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“AHMET YILDIZ is my family”というキャンペーン

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 前に「トルコ初の『ゲイの名誉殺人』の犠牲者」のエントリーでお伝えしたように、2008年7月19日、トルコの青年アーメット・イルディス(26才)が、実の家族の手で殺害されました。
 アーメットは、自身がゲイであることを隠さず、トルコ国内やアメリカのゲイの人権運動に参加していました。
 しかし彼の家族は、彼が一族の名誉を汚していると考え、身内に同性愛者がいるという「汚点」を消し去りました。
 つまり、彼は一族の名誉を挽回させるという目的で、実の家族の手によって「処刑」されたのです。

参考1:イギリスのニュースサイト”Independent”の記事
参考2:トルコのベア系ネットゲイマガジン”BEaRGi”の特集号

 この事件は、彼と直接関わりがあったヨーロッパのベア・コミュニティに、大きな衝撃を与えました。
 そして、その中の有志が、彼の死を追悼すると共に、それを通じて、ホモフォビアやヘイトクライムの阻止を、LGBTコミュニティから全世界に向けて訴えかけようという、キャンペーンを始めました。
 それが、記事のタイトルにも書いた、”AHMET YILDIZ is my family(アーメット・イルディスは私の家族です)”というキャンペーンです。
“AHMET YILDIZ is my family”キャンペーンのサイト
ビデオ”Ahmet is my Family (Gay honour killing victim)”

 キャンペーンでは「ホームページやブログにビデオを貼り付ける、友人や恋人に話す、ポスター(キャンペーン・サイトからダウンロード可能)を貼る、メール、SNS、SMSなどに書く、歌を作る……」等々、「何をしても、どう感じても構わないけれど、それを人々に知らせよう。それが、貴方個人のアーメットへのオマージュになる」と、呼びかけています。
 日本にいると、こういった国境や国籍、あるいは人種を越えた、LGBTコミュニティの横の繋がりや、それを通じて生まれるムーブメントといったことについては、正直あまりピンとこないかもしれません。
 国同士が陸続きのヨーロッパや、様々なルーツを持つ人々が共に生活するアメリカとは異なり、日本では、「人種や国籍、文化背景は違うけど、でもゲイってことは同じだね」といった人間関係を、実生活における実感として覚えることも、そうそうないでしょう。
 じっさい私自身も、そういうことを「体感」といえるほど感じられるのは、かつてアメリカのゲイパレードに参加して歩いたときや、ネットを通じて海外の作家仲間やファンの方々と知り合ったときや、個展や海外出版といった作家活動を通じて、様々な人と交流するときといった、比較的特殊といえそうな状況下の場合が殆どです。
 ですから、このキャンペーンの話をフランス人の友人から聞き、中軸となるスペイン人のスタッフを紹介されて、その人から作品制作を打診されたときには、正直なところ、少し戸惑いもありました。
 しかし、それはそれとして、もっと単純に、ゲイである、ただそれだけのために、自分自身の家族に殺されてしまった一人の青年に向かって、彼を「断罪」した実の家族ではなく、彼と同じゲイである自分こそが、彼の本当の家族なんだ、と名乗りを上げたいという心情は、とても良く判ります。
 また、前述した以前のエントリーでも書きましたが、自分より18才年下の青年が貫き通した、最後まで自分自身に正直であり続けた勇気ある生き様に、大いに尊敬の念を覚えたことも事実です。
 それをモチベーションとして、私はこのキャンペーンに、無償の作品提供という形で参加しています。
 具体的には、ポスターやプロモーションビデオで使用するための、アーメットの肖像画を描きました。私自身はアーメットと面識がないので、スタッフが提供してくれたスナップ写真(撮影/Caner Alper氏)を元に、ドローイングを描き起こしました。
 通常の自分の作品とは異なり、自分のセクシュアリティ的な原動力に基を置いたものではなく、かといってイラストレーション的な仕事として描いた作品でもありません。いわば、自分個人が持っている、ゲイ文化に対するパトリオティズム的な心情と、それを踏まえた上でのアナーキズム的な意志が、制作動機となっています。
 これが、このキャンペーンに対する、私自身のオピニオンです。
 というわけで、このキャンペーンに何らかの興味を覚えられた方がいらっしゃいましたら、どうぞブログ等で取り上げてください。
 もちろん、ビデオを貼るとか、賛同するとかだけではなく、興味がないとか、批判意見を述べるとかでも結構でしょう。
 たとえどんな感想や意見であっても、それらは全て「アーメットの悲劇を、世界中の人々に知らせる」ことに繋がるのですから。
 私の参加が、それに少しでも役立つことができれば、と、願っています。
 アーメットは、私の家族です。

マンガとか

 宝島社・刊『このマンガがすごい! 2009』で、拙著『外道の家』が、オトコ編36位にランクインしておりました。
 確かこのシリーズでは、以前にもピックアップコーナーみたいなとこで、拙著『男女郎苦界草紙 銀の華』を取り上げていただいたことがありますが、ランキングに入ったのはおそらく初めてです。嬉しい、嬉しい(笑)。
 因みに、選者による個別ベストの方には、児雷也画伯の『仰ゲバ尊シ』と大久保ニューさんの『坊やよい子だキスさせて』という、ゲイ雑誌発のマンガが二冊入っていまして、これまたなんか嬉しいですね。
 さて、これだけではなんなので、ついでに自分が今年買って、印象深かったマンガについても、ちょっと列記してみましょうか。
 あ、でもベストとかそーゆーんじゃなくて、個人的に「これ、好き!」ってヤツを。
暁星記』菅原雅雪
 これが無事完結したってのが、私にとって、今年最大のニュースかも。いやホント、雑誌で第一話を読んで夢中になってから、掲載誌変更や単行本描きおろし形態への移行も含めて、ず〜っと、ず〜っと、続きを心待ちにしながら追いかけていたもんで……。無事完結なんて、ホント、夢じゃなかろか。
 あ、因みに半裸のガチムチキャラも、いっぱい出てきます(笑)。
天顕祭』白井弓子
 帯の「古事記ロマンファンタジー」という言葉に惹かれ、書店に備え付けられていた立ち読み用のサンプル小冊子を開いたら、主人公がカッコイイ無精ヒゲの鳶職だし、絵柄もステキだったので、そのままレジへ。実は、やはり帯に元来は同人誌発のマンガとあったので、ひょっとしてやおい風味もあるのかとヨコシマな期待感もあったんですが(笑)、そうではありませんでした。でも、そんなこととは関係なしに、内容に大満足。
 え〜、前述のヨコシマな期待感に関して、ちょっとイイワケさせていただくと、何も「女性作家の同人誌=やおい」という思いこみがあったわけではないんです。ただ、マンガの鳶さんの絵を見たら、ふと、むか〜し同人誌や「June」に、ガテン系のオッサンたちのやおい(これ、やおいやBLが「美少年マンガ」とか「耽美マンガ」とか呼ばれてた当時は、すごく珍しかったんです)を描かれていた、まのとのま(……だったと思う)って作家さんのことを連想しちゃったのだ(笑)。
らいでん』塚脇永久
 雑誌で見た新連載予告カットで一目惚れ。日頃買ったことのない月刊少年誌を買いに、思わず本屋に走りました。以来、単行本を心待ちにしており、めでたく第一巻発売時にも即購入。というわけで、「この絵、好き!」ってのがきっかけで、読んでみたら話もキャラも好きだった、というパターン。
 あ、筋肉絵好きの方にもオススメです。
夜長姫と耳男』近藤ようこ
 単行本『月夜見』で知って以来大好きで、特に『妖霊星』は、確実に、我が生涯通じてのマンガベストテンのうちの一本なんですけど、坂口安吾原作の本作もまた、やっぱりクライマックスで鳥肌が。
錆びた拳銃』谷弘兒
 かつて「ガロ」や「幻想文学」あたりで拝読して以来、好きな作家さん。寡作な方(たぶん)なので、近所の本屋さんで、この新作単行本を見つけてビックリ、即購入。『薔薇と拳銃』の印象が強いせいか、レトロと猟奇とエログロナンセンスとラヴクラフトが、渾然一体となった作風の作家さんという印象でしたが、本作では、猟奇とエログロはなし。
 表題作は、均整の取れた肉体美の二人のマドロス青年というキャラクターのせいか、どことなくコクトーやジュネの描くホモエロティシズムに通じるものを感じます。
童貞少年』やながわ理央
 ノンケさん向けエロマンガですが、この作家さんの描く少年キャラは、カワイイながらもちゃんとオトコノコオトコノコしていて、かなり好き。そんな少年たちが、ボイン(死語)なお姉さんたちに、あの手この手で筆おろしされる短編集。
 あ〜、この少年キャラで、以前ロリキャラで描いていたみたいな、「公園のホームレスに輪姦されたあげく、全員から小便を引っかけられる」話を描いてくれたら、もうサイコーなのに……って、いくら何でもそれは無い物ねだりですな(笑)。
愛玩少年』水上シン
 以前、献本でいただいた雑誌で拝読して以来、続きが気になっていた作品で、偶然アマゾンで単行本が出ているのを見つけて購入。いわゆるBLですけど、まだ「美少年マンガ」とか「耽美マンガ」とか呼ばれてた頃みたいな、ナルシスティックでお耽美な雰囲気があるところが好き。
 あと、レトロだし、軍服だし、加虐と被虐もあるし、少年は坊主頭だし……と、好きツボもイッパイ。
 う〜ん、しかし改めて最後の二つを見ると、果たして自分が本当にマッチョ系ゲイマンガ描きなのかどうか、我ながら自信がなくなってきた(笑)。

たまにはゲイ系YouTube映像とか

 YouTubeにあるゲイ系映像のお気に入りを幾つか。
 あ、あらかじめ言っときますけど、エロいのはないですよ(笑)。
 MySpaceで知り合った、フランスの映像作家tom de pekinの、”jean, paulo, erik, riton”という、ジャン・ジュネをモチーフにしたアニメーション作品。

 毒を含んだキュートなポップさ、パタパタ動くちょいガロ系な感じのドローイングと、BGMに使われているMikadoを彷彿とさせるエレポップのマッチング、ってなところが好き。
 気に入ったら、同じ作者による、ピエール・モリニエをモチーフにした同傾向作品、“molinier is my revolution”も、ぜひどうぞ。
 Tomboyのゲイ・アンセム・ソング、”Its O.K. 2 b gay”(「ゲイでいいんだよ」ってとこでしょうか)のPV。

 ハッピーなダンス・チューンで、過剰さや人工性や祝祭性といった、いわゆるゲイ・テイストを前面に出した典型的な例。
 クローゼットにかかったチェーンを切るシーンから始まり、最後は「このビデオの制作にあたって、ストレートを虐待していません」というエンド・クレジット(ハリウッド映画の最後に出てくる「動物は虐待していません」のパロディね)で締めるといった、洒落っ気もステキ(笑)。
 アルゼンチン出身の映像作家Javier Pratoのショートフィルム、” Jesus Will Survive – Jesus Christ! The Musical”。

 一発ネタみたいな内容ですが、初見時のショーゲキがスゴかった(笑)。作家ご本人がゲイかどうかは不明だけど、曲のセレクトからしてゲイゲイしいです。
 ただし、マジメなクリスチャンの方は、見ない方が吉かも。
 オランダの熊系アイドル・グループ(?)、Bearforce1(オフィシャル・サイトによれば、「世界初、”真のベア・バンド”だそうな)の”Shake That Thing”のPV。

 テイストが、日本の野郎系ゲイ・ナイトとかで見られるパフォーマンスに近いので、何となく親近感が(笑)。必要以上のナルシシズムや露悪趣味がない、自然体な感じがするのが好き。
 今年のアムステルダム・ゲイ・プライドのライブ映像もありますが、さすがアムステルダム、船で運河をパレードしてます(笑)。

『サイゾー』とか

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 今月18日発売の月刊誌『サイゾー 12月号』に、ちょびっとですが記事が載っております。
 内容は、「男同士のラブに萌える『腐男子』のヒミツ」という特集の中で、マンガ家という立場から見た、ゲイマンガとボーイズラブマンガの違いとか、腐男子という存在についての個人的な考察なんかを、談話形式で語ったもの。
 フツーにコンビニとかでも売られている一般誌なので、見つけるのも比較的容易かと思われます。
 というわけで、よろしかったらお買い求めくださいませ。
サイゾー 2008年 12月号(amazon.co.jp)

スペインの企画展”Fantasia Erotica Japonesa”に出品中です

Fantasia_erotica_japonesa 10月9日から12月11日まで、スペインはバルセロナのギャラリーARTZ 21で開催されている、日本のエロティック・アーティストを集めた企画展”Fantasia Erotica Japonesa”に、作品を数点出品しております。
 ギャラリーのARTZ 21は、前にここで紹介した、先々月から先月にかけて開催されていた”Love Pryde Show”と同じところ。
 今回の”Fantasia Erotica Japonesa”のキュレーターは、以前ここで紹介した”L’imaginaire Erotique Au Japon”の著者、アニエス・ジアール。
 参加アーティストは、西牧徹市場大介水野純子、などなど。
 アーティスト全員のリストと作品サンプルは、ARTZ 21の”visit the gallery”から入り、ENGLISH > EVENTS > Fantasia Erotica Japonesaと辿って、ARTIST’S DISCOVERYをクリックすれば見られます。
 プレスブックのPDFファイルも、同ページのFULL PRESSBOOK CLICK HERE!からダウンロードできます。もちろん私の紹介も載ってますよ〜(笑)。
 というわけで、会期中にバルセロナへ行かれる方がいらしゃいましたら、ぜひお立ち寄りくださいませ。
 あ、因みに私の出展作は、前回の”Love Pryde Show”から引き続き、同じ内容です。

クマとかカワウソとか

 先日、Myspace経由で、来年の1月にローマで開催されるベア・ミーティング(ノンケさん向けに解説しますと、ベア・ミーティングってのは、クマ系およびクマ系好きのゲイたちの集い、ってことです)のご案内をいただきました。
Bears Empire 2009
 バナーをクリックすると、公式サイトに飛べます。まだ、情報はほとんどないけど、クマとマッチョとローマン・コスプレ、私の好物が三つ揃い踏み。
 う〜ん、こりゃ行ってみたいわ(笑)。
 クマ系というと、先日それ系のサイトで、”Bears, Wolves and Otters” という文を見つけて、ビックリしちゃいました。
 いや、前にここで、「日本でも『オオカミ系』なんて言葉がありますが、外国でも『ウルフ系』ってのがあったんですな」などと書きましたけど、今度はotter、つまり「カワウソ系」って……(笑)。
 オオカミ系は、詳細を知らなくても何となくニュアンスが判るような気がしますが、このカワウソ系は、正直言ってサッパリ見当がつかない。まさか、胴長短足とかいう意味じゃないだろうし(笑)。
 で、ちょっと調べてみたら、このカワウソ系とは、「毛深いんだけど、クマ系ほどデカくなくて、かといってオオカミ系ほどスジ筋でもなく、云々」みたいな解説が出てきました。こ……細かい(笑)。
 まあ要するに、体脂肪の多い順に「クマ>カワウソ>オオカミ」ってことみたい。
 なら、日本のクマ系のほとんどは、このカワウソ系かしらん……などと思っていたら、そっちはそっちで、「パンダ系〜アジア人のクマ系。通常は体毛なし」なんて解説が。なるほどね(笑)。
 もう一つ、面白かったスラングが、Goldilocksってヤツ。
 これ、絵本などでお馴染みのロシア民話『三びきのくま』に出てくるオンナノコ、「金色巻き毛ちゃん」のことなんですけど、ベア・コミュニティーのゲイ・スラングだと、「クマ系好きのオコゲ」のことなんですとさ。上手い、上手い(笑)。
 あ、別にネガティブなニュアンスではないようで、解説には「多くはクマ系の友」とも書いてありました。ミソジニー(女性嫌悪)的ではないベア・コミュニティー内での、親しみを込めた愛称なのかな?
 ただまあ、これらの解説はWikipediaのものなので、信頼性のほどは確かじゃないですよ(笑)。
 さて、クマ系ネタで、もう一本。
 これまたMyspaceで、私のページのコメント欄に貼られたYouTube動画。Madものなので、埋め込みはやめてリンクだけにしときませう。
 この動画
 Colt studioの”Open House”というヴィデオから、キスシーンだけをエディットしたものです。
 いやぁ、濃厚、濃厚(笑)。パフォーマンスが良いので、下手なホンバンよりよっぽどエロティック。

Rainbow Arts 9th Exhibition 2008

2008hontenflyer_hp_2 本日、8月17日から、毎年恒例のセクシュアル・マイノリティの有志にによるアート展、Rainbow Artsの第九回展覧会がスタートします。実行委員長の加藤さんからご案内をいただいたので、ここでご紹介。
  参加アーティストのリストや詳細は、下記にあるRainbow Artsのサイトで、”Artists” をクリックすると見られます。
 私が面識のあるところでは、幻想少年絵画のマエストロの稲垣征次さん、華麗な装飾性とユニークな世界観が印象深いКэнъя Симидзуさん、生々しいエロから爽やかなポップまで何でもござれの龍谷尚樹さん、など(他にも失念している方がいらっしゃったらゴメンナサイ)。その他にも、様々なタイプ、様々なスタイルのアーティストが参加されるご様子。
 今年は残念ながら東京パレードはお休みとなってしまいましたが、こういった企画展が着実に回を重ね、早くも九回目にまでなったというのは、何とも嬉しいことですね。来年(になるのかな?)の記念すべき第十回に向けて、ますますのご発展をお祈りいたします。
 会期は今週いっぱいまでなので、皆様、お誘い合わせのうえ、お出かけください。
 以下、頂いたご案内の転載となります。

「Rainbow Arts 9th Exhibition 2008」は、LGBTを中心とする非営利のアート集団です。
 9周年を迎える今年は、作品ジャンルもキャリアもセクシュアリティも多彩な45組のアーティストが参加します。
 アート・イベントとしても、セクシュアル・マイノリティの交流の場としても、出展する人、観に来てくれる人、皆が楽しめるパワフルなアートの祭典を創って行きたいと思います。
Rainbow Arts 9th Exhibition 2008
日時:2008年8月17日(日)〜8月23日(土)
10:00〜20:00(17日は16:00オープン、23日は17:00クローズ)
会場:全労済ホール スペース・ゼロ
住所:渋谷区代々木2-12-10
17日…16:00〜19:30 オープニングパーティー(軽食あり)
23日…13:00〜17:00 クロージングパーティー(軽食あり)13時より出展者によるパフォーミング・アートを上演予定)
■お問合せ先
Rainbow Arts 2008実行委員会
Rainbow Artsのサイト

トルコ初の「ゲイの名誉殺人」の犠牲者

 個展をやったフランスのギャラリーArtMenParisのオーナー、オリヴィエ・セリから、彼の友人のトルコ人青年が、オープンリー・ゲイであったがゆえに殺されたことと、この事件を出来るだけ多くの人に伝えてくれというメールが来ました。
 事件のあらましは、The Independent(イギリス)のこの記事で読めます(英語)。
 見出しや本文に、gay honour killingとかhomosexual honour killingという言葉が出てきますが、このhonour killing (名誉殺人)とは、婚前交渉や浮気をしたり、あるいは強姦の被害者となった女性が、彼女の属する家や親族の「名誉を汚した」ものとして、その「汚された一族の名誉を回復するため」に、父親・夫・兄弟などの男性親族の手によって殺害されるという慣習を意味する言葉です。
 そして、今回殺された青年は、おそらくトルコで最初の「同性愛者であるがゆえの名誉殺人」の犠牲者なのではないか、という疑いが持たれているようです。
 イスタンブールにはゲイ・バーもありますし(行ったことはないですけど)、イスタンブール・ベアクラブなんていう組織(これはコンタクトを貰ったことがあります)もあります。記事によると、今年のイスタンブール・ゲイ・プライド・パレードは過去最大規模だったそうですし、ゲイの人権団体もある。
 しかし、当然それらに対する反発もあり、記事中にも、「彼は、トルコで現在発達しつつある人権意識と、古い慣習によるメンタリティの、戦いの犠牲者になった」といった談話が載っています。
 また、別の談話では、「彼は自分のセクシュアリティを隠すこともできた。しかし彼は、自分自身に正直でありたいと望んだ。殺害の脅迫が始まったとき、彼のボーイフレンドは、彼に国外に逃げるよう説得した。しかし彼は留まった。彼はとても勇敢で、とてもオープンだった」といった経緯を述べています。
 つまり、彼はハッテン場などで無差別にゲイを襲うといった、いわゆる「ホモ狩り」のような事件の犠牲者というわけではなく、オープンリー・ゲイであるがゆえに殺されたわけです。
 こうしったヘイト・クライムや、ましてやゲイが理由となった名誉殺人などは、日本で暮らしていると、あまりピンとこない話かもしれません。しかし、こうした「ゲイであるというだけで殺される」という悲劇が、世界のどこかで常に起こり続けていることも、また事実です。
 それを、自分たちとは関係ないことだと思うか、それとも同じゲイとして、こうした悲劇を何とか食い止めたいと願うのか。
 私個人としては、自分自身に正直であることを貫いた、このトルコの青年は、やはり尊敬に値すると思いました。

奥津直道さんの個展

Okutu 奥津直道さんから個展のご案内をいただいたので、ご紹介。
奥津直道展
8月22日(金)〜8月30日(土)
12:00〜19:00(日曜18:00まで/最終日17:00まで)
柴田悦子画廊
〒104-0061 東京都中央区銀座1-5-1第3太陽ビル2F
03-3563-1660
 直道さんの作品については、以前の個展のときにちょっと書いてますので、よろしかったらご覧あれ。
 今回は、新作を中心に十数点の展示だそうです。皆様、どうぞお出かけくださいませ。

追悼、Greasetank

 アメリカの友人から、アーティストのグリースタンク(Greasetank)が、去る8月1日に亡くなったとの知らせを受けた。
 寝耳に水の驚きだった。
記事中にグリースタンクの作品を掲載していますが、中には残酷な内容も含まれているので、苦手な方は拡大画像を見ないように注意してください。
Greasetank01 2001年に、グリースタンクと私は、ウェブを通じて知己を得た。
 彼が私の作品に惹かれたのと同様に、私もまたすぐに彼の作品の熱烈なファンになった。
 我々はメールで互いの作品を称賛しあい、互いのサイトにリンクを貼った。それが縁で、彼の作品が「G-men」や「SM-Z」で紹介されたこともあるので、ご記憶の方もおられるかも知れない。
 残念ながら、彼のサイトは数年前に閉鎖されてしまったが、その後も我々は、頻繁ではないにせよ、互いにコンタクトを取り合っていた。今年の正月も、私は彼に恒例の年賀メールを送り、彼からも返信があった。亡くなった原因は心臓発作であり、今年の1月にもそれは起きていたそうである。
 しかし私は、彼のプライベートについては何も知らず、また、その訃報も、ネットのオンライン・グループ内で回ってきたものを、人づてに受け取っただけなので、彼の死については、具体的にはこれ以上のことは何も判らない。
Greasetank03 グリースタンクの作品は、セックスと暴力と殺人に満ちていた。それは暗く、残酷で、アモラルなものだったが、同時に恐ろしいほど美しかった。
 彼の作品は、ドローイングでもペインティングでも写真でもなく、Poserによる3DCGをメインに用いたものだが、数多いそういったアーティストたちの中でも、彼は作家の個性を明確に作品に刻印できる、紛れもなく最も優れたアーティストの一人だった。
 彼は、自分のイマジネーションを具体化する手段としてPoserを用い、出来上がった作品は、フォトリアルな3DCGに見られるような現実の模倣ではなく、3DCGによるフィギュア遊びの延長でもない。そこには、恐ろしいほど研ぎ澄まされた作家性だけが、技法の如何とは関係のない、極めて高いレベルで結晶している。
 その個性や作家性の高さは、禍々しくエクストリームな幻想を描くときでも、シンプルなポートレイトめいた作品を作ったときでも、決して揺るがず常に変わらない硬質な美しさに満ちていることからも明瞭である。
 3DCGやPoserといった手法の如何に関係なく、彼は間違いなく、21世紀に生きる比類ないゲイ・エロティック・アーティストの一人だった。
Greasetank04 今回の記事のために、手元にあった彼の作品を幾つかアップしてみたが、これはブログということもあり、彼の作品の中でも、特に大人しめでソフトなものを選んでいる。そのくらい、彼の作品はエクストリームだった。
 彼の作りだす世界は、荒々しく暴力に満ち、その中で、拷問、殺人、戦争、ナチス、差別、フリークスなどが、サドマゾヒズム的な視点で描かれている。そのファンタジーの過激さは、作品中にタブーではない要素を見つける方が難しいくらいである。彼の世界では、現実的なモラルやタブーは、その鮮烈な美学と強固な作家性の前に、脆くも吹き飛び踏みにじられるのだ。
 因みに、左上の青みを帯びた作品には、”Coming for you, fag!”というタイトルが付けられている。「てめェのために来てやったぜ、オカマ野郎!」といったとこだろうか。ヘテロのみならず、同じゲイにとってすら、彼の作品がいかに「神経を逆撫でする」か、これ一つでもお判りになるだろう。ここに描かれているのは、暴力と殺人の予兆でしかないが、その実これは、ヘイトクライムとポルノグラフィーの合体なのだ。
 しかし、そんな過激な内容でありながら、最終的に提示される作品群は、まるで透明な結晶のように静かで美しい。その硬質で凍り付いた世界は、さながら、ポール・デルヴォーの絵やアンナ・カヴァンの小説のようである。
Greasetank02_2 彼のモチーフの過激さは、彼の作品がオーバーグラウンドな場に出ることを、おそらく阻んだでいたと思われる。
 実際、敵や批判も多かったでようである。これは伝聞でしかないが、彼がサイトを閉じた直接の要因は、自らを「良識派」だと自認する者たちからの、攻撃があったせいだとも聞いている。
 もちろん、その作品はインターネット上だけではなく、幾つかの出版メディアなどにも紹介はされていたが、その作家性と作品性の高さから考えると、それらの露出は余りにも少なすぎるし、そして過小評価であったように思われる。
 正直なところ、このブログでもそうなのだが、タブーを避けて彼の作品を選び、紹介することは、まるで作品を「去勢」してしまうようなものである。こういった紹介の仕方では、残念ながら彼の作家性は、その実像と比べると、だいぶ矮小化してしまうだろう。
 今回、彼の訃報を届けてくれた友人も、「グリースタンクのアーティストとしての勇敢さは、本当に驚くべきものだった。しかし、君(田亀)と違って、彼にとって不幸だったのは、彼はついに、彼に正当な評価をくれる鑑賞者(注・ちょっとどう訳したものか悩んだんですが、参考までに原文では『”legitimate” audience』となっています)を得ることはできなかった。彼は、君がその美学と作家性ゆえに孤独であるように、それ以上に孤独な存在だった」と書いている。
 そんなグリースタンクが亡くなってしまった。
 私は、彼については、その作品と、取り交わしたメールを知るのみで、彼がどんな容姿であるかすら知らない。実のところ、今回の訃報で初めて彼の年齢を知り、それが作風から想像していたよりもずっと上だったので、驚いたほどだった。
 顔も知らない人の死を悲しむのは、いささか奇妙なようでもある。
 それでも私は、とても悲しい。
 心から、その才能を惜しみ、その死を悼む。
 享年59歳だったそうである。
 一つ余談。
 閉鎖された彼のサイトでは、彼自身の作品だけではなく、彼同様に、作品をオーバーグラウンドで発表するには、余りにも過激であったり、タブー的な要素が多すぎるような、そんなアンダーグラウンドなゲイ・エロティック・アーティストたちが、世界中から集って絵や小説を発表していた。
 巧拙は別にしても、その、アートとしての純粋さとパワフルさを持ち合わせ、エロティック・アートの真髄を見るような、そんな魅力的で個性的な作家たちの数は、総計60人以上にも及んでいた。
 しかし、現在はそれらを見ることができず、作家たちの消息も、残念ながら殆どが不明である。