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“At the Gate of Ghost” (2011) M.L. Pundhevanop Dhewakul

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“At the Gate of Ghost” (2011) M.L. Pundhevanop Dhewakul

 2011年のタイ映画で、黒澤明『羅生門』のタイ版リメイク。原題は”U mong pa meung (อุโมงค์ผาเมือง)”。”The Outrage”という別の英題もあり。
 既に物故しているタイの文豪が、映画『羅生門』の脚本を元に、舞台を16世紀のタイに変えて、演劇用に翻案した戯曲の映画化らしい。
 森雅之に相当する役に『心霊写真』『ランカスカ海戦 パイレーツ・ウォー』などのアナンダ・エヴァリンハム、京マチ子に相当する役に『地球で最後のふたり』のライラ・ブンヤサック。

 ストーリーラインは基本的に『羅生門』と同一なので省略。
 捕縛された盗賊の初登場シーンなど、演出自体もなぞっている部分があり。セリフも同様。樵や法師が雨宿りする羅生門は、荒れ寺の隧道に変更。更に各々のキャラクターの過去が点景的に描かれるというアドオンもあり。
 映像は美しく演出も手堅いが、演出の凄みを感じさせるような表現はなし。反面、追加されたキャラクターの背景描写のおかげもあり、エモーショナルに訴えかける部分は増している印象。
 また後述するように、全体的に仏教的視点で再構成した仕掛けの効もあって、最後はなかなか感動的に仕上がっています。
 役者陣はいずれも熱演で、特に京マチ子役(変な言い方だけど)のライラ・ブンヤサックが見事。千秋実の法師役は、アイドル的な美青年が演じていて、これまた静かな佇まいや全体の構成と呼応していて、なかなか良い効果を出していました。
 仏教的なアレンジの件。
 映画全体を、事件の聴取に立ち会ったために、仏の道を志すことに疑問を持ち、寺を出た青年僧侶という視点で通しており、ラストはオリジナル版のヒューマニズム要素を仏教的に膨らませて、この僧侶が最終的に信仰心を取り戻すという構造になっています。
 特にラストが良く、雨宿り場所だった恐ろしげで暗い隧道というのが、それを人の心の闇に重ね合わせていたことが明示され、ここがけっこうじんわりと感動的。エモーショナルな要素と上手く呼応して、オリジナル版とはまた違った魅力になっている印象です。

 というわけで、作品的な凄みには欠けるものの、オリジナルを忠実になぞりつつ、そこに別の魅力を加味することにも成功している、真面目にしっかりと撮られた良い映画という感じでした。
 ちょっと薄味なのは残念ですが、あちこち見所はありますので、興味のある方だったらしっかり楽しめるかと。

“Keep the Lights On” (2012) Ira Sachs

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“Keep the Lights On” (2012) Ira Sachs
(アメリカ盤Blu-rayで鑑賞→amazon.com、日本のアマゾンでも購入可能→amazon.co.jp

 2012年のアメリカ製ゲイ映画。NYに住む二人の男性の出会いと、10年近くにわたる関係をリアルに淡々と、しかし情感豊かに描いた内容。
 主演は『誰がため』などのデンマーク人男優、トゥーレ・リントハート。
 ベルリン国際映画祭テディ賞受賞。

 90年代末、NYに住むドキュメンタリー映画作家のエリックは、ゲイがセックス相手を探す伝言ダイヤルで、大手出版社に努めるポールと出会う。二人の相性は良く、エリックはポールに連絡先を渡すが、彼は「自分にはGFがいる」と断る。
 しかしポールはGFとの関係を清算し、エリックと付き合うようになり、やがて二人は一緒に暮らすようになる。ハッピーな関係に見えた二人だったが、実はポールにはドラッグの習慣があり、やがてそのことが二人の関係に次第に影を落としていき…といった内容。

 ストーリーとしては、特にドラマチックなイベント的なことが起きるわけではなく、エリックとポール、そしてその周囲の友人たちや家族などの、些細だが極めてリアルで細かなエピソードが積み重ねられ、9年間(だったかな?)に渡る二人の軌跡が淡々と綴られるというもの。
 何よりそのリアリティと、淡々としながらもゆったりとした空気感が素晴らしく、描かれるのは些細なことだけながらも、見ていて全く飽きさせず。作為の感じられない作劇と、ディテールのリアリズムと柔らかな空気感は、昨年の東京レズビアン&ゲイ映画祭で上映された、アンドリュー・ヘイ監督の傑作『ウィークエンド』とも似たテイスト。
 興味深いのは、いわゆる恋愛テーマの映画では、惚れた腫れた憎んだ裏切っただのといった、恋愛感情の起伏が主に描かれるのに対して、この映画の場合は、互いに相手のことを好きであるにも関わらず、その間にリレーションシップを築いていくことの難しさにフォーカスが当たっているところ。
 これは周囲の人間に関しても同様で、エリックがポールと一緒に生きる関係を築くことで悩むように、エリックの女友達もまた、最適のパートナーに巡り会えって自分の理想とするものを手に入れることができない。そんな誰でも身に覚えがありそうなリアルな「思い」を、ふわりと描いているという感じ。

 というわけで、作為性のないドラマ作りが好きで、しかもこの空気感を心地よく感じられる人だったら、気に入ること間違いなし。いわゆるゲイ映画的な枠を越えた、単館上映系の映画のクオリティの高さがあるというあたりも、前述の『ウィークエンド』と同様。
 ただ、大きな事件は何も起きないけれども、微細な起伏を丁寧に描いて、それが面白いという点では、ムードを音楽に頼っている部分も多く、そういう意味では、ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品ほどのストイックで厳格な凄みはないし、ストーリーのタイムスパンが長い分、『ウィークエンド』ほどの濃密さはありません。

 とはいえ、クオリティの高さや全体のリアルな空気感は、好き嫌いはあるにせよ、間違いなく一見の価値はあり。エロティックな場面も生々しく、しかし心地よい空気感を持続したまま描かれているし、ラストの余韻も上々。
 ゲイ映画好きの方、単館上映系が好きな方、そして、好きだからこそ関係を築く難しさという普遍的なテーマに興味のある方には、がっつりオススメしたい一本。

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“Alois Nebel (アロイス・ネーベル)” (2011) Tomas Lunak

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“Alois Nebel” (2011) Tomas Lunak
(イギリス盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 2011年のチェコ製アニメーション映画。
 共産党政権末期、国境近くで働く鉄道員が、二次大戦終結直後の幼い日の記憶のフラッシュバックに悩まされ……というグラフィック・ノベルを、ロトスコープ技法を用いてモノクロームでアニメーション化した、大人向けの文芸系作品。
 2012ヨーロッパ映画賞アニメーション映画部門最優秀作品賞、オランダ・アニメーション映画祭グランプリ受賞。アニメーション・フェスティバル<GEORAMA2014>にて日本上映予定。詳細は記事末尾を参照。

 共産党政権末期のチェコスロバキア。ポーランド国境近くの鉄道駅駅長アロイス・ネベルは、中年男性ながら未だ独身で、一匹の猫と一緒に暮らしている。そんなある日、IDを持たず口もきかない不審な男が駅に現れ、秘密警察に連行されていく。
 アロイスは、霧の中から蒸気機関車が現れ、幼い日の自分が駅のプラットフォームで、大勢の人々が貨車に乗せられる中、自分が慕っていた女性が汽車に乗ろうとするのと、それを押しとどめようとする男が揉み合っているという、記憶のフラッシュバックに悩まされるようになる。やがてアロイスは神経衰弱となり、精神病院に収容されるが、そこで彼と同室になったのが、件の口をきかない謎の男だった。
 病院で謎の男は、治療のようにも拷問のようにも見える、電気ショック処方を受けていたが、ある日逃亡する。そして彼の残した所持品の仲から、アロイスのフラッシュバックに出てくる人々が写った、一枚の古い写真が見つかる。
 アロイスは精神病院を退院するが、元の駅には既に自分の仕事はなかった。鉄道の仕事を得るために、彼はプラハ中央駅へと行くが、そこでも仕事は何もなく、中央駅で暮らすホームレスや私娼たちの仲間入りをする。
 中央駅には、そんなホームレスたちの面倒を何かとみてくれる、トイレの中年掃除婦クヴェタがいた。やがてアロイスとクヴェタは、互いに好意を持つようになるのだが、些細なことからその仲はこじれてしまい、また、中央駅長に言われたクリスマスや新年を過ぎても、未だに鉄道の職は与えられない。
 アロイスは、再び元の国境近くの駅へ戻り、そこで何とか鉄道整備の職を得るのだが、そこに例の謎の男が再び現れ……といった内容。

 内容的には文芸寄りで、ストーリーの起伏ではなくディテールやキャラの内面などで見せていくタイプ。
 メインとなるのは主人公アロイスの《旅》(内面的にも物理的にも)で、そこに歴史の闇や殺人事件、時代の転換期における混乱などが絡んでくるというもの。
 提示される断片的なディテールによって、「あ、そういうことか」と判る作りになっているので、例えばドラマ内の《現在》が共産党政権末期であるとか、あるいは二次大戦終結後に、物語の舞台となっているズデーデン地方から、ドイツ人の追放があったこととか、そういった事情を判りやすく説明はしてくれないので、ちょっと予備知識が必要とされる面があり。
 映像は極めて魅力的。非デフォルメ系のキャラクターは太い線のドローイングで描かれ、コントラストの効いたモノクロ画面にフラットなグレーのトーンが被り、まるで木版画のような美麗さ。
 それがロトスコープでリアルに動くのも、なんとも言えない不思議な魅力で、そんなリアリズム主体の動きの中に、フラッシュバック場面などの幻想的な演出が入って来る瞬間は、思わずはっとさせられるほど。ただ、そういった場面が見られるのは前半のみで、後半のリアルな展開部になると、そんな魅力がやや薄れてしまうのが少し残念。
 原作はJaroslav Rudišという人のグラフィック・ノベル3部作。それを1時間半の尺に収めているせいか、正直もうちょっと見たいという感はあり。とはいえ、現在(作品時間内の)を生きる主人公を軸に、過去の決算と未来の予感を交錯させ、時代の転換点を個と社会両方に重ねて見せる構成は、これはお見事!

 というわけで、アニメーション好きや、内容に興味のある人なら、まず見て損はない一本でした。

【追記】朗報、アニメーション・フェスティバル<GEORAMA2014>にて日本上映!
会期と会場:2014年4月12日(土)~25日(金)東京・吉祥寺バウスシアター、2014年6月21日(土)~22日(日)山口、2014年7月19日(土)~25日(金)神戸
*詳しい上映スケジュールは、上記リンク先の公式サイトにてご確認を。

“Paradesi” (2013) Bala

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“Paradesi” (2013) Bala
(海外版DVDで鑑賞→Bhavani DVD
2013年のインド/タミル映画。個人的にご贔屓のタミル映画の鬼才、“Sethu” (1999)、“Nandha” (2001)、“Pithamagan” (2003)、 “Naan Kadavul” (2009)、“Avan Ivan” (2011)などの、バラ監督作品。
 イギリス統治下の紅茶プランテーションにおける、奴隷労働者たちの苛酷な運命を描いた内容で、英題はNomad、Vagabondなど(つまり『放浪者』)。

 20世紀初頭、イギリス統治下のインド。
 南インドの貧しい農村に、ラサというちょっと頭の弱い青年がいた。両親のいない彼は年老いた祖母と二人暮らしで、太鼓を叩きながら、結婚式の報せを村中に触れ回り、それで食事を貰ったり、ゴミ拾いや薪割りなどをしている。
 頭の弱い彼をからかう村人もいて、中でもアンガマという若い娘は、しょっちゅう彼にちょっかいを出したり、意地悪をしたりする。そんな中、村で結婚式が行われ、ラサも下働きをしてから宴席に着くのだが、彼だけ食事を分けて貰えない。
 泣きながら立ち去ったラサに、アンガマは食事を持っていく。ここで初めてアンガマは、実は自分がラサのことを好きで、だからいじめていたのだと自覚し、彼に愛を告白する。彼もそれを受け入れ、二人は急速に仲良くなり、やがて男と女の関係になる。
 こうしてアンガマとの結婚を夢見るようになったラサだが、それを知ったアンガマの母は猛反対し、それは村の会議にかけられるほどの問題に発展する。ラサはアンガマと結婚するために、村を離れて仕事を探しにいき、別の場所で薪割りの仕事を得る。
 しかし仕事を終えても、薪割りを命じた人はお金を払ってくれない。ラサが路傍で泣いていると、身なりの良い男が声をかけてきて、ラサの村の名前を聞いて目を光らせる。男はラサと一緒に村へ行き、村人たちに「自分は遠方の農園で働く出稼ぎ労働者を捜している」と告げる。
 男が話す、一年間の契約労働の条件の良さや、契約時に渡されるアドバンスに惹かれ、ラサも他の村人たちも、ある者は妻を残し単身で、別の者は女子供でも働き手になれて稼ぎも増えるという言葉に誘われて家族ぐるみで、次々とその男と契約する。
 別れを嘆く祖母とアンガマを残し、ラサたち一行は男に連れられて出発するが、それは徒歩で二ヶ月近くもかかるような遠方への旅だった。しかも男の態度は豹変し、旅の途中で行き倒れた男を瀕死のまま置き去りにし、その妻が泣いて抵抗するのを無理矢理連れて行くような冷酷さを見せ始める。
 やがて一行は目的地に着くが、そこで待っていたのはイギリス人がインド人を使って経営している、地獄のような茶畑だった。一方、村ではアンガマがラサの子供を妊娠していることが発覚し、彼女は母親から家を追い出されてしまう。しかしラサの祖母が、彼女を迎え入れてくれ……といった内容。

 いや、これはきた……ずっしりヘビー級の見応え。やってくれましたバラ監督。
 前作”Avan Ivan”は、部分的な見所のみで、全体的にはちょっと残念な出来でしたが、本作は力作だった前々作”Naan Kadavul”を完成度という点で凌ぎ、傑作”Pithamagan”にも近い出来映え。
 最初はわりと気楽に見られます。もちろん村人にハブられてしまう主人公なんかは可哀想なんですが、それでも村娘とのロマンスはあるし、何だかんだで楽しく見られる。農園に着いてからもしばらくは、確かに酷いところなんですが、それでも見ていてこっちの神経がやられるまでではない。
 ところが農園に着いてから一年後、契約期間が終わるところになって、一気に地獄が牙を剥き、後はもう「うわああぁぁぁ……」の連続。希望はどんどん叩き潰され、しかも達者な演出でエモーションも刺激されまくりで、見ていてどんどん鉛のような気分が溜まっていきます……。
 基本的に、人の世の醜さや残酷さをえぐり出すのは、この監督のいつもの作風ではあるんですが、今回とにかくキツかったのは、イギリス人がインド人監督を酷く扱い、そのインド人監督がインド人労働者を酷く扱い、労働者間でも嫌がらせなどがあり……といった差別や虐待の連鎖を、容赦なくえぐり出してくるところ。
 また、ろくな医者もいなかった農園に、ようやくヒューマニストらしき医者がきた……と見せかけて、実は彼らの主たる目的はキリスト教の布教にあり、彼らがインド映画風に脳天気に宣教を歌い踊っている間に、メインの登場人物が病気で死んでいったり……という、徹底して醒めた視点による容赦なさ。
 そしてクライマックス、この冷徹な眼差しはピークに達し、素晴らしくエモーショナルな演出と、真に迫った演技によって、ある側面だけ取り出して見ればハッピーエンドとも言えるんだけど、それが同時に徹底的なバッドエンドでもあるというラストシーンに……もうここは、思い出すだけで「うわああぁぁぁ……」って感じ。
 決して後味が良いとは言えないとか、何とも複雑な後味だという意味では、バラ監督の他の作品も、割と似たり寄ったりなんですが、それでも以前の作品では、主人公である異者が神話的に変容するというカタルシス等があったけれど、今回はそれすらなく、ひたすら打ちのめされて終わるので、とにかく後味がヘビー級。
 演出は相変わらず素晴らしく、画面のスケール感やカメラワークも見事(冒頭の移動撮影とか、クライマックスのクレーン撮影とか!)だし、主演の青年を筆頭に、役者陣も皆素晴らしい演技。

 見終わった後、何とも言えない気分になってどよ〜んとしますが、間違いなく一見の価値有り。後味をどう感じるかはともかくとして、見応えとクオリティは保証します。
 バラ監督作品の中でも、個人的にはベスト2(一位はやっぱり”Pithamagan”)の作品でした。

“I Want Your Love” (2012) Travis Mathews

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“I Want Your Love” (2012) Travis Mathews
(イギリス盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk
 2012年のアメリカ製ゲイ映画。住み慣れたサンフランシスコから故郷に帰らなければならなくなったゲイ青年と、その友人たちの一日を描いたもの。
 赤裸々なセックス描写のためにオーストラリアの映画祭で上映禁止となり、物議を醸した一本。

 主人公ジェシーはゲイで、パフォーマンスに携わるアーティスト。サンフランシスコで同じくゲイの友人とルームシェアをして暮らしていたが、故郷(アイオワだったかな?)に帰らなければならなくなり、お別れパーティが開かれることになる。
 ジェシーのルームメイトは、自分のボーイフレンドをジェシーの後に住まわせようとするが、そのボーイフレンドはルームメイトと別の友人の仲に嫉妬を覚え、二人の仲は少しギクシャクする。
 一方のジェシーは旅立ち前の落ち着かない気持ちの中、元彼とのハッピーなセックスのことを思い出す。ジェシーから連絡を貰った元彼は、ジェシーに会いに行くための服を服屋で選び、そこで黒人青年と親しくなる。元彼は服を着替えてジェシーと会いに行くが、二人は和やかな時間を過ごすものの、何も起こらない。元彼は黒人青年に連絡し、ジェシーのお別れパーティで落ち合おうと言う。
 騒がしいお別れパーティで、ルームメイトとボーイフレンド、そしてボーイフレンドが嫉妬したルームメイトの友人は、一緒に3Pをする。ジェシーの元彼と例の黒人青年もセックスをする。
 しかしジェシーはパーティの喧噪に加わる気がせずに、独り部屋で音楽を聴いている。そこにもう一人のルームメイトがやってくる。ジェシーはそのもう一人のルームメイトと他愛のない会話を交わすうち、やがて今後の不安に襲われ思わず涙ぐんでしまう。そんなジェシーを、もう一人のルームメイトは優しくいたわり、やがて二人は服を脱ぎ愛撫を交わすのだが……といった内容。

 昨今のゲイ映画のトレンドの一つ(だと私が思っている)、あまりドラマらしいドラマは紡がれず、日常的で身近なエピソードを点景的に繋いで見せ、その中で微妙な感情の起伏などを見せるタイプの作品。
 というわけで交わされる会話も、ストーリーを進行させるためのそれではなく、日常的な雑談的なものが主で、しかも完全に現代口語なので、正直これをヒアリングのみで鑑賞するのは、私にはいささかハードルが高く、ディテールはかなり拾い損ねていると思います。
 ただ、キャラクターの存在感や全体の空気感が、これがもうリアルそのもので、俳優が演じる作られたドラマを見ているという気が全くしなくなるほど。おそらく低予算の作品なんですが、撮影技術なども悪くなく、カット繋ぎのテンポなどもこなれているので、全体の尺が70分というコンパクトさもあるんですが、自分でも意外なほど見ていて作品に引き込まれました。

 物議を醸したセックス描写は、これはもう赤裸々というかあからさまというか、もう完全にハードコアポルノ的なそれ。ペニスの勃起から手コキからフェラからゴム被せからツボ舐めから指マンから挿入から射精の瞬間から、もう全てズバリそのものを見せています。
 ただしいわゆる商業的なポルノと異なるのは、まずセックスしているのがポルノ的に理想化された男優ではなく、いかにもそこいらへんにいそうなアンチャンどもで、身体の線はゆるいわ顔もそこそこ止まりだわ、○○系といったステレオタイプやクローンでもないところ。
 また、行為そのものは赤裸々に、そして時間もたっぷりとって描写されるんですが、表現的にはいわゆるポルノのそれとは全く異なっています。つまり、一つの行為を延々と映したり、結合部にも照明が当たってよく見えたり、視聴者を挑発したりとかいった、そういった要素が皆無。
 では、具体的にはどういうものかというと、これまたドラマ部分の描写同様にリアルそのもの。赤裸々だけれど、挑発的でも露悪的でもなく、スタイリッシュに処理することもない、そんな多くの皆が日常で行っているようなセックスと同様の光景が、スクリーン上で(正確には液晶TVのモニターですが)繰り広げられます。
 また、日常的とはいっても、そこは素人生撮り的な退屈さとも無縁で、しっかりフェティッシュな感触のクローズアップが入ったり、上手い具合にカット割りを入れたり、描写に陰影が富んでいたり、情感を湛えていたり……と、セックスの表現自体の魅力も大。自然な空気感も実に良く、例えば、射精を終えた瞬間に笑い出してしまうペアの描写なんて、実に楽しげで、しかもナチュラルなので、見ていて思わずこちらの頬も弛みます。
 そんな具合に、ハード・コア・セックスをダイレクトに見せるという意味では、確かにポルノ的ではあるんですが、それでも表現としては非ポルノ的といった感じで、ちょっと今までに見たことがないタイプ。セックスの内容がバニラなので、正直私は見ていてさほど興奮しませんでしたが、しかしそんな表現の魅力だけでも、充分以上に見る価値大なくらいに良かった。

 というわけで、全体のナチュラルな空気感や、セックス場面の魅力、そして不思議と爽やかな後味など、《今》のゲイ映画に興味がある方なら、まず見て損はない一本。
 しかしここまで赤裸々だと、例えゲイ映画祭であっても、日本での上映は難しそうではありますが……。

“Parada (The Parade)”

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“Parada” (2011) Srdjan Dragojevic
(イギリス盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 2011年のセルビア/スロヴェニア/クロアチア/マケドニア/フランス/イギリス映画。英題”The Parade”。
 元ユーゴ内戦の兵士でホモ嫌いの中年男が、ひょんなことからセルビアのゲイ・パレード護衛をすることになるという、社会派コメディ・ヒューマンドラマ。
 監督&脚本のSrdjan Dragojevicは、2001年にベオグラードのゲオ・パレードで実際に起きた、アンチゲイによる暴行事件のフッテージを見て、この映画の企画を思いついたとのこと。件の暴行事件の映像は、映画の導入部分でも使われており、また、それと対比させるように、エンディングでは2010年のベオグラード・ゲイ・プライド・パレードの映像も使われている。
 2012年のベルリン映画祭パノラマ部門観客賞受賞。

 セルビアの首都ベオグラード。
 結婚式の演出などを手掛けるゲイのミルコ以下、LGBTアクティビストたちがプライド・パレードをしようと計画しているが、セルビア社会にはホモフォビアが根強く、過去には極右スキンヘッズによる暴力事件も起きている。そして今日もまた、LGBTアクティビストたちが集まって会議をしているところに、スキンヘッドたちが殴り込みに来る。アクティビストたちは、警察にパレードの護衛を頼みに行くが、取り合って貰えないどころか、逆に侮蔑的な態度であしらわれてしまう。
 そんな中、ミルコのパートナーで、彼ほどはアクティブではないゲイである獣医のラドミロの元に、負傷したブルドッグが担ぎ込まれる。ブルドッグの飼い主は、元ユーゴ内戦の兵士で、その後ギャングを経て、現在は柔道道場とボディーガード業をやっている男リムン(あだ名。レモンの意)だった。
 リムンは現在、若くて美人の娘ビセルカと再婚しようとしているところだったが、ビセルカはリムンの提案するダサい結婚式が気に入らない。そして、もっとオシャレな結婚式を……と、ローンを組んででも、ミルコの会社に頼みたいと言う。リムンも、仕方なく折れてそれに同行するが、そこでラドミロに会ってしまい、自分たちの結婚式を預ける相手がホモだと知って激昂してしまう。
 リムンに胸ぐらを捕まれたはずみに、ミルコは転倒して大怪我をしてしまう。介抱するラドミロに、ミルコは「頑張ってきたけどもう限界だ、僕は自分の国を憎みそうだ」と本心を吐露し、実はカナダへの移民申請もしているのだと告げる。
 一方ビセルカは、リムンのとった態度に激怒して、彼の家を出て行ってしまう。リムンが彼女の居所を探す間、彼女はミルコだけにお詫びの電話を掛けるが、それをラドミロが受け、彼の心に1つのアイデアが閃く。
 ラドミロはリムンの元に赴き「貴方が愛するビセルカのためになら何でもしたいと思うように、僕も愛するミルコのためになら何でもしたい」と、リムンの結婚式をミルコにプロデュースさせ、ビセルカがリムンの元に帰ってくるように計らうかわり、リムンとその部下たちにプライド・パレードの護衛をしてくれるよう、提案する。
 リムンはその提案を受けるのだが、部下たちは「オカマのパレードの護衛なんてとんでもない」と拒否する。ベオグラードで護衛を見つけるのは無理だと考えたリムンは、それなら町の外で見つけようと、ゲイ・グループの中でも一番ゲイゲイしくないラドミロを連れて、ボディーガードの仲間捜しに出掛ける。
 リムンとラドミロは、車体に「ホモ死ね」と落書きされているピンクの車に乗り、かつてユーゴ内戦で戦ったライバルたちを訪ねて、セルビアからクロアチア、ボスニア、コソボ……と、旧ユーゴ圏内を巡って、ゲイ・パレードの護衛を捜しに出掛ける。
 最初は全くの水と油だったリムンとラドミロだったが、次第に互いを理解し始め、護衛仲間も一人ずつ増えていく。しかし実は、リムンの前妻との間の息子が、今はスキンヘッズになって、パレード襲撃を企てている一味に入っていた。
 果たして、ベオグラードのゲイ・プライド・パレードは実現できるのか、そして極右スキンヘッドたちの攻撃をかわすことはできるのか? ……といった内容。

 題材から期待していた通り、これは実に面白かった!
 コメディ・タッチでテンポ良く進めつつも、ホモフォビアとゼノフォビアを重ね合わせることで、《異なる者への理不尽な嫌悪》という差別の本質を見せ、クライマックスに向けてエモーショナルに盛り上げ、感動とメッセージ性をしっかり押さえて、ジ・エンド……といった構成。
 まず、出てくるキャラたちが実に良く、メインはリムンとラドミロなんですが、ホモフォビアはあるものの実は悪い人間ではないリムンと、アクティビズムとは距離を置きクローゼット気味のラドミロが、それぞれストーリーを通じてきっちり成長していくので、それがラストの感動へと繋がる。
 オシャレ系ゲイのミルコは、志が高い反面ちょっと鼻につくところもあり、ここいらへんもリアル&魅力的。リムンの彼女ビセルカも、集会場に火炎瓶を投げ込まれ、パニックになるゲイたちを尻目に「アマチュアね!」とテキパキ火を消したりして、実にかっこいい。その他、50代でようやくカムアウトした有名デザイナーのゲイとか、ビセルカと仲良くなるレズビアンとか、護衛として集まるリムンの戦争仲間のオッサンたちとか、誰もかれも良くキャラが立っていて、それが生き生きと楽しく動くのが、何とも魅力的。
 また、全体が『荒野の七人(七人の侍)』を模した構造になっていることや、リムンの一番好きな映画が『ベン・ハー』で、彼はそれを《男同士の真の友情》だと信じ込んで見ているのだが、ご存じのように実は……みたいな、仕掛けのあれこれも楽しい。

 前述した差別の本質に関しては、まず冒頭からテロップで《チェトニク:セルビア人の蔑称:クロアチア、ボスニア、アルメニア系コソボ人が使用》《ウスタシャ:クロアチア人の蔑称:セルビア、ボスニア、アルメニア系コソボ人が使用》《バイジャ(略)》《シプタール(略)》といった解説が出てきまして、その最後に《ペデー(fag):同性愛者の蔑称:皆が使用》と出てくるといった具合に、もう最初がらガッツリ描いてきます。
 で、そこから、毛むくじゃらのオッサン(リムン)のシャワーシーンに続くんですが、これがシャワーを浴びながら、セルビア愛国歌、旧ユーゴの共産主義俗謡、旧ユーゴの80’sポップスなどを、ゴチャマゼに続けて歌い、それと並行して男の肌に入っている、ユーゴ内戦の戦場の名前やら、二次大戦の反共リーダーの顔やらといった、これまたゴチャマゼのタトゥーがクローズアップされていく…といった洒落具合。
 中盤の仲間捜しのエピソードで、最初は《ホモ死ね!》と落書きされていた車が、旧ユーゴ圏内をあちこち渡り歩くうちに、《チェトニクの豚!》とか《ウスタシャ死ね!》とか、どんどん上書きされていくのも、風刺と洒落っ気が見事に効いていて実に可笑しい。
 それ以外にも、警察風刺もあれば米軍風刺もあり……といった感じで、とにかくネタ的にはテンコモリで、逆にネタが多すぎて、リムンと息子の確執やラドミロと父親の確執など、いささか描き込み不足や捌き切れていない部分もあるんですが、それらも引っくるめてお楽しみどころは盛り沢山。

 コメディとしては、あちこちでくすりとさせるタイプで、どっかんどっかん笑えるわけではないですが、内容の濃さ、理想と現実のバランス配分、感動要素やメッセージ性の確かさは保証します。
 とにかく情報量が多いので、ついていくのが大変な部分もありますが、ゲイ映画好きにも一般の映画好きにも、どっちもしっかり楽しめる一本。オススメです。そして、これがセルビアでスマッシュヒットしたというのも嬉しい話。

“Ardhanaari”

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“Ardhanaari” (2012) Santhosh Souparnika
(インド盤DVDで鑑賞→Bhavani DVD

 2012年のインド/マラヤラム映画。南インドのトランスジェンダー文化を通して、個としてのTGの苦悩や、TG集団であるヒジュラへの差別などの問題を、社会派ヒューマン・ドラマ的に描きながら、更にそこに、ヒンドゥー神話を重ね合わせて見せるという意欲作。
 タイトルは、両性具有の神アルダナーリシュヴァラから。

 南インド、ケーララ州に住む少年ヴィナヤンは、子供の頃から自分の体は男だけれど心は女だと感じていて、アイラインを引いて爪を染め、装身具を付けて学校に通っている。歳の離れた兄や学校の教師はそれを疎ましく思っているが、父や姉は彼の好きなようにさせてくれ、同級生の少年も彼の味方だ。
 やがて青年になった彼は、髪を伸ばし、例の同級生とも互いに愛し合い、お付き合いをしていたが、政界に出た兄はますます彼のことを忌み嫌い「妹に縁談がこないのもお前のせいだ」と罵り、ついには殺し屋を雇ってヴィナヤンを始末させようとする。
 ヴィナヤンは殺し屋を返り討ちにし、兄のことも赦すが、殺人犯として警察から追われる身になってしまう。また恋人だった幼馴染みも、仕事で国外に行くことをきっかけに、今までの関係を「少年時代の愚かな戯れ」と切り捨て、ヴィナヤンとの関係を清算してしまう。
 家を出て故郷を離れたヴィナヤンは、とある寺院で一人の美しいヒジュラ(芸能や売春を生業とするインドのトランスジェンダー集団)と出会い、彼女に誘われ、ヒジュラたちが共同生活を送るハマム(マッサージパーラーという名目の娼館)へと連れていかれる。最初は戸惑ったヴィナヤンだったが、ヒジュラたちのリーダーが「自分たちのような人間は一般社会からは拒絶されている」と話すのを聞き、ハマムで暮らすことを決意する。
 やがて儀式が行われ、ヴィナヤンは名前をマンジュラに改め、先輩ヒジュラのジャミーラが、彼の新しい《母親》として名乗りを上げる。優しいジャミーラに可愛がられ、他のヒジュラとも仲良くなり、マンジュラは楽しい日々を過ごすが、いざ本当のヒジュラとなり、女性として生まれ変わる儀式の際、マンジュラはそれを拒絶してしまう。
 というのもマンジュラは、ときおり自分の中で、男性としての欲望が持ち上がるのを感じていたからだ。しかし、そのことを素直に語るマンジュラを、ヒジュラたちは「素晴らしい、では貴方は両性者アルダナーリだ」と祝福し、このハマムで唯一、女でもあり男でもある存在(普段は女性として振る舞いつつも、男性として他のヒジュラと結婚することもできる存在)として迎え入れる。
 こうして正式にハマムで暮らし始めたマンジュラは、例の自分をここに連れてきた美しいヒジュラに、彼女のBFを紹介されるが、その男に何かうさんくさいものを感じる。同時に彼女に、男性としての欲望を感じて結婚を迫るが、彼女はマンジュラの警告を聞き入れれず、求婚も拒絶する。
 男も女も、自分のことを愛してはくれないと嘆くマンジュラを、母親役のジャミーラは優しく慰め、マンジュラもまた、ジャミーラが実の母親以上に自分のことを愛してくれていると感じるのだが、そんなジャミーラが、娼館ではつきものの性病に倒れてしまい……といった内容。

 これは実に面白かった!
 異色作であると同時に、かなりの意欲作。まずは、主人公の人生ドラマや内面の苦悩などだけでも、充分以上に見応えがあるんですが、それに加えて、ヒジュラのコミュニティー内のしきたり等、今までほとんど知る機会がなかった世界を垣間見られるのと、更にはそれと同時に、社会に受け入れられてはいるものの、しかし扱いはあくまでも被差別層であるという、そういった社会問題の数々も、ダイナミックなエピソードや、はっきりとした問題提起を込めたセリフで打ち出してきます。
 ストーリー的にも波瀾万丈で、前述したあらすじの後も、幼なじみのBFの再登場、病に倒れる父親、再会した兄との再確執、ヒジュラを食い物にする極悪犯罪、犯罪組織と警察との癒着……等々、マンジュラの心の葛藤をメインに、ドラマチックなエピソードがテンコモリ。
 では、そういう不幸の釣瓶打ち的な内容なのかというと、必ずしもそうではなかったりします。
 じっさい悲劇的なエピソードも多々あるし、イントロからして、年老いて乞食のようになったマンジュラの語りから始まるので、この後どうなるのか戦々恐々なんですが、でも決して「悲惨な話でお涙ちょうだい」タイプの作品ではない。
 そういった、社会的な不条理による悲劇の数々を描きつつも、クライマックスでは(ネタバレ含むので白文字で)父親が病に倒れ、死ぬ前にひと目我が子に会いたいと願うのを受け、ヴィナヤン/マンジュラは意を決して故郷へ帰り、臨終の父親を見舞うのだが、そこで父親は、息子が完全に女性の姿になったことにショックを受けつつも、そこに両性具有の神アルダナーリシュヴァラの姿を見て(ホントにCGでピカーっと神様の姿になるもんだから、おもわず目が点になっちゃいましたw)伏し拝む……といった具合に、今まで描かれてきた諸問題をヒンドゥー神話に結びつけてきます。そして、「では、そんな世界で正義を求めるために、次は何をしようか?」と、運命に敢然と立ち向かう主人公の姿を、まるで頌歌のように高らかに謳いあげたところで終幕……という構成。
 これはちょっと、今までに見たことがないタイプの作品。インドのクィア映画ならではといった味わいです。
 全体が2時間あるかないかという短い尺なので、特に後半は描写不足の部分が多々ありますが(まぁそれもインド映画では良くあるパターン)、ドラマチックでエモーショナルな話(一箇所マジ泣きしました……)、確固とした社会派的な視点、そしてクライマックスの高揚感が合わさって、面白い、見応えあり、後味も上々……と、三拍子揃った満足感。

 ほぼ完全女装で通す主演の男優さん(Manoj K. Jayanという人で、前に感想を書いた『ケーララの獅子』にも出ています)は、力強い演技と目力で醸し出す色気が素晴らしかった。この映画だとこんな感じですが、
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素はこんな感じのヒゲが濃い太目のオジサンなので、役になりきっている様がホントお見事。
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子供時代を演じた子役の子も、とてもチャーミングで良かった。
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 それ以外の、ヒジュラたちのリーダーや、
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主人公の義母となるジャミーラも、実に良いキャラ&良い演技。
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 あちこちユーモラスな描写もありますが、決して女装自体で安易に笑いをとりにいくようなことはせず(インド映画では、コメディ・リリーフとして女装という要素を使うのが、決して珍しくはない)、全体をしっかりとシリアスな内容のドラマとして描ききるあたりにも、制作陣の意識の高さが感じられます。
 あと、余談になりますが、マラヤラム映画って前に見たときもそう思ったんですが、とにかく男優さんが皆ヒゲで太ったおじさんなので、この映画でも主人公の夫となる男性は、こんな感じ(右)だし、
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悪徳警官ですら、こう。
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 インド映画なので色っぽいシーンとかはないですけど、こんな感じのラブシーンもあり。
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 太ったおじさん同士のラブシーンというのは、ゲイビだとそういうジャンルは確立してますけど、映画では全く見た記憶がないので、これはちょっと貴重かも知れません。

 今年のバンガロール・クィア映画祭で上映されたというので、興味を持ってDVDを購入してみたんですが、まさにインドならではのクィア映画という一本。
 面白いし、志は高いし、見応えはあるし、個性もあり、後味も上々……という、題材に興味のある方なら必見の一本。 実は最初は、予告編とDVDジャケの雰囲気から、「《可哀想でしょ〜悲惨でしょ〜+コテコテの女装コメディ》だったら嫌だな〜」と結構おっかなびっくりだったんですが、その予想を悉く裏切ってくれたので、なおさら満足度も大でした。

『天才画家ダリ 愛と激情の青春』

天才画家ダリ 愛と激情の青春 [DVD] 天才画家ダリ 愛と激情の青春 [DVD]
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2012-06-22

『天才画家ダリ 愛と激情の青春』(2008)ポール・モリソン
“Little Ashes” (2008) Paul Morrison

 2008年のイギリス/スペイン合作映画。
 ダリを演じるロバート・パティンソンの『トワイライト』人気で、こんな邦題になっちゃってますが、実質はダリではなくフェデリコ・ガルシア・ロルカ(ハビエル・ベルトラン)が主人公で、同性愛者としてのロルカをメインに、ダリとの関係等を描いたゲイ映画です。

 まぁ何というか、身も蓋もない言い方をしてしまうと、「ロルカとダリで『モーリス』やってみました」みたいな映画。
 ロルカの同性愛者としての側面に焦点を置くというのは、『ロルカ 暗殺の丘』(マルコス・スリナガ監督、1997年)でも、『ブニュエル  ソロモン王の秘宝』(カルロス・サウラ監督、2001年)では、残念ながら殆ど見られなかったので(でも映画自体はどちらも好きです。特に後者は、おかしな邦題で損をしていますけど、個人的には贔屓の一本)、そこは新鮮だし嬉しかった。
 ロルカがダリとの関係に振り回された後、演劇や政治に身を投じていく姿を、同性愛者としての自己受容や行動に重ねて描くというのも、視点としてはなかなか興味深いです。

 ただ、残念ながら演出が凡庸なために、そんなアイデア以上の見応えや滋味には欠けるのが残念。
 描かれる具体的なエピソードのあれこれも、ダリの立ち位置を《魔性の美形》的にするとか、どんどん親密になっていくロルカとダリに、ホモフォビックなブニュエルが嫉妬する昼メロみたいな展開や、ゲイに振られながらも理解ある友人となる女性キャラというお約束が出てくるとか、そういった発想自体の陳腐さが、ちょっといただけない。
 また、『モーリス』や『アナザー・カントリー』系の、ある種の耽美とかコスチューム・プレイ的なゲイ映画として見てしまうと、全体が低予算のために時代の香気に酔うというわけにもいかないし(低予算ながら工夫して頑張っているとは思いますが)、また、最初は《魔性の美形》だったダリも、後半は実際の本人の姿に併せて、ルック自体がどんどん奇矯になっていくので、そんなヴィジュアル自体が足枷になってしまう。

 というわけで、ドラマティックな時代と関係性を描いた人間ドラマとしては、深みや見応えに欠けるし、映像自体のムードや昔のやおい的な耽美を求めてしまうと、映像がそれに追いついていかず……といった具合に、ちょいと虻蜂取らずに終わってしまっている感があります。
 ただ、前述したようなモチーフ自体の珍しさはあるし、着眼点自体は悪くないと思うし、また、凡庸さや陳腐さは感じつつも、別に見ていてつまらないわけでもないので、あまり多くを期待せず、気楽に見る分には良いと思います。

 なにしろ、こういうマイナーなゲイ映画の、日本盤DVDが出ること自体が珍しいので、そういう意味ではちょっと応援したい気持ちもあり。
 ありがとう『トワイライト』(笑)。

ロルカ 暗殺の丘 [DVD] ロルカ 暗殺の丘 [DVD]
価格:¥ 5,040(税込)
発売日:2000-06-25
ブニュエル ~ソロモン王の秘宝~ [DVD] ブニュエル ~ソロモン王の秘宝~ [DVD]
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2006-08-25

“Notre paradis (Our Paradise)”

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“Notre paradis” (2011) Gaël Morel
(イギリス盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 2011年のフランス映画。
 トウのたった男娼とその恋人の青年が、寄り添うように愛し合いながら、殺人を重ねていく姿を描いたゲイ映画。
 サブキャラでベアトリス・ダルも出演。

 主人公ヴァシルは盛りを過ぎた男娼。トウがたち腹も出た今は、歳を若く偽っても客にはそれを見抜かれる。そんな彼には殺人癖があり、今日も自分の歳について色々言ってきた客を絞め殺してしまう。
 その帰り道、ヴァシルはハッテン場で倒れている青年を見つける。青年は何者かに襲われて負傷しており、ヴァシルはそんな彼を家に連れて帰って手当する。自分の過去も名前も明かさない青年を、ヴァシルは彼の身体の天使のタトゥーに因んで《アンジェロ》と名付ける。
 ヴァシルとアンジェロはそのまま一緒に住み始め、やがて歳のせいで客から断られるヴァシルに代わって、アンジェロが男娼をするようになるが、ヴァシルは自分はヒモではなく、二人は対等な関係なのだと強調する。そしてアンジェロもまた、自分がヴァシルのことを愛していることに気付く。
 しかしある日、二人で一緒に変態趣味の客をとったときに、客がアンジェロを異様な方法で責めるのを見て耐えかねたヴァシルは、アンジェロの見ている前でその客を殺してしまう。
 こうして初めてヴァシルの殺人癖を知ったアンジェロだったが、それでも彼と一緒にいることを選ぶ。だが、かつてヴァシルが殺したと思っていた客の一人が生きていて、二人一緒のところを見られてしまう。
 二人はパリを離れ、ヴァシルの旧友のシングルマザーのところを訪ねるのだが……といった内容。

 映像がなかなか美しく、セックスや殺人、キンキーなプレイといった、かなり露骨で身も蓋もない描写がありつつも、同時にしっかりロマンティシズムやリリシズムも伝わってきて、そういった全体のテイスト自体はかなり魅力的。
 ストーリー的にも、まず、殺人者とその恋人の逃避行という、ベースとなるプロット自体が、ゲイ映画ではあまり見られないタイプなので興味深く、更に中盤、ベアトリス・ダル演じるシングルマザーと、その幼い息子で主人公と同じ名前のヴァシル少年が登場し、そして後半になると、ヴァシルの最初の客であった富豪と、その彼氏もストーリーに絡んでくるので、起伏に富んだ展開の筋運びで、先が読めない面白さもあります。
 反面、いろいろと要素が中途半端になっている感もあり。
 まず、ヴァシルとアンジェロの関係ですが、ストーリー自体に意外なほど閉塞感がなく、描き込みもいまいち甘いので、どうもフォーカスが散ってしまっている感があり。ゲイの男娼カップルによる殺人逃避行というストーリーのわりには、ギリギリ感が全くなく、逆に中盤以降は、普通のヒューマンドラマ的なテイストになってしまうのが、最も物足りなかったところ。
 また、ストーリーの起伏の方も、描かれるのは主人公回りのドラマだけで、追っ手や周辺のエピソードが描かれないために、筋立ての割りにはクライム・ドラマやサスペンス的な滋味に欠けるのが残念。
 カップル二人だけの世界を描くのであれば、前述したような即物性とロマンティシズムの並立が、大いに効果的かつ魅力的だったんですが、中盤以降、ストーリーがチェンジ・オブ・ペース経て、二人以外の世界や人々が、ストーリーに密接に絡んでくる展開になると、ムードだけでは持たせきれなくなってしまい、逆に齟齬が生じてしまっている感もあり。
 二人の関係、ストーリー的な工夫、少年との触れあいなどに見られるほのぼのとした描写、ゲイの世界における《若さ》の意味……等々、ディテール単位で取り出して見ると、それぞれが魅力的だっただけに、こういった弱点が何とも惜しい。
 ラストをもうちょっと変えるだけでも、だいぶ後味が変わると思うんだがなぁ……。このラストは、ドラマ的な盛り上がりにも余韻にも欠けて、ちょっといただけない。

 役者はそれぞれ魅力的で、演技も申し分なし。
 特に主人公ヴァシル役のStéphane Rideauという人は、ルックスといい体型といい、いかにも若い頃は人気の男娼だったのが、加齢と共に客をとれなくなったキャラというのに、見事な説得力を与えています。アンジェロ役のDimitri Durdaineも佳良。
 エロティックな描写に関しては、ロマンティックなセックス意外にも、けっこうキンキーな内容(ボンデージとか内視鏡プレイとかディルドとかネズミSMとか)が出てくるんですが、それらの描き方がとてもニュートラルなのが良かった。
 露悪的にするでもなく、ファッショナブルに気取るでもなく、淡々と極めて即物的な描写ながら、そこに一種のリリシズムが感じられる絵作りになっていて、そこはかなりの高ポイント。

 というわけで、全体的にはちょっと惜しい感じではありますが、それでも印象的なシーンは多々ありますし、演出等のクオリティも高いので、興味のある方なら見て損はない一本だと思います。
 特に映像のテイスト自体が、個人的にはとても好みでした。

“Teddy Bear”

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“Teddy Bear” (2012) Mads Matthiesen
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com

 2012年のデンマーク映画。
 母親の盲愛に縛られて自立できないアラフォーのプロ・ボディビルダーが、愛と女性を求めてタイに行くというヒューマン・ドラマ。
 この映画の原型となった、同じ監督&キャストによる短編”Dennis” (2007)は、ベルリンの最優秀短編賞受賞。

 38歳のプロ・ボディビルダー、デニスは、母親と二人暮らし。母は彼を溺愛しており、同時に彼をその愛で縛り付けてもいる。デニスはそんな母に「友人と映画に行く」と嘘をついて、女性とデートを試みたりするのだが、極端に奥手なので全く上手くいかない。
 そんなある日、デニスの叔父がタイからお嫁さんを連れてくる。二人の様子を見て、そして叔父から「タイなら彼女を見つけるのも簡単だ」と聞いたデニスは、母親に「ドイツの大会に出る」と嘘をついて、単身タイのパタヤへと旅行に行く。
 パタヤでデニスは、叔父が紹介してくれた斡旋人を訪ねるが、そこで紹介される女性はいわゆる商売女で、デニスが期待していた出会いとは違っていた。また、同地で西洋人がタイ人女性をはべらせて騒ぐ様子にも、どうしても馴染むことができない。
 そんな中、同地でボディビルジムを見つけたデニスは、自分の受賞歴を知るタイ人ボディービルダーとの交流を経て、ようやく一息つくことができ、やがてジムのオーナーである、未亡人のタイ人女性に心惹かれるようになるのだが……といった内容。

 何と言っても主人公デニスを演じるKim Koldの存在感が、その肉体共々素晴らしく(実際に様々な受賞歴のあるプロ・ビルダーだそうです)、その彼の俳優デビュー作でもあり、YouTubeでも公開されている前身となった前述の短編”Dennis”がとても良かったので、その長編版ということでかなり期待して見た一本。
 全体の雰囲気は実に穏やかで、静かで淡々としつつも温かみがあり、鑑賞後の後味も上々。
 ストーリー的には、実にシンプルな内容ながらも「この先どうなるんだろう」という要素で牽引していき、ゆったりしたペースながらも弛緩は皆無。
 ドラマ的にはエモーショナルな起伏もありますが、それすら描写自体は穏やかで、映画の半ば以上がタイが舞台というせいもあって、何というか、ゆったりとした空気感にしみじみ浸れる感じ。全体に漂う自然なリアル感も素晴らしい。
 筋肉の小山のような巨漢なのに、内気で気弱なデニスのキャラも良いし、ジム・オーナーのタイ人女性も、いわゆる美人では全くないけれど魅力的。どちらも演技的にはほぼ素人らしいですが、とてもそうとは思えない自然な佇まい。お見事です。
 ただ、見る人によっては、女性観が男性目線すぎると感じられるかも知れません。
 個人的には、男性同士やビルダー仲間となら屈託なく接することができるのに、女性相手だとどうしていいのか判らず、更に母子関係にも縛られた男を描いた内容なので、これはこれで良いのではと思いますが。

 さて、原型となった短編”Dennis”と比較してみると、あちらは主人公の《異形》としての煩悶にフォーカスが当たっていたり、また、ある意味で異様な母子関係を描いているのに、なのに不思議としみじみとした後味が残るというギャップがあったりしたのに対して、本作ではそういった要素は後退気味。
 そういった諸々の要素は、既に”Dennis”で語り終えたという風情で、こちらの”Teddy Bear”はその後日譚&決着編という感じです。なので、母子関係や主人公の内面という点では、2本続けて見た方がより味わい深くなりますし、逆に言えば、”Teddy Bear”単品を独立した作品として見てしまうと、いささかそういった部分に突っ込み不足が感じられてしまうかも。
 幸い”Dennis”もDVDのボーナスで入っているので、これは是非続けて見ていただきたいところ。

 というわけで、とにかくまずは、この主人公を愛おしく思えるかどうかがキモになると思いますが、私はもうバッチリでした。
 クオリティも高いので、単館上映系の映画が好きで、しかも筋肉男が好きな方だったら、これは激オススメの一本です。

 そして前身となった短編”Dennis”ですが、DVDにも収録されていますが、YouTubeでも英語字幕版が公開されています。