、更にその修道僧が珍奇な発明好きで、ローラースケートやらハンググライダーを駆使するなんていう、『スリーピー・ホロウ』か『ヴァン・ヘルシング』ですかってな展開とかは、ハッキリ言って要らないと思う(笑)。
 そういう感じで、なんか悪い意味での娯楽性みたいのを意識しすぎていて、結果、前述した耽美性とか、ストーリーの主軸である、歴史上の有名な人物を「××と思われていますが、実は○○だったんです」という視点で描くという、真面目なスタンスと齟齬をきたしている感じ。

 エルジェーベト役はアンナ・フリエルという女優さん。過去の出演作では『タイムライン』を見ているはずですが、正直印象には残っておらず。
 まあ、そこそこキレイな方ではあるとは思うんですが、いささか風貌が庶民的というか、気品や凄みといったものが感じられないのは、この役柄としてはちょいと残念。
 フランコ・ネロも出ていますが、これはホントにゲスト・スターみたいな感じで、出演シーンもちょびっとでガッカリ。
 他も、これといった印象に残る役者さんがいないのも、全体のイマイチ感に繋がってしまっている感あり。

 そういうわけで、ちょっとウ〜ムな部分も散見されますが、それでもコスチュームプレイとしての絵的な見所は多々あるし、耽美映像派系の黒ミサ幻覚シーンなんてのもあるし、あちこち血もオッパイも盛り沢山だし…と、個人的にはけっこう楽しめました。
  惜しむらくは、全裸女性拷問はあるのに、全裸殿方拷問はなかったことかな〜(笑)。

【追記】2015年5月、『アイアン・メイデン 血の伯爵夫人バートリ』の邦題で日本盤DVD出ました。

“The String (Le fil)”

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“The String (Le fil)” (2009) Mehdi Ben Attia
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com英盤DVDあり)

 2009年製作のフランス/ベルギー/チュニジア映画。
 フランスからチュニジアに帰国した白人とアラブ人ハーフのゲイ男性が、母の使用人のアラブ青年と恋に落ち…という内容のゲイ映画で、母親役が往年のスター、クラウディア・カルディナーレ。

 主人公のマリクはフランスに留学し、以来同地で働いていたが、父親の死を切っ掛けにチュニスの実家に戻り、そこで使用人として働いていたアラブ人の青年、ビラルに心惹かれる。
 母や祖母は、マリクとの再会を喜びつつ、彼の結婚、そして子供の誕生を望むが、マリクは夫を亡くして心痛の母を労りながらも、幼い頃から自分の自由を縛ってきた社会的なしがらみを再意識せざるをえず、自分がゲイだとカムアウトすることができない。マリクは自分の気持ちを押し隠しつつ、時に町に出て男遊びなどもするのだが、母親との関係はどこかギクシャクしてしまう。
 そんなおり、マリクの仕事の同僚でレスビアンのカップルが、人工授精で子供を作ることを決める。生まれる子の法的な父親となるために、マリクはカップルの片割れと結婚することにして、母親にも彼女を紹介する。
 そんな中、次第にマリクと打ち解けてきた使用人ビラルは、より自由な人生を見つけるために、マリクの家を出ることを決意する。マリクはそれを引き留め、それが切っ掛けとなって二人は、互いの気持ちを確かめ合い結ばれる。
 しかし二人が同衾しているところを、マリクの母親に見られてしまう。同性愛への禁忌や階級差の問題などによって、母親は思い悩み、そして周囲の人々の間にも波風が立ち始めるのだが…といった内容。

 旧弊な価値観に基づく社会内での同性愛が、近親者や縁者の間に波紋をもたらし、同時に当事者たちもそれとどう向き合うかが描かれるという、ゲイ映画では昔からある定番の題材ですが、チュニジアという西欧寄りのイスラム社会ということもあって、あまり手垢のついた感は受けなかったです。
 人間ドラマとしては、いささかキャラクターが掘り下げ不足な感は否めませんが、変にドラマチックに盛り上げようという意図がなく、わりと些細な日常エピソードの積み重ねでストーリーが語られていくので、なかなか滋味のある作品になっています。
 また、ゲイ・コミュニティの政治力や、同性婚などが確立していない社会下で、その社会状況に併せながら、その中で周囲の理解なども得て、いかに個々人がセクシュアル・マイノリティとしての幸福を獲得できるか……といったことを考えるという点では、現代の日本社会とも通じる部分が多々あり。
 もう1つ興味深いのは、フランス育ちで、本来ならば最もそういった意識は先鋭的であってもおかしくない主人公のマリクが、実のところは、最も旧弊な価値観に捕らわれているように描かれていること。
 これを通じて、人間の人生や幸福を決定するのは社会ではなく、一人一人が、自分は如何に生きるのかを決めることによって左右されるのだというメッセージが感じられ、ここはなかなか凛とした清々しさが感じられました。
 そしてラストの母親の独白によって、そういったテーマがゲイ限定ではなく、汎的な人の幸福へと拡がるあたりも上手い。

 映像は、さほど特筆する要素はありませんが、端正に美しく撮られています。シビアさがありつつ、全体の印象は軽やかに仕上げている演出も佳良。
 役者さんは、クラウディア・カルディナーレは流石にオバアチャンになってましたが、流石の貫禄と存在感。アラブ人青年ビラルは充分にセクシー。だけど肝心の主人公マリクが、個人的には見た目がイマイチで、あまり魅力的ではなかったのが残念。
 監督/脚本(チョイ役で出演もしている)が、Mehdi Ben Attiaという名前から察するにアラブ系だと思うんですが、そのせいもあってか、下世話なオリエンタリズム的な視点がないのも好印象。逆に、もうちょいエキゾチシズムを入れた方が、観光映画的な魅力も出たんではないかと思うくらい。

 わりとあっさりした作品ですが、手堅く纏まった出来の良さ、通り一辺ではないテーマ意識、甘々でもなければ鬱々でもないドラマ、後味の爽やかさ、ロマンスやセクシーもあり……と、全体の印象はなかなか佳良な一本。
 モチーフに興味を抱かれた方なら、見て損はないと思います。

“Taxi zum Klo”

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“Taxi zum Klo” (1980) Frank Ripploh
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com英盤DVDあり)

 1980年製作の西ドイツ製ゲイ映画。タイトルの意味は「タクシーでトイレへ」。
 小学校の教師をしながら、それ以外の時間は男漁り&セックスしまくりという、AIDS禍以前の一人のゲイ男性の日々を描いた、監督・脚本・主演を兼ねるFrank Ripplohの半自伝的作品。

 主人公は小学校の教師だが、公衆便所の個室で生徒の宿題を採点しながら、壁に開いた穴から行きずりのペニスが突き出されるのを待っているような男。そんな彼だが、ある晩ハッテン映画館(……だと思います)のモギリと出会い、やがて恋人同士となり一緒に暮らすようになる。
 最初は幸せそうな二人だったが、新しく出来た恋人は家事や料理に精を出し、将来は二人で田舎暮らしを夢見るようなタイプなのに対して、主人公は、愛は愛、セックスはセックスと割り切るタイプ。パートナーシップの感覚にもズレがあり、それが次第に拡がっていく。主人公の荒淫が祟って入院したときも、恋人は退院後に二人で行く旅行の計画を立てるが、主人公は病院を抜け出してタクシーで公衆便所巡りをして男を漁るという塩梅。
 そんな二人の関係は、やがて一緒に「オカマ舞踏会」に出たときに、決定的な亀裂を生じてしまい……といった内容。

 いやぁ……トンデモナイ映画だった(笑)。
 いや、ストーリーがどうのとかいうんじゃなくて、監督兼主人公のはっちゃけぶりというか、体当たり演技も露悪趣味も突き抜けちゃったような、全てをさらけ出しますってな感じの、即物的なミモフタモナイ表現に、もう目が点になりまくり(笑)。
 基本的にクルージング〜セックスのシークエンスは、全てオブラート一切なしの表現なんですが、それがハードコアポルノ的なエンターテイメント性があるわけでもなく、かといってバッドテイストを狙ったという感じでもなく、何と言うか、もうひたすら生々しいだけで、表現としてえっらいパワフル。
 具体的には(ちょっとアダルトな内容なので白文字で)、フェラチオ場面ではちゃんと亀頭をペロペロ舐め回してるし、肛門に異常を感じた主人公が医者へ行くと、毛むくじゃらのケツを突き出して四つん這いになったところに、肛門拡張器を突っ込まれるシーンがモロに出てくるし、飲尿プレイをしているシーンで、最初は尿を口で受けている顔のアップから入るんですが、そのままカメラがティルトアップしたら、疑似でもなんでもなくてホンモノの放尿だし……ハードコア・ポルノでもないのに、こういった場面が無造作にポ〜ンと出てきて、しかもそれを演じているのが監督本人ってのが、ホントいやはや何とも……(笑)。
 内容的には、いちおう出だしはコメディっぽい感じで、以降も笑いを意識しているシーンがあちこちあったり、また、恋人が出来てラブラブのあたりなんかは、そんなユーモア感とキュートな雰囲気がミックスされて、見ているこっちもホンワカしたりもするんですが、後半になって、二人の性愛に対する考え方の違いといった、答えの出ない堂々巡りに入っていくあたりになると、そういった作劇的な余裕も消え失せていく感じ。
 そんな感じで、テーマが袋小路に入っていくにつれて、ストーリー性はどんどん希薄になっていき、前述したようなあからさまな「性」といった剥きだしの表現と、答えの出ない「問い」だけが露出していき、更に監督兼主演ということもあって、フィクションとノンフィクションの境目すらも曖昧になっていく。
 そして、そういったカオス状態のまま、特に収束もなくジ・エンド。

 こんなの日本じゃ公開もソフト化も絶対無理って感じですが、性的存在としての自己を身体を張って表現している、その赤裸々感と即物性という点では、過去見たどのゲイ映画よりもスゴいかも。
 この特異性とパワフルさは、紛れもなく一見の価値はあり。

エドガー・ライス・バローズ「火星シリーズ」実写映画版、”John Carter”ティーザー予告

 待って待って待って、あれこれ紆余曲折を経て、ようやく登場! ああ嬉しや。

 予告編を見る限り、かなり落ち着いた本格的な雰囲気で美術等も良く、これは期待が高まります。……んが、予告で散々期待させておいて出来上がりがアレだった『ライラの冒険 黄金の羅針盤』みたいな先例もあるので、あまり過度に期待しちゃうのは禁物かも(笑)。
 ともあれ、完成品を見るまでは死ねないぞ!
“John Carter”
アメリカ公開予定:2012年3月
監督:アンドリュー・スタントン(『ファインディング・ニモ』『ウォーリー』)
出演:テイラー・キッチュ、リン・コリンズ、ジェームズ・ピュアフォイ

“The Valley of the Bees (Údolí včel)”

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“The Valley of the Bees” (1968) Frantisek Vlácil
(英盤DVDで鑑賞→amazo.co.uk

 1967年製作のチェコスロヴァキア映画。原題”Údolí včel”。フランチシェク・ヴラーチル監督作品。
 中世のヨーロッパを舞台に、テンプル騎士団から脱走した青年とその兄弟子の関係を通じて、教条主義の矛盾や悲劇を描いた説話的な内容で、ホモソーシャル/ホモセクシュアルの要素もあり。

 主人公の少年は、領主の息子で蜂の世話をしている。ある日、父親が再婚することになるのだが、新しい母は自分と大して歳の違わない若い娘だった。少年は結婚の祝いに、義母となる娘に花籠を贈るのだが、花の下には蝙蝠が入っていた。
 この悪戯に父親はカッとなって、思わず息子を壁に叩きつけてしまう。瀕死の息子を見て我に返った父親は、息子の命を托すから救ってくれと聖母マリアへ祈りを捧げる。
 その結果、息子は一命を取り留め、遠く北の地にあるテンプル騎士団の修道院に預けられ、やがて成長して騎士団の一員となり、兄弟子にあたる青年と親密な仲になる。
 ある日、騎士団から脱走者が出る。脱走者は捕らえられ処刑されるが、主人公の青年もまた、脱走者を見逃した責を問われて監禁される。そして兄弟子が様子を見に行ったときには、彼もまた脱走していおり、兄弟子は彼を連れ戻そうと後を追う。
 兄弟子の追跡を振り切り、主人公が故郷に辿りついたときには、父親は既に亡くなっており、まだ若い義母は寡婦となっていた。二人は互いに惹かれ合いつつも、義母と息子という関係に煩悶するが、やがて地元の世俗主義の神父の祝福も受け、晴れて結婚することになる。
 しかし、そこに後を追ってきた兄弟子が現れ……という話。

 このフランチシェク・ヴラーチルという監督は全く知らなかったんですが、何でも代表作『マルケータ・ラザロヴァー』が20世紀チェコ映画の最高傑作に選ばれているほどの巨匠だそうです。DVDジャケにも「黒澤とエイゼンシュテインの融合」「チェコのオーソン・ウェルズやパラジャーノフ」なんて惹句がありました。
 ストーリーの骨子としては、艶笑抜きの『カンタベリー物語』とかの一挿話といった雰囲気。そういったシンプルな構図の中に、人間の自由を阻むカトリックの教条的な側面と、異教的な土着信仰も取り込んだ、より大らかな世俗的な信仰との対比が、力強く美しいモノクロの映像で描かれています。
 まず、この映像の力強さが大いに魅力的。
 お伽噺的なロマンティズムやファンタジー的な華美さではなく、中世という時代の暗さ、貧しさ、厳しさを感じさせる美術、自然や土着信仰を描いた場面の土俗的な美しさ、シンメトリーが印象的な構図といった、シンプルでありながら重厚な画面が、民間伝承的な物語の雰囲気を醸し出すと同時に、そこに骨太な説得力を与えています。
 俳優たちの抑えた演技や、言葉少なめの台詞、静と動の切り返しが巧みな演出、宗教合唱曲や古楽のみによる、効果的な音楽の使い方も素晴らしい。

 それともう一つ、テンプル騎士団という集団のホモソーシャル性と、主人公と兄弟子の間のホモセクシュアルとしての関係性が、暗喩という形ではあるものの、しっかり描かれているあたりが興味深い。
 ホモセクシュアル性は、まず、修道院に来た少年が全裸で渚で沐浴し、兄弟子がその手をとって「友だちになろう」と語りかけることから始まります。そこから、字幕による年月の経過説明を経て、青年に成長した主人公と兄弟子が、やはり渚で共に全裸で横たわっている場面に繋がります。
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 ここで注目したいのは、渚で波に洗われる二人の姿が、打ち寄せる波、渦巻く水、表情、手……といった映像を使って、はっきりとセックスの暗喩となっているところ。
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 68年製作のチェコスロヴァキア映画で、しかも宗教的なモチーフを扱った作品で、こういった表現が見られるということには、ちょっと驚かされました。
 つまり、この映画が描き出す「悲劇」は、教条主義と世俗主義の拮抗であると同時に、同性愛関係のもつれともとれるように作られており、特にエンディングは、同性愛のストーリーとして解釈した方がスッキリするくらいです。

 というわけで、中世を舞台とした寓意的な内容、力強く美しい映像、ホモセクシュアル性……といった具合に、個人的にはかなりツボを突かれる内容。モチーフに惹かれる方であれば、かなりオススメできる逸品かと。

 予告編は見つからなかったので、本編からのクリップを2つ。
 まず、脱走した修道士が処刑される場面。これ見て「すげ!」ってなって、即DVDを探して購入しました(笑)。

 もう1つ、冒頭の、若い花嫁に蝙蝠入りの花籠を贈る場面。

ちょっと宣伝、映画『LAゾンビ』特別上映&トークショーのご案内

 本日7月11日〜23日まで、銀座のヴァニラ画廊にて、映像作家ブルース・ラ・ブルースの写真展が開催されております。
 このエクシビションの一環として、同氏の新作映画にして問題作、ゾンビとゲイポルノが融合した作品 “L.A. Zombie” の特別上映イベントが、同ギャラリーにて開催されます。
 映画の上映は15日(金)、16日(土)、18日(月・祝)の3回になりますが、そのうち16日(土)の上映イベントにて、私、トークショーに出演させていただきます。
 以下、エクシビションおよび上映イベントの詳細。
 お問い合わせ等は、直接ヴァニラ画廊さんへお願いします。

ブルース・ラ・ブルース写真展
[“Polaroid Rage: Survey 2000 – 2010 ]
~ Additional Photos from Otto; or, Up with Dead People and L.A. Zombie~
■7月11日(月)~7月23日(土)
■入場料500円
2007年ヴァニラ画廊にて衝撃的な写真展を開催したブルース・ラ・ブルースの新作展!
2000年から2010年のあいだの実験的パフォーマンスを綴った記録をポラロイド作品300枚以上におさめたシリーズ[“Polaroid Rage: Survey 2000 – 2010 ]。このシリーズは2011年、2月にポルトガルのThe Wrong Weather Galleryにて発表され 非 常に高い評価を得ています。
そして自身が監督した映画OTTO ; or, Up with Dead People (2008)とL.A.Zombie(2010)からの新作写真もあわせて展示致します。
Bruce LaBruce ブルース・ラ・ブルース / プロフィール
カナダのトロント在住。映画監督、写真家、ライターなど幅広く活躍する。
アート・シーンの異端児。’80年代に発表した8mmフィルムによる超低予算のポルノアート・フィルムは、ガス・ヴァン・サントにも大きな影響を与えた。 ’90年代からは、「ノー・スキン・オフ・マイ・アス」「SUPER8 2/1」「ハスラー・ホワイト」など過激なセクシャリティを武器にした長編を発表。クィーア・フィルムの代表として、世界的な人気を得る。2008年には 「Otto; Up with Dead People」2010年には「L.A. Zombie」を公開。
1998年から写真家としても活動を開始し、多くの雑誌でフォトグラファーとして活躍する外、欧米で個展を多数開催している。
■展覧会特別イベント
ブルースラブルース監督作品『LA ゾンビ』特別上映!
7月15日(金)上映のみ
 19時半開場 ¥1,300(1D付)
7月16日(土)上映&作品解説&スニークプレヴュー付
 18時開場 ¥1,800(1D付)
 トークゲスト:田亀源五郎&鈴木章浩
7月18日(月・祝)上映のみ
 18時開場 ¥1,300(1D付)
上映作品
『LA ZOMBIE』
Directed by Bruce La Bruce 2010年/70分
Produced by Owen Hawk Screenplay by Bruce La Bruce Story by Bruce La Bruce
Starring Francois Sagat Matthew Rush Erik Rhodes Francesco D’Macho Wolf
Hudson
Music by Kevin D Hoover Jack Curtis Dubowsky
2010年、権威あるロカルノ国際映画祭コンペティション部門に正式招待されながらも、オーストラリアのメルボルン国際映画祭では上映拒否。強行上映しようとした映画祭の事務局から警察によって上映用マスターが押収され焼却されるなど、世界各地で物議をかもし出している真の問題作。ゲイ・ポルノとして製作されながらも、性と死と血のオージー(乱交)によって、独特の哀しみと詩情に溢れる世界を作り出した本作は、「 ゾンビとポルノの本当に美しい融合…」とブルース・ラ・ブルース監督が語るように、残酷な美しさに満ちている。日本公開絶望と思われていた衝撃作が今回限りの特別上映!必見!!

 で、この「LAゾンビ」なんですけど、どんな映画かというと……とりあえず予告編を貼っておきましょうかね(笑)。

 私は一足お先に拝見させていただいたんですけど、まぁ何と言いましょうか……エログロ・アートフィルムって感じ? メルボルン国際映画祭のスタッフが「ただのポルノじゃねぇか!」って上映拒否した気持ちも……まぁ判らなくはない(笑)。
 興味のある方だったら、一見の価値はアリなので、展示共々、よろしかったらぜひお出かけくださいませ。
<追記:7月16日>
 メルボルンでの上映ができなかった件ですが、鈴木章浩さんに伺ったところによると、必ずしも映画祭のスタッフが上映を拒否したわけではなく、フィルムが税関で引っかかってしまったのが最大原因なんだそうです。それを強行突破しようとしたか何かで、上記の様な大事になってしまったらしい。どういった理由で税関で止められたのかは、鈴木さんも良くご存じではないとのこと。
<追記:7月18日>
 映画『LAゾンビ』と件のトークショーのレビュー。
『L.A. ZOMBIE』鑑賞|隊長日誌
 おそらく日本で一番詳しいのでは(笑)。