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“Baba Yaga”

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“Baba Yaga” (1973) Corrado Farina
(アメリカ盤DVDで鑑賞→amazon.com

 1973年製作の伊仏合作映画。私の敬愛するイタリアのコミック作家グイド・クレパックスの代表作『ヴァレンティーナ』シリーズを、ヒップでサイケなムードで実写映画化したカルト作品。別名”Kiss Me Kill Me”。
 女流写真家が謎の女と出会ったことで、幻想的でエロティックな世界に巻き込まれていくという内容。

 女流写真家ヴァレンティーナ(イザベル・デ・フュネス)はパーティーの帰りにバーバ・ヤーガと名乗る不思議な女(キャロル・ベイカー)と出会う。バーバ・ヤーガは謎めいたことを言いながら、ヴァレンティーナのガーターを取って「明日までこれを預からせて」と言う。
 翌日、自宅兼スタジオでモデル相手に撮影をしていたヴァレンティーナのもとに、バーバ・ヤーガが訪れるとガーターを返し、彼女のカメラのことを「これは時間をフリーズさせる眼ね」と言って去る。以来、ヴァレンティーナがそのカメラで撮影をすると、モデルが倒れる等の怪事件が起きるようになる。
 更にヴァレンティーナはエロティックな悪夢を見るようになり、謎を探るためにバーバ・ヤーガの住む古屋敷を訪れる。屋敷には、古びて奇怪なオブジェ、絨毯の下に隠された底なしの穴、サドマゾヒズムやフェティシズムを暗示する道具などがあり、ヴァレンティーナはそこで自慰をしてしまう。そんなヴァレンティーナに、バーバ・ヤーガは「お守りになる」と言ってボンデージ衣装の人形をプレゼントする。
 後日、ヴァレンティーナが例のカメラではなく別のカメラでモデル撮影をしていると、不意に電気が消える。そして再び明るくなったときには、モデルは太腿を何かに刺され、傍らには例の人形が落ちている。ヴァレンティーナは、バーバ・ヤーガは魔女でカメラに呪いをかけたのではないかと疑い、恋人の映画監督アルノ(ジョージ・イーストマン)に相談するが取り合って貰えない。
 しかし帰宅すると、使わなかったカメラが何かを撮っていた様子がある。フィルムを現像してみると、そこには思いもよらぬものが映っていて……といった内容。

 ヒップな音楽(ピエロ・ウミリアーニ)に乗せたファッショナブルなカット、クローズアップを多用したサイケ感の描出、程々の前衛性、モノクロ写真をマルチスクリーン的に配置したり、コマ落とし的に動かすことでコミックのテイストを再現する試みなど、前半から中盤はかなり見所多し。
 惜しむらくは、クライマックスになるとそういった美点が消えてしまい、黒魔術とレズビアニズムとサドマゾヒズムの合体という特徴はあるものの、表現自体は凡庸な怪奇映画のヤマ場的なそれになってしまっていること。またストーリー自体も、囚われのヴァレンティーナをアルノが助けにいく等、終盤は展開が陳腐になってしまっているのが残念。
 クレパックスの特徴の1つ、エロティックでサドマゾヒスティックでフェティッシュで幻想的な白日夢の再現という面は、イメージ的には頑張ってはいるものの、やはり当時の実写(それもさほど予算はかかっていない)の限界もあって、残念ながらオリジナルのコミックの奔放さには遠く及ばない出来。
 とはいえ、ヴァレンティーナを演じるイザベル・デ・フュネスの、ちょっと神経症的でサイケな容貌と、スレンダーなのにお乳はバッチリという体型などは、キャラクター的にも作品の雰囲気にも合っていて、なかなか佳良。
 また、ヴァレンティーナの撮影風景などのクールでファッショナブルな雰囲気と、バーバ・ヤーガ周辺のゴスな雰囲気、所々見られる程よく前衛的な表現、ちょっとジャーロっぽいミステリアス・なムード……等々、見所はあちこちあるので、どれか琴線に引っかかった方なら、ばっちりエンジョイできるかと。
 多くを期待しすぎなければ、ちょっと変わったカルト系のヨーロッパ・エロス映画としては、充分に楽しめる出来だと思います。

 クレパックスのファンとしても、オリジナルのコミックのテイストを映画的に再構築しているラブシーンとか、
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その続きのベッドシーンの表現なんか、
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「おぉ、頑張ってるな〜」って感じで嬉しいし。

 米盤DVDは、監督のインタビュー(最近収録)、カットされたシーン(キャロル・ベイカーのフル・フロンタル・ヌードあり)、グイド・クレパックスの作品に関する短編ドキュメンタリー(イタリアコミック史上の位置、独自性、映画性などの内容で、これが実に面白かった)、スチル等、特典は豊富。
 Blu-rayも最近出ました。確認はしていませんが、おそらく特典等は同一かと。
 ただし、英語音声のみ収録のアメリカ盤に対して、イギリス盤DVD
は英伊二ヶ国語収録で、しかも削除部分を復元したファイナル・カット版だということなので、それを知らずにアメリカ盤を買ってしまった私としては悩ましいところ。

“Baba Yaga”予告編。

“Baba Yaga”ファイナルカット版イギリス盤DVD宣伝クリップ。

 因みに、予告編でも聴けるピエロ・ウミリアーニのヒップなテーマ曲”Open Space”はこちら(amazon.co.jpのMP3ダウンロード販売)。

『英雄の証明』

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『英雄の証明』(2011)レイフ・ファインズ
“Coriolanus” (2011) Ralph Fiennes
(日本盤Blu-rayで鑑賞→amazon.co.jp

 2011年のイギリス映画。シェイクスピアの悲劇『コリオレイナス』を、舞台を現代に置き換えて描いたもの。(でも個人的には、後述するようにホモソーシャル/ゲイ映画として楽しめた一本)
 監督・主演レイフ・ファインズ、共演ジェラルド・バトラー、ブライアン・コックス、ヴァネッサ・レッドグレーヴ。

 ローマ(という名前の現代の都市国家)の軍人マーシアスは、敵国の猛将オーフィディアスを打ち負かし、都市コリオライを陥落させた武勲により、救国の英雄として「コリオレイナス」の称を受ける。
 コリオレイナスは、政治的野心を持つ母親の意に沿うために、執政官選挙に出馬して人々の支持も得るが、その権力に危機感を抱く政治家とマスコミ、そして彼らに煽動された市民たちによって、潔癖で激昂しやすい気質を逆手にとられ、追放刑に処せられてしまう。
 こうしてコリオレイナスは、故国に裏切られた怒りと絶望を抱えながら、独りローマを追われるのだが、その向かった先は仇敵であるはずのオーフィディアスの元であり……といった内容。

 瑕瑾がないとは思わないけれど、見応えは大いにあり。
 舞台を現代に置き換えたのは、内容の普遍性をより明確に浮かび上がらせるという点で効果絶大。ただし浅学にして原典を良く知らないので、どの程度のアレンジや変更があるのかまでは判らず。
 英雄的な軍人であり、ある意味で高潔でもある「孤独な竜」と称される主人公像(ちょっとニーチェ的)と、衆愚として描かれる民衆などは、色々と異論もあるかとは思うけれど、理想主義と現実主義の相剋といった命題や、護民官をマスコミに置換することによって描出される社会的な普遍性などは、個人的には実に興味深し。
 表現面は全編ドキュメンタリータッチで、概してそれも効果的ではあるものの、それでも芝居的な見せ場になると、やはりシェイクスピア的なセリフ廻しとニュース映像的なリアル感が、いささか齟齬が生じている部分があるのは否定できない。
 また全体を通じて、見せ場的な華に乏しい感があり、役者の演技で何とか保ってはいるものの、エモーションが揺さぶられにくい部分があるのも事実。
 映像としての動的な見せ場が、前半の市街戦に集中してしまい、後半部にそういった要素がなかったのも残念。
 演出意図に基づくものなのか、予算の関係なのか判りませんが、いずれにせよ後半の進軍・戦争・破壊といったプロセスを、セリフだけではなくしっかり映像でも見せた方が、映画としては全体が引き締まったのではないかという気がします。

 個人的に大いに興味を惹かれたのは、コリオレイナス(ファインズ)とオーフィディアス(バトラー)という、ライバル同士である二人の軍人の関係を描いた部分。
 この部分がもう思いきりホモソーシャル色が濃厚で、ある意味、オーフィディアスがコリオレイナスに片思いしているゲイ映画として解釈したくなるくらいでした。何しろジェラルド・バトラーがレイフ・ファインズを抱きしめて「俺は今、新妻を部屋に迎え入れた時よりも心が躍っている!」とか言っちゃうんだもん(笑)。
 そして、そのバトラーの《恋敵》に当たるのがコリオレイナスの母で、これがまた父性と母性を同時に持ち合わせているかのような魅力的な人物なんですが、それを演じるヴァネッサ・レッドグレーヴの見事さといったら、大女優の貫禄ここにありという感じで、いやもうホント絶品。
 というわけなので、ヤヤコシイことは置いておいても、オヤジ好き&軍人好き&深読み好きのゲイ&腐女子の皆さんは、その部分だけでも間違いなく一見の価値ありだと思います。実に萌えどころ豊富で、そこはもう太鼓判。

 もちろんそういった部分をさっ引いても、前述したように見応え自体はタップリなので、モチーフに惹かれる方であれば、一見の価値はあるかと。
 でもやっぱり個人的には、これはホモソーシャル/ゲイ映画として楽しみたい感じ。

英雄の証明 [Blu-ray] 英雄の証明 [Blu-ray]
価格:¥ 4,935(税込)
発売日:2012-07-03
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価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2012-07-03

“Singapore Sling”

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“Singapore Sling” (1990) Nikos Nikolaidis
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com

 1990年制作のギリシャ映画。
 全編美麗なモノクロ映像とデカダンな美術で彩られた、セックスと殺人を巡る不可思議で不条理な怪奇幻想譚で、フィルムノワール風味のアートなゴシックホラーといった趣もあり。

 ある雨の夜、庭に穴を掘って瀕死の人間を埋めている二人の女を、傷を負った男が目撃する。
 二人の女は母と娘で、父親は死んでいるが、色情狂気味の娘は、父親はまだ死んではおらず、墓から出てきて自分を犯すと思っている。母の股間にはペニスが生えており、それで秘書の面接にきた娘を犯して殺す。
 負傷している男は行方不明になった恋人ローラを探しており、母娘の家を訪ねる。母娘は口をきかない彼を《シンガポール・スリング》と名付け、監禁してベッドに縛り付け、犯し、尿を掛け、電気で拷問する。その間、男は自分のほどけた靴紐のことをずっと気にしている。
 娘は、自分が男の探している《ローラ》だと言い、連れて逃げてくれと頼む。一方で母は、男を赤子のように可愛がり、娘の言うことを信じては駄目だと諭す。
 やがて男は、母が《ローラ》を拷問するのに自ら手を貸すようになるのだが、そんな中、父の遺品のナイフがなくなり……といったような内容。

 まあぶっちゃけ筋を追っても、ナニガナンダカサッパリワケガワカラナイ系の話なので、ここはもうエロティックで残酷な幻想不条理譚と割り切って、美麗な画面と異様な雰囲気を楽しみつつ、それぞれのエピソードにビックリしたりウットリしたりという楽しみ方をする映画かと。
 実際、映像は極めて美麗。屋敷の様子や衣装のゴージャス感は文句なしで、陰影を上手く活かしたモノクロ撮影も見事。
 また、母娘を演じる女優さんたちが、容姿的にも演技力的にもクオリティが高いのも良し。わりとこういうアヴァンギャルド系は、そこいらへんで醒めることが多いので。
 ただ、尺が2時間近くあるので、流石にちょっと退屈な部分もあり。
 前半は、本気だかふざけてんだか判らない変な可笑しさも手伝って、なかなか快調に見られるんですが、後半のSMセックスや女たちの自慰がメインの展開になると、さほど目新しいものがないせいもあって、ちょっとイマイチ感が漂う。
 この映画に限らず、アート系や耽美系映画に出てくるBDSM表現では、正直なところ感心させられたことは殆どないんですが、この映画もしかり。ラウラ・アントネッリの『毛皮のヴィーナス』とか、寺山修司の『上海異人娼館』程度の、BDSM描写に限定して言えば、雰囲気や型が「それっぽい」だけで、それ以上のものは何もないタイプ。映像センス自体は良いので、そこいらへんももうちょっと頑張って欲しかった。
 とはいえ、クライマックスのどんでん返し……とは言え不条理な話なので、ひっくり返ってビックリはするけど意味はサッパリ分からないんですが(笑)……以降は、馬鹿馬鹿しくも残酷ながら、奇妙にロマンティックな雰囲気も漂い、それでテンションも持ち直したという感じがあって、後味はなかなか上々。

 というわけで、意味不明でも構わないから、耽美的なもの、残酷なもの、エロティックなもの、変なもの、ゴシックな雰囲気が好きな方なら、なかなか楽しめるのではないかと。ただし一緒に見た相棒には大不評(映像の美麗さのみは高評価)だったので、責任は持てませんけど(笑)。
 とにかく映像クオリティは高いので、デヴィッド・リンチとダリオ・アルジェントと『レベッカ』あたりのヒッチコックを混ぜて、それをアヴァンギャルド不条理劇にしたってな感じもあり、個人的にはけっこう好きです。

 余談。
 ちらっと『毛皮のヴィーナス』に触れましたが、同じ『毛皮のヴィーナス』の映画でも1994年のオランダ版(マルチェ・セイフェルス&ヴィクトル・ニーヴェンハイス)は、アート映画寄りの作品なので劇映画的な面白さは別としても、SM的な興趣に関してはあちこち面白い部分があるので、男マゾものがお好きな方なら一度お試しあれ。

毛皮のヴィーナス [DVD] 毛皮のヴィーナス [DVD]
価格:¥ 4,935(税込)
発売日:2003-01-31

『エジプト人』

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『エジプト人』(1954)マイケル・カーティス
“The Egyptian” (1954) Michael Curtiz
(米盤Blu-rayで鑑賞→amazon.com

 1954年製作のスペクタクル史劇。マイケル・カーティス監督。
 紀元前1300年代中頃の古代エジプトを舞台に、一人の医師の波瀾万丈な生涯を、アクナトン(イクナートン、アクエンアテン)の宗教改革などに絡めて描いた内容。原作はミカ・ワルタリの同名小説(未読)。

 主人公シヌヘ(エドマンド・パードム)は葦船に乗せられてナイル川を流れてきた赤子。医者夫婦に拾われて息子として育てられ、成長後は同じく医師を目指す。ある日彼は、軍人志望の友人ホレムヘブ(ヴィクター・マチュア)と共にライオン狩りに出掛け、そこで神に祈りを捧げていた一人の男(マイケル・ワイルディング)を助ける。
 その男こそがエジプトの次のファラオであり、エジプト古来の多神教から世界初の一神教へと宗教改革をするアクナトンだった。アクナトンはシヌヘを気に入り、自分の侍医にする。またシヌヘは酒屋の娘メリト(ジーン・シモンズ)に慕われるが、バビロン出身の高級娼妓(ベラ・ダルビー)に夢中になり、やがて全てを喪ってしまう。
 追われる身になったシヌヘは、奴隷カプタ(ピーター・ユスティノフ)と共にエジプトから逃れ、クレタやメソポタミアなどを転々とする。しかしアッシリアがエジプト攻撃を計画していることを知り、彼らの秘密兵器である鉄器を持ってエジプトに帰る。
 エジプトに戻りメリトとも再会したシヌヘだったが、理想主義者で実務に疎いアクナテンの治世によって、エジプトの国土は荒廃していた。また友人だった軍人ホレムヘブは、既に指揮官にまで上り詰め、神官たちと手を組んで次期ファラオの座を狙っていた。
 そんな中、ファラオの妹バケタモン(ジーン・ティアニー)がシヌヘに接近し、とある秘密を明かすと共に計略を持ちかけるのだが……といった内容。

 監督が『カサブランカ 』も撮れば『ロビン・フッドの冒険』や『肉の蝋人形』も撮る、職人マイケル・カーティスなので、スペクタクル史劇にありがちな過度にもったいぶった要素があまりなく、また尺が2時間20分と短めなこともあって、この手の映画にしてはわりとサクサク見られる感じ。
 とはいえ、悩み多きキャラクターである主人公には、正直あまり動的な魅力は感じられず、演じるエドマンド・パードムも、演技力もオーラも共に不足している感じ。また、こういうテーマを扱いながら、前半1時間近くを延々と、初心な主人公が悪女に翻弄される話に費やすのもどうかと思う。
 合戦シーン等の大がかりな見せ場もないので、スペクタクル的な見せ物としての楽しさもそこそこどまり。エピソードやシチュエーションやテーマが、かの『十戒』とかぶりまくっているのも、どうしても比較して見劣りしてしまう感じに繋がってしまうかなぁ。
 ストーリーの根っ子にあるテーマとしては、イクナートンの宗教改革による世界最初の唯一神アテン信仰を、後のユダヤ教を経たキリスト教誕生のルーツとする説を踏まえ、その2つを意図的に重ね合わせて見せ、結果的には主人公がその筋道を辿っていく様子を描くというものがあります。
 これはアプローチとしては面白いんだけれども、それが出てくるのが映画のほぼラスト近くになってからというのは、ちょいとバランスが悪い感じ。また、その重ね合わせの方法自体も、いささかクリシェに寄りすぎていたり、あからさま過ぎて鼻白む感もあり。
 とはいえ、セットや衣装の美しさや、ロマンティックな照明による画面などは、なかなか魅せられる場面も多々ありますし、ストーリー自体は波瀾万丈で決して退屈な内容でもないので、このジャンルが好きな方だったら、まぁ見て損はなし。

 Blu-rayは、米SAE発売の限定3000枚(DVDも同時発売)。画質等がどれほどのものか等、ちょっと不安もあったんですが、クラシック作品としては問題ない高品質。ただし残念ながら英語字幕はなし。

“Capitaine Conan (コナン大尉)”

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『コナン大尉』(1996)ベルトラン・タヴェルニエ
“Capitaine Conan” (1996) Bertrand Tavernier
(英語字幕付きフランス盤DVDで鑑賞→amazon.fr、後にフィルムセンター『現代フランス映画の肖像2』で再鑑賞)

 1996年制作のフランス映画。ベルトラン・タヴェルニエ監督。
 一次大戦末期から終戦直後にかけてのロシア国境近辺で、終戦後の平和に馴染めない軍人を主人公に、軍隊というシステムの矛盾などを描いた作品。セザール賞最優秀監督賞&主演男優賞受賞。

 第一次世界大戦末期、ブルガリアで戦っているフランス軍。
 コナン大尉は自ら育てた手勢50名を率いて、特殊部隊のような活躍をしている。銃器ではなく白兵戦をモットーとする彼は、自分は兵士ではなく戦士、猟犬ではなく狼だと考えており、捕虜をとることはなく敵は全て殲滅する。部下たちもまた同様だった。
 そんな自分の信念を貫くコナン大尉は、基本的に士官学校出のエリートには不信感を持っており、たとえ上官の命令であってもナンセンスであると思えば平然と無視する男だったが、元教師のノルベル中尉とだけは、互いに全く違うタイプながらも友情で結ばれていた。
 そして戦争が終わる。フランス軍兵士たちはこれで故郷に帰れると喜んで列車に乗るが、ハンガリーのブカレストに留め置かれてしまう。
 平和に馴染めないコナンの部下たちは、乱暴狼藉など何かと問題を引き起こしてしまい、一方ノルベルは軍事法廷の検事に任命されてしまう。コナンは部下を庇って、何かとノルベルと対立することになるが、一方でノルベル自身も、兵卒ばかりが些細な罪や大した証拠もないにも関わらず裁かれ、上層部の軍人は責を問われることなくノホホンとしていることに疑問を抱き、持ち前の正義感から悩む。
 そんな中、軍隊は対ボリシェビキ戦に備えて、再び故郷とは反対方向の東方へと移動することになる。
 自分の信念を曲げないコナンも、裁く側となって矛盾に悩むノルベルも、罪に問われて拘留されたコナンの部下たちや他の兵士たちも、その皆が戦場となる東へ向かう列車に乗り……という内容。

 基本的な構造としては、平和な時代はおろか、実は近代戦自体にも馴染めないコナン大尉という男の生き様と重ねながら、近代的な戦争や軍隊の持つ問題点や矛盾を描き出した、文芸的な大作映画といった印象。
 とは言え、いかにもそういったモチーフらしい世界の残酷さや空しさを描きつつも、同時に生きている人間ならではのユーモアもふんだんに盛り込まれ、決して重苦しい作品にはならないあたりが、タヴェルニエ監督らしいという感じでしょうか。たとえどんな切迫した状況であっても、その中での食い気と色気がしっかり描かれるあたりは、私が大好きな同監督の『レセ・パセ 自由への通行許可証』と同じ。
 映画の冒頭とクライマックスを、それぞれ戦争場面で挟む構成になっているんですが、この部分のスペクタキュラーな見応えもお見事。特に初めの戦争シーンは、マクロな視点のスケール感、迫力、細部の面白さ……等々、内容的にも映像的にも大いに楽しめます。
 中間部分は、無遠慮な兵士の振る舞いとか、ミュージックホールに入った強盗とか、命令違反に問われた若い兵士とか、帰らぬ息子を自力で前線まで探しに来た母とかいった、様々なエピソードと共に、ちょっとした謎解き的な要素なんかも絡んできて、これまた飽きさせない。
 そんな中でも、やはりユーモラスな描写が光っていて、例えば、冷たい雨の中で整列し兵士たちが、延々と将軍の長演説を聴かされているうちに腹を下してしまい、ガマンできずに次々と物陰に駆け込んでしゃがんでしまうとか、軍楽隊も同様に腹に力が入らず、演奏がメチャクチャになってしまうとか、ブカレストで即席の軍刑務所兼軍事裁判所が必要になるのだが、それが娼館に作られてしまうとか、そんなあれこれが実に楽しい。

 一方、戦争犯罪や命令違反などを巡る、ちょっとした謎解き部分のドラマに関しては、実はそれらの主眼は真実の究明に至るドラマ云々ではなく、例えそこにどんな理由や不正や正義があったにせよ、それとは関係なく現実は冷酷であるというのを見せることにあった模様。これは、そういった厭世観や無常観、そしてそんな現実に対する批評性としては有効なんですが、個人的にはもうちょっと娯楽寄りに目配せがあった方が好みではありました。
 役者さんはそれぞれ魅力的なんですが、主人公であるコナン中尉役のフィリップ・トレトンが、大いに魅力的ではあるものの、それでもちょっと弱さを感じるのが残念。
 というのも、このコナン中尉というキャラクターは、いわば生まれながらの戦士であり、平和な時代はおろか、実は近代以降の社会全てに居場所がないような、そんな人物。そんな彼は「引き金を引くだけで相手を殺すのは《戦った》とは言わない、刃物で突き刺してこそ《戦い》であり、それが兵士ではない《戦士》の証だ」などと、堂々と言ってのける人物なんですが、トレトンは顔立ち自体に人が良さそうなところがあり、好演はしているとは思うんですが、正直そこまでの凄みはない。

 そういう感じで、個人的にはちょっと惜しい感もあり、映画の後味もけっこう苦いものがありますが、見応えはタップリ。
 ストーリー的に様々な位相を持ち合わせた内容なので、見る人を選ぶ部分もあれこれあるとは思いますが、時代物、戦争物、男のドラマ物がお好きな方なら見所も多いと思います。

レセ・パセ[自由への通行許可証] [DVD] レセ・パセ[自由への通行許可証] [DVD]
価格:¥ 2,500(税込)
発売日:2006-04-28

“Iz – rêç (The Trace)”

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“Iz – rêç” (2011) M. Tayfur Aydin
(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで購入可能→amazon.com

 2011年のトルコ映画。英題”The Trace”。
 故郷に帰りたいという老母の唯一の望みを叶えるために、棺を運んで旅する息子と孫の姿を通して、未だ癒えぬトルコ国内での民族紛争問題に、無言の抗議を突きつけた意欲作。

 故郷を追われイスタンブールで暮らすクルド人一家。ある日祖母が転倒し、医者に連れていったところ治療不可能な脳腫瘍が発見され、余命いくばくもないと宣告される。
 祖母は唯一の望みとして、故郷に帰ってそこで埋葬されたいと息子に頼む。息子はそれを承諾し、お祖母ちゃん子の孫息子と共に、十数年前に後にした故郷の村に、祖母を連れていくことにする。
 しかし厳格な父親である息子と、現代っ子の学生である孫息子は折り合いが悪く、この父子は何かと衝突を繰り返す。そんな中、田舎へ向かう列車の中で祖母が亡くなる。
 父子は祖母の遺体を棺に入れて、故郷の村の近くに住む親戚の家に運ぶ。そして車を手配し、今や廃村となっている故郷へと向かうのだが、道が軍隊によって封鎖されていて、村に辿り着くことができない。
 父子はいったん近郊のクルド人の村に身を寄せる。村の人々は、故郷の村に行くのは無理だからここに埋葬しろと父子を説得する。しかし父はあくまでも祖母との約束を守ることにこだわり、棺を馬に乗せて徒歩で村へ行こうとする。
 息子は父親に向かって、そこまでして祖母との約束を守らなければいけないのかと抗議するが、父親はそれを聞き入れようとはしない。孫息子は仕方なく父親を手伝い、共に雪道を進み始めるのだが、やがて馬はへたばってしまう。
 父子は自分たちで棺を担ぎ、道なき道を進み、やがて祖母の埋葬場所に辿り着くのだが、そこで一族のルーツに関する驚くべき事実が明かされる……といった内容。

 いや、これはやられた……。
 故郷を追われたクルド人一家、民族的な出自のせいで恋人に振られてしまう孫息子、旅先で理不尽に身分証の提示を求める警察……といった具合に、モチーフはクルド問題なのだとミスリードさせて、最後の最後に「うわぁそっちへ行くか!」という感じでした。いやぁ、一本とられた。
 演出は極めて静的。セミフ・カプランオールやヌリ・ビルゲ・ジェイランほど禁欲的ではないにせよ、派手な場面は皆無で全てが淡々と進んでいきます。描かれるエピソードもホームドラマ的で、いささかのさざ波はあれども、しかし基本的にはどこにでもありそうな光景を、丁寧に繋いでいくという感じ。
 ただし、孫息子の叶わぬ恋とか、不妊に悩む娘夫婦とか、父と息子の不和とかいった、そういうホームドラマ的なエピソードは、いずれもこれという決着には至らない。これらはあくまでも《日常》を提示するためのファクトでしかなく、それゆえに、最後に突きつけられる重い命題が、こういう《どこにでもある日常》の裏に、常に存在し続けることを明示する効果になっています。
 美麗な映像もまた、この命題とのコントラストを醸し出していて有効。
 後半の、棺を担いだ父子が黙々と進むシーンに見られる、自然の風景を活かした詩情あふれる映像を筆頭に、夜、老母の棺の前に座る息子の背後で、家の灯りと共に赤ん坊の出産の物音が聞こえてくるという、生と死が交錯するシーンや、トルコ映画ではちょっと珍しい、全裸で横たわる恋人たちの全身を俯瞰で捕らえるシーンなど、美しく印象深い場面も多々あり。
 役者さんたちの自然な演技や、それによって醸し出されるリアルな存在感も、同様に実に効果的。

 前述したように、ストーリー的には最後に空中分解するようなツイストが入るので(ネタバレを含むので詳細は後述)、そこは好みが分かれるかもしれません。いわば観客は、フクションである《映画》の世界から、唐突に《現実》に放り出されてしまい、その時点でフィクション的なドラマの数々は無効化してしまい、現実の世界が抱える問題が突きつけられる形になります。
 しかし、ラストの廃屋の窓の中に無言で佇む二人の姿は、こういった問題に対する無言の抗議として言葉以上に雄弁であると思うし、何よりこのモチーフを取り上げること自体が意欲的。
 結果、映画は登場人物が何か考えて答えを出すのではなく、鑑賞者である我々に考えさせるという形で終わります。描かれている映像自体は、シリアスな雰囲気ではあるものの、決して重苦しかったり暗かったりはしないのに、鑑賞後は極めてズッシリとした味わいに。
 いや、繰り返しになりますが、これは一本とられたという感じ。

 ある程度トルコの近代史や民族問題に関する知識がないと、ちょっと理解が難しいところはあるかも知れませんが、それらに興味のある方なら見て損はない一本。

【ラストシーンのネタバレを含む解説】
(嫌な方は以下はお読みになられませんように!)
 前述したようにこれは、基本的には紛争によって村を追われたクルド人一家の話なので、当然観客も、祖母が帰りたがっているのは放棄されたクルド人の村だと思っています。
 しかし最後の最後、祖母の棺が祖父の眠る墓に辿り着いたとき、生前の祖母のモノローグによって、実は彼女はかつてトルコで虐殺されたアルメニア人の生き残りで、自分の家族を殺された上に強奪され、無理やり主人公父子の父親にあたるクルド人男性と結婚させられたという事実が明かされる。彼女が帰りたがっていた(埋葬されたがっていた)場所も、亡夫と同じ墓ではなく、かつてアルメニア人墓地のあった場所だった。
 こうして、今まで被害者だと思っていたものが、同時に加害者でもあったという事実、繰り返される悲劇という歴史が明かされ、それを踏まえて祖母を埋葬した父子は、放棄された村の廃墟となった家の中に佇み、その窓越しに観客である我々を、何かを訴えかけるように無言で延々と見つめ続ける。
 セリフはいっさいないにも関わらず何よりも雄弁な、素晴らしいエンディングでした。

“Fetih 1453 (The Conquest 1453)”

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“Fetih 1453” (2012) Faruk Aksoy
(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com

 2012年制作のトルコ映画。メフメト二世とその腹心の軍人ハサンを主人公に、1453年のコンスタンティノープル陥落を描いた大作史劇で、トルコ国内では大ヒットを記録。英題”The Conquest 1453″。

 とある夜、コンスタンティノープルの夜空に凶兆である帚星が現れる。それと共に時のオスマン帝国のスルタンに王子が誕生、予言者はその子が偉業を成し遂げると告げる。
 やがて成長した王子が、腹心ハサンと剣の稽古をしている最中に父王崩御の報が届き、やがて王子はメフメト2世として即位する。祖父の夢を見たメフメトは、周囲の豪族を束ねコンスタンティノープル攻略を夢見るようになる。
 メフメトの勢いを恐れた東ローマ皇帝コンスタンティノス11世は、裏から手を回しカラマン侯国をメフメトにけしかけるが、メフメトはハサンの活躍によって情報を事前に入手、カラマン侯国に勝利する。コンスタンティノープル攻略に反対する宰相ハリル・パシャを押し切り、メフメトはその第一歩として城塞(ルメリ・ヒサル)を建設する。
 一方でハサンはウルバンという腕の良い技術者と出会い、その美しい養女エラに恋をする。コンスタンティノスはウルバンに大砲を建造させようとするが、ウルバンが拒否したため、エラを人質に取って建造を強要しようとする。しかしハサンが二人を救出し、メフメトの元へ届ける。ウルバンとエラは、オスマン軍のために、不落のコンスタンティノープルの城壁を破壊できる巨大砲を作ることにする。
 コンスタンティノスはヴァチカンと手を結んで十字軍の協力を得ようとするが、ローマはその条件として、東方教会がカトリックの権威にくだることを要求する。コンスタンティノスはそれを受け入れるが、第4回十字軍とラテン帝国の暴虐を知る重臣や、コンスタンティノープル総主教らは、それに反発する。一方のメフメトは、東方教会に対して信教の自由を保障する。
 やがて巨大砲が完成し、いよいよコンスタンティノープル包囲戦が始まる。しかしコンスタンティノープルに付いたジェノヴァからの援軍と、その隊長ジョヴァンニの働きにより攻城戦は難航する。しかもジョヴァンニは以前エラに結婚を申し込んだことがあり、ハサンとはライバル関係にあたる男だった。
 戦況が膠着する中、ハンガリーから十字軍が来て挟み撃ちにされるとの噂が流れ、疲弊したオスマン軍の兵士たちは次第に戦意を失っていく。またハリル・パシャも、そもそもこの作戦は間違いだったのだとメフメトに迫る。
 そういった状況に押されて、やがてメフメト自身も戦意を挫かれそうになるのだが、しかし……といった内容。

 スペクタクル史劇好きなら、間違いなく大いに楽しめる一本。
 160分の長尺のうち、前半の80分でコンスタンティノープル攻略に至るあらましを、後半の80分で攻城戦をたっぷり見せるという構成で、若干CGの粗はあるものの、スケール感や物量感では文句なしの大作。
 作劇的には、歴史劇的な叙事要素を、メフメト2世とコンスタンティノス11世を軸としたドラマで描き、アクション・アドベンチャーやロマンスといった娯楽要素を、ハサンとエラとジョヴァンニのパートで押さえるという構成をとっており、これがなかなか効果的で、重厚な歴史劇の魅力と痛快娯楽作の魅力が、上手い具合にサンドイッチ状態になっている印象。
 最大の見せ場であるコンスタンティノープル攻城戦は、表現自体は昨今のハリウッド史劇のアレコレと同じような感じで、特に個性や目新しさはないものの、既視感があれども迫力のある画面、テンポが良い展開、ハリウッド的ながらも効果的な劇伴など、諸々の要素が合わさって、十分手に汗握る見せ場になっています。
 そこに加えて、仲間意識や自己犠牲といった泣かせ場面とか、ライバル同士がぶつかり合う激しいアクション・シーンとかいった、娯楽ドラマ的に美味しい要素があれこれ出てくるので、気分的な盛り上がりはかなりのものですし、クライマックスなんかもベタながらも感動的で、ちょっと目頭が熱くなっちゃったりして。
 欲を言えば、ちょっとエピソードのつなぎがぎこちなかったり、説明不足と感じられる部分はあります。
 鑑賞後にウィキペディアで確認してみたところ、ウルバンの巨砲は連続発射が出来なかったとか、オスマン艦隊がジェノヴァ艦隊に破れた結果、丸太のコロを使って艦隊を山越えさせるという奇策をとったとか、そういったあたりはスペクタクル的な見せ場という面も込みで着実に描かれている反面、それらに至るあらましといった部分が些か犠牲になっている感があり。ハギア・ソフィア大聖堂(アヤ・ソフィア)で迎えるエンディングも、舞台設定や絵的な魅力は十分ながらも、もうちょっと余韻が欲しかった。

 人間ドラマの方は、メフメト2世とコンスタンティノス11世のパートは、やはりキャラクターとして自由に動かせる制約的なものがあるのか、またセリフ等に専門的な要素が多く、私の語学力ではちょっと追い切れない部分もあったせいか、生き生きというには少し物足りなさがあったんですが、ハサンとエラとジョヴァンニのパートに関しては、これはもう痛快娯楽時代活劇といった感じの判りやすさで、もうタップリ楽しめました。オマケに、ハサンもジョヴァンニも実にカッコ良い(笑)。
 ただこの二人、髪型といいヒゲといい衣装の色といい、実に良く似た外見で、慣れるまで見分けがつかなくて大変だったんですが(笑)、これはおそらくヒロインを挟んで相似形の対称関係ということで、意識して似せているんでしょうね。でないとここまで紛らわしくする理由はないし。因みに、こっちがハサンで、
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こっちがジョヴァンニ。
fetih1453_jovanni
 セミヌードなのは単に私の趣味(笑)。
 この二人もなかなかマッチョなんですが、他にも、ウチの相棒が大胸筋に興奮していたこのキャラとか、
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きっと全員ヤールギュレシ(トルコ国技のオイルレスリング)の選手なんじゃないかというこの連中とか、
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マッチョやヒゲといった目の保養もあれこれあり(笑)。
 ともあれ前述したように、全体を通して物量感はバッチリですし、衣装やセットも文句なしのハイ・クオリティなので、史劇好きだったらそれらを見ているだけでも目の御馳走。それに加えて、ダイナミックなストーリーと、魅力的な役者たちによる良く立ったキャラ……と、スペクタクル史劇的な醍醐味はタップリと堪能できます。
 題材に興味を惹かれた人なら、まず見て損はない一本だと思うので、日本盤DVD発売を切に希望。

「映画秘宝EX 最強アクション・ムービー決定戦」

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 本日発売のムック『映画秘宝EX 最強アクション・ムービー決定戦 〜筋肉と爆発のチャンピオンまつり〜」に、80年代以降のソードアクション映画(……の主にマッチョ系)について、ちょいと文章を書かせていただいております。
 混ぜていただけて感謝! ^^
 で、このムックなんですが、とても21世紀の映画本とは思えない暑苦しい表紙イメージ(褒め言葉です)の通り、中身の方も、写真図版といい可読性の限界まで詰め込まれた文字レイアウトといい、何とも素晴らしく暑苦しい(繰り返しますが褒めています)。
 日ごろ暑苦しい男を専門に描いている私が言うんだから、これはもう間違いなし(笑)。それぞれの書き手さんたちによる、愛と熱意と変な汁がギッチリ詰まったって感じの本で、熱気ムンムン。
 どのページ捲っても、「筋肉と爆発のチャンピオンまつり」という副題に相応しく、ひたすら過剰なパワーで押しまくり。図版は眉顰めて凄みを効かせたアクションスターばっかだし、テキストの情報量もスゴくて全部読むにはけっこう時間がかかりそう。
 というわけで大いに読み応えがあって秋の夜長の友としてバッチリ、少し肌寒くなってきた今の季節にもピッタリなので(そうか?)、宜しかったら是非お読みくださいませ。

映画秘宝EX最強アクション・ムービー決定戦 (洋泉社MOOK) 映画秘宝EX最強アクション・ムービー決定戦 (洋泉社MOOK)
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2012-11-01

映画『人狼村 史上最悪の田舎』&トークイベントのご案内

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 明日10月27日(土)から11月2日(金)まで、シアターN渋谷にて、松竹株式会社・映像商品部提供による映画上映イベント「シッチェス映画祭 ファンタスティックセレクション」が開催されます。
 世界最古&最大のスペインのファンタスティック映画祭から、より抜きの作品6本が日本初上映。
◎公式サイト→www.shochiku.co.jp/sitgesfanta/
(大阪と名古屋でも開催、詳細は公式サイト参照のこと)
 このイベントでは、映画上映に加えてトークイベントなどもございまして、つきましては私どういうご縁か、その中の一本であるスペイン映画『人狼村 史上最悪の田舎』のトークイベントに出演させていただくことになりました。10月30日(火)、18:30から。
 映画の内容は、スペインの田舎の閉鎖的な村で、青年たちが人狼騒動に巻き込まれるというアクション・ホラー・コメディー。
 個人的な《推し》ポイントは、
(1)主演のボンクラ男三人組
(2)ヨーロッパのホラー映画だけあって、映像や美術のクラシカルなムードが上々
(3)でも、ブラックユーモアやしょーもない下ネタにも事欠かず
(4)ボンクラやオッサンやババァは出てきても、イケメンや若い美女は一人も出てこないという潔さ
(5)どう見ても作り手はオタク系
(6)犬が可愛い!
……ってな感じでしょうか。
 ファンタスティック映画好きなら気楽に楽しめる一本かと。
《予告編》

 よろしければ、他作品の上映&イベント共々、ぜひ足をお運びくださいませ。
◎全ての上映&トークショーのスケジュール一覧→www.shochiku.co.jp/sitgesfanta/lineup.html

“For Greater Glory: The True Story of Cristiada”

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“For Greater Glory: The True Story of Cristiada” (2012) Dean Wright
(米盤Blu-rayで鑑賞→amazon.com

 2012年のメキシコ映画(ただしセリフは主に英語)。
 1920年代後半、宗教弾圧に端を発した、メキシコのクリステロ戦争を戦った男たちを描いた、歴史アクションスペクタクル。
 主演アンディ・ガルシア、共演オスカー・アイザック、サンティアゴ・カブレラ。ゲスト出演的にピーター・オトゥールも。監督は『ロード・オブ・ザ・リング』等でSFXスーパーバイザーをしてきた人で、これが初監督作作品らしいです。

 1920年代後半、メキシコ革命直後のメキシコ。
 カリェス大統領は新法で教会の閉鎖や外国人神父の追放を定め、宗教弾圧を始める。反対派は街頭書名やストライキなどで同法の撤廃を求めるが、やがて軍隊による神父の処刑や教会信徒の虐殺などが始まる。元々は悪ガキだった少年ホセは、自分を導いてくれたクリストファー神父が、生きるために信念を曲げるよりも、信念を貫き通すことを選び、目の前で処刑されるのを見て、深く感銘を受ける。
 やがて《クリステロ》と呼ばれる民衆の武力蜂起も始まり、聖職者でありながら自ら銃を持って戦うヴェガ神父の一団や、スゴ腕の地方豪族《14人殺しのヴィクトリアーノ》一派などが、それぞれ政府軍に対して戦いを始めるが、それらを取り纏める中枢が欠けていた。
 そこで、都心部のクリステロ支援一派は、往年の名将軍で現在は石鹸工場を経営しているゴロスティエタ将軍をスカウトする。ゴロスティエタ将軍によって纏まったクリステロたちは、いくつかのトラブルを経ながらも、やがて自由のために戦う一つの軍隊として生まれ変わり、政府軍を圧倒していく。
 そんな中、ホセ少年の家族が処刑され、誰もそれを助けられなかったことをきっかけに、彼もクリステロに参加する。息子を持たないゴロスティエタ将軍は、ホセ少年を我が子のように可愛がる。
 一方でカリェス大統領は、これが内戦だとは認めず、あくまでも一部の過激派によるテロだと主張し、石油利権が目当てのアメリカも、立場的にはメキシコ政府側につく。激化していく戦闘の中、ゴロスティエタ将軍は次第に、この戦いは宗教的なものでも政権争いでもなく、自由を求める民衆の戦いなのだという意識を深めていく。
 ところが、とある戦闘中にホセ少年が、身を挺してヴィクトリアーノを助けた結果、そのまま行方不明になってしまい……といった内容。

 スケール感のある娯楽大作としてたっぷり楽しめる出来で、およそ2時間半の尺も、長さを感じさせない面白さ。
 見所も盛り沢山で、いかにも歴史大作系のスペクタクル感もあれば、シーンによってはマカロニ・ウェスタンですかってな感じのガンアクションもあり、更に男泣き系のエピソードやエモーショナルな泣かせにも事欠かず。
 エンドクレジットで明かされるように、この戦争の犠牲者たちは、21世紀になってから列聖されたという事実もあるために、キリスト教色が濃厚な内容ですが、信仰オンリーの一辺倒ではなく、それに対して主要登場人物が疑問を呈したり、前述したように単なる宗教戦争とは捉えていない視点もあるので、非クリスチャンでも馴染みやすい感じ。
 キャラも良く、百戦錬磨の頼れる男ゴロスティエタ将軍(アンディ・ガルシア)の貫禄を筆頭に、神父服に弾帯をたすき掛けしたハンサムなヴェガ神父(サンティアゴ・カブレラ)、マカロニ・ウェスタンのならず者風の《14人殺し》ヴィクトリアーノ(オスカー・アイザック)……などなど、メインの登場人物は皆、文句なしのカッコ良さ。
 その反面、女性キャラは少なく、ゴロスティエタ将軍夫人(エヴァ・ロンゴリア)と、クリステロ支援組織の娘さんと、ホセ少年の母親くらいで、それぞれに見せ場は用意されているものの、基本的には男ばっかの話。
 折り重なる虐殺死体とか、線路脇に延々と立ち並ぶ絞首刑の列とか、ハードなイメージもあちこち出てきますが、そこいらへんはあまりエグくなり過ぎないように配慮してある感じで、ちょっと薄味に感じられる面もありますが、それが娯楽作品的な見やすさになっているというメリットもあり。
 また、ハリウッド映画では避けられがちな、子供が処刑されるシーンとかも、逃げずにしっかり描かれているので、そこいらへんはけっこう見ていて気持ちをかき乱されます。それだけでなく、少年を拷問にかけるシーンなんてのもあったり。

 というわけで、ガツンとくる重みというよりは、ダイナミックな娯楽史劇という味わいで、ちょいと盛り込みすぎの感はありますが、十分以上に面白い映画でした。モチーフに興味があれば見て損はなし、歴史物や戦争物が好きな方なら、たっぷり楽しめるかと。
 個人的にはヒゲのむっさい男ばっかなのも嬉しかったんですが(笑)、そういうの抜きにしても、燃える系の男の子映画好きにはオススメできる一本。

 オマケ。
 個人的にご贔屓のヴェガ神父(サンティアゴ・カブレラ)の写真。
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