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“Chico & Rita (チコとリタ)” (2010) フェルナンド・トルエバ、ハビエル・マリスカル、トーノ・エランド

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“Chico & Rita” (2010) Fernando Trueba, Javier Mariscal & Tono Errando
(米盤Blu-rayで鑑賞→amazon.com、日本のアマゾンでも購入可能→amazon.co.jp

 2010年のスペイン/イギリス製長編アニメーション。1940〜50年代のハバナとニューヨークを舞台に、ピアニストと歌姫の恋模様をラテンジャズに乗せて描いたもの。監督はフェルナンド・トルエバ、ハビエル・マリスカル、トーノ・エランド。
 2011年のゴヤ賞やヨーロッパ映画賞の長編アニメ映画賞受賞作。日本では2011年の第8回ラテンビート映画祭で上映あり。

 キューバ、現代のハバナ。靴磨きの老人チコは、ラジオから流れてきた懐メロ番組に、自分の若い頃を思い出す。
 1940年代のハバナで、彼は駆け出しのジャズピアニストだった。ある日彼は、まだ無名の歌姫リタと出会い、その歌を聴いて、彼女こそが自分の求めていたパートナーだと感じる。そして幾つかのトラブルを経た後、二人はチコ&リタとしてコンビを組み、見事に成功を収め、そして恋におちる。
 そんな最中、リタにアメリカの音楽プローモーターから声がかかり、ニューヨーク行きを誘われるが、その中にチコは入っていないと知り、彼女はその申し出を断る。しかし、プロモーターとリタの中を邪推したチコは、嫉妬して泥酔し、昔の女とよりを戻してしまう。それを見たリタは、チコとの別れを決意し、プロモーターと共にニューヨークへ旅立つ。
 リタのことが忘れられないチコは、やがて友人のラモンと共に、何とか金を工面して、ニューヨークへと向かうのだが……といった内容。

 ロマンティックなラブ・ストーリーと、音楽映画としての魅力が合体した、大人向けのアニメーション。とにかくふんだんに使われる音楽の数々と、その活かし方が魅力的だった一本。
 音楽映画的には、ラテンジャズの隆盛という時代背景と絡めて、実際の事件や実在のミュージシャンたちも登場し、更にリタが作中でハリウッド入りすることで、クラシック映画ファン向けの擽りも仕込まれていて、上手い具合に虚実が合体している味わい。
 そういったロマンティックな世界の中に、人種差別やキューバ革命といったシビアな要素もさりげなく絡み、回想形式ということも手伝って、シンプルながらもストーリー的な牽引力もバッチリ。後半、ちょっと駆け足になるのが惜しいけど。
 ラブストーリーとしても、充分以上に魅力的ですが、ちょっと男性目線寄りなのが、気になる人には気になるかも。個人的には、ロマンティックで素敵だとは思いつつも、同時にちょっと引っかかる感も、正直あり。

 映像的には、省略の効いた大らかな感じがするキャラクター・デザインが、まず魅力的。特にリタが良かった。ハビエル・マリスカルのいつもの絵自体と比較してしまうと、いささかぎこちなく感じられる部分もありますが、それでも充分以上に健闘しているかと。美麗な色彩も見事。
 あと3Dと2Dが上手い具合に融合しているのも印象的。背景や小道具を描く、ラフさや歪みのある2D絵を、上手い具合に3D化して、映画ならではの動的な表現にしている印象。

 というわけで、クラシカルでロマンティックな大人のアニメーションといった味わい。音楽好きなら特にオススメ。
 因みにウチの相棒は、「下手な実写映画より数倍いい!」と絶賛していました。

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“The Painting (Le Tableau)” (2011) ジャン=フランソワ・ラギオニ

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“The Painting” (2011) Jean-François Laguionie
(アメリカ盤Blu-rayで鑑賞→amazon.com、日本のアマゾンでも購入可能→amazon.co.jp

 2011年のフランス/ベルギー製長編アニメーション映画。ジャン=フランソワ・ラギオニ監督。原題”Le Tableau”。
 絵画の中の世界をメタ的な手法も交えながら描いた、娯楽性豊かな大作。

 森に囲まれた古城を描いた一枚の絵。しかしその絵は未完のまま放置されたために、絵の中の世界では、完全に描き上げられた人物たちと、まだ色が途中までしか付いていない者、そしてラフな線画のデッサンどまりの人々といった具合に、階級社会が出来てしまっていた。
 完成品たちは夜な夜な古城で宴会を繰り広げ、描きかけたちは森の粗末な小屋に追いやられ、デッサンたちは不可触賤民のような扱いを受けている。
 そんな中、完成品のラモは描きかけのクレアと、禁じられた恋に落ちる。こうして城を追われたラモは、クレアの友人でやはり描きかけのローラ、仲間を酷い目に合わされたデッサンのプルームと一緒に、絵を完成させてもらうために、自分たちを描いた画家を探しに行くのだが……といった内容。

 まず、アイデアがユニーク。そしてそのアイデアを元に、絵の中の世界、絵の外の世界、他の絵の世界など、舞台を様々に横断しながら、プロットとテーマを膨らませていく、その工夫具合もお見事。ラストのオチも唸らされる。
 映像的には、基本的に絵画の中の世界ということで、筆のタッチなどを重視した美術全般に魅せられる。それと現実世界の対比も見事。キャラクター・アニメーションには3DCGを用いているものの、テクスチャーを上手く用いているので、さほど違和感もなし。
 このキャラクター・アニメーションに関しては、この監督の短編集が日本盤DVDで出ているので、それらのアナログな作品と比較してしまうと、いささかアニメーション的な滋味に劣ることは否めないけれど、反面ダイナミズムや娯楽性を獲得しているという利点もあり、全体として見ると、この選択は正解だという印象。
 そういった娯楽映画的なダイナミズムも、作品の大きな魅力となっており、とにかくストーリーが面白い。ユニークなアイデアとメタ構造を活かした作劇に、アクションやユーモアがふんだんに加わった結果、先が読めない面白さと作品的な深みが、上手いバランスで同居しているという感じ。
 加えて前述した美術の見事さ。繊細な色彩設計による美麗画面、二次元の絵画を三次元的に横断していく絵作りの面白さなど、もう全編通して目の御馳走。フランス近代を思わせる音楽も素晴らしかった。

 というわけで、「独創的で、綺麗で、面白い」という、三拍子揃った一本。メタ的な構造を上手く活かした面白さや、作品としての完成度の高さ、そして豊かな娯楽性という点では、作風は全く異なるものの、『LEGO®ムービー』に通じるものもある感じ。
 アニメーション好きなら、オススメの一本です。

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“Pit Stop” (2013) Yen Tan

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“Pit Stop” (2013) Yen Tan
(アメリカ盤DVDで鑑賞→amazon.com、日本のアマゾンでも購入可能→amazon.co.jp

 2013年のアメリカ製ゲイ映画。
 テキサスの田舎町を舞台に、それぞれ人生に行き詰まった感のある、ワーキングクラスのゲイ男性二人の諸々を、詩情を湛えて静かに描いたドラマ。

 テキサスの田舎町。荷物の積み卸しなどを行う肉体労働者のアーネストは、病院で昏睡状態にある元彼を見舞う日々。大工のゲイブは妻子のある身ながら、やはり妻子持ちの男性との不倫が発覚、男との関係を清算し妻とも離婚したが、娘のために妻子と同居を続けている。
 アーネストは自分の家に、既に関係の冷えた若いBFを居候させているが、その彼は独立して家を出て行くとは言うものの、なかなかその気配を見せない。意識の戻らない元彼に語りかけ、愛のない同居を続けるという、その停滞した日々に、アーネストは次第に焦燥感を募らせていく。
 ゲイブの元妻は、彼女に好意を寄せている職場の同僚とデートをするが、歯車がいまいち噛み合わず、元夫との過去の平穏な生活を懐かしむ。そんな彼女をゲイブは優しく受け止めるが、自分を欲しいかという彼女の問いに、イエスと答えることはできず……といった内容。

 良い作品でした。
 ゲイ・コミュニティやゲイ・シーンなどとはほぼ無縁の、アメリカの田舎町に暮らすゲイたちと、その周辺の人々の姿を、作為的なドラマや説明的なセリフを排して、淡々としながらも情感豊かに、そして極めて自然な空気感で描いています。
 何と言う事はない日々の描写と、散りばめられた日常会話が積み上げられることで、メイン二人のみならず、その周囲の人々も含めて、それぞれが置かれた状況や、その複雑な心境が浮かびあがってくる……という構成で、なかなか見応えがあります。
 ドラマとしては、とりたてて何か事件が起きるわけではないんですけど、描かれるエピソードのディテールや、感情の細やかな襞を描く描写などを見ているだけでも充分面白く、それと共に各キャラクターへの愛着や感情移入も増していくという塩梅で、ここいらへんは実に上手い。
 モチーフ的には、けっこう重かったり閉塞感もある状況なんですが、全体の柔らかな雰囲気や、上手い具合に挿入される箸休め的な描写によって、作品として重くなり過ぎていないのも佳良。
 アメリカものとしては珍しく、日本のゲイ状況と似た部分が多いのも興味深いポイント。

 メインキャラクター二人が、どちらも三十代半ばの中年男性だというのも効果的。人生を長く過ごしている分、様々なしがらみも生じており、若い人のように全てを精算してやり直すとか、この田舎町を出て行くといった選択肢が難しいことが、若い元BFとの対比もあって、より良く浮かびあがってきます。
 また、メインの二人のみならず、元BF、元妻、元妻に好意を寄せている彼女の同僚、ゲイをオープンにしていないゲイブに対して、ひょんなきっかけから接近してくる、やはりクローゼットの中年ゲイ男性……といった、周囲の人々の姿や思いなども、ちょっとしたエピソードやセリフの端々で見えてくるのも魅力的。
 つまり、メインのフォーカスはアーネストとゲイブの二人ではあるけれど、彼ら同様に他の人々も皆、それぞれが大小様々な悩みや思いを抱えており、それぞれにドラマがあるという感じ。そしてメインのゲイ由来のドラマも、そんな「世の中に普通にある光景」の1つという感じ。

 ちょっと情緒に流れがちな傾向はあるものの、演出や撮影のクオリティは高く、役者の演技も文句なし。作為や予定調和は排しながらも、仄かなロマンティシズムを秘めた予感で幕を引く、その後味も上々。
 というわけで、丁寧に作られた良作でした。単館系の映画が好きな人にオススメできる一本だと思います。

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“Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela” (2013) サンジャイ・リーラ・バンサーリ

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“Goliyon Ki Raasleela Ram-Leela” (2013) Sanjay Leela Bhansali
(インド版Blu-rayで鑑賞→Bhavani DVDラトナ・ボリウッド・ショップ

 2013年のインド/ヒンディ映画。『ミモラ』、”Devdas”等のご贔屓、サンジャイ・リーラ・バンサーリ監督作品。ロミオとジュリエットをベースにした、絢爛豪華&濃厚な恋愛もの。

 北インド、グジャラート地方にある砂漠の中にぽつんとある、露天で公然と銃器が売買されているような、きなくさい村。その商売と村の覇権は、代々対立し合ってきた二つの一族、ラジャリ家とサネラ家に握られている無法地帯だった。
 そんな中、祭の日に、ラジャリ家の次男坊ラムと、サネラ家の一人娘リーラは出会い、運命的な恋に落ちる。しかし二人の仲を周囲が許すはずもなく、リーラの母でサネラ家の強面女当主や、ラムとリーラそれぞれの兄たちを巻き込み、裏切りや陰謀も交えた抗争劇に…という内容。

 インドの古典小説を題材に、インド的豪奢と華麗の極みを尽くした”Devdas”、『奇跡の人』の翻案をミュージカル場面なしで描いた、感動シリアス劇の傑作”Black”、興行的には失敗したけれど、個人的には高評価のドストエフスキー『白夜』が下敷きの意欲作“Saawariya”、等々、優れた作品を連発しているバンサーリ監督。今回も期待を裏切らない出来映え。
 そういった過去作品と比べると、テイスト的には”Devdas”に最も近いです。激情の恋愛譚を綴る濃厚なドラマと、それを彩る豪華絢爛な美術、そして溜め息が出るような色彩美に酔わせてくれる一本。
 ただ”Devdas”がオーセンティックで格調高いムードであったのに対して、今回はそこにクライム映画的な要素が加わることによって、猥雑さやポップ感が増した印象となっており、そこいらへんがまた違った新たな味わいに。
 ロミオに相当するラムは、ビデオ屋でポルノDVDを販売しているような男だし、ジュリエットのリーラも、平然と銃を構えたり自分から男の唇を奪うような強い女。そんな二人が激情の純愛に落ち、シェイクスピア譲りのクラシカルな恋愛劇を見せるという、その対比の妙味。
 そんな二人の激情も濃厚ならば、ドラマの展開も濃厚、そして画面も絢爛豪華にして濃厚展…と、諸要素がピタリと一致しているのも大成功。
 監督の作家性という意味では、過去作に良く見られたような、既成概念に疑問を呈し新たな価値観を提示するといった方向性は、本作に関しては希薄ですが、しかしそれもまた、ストレイト・アヘッドな魅力となっている感じ。
 テーマ的な冒険がない分、破綻もなく完成度が高い印象。

 ラム役のランビール・シン、期待上げた肉体を惜しげもなく晒し、ロマンスのヒーローでありながら、ふてぶてしさも併せ持ったキャラとして、もう文句なし。初めてこの人を見た“Band Baaja Baaraat”と比べると、驚くべき成長ぶり。
 リーラ役のディーピカー・パードゥコーンの演技も見事で、これまた初めてこの人を見た『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』と比べると、美貌はそのままに演技の幅がグッと拡がっている感じ。
 サネラ家の女ボスやリーラの兄嫁といった、サポート陣の役者さんたちも、存在感も演技も共にバッチリ。特に兄嫁さん、“Gangs of Wasseypur (血の抗争)”に引き続き印象的に残ります。
 ミュージカル場面も、豪華絢爛なセットとガッツリ群舞で、ばっちり見所を作りつつ、しかもドラマからも浮いていない、相変わらずの手腕の確かさ。更にゲストで、某スター女優が登場するというお楽しみも。

 シェイクスピア劇との比較という点では、基本の構造は『ロミオとジュリエット』に則りながら、前半は比較的忠実に展開をなぞっています。とは言え、キャピュレット家当主に相当する存在は前述したように女ボスになっているし、ティボルトに相当する役はジュリエットの従兄から兄に、ジュリエットの乳母的な役回りは兄嫁に、モンタギュー家の方も、マキューシオに相当する役がロミオの兄になっていたりと、キャラクターのアレンジはかなり自由。
 そして後半からは、展開も含めてかなり自由な翻案となります。ロレンス修道僧に相当する役回りのキャラはいませんし、パリスに相当するキャラもなし。クライマックスも、原典とは全く違う展開を見せつつ、更にそこに親子の情愛などの要素が盛り込まれています。
 また全般に渡って、シェイクスピア劇の台詞を踏襲することもなく、全体のアレンジ具合を見ると、『ウェスト・サイド物語』の方に近い印象。特に《ジュリエット/ティボルト/乳母》を《リーラ/リーラの兄/兄嫁》にアレンジしている部分は、展開も含めて『ウェスト・サイド物語』の《マリア/ベルナルド/アニタ》を踏襲しています。
 こういった過去作品からの引用は、これまでのバンサーリ作品でも良く見られるパターン。一例を挙げると、”Saawariya”で原作『白夜』にはない娼婦のパートがあるのは、おそらくヴィスコンティ版『白夜』からの引用だったし。

 というわけで、『ロミオとジュリエット』をソースにしつつ、そこに同じく『ロミオとジュリエット』の翻案である『ウェスト・サイド物語』も盛り込み、クライムドラマならではの展開や味付けも加えて(これはひょっとしたらディカプリオ版からの影響もあるのかも知れませんが、浅学ながら未見なので比較できず)、クライマックスではしっかりオリジナル展開を見せつつ、しかしテーマは原典を外さないという内容。
 そしてとにかく美麗で豪華絢爛。溢れる色彩美とその物量は、ホント目の御馳走。激情の恋愛映画にして、味わいも濃厚。文句なしにオススメできる一本です。

“The Camp on Blood Island” (1958) Val Guest

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“The Camp on Blood Island” (1958) Val Guest
(イギリス盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 1957年制作のイギリス(ハマー)映画。二次大戦時、東南アジアの島にある日本軍の戦争捕虜収容所で、サディスティックな所長に苦しめられる連合軍捕虜たちを描いた、戦争エクスプロイテーション(?)アクション映画。
 監督は同じくハマー・プロで『原子人間』『宇宙からの侵略生物』などを撮ったヴァル・ゲスト。

 東南アジアのとある島にある、日本軍の戦争捕虜収容所は、サディスティックな所長ヤマミツ大佐とその部下サカムラ大尉に支配されており、連合軍の捕虜たちは暴虐と飢えと疫病に苦しんでおり、今日もまた、脱走を図った一人の捕虜が銃殺された。
 捕虜たちのリーダーであるランバート大佐に、民間人(多分)で近くの女性捕虜収容所に妻と子供もいるビーティは、サボタージュなどはせずに日本軍と穏やかに交渉すべきだと言うが、ランバート大佐はそれを是としない。
 実はランバート大佐は、他の捕虜には内緒で、オランダの民間人捕虜ヴァン・エルストと一緒に、密かに無線機を組み立てていた。そしてある日、日本軍の壊れた無線機の修理部品が到着し、ヴァン・エルストはそれを盗みに行く。
 そしてある情報を得たランバート大佐は、ビーティら他の捕虜たちに、自分の計画を打ち明ける。それは、過去にも捕虜虐待で問題を起こしているヤマミツ大佐が、もし日本が負けたときには、証拠隠滅のために捕虜全員を虐殺して、この収容所を無に帰そうとしているということだった。
 そして何と、戦争は既に2日前に日本の降伏で終わっており、ヤマミツ大佐らは無線が故障しているために、その事実を知らずにいたのだった。ランバート大佐とヴァン・エルストは、虐殺を避けるためにそれを日本軍に知らせまいと暗躍していたのだった。
 しかしそこに米軍の飛行機が墜落し、パラシュートで脱出した米兵ベラミー中尉が捕虜になってしまう。終戦を知っている彼の口から、果たしてその事実はヤマミツ大佐に知られてしまうのか、そして捕虜たちの運命は……? といった内容。

 50年代のB級映画ということで、ヤマミツ大佐(ロナルド・ラッド)もサカムラ大尉(マルネ・メイトランド?)も、およそ日本人には見えないとか、この二人を筆頭に他の日本兵の喋る片言の日本語もシッチャカメッチャカだとか、まぁおかしな所はあれこれあります。また、ベラミー中尉の乗る飛行機の飛来〜撃墜〜脱出を効果音だけで描くとか、いかにも安い部分もあれこれ。
 ただ、ストーリー自体は、そこそこ上手くひねりを入れてあったり、展開にもあれこれ工夫があるので、当初想像していたよりはけっこう面白く見られました。
 軍人やら医者やら神父やら、キャラクターも色々と取り混ぜて良く立ててあるし、前半は収容所内のドラマ、中盤にチェンジ・オブ・ペースを入れ、後半は秘密作戦&少人数での脱出行などをあしらい、クライマックスは銃撃戦という構成も、娯楽映画的に手堅くて佳良。
 惜しむらくは悪役二人の最後が、エモーショナルな要素を加味してはいるものの、イマイチあっけなくて盛り上がらないのと、ラストも、まぁ流れとしては判るんですが、これまたイマイチあっけないところ。原因は、肝心のヒーローであるランバート大佐のキャラが、さほど立っていないあたりにありそう。

 残酷な日本人描写に関しては、まぁそこそこ。嫌な感じに描かれてはいますが、でもそれほど酷くもなく「う〜ん、戦時中はこれくらいのことはしてたかもねぇ」という感じ。収容所が舞台のせいか、それほど珍妙な日本文化描写も見られなかったし。
 当時のロビーカード等ヴィジュアル資料を見ると、日本刀による斬首のシーンがフィーチャーされていますが、劇中での描写自体は比較的あっさり。残酷さやエグさよりも、斬首人を演じるミルトン・リードというプロレスラーの、上半身裸の見事な肉体の方が印象に残るくらい。
 そっち系の興味で言うと、捕らわれたベラミー中尉(フィル・ブラウン)がシャツを脱がされて、ヤマミツ大佐に鞭打たれるシーンがありますが、これも描写自体はあっさりながら、事後の背中のミミズ腫れの様子がけっこういい感じ(笑)でした。

 DVDはイギリス盤。フィルムの状態は良く、オリジナルのシネスコ(正確には『メガスコープ』だそうですが)をスクイーズ収録、英語字幕もあり。付随のブックレット(24ページ)には写真や解説も盛り沢山の、とても良心的な仕様。
 そんなこんなで、キワモノを期待しちゃうと、意外にマトモなので裏切られるとは思いますが、本国でも70年代に何度かTV放送があって以降はソフト化されていなかったカルトものらしいですし、『空飛ぶモンティ・パイソン』がこの映画に影響を受けている云々もあるそうなので、興味のある方はどうぞ。
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 The Camp on Blood Islandで画像検索すると、こんな感じで、やはりやたらにプロレスラー斬首人のヴィジュアルが目立ちます。なかなかいい身体でしょ?

“In A Glass Cage (Tras El Cristal)” (1987) アグスティ・ビジャロンガ

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“In A Glass Cage (Tras El Cristal)” (1987) Agustí Villaronga
(米盤Blu-rayで鑑賞→amazon.com

 1987年のスペイン映画。かつて少年相手に拷問殺人を繰り返し、今は寝たきりとなった元ナチスの男と、彼の妻と娘、そして家に入り込んできた美青年を巡る、トラウマ必至のアート系サイコスリラー映画。
 監督は『月の子ども』『ブラック・ブレッド』のアグスティ・ビジャロンガ。

 中年男クラウスは、元ナチスで収容所の少年相手に生体実験を行い、戦後も少年を拷問殺害してきた小児性愛者のサディストだが、落下事故によって身体が動かなくなり、ガラスの棺桶のような延命装置に入っていなければ呼吸もできない状態になっている。
 クラウスの妻でスペイン人のグリセルダは夫の看護に疲れ果てていて、娘レナにも当たり散らす状態。クラウスの屋敷は人里離れた田舎にあり、3人の他は通いの家政婦が訪れるだけ。
 そんな中、看護士を名乗るアンジェロというハンサムな青年が、クラウスの世話をすると言って唐突に屋敷にやってくる。しかし、アンジェロのことを怪しんだグリセルダが彼を試すと、実は彼は簡単な注射すら満足に出来ないということが判る。
 グリセルダはアンジェロを家から追いだそうとするが、なぜかクラウスは彼に留まって欲しいと望む。しかし、その理由を明かそうとしない夫に、グリセルダは不信感とストレスを溜め込んでいく。また、娘のレナはハンサムなアンジェロに懐き、それがますますグリセルダを苛立たせる。
 やがてグリセルダは、家のブレーカーを落として夫の生命維持装置を止めようとまで追い詰められるのだが、その一方でアンジェロは、クラウスの前で全裸になって自慰をしながら、「貴方のことは全て知っている、一緒にまた《その世界》に戻ろう、そのためには妻のグリセルダが邪魔だ」と囁き始め……といった内容。

 何というかその……激ヤバな内容でした。
 しょっぱなっから、廃屋に両手吊りにされた身体の傷も生々しい全裸の少年を、カメラで執拗に撮影する中年男というシーンで始まり、しかも少年にまだ息があることを知って口づけし、そして角材で殴り殺すというシーンから始まりまして……。
 その後は、『愛の嵐』と『ゴールデン・ボーイ』にペドフィリアとサディズムとホモセクシュアルをまぶして、ニューロティック・スリラー風味も加えた内容を、デヴィッド・リンチ風に撮っている……と言えば、いかに見ていて神経を逆撫でされる感じなのか、想像がつくかと思います。
 基本的に映像自体は、寒々しいブルーを基調にしつつも美しい色調と、抑制のきいた端正な構図や演出で、扇情的に煽る系の要素は皆無と言ってもいいんですが、それにしても何しろ、ナチスの生体実験&その再現、しかも相手は裸の少年、おまけに同性愛要素もあちこち……とくるので、もうタブー感が尋常じゃない。
 少年の殺害シーンだけでも充分以上にキツいのに、加えて、美青年が寝たきりの中年男性の生命維持装置を外し、苦しんでいるところに覆い被さり、泣きながらフェラチオするとか、はっきりとは見せないものの顔射して、しかも後からそれを妻に見せ……とか、そんな展開やシーンがあちこちに。
 クライマックスもスゴくて、ネタバレになるので詳述は避けますが、過去と現在、共にものすごいタブー感のある《セックス》をカットバックで見せられるもんだから、映像は美麗だし演出は端正なのに、見ていて「うわあぁぁ……」感が半端ない。

 登場人物も皆キャラがキツくて、家族を心配する寝たきりの父親(ギュンター・メイスナー)とはいえ、その正体は少年相手の連続殺人鬼だし、危機に晒される妻(マリサ・パラディス)とはいえ、事故に見せかけて夫を殺そうとするし、サイコな美青年なんだけど、でもそこには理由や純愛要素もあり……。
 でもってラストカットなんて「ええええ、これでいいの???」ってな展開ながら、ん〜でもそうなるのかな……って感じでもあり、しかもそれを詩的で美麗なイメージで見せられるもんだから……。
 いやはや、鑑賞後の印象は「うわぁ、なんかスゴいもの見ちゃった……」の一言。
 特典に入ってたアグスティ・ビジャロンガ監督のインタビューを見たところ「ジル・ド・レイの話をヒントに、ナチスの話を背景に、現代に再構築した」っていうんですが、その発想自体が邪悪というか怖いもの知らずというか……。

 ただ前述したように、映像自体は美麗ですし、演出も良く、サスペンス要素があるのでストーリー面での娯楽要素もバッチリ。全てにおいてクオリティは実に高く、神経を逆撫でされつつも、ものすごく面白いです。単にヤバいだけのキワモノではない、映画としてきちんと見応えのある一本。
 何かの拍子で予告編を見て、「あ、なんか良さげ。え、マリサ・パラディス出てるの? 見る見る見る!」と嬉々として米盤Blu-ray買ったんですが、見応えもヤバさも期待以上でした。

 Blu-rayやDVDは、日本のアマゾンでも買える模様。
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トークショー「にじいろ☆シアター」のご案内

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 明日7月7日(月)、新宿でトークショーに出ます。
 7月12日から始まる第23回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭のプレ・イベント、TILGFF × 2CHOPO 「にじいろ☆シアター」スペシャルトークショーで、映画ライターのよしひろまさみちさん、女装パフォーマーのブルボンヌさんと一緒に(MCはバブリーナさん)、ゲイ映画についてあれこれ喋らせていただく予定。
 特に予約とかは必要ないイベントなので、お気軽に遊びに来てください。

今年で3年目を迎えたLGBTポータルサイト「2CHOPO」と映画祭が、初コラボレーション!
セクシュアル・マイノリティにまつわる良作映画の数々を紹介する「にじいろ☆シアター」で連載中のよしひろまさみちさん、日本を代表するゲイ・エロティック・アーティストとして、海外でも高く評価されている田亀源五郎さん、女装パフォーマーとしてご活躍されながら、ライターとして映画批評も連載されているブルボンヌさんをお迎えし、たっぷり2時間(!)“にじいろ”に溢れた映画トークを繰り広げます!
もちろん、MCは「2CHOPO」編集長のバブリーナさん!七夕の夜は、二丁目のAiSOTOPEに集合!

日時:7月7日(月) 20:00~22:00 (19:00開場)
会場:AiSOTOPE LOUNGE (〒160-0022 東京都新宿区新宿2-12-16 セントフォービル1F)
料金:2,000円(※ドリンク代は別となります)
予約:不要

 よしひろくんとブルちゃんという組み合わせにつられて、私もオネエ言葉が爆裂してしまいそうな予感がしますが(←他人のせいにするヤツ)、お二人とも、映画についてもゲイカルチャーについても、一癖も二癖もある煩い……いやいや、一家言をお持ちの方々。きっと面白くて濃い話が聞けるんじゃないかと、出演者の私自ら楽しみにしております。
 それでは明日、会場でお会いしましょう。お待ちしております!

“Interior. Leather Bar.” (2013) James Franco, Travis Mathews

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“Interior. Leather Bar.” (2013) James Franco, Travis Mathews
(イギリス盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 2013年のアメリカ製ゲイ映画。
 ハリウッド男優ジェームズ・フランコと、“I Want Your Love”のトラヴィス・マシューズが共同監督した、1980年の映画『クルージング』(ウィリアム・フリードキン監督/アル・パチーノ主演)からカットされた、40分のゲイ・セックス場面を描いたフッテージを想像再現した作品……という触れ込みだったけど……。

 実際には、その再現作業に関わった人々の反応を通じて、何かの化学変化が起こることを期待した系のコンセプチュアルな作品でした。
 で、結論。
 トゥー・マッチ・コンセプチュアル。そして化学変化は起こらず。
 あら残念 。
 コンセプト的な意図は良く判ります。
 具体的に言うと、まず、何故本作を作ろうとしたかという動機部分に関わる、映像作品におけるゲイ・セックス表現に対する規制への問題提起。
 次に、30年以上前の映画のロスト・フッテージを、現代の作家が再構築したときに見えてくるであろう何か。
 そして、ゲイ・セックスの只中に放り込まれたメイン男優の反応を追うことで、『クルージング』という映画の中でアル・パチーノが演じた役柄との共通点が浮かびあがったり、共鳴効果が起こることへの期待。
 そういったコンセプチュアルな意図は、実に明解な作品です。ただし残念ながら、その結果があまり面白いものではなかった……ということ。
 唯一の例外は、映画内映画として提示される再現部分の映像表現。
 おそらくここがトラヴィス・マシューズの担当部分だと思うんですが、これは実にセンシュアルで素晴らしい出来映え。
 ただ残念ながら、その部分の尺は合計しても10分程度しかなく、後は延々、映画のメイキングのようなインタビュー映像とか、主演男優の心の揺れを追ったドキュメンタリーのようなものが続き、そしてそっちが決定的に面白くない。

 というわけで、個人的にはコンセプト倒れの失敗作という印象ですが、コンセプトそのものを楽しむコンテンポラリー・アート的な視点で見れば、ひょっとしたら楽しめる方もいらっしゃるかも知れません。私の口には合わなかったけど。
 でも、もしコンセプトが全て取っ払われて、想像再現部分だけの短編だったら、私は絶賛していたと思います。そのくらい、セックス場面は魅力的。描写が赤裸々なために、残念ながら予告編の中ではその部分は殆ど出てきませんけど……。

“Hawaii” (2013) Marco Berger

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“Hawaii” (2013) Marco Berger
(アメリカ盤DVDで鑑賞→amazon.com

 2013年のアルゼンチン製ゲイ映画。
 再会した幼なじみが互いに惹かれつつも、相手の気持ちが掴めないために一歩を踏み出せないという一夏の光景を、穏やかなムードで詩情豊かに描いた作品。

 身寄りをなくした青年マルティンは、子供の頃に暮らしたアルゼンチンの田舎町にやってくるが、そこでも知己は既におらず、野宿をしながら様々な家の手伝いをして、その日の食事と現金を得ている。そんなマルティンが、ある日仕事を求めて尋ねた家は、彼が幼い頃に遊びに来た事があるエウヘニオの家だった。
 エウヘニオもそのことを思い出し、マルティンは野宿のことは隠したまま、夏の間エウヘニオの家を修理する仕事を得る。マルティンに惹かれたエウヘニオは、シャワーを勧めたり泳ぎにさそったりするが、彼の裸身を覗き見るのが精一杯で、そこから先へは踏み出せない。
 そんな中、マルティンの野宿の嘘がばれ、エウヘニオは彼を納屋に住まわせることにする。共に暮らしながら、二人は互いに自分でも忘れていた幼い日のことを思い出し、親しさを増していく。
 そしてエウヘニオ同様、マルティンもまた相手のことを意識するのだが、二人の関係は友人以上にはなかなか進展することがなく……といった内容。

 これは秀逸な一本。
 内容的には、これといったドラマ的な起伏があるわけではなく、相手のことが気になるけれど何か行動を起こすことはできず、それも友人的に良い関係性にあるから尚更……といった微細な空気感を、ディテール描写を重ねて描いていくというもの。
 クローズドなゲイ・コミュニティ以外で出会った、同性の誰かに惹かれたとき、まず相手がゲイであるかどうかが判らないが故に、気にはなるんだけれど踏み出せない気持ち。こういった感覚は、私自身も含めて、おそらく多くのゲイにとって、一度は身に覚えがあることなのでは。
 そういった、身近ですごく良く判る感覚にフォーカスを当て、それを丁寧に描き出すこと、それがゲイ映画としてのテーマになり得るという発見に、大きな拍手。
 映画としても良い出来で、空気感のある柔らかで美麗な映像、夏の気怠さを思わせるような穏やかなムード、着替えや午睡といった場面で下着越しの股間を捉えるようなセンシュアルな画面……と、全体がとても静かで、心地よい雰囲気。
 テンポは一貫してゆっくりしているものの、そこには前述したような「相手のセクシュアリティや気持ちが判らない」ことによる、軽い緊張感も同時に漂っているために、ゆったりすぎて弛緩することもない。
 全体的に少なめの会話場面も、その内容は日常的なものや想い出話であって、変にフィクショナルな心情吐露とかではない、そんなリアリズムも佳良。
 最初に思った、「アルゼンチン映画で、この内容で、何故タイトルが『ハワイ』?」という謎も、ラストにそれが軽い仕掛けとなって、ドラマの収束に作用するので納得。予定調和的な部分はありますが、それも雰囲気の良さで自然に乗せてくれる感じ。
 ガツンとくるフックには欠ける作品ですが、エンドクレジットにKickstarterのロゴがあったので、おそらくクラウドファンディングで作られたインディーズ映画なのでしょう。それでこの出来映えなら、これは充分以上に見事。

 美麗な画面と心地よい空気感で綴られる、ゲイならば誰にでも身に覚えがありそうな、ごくごく普通で当たり前の感覚。そんなリアルさを主体にしつつ、同時に詩情や甘美さも押さえ、寸止め系のさりげないエロス表現もプラス。
 テーマといい、クオリティといい、後味の良さといい、ゲイ映画好きなら、まず見て損はない一本です。

【追記】今年(2014年)の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で、上映あるそうです。
ハワイ|第23回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭

“Gangs of Wasseypur (血の抗争)” (2012) Anurag Kashyap

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“Gangs of Wasseypur: Part 1” (2012) Anurag Kashyap
“Gangs of Wasseypur: Part 2” (2012) Anurag Kashyap
(インド盤DVDで鑑賞、後日Blu-rayで再購入)

 2012年のインド/ヒンディ映画。インド中部の石炭業で知られるエリアを舞台に、イギリス統治時代末期から21世紀現在のタイムスパンで、マフィアやカーストの抗争を3世代、70年間に渡って描いた、クライム大河ドラマ。監督は『デーヴ D』のアヌラーグ・カシュヤプ。
 総計五時間以上に渡る大作で、カンヌ出品時には一挙上映だったらしいですが、インド本国ではパート1と2に分けて上映。日本でも福岡国際映画祭2013で『血の抗争』の邦題で上映あり。

 物語の発端は1940年代初頭のインド。
 石炭業の首都と称されるダンバード近郊、ムスリムが主な人口を占めるワセイプール(?)では、クレシと呼ばれる精肉業カーストが権勢を振るっていた。クレシ一族の長スルタナは盗賊団を組織して、英軍の輸送列車を襲っては食料や家畜をせしめている。
 パシュトゥーン族の長サヒード・カーンは、それを真似てスルタナの名を騙って自分も列車強盗をする。しかし彼はクレシ族の力をあなどっており、報復として部下たちは皆殺しにされ、サヒードと彼の妻、そして従弟のファルハンはワセイプールから追放される。
 サヒードたちはダンバードへ行き、石炭採掘の鉱夫になる。しかし労働環境は劣悪で、鉱夫たちは坑道に入れられると出入り口を鉄格子で閉ざされ、12時間の労働が済むまでは外に出して貰えない。おかげでサヒードは、妻の死に目にも立ち会えなかった。サヒードは鉄格子の番人を殴り殺し、そんな彼に、炭坑の上役ラマディール・シンが目を付ける。
 やがてインドが独立し英国が去ると、炭坑の権利はインド人の元へと戻ってきた。
 上手く立ち回ったラマディールは、ダンバードの炭坑を手に入れ、サヒードに自分と一緒に働かないかと勧める。サヒードはラマディールの右腕となって、かつての同僚の鉱夫たちであっても容赦なく振る舞うようになる。
 実はサヒードには、いつかラマディールを倒して、自分が炭坑を手に入れる野望があったのでが、それを知ったラマディールは、先手を打ってサヒードを謀殺する。ファルハンは、辛くもサヒードの息子サルダル・カーンを連れて逃げ、密かに自分の甥アスガルと一緒に育てる。
 そして20年後、石炭業で儲けたラマディールは、土建業などを経て政界にも打って出、やがてダンバードを牛耳るボスとして君臨する。一方でファルハンは、成人したサルダルに、父の死の真相を告げる。そのときからサルダルは頭を剃り、父の仇を討つまでは決して髪を伸ばさないと誓うのだが……といった内容。

 大いに見応えがあった一本。すっかり気に入ってしまったので、既にDVDを購入していたにも関わらず、後日Blu-rayも出たのを見て再購入してしまったほど。
 前述したあらすじは、これでもまだパート1の1/4程度で、全体からいったら1/8しかきていません。この後、サルダルの妻や息子、愛人、ラマディールの息子、スルタナの息子と従妹などクレシ一派も登場し、殺し合ったり結婚したりという複雑な人間模様が繰り広げられます。
 そんな感じで、1:見慣れない固有名詞多数、2:登場人物が多く関係性も複雑、3:それぞれのパワーバランスを把握するだけでも一苦労……と、面白いんだけれども、きっちり理解しようとするとけっこうハードルが高い作品でもあります。初見時には、まだあちこち良く判らない部分もあり、二度目の鑑賞で把握できたという感じかな。
 最も興味深かったポイントは、ストーリーのアウトライン自体は、まぁ良くある復讐ものっぽいんですが、実際に映画を見ると、そういったテイストとはちょっと違うあたり。
 というのも、復讐劇とは直接関係のないディテールが実に豊富で、しかもそれらも面白いんですな。

 例えば、パート1の主人公であるサルダルというキャラクターにしても、別に四六時中恨みに燃えて、顔を歪めて仇敵のことばかりを考えているわけではない。女房が妊娠してセックスできないので売春宿に行き、追いかけてきた女房に刃物で追い回されて逃げ回ったり、はたまた余所に女を作ったりといった、復讐劇とは直接関係のなさそうな、しかし人間くさいディテールがあちこち描かれます。
 パート2の主人公となるサルダルの息子たちにも、子供時代は徒党を組んでアイスキャンデーを盗むとか、成長してからはそれぞれ年頃の娘さんにホの字になるとか、とにかくディテールが豊富で、しかもそれがクリシェまみれとではない、ちゃんと独自性が感じられるものになっている。拳銃調達のエピソード一つにしても、車のハンドルを改造して手作りしたり、またそれが暴発したり。
 そして、こういった枝葉が完全に余計なものかというと、これがまた決してそういうわけでもなく、それぞれ微妙に本筋の復讐劇にも絡んできたりする。そんなディテールが、ストーリーやキャラクターに複雑な陰影を与え、一般的な復讐劇やヤクザの抗争劇とは、ひと味もふた味も違った魅力になっている感じ。
 特に、サルダルというキャラクターの複雑さは特筆もので、復讐に燃える男系のカッコ良さと、なのに逃走中に短剣を落として慌てるとかいったカッコ悪さもあり、更に、女房を怖がったり息子を溺愛したり愛人にヤニさがったりという、人間くさい可愛さもあったりして、そんな何とも身の丈サイズのリアリティが魅力的。

 ただ、そんなサルダルの陽性の魅力に対して、パート2の主役となる息子ファイザルは、複雑さは同じでも、どちらかというと陰性のキャラ。陽性のサルダルは魅力的で感情移入もしやすく、それが同時に作品世界全体を引っ張っていく牽引力にもなっていたのに対して、性格が内省的で陰性のファイザルは、魅力的ではあるものの、そこまでの圧倒的なパワーはない。
 ファイザルのみならず、基本的にパート2のメイン・キャラクターは、前世代に比べると全体的に卑俗で、魅力や好感度という点では辛いものもあります。
 そうなってくると、パート1では大いに魅力的だった本筋とはあまり関係のないディテールの豊かさが、パート2では話がなかなか前に進まないというイラッと感になってしまっているという部分も、正直なところ少々。登場人物も次々と増え、ただでさえ複雑だった人間関係がよりヤヤコシクなっていくのも、それに拍車をかけてしまう感じ。
 ただし、おそらく作品の主眼は、復讐劇を描くことではなく(とはいえ、いちおう多少の皮肉っぽさも交えつつ、そのプロットはきちんと決着がつきます)、ワセイプールという街に対する妄執に取り憑かれた人々の姿を描くこと、そのものにあるのでしょう。
 それがラストシーン〜エンドクレジットで明示され、同時にこの卑俗で血生臭いドラマを、一気にまるで民話めいた語りもののように転換してみせるという、その鮮やかさは実にお見事。後味も上々です。

 表現面では、人を殺したりバラバラにしたり犬に食わせたりといった、エグいエピソードは色々あるんですが、直接描写はさほどなく、かつ全体にオフビートなノリがあって、これもなかなか面白い。ヤクザ映画でいえば出入りのシーンなのに、妙に醒めたユーモア感覚があるみたいな感じ。
 また、徹底してリアリズム主体ながら(つまりミュージカル場面はなし)、光と色彩にこだわった撮影は実に美しく、また、フィクショナルなドラマと並行して、インドの地方都市の日常光景を描いた魅力も豊富。
 そんなオフビート感や、個々のディテール描写にハマれば、実に面白く見られるんですが、筋立てから想像するようなシンプルな復讐劇の熱さや迫力を期待してしまうと、ちょっと裏切られるかも知れません。とても多層的な魅力があって、一般的なインドの娯楽映画とは一線を画す感じがあります。かといって、変に気取った感じがないのも、これまた面白いんですが。
 似たプロットの、同じくインド映画の大作“Rakht Charitra”2部作と比べると、完成度も技術的にも、こちらの”Gangs of…”の方が上回っているにも関わらず、作品のパワーという点では”Rakht…”の方が勝るというのも、ちょっと興味深い。
 他にも色々と思うところはありますが、それもひとえに作品の持つ多層的な魅力ゆえ。クオリティの高い見応えのある大作であることは確かなので、興味がある方ならまず見て損はなし。
 ディテールとオフビート感とクールな視点が魅力の”Gangs of…”と、濃さと熱さとパワフルさが魅力の”Rakht…”、そんな好対照の2作を比べて見るのもオススメです。