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つれづれ

 昨日『ケレル』のことをブログに書いたら、何だか無性に見たくなったので、久々に鑑賞。
 う〜ん、何回見ても、やっぱりヨーワカラン映画だ(笑)。
 ワカラナイのに、でもムチャクチャ好きだってのは、この映画以外にもいろいろあるけれど、これっていったい何なんだろう?
 因みに『ケレル』って、表層的なストーリー自体は、別に難解でも何でもない。何がどーしてどーなった的な類のことは、見ていて全く混乱しないし。でも、何故そうなったかということになると、ここでちょいとヤヤコシクなってきて、更にナレーションやテロップで劇中に挿入されるテキストが、混乱に拍車をかける。
 で、そのうち、常に画面を満たしている夕刻の光までもが、私の理解を阻む黄金色の靄のように感じられて、結局、その映像美とまどろむようなテンポに身を委ねながら、描き出される男性の肉体と暴力と殺人の魅力に、ぼーっと浸っていれば、それでいいのかなぁ……なんて気分になってしまう。
 そう考えると、自分はこの映画を、まるで「詩」を味わうように好きなのかも。
 で、見終わってから数時間以上経った今でも、頭の中で、映画に使われている「♪あ〜ああああ〜」っつー男声コーラスが回っております。
 好きな曲だけど、ここまで回るといいかげん鬱陶しいから、そろそろ消えて欲しいんだけどな(笑)。

 さて、暴力と殺人つながりで、最近それ系で、ちょっと面白いゲイ・エロティック・アーティストと、ファン・メールを貰ったのをきっかけに知り合いになったので、ご紹介します。
 Mavado Charonという、フランス人のアーティスト。
Mavado_Charon
 サイトはこちら
 日本で言ったら「ガロ」系みたいな、かなりアングラ臭のするドローイングを描くアーティストで、図版は彼から貰ったニュー・イヤー・カード。彼には申し訳ないんだけど、このブログにアップするには支障のある部分には修正を入れてあります。
 ただ、これでもこのカードの図版は、彼の作品の中ではぜんぜん大人しいほうで、メインの作風は、何というか、さながら『マッドマックス』の世界に服装倒錯を加味して、それがセクシュアルな悪夢になったような地獄絵図……なんだけど、それが同時にユートピアでもある世界を描く、といった感じでしょうか。
 というわけで、見る人を甚だしく選ぶ作風ではありますが、その作品は極めてパワフルなので、マッチする人にはタマラナイ魅力だと思います。かつてGrease Tankのサイトで見られたような、暴力と死と汚穢とセックスが結びついたタイプの作品に抵抗がない方でしたら、激オススメなのでお試しあれ。
 因みに、サイトにも載っている、Charon自身の創作に対するオピニオン、”Drawing is like wrestling : nobody gets really hurt…”ってのも、私自身のフィロソフィーとも合致していて、気に入っています。

ビッケとかケレルとか

 最近、『小さなバイキングビッケ』がドイツで実写映画化されて大入りだったという話を聞き、「へ〜、どんな感じだろ?」と思ってYouTubeで探してみたら、難なく予告編が見つかったんですけど、それ見てビックリ。
 ひゃ〜、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督作品の常連で、彼のボーイフレンドでもあった、ギュンター・カウフマンが出てるじゃないスか!
 いやぁ、『ケレル』の時のノノ役は、実にセクシーで良かったなぁ。ケレル役のブラッド・デイヴィスを、後ろからアナ○○ァックするシーンなんて、ヨダレのシズル感とか生々しくて、下手なゲイAVよりよっぽどエロかったっけ。
 というわけで、手元に、Schirmer Art Books刊の『ケレル』のフィルムブックがあるので、ちょいと該当シーンを3ページほどご紹介。
gunther_kaufmann01gunther_kaufmann02
 もひとつ、Edition Braus刊の『ケレル』の画集から、ノノを描いたドローイングを1ページ。画家は、ユルゲン・ドレーガー。
gunther_kaufmann03

 因みに『ケレル』ってのは、ジャン・ジュネの小説『ブレストの乱暴者』を、ドイツの映画監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが1982年に映画化したもので、ジュネはゲイ、ファスビンダーもゲイ、小説の内容もゲイということで、しかもファスビンダーはこれが遺作となったため、当時の日本のゲイ雑誌や映画雑誌で紹介はされていたものの、なかなか日本公開されなかったんですな。
 で、私や私の友人のゲイの間では「見たい、見たい、見たい!」という熱が高まり、かといって今みたいにネット経由で何でも手に入る時代じゃないし、でも、少しでもその香りを求めて、関連商品をいろいろと探し回っては買い求めたもんです。
 画像をアップした画集も、そんなときに買ったものの一つ。因みに、ハードカバー限定400部の画家の直筆サイン入りのバージョンで、私の持っているのはエディション・ナンバー374。この画集は、確か非限定のソフトカバーも出ていて、銀座の洋書店イエナで見た記憶があります。
 フィルムブックの方は、当時友だちが買ったものを見せてもらい、自分も欲しいな〜、とずっと思っていたところ、それからずっと後になって、映画も無事に見られてから、確か京都の洋書屋さんで見つけてゲットしたんだったと思います。
 他にも、アナログのサントラLPとか、ポストカードとか、色々買いましたっけ。

 肝心の映画の方はというと、なかなか日本公開されない間に、確かドイツ文化センターだったか大使館だったかで、ビデオ上映があるってんで、前述の友だちと一緒に大喜びで見に行ったのが最初でした。場所は、青山一丁目あたりだったような気がするんだけど、当時の私は、まだ東京の地理に疎かったもんで、ちょっと記憶に自信なし。
 で、この初鑑賞に関しては、念願かなって見られたのはいいけれど、そもそも難解な映画な上に字幕なしだったもんで、正直もうナニガナンダカてんで判らず(笑)。色彩美とホモエロスとアンニュイな雰囲気だけ味わった……ってなところでしょうか。
 それから後、無事に日本公開もされて、これは確か、新宿のシネマスクェア東急だったと思うけど、『ファスビンダーのケレル』という邦題で、ようやく日本語字幕付きで見ることができました。
 この、映画の存在を知ってから、実際に見られるまでの間が、何だかずいぶん開いていたような気がするんですけど、allcinemaで調べたら、たかだか3年しか開いていないんですな。ちょっとビックリ。この歳になって振り返ると、若い頃の二、三年って、今の五、六年くらいの感覚に感じられるのは、何故だろう?

 ソフトの方は、輸入VHSを買って、ネット時代になってからアメリカ盤DVDを取り寄せて、前にジャン・ジュネの『愛の唄』について書いたときには、まだ未発売だった日本盤DVDも、それから後に無事に発売されたので、もちろん購入しています。
 でも、いま確認したら、もう廃盤になってるのね……。

Dvd_querelle 『ケレル』(1982)ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー
“Querelle” (1982) Rainer Werner Fassbinder

 原作本の方は、私が買ったときはハードカバーの単行本だけだったけど、今は文庫で出ているんですな。

ブレストの乱暴者 (河出文庫) ブレストの乱暴者 (河出文庫)
価格:¥ 1,260(税込)
発売日:2002-12

 そんなこんなで、この『ケレル』は個人的な大偏愛映画の一本だったんですが、う〜ん、まさか『小さなバイキングビッケ』で、この映画を思い出すとは、夢にも思わんかった(笑)。
 というわけで、その実写版『ビッケ』の予告編が、こちら。

 で、中盤ちょっと過ぎに出てくる、上半身裸で巨体のヒゲ男(重みで船が傾いちゃったりしてるヤツ)が、現在のギュンター・カウフマン。
 ……太っちゃって、まあ(笑)。

メリー・クリスマス

 クリスマス・イブだけど、仕事してます。
 現在描いているマンガの主人公は、こんな男。
draft_2009xmas
 これだけだと、あまりにクリスマス気分と関係がなさすぎるので(笑)、ゲイ・アーティスト仲間から貰ったクリスマス・カードも、一緒にご紹介。

 アメリカのアーティスト、Rob Clarkeから貰ったヤツ。
 相変わらずクィアなネタ(笑)。GIFアニメで動きます。
lottaballs_Gengoroh

 イタリアの二人組アーティスト、Franze & Andärleから貰ったヤツ。
 フランスのH&OやドイツのBruno Gmunderから、海賊が主人公のゲイマンガ”Black Wade (Jimbo)”が発売中。
xmascard2009

 それでは皆様、良いクリスマスを。

 一つ追加。
 ロシアの二人組アーティスト、Alexey & Alexeyからもグリーティングが届きました。
 ダイレクトなブツだったので、申し訳ないけれど、ちょいと修正いれてのアップです。
xmas_alexey

『戦場でワルツを』

『戦場でワルツを』(2008)アリ・フォルマン
“Vals Im Bashir” (2008) Ari Folman

 1982年、イスラエルのレバノン侵攻に従軍しながら、その当時の記憶がない主人公(監督自身)が、その記憶を取り戻すために、当時を知る様々な人々にインタビューしていくというドキュメンタリーを、実写ではなくアニメーションという手法を使って描いた作品。
 公式サイトはこちら

 いやぁ、スゴかった……。
 あちこちで話題になっていた作品でもあるし、私自身、町山智浩さんが紹介していたのを聞いて以来、期待もしていたし、あれこそれ想像も巡らせていたんですが、それらを遥かに上回る内容でした。
 基本的にこの映画は、パーソナル・ヒストリーを描いたドキュメンタリーです。
 邦題に「戦場」とあるように、確かに戦争という状況下の出来事を描いたものではありますが、監督の視線は、戦争というシステム自体の様相を描くのではなく、あくまでもそれを、その中に組み込まれていた個としての目線で見ている。
 この軸は、一貫してぶれることはなく、よって、戦争および戦場のあらましを含めた全てのエピソードは、徹底的に主観として描かれています。
 一例を挙げると、取材対象であるインタビューイたちの映像は、アニメーション的な自由さとは全く無縁の、実写的で地味な映像(しかし同時に、対象との心理的な距離感に応じて、映像的な「色気」も変化するという細やかさ)で描かれます。
 対して、彼らの語りから呼び起こされた記憶や、その語りによって聞き手(主人公である監督)の脳内に再生された光景は、例えそれが現実に起こった出来事であるとは言え、表現としては、いかにも映像作家らしい奔放な、時として華麗なまでのイマジネーションを伴って描かれる。
 そして、こういった徹底した主観表現によって、描き出されたものは、逆に個を越えた普遍的なものへと到達し、しかも最後には、それらが主観から客観へと、鮮やかに転じる。
 これはつまり、個人の内面を掘り進めた結果が、より汎的かつ普遍的な価値観へとつながり、同時にそれが、社会的な意義にも繋がっているというわけで、いわば芸術作品として超一級の出来映えと言える内容。
 にも関わらず、晦渋さや自己満足的な閉塞感は全くない。それどころか、ミステリー的な構造や、前述したような映像表現、そして、巧みな音楽の使い方などによって、娯楽作品的な要素も兼ね備えている。加えて、絵とは何か、実写とアニメーションの違いとは何か、といったメディア特性をしっかりと把握しながら、同時にそれを完全に生かし切っている。
 いや、お見事、素晴らしい!

 作品制作のスタンスが、前述したようなパーソナル・レベルに基づくものなので、レバノン侵攻自体が何であったのかとか、その是非や功罪を検証したいといったような、政治的な興味が主で見てしまうと、ちょっと物足りなかったり、不満な部分もあるかもしれません。
 しかし、そういったことを期待するのなら、それこそ本の一冊でも読むか、あるいはテレビのドキュメンタリー番組を見たほうが良いでしょう。前述したように、この映画の本質は、地域や社会を限定した特定の戦争自体を描くことではないのだから。
 この映画で真に刮目すべき点は、特定の戦争を個の視点のみで描きつつも、いつの時代どこの場所の戦争でも変わらない普遍性を獲得し得ているということ、そしてそれを、優れた映像芸術として表現し得たこと、この二点に尽きます。
 ただ、鑑賞にあたっては、多少なりともレバノン内戦に関する知識がないと、判りづらい部分があるかも。
 最小限、そもそもレバノンはキリスト教徒とイスラム教徒が共存してバランスを保っていた国家だということと、そこにパレスチナ難民が流入したことでパワー・バランスが崩れ、内戦状態に突入したということ、主人公の属するイスラエル軍は、キリスト教徒側の支援のために内戦に介入したということ、くらいは知っておいた方がよろしいかと。
 でも、さほど難しく構えなくても大丈夫。
 タイトルにもなっているバシール(原題は『バシールとワルツを』)という人は、レバノン国内のキリスト教徒側勢力、ファランヘ党の若きカリスマ指導者で、イスラエルのバックアップによって、レバノン大統領に就任した人物らしいですが、私自身、このバシール・ジェマイエルという人に関する知識はなかったけど、そこいらへんのあらましは、映画を見ているだけでも見当がつきましたから。
 まあ、それでもこういう内容の映画は、背景の理解度が深ければ深いほど、映画の理解度は深まりそうではあります。
 因みに私個人は、一昨年にドキュメンタリー映画『愛しきベイルート/アラブの歌姫』を見て、「ひゃ〜、レバノン内戦って、こんなヤヤコシイことだったのか」なんて感じたことが、状況を理解するための助けになった部分があったので、興味のある方はご覧になってもよろしいかも。DVDも出てますんで。

 でも、背景説明ではなく、映画の内容自体に関しては、これは絶対に余分な知識はない方がいいと思います。
 ストーリーとかに関しては、下調べしたりせず、できるだけフラットな状態で見るのがオススメ。
 いやはや、それにしても、今年も暮れになってスゴいのを見ちゃったなぁ……って気分。
 まだちょっと、打ちのめされてる感じだなぁ。
 自分にとって、今年のベストワンはこれかも。

Waltz With Bashir Waltz With Bashir
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発売日:2008-11-11
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つれづれ

 タコシェの中山さんからフランス土産で、毎年発売されているフランスのラグビー選手のヌード・カレンダー、“Dieux Du Stade”の2010年版を戴きました。このブログでも以前に、SMっぽかった2008年版をここで紹介していますが、今回でもう10周年だそうな。
 2010年版のカメラマンは、トニー・デュラン(Tony Duran)という人。コマーシャル・アート全般にイマイチ興味を失ってから久しい私には、ちょっと聞き覚えのない名前だけど、ファッション・フォトグラファーとしては有名なのかも。今度、現役のアート・ディレクターやってる友人に聞いてみよう(笑)。
 写真の方は、極めて口当たりの良いピンナップ系。あまり、これといった特徴は感じられないけど、逆にクセやアクもないので、カレンダーとして壁に掛けておくには、丁度いい内容かも。ひたすら、美しい筋肉を身に纏ったスポーツ選手の、セクシーでキレイなメールヌード写真のオンパレード、といったカンジです。
 ソロやらデュオやらトリオやら、凝ったポーズやら変わったシチュエーションやらもありますが、個人的に最も目を惹かれたのは、ここいらへんの「シンプルなメールヌード+ラグビーボールだけ」というシリーズ。男の裸ってのは、何もせずただそこに在るだけで、それだけで充分美しいもんであります。
 ああ、それと今回は、四つ折りのポスターもオマケで付いてました。ただでさえデカいカレンダーなので、ポスターを拡げるとかなりの迫力。
 日本での入手先は、残念ながらちょっと判らず。
 現在発売中の雑誌『映画秘宝』12月号の、大西祥平さんの連載コーナーで、拙著『髭と肉体』を紹介していただきました。ありがとうございま〜す。
 同誌に載っている大西さんのもう一つの連載「評伝・小池一夫伝説 Returns」も、毎回毎回読むのが楽しみなんですけど、え〜、私まさに、『実験人形ダミー・オスカー』って、絵やシーンは良く覚えているけど、んじゃいったいどーゆー話だったのかが判らない……ってなパターンです(笑)。とゆーわけで、来月の後編が楽しみ!

映画秘宝 2009年 12月号 [雑誌] 映画秘宝 2009年 12月号 [雑誌]
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発売日:2009-10-21

 そう言えば、この『ダミー・オスカー』が連載されていた頃の『GORO』に、確か西村寿行の『去りなんいざ狂人の国を』が連載されていたんじゃなかったっけか。オンナノコのヌード写真やフツーのエッチ記事はそっちのけで、この小説でコーフンしまくった記憶があって、しかもそれが西村寿行との初邂逅だったような気が。
 寿行センセなくしては今の田亀源五郎はいない、ってなくらい、私にとっては、セクシュアルな意味でトラウマ級の作家さんなので、この『去りなん…』も、ものごっつうオカズにさせていただきました。
 特に後半の乱痴気パーティーのシーンでの、「マフィアのボスを全裸にして、肛門にローソクを立てて人間燭台にして辱める」とか、「捕らえた刑事二人(だっけか?)に、相互ホモセックスを強要する」シーンなんか、未だに思い出すだけでムラムラくる(笑)。

去りなんいざ狂人の国を (角川文庫)
価格:¥ 652(税込)
発売日:1981-01

 デアゴスティーニの『三代怪獣 地球最大の決戦』購入。
 例によって、隣の相棒の「この人は、往年の大スターだよ」とか「この人は、東映時代劇の悪役ばっか演ってたんだよ」とか「この人は、国策映画で銃後の母を良く演っていたんだよ」とかいったオーディオ・コメンタリー付きで鑑賞(笑)。
 ガキの頃は、とにかく特撮と怪獣プロレスに夢中だったけど、改めて見ると、テレビのチャンネルを変えるために、夏木陽介の身体を跨ぐ(ってか覆い被さる)星由里子……とかゆー、些細な日常リアル演出が良いな〜、なんて感じたりして。
 二号続けて買っちゃったけど、次回の『海底軍艦』は、既にDVDを購入済みなのでスルー。
 いつものようにタバコをカートンで買ったら、こんな箱で渡されてビックリ(笑)。

つれづれ

 ここ数日のあれこれ。

 上野の西洋美術館で『古代ローマ帝国の遺産』展鑑賞。
 キュレーションに特に目新しいものはなく、展示点数も決して多いとは言えないけれど、展示品はおしなべて高クオリティでかなり満足。
 壁画に良いものが多く、特に、「庭園の風景」の大きさと色彩の美麗さには目を奪われる。「カノポスのイオ」や、小品ながら「聖なる風景画」の幽玄な雰囲気も素晴らしい。
 ブロンズの工芸品も、デザインの洗練され具合がいいなぁ。細工も高度で、みていてついつい「欲しい!」とか思っちゃう作品がイロイロと。中でも「シレノスのカンデラブルム」は、メールヌード作品としても良く、腰のあたりの肉付き具合なんか、何ともタマリマセヌ。
 サイズが大きな彫像だと、やはり「皇帝座像」と「アレッツォのミネルウァ」が印象に残る。前者は、腕や足の甲の血管の表現に目を奪われたけど、図録によれば、それらは18世紀になされた修復部分だったようだ。
 ミュージアム・ショップでガラスのペーパーウェイトを、その美麗さに惚れて衝動買い。「アウグストゥスのアウレウス金貨」のヤツと「カノポスのイオ」のヤツ。後者は、近々遠方に引っ越してしまう友人(女性)に、お餞別としてプレゼント。
 帰りにアメ横で、靴を一足購入。
 安かったので、店員さんに「これ下さい」と言うと、「はいっ、1万3千円をお値引きで2千8百円になります!」という返事。いや、値札で確認していたから買ったんですが、いざそう言われると、改めて安さを実感してビックリ(笑)。
 サンマが7尾で5百円ってのにも惹かれたけど、いくらサンマ好きでも、いっぺんに7尾は多すぎるから、残念ながら断念。

 デアゴスティーニの『モスラ対ゴジラ』購入。
「マハラ・モスラ」は、ガキの頃から好きな歌だったけど、改めて聴いても、やっぱり良いなぁ。歌バージョンもさることながら、劇伴でも、このモチーフが出てくると背中がゾクッとくる。
 古関裕而の「モスラの歌」は、「イヨマンテの夜」や「黒百合の歌」の作曲者らしい、ポップ味のあるエキゾ歌謡の名曲だけど、伊福部昭の「マハラ・モスラ」は、より土俗性を感じさせる、いかにも古代の異教儀式といった趣で、これまた甲乙つけがたい名曲。
 東宝特撮のDVDは、高価さもあって買い逃がしているものがあるので、そこいらへんはこのシリーズで買おうかな。

 長年の友人(女性)のヘルプで、初めての土地へ。
 とはいえ、たかが電車で30分、そこからバスで30分の距離だし、行った先もただの住宅街なのだが、過去にあまり見た記憶のない雰囲気の場所で、しかもなかなか気持ちの良いところだったので、ちょっとした小旅行気分に。
 用件は撮影の手伝い。彼女がビデオ、私が写真を担当。
 終了後、バスに乗って大都会に戻り、遅めのランチをとっていたら、ほんの一時間前の出来事だというのに、さっきの場所が、まるで異次元にでも行ってきたかのように感じられて、何だか不思議な気分。
 そんな気分は後々まで続き、彼女と一緒に拙宅に戻り、二人で撮影した素材の整理などして、それから仕事から帰宅した相棒も交えて、三人で夕飯なんぞを作っている頃には、昼間の出来事が、とてもその日のこととは思えないような感覚に。

 イタリア人から、「バディ」のバックナンバー購入についての問い合わせが。
 単行本効果かな? だったら嬉しい。

『ゲイエロ3』打ち合わせ

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 前回の続き。
 上の図版は、『日本のゲイ・エロティック・アート vol.3』収録予定作家のお一人、高蔵大介さんの作品(『さぶ』1996年7月号より)。

 というわけで、『さぶ』の発掘作業も完了したので、セレクトした分をポットさんに持参して(って、実際は持ち歩ける量ではないので、宅急便で送ったんですけど)、『日本のゲイ・エロティック・アート vol.3』の打ち合わせをしてきました。
 とりあえず現状の進捗状況は、収録図版の粗セレクトが完了した状態。
 集めることのできた全ての図版の中から、最終的に収録できる点数の数倍に相当する量をセレクトした、いわば「一次選考」が終わった状態です。
 これで、本の全体像が朧に見えてきた(つまり、出来ることの可能性と限界を、同時に把握できた)ので、それを踏まえて、最終的にどういった構成にするかを話し合います。
 今回、作品の収集をしている段階で、過去の既刊二冊とは異なった構成にしたい部分が出てきたので、予算や技術も踏まえて相談したり、本のサブタイトルをどうするか検討したり。
 サブタイトルに関しては、自分独りでずっと考えていたときには、かなり煮詰まってしまっていたんですが、今日の打ち合わせで担当編集者さん二人を交えて話し合っていたら、ビックリするほどスンナリと結論を出せました。「うわ〜、やっぱブレーンストーミングって大事!」と、改めて感心したり。

 また、実はこのシリーズ、限られた予算内で最良の結果を出すために、画集としては(おそらく)イレギュラーなページ構成になっています。
 そのこともあって、今回も、制作費の見積もりを作るために、ラフな台割り(本全体のページ構成を決める表のこと)を用意して、「この折り(一般的に、本は16ページ分を一枚の大きな紙に印刷して、それを折りたたんで裁断して作るので、この16ページを一単位にしたものを『折り』といいます)は、表を四色(カラー)裏を一色(モノクロ)でいきます」とか、「こっちの折りは、両面一色でいけます」とか、説明しながら細部を詰めていきました。
 さて、これで最終的に収録可能な図版点数の、ガイドラインができました。
 ここまでが、今日の成果です。

 この後、仮決定したページ構成を踏まえて、粗セレクトした作品の中から、最終的な掲載作品を絞り込んでいきます。これがまた、楽しくも辛い作業。というのも、どうしても「涙をのんで収録を断念せざるをえない」作品が、多々でてくるので。
 掲載作品が決定したら、次は文章原稿の執筆に取りかかります。これがまた、調べ物とか取材とかが必要になるし、そもそも文章書きの専門ではない私にとっては、なかなか厄介な作業です。
 文章ができたら、次は翻訳(このシリーズは、日本のゲイ・アートをより海外にも喧伝するために、全テキストを日本語と英語で併記しています)して、これでようやく本に必要な原稿が全て揃うわけです。
 こういった一連の作業を、集中して一気呵成に出来ればいいんですが、残念ながら他の仕事の都合もあるので、その合間合間に長いスパンで進めていかなければなりません。事実、今月はもう、これ以上の時間的な余裕がないので、最終的な掲載作品の絞り込みを始められるのは、来月上旬以降になるでしょう。

 本の完成までには、まだ時間がかかりそうです。
 とはいえ、一番メインの図版収集作業が完了したので、ちょっと一安心。

『さぶ』の山

sabu
 ここ数日、『日本のゲイ・エロティック・アート vol.3』の準備で、『さぶ』の山と格闘中。
 メインの目的は、高蔵大介さんのイラストのセレクトなんですが、それ以外にも、初期に活躍していらした鈴木節さんの作品とか、幾つか抑えておきたいものがあるので、古くは昭和50年代年代初頭のバックナンバーから紐解いております。
 というわけで、薄い中綴じの頃から、平綴じになったけれどまだ薄い頃、厚みを増していった頃、表紙絵が三島剛さんから木村べんさんに変わった頃、本文印刷が活版からオフセットに変わり用紙も変わった頃……と、歴代の『さぶ』を、開いては閉じ、付箋を貼っては積み重ね……といった作業の繰り返し。

 しかし、改めて創刊当初の『さぶ』を見ると、ゲイ雑誌誕生以前の「よろず変態雑誌」の頃の香り、つまり『風俗奇譚』とかと同種のテイストが、まだけっこう残っていますね。
 最初期の『さぶ』で小説挿絵を描かれている「風間俊一」という人は、おそらく、『日本のゲイ・エロティック・アート vol.1』で採り上げた江戸川重郎や、『vol.2』の天堂寺慎などと同様に、ヘテロ雑誌に描かれていた職業イラストレーターでしょう。イラストレーション的に手慣れたテクニックと、男性のエロティシズムをフェミニンに描写しているという特徴が、全く共通しています。
 また、『風俗奇譚』などでは良く見られるものの、私がリアルタイムに親しんだ80年代以降の『さぶ』では全く見られなくなっていた、素人女装の投稿告白などという記事も、この頃の『さぶ』には、まだ僅かながら載っていますし、アメリカのフィジーク誌から転載したと思しき、ブルース・オブ・ロサンジェルスの写真や、エチエンヌやトム・オブ・フィンランドのイラストレーションが載っているのも、やはり『風俗奇譚』と同じです。
 とはいえ、そういった記事と並行して、日本のゲイ・エロティック・アーティストたちも、『vol.1』で採り上げた三島剛は、もちろん創刊号から参加していますし(三島剛さんは『さぶ』という誌名の名付け親でもあります)、『vol.2』の林月光、遠山実、児夢(GYM)といった面々も、すぐに誌面に登場します。
 また、長らく『さぶ』の名物コーナーだった読者の投稿写真ページ「俺のはだか」や、森本浩史さんの「縄と男たち」なども、中綴じの頃から既にスタートしているし、小説執筆陣にも、花田勇三さん、土師志述さん、愛場幹夫さん、いけはらやすあき&でぶプロさん、真須好雄さん……といった、平綴じになってからの『さぶ』でも見覚えのある名前が、既に登場しています。
 こういうのを見ていると、それからおよそ十年後、私がデビューした頃の『さぶ』とも、シームレスな繋がりを感じられて、ちょっと嬉しい気分になりますね。まるで、両親や親戚の若い頃の写真アルバムを見ている気分。

 中綴じ時代の『さぶ』は、総ページ数が160ページ程度と、薄い本ですが、中身の方は、本の厚さと反比例するかのように、実に濃厚な印象。
 というのも、まず、イラストレーションの扱いが大きい。カラーやモノクロのグラビアページを使って、前述したような錚々たる作家陣が、その腕と妄想力をふんだんに発揮してくれている。
 例えば、昭和53年8月号を例にとると、この号だけで、三島剛さんの褌テーマの巻頭カラー口絵4ページ、林月光さんの巻末カラー絵物語「月光・仮面劇場」4ページ、児夢さんの学ランテーマのモノクロ連作口絵4ページ、水影鐐司さんのラグビー部テーマのモノクロ連作口絵4ページというゴージャスさ。
 更に、児夢さんと水影さんのカラーイラストも1ページずつ。小説挿絵では、三島さん、林さん、水影さんの他に、前述した『vol.3』収録予定の鈴木節さん、更には吉田光彦さんや渡辺和博さんといった『ガロ』系の方々まで。
 男絵好きにとっては、これはもうたまらなく魅力的な誌面。
 また、本文に情報ページや広告ページが殆どなく(メイトルームの数も、まだ200そこそこと、決して多くない)、読み物ページは主に小説に占められ、加えて、その小説のラインナップが「濃い」のも、雑誌全体の充実感に繋がっているようです。
 この頃の『さぶ』には、現代物の恋愛小説とか、エロな体験告白といった、昨今でも良く見かける「身近」な設定の小説も、もちろんあるんですが、それと同じくらい、いや、ひょっとしたらそれより多いくらいの比率で、時代物、任侠物、軍隊物……といった、今どきでは殆ど見られなくなった、フィクション性の強い設定の小説が掲載されている。中には、時代物伝奇小説の連載まであったり。
 これらの小説は、ポルノ的なエロ描写そのものに限って言えば、今読むと実に「大人しい」ものなんですが、反面、情景描写や情緒表現を含めて、しっかり「小説」にしようという心意気の感じられるものが多く、即物的なポルノグラフィーとはまた違った味わいがあります。

 そんなこんなで、今回の目的は、あくまでもイラストレーションのセレクトだけのはずなのに、ついつい文章も読みたくなっちゃって、難儀しております。読み始めたらきっと止まらなくなって、作業がぜんぜん進まなくなっちゃいますから、もう、我慢我慢の日々(笑)。
 それでもやっぱり、花田勇三さん(叙情的な筆致でホモソーシャル的な世界を薫り高く描いた、「男と男の叙情誌」という『さぶ』のキャッチフレーズを体現するような作家)とか、渚剣さん(任侠や軍隊といった男っぽい世界を舞台に、凌辱・拷問・切腹といった男責め小説を描いた作家)の小説が出てくると、「ちょっと休憩がてら……」とイイワケして、一、二編、読んじゃったり(笑)。
 あ〜、作業がはかどらない(笑)。

イベント『PLuS+ 2009』のご案内

 ご案内をいただいたので、ご紹介します。
 10月11日(日)、大阪で「エイズの予防啓発と、陽性者への支援・共生、コミュニティの活性化をテーマとした、お祭り型複合イベント」の『PLuS+ 2009』が開催されます。
 メイン会場の扇町公園、およびその周辺会場で、講演、トークショー、音楽やパフォーマンスのライブ、クラブ・イベント、イラスト展など、様々なイベントが開催されます。
 タイムテーブルなど具体的な情報は、公式サイトへ。
 当日、お時間のある方は、ぜひどうぞ!

『羯諦 山中学 写真』

book_gyaatei
『羯諦 山中学 写真』山中学(ポット出版)
 写真集のご紹介。まずは、出版社による紹介文からどうぞ。

内容紹介
貧困、老い、病、死……。
人が忌避するものの中にある「仏性」を写す。
海外で高い評価を受ける山中学初の商業写真集。
25年にわたって取り続けた6シリーズ108点を収録します。
※全文、日英対訳付き
著者について
1959年生まれ。広告写真家の助手を4年余務める。その後独立、23歳で上京。
コマーシャル写真家の道を歩み始めるが、広告写真と自分の追求したい写真の温度差を感じ、自らの世界を極めたいと思い、作品の制作を始める。
──私の生まれ育った大阪近郊の尼崎の町は町工場労働者たちの多く住む場所で、
昔から仏教が深く根付き、仏教にまつわるお祭りが多く、住民たちの信仰も厚く浸透していた。
私が小さい頃、交通事故に遭い病院に運ばれ、10日間も意識不明で生死をさまよった事があり、幸いにも私はこの世に戻ることができ、その身代わりに可愛がっていた犬が死んでしまった出来事があった。
この奇妙な霊験や奇跡的な生還から、生と死、仏教に関心を持つようになった。
作品を通して仏教の真意を視覚的に伝えたいと思っている──
1989年、東京で初めての個展“阿羅漢”を開く。現在は、東京に住みながら、ニューヨークのギャラリーを通して作品を発信し続けている。

 引用ここまで。

 力強くて清浄だな、というのが、私の印象。
 被写体そのものは、乞食であったり、動物の死骸であったり、全裸の老婆であったり、奇形であったり、胎児であったり……と、ある意味でグロテスクであったり、エクストリームであったりするものなんですが、被写体以外の余分はいっさい切り捨てられ、シンプルに研ぎ澄まされた作品になっています。
 ほぼ全くの白バックの中に、対象物のみを正面から捉えた作品群を見ていると、さながら写真家が被写体と向き合うように、自分もまた、それらと直に対峙しているように思えてきて、膝をただして身が引き締まる思いがしてくる。
 その、ミニマリズム的な引き算ゆえに、情緒やモノガタリ性が介在する余地は全くありません。ただ何を撮りたかったか、それのみが、虚空に凛と屹立しているみたい。一般的なタブー感に対しての、露悪趣味的な逃げ道が許されていないので、その本質が剥きだしになった作品が、見ている自分の本質も剥きだしにする。
 素晴らしい。
 見栄も、華飾も、言い訳もなく、本質のみが存在するアート。
 う〜ん、これは私にとって、一つの理想のあり方だ。
 しかし、私ごときが、いくら文章で説明しても、それは詮ないこと。言語という論理は、絵画や写真といった視覚芸術を、ある程度まで解析したり、或いは、その存在価値を補強することはできても、本質的な核の部分までは決して解体できない……というのが、私のフィロソフィーなので。
 というわけで、興味を惹かれた方は、とにかく山中学氏のサイトへ行って、実際の作品画像を見て下さい。
 ともあれ、私はものすごく感銘を受けました。

 写真集の方は、作品のテーマごとに章立てされ、それが年代順に並べられています。さながら、アーティストの回顧展を見ているよう。
 装丁もお見事。上の書影をご覧いただければお判りのように、真っ白でマットな外函に、スミ一色のテキストが最小限の大きさで配されています。
 函から本体を出すと、やはり真っ白な和紙のような風合いの紙に、「羯諦」の二文字だけがポツンと書かれた表紙が。見返しは、やはり白ながら、今度は絹目の風合いのある紙。
 作品同様に、余分なものが全くない、清浄な美しさのある本になっています。その清浄さゆえに、汚損を恐れて、思わず扱う手つきも慎重になってしまいますが、この粛然とした感覚も、いかにも中身の作品に相応しい感じ。
 オブジェ的にも、美しい本だと思います。
 版元による本の紹介ページはこちら。直接購入可能。サイン本も若干数あるそうです。
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