今度の月曜日、6月1日から13日まで、銀座のヴァニラ画廊で企画展『伊藤文學コレクション 薔薇族周辺のゲイ・エロティック・アート』(特別展示・入場料500円)が開催されます。
で、この展覧会なんですが、私めも及ばずながら監修という形で関わらせていただいております。
まあ、監修といっても、そんな大層なものではなく、展示の中心は伊藤文學氏ご所蔵の『薔薇族』に掲載された男絵の原画であります。私の役割は、展示の主旨および全体の構成を考えることと、文學氏のお手元にはない作家の原画を集めるためのお手伝いをすること、そして、自分自身の作品を展示用に提供する、といったところです。
企画をしてくださったのはマルプデザインさん。
展示作家は、三島剛/船山三四/小田利美/遠山実/児夢(GYM)/長谷川サダオ/木村べん/平野剛/大川辰次/稲垣征次/三上風太/田亀源五郎という顔ぶれを予定しています。
文學氏ご所蔵分と、私が所蔵・保管しているものに加えて、稲垣征次さん、STUDIO KAIZの城平海さん、ゲイ・アートの家の荻崎正広さんに、それぞれご協力いただきました。
歴史的なゲイ・エロティック・アートの展示としては、文學氏も私も過去に何度か行ってきましたが、これだけの作家が揃う展示というのは、ちょっとなかったのではないかと思います。
貴重な日本のヴィンテージ・ゲイ・エロティック・アートの数々が、美麗な原画のまま一堂に会するこの機会、アートやサブカルチャーやゲイ文化やエロティック文化に興味のある方は、ゲイもヘテロも関係なく、ぜひ足をお運びください。
また、展示期間中の6月7日(日)には、イベントとして画廊内で、「伊藤文學氏・田亀源五郎氏による特別トークショー」も開催されます。時間は15時から、入場料は1500円(1ドリンク付き)になります。
文學氏とは、もちろんこれまでお会いしたこともお話ししたこともありますが、トークショーという形では初めてなので、今からいささか緊張気味(笑)。司会進行をやってくださるのは竜超さん。
また、会期中にはポット出版さんにご協力いただき、私の編纂した画集『日本のゲイ・エロティック・アート vol.1 ゲイ雑誌創生期の作家たち』と『vol.2 ゲイのファンタジーの時代的変遷』を、画廊で直接お買い求めいただけるようになっております。
展覧会のお土産に、トークショーのついでに、二冊揃いでぜひどうぞ。
さて、最後に私の出展作ですが、2007年のフランス個展用に制作した連作、『七つの大罪』を揃いで出させていただきます。
これまで、書籍やイベントで、一、二枚が公開されたことがありますが、ほとんどは日本国内では未発表。もちろん、七枚セットでは本邦初公開となります。
なかなかお見せできるチャンスもないので、皆様、この機会にぜひご覧ください。自分で言うのもナンだけど、美麗かつエロいという自信作ですぞ(笑)。
「アート」カテゴリーアーカイブ
“Outside/Inside” by Bruce Of Los Angeles
ヴィンテージ・メールヌード写真集のご紹介。
ブルース・オブ・ロサンジェルスことブルース・ベラスは、1940年代から70年代にかけて活躍した、アメリカの写真家。当初は、当時アメリカで流行していたボディービル・ブームの中で、ビルダーの写真などを撮っていましたが、56年に自らフィジーク雑誌「メール・フィギュア」を創刊することによって、その作品はゲイ・エロティック・アートに接近していきました。
このフィジーク雑誌というのは、いわばボディービル雑誌のふりをしたゲイ雑誌のようなもので、トム・オブ・フィンランドやジョージ・クエインタンスといったゲイ・エロティック・アーティストたちも、こういった雑誌を経て世に出ています。
ブルース・オブ・ロサンジェルスの成功は多くの模倣者を生み、更に後世には、ロバート・メイプルソープやブルース・ウェーバーやハーブ・リッツといった、コマーシャル/ファインアートの写真家にも影響を与えました。
そんなブルースの写真集ですから、当然のことながら、エロティック・アートとしての表現は、時代に即したごく控えめのものです。
下にリンクを貼った日本アマゾンの商品ページに、内容のサンプルが少し掲載されていますが、それをご覧になればお判りのように、その写真には、現在に生きる我々の感じるところの、ポルノグラフィー的な過激さというのは、ほぼ皆無と言っても良いでしょう。これらの写真が、当時のゲイたちにとってどれだけ「扇情的」なものであったかは、これは想像を逞しくするしかありません。
とはいえ、ではこれらの写真が、今となってはノスタルジーの対象にしかならないものかというと、決してそうではないのが、このカメラマンのスゴいところ。ギリシャ彫刻的な「男性美」にフォーカスを絞り、ただそれのみを、堅牢なコンポジションと共に捉えた作品の数々は、被写体と画面双方の美しさによって、今なお新鮮に映ります。それらをご覧になれば、前述した後世の写真家への影響というのも、良くお判りいただけるはず。
また個人的には、シンプルなメールヌード以外にも、数は少ないながら鞭打ちや人間馬といったサドマゾヒズム的な要素が見られるのも興味深いところ。こういった傾向は、同時代のトム・オブ・フィンランドやジョージ・クエインタンスの作品でも見られます。以前こちらの記事で少し書きましたが、暴力性や被虐性といったものが、古くからマッチョイズムの表現手法の一つとして存在しているということが、この写真集でも改めて確認できます。
本のサイズは、アナログLPジャケットくらいの大判。頑丈なハードカバーで、同じく頑丈な外箱入り。この外箱は、写真のプリントを入れるラボ袋を模したデザインになっていて、なるほど、当時ナマ写真を注文すると(フィジーク雑誌ではプリントやムービーの通信販売も行われていました)、きっとこういう袋に入ったものが送られてきたんだろうなぁ、などと偲ばれる作りになっています。
本文の方は、屋外で撮られたもの(Outside)と屋内のもの(Inside)の二部構成。上質な紙に上質の印刷。ブルースのモデル・リストや、そのパーソナル・データを完備(本書収録作だと、有名どころでは、ジョー・ダレッサンドロの背面からのフルヌードあり)。
そんな感じで、所有欲をしっかり満足させてくれるような、上質な造本の写真集になっています。
それと、もう一つ特筆したいのが、これはアマゾンの商品説明には何も書かれていないんですが、オマケとしてDVDが一枚付いています。
収録されているのは、(おそらく)当時販売されていた、ブルースが撮影したメールヌードのショートフィルム12本。内容はというと、健康的な肉体美の青年たちが、ビーチや牧場などで裸になり、ポージングしたり水遊びをしたり男同士で戯れたりする……といった、ごく他愛もないものなんですが、これが何ともノスタルジックな美しさがあってヨロシイ。
フィルムはレストアされているらしく、多少の傷やゴミはあるにせよ、画面の揺れや明滅、トビやツブレはほぼなく良好。音声はBGMのみ。音質の良さからして後付でしょうが、画面のノスタルジックなムードともマッチしていて佳良。ヴィンテージ・ゲイ・アートのファンやメールヌード好きはもちろん、環境映像的にも楽しめそうな、なかなか優れモノの内容です。
ご参考までに、キャプチャ画像を幾つか。こちらとこちら。
そんなこんなで、決して安価ではないですけれど、豪華写真集にレアもののDVD付きなので、写真集好き、メールヌード好き、ゲイアート好きだったら、買って損はないマストな一冊ですぞ。
あ、でもオカズを期待する人には不向きですからね(笑)。
“Outside/Inside” Bruce Of Los Angeles (amazon.co.jp)
『三羽のカラス』とか”XXL”続報とか
児雷也大画伯から、御著『三羽のカラス』を頂戴しました。ふふふ、サイン入り。役得、役得。
大画伯のマンガは、基本的にはほのぼのラブラブ系が多いけど、今回の単行本は、ちょっとダークなヤツとか、ちょい無理矢理系とか、ボンデージのシーンとか入っていて、嬉しいなぁ(笑)。でも、もし収録作から一番のお気に入りを選べと言われたら、ハートウォーミング系の『希望町三丁目富士乃湯物語』。私の趣味からすると、意外かもしれないけど(笑)。
それにしても、どのページもどのコマも、画面の密度が濃いこと濃いこと。おかげで、読み終わるのに、えらい時間がかかったぃ(笑)。
あとは、凝り性の大画伯らしく、これ、装丁もレイアウトも、全部ご自分でおやりになったんでしょうね。完成原稿を、ネーム入力済み(&陰部修正済み)のQuarkXPressファイルで納品するマンガ家なんて、大画伯の他にいらっしゃるんでしょうか。
因みに、御自身のブログで、以前、
「『三匹のブタ』発売おめでとうございまーす」と。
なにその児童図書っぽいタイトル。
などとお書きになっておられましたが(え〜、いつも画伯には大先生呼ばわりされてるので、そのお返しに、ちょっと通常以上に敬語調にしてみました)、じっさい、カバーを外すとホントに児童図書っぽく見えたりして(笑)。こーゆー感じの本、学級文庫とかにあったような(笑)。
あ〜、あといい機会なので、世間様、特にノンケさんと腐女子の皆様に一言。
え〜、よく私の絵を「ガチムチ」呼ばわりされる方がいらっしゃいますけど、基本的に私のキャラはただの「マッチョ」でして、「ガチムチ」じゃないんですよ。ホントーの「ガチムチ」ってのは、児雷也大画伯のお描きになるような男のことを言うんです。
さて、もう一つ書籍情報。
以前ここで紹介して、その後ここで「amazon.co.jpでの取り扱いがなくなっちゃった」とお伝えした、世界のゲイ・アートの超マエストロ、Tom of Finlandの超豪華画集”XXL”ですが、また復活していました。マーケット・プレイスですけど、今ならamazon.co.jpで入手可能なようです。
“XXL” Tom of Finland (amazon.co.jp)
前回、買い逃して悔しい思いをした方、いらしゃいましたら、今がチャンスかも。
つれづれ〜フリーペーパーとかゲイアートとか
締め切りラッシュの間に、溜まりに溜まってしまったメールの返事をせっせと書き、それが終わって、これでようやく渡航&バカンスの準備に入れる……と思いきや、新たなアレコレがイロイロと。
そんなわけで、現在、日本とイタリアとスペインとベルギーで、イロイロな話が進行中。
ハッキリした結果が出たら、おいおいご報告します。
そんな最中、シモーヌ深雪さんから、”セックスの安心と安全を考える情報誌”、フリーマガジン『SEX & SEXWORK』の001号をいただきました。
企画編集で名を連ねているシモーヌさんを筆頭に、松沢呉一、張由紀夫、マーガレット、ゴッホ今泉、オナン・スペルマーメイド……などなど、錚々たる面子が揃い踏み。
デザインも誌面もとっても美麗で、これが無料だなんてビックリ。これに限らず、最近のHIV関連のフリーペーパー等は、ほんとクオリティ高いですよね。将来の文化史的な体系化に備えて、どなたかがきちんと収集保存していらっしゃればいいんですけど。
この冊子がどこで配布されているのか、ちょっと判らないんですけど(新宿aktaや堂山distaなんかにあるのかな?)、問い合わせ先がせくすばっとなっていたので、興味のある方はぜひどうぞ。
かたや先日、アレクセイ&アレクセイ(Alexey and Alexey)という、ロシアの二人組ゲイ・アーティストから、ファンメールと彼らのサイトの案内がきました。「暮らしをゲイ・アートで飾る」というコンセプトで、作品を制作・展示・販売しているそうな。
ペインティングやドローイングもあるんですが、個人的には左上のサンプル画像のような、ガラス細工のシリーズが気に入りました。ポップでカラフルで、造形的にはフォークアート風の魅力があって、それでいて同時に、しっかりエロティック(かつマッチョ)というのが良い感じ。
ロシアというと、ソビエト時代からゲイに対しては抑圧的だという印象がありますが、そんな中で、こうしてゲイ・アーティストとして頑張っている人たちがいることを知るのは、何だか嬉しいですね。
よろしかったら、ぜひ一度、彼らのサイト(ちょっとサーバが重いですけど)で作品をご覧あれ。露英二ヶ国語表記です。
もう一人、パトリック・ポワヴル(Patric Poivre)という、フレンチ・カリビアンのサン・マルタン在住の、フランス人アーティストからも、ファンメールとサイトの案内を貰ったので、ご紹介。
熱帯地方と旅の記憶をテーマにした、ペインティングがメインで、ダイナミックな筆致と美麗な色遣いがステキです。詩的でロマンティックなメールヌードがあるかと思えば、古典絵画の引用もあり。水兵を描いた作品なんかを見ると、いかにもジュネやコクトー直系の、フランス的ホモエロスって感じがするのが面白い。あと、いかにもトロピカルなお宅の壁に描かれたトロンプルイユ(騙し絵)作品なんてのは、もうその制作環境が羨ましい限り(笑)。
アダルト・ギャラリーもありますが、こちらはパスワード制(メールで貰えます)になってます。これまた、コクトーの「白書」を更にコッテリさせた、みたいな感じの、いかにもファイン・アーティストの描く「秘画」といった感じで、イラストレーション的なエロティック・アートとは、また違う味わいがあります。
サイトは仏英二ヶ国語表記。こちらも、よろしかったら是非ご覧あれ。
あと、品切れになっていたフランス語版”Gunji”ですが、版元のH&Oから、増刷したという連絡があり、第二刷の著者謹呈分コピーが送られてきました。
内容的には初版と何も変わっていませんが、造本のみ、表紙のフラップ部分がなくなっています。先日出た”Goku – L’ile Aux Prisonniers vol.1″も、同様の造本だったので、H&Oの方針なんでしょうけれど、フラップ部分に載っていた著者紹介文が、丸々消えちゃったのは、ちょっとウムムな感じ。
ちょっと宣伝、フランスで三回目の個展やります
パリのギャラリーで、今月末日から個展が始まります。場所は、前の二回と同じくArtMenParisギャラリー。期間は、4/30〜5/30。
去年の個展では現地には行きませんでしたが、今回は、作品と一緒に私自身も渡仏します。オープニング・パーティーは、4/30(木)の17:00〜22:00。もちろん、私自身が作品と一緒にお迎えしますので、パリ在住の方、ゴールデンウィーク旅行でちょうどパリに滞在中の方、などなど、いらっしゃいましたら、お気軽に遊びに来てください。
また、5/2(日)には、パリ市内の書店LES MOTS A LA BOUCHEで、サイン会をしますので、こちらもお気軽にどうぞ。時間は16:00〜17:30。
因みに、LES MOTS A LA BOUCHEは、ポット出版さんから出ている、我が『日本のゲイ・エロティック・アート』シリーズも、ここで輸入販売していただいているんですが、実は前々から、タコシェの中山さんから大推薦されていた書店さん。果たして、どんなディープなお店なのやら、今から行くのが楽しみです(笑)。
パリでの滞在は一週間程度ですが、その後、またちょいと寄り道して、休暇を兼ねて別の国に遊びに行こうと思っているので、帰国は5月中旬を予定しています。
さて、そんなこんなで、月末からしばらく国外脱出する予定ですが、ちょいと自分の携帯を調べてみたら、どうやら国際ローミング対応とやらで、海外でも使える機種みたい。
というわけで今回は、これをあっちに持って行って、現地からこのブログを更新してみようかな〜、なんて企んでおります。オープニング・パーティーやサイン会の様子を、写メール使って現地からレポ、みたいな(笑)。
とはいえ、私は超がつくほどの携帯オンチで、なにしろ電源を入れることすら、一年に数回あるかないかくらい、ってな、ていたらくなので、果たして上手くいきますかどうか。正直、イマイチ自信がない(笑)。携帯のメールって、ロクに使ったことがないからなぁ。前に、試しに使ってみたときには、一行の文章を打つのに、10分くらいかかった(笑)。
ま、そういう事情もありますので、あまり期待せずにお待ちくださいませ。
やっぱり…
先日紹介したこの本、悪い予感が当たって、やっぱり取り扱いがなくなっちゃったようです。商品ページがなくなってるし、検索してもヒットしない。
というわけで、早めにオーダーして無事に買えた方は、ラッキーだったということで。
アメリカのアマゾンだと、問題なく売られているので、リンクを貼っておきますね。
“XXL” Tom of Finland (amazon.com)
しかし、どーも日本のアマゾンは、TaschenとBruno Gmunderの扱いには厳しいなぁ。
<続報>
と思ったら、マーケット・プレイスですけど、日本のアマゾンでも復活しました。
“XXL” Tom of Finland (amazon.co.jp)
“XXL” Tom of Finland
ゲイ・アートのマエストロ、トム・オブ・フィンランドの新しい画集が、TASCHEN社から出ました。
トム・オブ・フィンランドの作品集としては、同じTASCHEN社から、既に”The Art of Pleasure”という分厚い画集や、”Kake”などのコミックス集などが出ており、また、Tom of Finland Foundationからも、画集”Retrospective”シリーズ(全三巻)が出ていて、それらを既に所持している自分としては、この新しい画集”XXL”を買うのは、悩ましいところではありました。値段もけっこうするし、中身も、ひょっとして”The Art of Pleasure”の焼き直しかも知れないし……。
しかし、思い切って購入してみたところ、これがスゴい画集だった!
何と言っても、本のサイズがデカいのにビックリ! 横29センチ×高さ40.5センチ……なんてスペックだとピンとこないかもしれませんが、まあこの比較画像(笑)をご覧あれ。
この大きさで、厚みも8センチ近くあるもんだから、まあ持っていて重いこと重いこと(笑)。
流石にこれだけ大判だと、絵の方もド迫力です。
1ページ1点、あるいはドカンと見開き1点の掲載は、例えそれが既に見知っている作品でも、受けるインパクトが段違いで、ページを開いた瞬間「ひゃ〜っ!」ってな感じです……って、何のこっちゃい(笑)。しかも、折り込みページもあったりして、それを拡げるともっとスゴいことになって、レザーマンたちのデュオのポートレイトが、6組12名、幅1メートル以上の横長の画面に、ずらりと並んで立っている(ま、跪いている人もいますけど)様は、もう圧倒されちゃって溜め息もの。
中身のサンプルは、いちおうTASCHENの商品ページにありますが、それ以外にも、下絵と本描きの比較とか、
“Kake”のような連作画とか、
ポートレイトと春画のコンビネーションとか、
同一テーマのバリエーションとか、
とにかく全ページが見応えあり。
こんな感じで650ページ以上続くんですから、もう大満足。お腹一杯、ごちそうさま(笑)。
印刷は、極めて良好。前述の”Retrospective”シリーズや”The Art of Pleasure”と比較すると、それらを遥かに凌ぐ高品質で、原画の再現性はバッチリ。私は、以前トムの原画を、Tom of Finland FoundationやニューヨークのFEATUREギャラリーで目にしたことがあり、以来、あの原画の美しさと比べると、世に出ている印刷物の品質には、どうしても不満があったんですけど、この”XXL”は、そういう意味でも、これまでのベスト。
全体の構成は、総論を冒頭に置き、以下、世に出る以前の40年代、初期スタイルの50年代、スタイルが確立された60年代、円熟の70年代、ポートレイト群などで更なる高みに達し、そして亡くなるまでの80年代、と、編年体になっていて、それらに様々な各論が、それぞれ英独仏の三ヶ国語で付いています。
巻末には、原画の所在が行方不明になった作品リスト(図版付き)、グリーティングカード、展覧会の記録などが付属。
造本も、高級感のある凝ったもので、カバーの絵の部分がバーコ印刷になっていて、ツヤツヤとレリーフ状に盛り上がっています。カバーを外すと、本体は黒いマットなクロス装のハードカバーで、そこにタイトルやシンボルが、黒のグロスでエンボス箔押し。本体には、リボン状の栞も付いています。そして、ご覧のようなキャリング・ケース入り。
というわけで、内容、品質、共に価格に見合った高品質でした。円高の今だと、逆に、これでこの値段は安く感じるくらい。
幸い、日本のアマゾンでも取り扱っています。現時点では、まだ発刊前の予約状態になっていますが、私はそこで予約していたのが今日届いたので、そろそろ入荷するのでは。
“XXL” Tom of Finland (amazon.co.jp)
ただ、ちょっと気になることがあって、実は以前、同じTASCHENから出た、トムの”The Complete Kake Comics”という本が、日本のアマゾンで予約を受け付けていたにも関わらず、発売直前になって、急に取り扱いがなくなってキャンセルされたことがあったんです。その例を考えると、ひょっとしたらこの”XXL”も、後になって取り扱いがなくなったりもしかねないので、入手は早めの方がいいかも知れません。
<続報>
やっぱり、なくなっちゃいました……。
<続々報>
と思ったら、また復活しました。
“XXL” Tom of Finland (amazon.co.jp)
<続々々報>
と思いきや、また消滅したり復活したりの繰り返しで、もうワケワカラン状態。
“Uncensored” by Joe Oppedisano
Joe Oppedisano(ジョー・オッペディサーノ……でいーんだろーか、読み方は?)は、アメリカのカメラマン。
ファッション写真からメールヌードまで、幅広く手掛けている人ですが、何と言っても私にとって魅力的なのは、BDSMやラフ・セックスの香りが濃厚な、一連の野郎系メールヌード写真です。特に、2006年にBruno Gmunderから出た第一作品集”Testosterone”は、ここ数年のメールヌード写真集の中でも、一番といっていいくらいのお気に入りでした。
そんなOppedisanoが、第二作品集”Uncensored”を発表。「無修正」というタイトル通り、セクシャルな表現という意味では、手法の過激さが増し、いわゆるポルノ写真との境界線が、限りなく曖昧になっています。
もちろん、前作”Testosterone”で見られたような、シンプルかつスタイリッシュなメールヌードとか、レザーやユニフォームやボンデージといったフェティッシュ味、暴力的なセックスを連想させる描写などは、今回も健在なんですが、前作はそれらが、あくまでもスタイリッシュなラインを崩さず、ポルノグラフィ的にはギリギリのところで寸止めされていたのに対して、今回はどうやら、そういったスタイルを意図的にはぎ取ったようで、より直截的で生々しく「性」を表現している。
一例を挙げると、例えば”Testosterone”に収録されていた、廃工場内で縛られている警察官の写真は、後ろ手に掛けられた手錠、ダクトテープの猿轡、はだけたシャツと膝まで降ろされたズボンとパンツといった具合に、暴力と性の臭いを濃厚に漂わせながらも、直截的なセックスの描写は、股間に警棒をダクトテープで固定し、それを屹立させるといった具合に、あくまでも比喩的に表現されていた。
ところが、今度の”Uncensored”では、例えば、レザーギャッグをされ、後ろ手に縛られた刺青マッチョの股間には、剥きだしの男根が隆々と勃起している。或いは、両腕を挙げてチェーンで縛られ、汚れた床に座り込んだ全裸の男が、半勃起したペニスの先から尿を迸らせ、その瞬間をカメラが捉えている。
また、路地裏や公衆トイレでは、レザーマンや、レスリングやアメフトなどのユニフォームに身を包んだマッチョたちが、相手の性器に舌を伸ばしていたり、さらにはっきりと口中に入れていたり、はたまたリミングしていたり、と、明白なオーラル・セックスが描かれている。
更に、グローリーホールから付きだしたペニスのアップでは、穴の周囲は白濁した液体で汚れ、公衆トイレの床に這って、尻を突き出している男の肛門からは、白い液体が噴水のように迸り、更には、少し口を開いたアヌスのアップから、白濁液が滴り落ちている、など、疑似ではあるのだろうけれど、あからさまな精液のイメージも登場する。
もちろん、そういった路線と並行して、前作同様の、スタイリッシュで非ポルノグラフィー的な作品も収録されていはいるんですが、前作で見られたような、コンポジションの厳密さや演劇的な人工性は、かなり薄くなっている。まるで、自らの作家性というものを追求していった結果、様式美のような表層的な要素や、パブリック・ベースのファッション性から離れ、よりパーソナルでコアなもの、つまり、作家本人の、個としての欲情を最重要視する、エロティック・アートに接近しているように見える。これは、個人的に大いに好感度が大。
また、エロティック・アートという文脈で言うと、前作でも見られた、トム・オブ・フィンランドへのオマージュ作品が、今回もしっかり入っていました。こういった、自分に影響を与えた先達、それもエロティック作家に対して、公にリスペクトを捧げるという姿勢も好きです。
というわけで、かなりオススメできる写真集です。
中身のサンプルについては、ちょっとこのBlogで紹介するのは憚られるので、とりあえずサンプルが見られるページにリンクを貼っておきます。でも、リンク先で見られるのは、実はこれでも「ソフト」なページだったりします。
この写真集、ありがたいことに日本のアマゾンで扱われているので、欲しい方はお早めにどうぞ。
“Uncensored” Joe Oppedisano (amazon.co.jp)
さて、ついでに前作”Testosterone”についても、今まで書いたことがなかったので、ちょっと紹介してみましょう。
前段でも触れたように、”Testosterone”では、レザー、タトゥー、ユニフォーム、ボンデージ、スポーツ、バイオレンス……といった要素が、フェティッシュかつスタイリッシュに描かれています。
エロティシズムの表現の違いに関しては、前段で述べたこと以外にも、”Uncensored”は、比較的「白日の下に赤裸々にさらけ出す」というようなニュアンスが強いのに対して、この”Testosterone”では、「暗がりの中にひっそり浮かび上がる」といった感じのものが多い。じっさい、写真の背景も黒バックだったり、何かが写り込んでいる場合も、”Uncensored”のそれよりも暗く沈んでいます。
照明も、スポットライト的に明暗をくっきりと浮かびあがらせるものが多く、暗い背景とも相まって、何だかカラヴァッジオのような雰囲気があり、正直に言うと、映像的な質感だけに限って言えば、私はこの”Testosterone”の方が好みだったりもします。
また、”Testosterone”では、取っ組み合い、殴り合い、リンチ、レイプといった暴力的なシーンを、血糊なども使って演劇的に描いた一連の作品があり、こういった傾向も好きだったんですが、残念ながら”Uncensored”では、そうした純粋暴力的な要素は後退しています。
一方、作家性としては、”Testosterone”の段階では、まだ固まりきっていないというきらいがありました。没個性的な作品も、数は少ないものの、混じっていたし、先達からの影響も色濃かった。しかし、”Uncensored”になると、似たようなコンポジションのピンナップでも、性的な誘惑やエクスタシーを示唆する等、表現として、より挑戦的でパワフルなものになっていて、作家性も強くなった。
つまり、改めて二冊並べて見ると、「けっこう好きなカメラマン」だったのが、「大いに興味を惹かれるアーティスト」に変わった、って感じです。
というわけで、どちらの写真集も、単品でも充分に良い内容なんですが、二つ見比べるとより面白くなるので、機会があったら、こちらもぜひ入手をオススメします。
こちらの内容見本は、カメラマン本人のサイトのギャラリー・ページで、収録作品がけっこう見られます。Edge Gallery、Erotic Gallery、Sport Gallery、Tom of Finlandといったコンテンツが、”Testosterone”の主な収録作。
ただ、書籍の方は残念ながら、日本のアマゾンでは扱っていないので、こっちはアメリカのアマゾンにリンクを貼っておきます。
“Testosterone” Joe Oppedisano (amazon.com)
さて、このJoe Oppedisano、今後はどういった方向に進むのか、そこも興味が尽きません。
しかし、”Uncensored”のエピグラフには、フランク・シナトラの言葉が、まるで決意表明のように、力強い手書き文字で引用されています。
内容を簡単にまとめると「自分は、自分が口に出来る量以上のものを口に入れてきたが、いつだって、口に合わないものは吐き捨てた。人間が自分自身でいられないのなら、それは無価値だ。真実を語れ、おべっかは無用だ。自分は、自分が思うままに生きてきた」といった感じ。
これを読むと、もう大いに期待してしまいますね。
“Dictionnaire de l’amour et du plaisir au Japon”
フランスから、アニエス・ジアール(Agnès Giard)の新著、”Dictionnaire de l’amour et du plaisir au Japon”が届きました。昨年暮れには出ていた本なんですが、いろいろトラブルがあったらしく、約一ヶ月半遅れで到着。
前にここで紹介した、同著者による”L’imaginaire érotique au Japon”の、姉妹編といった感じの分厚い大判本で、内容は、日本のエロティック文化の様々な事象を、テキストと新旧織り交ぜた豊富な図版で紹介していく、いわば「日本エロ文化エンサイクロペディア」といった趣。
図版を提供している作家は、北斎や国芳の浮世絵や、責め絵の大家・伊藤晴雨、昭和30年代の風俗雑誌の大物・喜多玲子(別名・須磨利之、美濃村晃)を始めとして、順不同でざっと列記しますと、沙村宏明、根本敬、福満しげゆき、花くまゆうさく、早見純、大越孝太郎、平口広美、金子國義、西牧徹、天野喜孝、奥津直道、宇野亜喜良 、太田蛍一、水野純子、市場大介、荒木元太郎、渡邊安治、エトセトラ、エトセトラ。
で、私も図版を数点提供しているんですけど、どんな風かというと、こんな感じで載っています。
因みにこれは、昨年のフランスで開催した個展に出品した『七人の侍〜侍之参・水』なんですが、べつに「カッパ」という項目ではなく(笑)、「フィストファック」という項目の図版です。例によってフランス語はサッパリ判らないんですが、本文中に私の名前が出ているのを見ると、前にここでちらっと紹介した、この作品に添えた自作解説が参照されているのかも知れません。
というわけで、フルカラーだし、1ページ大、見開き大の図版がバンバン入ってるし、本文を読めなくても画集的にたっぷり楽しめる本なので(個人的には、奥津直道さんの作品の中でも特に好きな、蜘蛛のヤツと鯉のヤツが、1ページ大でデカデカと楽しめるのが嬉しい!)、興味のある方は、amazon.fr.で注文なさるのもヨロシイかと。
オーストラリアの企画展、続報
先日ここでお伝えしました、今月24日からオーストラリアはシドニーで始まる企画展”Boys Life by 30 Japanese Artists”ですが、オープニング・パーティーで、シドニーのニューサウスウェールズ大学のドクターで、私の作品を良く知っているという方が、スピーチをしてくださることになった……と、主催者から連絡がありました。
で、ちょっとビックリ。
というのも、だいぶ前に、同大学の言語学部で日本学を教えているというドクターから、サイト宛てにメールを貰ったことがあったんです。
どういうメールだったかというと、私の作品についての論文を書いているのだが、そこで使用する図版について、正式に私の許諾を得たい、といった内容でした。確か、もう二年くらい前のことです。
そしてつい先日、ようやく研究が完成したとのことで、まだドラフトの状態でしたが、その論文(ちなみに、「田亀源五郎のエロSMマンガにおける男らしさの表現」とゆータイトルでした)の第一稿を送ってくれました。
というわけで、おそらく同じ方なんじゃないかと、主催者に問い合わせてみたところ、やっぱりそうでした。
まあ、どちらも同じシドニーなので、ひょっとしたら企画展を見に行ってくれるかな、なんて、仄かに期待はしていたんですけどね。こうやって、まったく別のルートで進めていた話が、偶然なのか一つに重なったりすると、海の向こうのことだけに、何だか感慨深いものがありますね。
オーストラリアというと、以前にもパースのマードック大学で、アジアにおけるジェンダーと歴史と文化の交錯という括りの中で、拙著『日本のゲイ・エロティック・アート vol.1 ゲイ雑誌創生期の作家たち』についての論文が発表されたことがありました。
自分のやってきた仕事に対して、こういった学究方面からの論文が、同じオーストラリアで二つ出たのは、何だか不思議な気がします。日本を含めた他の国では、まだそういった例は聞いたことがないので。
さて、前述した私のマンガについての論文ですが、流石に私は英語の論文をスラスラ読めるスキルはないし、それどころか、辞書を引き引き読んだって、正確な文意は掴みきれない部分も多々あるんですけど、いちおう読める部分だけ、ざっと目を通してみました。
で、またビックリ。
読み込みがものすごく細かく、かつ正確。私が作品中に配置した、目立たないながらも意味は持たせているといった、半ば自己満足的なディテールについても、しっかりと指摘し、かつ正確に分析されている。それについて、今まで誰からも指摘されたことがなかったことも含まれていたので、ちょっと感激しちゃいました。
この論文が完成したら、何とかパブリックな場でも公開されるといいな、と、願っております。
一つ、余談。
この論文中でも幾度も出てきたんですが、最近、マッチョ系のゲイ文化の周辺で、良くhyper masculineという言葉を目にする。で、これってどう日本語に訳せばいいんだろう、なんて、論文を読みながら、ちょっと考え込んじゃいました。
とりあえず「超男性性」なんて言葉を思いつくんですけど、どうもこれが、何となく落ち着かない感じがする。
まず、そもそもの「男性性」という言葉自体に、何となく違和感があるんですよ。いや、意味性とかそういう問題じゃなく、単純に見た目の話で、「性性」という、同じ漢字が二つ続いた字面が、何だか変。かといって、「重々」とか「軽々」みたいに「男性々」と書くと、もっと変な感じがするし。
次に、hyperが「超」でいいのか、ということ。何となくのイメージですが、hyperにはもっと「過剰な」といったようなニュアンスがあるように感じるんですよね。対して、superが「超越した」って感じ。だから「超」だと、superであってhyperではないような気がする。ま、私の勘違いか、思い過ごしのせいかも知れませんけど(笑)。
あ、でも「チョー気持ちいい」とか「チョーかわいい」なんていう、口語的な「超」には、「過剰」というニュアンスも含まれるような気もするなぁ。
あと、もう一つ。これはまあ、連想ゲーム的というか、些末なことでしかないですけど、「超男性性」という言葉を見ると、反射的にアルフレッド・ジャリを連想しちゃって(笑)。で、あれとはちょっと違うだろう、と(笑)。ま、これは私個人の勝手な思いこみですが(笑)。
まあ、仮にmasculineを「男らしさ」だとすると、この「男らしさ」という言葉からして、そもそも「過剰」に「男」である、といった感じがある。で、それが更に「過剰」になったのが、hyper masculineという言葉だとすると、そんな過剰に過剰を重ねたトンデモナサを、上手く表現するのには、いったい何て言葉が相応しいのかなぁ……なんて、つい延々と考えこんじゃった(笑)。
まあ、べつに私は翻訳家じゃないから、ドーデモイイっちゃあドーデモイイんですけどね(笑)。