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『サン・ルイ・レイの橋』

サン・ルイ・レイの橋 [DVD] 『サン・ルイ・レイの橋』(2004)マリー・マクガキン
“The Bridge of San Luis Rey” (2004) Mary McGuckian

 スペイン統治下にあった18世紀のペルー、サン・ルイ・レイの吊り橋が落ち、5人の男女が死んだ。その場に居合わせ、それを目撃した修道士は、5人の死には神の摂理に基づく理由があるのではないかと思い、亡くなった人々の私生活について、数年に渡る綿密な調査を行い、それを一冊の本にして出版するが、それがカソリック教会から異端の疑いをかけられ、審問にかけられてしまう……という内容。
 原作は、ソーントン・ワイルダーの『サン・ルイス・レイ橋』という、ピューリッツァー賞を受賞した小説だそうな。ちょっと読んでみようかと思ったものの、残念ながら絶版の模様。

 まず、とにかくキャストが豪華です。
 パッケージには、ロバート・デ・ニーロ、キャシー・ベイツ、ハーヴェイ・カイテル、ガブリエル・バーン、F・マーレイ・エイブラハム、ジェラルディン・チャップリン……なんて名前がずらずら並び、加えて重要な役で『女王ファナ』のピラール・ロペス・デ・アジャラ、チョイ役だけどジュネ&キャロ映画の常連ドミニク・ピノンなんかも出てたり。
 これだけの面子が出るコスチューム・プレイとなれば、もうそれだけでも見たくなっちゃいます(笑)。
 ただ、DVDのパッケージには、エピック・サスペンスだの歴史ミステリーだのと書いてありますが、正直言ってそういう要素は希薄……つーか、ほぼゼロ。
 ミステリー……と言えなくはない要素はあるけれど、解決や結論が明示されないという点で、やはりこれをミステリーとは呼べないだろうし、エピックやサスペンスの要素に至っては、もう皆無と言っていい。
 宣伝文句に準じた期待を持って見ると、ことごとく裏切られてしまうので、ご用心あれ。

 映画は、異端審問にかけられている修道士の口を通して、5人およびその周囲の人々のことが語られるという構成になっていて、ドラマとしても、軸が2つに分かれています。
 まず、事故を調査した修道士を軸とした、神の摂理の有無と異端審問の結末を見せるパート。
 それと、修道士の語る話に出てくる様々な人々が、事故に至るまでにどのような人生を歩んだかを描くパート。
 まず後者の、事故に関わった人々の様々な人生模様ですが、こちらは大いに見応えあり。
 演出自体は、可も無し不可も無しといった感じですが、親子、兄弟、恋人、師弟といった、人々の絆から生まれる感情のドラマが、地味ながらもじっくりとと描かれています。
 加えて、登場人物の中で、誰と誰が事故で死んでしまう5人なのかは、見ているこちらには判らない。消去法的に絞り込むことはできても、最後の最後までミスリードがあったりして、そういった作劇的な要素にも惹き込まれます。
 そんな中で、愛するがゆえの辛さ、愛されたいという切実さ、喪失の悲しみ……といった、何ともやるせない思いの数々が、人々のドラマを複雑に織り上げていくので、見ていてかなり感情を揺さぶられました。
 役者さんたちの演技は、いずれも説得力があるし、キャラも良く立っているので、悲劇の結末が近づけば近づくほど、何とも痛ましい気持ちになってくる。
 映画の大部分を占めるこちらのパートで、モノガタリの焦点は、エピック劇のような歴史叙事ではなく、「昔も今も変わらぬ人の世の営み」であり、視点も完全に「個」に寄り添ったものなので、内容的には、史劇好きにオススメする系統とは、ちょっと違う感じではあります。
 でも、衣装や美術などは文句なしの出来映えだし、ロケも効果的だし、画面の重厚感もある。内容の好き嫌いは別として、ヒストリカルな絵を楽しむという点では、充分以上に目の御馳走でしょう。
 音楽も、クラシック的な要素にフラメンコやフォルクローレっぽい要素も交えたもので、実にいい感じ。で、それがラロ・シフリンだったからビックリ。いや、なんかジャズとか都会的とか、そんなイメージを抱いていたもので(笑)。

 では前者の、修道士と異端審問に関するパートはというと、正直これは全くピンとこない。
 簡単に言うと、このパートの核となる、神の摂理云々を始めとする要素の数々が、余りにもキリスト教世界限定の要素でしかないからです。純粋なクリスチャンならともかく、そうでない人間にとっては、はっきり言って「よくワカラン」か「判るけどドーデモイイ」内容。
 ならば、宗教観や世界観に見るべきものがあるかというと、これまたテーマが「個」から「世界」に拡がりっているにも関わらず、視点が宗教という枠内に留まったままなので、その枠に属さない人間からすると、いかにも狭隘に感じられてしまう。
 もっと言えば、モノガタリの舞台が南米であるがゆえに、そこで、非キリスト教世界を完全にオミットした、キリスト教的宇宙にのみに基づいた形而上の考察を繰り広げるなんて内容には、ちょっと不快感すらおぼえたり。
 ここいらへんの不満点は、原作小説と比較してみたい感じ。
 そんなこんなで、煽り文句に騙されず、クリスチャンじゃない人は宗教要素はガン無視して、普遍的な身の丈サイズの人間ドラマをじっくり見る、という心構えでいれば、役者は粒ぞろいだし見応えもあり……って感じです。

『私は自由な鳥のように空高く舞い上がる(Panchhi Banoon Udti Phiroon)』という歌のこと

 先日、スーダンのカセットテープについて書きましたが、あんな具合に我が家には、あちこちの国へ行ったときに買ってきたカセットがけっこうあります。
 そんな中にはかなりお気に入りの音楽もあり、なんとかCDで再ゲットしたい曲(やアルバム)もいっぱいあるんですが、これがなかなかそうはいかない。ほとんどは、未だCDでは見つけられないままです。
 ただ、中には幸運にもCDを見つけることができたものもあり、特に、インターネット時代になってからは、そういったチャンスもより増えてきた感じです。
 というわけで今回は、そういった幸運な例の中でも、特に順調にいったケースのお話しをば。
 それが、タイトルに書いた”Panchhi Banoon Udti Phiroon”という歌。

 最初の出会いは、インドで買ったこのカセットテープ。
panchhi_cassette
 国の東西を問わず、古めの歌謡モノが大好きな私は(というのも、40〜50年代の流行歌って、わりとどこの国でも、伴奏のアンサンブルが大規模で、アレンジも凝っていたり、曲も優美なものが多いので)、このジャケットを見たとたん「これは懐メロものだ!」と判断して即購入したわけです。
 当時の私は、インドの歌謡曲が映画音楽だということは知っており、有名な吹き替え歌手であるラター・マンゲーシュカルのCDなんかを、日本で買って聴いてはいたものの、インド映画そのものの知識は全くなかったので、このカセットの「ナルギス」さんが、インド映画の往年の大スターだと知ったのは、ずっと後のことでした。
 で、このカセットの一曲目が、件の”Panchhi Banoon Udti Phiroon”という歌で、もうイッパツで気に入ってしまいました。

 それからしばらく後。
 例のカセットテープには、ちゃんと曲のクレジットがあったので、件の曲を歌っているのはラター・マンゲーシュカルで、”Chori Chori”という映画の曲だということは判っていました。
 以来、日本で輸入販売されているラターのCDを見つけるたびに、この「パンチ・バヌーン・ウドゥティ・ピルーン」(意味なんて判らないので、そう音で覚えていた)が入ってやしないかと探していたんですが、なかなかそう上手くはいかず。ラターのベスト盤やインド映画の挿入歌集は、当時けっこう売られていたんですけど、そういったものの中には見つけられなかった。
 そんなときに見つけたのが、このCD。
panchhi_cd
 確か、渋谷か六本木のWAVEだったと思うけど、インド音楽のコーナーで、件の”Chori Chori”のサントラCDを発見しました。もう、舞い上がって喜びましたね(笑)。

 さて、普通ならここでオシマイなんですけど、この曲の場合は、まだ続きがあります。
 やがてインターネットで海外通販とかをするようになり、インド映画のDVDなんかも入手しやすくなりました。
 となると、この曲が使われている映画”Chori Chori”なんかも、やっぱちょいと探してみたりして、そしたらちゃんと見つかったりして。
panchhi_dvd
 これは確か、米アマゾンにあったんじゃなかったっけか。
 というわけで、目出度く映画の方も鑑賞できて、それが英語字幕付きだったもんだから、件の「パンチ・バヌーン・ウドゥティ・ピルーン」と覚えいていた曲名が、「私は自由な鳥のように空高く舞い上がる」という意味だということも判ったし、カセットのジャケ写にあった美麗なナルギス嬢も、動く映像で堪能できたというわけです。

 旅の想い出でもある、個人的に愛着のある大好きな一曲が、こうして音も映像もソフトをゲットできたというのは、この曲の他にはまだ例がありません。
 因みに、その映画”Chori CHori”で、この”Panchhi Banoon Udti Phiroon”が歌われるシークエンスは、YouTubeにもありました。
 ご参考までに、下に貼っておきます。

 いい曲でしょ?

つれづれ

 パニック映画大好きな相棒に誘われて、ローランド・エメリッヒ監督の『2012』を鑑賞。
 相変わらず、ド派手な特撮シーンで屁みたいなストーリーをサンドイッチしたような映画でした(笑)。
 個人的には(以下、ネタバレ部分は反転)、「二人の間に何か溝がある」とか言った瞬間に、地震が起きてホントーに二人の間に巨大な地割れが出来てしまうとゆー、ショーもないギャグとか、飛行機の燃料が足りなくなって「このままだと目的地のチベットに辿り着けない!」という状況だったのが、大陸移動でチベットの方がこっちに来てくれたのでセーフ、しかもピンポイントで目的地の近場だったなんつーバカ展開あたりが、ちょっと好き(笑)。
 あと、前半の都市大崩壊シーンは、スペクタクル的な見せ場という点で、トゥー・マッチな感じが楽しかった。こことイエローストーン公園の噴火シーンには、『デイ・アフター・トゥモロー』や『紀元前1万年』では減少しているように感じた、この監督らしいパワフルなハッタリ感が戻っている印象。
 因みに相棒は、映画館を出たとき「あ〜、楽しかった!」と言ってました。「面白かった」じゃないのがミソかも(笑)。
 で、その小一時間後、ラーメン屋でメシ喰いながら相棒曰く、
「でも、ホンット何も残らないよね、この人(ローランド・エメリッヒ)の映画って」
 ……オイ、見に行きたいって言ったのはアンタだよ(笑)。
 映画が始まる前の時間つぶしに入った本屋で、デアゴスティーニの『モスラ』を買ったので、その晩に鑑賞。
 実は私は、小泉博ってけっこうタイプなんですけど、久々に『モスラ』を再見したら、和服姿で無精髭での初登場シーンに、改めて「ステキ!」とか思っちゃったりして。
 そんなことを相棒に言ったら、例によって「『サザエさん』のマスオさん役だよ」とオーディオ・コメンタリー(笑)が。「サザエさんは誰?」と聞いたら「江利チエミ。波平が藤原鎌足、舟が清川虹子」だそうな。へ〜、知らんかった、見てみたいかも。

最近見た500円DVD

 最近購入した500円DVDの中から、印象深かったものを二つ。

シシリーの黒い霧 [DVD] 『シシリーの黒い霧』(1962) フランチェスコ・ロージ
“Salvatore Giuliano” (1962) Francesco Rosi

 1950年、シチリア島で、シチリア独立運動の闘士だった青年、サルヴァトーレ・ジュリアーノが他殺死体となって発見された。彼を殺したのは誰か? そして、彼の組織が行った「メーデー虐殺事件」の、真の黒幕は何者なのか? といった実話に基づく内容を、ドキュメンタリー・タッチで描いた作品。
 とにかく画面の迫真性が良い。見ているうちに、ついこれが映画だということを忘れてしまい、ニュース映像を見ているような気になってしまうような、そんな力強さがあります。感触としては、ジッロ・ポンテコルヴォの『アルジェの戦い』なんかと似た感じ。
 話としては、正直ちょっと判りにくいです。現在と過去が交錯する構成だし、ドキュメンタリー風ということもあって、いわゆる主役に相当するリード・キャラクターも存在しない。マフィアとか山賊とか憲兵とか警察とか、そんな面々が絡み合った内容なので、登場人物の立ち位置も掴みにくい感じ。フォーカスが、ジュリアーノの殺害理由と犯人探しかと思っていると、後半になって、メーデー虐殺事件の真相や黒幕へと移っていくのも、見ていてちょっと混乱してしまった。
 とはいえ、前述したような映像力や演出力もあって、映画にはぐいぐいと引き込まれていきます。たとえ細部は完全に把握できなくても、ここで起こったことの「恐ろしさ」は、充分に伝わってくる。そんな「恐ろしさ」と、眩しい陽光と明るい風景という、そのコントラストも素晴らしいし、光と影による表現も、実に美しくて力強い。あと、基本的にニュース映像的な表現であるだけに、その中にふと、マンテーニャのキリスト像の活人画的な表現なんていう、ピクチャレスクな映像が出てきたりして、思わずはっとさせられたり。
 ああ、あとどーでもいいことですけど(実はどーでもよくなくて、私にとっては重要なんですが)、男臭くてカッコイイ野郎どもがいっぱい出てくるのも高ポイントでした(笑)。

dvd_sokokunotameni1 『バトル・フォー・スターリングラード』 (1975) セルゲイ・ボンダルチュク(前編)
“ОНИ СРАЖАЛ ИСЬ ЭА РОДИНУ” (1975) Sergei Bondarchuk
dvd_sokokunotameni2 (後編 )

 例によってヘンな邦題が付いていますが、公開時のタイトルは『祖国のために』。第二次世界大戦時、ドン川流域でナチス・ドイツと戦ったソビエト軍を描いた、ショーロホフの小説の映画化作品。
 前線にいる兵士たちの細かな日常描写と、大規模な戦闘シーンがサンドイッチになった構成。ストーリーとしては、原作が未完のもののようですし、同じ原作者と監督コンビの名作、『人間の運命』みたいなドラマティックさはないですが、友情あり下ネタあり、ユーモアあり悲劇あり……といった兵士たちの日常描写は、実に等身大の人間臭さが感じられて楽しめます。かと思いきや、麻酔なしの手術シーンなんて、ホラー映画そこのけのオッカナサだし、戦友の絆なんかは感動もしちゃったり。
 スペクタクル的な面に関しては、ボンダルチュク監督の撮る戦闘シーンは、『戦争と平和』の物量とカメラワークのスゴさに、とにかくビックリしたんですけど、今回のこれは、あそこまでスゴくはないものの、それでも燃えながら回転する風車の黙示録的なイメージとか、戦場でふと訪れる静寂とのコントラストとか、モンタージュで挿入されるイメージ・ショットの数々とか、やっぱり映像的な見所が盛り沢山。時として、映像表現に凝る余り、叙事が置き去りにされてしまうような感じも、やっぱり同じ。恐ろしい破壊の中にも「美」を見てしまうあたり、つくづく映像派の作家なんだなぁ、と改めて感じたり。
 役者さんも粒ぞろい。メイン・キャラクターのワシーリー・シュクシンという人を始め、俳優兼監督のボンダルチュクご本人、『戦争と平和』のアンドレイ役だったヴャチェスラフ・チーホノフ、いずれも素晴らしい。IMDbを見たら、グリゴーリ・コージンツェフ版『ハムレット』のインノケンティ・スモクトゥノフスキーの名前もあったんだけど……う〜ん、どこに出てたんだろう、ちっとも気付かなかった(笑)。
 そんなこんなで、実に見応えもあって楽しめたので、未見の『ワーテルロー』がますます見たくなりました。
 最後に余談。この映画には、スターリングラードは全く出てきません。件のヘンテコ邦題が、『バトル・オブ……』じゃなくて『バトル・フォー……』になっているあたり、小賢しいというかこすっからいというか……(笑)。

『THE KING 序章〜アユタヤの若き英雄/アユタヤの勝利と栄光』

THE KING 序章~アユタヤの若き英雄~/~アユタヤの勝利と栄光~ [DVD] 『THE KING 序章〜アユタヤの若き英雄/アユタヤの勝利と栄光』(2007)チャートリーチャルーム・ユコーン
“King Naresuan” (2007) Chatrichalerm Yukol

 前に何度か紹介している、タイ製歴史スペクタクル映画『キング・ナレスワン』の日本盤DVDを無事全編鑑賞したので、追加の感想をば。

 ストーリーは、16世紀中頃のアユタヤ(タイ)とホンサワディ(ビルマ)の戦いを背景に、ピッサヌローク(タイ)の王子でありながら、幼くして人質としてホンサワディに連れていかれたナレスワン王子が、実は人格者であるホンサワディ王や、その師でもある僧侶に導かれ、また、虜囚であるシャム族(タイ人)の少年や孤児の少女と友情を育み、やがて聡明で逞しい若者に成長して、アユタヤの独立を目指して立ち上がる……といった内容。

 第1部『アユタヤの若き英雄』はホンサワディの人質となった少年期を、第2部『アユタヤの勝利と栄光』は逞しく成人した王子の戦いを描いています。
 まあ、前にも書きましたが、とにかくセットやモブの物量のすごさと、衣装や小道具の豪華さに圧倒されます。もちろんCGIも使っているんですけど、それでも町一つ丸々作ってしまったような規模の、ホンサワディやアユタヤのオープン・セットは、往年のハリウッド・スペクタクル映画を彷彿とさせる大スケール。
 往年のスペクタクル映画を彷彿とさせるという意味では、演出も同様です。オーセンティックで落ち着いた感じで、悪く言えばちょっと古めの感じ。
 ドラマ的には、歴史物の常として、叙事とキャラクター・ドラマが並行して描かれるんですが、第1部に限って言うと、ちょっと叙事をおさえることで精一杯で、キャラクターの掘り下げが不足していたり、モノガタリの流れがぎこちなくなってしまっているきらいはあります。
 というのは、このドラマにおける勢力分布は、アユタヤ対ホンサワディという二項対立ではなく、そこに、アユタヤとピッサヌロークという二つのタイの王家の思惑も絡んだ三つ巴になっているんですな。そして、主人公のナレスワン王子は自由に動けない捕虜なので、そういったパワーゲームからすると蚊帳の外の存在。結果、モノガタリ全体の牽引力は、主人公の成長劇、主人公が絡まないパワーゲーム、叙事の説明という3つの要素に、どうしても分散してしまう。
 とはいえ、主人公を含む子供たちの日常劇は楽しいし、様々な思惑が交錯する人間ドラマとか、叙事に関する様々なエピソードとかは面白いし、ホンサワディ王や僧侶のキャラは魅力的だし、ナレスワン王子と友達になる少女マニーチャンは超カワイイし……と、ストーリー的な魅力には事欠きません。

 第2部になると、ナレスワン王子は成人して行動的な存在になり、今度は立派にストーリーの中軸となるので、前述したような作劇的なぎこちなさは消えます。
 また、第1部から成長して続投するキャラクターに加え、新しいキャラクターも加わり、しかもそれらがいずれも魅力的で良く立っているので、キャラクター・ドラマからくるエモーションもぐっと盛り上がります。古典的な恋愛劇も、これはこれでまた良きかな。
 また、バトル・シーンのような大かがりな見せ場も、よりいっそう大規模で内容も凝ったものになるので、そういった見応えや娯楽性も倍増。
 エピソードの展開と、キャラクター・ドラマのあれこれと、視覚的な見応えという、史劇らしい見所が三拍子揃った、文句なしの出来映えです。
 それに何てったって、成長したナレスワン王子が超カッコイイし(笑)。
 そんなこんなで第2部を堪能すると、どうしても「続きは?」と思ってしまうんですが(この映画は全3部作を予定しています)、その第3部の公開が本国のタイでも遅れていて、本来なら今年の夏に公開予定だったのが、公式サイトを見てもまだ何も情報なし。
 ちゃんと完成するのかしらん……と不安に思っていたら、何とYouTubeで第3部の予告編を発見! 公式サイトにはまだないのに……流出モノ?(笑)
 というわけで、とりあえず貼っておきませう。

 で、これを見て何がビックリしたかって……。
 王様(あ、まだ王子様か)、なんかすっげ〜バルクアップしてません??? 第2部と体型が別人なんですけど!
 とゆーわけで、楽しみがますます増えたんですけど、しかし何が不安かって、この第3部を果たして日本語字幕付きで無事に見られるのかどうかってことです。
 ちゃんと最後までDVD出してくださいよ、メーカーさん!

つれづれ

 両親の金婚式のお祝いで、久々に実家へ帰省。とはいえ、私は東京在住、実家は神奈川なので、帰省といっても超短距離なんですが。
 母と雑談していたら、先日レヴィ=ストロースが100歳で亡くなったという話題になり、私が「死んだことより、まだ生きていたことにビックリした」と言ったら、母も同様で「もっとずっと昔の人だと思ってた」そうな。同じように感じられた方、けっこういらっしゃるのでは。
 とはいえ私は、その名前と『悲しき熱帯』の書名を知っているだけで、実際には読んだことがない。で、家にあるかと尋ねたところ、あるとのこと。「もう読まないから、持っていっていいよ」と言われたので、ありがたくいただいてきました。
 でも、ハードカバーの上下巻だし、ムズカシソウだし、読了できるか、ちょっと自信なし(笑)。文化人類学には興味があるけど、現代思想とかはサッパリだしなぁ。親にも「けっこう手強いよ」と脅されてしまった(笑)。

 別の休日、天気が良かったので、散歩がてら清澄庭園へ。
 紅葉が見られるかと思ってたけど、赤くなっていたのは一本だけ。想像していたよりも狭かったし、けっこう人出も多かったし、背景に高層ビルも見えるし……と、日本庭園的な滋味はあまり満喫できず。全国から集めたとかいう名石の数々も、ちょいとスペースに対して数が多すぎる感じで、何だか成金趣味に見えちゃったなぁ。
 とはいえ、池の周りをぐるりと散歩するのは気持ちよくて、しかもその池にカモやらカメやらコイやらがウジャウジャいるので、ついつい庭の風情よりも、そっちの生き物たちに目が釘付けに(笑)。
 そんなわけで、写真はそんなカモとカメとコイの三位一体図。略してKKK(違う)。三種類同時に1フレームに収まるように、シャッターチャンスを狙うのが、けっこう難しかったです(笑)。

 最近買ったマンガ本。

芋虫 (BEAM COMIX) 『芋虫』丸尾末広/江戸川乱歩

 何てったって、乱歩の『芋虫』といえば、私自身も大きく影響された小説だし(で、『闇の中の軍鶏』とか『だるま憲兵』を描いた)、丸尾末広さんのマンガと乱歩といえば、昔の短編でも『芋虫』ネタを扱ったものがあって大好きだったし(『薔薇色ノ怪物』とかあそこいらへんの初期の短編集で読んだんだけど、手元に本がないので、タイトルや収録単行本が判らず)、前の『パノラマ島綺譚』もホント素晴らしかったから、大いに期待して購入しました。
 その期待は裏切られず、やはりすごい作品だった。当然のことながら、『パノラマ……』の時の何かを突き抜けたような絢爛豪華さとは異なり、今回は薄暗く閉じた世界で繰り広げられる性的でグロテスクな美の饗宴なので、もう私のハートはますます鷲掴みに。
 毎日毎日、繰り返し飽きもせず眺めております。

 最近見たDVD。

ロード・オブ・ウォリアーズ [DVD] ロード・オブ・ウォリアーズ(2006)モンス・モーリンド/ビョルン・スタイン
“Snapphanar” (2006) Måns Mårlind / Björn Stein

 例によって酷い邦題には閉口しますが、17世紀、スカンジナビア半島南端にあるスコーネ地方の所有権を巡って、デンマークとフィンランドが戦った「スコーネ戦争」を描いた史劇です。スウェーデン/リトアニア/デンマーク/フィンランド/ノルウェー合作のテレビ映画。
 北欧史なんて何も知らないので、当然このスコーネ戦争も初耳。加えて映画の主人公たちが、デンマーク軍でもフィンランド軍でもなく、その時点ではフィンランドに属しながらも被差別下にあるスコーネ地方で、自由を求めてデンマーク軍に加わっている義勇軍なので、パワーバランス的にもちとヤヤコシクて、最初のうちはキャラクター配置を掴むのがちょっと難しかったりしましたが、いったん乗ってしまえば後は快調、波瀾万丈の起伏に富んだストーリーをたっぷり楽しめます。
 内容的には、娯楽活劇とシビアな歴史劇の折半といった感じで、ちょいとそこいらへんが上手く噛み合っていない感はありますが(IMDbを見ると、どうやらこのDVDはオリジナルより14分短い短縮版のようなので、そのせいもあるのかも)、キャラクター・ドラマとしては個々の登場人物が魅力的だし、それを上手く生かしたグッとくるシーンも多々あるので、見ている間、2時間40分という長さは全く感じさせませんでした。
 ただ、本格的な歴史劇を期待してしまうと、フォーカスが施政者ではなく市井の人々なので、国家間のドラマ描写が少なかったり、いささか処理が安易だったりするのが物足りなくはあります。
 映像的には、ゲリラ戦的な手法のスコーネ義勇軍がメインなので、大規模な戦闘シーンはないせいもあり、物量感やスケール感はそれほどでもありませんが、いかにも寒々しい北欧の風景とか、貧しい農村とか城塞といったセット(後者は本物かも)とかは、ちゃんと必要充分以上の説得力あって佳良です。
 そんなこんなで、まあ何といっても稀少な題材ですし、モノガタリ自体はなかなか面白いので、コスチュームものがお好きだったら見て損はないです。
 あ、例によって責め場もあり。上半身裸にされた主人公が、鎖で両腕を左右に引っ張られ、見物人に囲まれて背中をフロッギング。雰囲気はけっこういいです。
 でも、主人公がマッチョではなく、どっちかというと優男なのが、私個人にとってはマイナス・ポイントだったり(笑)。ヒゲはあるけど、顔立ち自体はあんまタイプじゃないし(笑)。

“Plon naya (Spicy Beautyqueen of Bangkok)”

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“Plon naya (Spicy Beautyqueen of Bangkok)” (2004) Poj Arnon

 今まで何度か書いてきた、ご贔屓のタイ人男優Winai Kraibutr君主演の、ドラァグ・クイーンが銀行強盗をするコメディ映画。
 監督はポジ・アーノン。日本盤DVDも出ている『チアリーダー・クイーン』や、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上映された『バンコク・ラブストーリー』を撮った人。
 いくらご贔屓のWinai Kraibutr君とはいえ、女装じゃ興味半減だし、コメディ映画も基本的にあまり見ないタチなのでスルーしてたんですが、英語字幕付きタイ盤DVDがバーゲン価格だったので購入してみました。
 余談ですが、このバーゲン品、ジャケの隅っこが三角形に切り取られていました。DVDでもカットアウト盤ってあるんですね、初めて見ました。……でも、カットアウト盤なんて言葉、かつてアナログ・レコードの輸入盤を買ってたような、ある年齢以上の層じゃないと知らないよなぁ、きっと(笑)。

 ストーリーとしては、様々な理由でお金に困っているトランスジェンダー系ゲイ四人組が、思い余って銀行強盗をする(その際、正体を見破られないために、ド派手なドラァグ・クイーンになる……というのが、ジャケ写のお姿)んだけど、素人集団なので何かと上手くいかないうえに、強盗に入った銀行で別の強盗集団(しかもノンケのイケメン揃い)と鉢合わせしてしまい……というドタバタコメディ。
 泥臭いコテコテな笑いが連打される中、ちょっとした人情や泣きなんかも入っている内容なんですが、まあ正直なところ、さほど面白くなかったなぁ。笑いも涙も、どちらも過剰というよりくどいといった感じで、四人組の演技も過度に狂騒的で、見ていてちょっと疲れちゃった。

 さて、お目当てだったWinai Kraibutr君。
 いくら女装強盗の映画でも、少しは男の格好をしているシーンもあるんじゃないか、とか期待していたんだけど、残念ながら完全にクロスドレッサーのキャラクターらしく、全編女装、男の姿やスッピンの男顔になるシーンは皆無(泣)。
 あと、おそらくゲイ役だろうから、ひょっとすると男とのベッドシーンがあるかしらん、なんて下心もありまして、これはホントにそーゆーシーンがあって、裸で若いオトコノコの上にまたがって、騎乗位で激しく腰を振ってくれるし、半ケツ状態のタオル一枚なんてサービス・ショットもあったんですが、悲しいかなヘアスタイルも化粧も完全に「オンナ」状態なので……チクショウ、ちっともそそられやしない(笑)。

 というわけで、個人的には立派なハズレ映画だったんですが(笑)、まあ、見所が全くなかったというわけではなし。
 まず、ちょっと興味深かったのは、四人組の一人であるショーガール(の仕事をしているゲイ)の置かれている立場について。
 このキャラクターを演じているのが、件のWinai Kraibutr君なんですが、彼の仕事仲間である他のショーガールたちは、いずれも既に性転換済みのトランスセクシュアルたち。しかし彼だけが、(おそらく)トランスジェンダーではあるものの、豊胸も性転換もしていない男性のままの身体をしている。
 で、彼は周囲のニューハーフ(と便宜上呼ばせていただだきますが)たちに、「アンタ、そんなオッパイもアソコも作らないでいたら、コメディアン扱いしかされないわよ!」「もうすぐラスベガスでショーがあるのに、どうするのよ!」と言われ、じっさいステージでもイロモノ的な扱いをされてしまう。そこに更に、年下のオトコノコの恋人を、ホンモノのオンナノコに寝取られちゃうという事件が重なり、そこでようやく、性転換手術のお金を手に入れるために、銀行強盗の計画に加わるのを決意する。
 つまり、トランスセクシュアル的な価値観が主流となっているショービジネス界内で、性転換までは望まないトランスジェンダー(あるいはトランスベスタイト)的な存在が異物的な存在になるという、マイノリティ・グループの中で、更にマイノリティとして存在してしまった者の煩悶が描かれるわけです。
 これは、セクシュアル・マイノリティの社会参加の方法という点でも、また、マイノリティによるコミュニティが内包する問題としても、なかなか興味深い視点です。セクシュアリティがグラデーション状に連続しているがゆえの、それぞれのグループ間に明白な線引きはできないという難しさや、個々の立ち位置(居場所と言ってもいいかも)を見つけることの難しさを、見て取ることができる。
 ただ、映画ではこの要素は、あくまでも「ストーリーを進行させる前提の一つ」でしかなく、問題提起やテーマ的な膨らみといった、それ以上の意味が全くないのは残念でした。

 もう一点、死生観の違いも、ちょっと興味深い。
 ネタバレを承知で説明すると、終盤、主要キャラクターの一人が死んでしまい、オチもそれを基に締めくくられるんですが、これはおそらく日本人の感覚だと、この「死」の訪れにはちょっと引いてしまうし、オチも「え〜っ、それでい〜のぉ?」ってな感じの印象だと思います。
 ただ、前生があっての今生があり、今生があって後生があるといった、仏教的な死生観が濃厚な社会(じっさい映画の中でも、ギャグの一つではありますが、主要キャラクターの一人が托鉢のお坊さんに、「生まれ変わったら、もっと小顔にしてください」とか願いながらお布施をするシーンがあります)だと、今生における死の持つ重みや意味合いが、我々の感じるところのそれとは、かなり感覚的に異なるのかもしれないな、なんて思いました。
 タイ映画を見ていると、こういった死生観の差異が目に付くことが、けっこうありますね。日本でも、「親の因果が子に報い」といった言葉に、まだ説得力があった近世までは、結構こういう感覚だったのかも。

『蛇女』”Kuon puos keng kang”

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“Kuon puos keng kang” (2001) Fai Sam Ang

バーン・ラジャン』で惚れ、『ナンナーク』で更に惚れ、『アリゲーター 愛と復讐のワニ人間』でもやっぱり惚れ、タイ語オンリー字幕なしなのに『クイーンズ・オブ・ランカスカ』のDVDまで買ってしまった、お気に入りのタイ人男優Winai Kraibutr(ウィナイ・グライブット/ビナリ・クレイブート)の出演映画。
 ゲットしたのは、英語字幕付き台湾盤DVD。『蛇女』というタイトルの上に「鬼嫁2」とあるので、どうやら『ナンナーク2』としてリリースされたみたいですな。英題は”Snaker”とか”The Snake King’s Child”とかいうらしい。
 映画を見るまでは、てっきりタイ映画だとばかり思っていたところ、タイトル・クレジットでいきなりクメール文字が出てきてビックリ。
 で、調べてみたところ、カンボジアとタイの合作映画で、何とカンボジア映画としては、クメール・ルージュ時代以降、最初に作られた長編映画なんだそうな(参照)。

 ストーリーは、カンボジアの民話を基にしたものだそうで、とある村に夫婦と娘一人が住んでいるが、夫は行商で留守がちで、家にいたらいたで酒に酔い、妻を虐待するという日々。
 そんなある日、妻が娘と一緒に農作業に出掛けると、鍬の先がスッポ抜けて大蛇の側に落ちてしまう。そこで妻が「大蛇さん、大蛇さん、お願いだからその鍬の先を返して、それをなくすと旦那に殴られちゃう」と頼むと、大蛇が「オイラのお嫁になってくれたら返してあげるよ」と答える。暴力旦那が怖い妻は、しかたなく承諾、無事に鍬の先を取り戻す。
 その晩、夫が行商で留守の家に、大蛇が夜ばいにやって来る。「ひぇ〜!」となった妻だったが、そのとき大蛇が、キラキラのウロコみたいなお洋服を着たハンサム青年に変身、二人は結ばれるのでありました。そんなこんなで、蛇の優しさと蛇男のハンサムさに、妻はすっかりホの字に。昼は大蛇を抱いて愛しく語り合い、夜は人間に変身した彼に抱かれるという幸せな日々が。
 とことが、娘はそれが面白くない。まあ、ママが蛇と浮気しているわけだし、しかも自分が、「今ならお父さんは家にいないよ」と、蛇に報せに行く役をやらされているもんだから、無理もないです。そうこうしているうちに、ママのお腹が膨らんできた。ひぇ〜、蛇の子を妊娠しちゃったの!?

 さて、一方ここは、町に住む金持ちの家。
 いかにも財産目当ての親族関係でドロドロしていそうな状況で、本家の奥様がご懐妊。それを知った分家の奥様はキーッとなって、「自分も子宝が欲しい!」と魔女の家に行きます。
 その頃村では、帰ってきた夫が、妻が妊娠していることに気付き詰問する。何とかごまかしていた妻だったが、そこで娘の裏切りが。「ママは蛇と浮気してる」とパパにチクったもんだから、夫は怒りに燃えて蛇を叩き殺し、しかもそれを料理して妻に喰わせてしまう。
 愛する恋人を殺され、しかもその肉を食わされて悲しむ妻を、夫は言葉優しく騙して河原に連れ出し、そこで豹変、「浮気者を成敗してやる!」と、鎌で斬りかかる。哀れ妻は、抵抗空しくボテ腹を鎌で切り裂かれ絶命。すると腹の中から、大量の子蛇がニョロニョロと!
 怒りと恐怖に燃えながら、夫は子蛇を鎌で切り刻んで行くが、そのとき濡れた岩で脚が滑り、転倒したはずみに鎌が腹にブッスリ! そこに娘もやってきて、パパとママが血まみれで死んでいるのを見て、「うえ〜ん!」と泣いたはずみに、これまた脚が滑って後頭部をゴツン、可哀想に、これまた死んじゃいました。
 後に残されたのは、一匹の子蛇だけ。そこに旅の僧侶が通りかかると、何と子蛇が、僧侶の見ている前で人間の赤子に変身! 何かを悟り、哀れに思った僧侶は、赤子に変身した子蛇を抱いて、森の中に消えるのでありました……。

 え〜、ここまでが導入です。本筋は、こっから後。
 今回は、このまま結末まで続けちゃうんで、ネタバレがお嫌な方は、次の段はスルーでヨロシク。

<ここから↓>
 さて、数年後。
 蛇と人間の間に生まれた娘は、可愛く成長したものの、何と姿は人間なれど、髪の毛が無数の蛇というメドゥーサみたいな姿。養い親の僧侶に「おじいちゃん、この頭をフツーにしてよ〜」と泣くと、僧侶は「大人になったらフツーになるからね」と諭す日々。
 そんなある日、蛇少女は蛇の生えた頭を頭巾で隠し、河に遊びに行きます。するとそこには、三人の人間の子供が。一人は、例の町の金持ちのところに産まれた跡取り息子。残る二人は、魔女の助けで分家に産まれた娘と、その兄。
 同い年の子供を見た蛇少女は「遊ぼうよ」と声を掛けるが、性格の悪い分家の娘は「アンタみたいな汚い子とは遊ばないわ!」と、むべなく拒絶。優しい本家の息子が、蛇少女を庇おうとしたとき、分家の娘が「何よ、この汚い頭巾は!」と、蛇少女の頭の布をむしり取ってしまう。
 髪の毛の代わりに現れた、無数のウジャウジャ動く蛇を見て、子供たちはパニック! 可哀想な蛇少女は、森の中に帰ってしまいました。
 そして、十数年後。
 美しい娘に成長した蛇少女は、これまたハンサムに成長した本家の息子が、滝壺に落ちてしまったのを救います。ハンサム青年に惹かれた蛇娘は、約束どおり育ての親の僧侶から「頭の蛇を髪の毛に変える指輪」を貰い、本家の息子も、命の恩人である美しい黒髪の娘に惹かれます。
 やがて二人は愛し合うようになり、本家の息子は僧侶に頼み、蛇娘を自分の家に連れて帰ります。死んだと思っていた息子が帰ってきて、本家の主は大喜びですが、面白くないのは、いずれは本家に嫁入りするつもりだった分家の娘と、その親兄弟たち。
 分家の連中は、この余所者の娘をいびって追い出そうとするけど、上手くいかない。仕方なく、また魔女に助けを求めにいくが、指輪を通じて僧侶が蛇娘を助けてくれるので、これまた失敗。結婚相手をとられそうでヒスを起こす分家の娘と、本家の財産を狙う腹黒い母親のイライラは募るばかり。
 そんな時魔女が、娘が蛇の化身だと看破する。「娘の処女を奪えば、蛇の姿に戻る!」それを聞いた分家の母は、息子に「アンタ、あの娘をレイプしちゃいなさい!」と命令。ノリノリで蛇娘に襲いかかった分家の息子ですが、そのとき指輪が消えて、娘の髪の毛は蛇に変身! 「ひょえ〜っ!」と逃げ出した分家の息子を、小さな蛇がカプリ! 哀れ分家の息子は、頓死してしまいます。
 一方、本家の息子は、自分が態度をハッキリさせないのもいけないんだと、分家の娘に「君と結婚するつもりはない!」と名言して、改めて蛇娘に愛を告白。蛇娘も喜んで、彼を寝室に迎え入れます。
 こうして結ばれた二人でしたが、しかし朝になると、娘の手に醜いウロコが!
「言いつけ破って婚前交渉しちゃったから、あたし蛇に変身しちゃう、助けて、おじいちゃ〜ん!」と、蛇娘は泣いて森に戻ります。「おじいちゃんがきっと何とかしてやるから」と、僧侶が祈祷を始めたところに、そうはさせじと、分家の母娘が魔女を連れてやってくる。
 掌から怪光線を発射して、僧侶を攻撃する魔女! 僧侶も負けじと、光線を撃って対抗! 熾烈な戦いの後、僧侶は、何とか魔女を倒すことはできたけものの、自分ももう虫の息。あわれ、蛇娘が蛇に変わってしまうのを止めることができる者は、もういないのか?
 すると、そこに一条の光が迸り、現れたのは蛇娘の父親である、キラキラ服のハンサムな蛇男! 蛇男と僧侶は力を合わせて、娘に向けて救済光線を発射!
 こうして、蛇娘が人間の娘となったところで、蛇娘を連れ戻しにきた本家の息子と再会、愛し合う二人はしっかり抱き合い、その傍らで、悪い分家の嫁は蛇にカプリとやられて頓死しました、ってことで、めでたしめでたし。
<ここまで↑>

 とゆー具合で、モノガタリとしては、いかにも民話的な自由さが横溢していて、かなり楽しかったです。
 映画としては、まあ、チープっちゃあチープです。もちろん、ホラー的な怖さは皆無だし、かといって文芸的な滋味があるかといえば、これまたナッシング。チープさの方も、度を超してヘンテコって程でもないかなぁ。でも、クライマックスに超能力合戦が始まったときは、けっこうビックリした(笑)。
 でも、一番ビックラこいたのは、蛇娘の頭の特殊メイク。ちゃんと蛇がウネウネと動き回っていて、しかもリアルなもんだから、「やけに良くできたCGだなぁ」とか思ってたら、前述のWikipediaに「CGではなく、生きた蛇を接着したキャップをかぶっている」と書いてあって、もうヒョエ〜であります(笑)。そりゃ、リアルなわけだ……。
 個人的には、全体のユル〜いムードはけっこう好きだし、物珍しさも手伝って、なかなか新鮮な気持ちで見られました。
 ロマンティックなシーンで流れる、カンボジア演歌といった味わいの、何ともノンビリしたいなたい音楽(タイのルークトゥンみたいな感じ)は好きだし、脇の役者さんたちの、フツーの映画的な演技とは完全に違う、セリフがない間もひっきりなしに「フゥ〜ン」とか「ンフゥ〜ン」とかいった、溜め息のような鼻にかかった声を上げて身をくねらせる芝居も、何だか「ああ、カンボジアの民衆芝居って、こんなカンジなのかなぁ」なんて感じで面白かったし。
 あと、ウン十年振りの映画制作ということで、いかにも「カンボジアを宣伝せんかな&海外に売らんかな!」ってな感じで、アンコール・ワットがドッバ〜ンと出てくるのも楽しかったなぁ。
 タイトルバックからしてアンコール・ワットなんですけど、劇中でも、しっかり本家の息子が蛇娘とアンコール・ワットでデートするシーンってのがあって、しかもその際、本家の息子が彼女に遺跡について説明するという設定で、まるで観光ガイドみたいな内容をペラペラ喋ったりするもんだから、何だか映画の中に、いきなりカンボジア政府観光局制作のスポットCMが入ったみたいだった(笑)。

 で、私のお目当てだったWinai Kraibutr君はというと、もちろんハンサムに成長した本家の息子の役。
 そして、蛇娘に助けられてしばらく一緒に暮らすシークエンス中の、河で全裸で水浴びをしているところを蛇娘に見られて、あわてて手で前を隠すとゆーシーンで、
「ケツ見せ、キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!」
だったので、もう大満足(笑)。
 しかしまあ君も、ワニと結婚したり蛇と結婚したり幽霊と結婚したり、大変だねぇ(笑)。

つれづれ

 タコシェの中山さんからフランス土産で、毎年発売されているフランスのラグビー選手のヌード・カレンダー、“Dieux Du Stade”の2010年版を戴きました。このブログでも以前に、SMっぽかった2008年版をここで紹介していますが、今回でもう10周年だそうな。
 2010年版のカメラマンは、トニー・デュラン(Tony Duran)という人。コマーシャル・アート全般にイマイチ興味を失ってから久しい私には、ちょっと聞き覚えのない名前だけど、ファッション・フォトグラファーとしては有名なのかも。今度、現役のアート・ディレクターやってる友人に聞いてみよう(笑)。
 写真の方は、極めて口当たりの良いピンナップ系。あまり、これといった特徴は感じられないけど、逆にクセやアクもないので、カレンダーとして壁に掛けておくには、丁度いい内容かも。ひたすら、美しい筋肉を身に纏ったスポーツ選手の、セクシーでキレイなメールヌード写真のオンパレード、といったカンジです。
 ソロやらデュオやらトリオやら、凝ったポーズやら変わったシチュエーションやらもありますが、個人的に最も目を惹かれたのは、ここいらへんの「シンプルなメールヌード+ラグビーボールだけ」というシリーズ。男の裸ってのは、何もせずただそこに在るだけで、それだけで充分美しいもんであります。
 ああ、それと今回は、四つ折りのポスターもオマケで付いてました。ただでさえデカいカレンダーなので、ポスターを拡げるとかなりの迫力。
 日本での入手先は、残念ながらちょっと判らず。
 現在発売中の雑誌『映画秘宝』12月号の、大西祥平さんの連載コーナーで、拙著『髭と肉体』を紹介していただきました。ありがとうございま〜す。
 同誌に載っている大西さんのもう一つの連載「評伝・小池一夫伝説 Returns」も、毎回毎回読むのが楽しみなんですけど、え〜、私まさに、『実験人形ダミー・オスカー』って、絵やシーンは良く覚えているけど、んじゃいったいどーゆー話だったのかが判らない……ってなパターンです(笑)。とゆーわけで、来月の後編が楽しみ!

映画秘宝 2009年 12月号 [雑誌] 映画秘宝 2009年 12月号 [雑誌]
価格:¥ 1,050(税込)
発売日:2009-10-21

 そう言えば、この『ダミー・オスカー』が連載されていた頃の『GORO』に、確か西村寿行の『去りなんいざ狂人の国を』が連載されていたんじゃなかったっけか。オンナノコのヌード写真やフツーのエッチ記事はそっちのけで、この小説でコーフンしまくった記憶があって、しかもそれが西村寿行との初邂逅だったような気が。
 寿行センセなくしては今の田亀源五郎はいない、ってなくらい、私にとっては、セクシュアルな意味でトラウマ級の作家さんなので、この『去りなん…』も、ものごっつうオカズにさせていただきました。
 特に後半の乱痴気パーティーのシーンでの、「マフィアのボスを全裸にして、肛門にローソクを立てて人間燭台にして辱める」とか、「捕らえた刑事二人(だっけか?)に、相互ホモセックスを強要する」シーンなんか、未だに思い出すだけでムラムラくる(笑)。

去りなんいざ狂人の国を (角川文庫)
価格:¥ 652(税込)
発売日:1981-01

 デアゴスティーニの『三代怪獣 地球最大の決戦』購入。
 例によって、隣の相棒の「この人は、往年の大スターだよ」とか「この人は、東映時代劇の悪役ばっか演ってたんだよ」とか「この人は、国策映画で銃後の母を良く演っていたんだよ」とかいったオーディオ・コメンタリー付きで鑑賞(笑)。
 ガキの頃は、とにかく特撮と怪獣プロレスに夢中だったけど、改めて見ると、テレビのチャンネルを変えるために、夏木陽介の身体を跨ぐ(ってか覆い被さる)星由里子……とかゆー、些細な日常リアル演出が良いな〜、なんて感じたりして。
 二号続けて買っちゃったけど、次回の『海底軍艦』は、既にDVDを購入済みなのでスルー。
 いつものようにタバコをカートンで買ったら、こんな箱で渡されてビックリ(笑)。

“Taras Bulba” 『隊長ブーリバ』2009年版

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“Taras Bulba” (2009) Vladimir Bortko

 前に「気になる」とティーザー・トレイラーを紹介した、ゴーゴリの『隊長ブーリバ(タラス・ブーリバ)』のロシア版新作映画。
 前は「TV映画らしい」と書きましたが、劇場公開作(それもかなりの大作)でした。公式サイト(ロシア語)はこちら
 今回、英語字幕付きロシア盤DVD(米amazonで購入可能を入手したので、目出度く鑑賞(笑)。

 ユル・ブリンナー主演の62年版は、面白いんだけど、実はゴーゴリの原作とはかなりかけ離れた内容(ユル・ブリンナーの映画を先に見た私は、後から原作を読んで、その余りの違いにビックリギョーテンいたしました)だったのに対して、今回のロシア版は、かなり原作通りの内容です。
 原作に忠実ということを基本にして、そこに必要最小限のアレンジやトッピングを加え、それを一大視覚絵巻として見せる……といったスタンスの作品なので、原作既読者ならばお楽しみも倍増でしょう。じっさい私も、映画観賞後に小説を再読してみたら、かなり細かなディテールまでフォローされていて驚きました。

 物語の舞台は、15世紀から17世紀にかけて、ポーランドと戦闘状態にあったウクライナ。
 ウクライナ・コサックの老勇者タラス・ブーリバの家に、キエフの大学で学んでいた二人の息子、オスタップとアンドリイが帰ってくる。立派な若者に成長した息子たちを、更に一人前のコサックにするために、ブーリバは二人をザバロジエ(地名)のセーチ(軍事共同体村落のようなもの)へと連れていく。
 セーチでのコサックたちの荒々しく好戦的で、しかし自由闊達な暮らしぶりが描かれる中、ポーランドのウクライナへの侵攻の報がもたらされる。コサックたちは軍を挙げ、やがてポーランド軍が立てこもるドウブノを包囲する。しかしドウブノには、次男坊アンドリイがキエフ時代に恋に落ちた、ポーランド人の美女がいた。
 こういった状況を背景に、ブーリバと長男オスタップとの親子の絆や、次男アンドリイと敵の美女の恋愛、そしてブーリバとの相剋などが、叙事詩的に描かれます。

 映画としては、ゴーゴリの原作同様に、祖国愛や男の生き様といったテーマをストレートに謳いあげた、極めて力強い作品。
 反面、19世紀中頃に書かれた小説に忠実であるがゆえに、21世紀に制作された映画として見たときには、いささか「問題」が生じている感もあります。その一例として、この映画が「プロパガンダではないか?」という批判が出てしまったようですが、これに関しては後述します。
 まあ、良くも悪くも原作に忠実で、下手に現代的な視点で「解釈」して「翻案」したり、或いは、リスクを恐れて「無難」にしたり、マーケティング的な理由で「迎合」したりといった、「配慮」めいたものが殆ど見られないので、表現手法としては、昨今のロシア製大作映画同様に、ハリウッド的なそれなんですが、内容的には、ハリウッド映画とは違った魅力がタップリ。
 映像的には、エピック的なスケール感がバツグンで、セットもモブも質量ともに充分以上です。
 そもそも風景からして雄大なわけで、そんな地平線を生かしたワイド画面の中を、騎馬のコサックの大群が駆け回る絵面は、もうそれだけでも一見の価値はあり。
 スペクタクル・シーンであるドウブノ攻城戦は、カメラがCGI的なアクロバティックな動きをしないことや、CGIもおそらくほとんど使われていない(使っているのは爆発シーンくらい?)せいもあって、いかにも物量タップリの肉弾戦といった迫力があります。そんな中で、兄オスタップが城壁に引っかけた鉤縄を、弟アンドリイが上から落とされる石をよけながらよじ登り、兄が城壁から落とされてしまったところを、弟が腕を掴んで助ける……なんてドラマが描かれると、もう見ているこっちも燃えまくり(笑)。
 野戦シーンは、徹底してリアリズム準拠の血生臭さ。胸は撃たれるは、喉はかっ切られるは、槍はブッ刺さるは、首は飛ぶは……ってなシーンが、血糊も特殊メイクもふんだんに繰り広げられます。迫力はもちろん、オッカナイや痛いもタップリ。そんな中で、原作準拠の叙事詩的なセリフの様式美も再現されるんですが、ここは嬉しい反面、様式美とリアリズムの間に齟齬も生じている感じ。これに関しても後述。

 血生臭いといえば、後半のワルシャワでコサックたちが処刑されるシーンも、かなりのものです。四肢の切断、鉄釜に入れて焼き殺し、粉砕刑の後に鉄鉤吊るし……といった処刑の数々は、気の弱い人は見ないが吉。責め場っつーより惨殺場なので、見る人を選ぶとは思いますけど、個人的にはかなりの高ポイントです。
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 で、その中に原作小説でも白眉の感動シーン(本を読んだとき、私はここで泣きそうになった……)があるんですが、映画でも、役者の力強い演技も相まって、オッカナくて痛いながらも、同時にド感動という、メル・ギブソンの『ブレイブハート』もかくやという名場面に。もう一つ、火刑のシーンもありますが(小説をお読みの方なら、どういうシーンだか判るはず)、これまた雄大な風景をたっぷりと生かした絵面といい、交わされるセリフといい、やはりなかなかの感動シーンに。
 なんかね〜、ここいらへんは思っくそツボを突かれてしまった感アリで、もう「ひぃ〜!(怖)」で「おぉ〜!(涙)」で「きゃ〜!(♥)」ってなカンジでした(笑)。視覚的な残酷美というより、状況やセリフも含めた「無惨の美学」に、もう心が鷲掴みに。
 もちろん、ロマンティックだったりビューティフルだったりクワイエットだったりするシーンも多々あるんですが、そっちは割と標準的な出来なので、どうしても激しいシーンの方が印象に残っちゃうかなぁ。

 役者さんは、いずれも好演。
 タラス・ブーリバ役のボグダン・ステュープカは、『ファイアー・アンド・ソード』や、『THE レジェンド 伝説の勇者』などに出ていた人で、どうやらウクライナ人の役者さんらしいです。
 ユル・ブリンナーとは全くイメージが異なりますが、これはそもそもユル・ブリンナー版のタラス・ブーリバが、原作小説とはかけ離れたキャラクターのせいで、このボグダン・ステュープカ演じるタラス・ブーリバは、老いてなお勇猛な肥大漢という、原作通りの人物です。威厳と荒々しさを併せ持ち、時に悲哀も覗かせながら、文句なしの好演。
 オスタップ役のウラジーミル・ウドヴィチェンコフは、『バイオソルジャー』なる映画に出ているようですが、私は今回が初見。男っぽい顔立ちと立派な体格を生かして、これまたかなりの好演。
 アンドリイ役のイゴール・ペトレンコは、『ウルフハウンド 天空の門と魔法の鍵』にも出ていましたが、その後に見た同じニコライ・レペデフ監督の『東部戦線1944』(あんまりな邦題で損をしていますが、なかなか心に染みる佳品。今なら500円DVDで買えるし、恐ろしすぎる名作『炎628』の、あの少年が成長して出演もしているので、ロシア映画好きにはオススメの一本)の方が印象深い。ナイーブさのある二枚目なので、これまた役柄に良く合っていて好演。
 アンドリイが恋に落ちるポーランド美女役は、ポーランド版『クォ・ヴァディス』でヒロインのリギアを演じていたマグダレナ・ミェルツァシュ。8年経って娘らしさは少し消えましたが、相変わらずの「男好きがする」系美人さん。今回はオッパイも披露。
 脇を固める連中も、コサック連中はいかにもそれらしげな、味わい深い顔つきをしたアンチャン、オッサン、ジイチャンが勢揃いで、画面の説得力を高めるのに大いに一役買っております。
 ただ、コサック側にしろポーランド側にしろ、独特のヘアスタイルとヒゲの形の印象がキョーレツ過ぎて、ちょいと誰が誰だか判んなくなるきらいはあり。IMDbを見ると、『パン・タデウシュ物語』と『THE レジェンド 伝説の勇者』で印象深かったダニエル・オルブリフスキーも出てたみたいなんだけど、正直どの役だったか未だに判らない(笑)。

 そんなこんなで、映画(や小説)の軸である「男らしさ」や「○○魂」や「愛国心」に拒否反応がある方や、血や野蛮が苦手な方は、正直なところパスした方がいいと思いますが、個人的には大満足でした。
 YouTubeに新しい予告編があったので、下に貼っておきます。

 日本盤、出るといいなぁ……。

 因みに、原作小説はこちら。

隊長ブーリバ (潮文学ライブラリー) 隊長ブーリバ (潮文学ライブラリー)
価格:¥ 1,000(税込)
発売日:2000-12

 では、後述すると言った二つについて。

 まずはプロパガンダ云々の方。
 じっさいIMDbでも米amazonでも、そういった批判を読むことができますし、結果として評価も、最高点と最低点、共に多い。
 またゴーゴリ自身、ロシア文学の作家として知られてはいるものの、出身はウクライナだということも、ソビエトが崩壊してウクライナが独立した現在、ウクライナ・コサックに題を採りながら、ロシア魂を高らかに謳いあげているこの作品の評価に、影を落としている感じ。
 更にこの映画は、ゴーゴリの生誕200周年の年に、ロシア文化庁の後援によって作られた、ウクライナ映画ではなくロシア映画なので、プーチン政権下の現在だと、なおさら民族統一的なプロパガンダだという批判が起きても、ある意味やむなしといった感はあります。
 とはいえ、指摘されているような「ロシア魂」の強調は、ゴーゴリの原作自体にも色濃く見られる要素ですし、逆に、小説に出てくるポーランド人やユダヤ人への偏見(小説を読んでいると、たまに地の文で「この美人は、ポーランド女のつねで、軽率だった」とか「蛆虫のようにユダヤ人の魂にまつわりついている、黄金に対する不断の妄念」とかいった文章に出くわすので、ギョッとします)は、映画からは排除されています。
 特にポーランドに対しては、映画では小説にはないオリジナル・エピソードを加え、人物像を膨らましていたり、憎み合いから和合への示唆を入れたりしているので、私個人としては、プロパガンダ臭は感じませんでした。
 ただ、被抑圧者としてのコサックという像は、原作より映画の方が強調されており、同時に、コサック自体の残虐さ(原作では、ブーリバは復讐と弔いのために、ポーランド人の女子供まで、残酷な方法で惨殺する)は排除されています。おそらくこれは、政治的な意図というよりマーケティング的な要因だと思われますが、厳密な視点からすると、他であれだけ原作に忠実であるだけに、この変更は、完全にニュートラルな姿勢によるものとは言えない感じはしますね。

 次に、叙事詩的な様式美と映画的リアリズムの齟齬の方。
 映画と小説両方のネタバレを含みますので、お嫌な方は、これ以降はお読みにならないように!
 原作には劣勢に陥ったコサック軍にブーリバが「火薬はまだあるか? サーベルは鋭いか? コサック魂はまだ潰えていないか?」と呼びかけ、それに部下たちが一人ずつ「大丈夫です、コサック魂はまだ潰えておりません!」と答えながら、しかし刃に斃れていき、このやりとりが幾度も繰り返されるという場面があって、ここはかなりグッとくるシーンなんですが、これは映画でもそのまま踏襲されています。
 ただ、文章ならば良いんだけど、リアリズム準拠の映像でこれをやられると、何だか、ブーリバが呼びかけたせいで部下たちの動きが止まってしまい、その隙に殺されてしまうように見えてしまうんですな。
 それと、死んでいく男たちに対して、その一人一人の出自がナレーションで入るんですが、これも原作と同じではあるものの、映画としては、やはり不自然な感は否めない。また、そうやって情緒面を刺激された後、コサックたちが皆「ロシアに栄光あれ!」と言って死んでいくので、これも原作どおりなんですが、そこがよりプロパガンダ的な印象に繋がっている感はあります。
 もちろん、こうした齟齬だけではなく、逆に、原作小説の視覚的なアダプテーションとしては、感心させられる部分も多々あるので、そんなところも映画の大きな見所の一つなんですけど。