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画集『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』、ようやく完成

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 2003年12月に第一巻を発売して以来、長らくお待たせしていましたが、ようやくこの8月21日に、『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』が発売されます。
 実のところ、二巻を発売できるかどうかは一巻の成績次第だったのですが、無事2004年の9月にゴーサインが出ました。で、さっそく動き始めたんですが、収録を予定していた作品の収集に、思いのほか手間取ってしまい、更に予期せぬトラブルも幾つか起き、結局このように、およそ二年遅れの発売となってしまいました。

 今回の収録作家は、長谷川サダオ(さぶ・アドン・ムルム・薔薇族)、木村べん(薔薇族・さぶ・アラン)、児夢/GYM(さぶ)、林月光/石原豪人(さぶ・ジュネ)、遠山実(薔薇族・さぶ)、倉本彪(アドン)、天堂寺慎(風俗奇譚?)という顔ぶれになっています。
 ゲイ雑誌の大御所であった長谷川サダオや木村べん、ゲイ・アートのみならず昭和を代表する挿絵画家としても名高い林月光/石原豪人に加え、児夢/GYM、遠山実、倉本彪といった、知る人ぞ知る「幻の作家」の作品も多く収録でき、一巻に負けず劣らず充実した内容の画集であり、同時に日本のゲイ文化史を振りかえる上での貴重な資料になったのではないかと思います。
 本の総ページ数は220ページ強で、構成は一巻同様に、160点以上の図版(カラー88ページ)に加え、可能な限り調べた結果による各作家のバイオグラフィーや、時代によるゲイ文化史の変遷や作品論といったテキストを、併せて収録しています。

 で、実はこのBlogを始めたきっかけは、この本でして。
 というのも、一巻のテキストを執筆しているとき、慣れないせいもあってひどく手こずり、加えて不眠症になってしまったんですよ。論文とか、生まれてこのかた書いたこともなかったから、書き方そのものからして良く判らなくて(笑)。
 で、少し文章を書くトレーニングをしておいた方がいいな、なんて思っていた矢先に、プロバイダさんからBlogの案内が来たので、ちょうどいいやと乗っかってみた次第でして。
 そんなトレーニングの甲斐あってか、二巻の執筆は、一巻のときよりはスムーズにこなせたような。

 発売は21日ですが、既に版元のポット出版さんのサイトやamazon.co.jpでは、もう予約を受け付けています。
 あと、この本に絡めて、評論家の伏見憲明さん(序文をお願いしました)と私との対談が、既に発売中の雑誌『QJr クィア・ジャパン・リターンズ vol.2』に掲載されてますので、よろしかったら是非そちらもどうぞ。たまに「顔が見たい」なんてリクエストいただくことがあるんですが、ははは、この『QJr』の対談ページに、恥ずかしげもなくイッパイ載ってます、私の顔写真(笑)。

ポット出版のサイト
『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』(amazon.co.jp)
『クィア・ジャパン・リターンズ vol.2』(amazon.co.jp)

明日から渋谷で稲垣征次さんの個展が開催

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 明日8月5日から15日まで、渋谷の画廊「美蕾樹」で、画家の稲垣征次さんの個展『少年艶姿』が開催されます。
 稲垣さんは、精緻極まる鉛筆画で、幻想的でエロティックな少年の絵を描き続けていらっしゃる画家。雑誌「薔薇族」をご覧になっていた方なら、その美しくも時に妖しい素晴らしい作品は、もうお馴染みのはず。
 雑誌ではモノクロがメインでしたが、今回の個展は色鉛筆によるカラー作品がメイン。昨年の個展でも、やはり色鉛筆や油絵によるカラーの作品を出展しておられましたが、モノクロ画のあの精緻さはそのままに、色とりどりの宝石を散りばめたような、色彩のあでやかさ。おもわず息をのむほどでした。今回もおそらく、その絢爛たる幻想美を、再び披露してくださることでしょう。
 作品には、描写の緻密さと完成度の高さもあいまって、エロティック・アートとしての魅力と同時に、例えて言えば石版画によるアンティークな博物画のような、硬質で凛とした工芸品的な美しさもあります。エロティック・アートのみに限らず、幻想美術全般がお好きな方、また、澁澤龍彦の『フローラ逍遙』とかエルンスト・ヘッケルの博物画とかがお好きな方にも、ぜひ一度ご覧いただきたい。
 画廊の場所や開館時間、休日等の情報は、伊藤文學さんのブログに詳細があります。
 現役の日本のゲイ・エロティック・アーティストの中では、間違いなくトップクラスの作家の個展、お見逃しのなきよう!

『聖女の臀堂』春川ナミオ

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 中野タコシェさんから、春川ナミオさんの図録『聖女の臀堂』が発売されました。
 春川ナミオさんといえば、エロティック・アートに興味のある方、特にノンケSMの男マゾ系ジャンルでは、もう知らない人はいないだろうというくらい有名な画家。
 一貫して描かれる、「巨女のお尻に小柄な男が下敷きにされている」という緻密で繊細な鉛筆画は、他に類を見ない個性といい、絵画的な完成度の高さによる美麗さといい、日本のエロティック・アート界が誇る至高の存在の一人、と言いたくなってしまうほど、本当に素晴らしい。
 かく言う私もずっとファンでして、今回の図録の解説で、自分が入手しそびれている画集が三冊もあると知り、悔しさに歯噛みをしているところです(笑)。
 じっさい、SM好きではあってもゲイである私には、氏の描かれるような、巨女への屈服といったファンタジーはありません。しかし氏の作品には、そんなセクシュアリティの差異を越えて、私を圧倒する完成度とパワーがあります。
 ちょうど、つい先日発売されたばかりの雑誌『QJr』の対談で、私は自分の感じるところのエロティック・アートの魅力を、「作者のファンタジーのみを母体として生まれ、それを突き詰めれば突き詰めるほど、ユニークで濃くなっていく、自己表現としての『純粋さ』や『アーティスティック』さ」といったニュアンスで喋っているんですが、春川ナミオさんの作品は、まさにこれにドンピシャ。
 かつて世間一般では、マイナーなセクシュアリティに対して、良く「歪んだ欲望」とか表現されたもんですが、馬鹿言っちゃいけません。表現としてこんなに「真っ直ぐ」なものは、アート全般を見渡しても、そうそうあるものではなく、だからこそ春川ナミオさんの作品は、こんなにも清々しく力強く美しい。
 もちろんテクニックや表現力といった、タブローとしての完成度の高さも、その美しさには一役買っております。紙の目を生かしながら柔らかく重ねられた、鉛筆の粉が描き出す陰影の美しさ。それによって描き出された艶やかに漲る臀部は、作者からの崇拝という無償の愛があってこその所産なのだ。
 そういった意味でエロティック・アートとは、それが生み出されるに至る原動力に、宗教芸術と似た構造を持っている……というのは、かねてからの自分の持論。
 アートついでにもうちょっと脱線すると、例えば春川ナミオ作品で描かれる、主観的なデフォルメと客観的なリアリズムが混淆した尻や太腿のフォルムを見ていると、私はどこかしらピエール・モリニエの作品との共通点を感じます。更に言えば、林良文は春川ナミオに大きく影響を受けたのではないかと、ひっそり考えていたりもします。
 もっと脱線すると、春川ナミオと同傾向のセクシュアリティを伺わせるマンガ家である、たつみひろしの絵を見ていると、ダイナミックなパースで描かれた圧倒的な肉の量感や、よりエスカレートしたスカトロジーやバイオレンスやファルスの描写などから、今度はシビル・ルペルトを連想します。
 こういった具合に、作品が表現として純化していくと共に、ポルノグラフィやイラストレーションといったジャンルや枠を跳び越えて、作者の思惑を離れたところで、純粋に作品の持つ力によって、モダン・アートの世界にも接近していく、というのも、私の感じるところの優れたエロティック・アートの魅力の一つ。
 そんなこんなもあって、やはり春川ナミオさんの作品は、圧倒的なまでに素晴らしい。
 今回の図録は2001年以降の作品を収録とのことですが、描かれている世界はいつもと変わらず、福々しくも凛とした顔立ちの美女たちの巨大な臀球に顔を埋める、小さく哀れな裸のマゾ男たち。
 でも、ぱっと見て「全部同じじゃん」と思うのは、それは観察眼が足りません。
 よくご覧あれ。巨尻による顔面騎乗という行為こそ同じでも、その置かれているシチュエーションは、男にまだ人格が残っているセクシャルなプレイの一環であったり、人格も喪って人間椅子のような器具化されていたり、男が己の意志で奴隷として美神に屈服する図であったり、逆に女が力によって男を征服するアマゾネスであったりと、実は千差万別なのだ。
 サド・マゾヒズムを扱ったエロティック・アートは、こういったディテール、すなわち一枚の絵から導き出される数多のモノガタリ性を、じっくりタップリねぶるように味わってこそ、その醍醐味を充分に堪能できるんです。パラ見は禁物、絵を能動的に「読みながら」鑑賞しましょう。因みに、私の一番のお気に入りは、4ページ目の「二人向かい合わせに縛られて、人間椅子にされている」やつ。
 ただ、妄想が奇想にまでエスカレートしている系の作品、例えば『巨女渇愛 vol.2』の「幻の女権帝国」に見られたような、人間椅子レベルの器具化も越えて、アクセサリーのように「女の尻から尻尾のようにぶら下がっている男」系の作品が収録されていないのが、個人的にはちょっと残念ではあります。あの、まるでチョウチンアンコウの男女関係(笑)みたいな姿は、視覚的にかなりインパクト大だったので……。
 図録はタコシェさんで、税込み1000円で発売中。
 ぜひお手にとって、じっくりとご鑑賞あれ。

『シャガール ダフニスとクロエー(普及版)』岩波書店

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『ダフニスとクロエー』は、2世紀末〜3世紀のギリシャで、ロンゴスという人物が書いたと伝えられる、レスボス島を舞台にした若い男女の恋愛物語。本書は、そのテキストの日本語訳(松平千秋/訳)に、1961年にマルク・シャガールの制作した42点のリトグラフを併せた、フルカラーの挿絵本。
 タイトルにはラヴェルのバレエ音楽で馴染みがあり、長いこと愛聴はしていたものの、実際の物語は読んだことがありませんでした。一方、シャガールのリトグラフは、確かハイティーンの頃、鎌倉の神奈川県立近代美術館に「シャガール展」を見に行った際、現物を目にして、その色彩の余りの美しさに絶句、深く感銘を受けたという想い出があります。
 で、つい最近になって、ロンゴスのテキストとシャガールの絵がカップリングされた本書が、昨年出版されていたと知り、いそいそと買って参りました。

 物語は、神話と現実が分離する以前の素朴な田園世界を舞台に、羊飼いらにらによって育てられた二人の捨て子、ダフニスとクロエーが織りなす、その成長と愛を描いています。
 ドラマはいろいろと盛り沢山で、恋愛モノには必需の横恋慕も出てくるし、近在の村との戦争なんていうアクションもあり(これがバレエだと、海賊の襲来に変わってますね)、年上のオネーサンによる性の手ほどき(いわゆる、『青い体験』系ですな)もあり、男と男の同性愛(ま、古代ギリシャですからね)も出てくる。
 とはいえ、中核を成すのは、あくまでも詩情豊かな自然描写と共に繰り広げられる、少女マンガの如く美形の若い男女の恋愛模様。ロマンティックであることに加えて、清々しくおおらかなエロティシズムがあることも魅力的。ニンフやパンに捧げる儀式などの、エキゾティックで古代的な描写の数々も楽しいし、あちこちで顔を出すユーモラスな要素も面白い。
 興味深いのは、ラストになってこのモノガタリは、一種の貴種流離譚的な側面も持ちあわせていることが明かされるんですが、その最終的な着地点が「宮殿やお屋敷への帰還」ではない、つまり、主人公たちが本来属していた、生まれた場所に戻るのではなく、彼らが育ち、その愛を育んでいった場所である「田園」に戻るということ。ここには作者ロンゴスの、アルカディア的な憧れのようなものが感じられるのですが、古代ギリシャ世界においても、既にこうした都会人から牧人に対する牧歌的理想郷への憧憬という、昨今の定年退職後の会社員が田舎暮らしを希求するような、現代とさほど変わらない感覚があるのが面白い。
 こういった、あくまでも自然の美しさや自然神に対する信仰の純粋さや人間の素朴さを讃えるという、作者の一貫した視点が、モノガタリ全体にいっそうの清々しさを与えています。終幕、牧人たちの「荒々しいどら声で(中略)まるで三叉の鍬で畑の土を掘り起こしているような響きで、とても結婚を祝う歌とは聞こえな」い歌に祝福されて、二人が身体を重ね、それまで「森で二人がしていたことは、幼い牧童の遊びにすぎなかった」ことを知るシーンの、素朴な生と性と愛の合一した何という多幸感! ちょっと感動モノでした。

 かつて私を感動させたシャガールの挿絵に関しては、やはり印刷物の悲しさで、あのリトグラフに見た鉱物そのもののような色彩の輝きには到底及ばないものの、しかし不可能な欲をかかなければ充分以上に美しく、目を楽しませてくれます。かつて、一葉目の「ダフニスを見つけるラモーン」を見たとき、画面のほぼ全体を占める美しいグリーンの中に、小さく白と肌色で描かれた山羊と赤子のコンポジションの美しさに、陶然として見とれてしまったことを覚えていますが、そういった感動はこの本だけでもちゃんと味わえるでしょう。
 また、シャガールの絵とリトグラフというメディアの相性が良い。個人的な意見ですが、シャガールの描く世界は、油絵の「重さ」とはあまり合わない。リトグラフの方が、絵とメディアそれぞれの「軽さ」が、絶妙にマッチしているように思います。
 一枚一枚の絵はいかにもシャガール調で、鮮やかな色味と牧歌的な幻想性が、『ダフニスとクロエー』という田園的な神話世界と、実に良く合っています。いかにも素朴で影をかんじさせないところとか、時に少女趣味的なまでにロマンティックなところなど、両者にはかなり共通点も多い。
 ただ、エロティシズムという点に関しては、残念ながらあまり上手くはいっていない。そもそもシャガールの描く人物は、およそ肉体の堅牢さや生々しさを感じさせない、どちらかというと魂か幽霊のような味わいなので、それらが例え裸で同衾していても、何ともあっさりとしていてエロスには程遠い世界です。ここいらへんは、デフォルメされた線画だけなのにエロいピカソあたりとは、全く異なる個性ですね。
 この『ダフニスとクロエー』の場合、全体に横溢するおおらかなエロティシズムも大きな魅力のうちだったので、その点は少しだけ残念ではあります。

 さて、ちらっと前述した同性愛について、もう少し詳しく書いてみます。
 美少年ダフニスに想いを寄せるグナトーンは、いわゆる放蕩者として描かれており、その男色趣味についてもモノガタリは「慰みもの」や「もてあそぶ」と語り、決して好意的とは言えません。
 しかし、それはともかくとして、グナトーンは自身で「(ダフニスの)からだに惚れたんです」と語るように、同性に対して完全に性欲に先導された興味を覚えており、しかも「生まれついての男色好み」とも描写されています。つまりこれは、同性愛者のキャラクターとしては、プラトン的に理想化された同性愛でもなく、バイセクシャルの一面としての同性愛でもない、いわば現代のゲイとかなり近い存在とも考えられるのが、興味深いところです。
 もちろんモノガタリ的には、グナトーンは所詮当て馬でしかないし、ダフニスを性的に求めるグナトーンに対して、作者はダフニスの口を借りて、そういった行為が「牡山羊が牝山羊に乗るのはあたりまえだが、牡山羊が同じ牡に乗るのは誰も見た者はいない、牡羊でも牝でもなしに牡を相手にすることはせず、鶏だって牡が牝のかわりに牡とつるむことはない」と、不自然なことであるとも語らせています。
 とはいえ、グナトーンは同性愛者ゆえにモノガタリから滅ぼされることもない。性欲ゆえにダフニスを「ものにしたい」というグナトーンの気持は、やがてダフニスに対する恋へとなり、グナトーンが自分の主人に語るダフニスへの想いは、それ自体は恋の姿の一つとして至極まっとうに描かれています。グナトーンがモノガタリ的に批判されるのは、あくまでも恋そのものに対してではなく、恋を成就させるために身体的な力や社会的な力を使おうとしたことにある。
 後に、二人のパワーバランスが逆転した時点で(当初「(身分の低い)ラモーンのせがれなどに惚れて恥ずかしいとは思わぬか、山羊を飼っている少年と並んでねようと本気で考えているのか」と揶揄されたグナトーンは、やがて「悪党のグナトーンめにも、取巻きふぜいの分際でどんな人間に想いをかけたのか、思い知らせてやらねばならぬ」と言われる立場に変化する)、主人公たちの恋路を邪魔する悪役という、グナトーンのモノガタリ的な役目は終わります。
 しかし、この時点ではグナトーンはまだモノガタリから退場はしない。また、悪役グナトーンに対するモノガタリ的な罰も下されない。この後グナトーンは、クロエーの危機に「ダフニスと仲直りする絶好の機会」と考えてその救出に赴き、結果としてダフニスからも「自分の恩人だといって、これまでのわだかまりを解」かれるという、一種のモノガタリからの救済が用意されている。
 このことから、同性愛全般に対する視点を読みとろうとするのは、いささか危険ではあります。グナトーンは同性愛者であると同時に、「全身が顎(口)と胃の腑とと臍から下でできている」、つまり、食欲と酒に酔うことと性欲が全ての放蕩者であり、男色好み云々を別にしても、そもそもが下衆なキャラクターという設定なので。
 しかし、グナトーンの性欲自体に対しては、それを卑しいものと捉えている傾向はあるものの、断罪しようとする視点は見当たりません。グナトーンに与えられるモノガタリ的な救済も、彼が性欲を諦めてプラトニック・ラブに移行したからではなく、あくまでも悪役であった彼が改心したからです。
 こういったことからは、決して歓迎されてはいないが、社会的なタブーではないゆえに容認はされているという、同性愛に対する視点が伺われます。現代の日本社会にも通じるものがあり、なかなか興味深い描き方でした。

 では、もしグナトーンに与えられた性格が悪役としてのそれではなく、純粋にダフニスを愛する者として登場していれば、彼らの性愛も美しく讃えられていたのだろうか。
 残念ながら、答はおそらくノーでしょう。作者であるロンゴスの視点は、あくまでも自然と自然に近い人間の姿の素晴らしさを讃えることにあり、前段で述べた清々しくおおらかなエロティシズムを伴う性の姿も、そういった視点の所産です。
 ですから、近在の人妻リュカイオンが、ダフニスの筆おろしを「もって生まれた人間の本性が、どうしたらよいか教えてくれた」ようにすることはあっても、グナトーンとダフニスが結ばれることは、このモノガタリ世界ではあり得ない。同性愛は自然の営みではないという、時代的な限界がここにはあります。
 愛と性の喜びを謳い感動させてくれた作品で、同時にこういった要素を目にしてしまうのは、私としてはちと残念なことですね。
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展覧会『ポンペイの輝き』

 渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている『ポンペイの輝き』展に行って参りました。
 とにかく、キュレーションが興味深かった。
 展示内容を種類別に分けるのではなく、それが出土したエリア(建物)ごとに分けている。そして、そこから出土した品物や、型どりされた犠牲者の姿を展示すると同時に、解説文で、その地域(建物)がどういうもので、どんな人々が居住しており、どんな風に災害に巻き込まれて亡くなったのかを説明するという構成です。
 普通の美術展やコレクションの展覧会だと、主役は「芸術的あるいは考古学的に価値の高い」美術品や出土品になることが多いと思いますが、この展覧会の場合はこの構成法によって、「人々の生活そのもの」を展覧会の主役として見せることに成功しています。
 それは、例えば宝石細工師であったり、船倉庫で働く労働者であったり、裕福な解放奴隷であったり、幸せであったであろう一家であったり、つまり、歴史の表舞台に出るわけではないが、それでも確実にその時代に生きていた「市井の人々」です。そして、彼らが日常的に使っていた品物(装身具であるとか家具であるとか台所用品であるとか)を見ることによって、どういった暮らしをしていたかということに思いを馳せ、同時に災害時の状況の解説を読むことや、その遺体の型どりを見ることで、その死の様子にも触れることができる。
 つまり、会場を巡って展示品を見るという行為が、すなわち「そこにどういう人々が暮らし、いかに生き、そして、いかに死んだか」ということに触れるということになり、例えて言うならば、体感するドキュメンタリー番組といった味わいです。
 展示されている日用品の、現代のそれと変わりのない構造を見ると、同じ人間がそこに生活していたんだなと尚更に感じますし、壁画等で建物の一部を再現しているコーナーでは、本来であれば現地を訪れなければ触れることができない、その生活空間そのものの一端も垣間見ることができる。
 それと同時に、美しい細工の宝飾品に感嘆したり、大理石の彫像や色鮮やかな壁画といった、美術鑑賞的な面白さもあります。
 個人的には、ヘレニズム調ではないアルカイック調の彫像というのが、興味深かったですね。ああ、レトロブームみたいな流行って、2000年前にもあったのか、なんて面白く思ったり。あと、自分はここんところコンピュータ作画ばかりなので、2000年前に描かれた壁画の生々しい筆のタッチを見て、ああ、久しぶりにアナログで大きい絵も描いてみたいな、なんて思ったり。あ、あと、居酒屋の壁画というのも面白かった。二人の客が「俺の方が先に注文したんだ」と争っている続き絵で、まるで4コママンガみたい(笑)。そうそう、剣闘士の兜とか肩当て、脛当てなんかを見られたのも嬉しかった。
 ってなわけで、展示内容は見応えがあります。ただ、前述したように主役はあくまでも「人々」の方なので、それを意識せずに漫然と見てしまうと、似たような品々がエリアごとに繰り返し出てくることに退屈するかも。鑑賞者にも、受動的であるだけではなく能動的な想像力を要求する展示法ですが、ハマればすごく面白いはずです。
 そんなこんなで、かなり満足して会場を後にし、出口でカタログを購入。展示品には小さくてディテールが良く判らないものもあるし(ところどころにルーペは備えられているんですが、それでも限界あり)、テキストの重要性もあるので、後々にもじっくり楽しむためにも、私的には「買い」でした。
 展示品のレプリカを使った、キーホルダーやらマグネットといった小物などもあり、その中からデザインが気に入った「ブッラ」を模したキーホルダーを購入。あとは金貨のレプリカとか、定番の絵葉書や一筆箋、オリジナルのチョコレート、Tシャツ、スカーフなんかも売られていました。最近の展覧会は、昔と比べるとこういったオリジナル・グッズが充実してきているのは、何かと楽しいですね。
 隣のミュージアム・ショップでは、関連したポンペイやイタリア関係の書籍なんかも平積みになっていました。ただ、ポンペイ関係だけでは足りなかったのか、ギリシャものもけっこうあったけど(笑)。
 展覧会の後は、隣のカフェでお茶。ポンペイ展に併せたオリジナル・ケーキが二種類あったので、ケーキセットを注文。このセット、展覧会の半券があれば割引になりますので、喰ってみたいという方はなくさないように(笑)。

石塚冨朗さんのブログ

 画家の石塚富朗さんが、男性ヌード画をメインとしたブログアダム画廊を始められました。
 もうかれこれ20年以上前、まだ私が学生だった頃、石塚さんの絵を雑誌『ムルム MLMW』で拝見し、ああキレイだな〜、ステキだな〜なんて思っていたものですが、後にひょんなことから(ウチの相棒と古い顔なじみだったのだ)お知り合いになることができました。
 石塚さんは、いわゆる男絵専門ではないので、作品には女性像や花や抽象などもありますが、いずれも同じく端正で色彩が美しい作品ばかり。そちらの男性ヌード以外の作品を展示しているギャラリーへは、ブログの「I.TOMIOのキャリア」というコンテンツからリンクで行けます。
 で、私のブログをご覧になった石塚さんがおっしゃるに「自分もスティーヴ・リーヴスのファンだった」とのこと。わ〜い、思わぬ所にファン仲間が(笑)。
 ブログでは「なんちゃってウォーホール風スティーヴ・リーヴスのポートレート作品」(石塚さん談)も掲載されております。というわけで、思わずその記事にトラックバック(笑)。

1月と2月、新宿にてUZUさんの個展開催

 ご案内をいただいていたのに、ドタバタに紛れて紹介を失念していました。
 1月と2月の二ヶ月間、新宿のココロカフェにて、UZUさんの個展が開催されます。何でも月をまたいで展示替えもあるそうで、今月と来月では展示内容も変わるそうです。
 雑誌だと、ベジェ曲線によるポップなカートゥーン系の作品を良く発表なさっていますが、昨年のRainbow Art展で見せてくれたような、カリグラフィやグラフィティ的な要素が入った、マーカー等で描かれたダイナミックな作品も魅力的。
 今度の展示は、どんな作品なのかな? DMを拝見すると、タイポグラフィ的な要素も入っているみたいですが。
 個展の詳細は、UZUさんのサイトへ。
 会場のCOCOLO cafeのサイトはこちら

今日(21日)から新宿にて直道さんの個展開催

 11月21日(月)から30日(水)まで、『ジーメン』『薔薇族』などゲイ雑誌で活躍中の画家・直道(奥津直道)さんの個展が、新宿コミュニティセンターaktaで開催されます。
 直道さんの描く、和の伝統を感じさせつつ、様式美と現実感が心地よく併存している男絵は、個人的に大好きなので、見に行くのが楽しみです。ファンの方はもちろん、アート好きの方、興味のある方、お近くまで御用の方、などなど、よろしかったらぜひお出かけあれ。
 直道さんの絵は、Rainbow Artsのサイトのサイトで見られます。
 会場であるaktaの場所は、こちらを参照。

明日から『Rainbow Arts 6th Exhibition 2005』開催

 明日から新宿スペースゼロにて、セクシュアル・マイノリティのアーティスト有志による展覧会『Rainbow Arts 6th Exhibition 2005』が開催されます。(案内をくださったKenya様、直道様、uzu様、ありがとうございました)
 フライヤーから解説を引用させていだだくと「Rainbow Artsは、様々なセクシャリティの作家によるアート作品の展示を行うグループです。絵画・イラスト・写真・映像・コスチューム・立体など、クラシックからコンテンポラリーなものまで、多岐のジャンルに渡って自由に表現または発表しています」とのこと。
 会期は明日の8/21から8/28まで8日間ありますので、セクシュアリティを問わずアート好きの方、興味のある方、お近くに御用のある方など、ぜひお立ち寄りになっては? ゲイ雑誌でお馴染みの作家さんたちも、大勢参加されていますよ。
 もっと詳しい情報は公式サイトへ。
 

林月光(石原豪人)氏の原画展

 本家サイトの方にも書いたんですが、ここでも再度ご案内。
 明日23日から、中野ブロードウェイ内の書店「タコシェ」にて、林月光こと石原豪人の原画展が始まります。
 石原豪人といえば、妖美かつ精緻な画風で、少年誌から少女誌、文芸誌からSM誌、はたまた劇画や絵物語まで手掛けた、その圧倒的な画業の数々を指して「昭和の画狂人」と呼ぶ方もおられるほどの、戦後の大衆文化における一大絵師のお一人であります。
 そんな『石原豪人』が、ゲイ雑誌およびノンケ向けSM雑誌に作品を発表なさる際のペンネーム、つまりエロティック・アートを手掛ける際の筆名が『林月光』です。
『石原豪人』の画業に関しては、昨年、弥生美術館で展覧会が開催されたり、また河出書房新社から画集が発売されたことが記憶に新しいですが、残念ながらどちらも『林月光』に関しては、キャリアの一つとして軽く触れられただけに留まり、その作品や芸術については、全くと言っていいほど取り上げられていませんでした。
 今回の展示は、その『林月光』の画業にフォーカスを絞ったものであり、展示される作品もエロティック・アート、すなわち「さぶ」に発表された男絵や、ノンケ向けSM雑誌用に描かれた美女の責め絵などに絞り込まれています。
 卓越した技術で描かれる、夢見るような瞳の美青年。肌を艶やかに光らせて、しなやかに伸びる裸身。耽美と怪奇とユーモアが混在する、独特にして濃密なエロティシズム。まるで、キャムプやクィアといった感覚を先取りしていたかのような、時としてキッチュなまでに飛躍するアイデア。
 そんな貴重かつ美麗な原画を見ることができる、またとないチャンスです。
「さぶ」や初期の「バディ」で月光先生のファンだった方や、「June」で豪人先生のファンだった方はもちろんのこと、エロティック・アートを愛される方であれば、老若男女セクシュアリティを問わず、ぜひお出かけくださいませ。
 展示に併せて制作された、図録の販売もあるそうです(因みに、私もちょっぴり寄稿させていただいております)。
 また、この原画展に併せて、5月11日には高円寺の『円盤』にて「月光夜話」と題されたトーク・イベントも開催されます。これまた私、ちょっとしたお土産を持って参加させていただく予定です。
 こちらの方も、興味とお時間のおありの方は、ぜひ足をお運びくださいませ。
 以上二つ、期間・場所・時間等の詳しい情報は、主催の「タコシェ」のサイトへどうぞ。