“Gangs of Wasseypur: Part 1” (2012) Anurag Kashyap
“Gangs of Wasseypur: Part 2” (2012) Anurag Kashyap
(インド盤DVDで鑑賞、後日Blu-rayで再購入)
2012年のインド/ヒンディ映画。インド中部の石炭業で知られるエリアを舞台に、イギリス統治時代末期から21世紀現在のタイムスパンで、マフィアやカーストの抗争を3世代、70年間に渡って描いた、クライム大河ドラマ。監督は『デーヴ D』のアヌラーグ・カシュヤプ。
総計五時間以上に渡る大作で、カンヌ出品時には一挙上映だったらしいですが、インド本国ではパート1と2に分けて上映。日本でも福岡国際映画祭2013で『血の抗争』の邦題で上映あり。
物語の発端は1940年代初頭のインド。
石炭業の首都と称されるダンバード近郊、ムスリムが主な人口を占めるワセイプール(?)では、クレシと呼ばれる精肉業カーストが権勢を振るっていた。クレシ一族の長スルタナは盗賊団を組織して、英軍の輸送列車を襲っては食料や家畜をせしめている。
パシュトゥーン族の長サヒード・カーンは、それを真似てスルタナの名を騙って自分も列車強盗をする。しかし彼はクレシ族の力をあなどっており、報復として部下たちは皆殺しにされ、サヒードと彼の妻、そして従弟のファルハンはワセイプールから追放される。
サヒードたちはダンバードへ行き、石炭採掘の鉱夫になる。しかし労働環境は劣悪で、鉱夫たちは坑道に入れられると出入り口を鉄格子で閉ざされ、12時間の労働が済むまでは外に出して貰えない。おかげでサヒードは、妻の死に目にも立ち会えなかった。サヒードは鉄格子の番人を殴り殺し、そんな彼に、炭坑の上役ラマディール・シンが目を付ける。
やがてインドが独立し英国が去ると、炭坑の権利はインド人の元へと戻ってきた。
上手く立ち回ったラマディールは、ダンバードの炭坑を手に入れ、サヒードに自分と一緒に働かないかと勧める。サヒードはラマディールの右腕となって、かつての同僚の鉱夫たちであっても容赦なく振る舞うようになる。
実はサヒードには、いつかラマディールを倒して、自分が炭坑を手に入れる野望があったのでが、それを知ったラマディールは、先手を打ってサヒードを謀殺する。ファルハンは、辛くもサヒードの息子サルダル・カーンを連れて逃げ、密かに自分の甥アスガルと一緒に育てる。
そして20年後、石炭業で儲けたラマディールは、土建業などを経て政界にも打って出、やがてダンバードを牛耳るボスとして君臨する。一方でファルハンは、成人したサルダルに、父の死の真相を告げる。そのときからサルダルは頭を剃り、父の仇を討つまでは決して髪を伸ばさないと誓うのだが……といった内容。
大いに見応えがあった一本。すっかり気に入ってしまったので、既にDVDを購入していたにも関わらず、後日Blu-rayも出たのを見て再購入してしまったほど。
前述したあらすじは、これでもまだパート1の1/4程度で、全体からいったら1/8しかきていません。この後、サルダルの妻や息子、愛人、ラマディールの息子、スルタナの息子と従妹などクレシ一派も登場し、殺し合ったり結婚したりという複雑な人間模様が繰り広げられます。
そんな感じで、1:見慣れない固有名詞多数、2:登場人物が多く関係性も複雑、3:それぞれのパワーバランスを把握するだけでも一苦労……と、面白いんだけれども、きっちり理解しようとするとけっこうハードルが高い作品でもあります。初見時には、まだあちこち良く判らない部分もあり、二度目の鑑賞で把握できたという感じかな。
最も興味深かったポイントは、ストーリーのアウトライン自体は、まぁ良くある復讐ものっぽいんですが、実際に映画を見ると、そういったテイストとはちょっと違うあたり。
というのも、復讐劇とは直接関係のないディテールが実に豊富で、しかもそれらも面白いんですな。
例えば、パート1の主人公であるサルダルというキャラクターにしても、別に四六時中恨みに燃えて、顔を歪めて仇敵のことばかりを考えているわけではない。女房が妊娠してセックスできないので売春宿に行き、追いかけてきた女房に刃物で追い回されて逃げ回ったり、はたまた余所に女を作ったりといった、復讐劇とは直接関係のなさそうな、しかし人間くさいディテールがあちこち描かれます。
パート2の主人公となるサルダルの息子たちにも、子供時代は徒党を組んでアイスキャンデーを盗むとか、成長してからはそれぞれ年頃の娘さんにホの字になるとか、とにかくディテールが豊富で、しかもそれがクリシェまみれとではない、ちゃんと独自性が感じられるものになっている。拳銃調達のエピソード一つにしても、車のハンドルを改造して手作りしたり、またそれが暴発したり。
そして、こういった枝葉が完全に余計なものかというと、これがまた決してそういうわけでもなく、それぞれ微妙に本筋の復讐劇にも絡んできたりする。そんなディテールが、ストーリーやキャラクターに複雑な陰影を与え、一般的な復讐劇やヤクザの抗争劇とは、ひと味もふた味も違った魅力になっている感じ。
特に、サルダルというキャラクターの複雑さは特筆もので、復讐に燃える男系のカッコ良さと、なのに逃走中に短剣を落として慌てるとかいったカッコ悪さもあり、更に、女房を怖がったり息子を溺愛したり愛人にヤニさがったりという、人間くさい可愛さもあったりして、そんな何とも身の丈サイズのリアリティが魅力的。
ただ、そんなサルダルの陽性の魅力に対して、パート2の主役となる息子ファイザルは、複雑さは同じでも、どちらかというと陰性のキャラ。陽性のサルダルは魅力的で感情移入もしやすく、それが同時に作品世界全体を引っ張っていく牽引力にもなっていたのに対して、性格が内省的で陰性のファイザルは、魅力的ではあるものの、そこまでの圧倒的なパワーはない。
ファイザルのみならず、基本的にパート2のメイン・キャラクターは、前世代に比べると全体的に卑俗で、魅力や好感度という点では辛いものもあります。
そうなってくると、パート1では大いに魅力的だった本筋とはあまり関係のないディテールの豊かさが、パート2では話がなかなか前に進まないというイラッと感になってしまっているという部分も、正直なところ少々。登場人物も次々と増え、ただでさえ複雑だった人間関係がよりヤヤコシクなっていくのも、それに拍車をかけてしまう感じ。
ただし、おそらく作品の主眼は、復讐劇を描くことではなく(とはいえ、いちおう多少の皮肉っぽさも交えつつ、そのプロットはきちんと決着がつきます)、ワセイプールという街に対する妄執に取り憑かれた人々の姿を描くこと、そのものにあるのでしょう。
それがラストシーン〜エンドクレジットで明示され、同時にこの卑俗で血生臭いドラマを、一気にまるで民話めいた語りもののように転換してみせるという、その鮮やかさは実にお見事。後味も上々です。
表現面では、人を殺したりバラバラにしたり犬に食わせたりといった、エグいエピソードは色々あるんですが、直接描写はさほどなく、かつ全体にオフビートなノリがあって、これもなかなか面白い。ヤクザ映画でいえば出入りのシーンなのに、妙に醒めたユーモア感覚があるみたいな感じ。
また、徹底してリアリズム主体ながら(つまりミュージカル場面はなし)、光と色彩にこだわった撮影は実に美しく、また、フィクショナルなドラマと並行して、インドの地方都市の日常光景を描いた魅力も豊富。
そんなオフビート感や、個々のディテール描写にハマれば、実に面白く見られるんですが、筋立てから想像するようなシンプルな復讐劇の熱さや迫力を期待してしまうと、ちょっと裏切られるかも知れません。とても多層的な魅力があって、一般的なインドの娯楽映画とは一線を画す感じがあります。かといって、変に気取った感じがないのも、これまた面白いんですが。
似たプロットの、同じくインド映画の大作“Rakht Charitra”2部作と比べると、完成度も技術的にも、こちらの”Gangs of…”の方が上回っているにも関わらず、作品のパワーという点では”Rakht…”の方が勝るというのも、ちょっと興味深い。
他にも色々と思うところはありますが、それもひとえに作品の持つ多層的な魅力ゆえ。クオリティの高い見応えのある大作であることは確かなので、興味がある方ならまず見て損はなし。
ディテールとオフビート感とクールな視点が魅力の”Gangs of…”と、濃さと熱さとパワフルさが魅力の”Rakht…”、そんな好対照の2作を比べて見るのもオススメです。