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“Howl”

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“Howl” (2010) Rob Epstein & Jeffrey Friedman
(アメリカ盤Blu-rayで鑑賞→amazon.com

 2010年製作のアメリカ映画。ビートニクスの詩人でゲイでもあったアレン・ギンズバーグの詩集『吠える』の猥褻裁判を軸に、彼の詩の世界と、詩人自身の姿を疑似ドキュメンタリー形式で描いた作品。
 監督は『セルロイド・クローゼット』のロブ・エプスタイン&ジェフリー・フリードマン。ギンズバーグを演じるのはジェームズ・フランコ。

 実在の人物の言動を役者が再現し、それをドキュメンタリー的な手法で構築していく作品なので、いわゆる劇映画的な作りではありません。
 作品の構成要素は、主に5つに分かれます。
 まず、『吠える』の猥褻裁判を法廷劇的に描いていくパート。主役のギンズバーグは、このパートには出てきませんが、これがいわば全体をストーリー的に牽引する軸になっています。
 2つ目は、裁判と並行して別の場所で行われている、ギンズバーグへのインタビューを再現したパート。ギンズバーグのプライベート・ヒストリーや、詩作に対する考え、様々な想いなどが、モノローグのみで語られます。自身のホモセクシュアリティに関して赤裸々に語られるのも、このパート。
 3つ目は、このギンズバーグのモノローグに準じて描かれる、プライベート・ヒストリーの再現ドラマ的な映像パート。前述したホモセクシュアル要素も、このパートで実写ドラマとして描かれます。
 4つ目は、『吠える』の出版以前(おそらく)に、詩人が仲間の前で自作を朗読しているシークエンス。
 そして5つ目が、前述した4つのパートのそこかしこで出てくるギンズバーグの詩の朗読と共に、その詩のイメージをアニメーションを使ってヴィジュアル化したパート。
 以上の5つのパートが、入れ替わり立ち替わり出てきて、最終的にギンズバーグという詩人と、その詩の世界の両方が浮かびあがるという構成です。

 かなり意欲的な作品だとは思います。
 しかし、いかんせん私の語学力では台詞が難しすぎて……出てくる単語も難しければ、語られる内容も抽象的だったり法廷の論議だったりで、もう内容の半分も理解できたかどうか(笑)。
 それでも判った部分だけで言えば、なかなか興味深くはありました。
 まず、法廷パートの、検事が押してくる「文学的な価値があるか否か」という要素(つまり「猥褻か芸術か」と同じ構図)。この論議が、最終的には無効化して「自由の尊さ」に帰着し、そして映画自体も、ギンズバーグ(を演じるジェームズ・フランコ)による「holy, holy, holy……」の朗読で締めくくられるんですが、この一連の流れはちょっと感動的。
 検事が詩の文章に「特定の意味」を見つけようとし、感覚を論理で解釈して是非を判断しようとするあたりも、そういった姿勢そのもの滑稽さが良く伝わってきて面白かった。
 ギンズバーグへのインタビューも、詩がどのようにして生まれるか、作者にとってそれはどんなものなのか……といったことが語られるので、実に興味深し。作家像を垣間見ると同時に、芸術論的な面白さもあります。
 もちろんホモセクシュアル関係の話も興味深く、再現ドラマ部には、ちょっとしたセクシーな雰囲気や、ゲイ的に見ていてハッピーな気分になれる場面も多し。裁判とインタビューはカラー、パーソナル・ヒストリーと仲間の前でのポエトリー・リーディングは白黒という構成なんですが、この白黒の映像も美しい。

 ただ残念なのが、アニメーションによる詩の視覚化のパート。
 ここはいわば、映画的には最大の見せ場であるはずなんですが、イメージ自体は面白いし雰囲気も悪くないものの、2D表現の部分はともかく、3DCGのキャラクター・アニメーションが、ちょっと安っぽくていただけない。制作はタイのスタジオらしいです。
 時間や予算の関係もあるんでしょうが、このアニメーション・パートで、もっとスゴいものを見せていてくれれば、この映画はかなりの傑作になったんじゃないかと思うんですがが、残念ながらそこまでは及ばず。決して悪くはないんだけど、いかんせん、20世紀を代表する詩のヴィジュアライゼーションとしては、イメージ的なパワーが弱すぎるし、完成度も充分とも言えない。
 ここで例えば、最近で言えばジュリー・テイモアの『アクロス・ザ・ユニバース』くらいの、ハイ・クオリティなヴィジョンを見せてくれれば、この映画、かなりの傑作になっただろうに……何とも惜しいです。

 ギンズバーグ役のジェームス・フランコは、雰囲気は上々なんですが、ちょっと坊やっぽいというか甘いというか……ナイーブな感じはあるんだけれど、もう少しシャープさとか深みがあると良かったかも。
 個人的には、裁判長でボブ・バラバン、証人の一人でトリート・ウィリアムズという、20代の頃に好きだった役者さんたちが見られたのは、何だか得した気分でした。
 再現ドラマパートでジャック・ケルアック、ニール・キャサディ、ピーター・オルロフスキーなんて面子が出てくるので、ビートニクスに興味のある方なら、そこいらへんも大いに楽しめるかと。

 まあ私は、ビートニクスはよ〜知らんミーハーですし、内容の理解度もおぼつかないんですが、実写パートの映像の雰囲気の良さや、散見されるホモセクシュアル・モチーフだけでも、けっこう楽しめちゃいました(笑)。
 いかにもこの監督コンビらしく、ゲイ映画的な側面も色濃い内容ですし、時代のムードにも惹かれるし、それに何と言っても、前述したようにラストで感動しちゃったので、「判らない&惜しい」なりにも、それでも「かなり好き」と言える一本です。

パリで開催される日本のゲイ・アートの企画展のご案内

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 Japanese Gay Art(マユミ・インターナショナル)主催による、日本の現役ゲイ・アーティストたちの作品を集めた企画展”Masters of Bara”が、今週の金曜日10月21日から26日まで、フランスはパリのマレ地区にあるギャラリーでスタートします。
 出品作家は、私の把握している範囲では、児雷也、高秀樹、野原くろ、犬義、龍谷尚樹、岩田巌、櫂まこと、森魚、悠、小椋一徹、織部佳積、夢魔、悠次郎、Кэнъя Симидзу(敬称略)といった面々。(他に「俺も出品するよ!」という方、いらっしゃいましたら、メールなりツイッターのメンションなりいただければ、追記訂正します)
 私もジークレー・プリント数点を出品予定。

MASTERS OF BARA
Galerie Brugier-Rigail
48 rue Sainte-Croix de la Bretonnerie
75004 Paris
www.artpartnergalerie.com
■Opening dates
21 -26 October 2011 (Opening party: October 21 18:00)

 会場となるギャラリーは、ポンピドー文化センターのすぐ近くで、私も先日パリで実見してきたんですが、明るくて瀟洒なギャラリーです。因みに私の滞在中は、女性のドレスの展示をしていました(笑)。
 ただ、わりと方針が保守的で、露骨なエロティック作品は展示できない等の制約があったそうで、そういったギャラリーからNGが出た作品に関しては、同じ通りにある私がサイン会をした書店、Les Mots à la Boucheの地階で展示されるそうです。
Les Mots à la Bouche
6 rue Sainte croix de la Bretonnerie, Paris
motsbouche.com

 両展示の詳細については、おそらくJapanese Gay Artのサイトに情報が随時アップされる(但し英語)と思うので、そちらをご確認ください。
 期間中にパリ滞在の方は、ぜひ足をお運びくださいませ。
 また、私の個展もまだ開催中なので、そちらもぜひ一緒にどうぞ。”Masters of Bara”展の会場からは、歩いて15分ほどです。
 ポンピドー文化センターからだと、Rue St. Martinを北上して、Rue Notre Dame de Nazarethを右に曲がり、少し進んだ左側にあるんですが(CAPTAIN Gという看板の左側のドア)、壁に小さな表札が貼られてはいるものの、何階のどこにあるか等はとても判りづらいですし、第一ギャラリー自体が予約制なので、事前に英語か仏語での電話は必須となります。

 ついでに、ちょいとマニア向けお買い物情報なんかも(笑)。
 ”Masters of Bara”展の二つの会場、ギャラリーBrugier-Rigailから書店Les Mots à la Boucheへの道の途中に、ギャラリーから書店に向かって歩いていって右側(路地の奥)にRoB Paris、左側(トム・オブ・フィンランドの絵が目印)にIEMという、レザーやボンデージ系のショップが2軒あります。
 私の印象では、RoB Parisはレザーウェアの類が、IEMはフェティッシュ・ウェアやボンデージ&SM器具が充実しているという印象。個人的には、奥の売り場のディープな道具コーナーや、地下のアダルトDVD売り場の雰囲気なんかが面白い、IEMの方が好きかな〜(笑)。
 私の知る限り、この近所にはもう一軒フェティッシュ&BDSM系のショップがあり、実はそこのオーナー氏は私の絵をお買い上げいただいている方で、お会いしたこともあるんですが、申し訳ないことに、まだ土地勘がない頃に人に連れて行かれただけなので、場所や店名を覚えておらず……多分このREXという店だと思うんですが、確証なし。

“El Greco”

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“El Greco” (2007) Yannis Smaragdis
(ギリシャ盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 2007年製作のギリシャ/スペイン/ハンガリー合作映画。ヤニス・スマラグディス監督作品。「EUフィルムデーズ2011」で日本上映(ただし英語字幕版)あり。
 マニエリスムの巨匠エル・グレコ(ギリシャ人)ことドメニコス・テオトコプーロスの生涯をフィクショナルに描いたドラマ。
 音楽はヴァンゲリス(ただし1995年に限定盤、1998年の公式盤で出た同名のオリジナル・アルバムとは、全く異なる内容)。

 初老のエル・グレコが「私は明日にも火刑に処されるかも知れない」と、自分の生涯を手記に綴り始める。
 ヴェネツィアの支配下にあったクレタ島で生まれ育ち、ビザンチン・イコンの画家であったグレコは、レジスタンスとして闘っていた父や兄に憧れつつも、お前の武器は絵筆だと諭される。そんな中、グレコはヴェネツィアのクレタ知事の娘と恋に落ち、彼女に画才を認められる。
 彼女の口利きで、グレコはヴェネツィアの巨匠ティツァーノの工房に弟子入りし、その工房で、彼と生涯に渡って深い縁となるスペイン人修道士ニーニョ・デ・ゲバラと出会いう。ゲバラもまた、彼の画才に魅せられる。
 やがて恋の破局などを経て、彼はスペインへと渡り、今や高い身分となっていたゲバラの引き立てもあって名声を博するようになる。クレタから影の様に付き添ってくれた旧友との別れ、新たな女性との出会いなどを経て、彼はスペインが自分に名声と愛と幸福をもたらしたと感じるようになる。
 しかしそんな中、スペインに住む同胞のギリシャ人たちが、スペイン語を話せないゆえに異端の罪に問われたことを切っ掛けとして、彼の中に疑問が生まれ、その栄光にも影が差し始める。彼はその思いを画布へと描き、やがて彼自らも異端の疑いを持たれるようになるのだが……といった内容。

 DVDが英語字幕なしだったので、訛りのきつい英語をヒアリングのみで鑑賞しなければならなかったのと、たまにギリシャ語やスペイン語の会話が出てくると、もうサッパリ判らずわやや状態になってしまうので(笑)、かなり情報を拾い損ねていると思うんですが、でもなかなか面白かったです。
 全体の構成は、周囲から「エル・グレコ」と呼ばれながらも、絵にはギリシャ文字で「ドメニコス・テオトコプーロス」と署名しつづけた画家の思いと、その絵画の革新性を、自分のアイデンティティへのこだわりや、体制への反抗心などと重ね合わせるといったもの。
 ビザンチン絵画の「光」と、スペインの陽光という「光」、神性としての「光」、火刑の「光」などを重ね合わせた構成とか、絵画と宗教が対峙したときの、その危険性や優位性の論考など、テーマ的な見所が多かった。
 表現としては、部分的に俗に過ぎる表現があるものの(ちょっと世界市場を意識し過ぎてしまっている感あり)、全体はスケール感があって、重厚で美しい画面も佳良。
 役者さんもそれぞれ雰囲気があって、なかなかよろしい。

 そして部分的ではありますが、同性愛的なニュアンスも含まれていました。
 具体的には、ニーニョ・デ・ゲバラがグレコに寄せる思いがそれに当たるんですが、まあ昔ながらの「邪恋」的な雰囲気なので、同性愛ものとしては方法論が古いというか、さほど面白いものではなかったのが残念。

 絵画好きとしては、エル・グレコの名作のアレコレが、ちゃんとストーリーに有機的に絡んでくるのも面白いし、制作途中の名画だらけのティツァーノの工房シーンなんかも、「え〜、ホントにこれ全部同時期に描かれたの〜?」というのはあるにせよ(笑)、でもやっぱ楽しい(笑)。
 個人的には、このティツァーノの工房でモデルを使って、私の大好きな『プロメテウス』を描いている場面があったのは、かなりお得感がありました(笑)。
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 また余談ですが、劇中でティツァーノが、ドメニコス・テオトコプーロスという名前を覚えきれなくて「……もうグレコでいいや!」とかなっちゃうというシーンがあるんですが(笑)、確かに監督の名前スマラグディスとか、エンドクレジットでズラズラ並ぶ「何とかキス」「何とかプス」といった名前を見ていると、その気持ちも判るような(笑)。

 見やすい反面ちょいとアッサリしていて、もう一つガツンとくるものに欠ける感はありますし、ドラマ的な感動の持っていき方が、いささか安易な感もありますが、コスチュームものとしては、目の御馳走はタップリですし、映画自体の後味も良し。
 モチーフに興味のある方なら、楽しめる一本だと思います。

 ヴァンゲリスの音楽は、まぁ「いつものヴァンゲリス」でしたが、曲によってビザンチン聖歌や古楽がミックスされていたりするのが、ちょっと新鮮だったかな。

“Günesi gördüm (I saw the sun / 私は太陽を見た)”

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“Günesi Gördüm (I Saw the Sun)” (2009) Mahsun Kirmizigül
(トルコ盤DVDで鑑賞→amazon.com

 2009年制作のトルコ映画。マフスン・クルムズギュル監督。同年の東京国際映画祭にて『私は太陽を見た』という邦題での上映あり。
 長引くクルド紛争によって故郷を追われた村人たちの離散や、引き裂かれていく家族の絆と、トルコという国そのものの姿を重ね合わせながら、スケール感タップリ、アジア的な泣かせどころもタップリに描いた、社会派感動大作。

 25年に渡る戦闘で過疎状態にある、クルド地方山間部の村。残っている数少ない数家族は、それでも幸せに暮らしていたものの、戦闘が激化していくにつれ、兄弟同士で軍とゲリラに分かれてしまったり、地雷で片脚を喪ったりといった悲劇が降りかかってくる。
 やがて軍とゲリラは大規模衝突を起こし、最後まで村に残っていた家族もついに立ち退くことになる。ある家族はイスタンブールに行って仕事に就くこと選び、別の家族は親戚を頼ってノルウェイに密入国しようとする。
 イスタンブールに行った家族は、狭いながらも親戚一同が共に暮らせる家を見つけ、港湾で魚の水揚げの仕事も見つかる。しかし、母親が体調を崩して入院中に、女子続きの末ようやく授かった待望の男子を、年長の子供たちの無垢ゆえの不幸な事故で亡くしてしまう。
 その結果、父親は裁判所によって扶養資格なしと判断されてしまい、まだ幼い子供たちは全員孤児院に入れられてしまい、子供を取り上げられた父親は悲嘆にくれつつも、入院中で重体の妻にはそれを打ち明けることができない。
 また、この一族にはトランスジェンダー傾向の青年がいて、田舎にいた頃から女性歌手の歌マネなどをしており、彼の兄はそれを苦々しく思っていたのだが、この青年は都会に来て初めて、自分と同様のトランスジェンダー/ゲイの仲間と出会う。
 今まで「ゲイ」という言葉すら知らなかった彼は、すぐに「生まれて初めて出会った自分と同じ仲間」と仲良くなるのだが、当然のごとく彼の兄はそれを快く思わず、ついに暴力を振るって弟を家に監禁してしまう。
 青年の仲間たちは、このままでいるとアンタは家族に殺されてしまうと、彼を脱出させて自分たちのところに密かに匿うが、青年の兄は、家出した弟を何としても捜し出そうとする。
 一方のノルウェイを目指した一家は、密航の手引きをしてくれる怪しげな男を頼り、コンテナに閉じ込められて窒息しそうな思いをしながら、何とか目的の地に辿りつく。
 頼りにしていた親戚とも無事に会え、言葉が通じない不自由さがありつつもスーパーでの仕事も見つかり、地雷で片脚を喪った息子の義足も手に入るのだが、やがて当局に不法滞在がばれてしまい……といった内容。

 いや、実に堂々としたもの。お見事!
 故郷を喪った二つの家族を通じて、トルコの社会が内包する問題ゆえの家族の離散や団結といった物語を、ダイナミックに、力強く、そして感動的に描いています。
 映像も素晴らしく、雄大なランドスケープから身の丈サイズの風景まで、しっかりとした撮影と効果的なカメラワークによって、重厚かつ美麗に見せてくれます。
 役者さんたちも、いずれも見事。
 似たタイプが多くて、慣れないと顔の見分けがつけにくいのが難点なんですが……まぁムサいヒゲモジャのいい男だらけなのは嬉しいんですけど(笑)……オッサンも青年もおっかさんもおじいちゃんも子供たちも、それぞれ実に良い顔&良い演技で、キャラクターの説得力とストーリーの盛り上がりに大いに貢献している感じ。
 監督と脚本と主演を兼ねているマフスン・クルムズギュルは、元々はクルド出身のシンガーソングライターで、映画監督としてのキャリアは、これでまだ2本目なんですが、その堂々たる演出手腕は、既に巨匠の風格すら漂っているかのよう。
 これを見た後、老人問題を扱った処女長編“Beyaz melek” (2007)を見たんですが、これがまたとても処女作とは思えないなかなかのもの。最近日本盤が出た、テロを描いた第3作『ターゲット・イン・NY』(2010)は、残念ながらこの2作と比べると、ちょっと出来が落ちる感はありますが、それでも部分的には見所が多々ありでした。

 さて、予告編では何故かあまりフィーチャーされていないものの、実は件のトランスジェンダーの青年を巡るエピソードが、タイトルとも関連してかなり大きなパーツを占めているのも、個人的には大きな収穫でした。
 この要素に関しては、ストーリーとしてはとても辛くて、決して見ていて楽しいものではないんですが、ホモフォビアによる悲劇を描いた、その見応えにズシンとやられました。特に、英語版のポスターにもなっているこのシーンなんか、思い出すだけでも辛くなるんですが、その力強い鮮烈さは忘れがたいものがあります。
 また、そういったテーマ部分での見応え以外にも、イスタンブールの男娼やゲイ・クラブといった、日頃あまりお目にかかれない風物が垣間見られたのも良かった。

 シリアスなテーマを真摯に扱った内容なので、いささかメッセージ性が露骨に感じられたり、エモーショナルな表現が過剰に感じられるきらいはありますが、社会派的なテーマと娯楽性を両立させた、堂々たる大作としての佇まいや、随所に見られる映像美など、見応えも見る価値もタップリです。

ターゲット・イン・NY [DVD] ターゲット・イン・NY [DVD]
価格:¥ 5,040(税込)
発売日:2011-08-05

“Undertow (Contracorriente / 波に流れて)”

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“Contracorriente” (2009) Javier Fuentes-León
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com英盤DVD米盤Blu-rayあり)

 2009年製作のペルー製ゲイ映画。原題”Contracorriente”、2010年の東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で、『波に流れて』の題で日本上映あり。
 保守的なペルーの漁村を舞台に、既婚男性独身男性の愛を描いた内容で、アカデミー賞外国語映画賞のペルー代表候補にもなった作品。

 主人公ミゲルは、古風な水葬の風習が残るペルーの田舎の漁村の漁師。妻帯者でもうじき初子も生まれるのだが、実は同じ村に滞在している余所者の画家サンティアゴと同性愛関係にあり、廃屋や人の来ない海辺などで逢瀬を繰り返している。
 しかし、村人たちは余所者のサンティアゴを敬遠しており、村の女たちも彼は同性愛者だと噂していたりして、ミゲルも表だっては決してサンティアゴと接しようとはしない。
 そんな中、サンティアゴは市場でミゲルの妻に話しかけ、後にそれを知ったミゲルは、そのことでサンティアゴを責める。二人は激しく言い争い、その日を境にサンティアゴは姿を消してしまう。
 ミゲルは後悔にくれるが、それからしばらくしてサンティアゴが、教会やミゲルの自宅といった、それまで決して来なかった場所に姿を現すようになる。実はサンティアゴは海で事故にあって死んでおり、幽霊となってミゲルの元を訪れていたのだ。
 サンティアゴの幽霊はミゲルにしか見えず、そしてこの地方の風習では、亡くなった人間は儀式を踏まえて水葬しなければ成仏できないとされていた。サンティアゴを成仏させるために、ミゲルは海に潜って彼の亡骸を探しつつも、彼の幽霊が他の人には見えないおかげで、初めて人前で堂々と一緒に歩ける幸せを味わう。
 そしてミゲルは、ついに海底に沈んだサンティアゴの遺体を発見するのだが、人に知られず共に過ごせる喜びを逃したくないあまり、その亡骸が発見されないよう水底の岩にロープで括り付けてしまう。
 ところが、サンティアゴの家に無断で入り込んだ村の娘が、彼が密かに描いていたミゲルの裸体画を見つけてしまう。その噂は瞬く間に村中に拡がり、ついにはミゲルの妻の耳にも届いてしまうのだが……といった内容。

 これは良い映画、
 鄙びた農村と美しい海を背景に、見事な演技で裏打ちされた魅力的なキャラクターたちの、様々な想いが交錯する様が丁寧に綴られ、ストーリーも先を読めない面白さ。ロマンティシズムもあれば現実の苦みもあり、しっとりと切ないような何とも言えない情感が全体を包み込んでいます。
 ストーリーの基本にあるのは、男同士の切ないラブストーリーと、自己受容を巡る物語ではあるんですが、キャラクターの動かし方が、ラブストーリー的な予定調和や、ゲイ的なメッセージのためといった、作為性を感じさせないのも良い。ミゲル、ミゲルの奥さん、サンティアゴ、それぞれが得たものと喪ったものが、きちんと描かれているので、結果、単純なラブストーリーやゲイ的なお説教とは一線を画した、より汎的な「人間のドラマ」になっている印象があります。
 というわけで、メインとなる主題は男性同士の同性愛ではありますが、一方的にそこだけに肩入れするのではなく、周囲の人々の心情も含めて丁寧にドラマが描かれるので、おそらくゲイでもノンケでも男性でも女性でも、作品に対してそれぞれの見方や印象が残るのでは。

 同性愛的な問題として描かれるのは、保守的な社会におけるホモフォビアと、その背景にあるラテンアメリカ的なマッチョイズム。
 特にマッチョイズムに関しては、それが当事者自身の自己受容を阻む原因にもなっている。但し、ここで面白いのが、単純にマッチョイズムを否定するのではなく、それに対する考え方自体のシフトが描かれるところ。詳細は省きますが、表層的な「男らしさ」によって自分がfagだと認められなかった主人公は、しかし「男らしさ」に基づいて自分の同性に対する愛を受け止めるに至ります。これはちょっと新鮮でした。
 こういった、既成概念に対する問いかけといった要素は、脇の女性キャラにも見られ、例えば、男性やセックスに対して積極的な、古い価値観では「尻軽女」とされるようなキャラが、実はその保守的な既成概念に捕らわれていないがゆえに、ある意味で主人公の心情に最も優しく、しかしさりげなく寄り添ったりします。

 演出も上々。
 視覚的に派手なものではなく、どちらかというと地味で淡々とした表現ですが、無駄もなければ弛緩もない。叙事と叙情のバランスも良いし、特殊効果など一切使わない幽霊の描出も見事。
 ラブシーンやセックスシーンも、セクシーさとロマンティックさとリアルの匙加減が絶妙。
 役者もそれぞれ、見事なまでの存在感と自然な演技。
 特に主人公ミゲルの、オシャレなゲイとか過剰なマッチョとかではない、普通にもっさい感じの漁師といった佇まいが、個人的には大いに魅力的。
 対するサンティアゴも、ここはバッチリかっこいい青年で押さえてくれて、更に、大地や太陽の匂いがしそうなミゲルの奥さんも良く、こういった役者のアンサンブルの良さも、映画の魅力に大いに貢献しています。おかげで映画の後味が、もう切ないのなんのって……。
 因みに映画を見終わった後、一緒に見ていた相棒から「今度こんな漫画を描きなさい!」と言われてしまいました(笑)。

 というわけで、ストーリー自体に対する好み云々はあると思いますが、ゲイ映画としての見応えと、ゲイ云々関係なく映画としてのクオリティの高さを求める方ならば、まず満足できると思います。
 オススメの一本。

“The String (Le fil)”

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“The String (Le fil)” (2009) Mehdi Ben Attia
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com英盤DVDあり)

 2009年製作のフランス/ベルギー/チュニジア映画。
 フランスからチュニジアに帰国した白人とアラブ人ハーフのゲイ男性が、母の使用人のアラブ青年と恋に落ち…という内容のゲイ映画で、母親役が往年のスター、クラウディア・カルディナーレ。

 主人公のマリクはフランスに留学し、以来同地で働いていたが、父親の死を切っ掛けにチュニスの実家に戻り、そこで使用人として働いていたアラブ人の青年、ビラルに心惹かれる。
 母や祖母は、マリクとの再会を喜びつつ、彼の結婚、そして子供の誕生を望むが、マリクは夫を亡くして心痛の母を労りながらも、幼い頃から自分の自由を縛ってきた社会的なしがらみを再意識せざるをえず、自分がゲイだとカムアウトすることができない。マリクは自分の気持ちを押し隠しつつ、時に町に出て男遊びなどもするのだが、母親との関係はどこかギクシャクしてしまう。
 そんなおり、マリクの仕事の同僚でレスビアンのカップルが、人工授精で子供を作ることを決める。生まれる子の法的な父親となるために、マリクはカップルの片割れと結婚することにして、母親にも彼女を紹介する。
 そんな中、次第にマリクと打ち解けてきた使用人ビラルは、より自由な人生を見つけるために、マリクの家を出ることを決意する。マリクはそれを引き留め、それが切っ掛けとなって二人は、互いの気持ちを確かめ合い結ばれる。
 しかし二人が同衾しているところを、マリクの母親に見られてしまう。同性愛への禁忌や階級差の問題などによって、母親は思い悩み、そして周囲の人々の間にも波風が立ち始めるのだが…といった内容。

 旧弊な価値観に基づく社会内での同性愛が、近親者や縁者の間に波紋をもたらし、同時に当事者たちもそれとどう向き合うかが描かれるという、ゲイ映画では昔からある定番の題材ですが、チュニジアという西欧寄りのイスラム社会ということもあって、あまり手垢のついた感は受けなかったです。
 人間ドラマとしては、いささかキャラクターが掘り下げ不足な感は否めませんが、変にドラマチックに盛り上げようという意図がなく、わりと些細な日常エピソードの積み重ねでストーリーが語られていくので、なかなか滋味のある作品になっています。
 また、ゲイ・コミュニティの政治力や、同性婚などが確立していない社会下で、その社会状況に併せながら、その中で周囲の理解なども得て、いかに個々人がセクシュアル・マイノリティとしての幸福を獲得できるか……といったことを考えるという点では、現代の日本社会とも通じる部分が多々あり。
 もう1つ興味深いのは、フランス育ちで、本来ならば最もそういった意識は先鋭的であってもおかしくない主人公のマリクが、実のところは、最も旧弊な価値観に捕らわれているように描かれていること。
 これを通じて、人間の人生や幸福を決定するのは社会ではなく、一人一人が、自分は如何に生きるのかを決めることによって左右されるのだというメッセージが感じられ、ここはなかなか凛とした清々しさが感じられました。
 そしてラストの母親の独白によって、そういったテーマがゲイ限定ではなく、汎的な人の幸福へと拡がるあたりも上手い。

 映像は、さほど特筆する要素はありませんが、端正に美しく撮られています。シビアさがありつつ、全体の印象は軽やかに仕上げている演出も佳良。
 役者さんは、クラウディア・カルディナーレは流石にオバアチャンになってましたが、流石の貫禄と存在感。アラブ人青年ビラルは充分にセクシー。だけど肝心の主人公マリクが、個人的には見た目がイマイチで、あまり魅力的ではなかったのが残念。
 監督/脚本(チョイ役で出演もしている)が、Mehdi Ben Attiaという名前から察するにアラブ系だと思うんですが、そのせいもあってか、下世話なオリエンタリズム的な視点がないのも好印象。逆に、もうちょいエキゾチシズムを入れた方が、観光映画的な魅力も出たんではないかと思うくらい。

 わりとあっさりした作品ですが、手堅く纏まった出来の良さ、通り一辺ではないテーマ意識、甘々でもなければ鬱々でもないドラマ、後味の爽やかさ、ロマンスやセクシーもあり……と、全体の印象はなかなか佳良な一本。
 モチーフに興味を抱かれた方なら、見て損はないと思います。

“Taxi zum Klo”

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“Taxi zum Klo” (1980) Frank Ripploh
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com英盤DVDあり)

 1980年製作の西ドイツ製ゲイ映画。タイトルの意味は「タクシーでトイレへ」。
 小学校の教師をしながら、それ以外の時間は男漁り&セックスしまくりという、AIDS禍以前の一人のゲイ男性の日々を描いた、監督・脚本・主演を兼ねるFrank Ripplohの半自伝的作品。

 主人公は小学校の教師だが、公衆便所の個室で生徒の宿題を採点しながら、壁に開いた穴から行きずりのペニスが突き出されるのを待っているような男。そんな彼だが、ある晩ハッテン映画館(……だと思います)のモギリと出会い、やがて恋人同士となり一緒に暮らすようになる。
 最初は幸せそうな二人だったが、新しく出来た恋人は家事や料理に精を出し、将来は二人で田舎暮らしを夢見るようなタイプなのに対して、主人公は、愛は愛、セックスはセックスと割り切るタイプ。パートナーシップの感覚にもズレがあり、それが次第に拡がっていく。主人公の荒淫が祟って入院したときも、恋人は退院後に二人で行く旅行の計画を立てるが、主人公は病院を抜け出してタクシーで公衆便所巡りをして男を漁るという塩梅。
 そんな二人の関係は、やがて一緒に「オカマ舞踏会」に出たときに、決定的な亀裂を生じてしまい……といった内容。

 いやぁ……トンデモナイ映画だった(笑)。
 いや、ストーリーがどうのとかいうんじゃなくて、監督兼主人公のはっちゃけぶりというか、体当たり演技も露悪趣味も突き抜けちゃったような、全てをさらけ出しますってな感じの、即物的なミモフタモナイ表現に、もう目が点になりまくり(笑)。
 基本的にクルージング〜セックスのシークエンスは、全てオブラート一切なしの表現なんですが、それがハードコアポルノ的なエンターテイメント性があるわけでもなく、かといってバッドテイストを狙ったという感じでもなく、何と言うか、もうひたすら生々しいだけで、表現としてえっらいパワフル。
 具体的には(ちょっとアダルトな内容なので白文字で)、フェラチオ場面ではちゃんと亀頭をペロペロ舐め回してるし、肛門に異常を感じた主人公が医者へ行くと、毛むくじゃらのケツを突き出して四つん這いになったところに、肛門拡張器を突っ込まれるシーンがモロに出てくるし、飲尿プレイをしているシーンで、最初は尿を口で受けている顔のアップから入るんですが、そのままカメラがティルトアップしたら、疑似でもなんでもなくてホンモノの放尿だし……ハードコア・ポルノでもないのに、こういった場面が無造作にポ〜ンと出てきて、しかもそれを演じているのが監督本人ってのが、ホントいやはや何とも……(笑)。
 内容的には、いちおう出だしはコメディっぽい感じで、以降も笑いを意識しているシーンがあちこちあったり、また、恋人が出来てラブラブのあたりなんかは、そんなユーモア感とキュートな雰囲気がミックスされて、見ているこっちもホンワカしたりもするんですが、後半になって、二人の性愛に対する考え方の違いといった、答えの出ない堂々巡りに入っていくあたりになると、そういった作劇的な余裕も消え失せていく感じ。
 そんな感じで、テーマが袋小路に入っていくにつれて、ストーリー性はどんどん希薄になっていき、前述したようなあからさまな「性」といった剥きだしの表現と、答えの出ない「問い」だけが露出していき、更に監督兼主演ということもあって、フィクションとノンフィクションの境目すらも曖昧になっていく。
 そして、そういったカオス状態のまま、特に収束もなくジ・エンド。

 こんなの日本じゃ公開もソフト化も絶対無理って感じですが、性的存在としての自己を身体を張って表現している、その赤裸々感と即物性という点では、過去見たどのゲイ映画よりもスゴいかも。
 この特異性とパワフルさは、紛れもなく一見の価値はあり。

“The Valley of the Bees (Údolí včel)”

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“The Valley of the Bees” (1968) Frantisek Vlácil
(英盤DVDで鑑賞→amazo.co.uk

 1967年製作のチェコスロヴァキア映画。原題”Údolí včel”。フランチシェク・ヴラーチル監督作品。
 中世のヨーロッパを舞台に、テンプル騎士団から脱走した青年とその兄弟子の関係を通じて、教条主義の矛盾や悲劇を描いた説話的な内容で、ホモソーシャル/ホモセクシュアルの要素もあり。

 主人公の少年は、領主の息子で蜂の世話をしている。ある日、父親が再婚することになるのだが、新しい母は自分と大して歳の違わない若い娘だった。少年は結婚の祝いに、義母となる娘に花籠を贈るのだが、花の下には蝙蝠が入っていた。
 この悪戯に父親はカッとなって、思わず息子を壁に叩きつけてしまう。瀕死の息子を見て我に返った父親は、息子の命を托すから救ってくれと聖母マリアへ祈りを捧げる。
 その結果、息子は一命を取り留め、遠く北の地にあるテンプル騎士団の修道院に預けられ、やがて成長して騎士団の一員となり、兄弟子にあたる青年と親密な仲になる。
 ある日、騎士団から脱走者が出る。脱走者は捕らえられ処刑されるが、主人公の青年もまた、脱走者を見逃した責を問われて監禁される。そして兄弟子が様子を見に行ったときには、彼もまた脱走していおり、兄弟子は彼を連れ戻そうと後を追う。
 兄弟子の追跡を振り切り、主人公が故郷に辿りついたときには、父親は既に亡くなっており、まだ若い義母は寡婦となっていた。二人は互いに惹かれ合いつつも、義母と息子という関係に煩悶するが、やがて地元の世俗主義の神父の祝福も受け、晴れて結婚することになる。
 しかし、そこに後を追ってきた兄弟子が現れ……という話。

 このフランチシェク・ヴラーチルという監督は全く知らなかったんですが、何でも代表作『マルケータ・ラザロヴァー』が20世紀チェコ映画の最高傑作に選ばれているほどの巨匠だそうです。DVDジャケにも「黒澤とエイゼンシュテインの融合」「チェコのオーソン・ウェルズやパラジャーノフ」なんて惹句がありました。
 ストーリーの骨子としては、艶笑抜きの『カンタベリー物語』とかの一挿話といった雰囲気。そういったシンプルな構図の中に、人間の自由を阻むカトリックの教条的な側面と、異教的な土着信仰も取り込んだ、より大らかな世俗的な信仰との対比が、力強く美しいモノクロの映像で描かれています。
 まず、この映像の力強さが大いに魅力的。
 お伽噺的なロマンティズムやファンタジー的な華美さではなく、中世という時代の暗さ、貧しさ、厳しさを感じさせる美術、自然や土着信仰を描いた場面の土俗的な美しさ、シンメトリーが印象的な構図といった、シンプルでありながら重厚な画面が、民間伝承的な物語の雰囲気を醸し出すと同時に、そこに骨太な説得力を与えています。
 俳優たちの抑えた演技や、言葉少なめの台詞、静と動の切り返しが巧みな演出、宗教合唱曲や古楽のみによる、効果的な音楽の使い方も素晴らしい。

 それともう一つ、テンプル騎士団という集団のホモソーシャル性と、主人公と兄弟子の間のホモセクシュアルとしての関係性が、暗喩という形ではあるものの、しっかり描かれているあたりが興味深い。
 ホモセクシュアル性は、まず、修道院に来た少年が全裸で渚で沐浴し、兄弟子がその手をとって「友だちになろう」と語りかけることから始まります。そこから、字幕による年月の経過説明を経て、青年に成長した主人公と兄弟子が、やはり渚で共に全裸で横たわっている場面に繋がります。
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 ここで注目したいのは、渚で波に洗われる二人の姿が、打ち寄せる波、渦巻く水、表情、手……といった映像を使って、はっきりとセックスの暗喩となっているところ。
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 68年製作のチェコスロヴァキア映画で、しかも宗教的なモチーフを扱った作品で、こういった表現が見られるということには、ちょっと驚かされました。
 つまり、この映画が描き出す「悲劇」は、教条主義と世俗主義の拮抗であると同時に、同性愛関係のもつれともとれるように作られており、特にエンディングは、同性愛のストーリーとして解釈した方がスッキリするくらいです。

 というわけで、中世を舞台とした寓意的な内容、力強く美しい映像、ホモセクシュアル性……といった具合に、個人的にはかなりツボを突かれる内容。モチーフに惹かれる方であれば、かなりオススメできる逸品かと。

 予告編は見つからなかったので、本編からのクリップを2つ。
 まず、脱走した修道士が処刑される場面。これ見て「すげ!」ってなって、即DVDを探して購入しました(笑)。

 もう1つ、冒頭の、若い花嫁に蝙蝠入りの花籠を贈る場面。

スウェーデンの企画展に出品中です

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 告知をすっかり忘れていましたが、スウェーデンのヨーテボリ(イエテボリ Göteborg)にあるデザイン美術館、The Röhsska Museum of Fashion, Design and Decorative Artsで、5月31日〜8月28日まで開催されている、日本のゲイ・アートの企画展に、作品数点を出品しています。
 同博物館の詳細(英文)は、こちら
 先日、その展示会場の写真が届いたので、ご紹介。
 こちらで、もうちょっと何枚か会場写真を見られます。
 スウェーデンにお住まいの方で、このブログをご覧になっている方など、そうそういらっしゃらないとは思いますけど(笑)、お近くにお越しの際には是非お立ち寄りを!

ちょっと宣伝、映画『LAゾンビ』特別上映&トークショーのご案内

 本日7月11日〜23日まで、銀座のヴァニラ画廊にて、映像作家ブルース・ラ・ブルースの写真展が開催されております。
 このエクシビションの一環として、同氏の新作映画にして問題作、ゾンビとゲイポルノが融合した作品 “L.A. Zombie” の特別上映イベントが、同ギャラリーにて開催されます。
 映画の上映は15日(金)、16日(土)、18日(月・祝)の3回になりますが、そのうち16日(土)の上映イベントにて、私、トークショーに出演させていただきます。
 以下、エクシビションおよび上映イベントの詳細。
 お問い合わせ等は、直接ヴァニラ画廊さんへお願いします。

ブルース・ラ・ブルース写真展
[“Polaroid Rage: Survey 2000 – 2010 ]
~ Additional Photos from Otto; or, Up with Dead People and L.A. Zombie~
■7月11日(月)~7月23日(土)
■入場料500円
2007年ヴァニラ画廊にて衝撃的な写真展を開催したブルース・ラ・ブルースの新作展!
2000年から2010年のあいだの実験的パフォーマンスを綴った記録をポラロイド作品300枚以上におさめたシリーズ[“Polaroid Rage: Survey 2000 – 2010 ]。このシリーズは2011年、2月にポルトガルのThe Wrong Weather Galleryにて発表され 非 常に高い評価を得ています。
そして自身が監督した映画OTTO ; or, Up with Dead People (2008)とL.A.Zombie(2010)からの新作写真もあわせて展示致します。
Bruce LaBruce ブルース・ラ・ブルース / プロフィール
カナダのトロント在住。映画監督、写真家、ライターなど幅広く活躍する。
アート・シーンの異端児。’80年代に発表した8mmフィルムによる超低予算のポルノアート・フィルムは、ガス・ヴァン・サントにも大きな影響を与えた。 ’90年代からは、「ノー・スキン・オフ・マイ・アス」「SUPER8 2/1」「ハスラー・ホワイト」など過激なセクシャリティを武器にした長編を発表。クィーア・フィルムの代表として、世界的な人気を得る。2008年には 「Otto; Up with Dead People」2010年には「L.A. Zombie」を公開。
1998年から写真家としても活動を開始し、多くの雑誌でフォトグラファーとして活躍する外、欧米で個展を多数開催している。
■展覧会特別イベント
ブルースラブルース監督作品『LA ゾンビ』特別上映!
7月15日(金)上映のみ
 19時半開場 ¥1,300(1D付)
7月16日(土)上映&作品解説&スニークプレヴュー付
 18時開場 ¥1,800(1D付)
 トークゲスト:田亀源五郎&鈴木章浩
7月18日(月・祝)上映のみ
 18時開場 ¥1,300(1D付)
上映作品
『LA ZOMBIE』
Directed by Bruce La Bruce 2010年/70分
Produced by Owen Hawk Screenplay by Bruce La Bruce Story by Bruce La Bruce
Starring Francois Sagat Matthew Rush Erik Rhodes Francesco D’Macho Wolf
Hudson
Music by Kevin D Hoover Jack Curtis Dubowsky
2010年、権威あるロカルノ国際映画祭コンペティション部門に正式招待されながらも、オーストラリアのメルボルン国際映画祭では上映拒否。強行上映しようとした映画祭の事務局から警察によって上映用マスターが押収され焼却されるなど、世界各地で物議をかもし出している真の問題作。ゲイ・ポルノとして製作されながらも、性と死と血のオージー(乱交)によって、独特の哀しみと詩情に溢れる世界を作り出した本作は、「 ゾンビとポルノの本当に美しい融合…」とブルース・ラ・ブルース監督が語るように、残酷な美しさに満ちている。日本公開絶望と思われていた衝撃作が今回限りの特別上映!必見!!

 で、この「LAゾンビ」なんですけど、どんな映画かというと……とりあえず予告編を貼っておきましょうかね(笑)。

 私は一足お先に拝見させていただいたんですけど、まぁ何と言いましょうか……エログロ・アートフィルムって感じ? メルボルン国際映画祭のスタッフが「ただのポルノじゃねぇか!」って上映拒否した気持ちも……まぁ判らなくはない(笑)。
 興味のある方だったら、一見の価値はアリなので、展示共々、よろしかったらぜひお出かけくださいませ。
<追記:7月16日>
 メルボルンでの上映ができなかった件ですが、鈴木章浩さんに伺ったところによると、必ずしも映画祭のスタッフが上映を拒否したわけではなく、フィルムが税関で引っかかってしまったのが最大原因なんだそうです。それを強行突破しようとしたか何かで、上記の様な大事になってしまったらしい。どういった理由で税関で止められたのかは、鈴木さんも良くご存じではないとのこと。
<追記:7月18日>
 映画『LAゾンビ』と件のトークショーのレビュー。
『L.A. ZOMBIE』鑑賞|隊長日誌
 おそらく日本で一番詳しいのでは(笑)。