10月25日、ジャーナリストの及川健二さんの著作『ゲイ@パリ 現代フランス同性愛事情』(長崎出版/\2,310)が発売されます。現在、オンライン書店bk1で、予約受け付け中。
以前にもここで書いたことがありますが、じっさい発売される本がどんな内容になったかといいますと、及川さんからメールで目次の一覧をいただいたので、ちょっと長くなりますが、以下にコピペします。
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第1部 フランスの同性愛、最新事情ルポルタージュ
序章
1 ゲイのパリ市長が誕生した日
2 テレビ番組でのカミング・アウト
3 斬新な改革。国民からの高い支持
第1章 フランス人は同性愛者をどう思っているのか
1 五六%のフランス人が同性愛者の路上キスを容認
2 同性愛者は変人か
3 九一%が同性愛者への暴力に怒り
4 フランス人はゲイ・フレンドリーか
5 『Ttu』調査から見えてくるフランス人の「同性愛」観
6 フランス人の五七%が同性婚に賛成
7 同性愛者の九五%が「いずれ同性婚は合法化される」と答えた
8 フランスはカトリック教徒の国か(一)
9 フランスはカトリック教徒の国か(二)
10 八〇%が中学校にコンドームを置くことに賛成
第2章 パートナーシップ制度パクス(PACS)
1 同性愛と強制収容所
2 ミッテラン政権下における同性愛の前進
3 フランスの裁判制度
4 エイズがすべてを変えた
5 同性カップルも利用できるパクス(連帯民事契約)とは何か
6 事実婚(内縁)と結婚の中間にある緩い形での準結婚制度
第3章 焼き殺されかけたゲイ
1 凄惨な写真
2 催眠ガスをかけられ暴行される
3 「汚いホモは死ねばいいんだ」
4 容疑者の逮捕
5 容疑者不起訴。警察への不信
6 ヴァネスト国民議会議員の発言
7 「同性愛はあきらかに人類の生存に対する脅威だ」
8 「同性愛は異性愛より劣等」発言が有罪
第4章 フランス初の同性婚
1 ドキュメント同性婚 三日前〜当日
2 同性愛者と保守派が市庁舎外で激突。民族派・ドヴィリエ欧州議会議員の襲撃
3 「これは歴史的な瞬間だ」ついに結婚式が挙行
4 市長は停職一カ月。社会党重鎮も批判
第5章 ノエル=マメール市長はなぜ同性婚を執り行ったのか
1 「同性婚について話したことのない家庭はない」
2 「政治家は同性愛者の問題に逃げの姿勢でいる」
3 ノエル=マメール氏インタビュー
4 「フランスにおける同性愛者の状況は最良とはいいがたい」
5 ホモ嫌いとの闘い
6 遺伝子組換トウモロコシをジョゼ=ボベと引っこ抜いた理由
7 暴動の原因は差別、サルコジ内相「社会のクズ」発言は危険
第6章 フランスの政治家と同性愛
1 ミッテランの秘蔵っ子
2 ジャック=ラング元文化相はアイドル政治家
3 同性カップルの結婚を公然と支持した最初の政治家
4 『差別的な発言の取締りに関する法律』とジョスパン元首相の敵意
5 シラク大統領がゲイ雑誌『Ttu』に登場
6 シラク氏曰く、「私はパクスの象徴的な貢献を認識しています」
7 フランスでもっともセクシーな女性政治家
8 同性婚賛成に転向した次期大統領候補・ロワイヤルさん
第7章 フランスとHIV・エイズ
1 フランスのHIV新規感染者は七〇〇〇人
2 フランス最大のHIV啓蒙・市民団体『AIDES』とは何か
3 フェラチオでHIVに感染するか
4 HIVと闘う政治家
5 ロメロさんの勇気ある行動
第8章 フランスのトランスジェンダー
1 トランスジェンダーによるデモ
2 女の子ふたりがトップレスになった
3 エコロジスト・性労働者・医師・ブラジル移民・パリ区議
4 様々な人種のトランスジェンダーが働く事務所
第9章 カミーユ=カブラル区議インタビュー
1 横浜エイズ会議、日本のトランス=マコさん
2 初めて選挙にでたときの話、ゲイのドラノエ・パリ市長
3 トランスジェンダー・性労働者が抱える問題
4 性労働者はプロとして認められるべきだ
第10章 一般企業が出展する欧州ゲイ・サロン
1 『欧州ゲイ・サロン二〇〇四』レポート
2 フランスには四〇〇万人近くの同性愛者がいる
3 『欧州ゲイ・サロン 二〇〇五』レポート
第11章 あれこれ雑記『フランス同性愛』
1 パリのゲイ・プライド(la Marche des Fierts)
2 ペニスを模したおもしろHIV啓蒙カード
3 日本のゲイ術は人気
4 田亀源五郎の天才的な作品
5 サルコジ内相側近が同性カップルの親権・養子縁組を支持
6 マッカーシズムで「同性愛」は国賊扱いされた
7 あるレズビアンとの対話
8 映画『愛についてのキンゼイ・レポート』で描かれるレズビアン
9 ボカシとモザイクとエロ
10 パリのゲイ・タウン、マレ地区
第2部 フランスの政治家にインタビュー
パトリック=ブローシュ国民議会議員&パリ市議(社会党) パクス(PACS)法をつくった超ゲイ・フレンドリーな政治家
1 ミッテラン政権、ジョスパン内閣での前進
2 パクスはこうして誕生した
3 同性婚、同性カップルの親権・養子縁組、女性カップルの人工授精に賛成する理由
4 「ホモ嫌い」、ベーグル市での同性婚、ヴァネスト議員の放言、HIV感染拡大
5 与党・国民運動連合(UMP)は同性愛者に貢献しているか
6 同性愛者がスケープゴートにされないか
アレクサンドル=カレル・『同性愛と社会主義』代表 社会主義は同性愛者の人権を守る
1 『同性愛と社会主義』
2 シラク大統領は同性愛者を裏切った。
3 社会党が同性愛者の権利向上に貢献した
4 同性カップルの養子縁組に賛成する理由
5 地方では同性愛差別が根強い
6 映画『ブロークバック・マウンテン』
7 社会主義と同性愛は水と油だと思ってきた
ヤン=ヴェーリングフランス緑の党・全国書記(党首) 緑の党は超ゲイ・フレンドリーな政党
1 直線的経済から循環型経済へ
2 郊外暴動・原発・遺伝子組み換え作物
3 緑の党がゲイ・パレードに参加する理由
4 同性愛について国民運動連合と社会党を採点する
5 緑の党が与党になったら提案するゲイ政策
リチャード=サンチェス・フランス共産党『自由・民主・反差別委員会』責任者 人類解放のために同性愛者の権利が守られるべきだ
1 同性愛者は許し難い差別の犠牲者だ
2 共産党がゲイ・パレードに参加する理由
3 共産党は同性婚・同性カップルの養子縁組に賛成する
4 HIV拡大には予防の原則が必要
5 フランス国民運動連合・社会党・緑の党を採点する
6 映画『ぼくを葬る』はすばらしい
ステファン=ダセ・『ゲイ・リブ』代表 保守の立場から同性愛者の権利を守る
1 ゲイ・リブは国民運動連合(UMP)と友好関係にある
2 国民運動連合は大きな進歩を実現させた
3 保守の立場から同性カップルの養子縁組・同性婚に賛成する
4 社会党はゲイを被害者化している
5 保守政治家が同性愛者から嫌われる理由
6 ゲイ・リブがゲイ・パレードをボイコットした理由
7 幸せなゲイの話があってもいい
クリストフ=ジラール・パリ市助役 パリ市長のブレーンは日本通の同性愛者
1 自分自身に嘘をつきたくないから、カミング・アウトした
2 赤毛のダニー、ベーグル市の同性婚、嫌がらせの手紙
3 ホモ嫌い、パリ市長のカミング・アウト、ゲイ・プライド
4 「結婚しない権利」を持ちたい、だから同性婚に賛成する
5 緑の党は最もゲイ・フレンドリーな政党だ
ブルノー=ゴルニッシュ欧州議会議員&『国民戦線』全国代理 極右ナンバー2が喝!「ゲイ・パレードは認められない」
1 極右ナンバー2が語るイラク戦争・アメリカ
2 「イラク内での自爆攻撃はレジスタンスだ」
3 「ゲイ・パレードは認められない」
インタビューを終えて
あとがき
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どうです、読み応えありそうでしょ?
私についても、ちょっと書いてくださったそうで、いやいや、ありがたい限りであります。
及川さん御自身はノンケですけど、こういった事柄について硬派な立場たら真摯に取り組んでおられる方なので、ぜひ応援よろしくお願いします。
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画集『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』、ようやく完成
2003年12月に第一巻を発売して以来、長らくお待たせしていましたが、ようやくこの8月21日に、『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』が発売されます。
実のところ、二巻を発売できるかどうかは一巻の成績次第だったのですが、無事2004年の9月にゴーサインが出ました。で、さっそく動き始めたんですが、収録を予定していた作品の収集に、思いのほか手間取ってしまい、更に予期せぬトラブルも幾つか起き、結局このように、およそ二年遅れの発売となってしまいました。
今回の収録作家は、長谷川サダオ(さぶ・アドン・ムルム・薔薇族)、木村べん(薔薇族・さぶ・アラン)、児夢/GYM(さぶ)、林月光/石原豪人(さぶ・ジュネ)、遠山実(薔薇族・さぶ)、倉本彪(アドン)、天堂寺慎(風俗奇譚?)という顔ぶれになっています。
ゲイ雑誌の大御所であった長谷川サダオや木村べん、ゲイ・アートのみならず昭和を代表する挿絵画家としても名高い林月光/石原豪人に加え、児夢/GYM、遠山実、倉本彪といった、知る人ぞ知る「幻の作家」の作品も多く収録でき、一巻に負けず劣らず充実した内容の画集であり、同時に日本のゲイ文化史を振りかえる上での貴重な資料になったのではないかと思います。
本の総ページ数は220ページ強で、構成は一巻同様に、160点以上の図版(カラー88ページ)に加え、可能な限り調べた結果による各作家のバイオグラフィーや、時代によるゲイ文化史の変遷や作品論といったテキストを、併せて収録しています。
で、実はこのBlogを始めたきっかけは、この本でして。
というのも、一巻のテキストを執筆しているとき、慣れないせいもあってひどく手こずり、加えて不眠症になってしまったんですよ。論文とか、生まれてこのかた書いたこともなかったから、書き方そのものからして良く判らなくて(笑)。
で、少し文章を書くトレーニングをしておいた方がいいな、なんて思っていた矢先に、プロバイダさんからBlogの案内が来たので、ちょうどいいやと乗っかってみた次第でして。
そんなトレーニングの甲斐あってか、二巻の執筆は、一巻のときよりはスムーズにこなせたような。
発売は21日ですが、既に版元のポット出版さんのサイトやamazon.co.jpでは、もう予約を受け付けています。
あと、この本に絡めて、評論家の伏見憲明さん(序文をお願いしました)と私との対談が、既に発売中の雑誌『QJr クィア・ジャパン・リターンズ vol.2』に掲載されてますので、よろしかったら是非そちらもどうぞ。たまに「顔が見たい」なんてリクエストいただくことがあるんですが、ははは、この『QJr』の対談ページに、恥ずかしげもなくイッパイ載ってます、私の顔写真(笑)。
ポット出版のサイト
『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』(amazon.co.jp)
『クィア・ジャパン・リターンズ vol.2』(amazon.co.jp)
明日から渋谷で稲垣征次さんの個展が開催
明日8月5日から15日まで、渋谷の画廊「美蕾樹」で、画家の稲垣征次さんの個展『少年艶姿』が開催されます。
稲垣さんは、精緻極まる鉛筆画で、幻想的でエロティックな少年の絵を描き続けていらっしゃる画家。雑誌「薔薇族」をご覧になっていた方なら、その美しくも時に妖しい素晴らしい作品は、もうお馴染みのはず。
雑誌ではモノクロがメインでしたが、今回の個展は色鉛筆によるカラー作品がメイン。昨年の個展でも、やはり色鉛筆や油絵によるカラーの作品を出展しておられましたが、モノクロ画のあの精緻さはそのままに、色とりどりの宝石を散りばめたような、色彩のあでやかさ。おもわず息をのむほどでした。今回もおそらく、その絢爛たる幻想美を、再び披露してくださることでしょう。
作品には、描写の緻密さと完成度の高さもあいまって、エロティック・アートとしての魅力と同時に、例えて言えば石版画によるアンティークな博物画のような、硬質で凛とした工芸品的な美しさもあります。エロティック・アートのみに限らず、幻想美術全般がお好きな方、また、澁澤龍彦の『フローラ逍遙』とかエルンスト・ヘッケルの博物画とかがお好きな方にも、ぜひ一度ご覧いただきたい。
画廊の場所や開館時間、休日等の情報は、伊藤文學さんのブログに詳細があります。
現役の日本のゲイ・エロティック・アーティストの中では、間違いなくトップクラスの作家の個展、お見逃しのなきよう!
『シャガール ダフニスとクロエー(普及版)』岩波書店
『ダフニスとクロエー』は、2世紀末〜3世紀のギリシャで、ロンゴスという人物が書いたと伝えられる、レスボス島を舞台にした若い男女の恋愛物語。本書は、そのテキストの日本語訳(松平千秋/訳)に、1961年にマルク・シャガールの制作した42点のリトグラフを併せた、フルカラーの挿絵本。
タイトルにはラヴェルのバレエ音楽で馴染みがあり、長いこと愛聴はしていたものの、実際の物語は読んだことがありませんでした。一方、シャガールのリトグラフは、確かハイティーンの頃、鎌倉の神奈川県立近代美術館に「シャガール展」を見に行った際、現物を目にして、その色彩の余りの美しさに絶句、深く感銘を受けたという想い出があります。
で、つい最近になって、ロンゴスのテキストとシャガールの絵がカップリングされた本書が、昨年出版されていたと知り、いそいそと買って参りました。
物語は、神話と現実が分離する以前の素朴な田園世界を舞台に、羊飼いらにらによって育てられた二人の捨て子、ダフニスとクロエーが織りなす、その成長と愛を描いています。
ドラマはいろいろと盛り沢山で、恋愛モノには必需の横恋慕も出てくるし、近在の村との戦争なんていうアクションもあり(これがバレエだと、海賊の襲来に変わってますね)、年上のオネーサンによる性の手ほどき(いわゆる、『青い体験』系ですな)もあり、男と男の同性愛(ま、古代ギリシャですからね)も出てくる。
とはいえ、中核を成すのは、あくまでも詩情豊かな自然描写と共に繰り広げられる、少女マンガの如く美形の若い男女の恋愛模様。ロマンティックであることに加えて、清々しくおおらかなエロティシズムがあることも魅力的。ニンフやパンに捧げる儀式などの、エキゾティックで古代的な描写の数々も楽しいし、あちこちで顔を出すユーモラスな要素も面白い。
興味深いのは、ラストになってこのモノガタリは、一種の貴種流離譚的な側面も持ちあわせていることが明かされるんですが、その最終的な着地点が「宮殿やお屋敷への帰還」ではない、つまり、主人公たちが本来属していた、生まれた場所に戻るのではなく、彼らが育ち、その愛を育んでいった場所である「田園」に戻るということ。ここには作者ロンゴスの、アルカディア的な憧れのようなものが感じられるのですが、古代ギリシャ世界においても、既にこうした都会人から牧人に対する牧歌的理想郷への憧憬という、昨今の定年退職後の会社員が田舎暮らしを希求するような、現代とさほど変わらない感覚があるのが面白い。
こういった、あくまでも自然の美しさや自然神に対する信仰の純粋さや人間の素朴さを讃えるという、作者の一貫した視点が、モノガタリ全体にいっそうの清々しさを与えています。終幕、牧人たちの「荒々しいどら声で(中略)まるで三叉の鍬で畑の土を掘り起こしているような響きで、とても結婚を祝う歌とは聞こえな」い歌に祝福されて、二人が身体を重ね、それまで「森で二人がしていたことは、幼い牧童の遊びにすぎなかった」ことを知るシーンの、素朴な生と性と愛の合一した何という多幸感! ちょっと感動モノでした。
かつて私を感動させたシャガールの挿絵に関しては、やはり印刷物の悲しさで、あのリトグラフに見た鉱物そのもののような色彩の輝きには到底及ばないものの、しかし不可能な欲をかかなければ充分以上に美しく、目を楽しませてくれます。かつて、一葉目の「ダフニスを見つけるラモーン」を見たとき、画面のほぼ全体を占める美しいグリーンの中に、小さく白と肌色で描かれた山羊と赤子のコンポジションの美しさに、陶然として見とれてしまったことを覚えていますが、そういった感動はこの本だけでもちゃんと味わえるでしょう。
また、シャガールの絵とリトグラフというメディアの相性が良い。個人的な意見ですが、シャガールの描く世界は、油絵の「重さ」とはあまり合わない。リトグラフの方が、絵とメディアそれぞれの「軽さ」が、絶妙にマッチしているように思います。
一枚一枚の絵はいかにもシャガール調で、鮮やかな色味と牧歌的な幻想性が、『ダフニスとクロエー』という田園的な神話世界と、実に良く合っています。いかにも素朴で影をかんじさせないところとか、時に少女趣味的なまでにロマンティックなところなど、両者にはかなり共通点も多い。
ただ、エロティシズムという点に関しては、残念ながらあまり上手くはいっていない。そもそもシャガールの描く人物は、およそ肉体の堅牢さや生々しさを感じさせない、どちらかというと魂か幽霊のような味わいなので、それらが例え裸で同衾していても、何ともあっさりとしていてエロスには程遠い世界です。ここいらへんは、デフォルメされた線画だけなのにエロいピカソあたりとは、全く異なる個性ですね。
この『ダフニスとクロエー』の場合、全体に横溢するおおらかなエロティシズムも大きな魅力のうちだったので、その点は少しだけ残念ではあります。
さて、ちらっと前述した同性愛について、もう少し詳しく書いてみます。
美少年ダフニスに想いを寄せるグナトーンは、いわゆる放蕩者として描かれており、その男色趣味についてもモノガタリは「慰みもの」や「もてあそぶ」と語り、決して好意的とは言えません。
しかし、それはともかくとして、グナトーンは自身で「(ダフニスの)からだに惚れたんです」と語るように、同性に対して完全に性欲に先導された興味を覚えており、しかも「生まれついての男色好み」とも描写されています。つまりこれは、同性愛者のキャラクターとしては、プラトン的に理想化された同性愛でもなく、バイセクシャルの一面としての同性愛でもない、いわば現代のゲイとかなり近い存在とも考えられるのが、興味深いところです。
もちろんモノガタリ的には、グナトーンは所詮当て馬でしかないし、ダフニスを性的に求めるグナトーンに対して、作者はダフニスの口を借りて、そういった行為が「牡山羊が牝山羊に乗るのはあたりまえだが、牡山羊が同じ牡に乗るのは誰も見た者はいない、牡羊でも牝でもなしに牡を相手にすることはせず、鶏だって牡が牝のかわりに牡とつるむことはない」と、不自然なことであるとも語らせています。
とはいえ、グナトーンは同性愛者ゆえにモノガタリから滅ぼされることもない。性欲ゆえにダフニスを「ものにしたい」というグナトーンの気持は、やがてダフニスに対する恋へとなり、グナトーンが自分の主人に語るダフニスへの想いは、それ自体は恋の姿の一つとして至極まっとうに描かれています。グナトーンがモノガタリ的に批判されるのは、あくまでも恋そのものに対してではなく、恋を成就させるために身体的な力や社会的な力を使おうとしたことにある。
後に、二人のパワーバランスが逆転した時点で(当初「(身分の低い)ラモーンのせがれなどに惚れて恥ずかしいとは思わぬか、山羊を飼っている少年と並んでねようと本気で考えているのか」と揶揄されたグナトーンは、やがて「悪党のグナトーンめにも、取巻きふぜいの分際でどんな人間に想いをかけたのか、思い知らせてやらねばならぬ」と言われる立場に変化する)、主人公たちの恋路を邪魔する悪役という、グナトーンのモノガタリ的な役目は終わります。
しかし、この時点ではグナトーンはまだモノガタリから退場はしない。また、悪役グナトーンに対するモノガタリ的な罰も下されない。この後グナトーンは、クロエーの危機に「ダフニスと仲直りする絶好の機会」と考えてその救出に赴き、結果としてダフニスからも「自分の恩人だといって、これまでのわだかまりを解」かれるという、一種のモノガタリからの救済が用意されている。
このことから、同性愛全般に対する視点を読みとろうとするのは、いささか危険ではあります。グナトーンは同性愛者であると同時に、「全身が顎(口)と胃の腑とと臍から下でできている」、つまり、食欲と酒に酔うことと性欲が全ての放蕩者であり、男色好み云々を別にしても、そもそもが下衆なキャラクターという設定なので。
しかし、グナトーンの性欲自体に対しては、それを卑しいものと捉えている傾向はあるものの、断罪しようとする視点は見当たりません。グナトーンに与えられるモノガタリ的な救済も、彼が性欲を諦めてプラトニック・ラブに移行したからではなく、あくまでも悪役であった彼が改心したからです。
こういったことからは、決して歓迎されてはいないが、社会的なタブーではないゆえに容認はされているという、同性愛に対する視点が伺われます。現代の日本社会にも通じるものがあり、なかなか興味深い描き方でした。
では、もしグナトーンに与えられた性格が悪役としてのそれではなく、純粋にダフニスを愛する者として登場していれば、彼らの性愛も美しく讃えられていたのだろうか。
残念ながら、答はおそらくノーでしょう。作者であるロンゴスの視点は、あくまでも自然と自然に近い人間の姿の素晴らしさを讃えることにあり、前段で述べた清々しくおおらかなエロティシズムを伴う性の姿も、そういった視点の所産です。
ですから、近在の人妻リュカイオンが、ダフニスの筆おろしを「もって生まれた人間の本性が、どうしたらよいか教えてくれた」ようにすることはあっても、グナトーンとダフニスが結ばれることは、このモノガタリ世界ではあり得ない。同性愛は自然の営みではないという、時代的な限界がここにはあります。
愛と性の喜びを謳い感動させてくれた作品で、同時にこういった要素を目にしてしまうのは、私としてはちと残念なことですね。
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『ポセイドン』
『ポセイドン』(2006)ウォルフガング・ペーターゼン
“Poseidon” (2006) Wolfgang Petersen
パニック映画大好きの相棒と一緒に鑑賞。
まず、導入。カメラが海中から浮上して、ポセイドン号の船体をグルグルと舐めるように撮る。全体を捕らえたロングからワンショットで人物のアップに寄ったり、いかにも昨今のCGIを駆使した絵作りらしいアクロバティックな動きなのだが、映画の導入としてのケレン味はタップリ、クラウス・バデルトの勇壮なスコアもあって気分を盛り上げてくれます。
引き続き本編に入り、それぞれのキャラクターの紹介は、必要最小限にして手堅くコンパクト。そして、そのキャラクターたちが集合し、新年のカウントダウン・パーティーのシーンになるんですが、このカウントダウンのシーンが、しっかりゴージャスかつロマンチックに見せてくれて、かな〜り良い。『ナルニア』のときにも書いたけど、こーゆー「スペクタクル」を見せてくれる映画って、意外と稀少だからねぇ。『トロイ』に引き続き、ペーターゼン監督に拍手!
で、そこに大惨事が唐突に襲いかかるんですが、その「華麗な幸福感に満ちたパーティー」と「いきなり襲いかかる大惨事」の、コントラストの見事さといったら! ここはマジで感心!
これ、この「唐突さ」が重要なんですな。普通は、アクシデントの到来までを、別視点での前振りを入れて、サスペンス的に盛り上げるのが常套手段。ところがこの映画は、ホント前振りらしい前振りもなく、唐突に「それ」が訪れる。その作劇法的な「外し」が、いかにも予期せぬ事故に巻き込まれ、平穏な楽しい日常が突如断ち切られてしまうという、現実的なブッツリ感を醸し出してくれて、実に素晴らしい。もう、拍手喝采もの。
……という感じで、タイトルからここまでは、百点満点をあげたい出来映え。
話が本筋に入ってからは、アクシデントのつるべ打ちに。
とはいっても、垂れ流しではなく緩急はあるし、迫力も緊迫感もあるし、エピソードの組み方も上手くて、見ていて鼻白むこともない。一緒に見に行った相棒は大喜び、私自身の印象も、満腹感はありつつ、でも胸焼け一歩手前で堅実に押さえている感じで、ここ数年来のパニックもの映画の中ではベストかな。
で、パニック映画では、アクシデントやアクションといった様子と共に、「危機的状況の中で、いかに人として生きるか」というドラマが描かれるのが常で、オリジナルの『ポセイドン・アドベンチャー』の最大の魅力的はそこいらへんにありましたが、今回は「いかに生きるか」じゃなくて「いかに生き延びるか」で精一杯、「人としてのありかた」を問うている暇はない、といった風情。ロマンとしてのドラマが介在する余地は、ほとんどないといった感じ。
ただ、かといって同じ監督の『Uボート』みたいな重さや圧迫感があるわけでもなく、ドライに突き放した視点で徹底するというわけでもなく、あちこちでいかにも娯楽大作的なクリシェや、ウェットな視点も混じります。本来であれば、そういった軸のブレはあまり好意的には見られないのですが、この場合のブレは、娯楽映画として成立させるためのバランスを手探りしているようにも見え(そういや『トロイ』も、そんな感じがあったなぁ)、そうなると作家の端くれとしては、その板挟みをいかに捌ききるかという点に興味を惹かれます。
中でも印象深かったのが、子供の救出劇。他のシーンでは、いかにしてその危機を脱出するかというのが、ちゃんと描かれて説明されているのに、このシーンでは、どうあっても助かりそうにない状況から、どうやって助けることができたという説明が一切ない。それが何だか、監督の「ここは嘘なんだよ、ホントはこの子供は死んじゃうんだよ」という意思表示に見えてくるのが面白い。
とはいえキャラクター全般は、捌き方は上手いものの、立て方が少々物足りない感もあるので、そこんとこはもうちょっとプラスアルファが欲しかった。特にメインの二人、ジョシュ・ルーカスとカート・ラッセルが弱い。
ヒロイズム等を避けて普通の人っぽくしたかったのなら、だったら元ニューヨーク(……だったっけ?)市長なんて設定じゃなくてもいいような。往年のオール・キャストもののような華やかさは必要ないにしても、もうちょっと何らかの魅力は出して欲しいなぁ。
サブキャラの、エミー・ロッサムとマイク・ヴォーゲルのカップルは、それぞれ最近『オペラ座の怪人』『テキサス・チェーンソー』で、いい感じと思っていたので、個人的にはお得気分。
映画のアタマでは、「小綺麗で無精ヒゲもないマイク・ヴォーゲルは、全く魅力ナシ!」なんて思ったんですが、中盤以降はだんだん薄汚れていってイイ感じに(笑)。でも、水難事故だし上半身くらいは脱ぐかと期待してたんだけど、残念ながら濡れTどまりだった。
あと、個人的に一番嬉しかったのは、リチャード・ドレイファス!
だいぶオジイチャンになりましたが、しっかりステキなオジイチャンになってたし、とにかく我がハイティーン時代のアイドル、愛しのリチャード『グッバイ・ガール』ドレイファス様がゲイ役(!)ってだけで、個人的には映画自体がプラス10点くらいアップ。しかもこの役、モノガタリ的には別にゲイである必要も何もない。ゲイだということで特別に役割を背負うこともなく、フツーにゲイなだけ。
悩めるハムレットでもなく、サイコなシリアル・キラーでもなく、モノガタリにとって都合の良いキューピッドや潤滑油でもない、こーゆー「ただゲイなだけ」のキャラクターを映画で見ると、何だかホッとします。扱いがニュートラルですごく感じがいい。脱出行で、若い男の子に「ハンサム君」とか呼びかけるあたりは、小ネタとしてゲイ的にはお楽しみどころかな。まあ、その後すぐにドツボなんだけど。
そうそう、このドレイファス演じるゲイのオジイチャン、左耳にダイヤか何かのピアスしているんですが、「片耳ピアス=ゲイ」という「記号」を見たり読んだりするのは、もう20年振りくらいなんで、何だか懐かしかったなぁ。でも、あたしゃてっきり、これは都市伝説の類かと思ってた。
で、このドレイファス翁が一番キャラが立ってたように感じられた……ってのは、単に私がゲイだから?
というわけで、「導入の素晴らしさ」+「見せ物的な見応え」+「ゲイ役のリチャード・ドレイファス」ってだけで、もう個人的には充分以上に満足しました。
軸のブレに関しても、根っこのところで「現実問題として生き延びるには、とにかく希望を捨てず、ひたすら頑張るしかないんだ」という芯は一本通っていたように思えるし、同ネタで別のものを作るという点では、リメイクものとしても興味深い仕上がりでした。
『ヘラクレス 選ばれし勇者の伝説』
『ヘラクレス 選ばれし勇者の伝説』(2004)ロジャー・ヤング “Hercules” (2004) Roger Young |
前にここで「日活さんあたりが、ちゃんとノーカット版のDVDを出してくれることを願います」と書いた、ホールマーク製のTV版ヘラクレス、願い通り、日活さんからノーカットDVDが発売。いやぁ、割と最近も『NERO ザ・ダーク・エンペラー』ってのを見たら、またもや80分ほどカットされた短縮版でウンザリしていたところなので、全長版で見られるだけでもありがたい(笑)。
内容は、ホールマークだからファミリー向けのファンタジー・アドベンチャー路線だろうと思っていたら、意外と硬派でした。
ヘラクレスものの映画って、エピソードの幾つかに伝説からの引用を絡ませたりはするものの、基本的には「ヘラクレス」というキャラクターを借りただけの、完全オリジナルストーリーが多い印象なんですが(スティーヴ・リーヴスの『ヘラクレス』も、この例外ではない)、今回の『ヘラクレス 選ばれし勇者の伝説』は、それらと比較すると、物語自体はかなりギリシャ神話に近付けています。
もちろん、アレンジは大幅になされてはいるんですが、基本的にギリシャ神話のヘラクレス伝説に則って、その上で「アレとアレの順番を入れ替える」とか「アレとアレをくっつける」といった具合に、エピソードを組み立てている。ギリシャ神話のアレンジ具合を楽しむという点では、過去の類作と比べると、かなりポイントは高い。
以下、ちょっと具体例が多くなるので、ネタバレが嫌な方は、次の段は飛ばしてください。
例えば、エリュマントスの大猪やヒュドラのエピソードを「十二の功業」以前に持ってくるとか、臨終の火葬壇のエピソードをメガラとの間の子殺しにくっつけて、それを前半部のクライマックスにしたりしてます。そういった諸々は、なかなか上手いと感じたものもあり、ちと無理矢理といった感じのものもあり。ディオメデスの人食い馬とアマゾンの女王ヒッポリュテをくっつけたあたりは前者、ステュムパロスの怪鳥とヘラの乳房をくっつけたあたりは後者でしょうか(笑)。
また、個人的に一番興味深く感じたのは、背景にあるゼウスとヘラの諍いを、実際の神々は出さずに、それぞれの神々を信仰している人々の間でのパワーゲームとして処理しているところ。
更にその背景には、ヘラを「嫉妬深い結婚の女神」ではなく「男権社会によって抑圧された地母神」として位置付けるなど、男権制と女権制の争いといったニュアンスも感じられて、文化人類学的な臭いもするところも面白い。ここいらへん、ちょっと興味を持って調べてみたら、バーバラ・ウォーカーという人の『神話・伝承辞典−失われた女神たちの復権』なんていう、なかなか面白そうな本がヒットしました。意外とこれが元ネタだったりして(笑)。
で、そういった構造に基づいて、「ゼウス/父・夫・男」であるアムピトリュオンやヘラクレスと、「ヘラ/母・妻・女・母の庇護下にある子の」アルクメネやメガラやイピクレスといったキャラクターが拮抗していく。デルポイの巫女の代わりに、「ヘラ(の代理であるアルクメネ)によって盲目にされた両性具有の預言者ティレシアス」を配するあたりも興味深い。
更に、モノガタリ全体の裏の軸に「男ではあるが地母神の息子(この場合はヘラの信奉者)」のアンタイオスを置き、それがゼウスの化身と勘違いされるエピソード(つまり、アンタイオスがヘラクレスの本当の父親というわけ)を配し、物語の要所要所に絡めながら、最終的に、男権と女権の争いの不毛さや信仰の本質への問いかけへと繋げていく。
モノガタリのクライマックスも、ヘラクレス自身の言によって、神話時代の運命論から人文主義への転換がもたらされ、拮抗していた二つの勢力も、ヒュロスとイオレの結婚によって和合するといった具合に、全体の構造はなかなか凝っています。
ただその反面、これらは神話への考察による神話世界の解体でもあるので、モノガタリの着地点は、ギリシャ神話ともヘラクレス伝説とも程遠い、今どきの人間が喜んで受け入れそうなハッピーエンド(笑)。ここは、好き嫌いが別れそうではあります。私個人の好みで言えば、やはり伝説的な英雄譚は悲劇で幕を降ろして欲しいんですが(笑)。
さて、こいうった具合にモノガタリの構造はなかなか凝っていて面白いんですが、残念ながら表現がそれと相反している。
それなりに金もかかっていそうだし、セットや衣装も決して安っぽくはないんですが、それらのデザインの基本にあるのが、いかにもファンタジー、それもぶっちゃけ『ロード・オブ・ザ・リング』の影響が顕著な「それっぽい要素をコラージュしたもの」なので、ギリシャ的な雰囲気は極めて希薄。同時に、『ロード・オブ・ザ・リング』ほど堅牢な世界の作り込みもないので、歴史物っぽい雰囲気もない。
じっさい、ロケ地がニュージーランドらしく、雪渓を望む雄大な背景に、山の尾根を歩くヘラクレスを空撮、しかもお供は狂言廻し的な役割のショーン・アスティン……なんてシーンを見せられると「……パロディですか?」なんて気もしてしまったのが正直なところ(笑)。流れるBGMも「それっぽい」感じだったし(笑)。
あと、モノガタリの基本が神話世界の文化人類学的な解体・再構成だから、神様は出てこないのに、でもファンタジー系のクリーチャーは出てくるってのは、そりゃちょっと矛盾してるっしょ(笑)。まあ、マーケティング的に必要だってのは判るんだけどね、それにしても、ステュムパロスの怪鳥とハルピュイアをくっつけてたり、ネメアのライオンをスピンクスにしちゃったりとか、ちょいとやり過ぎの感あり。
あ、この間の『ナルニア』とは違い、ケンタウロスの顔が人間のそれだったのは、ちょっと嬉しかった。でも、ヘレニズム的ではなく、おそらくネイティブ・アメリカンをイメージしたっぽい感じだったけど(笑)。
つまり、ファンタジー・アドベンチャー的には、映像的にはさほどけなすような出来ではなく、逆にTVものにしては健闘している部類だとは思うんですが、物語的な面白さが、ファンタジー・アドベンチャー的なそれではなく、前述したような構造に基づいて繰り広げられる、愛憎絡み合うドロドロの陰謀劇風なので、そこいらへんが水と油な感じ。
もし『ロード・オブ・ザ・リング』っぽくではなく『トロイ』っぽく、ファンタジー的なクリーチャーはなし、衣装や美術は自由度を生かしつつも、古代幻想的な質感を重視する、といった作り方をしていたら、かなり見応えのある良作になっていた可能性もあり。
けっしてつまらなくはないんだけど、ネタに対して調理法が間違っている感が、どうしても拭えないのが残念でした。
役者さんは、まずヘラクレス役のポール・テルファーですが……いかんせん顔がねぇ(笑)。良く言えばワイルドな風貌だけど、ウィレム・デフォーみたいなカエル口だしねぇ(笑)。でも、身体はいいですよ。一緒に見ていた相棒も「うん、この身体は『買い』だね!」と言ってました(笑)。神話上の英雄的な風格は微塵も感じられませんが、これはまあ役柄がそういうキャラなんだから仕方なし。
アムピトリュオン役のティモシー・ダルトンは、「血は繋がっていないけれども、良い父親」という美味しい役どころなので、なかなか魅力的。だいぶ老けたけど、いい感じに年を重ねておられる感じ。
ヘラクレスの音楽の師匠リノス役に、ショーン・アスティン。リノスが実は生きていて、以後狂言廻しにってのは、悪くないアイデアだとは思うんですが、それにしてはアスティン演じるキャラは、ちょいと軽やかさに欠ける感じ。もっと三の線で良かったのでは?
お目当てのタイラー・メインはアンタイオス役。モノガタリの裏の要なだけに、力持ちの大男なだけではダメなんだけど、正直言って力不足かなぁ。
女優陣は、情念ドロドロ系のエリザベス・パーキンス(アルクメネ)とリアンナ・ワルスマン(メガラ)は、いずれも佳良。リーリー・ソビエスキー(デイアネイラ)は、もうちょっと神秘性か野性味か、どっちかが欲しかった。
ああ、そういや裸の青年二人がベッドインしている、ホモセクシュアル絡みのシーンもチラッとありました。油断していたからビックリした(笑)。ことさらに強調もされず、さらっとした扱いだったのは、いかにも古代ギリシャ世界らしく好印象。
責め場? ありません(笑)。
石塚冨朗さんのブログ
画家の石塚富朗さんが、男性ヌード画をメインとしたブログアダム画廊を始められました。
もうかれこれ20年以上前、まだ私が学生だった頃、石塚さんの絵を雑誌『ムルム MLMW』で拝見し、ああキレイだな〜、ステキだな〜なんて思っていたものですが、後にひょんなことから(ウチの相棒と古い顔なじみだったのだ)お知り合いになることができました。
石塚さんは、いわゆる男絵専門ではないので、作品には女性像や花や抽象などもありますが、いずれも同じく端正で色彩が美しい作品ばかり。そちらの男性ヌード以外の作品を展示しているギャラリーへは、ブログの「I.TOMIOのキャリア」というコンテンツからリンクで行けます。
で、私のブログをご覧になった石塚さんがおっしゃるに「自分もスティーヴ・リーヴスのファンだった」とのこと。わ〜い、思わぬ所にファン仲間が(笑)。
ブログでは「なんちゃってウォーホール風スティーヴ・リーヴスのポートレート作品」(石塚さん談)も掲載されております。というわけで、思わずその記事にトラックバック(笑)。
1月と2月、新宿にてUZUさんの個展開催
ご案内をいただいていたのに、ドタバタに紛れて紹介を失念していました。
1月と2月の二ヶ月間、新宿のココロカフェにて、UZUさんの個展が開催されます。何でも月をまたいで展示替えもあるそうで、今月と来月では展示内容も変わるそうです。
雑誌だと、ベジェ曲線によるポップなカートゥーン系の作品を良く発表なさっていますが、昨年のRainbow Art展で見せてくれたような、カリグラフィやグラフィティ的な要素が入った、マーカー等で描かれたダイナミックな作品も魅力的。
今度の展示は、どんな作品なのかな? DMを拝見すると、タイポグラフィ的な要素も入っているみたいですが。
個展の詳細は、UZUさんのサイトへ。
会場のCOCOLO cafeのサイトはこちら。
今日(21日)から新宿にて直道さんの個展開催
11月21日(月)から30日(水)まで、『ジーメン』『薔薇族』などゲイ雑誌で活躍中の画家・直道(奥津直道)さんの個展が、新宿コミュニティセンターaktaで開催されます。
直道さんの描く、和の伝統を感じさせつつ、様式美と現実感が心地よく併存している男絵は、個人的に大好きなので、見に行くのが楽しみです。ファンの方はもちろん、アート好きの方、興味のある方、お近くまで御用の方、などなど、よろしかったらぜひお出かけあれ。
直道さんの絵は、Rainbow Artsのサイトのサイトで見られます。
会場であるaktaの場所は、こちらを参照。
明日から『Rainbow Arts 6th Exhibition 2005』開催
明日から新宿スペースゼロにて、セクシュアル・マイノリティのアーティスト有志による展覧会『Rainbow Arts 6th Exhibition 2005』が開催されます。(案内をくださったKenya様、直道様、uzu様、ありがとうございました)
フライヤーから解説を引用させていだだくと「Rainbow Artsは、様々なセクシャリティの作家によるアート作品の展示を行うグループです。絵画・イラスト・写真・映像・コスチューム・立体など、クラシックからコンテンポラリーなものまで、多岐のジャンルに渡って自由に表現または発表しています」とのこと。
会期は明日の8/21から8/28まで8日間ありますので、セクシュアリティを問わずアート好きの方、興味のある方、お近くに御用のある方など、ぜひお立ち寄りになっては? ゲイ雑誌でお馴染みの作家さんたちも、大勢参加されていますよ。
もっと詳しい情報は公式サイトへ。