サーバダウンで繋がらなくなっていた本家サイトですが、どうやら復旧した模様です。
メールサーバも復活しましたが、ひょっとしたら5/31〜6/3の間に出された、アドレス末尾tagame.orgのメールに関しては、私のところに届いていない可能性があります。
特に、スケッチブログのパスワードの希望メールを出したのに、まだ自動返信メールが届かないという方、もしいらしゃいましたら、お手数ですが、もう一度請求メールを同じアドレス宛にお出しください。
以上、お知らせでした。
「雑記」カテゴリーアーカイブ
本家サイトが繋がらない件に関して
つれづれ
先日、ナルニア映画第二弾『カスピアン王子の角笛』を鑑賞。前作で感じた「原作に忠実であるがゆえの物足りない感」がかなり解消されていて、なかなか楽しめる出来でした。さて、次の『朝びらき丸』では、監督の交代が吉と出るか凶と出るか。
DVDは、岡本喜八の「暗黒街BOX」と、近所のTSUTAYAで三枚三千円になってた廉価版の「ヒッチコック劇場」をまとめ買いしたので、それぞれ交互に鑑賞中。
音楽は、エジプト国立アスワン民族芸能団の来日公演を見に行きました。大好きなヌビア音楽と、素朴で陽気で、でも迫力もタップリな踊りを、存分に楽しめて大満足。あ〜、またエジプトに行きたくなった(笑)。
CDは、旧譜を引っ張り出して聴き直してばかりで、これといって目新しいものは入手していませんが、自作の方は、友達に頼まれてアレンジをやったり、MIX違いを試したり、その流れでもう一曲作ったり、あれこれと。
本は、ポット出版さんから『英語で新宿二丁目を紹介する本』をいただきました。著者は森村明生さんことエスムラルダさん、監修が松沢呉一さんと、個人的にご縁浅からずの方々。
語学専門出版社、語研さんとのコラボレーション企画だそうで、来日したアメリカ人に日本人が新宿二丁目を案内するという設定で、英会話と日本語会話が併記されています。
英会話云々は関係なく日本語の部分だけ読んでも、新宿二丁目の概要を知るための入門書的にも役立つのが面白いです。かつての赤線の建物が残っているあたりの話とか、ぜんぜん知らなかったので、読んでいて「へぇ〜」と感心してしまいました。
マンガは、復刻版の『ライオンブックス』全二巻と『描きかえられた「鉄腕アトム」』で、プチ手塚フェア状態。前者は美麗でカッコイイ表紙絵の数々を大判カラーで楽しめるのが最高、後者は文字通り重箱の隅をつつくような内容の細かさにビックリの労著。
画集は、超絶技巧ペン画のマエストロ、“Franklin Booth: Painter With a Pen”と“Joseph Clement Coll: A Legacy in Line”を、それぞれ購入。正確無比な描線でカッチリと硬質な画面を描くフランクリン・ブースと、躍動する描線と大胆な明暗法で勢いのある画面を作るジョセフ・クレメント・コール、作風は好対照ですが、いずれも溜め息が出るような「匠の技」を堪能できます。
そうそう、本と言えば、昨年の11月末に出た拙著『外道の家(上巻)』ですが、今月号の「バディ」で在庫稀少になっていたところ、さっきネットで確認したら、既に版元では在庫切れになっていました。
増刷等の話は来ていないので、おそらく残るは店頭在庫だけのようです。ゲイショップのネット通販でも、既に売り切れになっているところがあるので、お買い求めはお早めに。
お絵描きの方は、仕事の合間に、例によってラクガキをちょこまかと。先月中頃から、本家サイトの方でパスワード制のスケッチ・ブログを始めたので、そのうちそっちにアップするつもり。
ああ、お絵描きとは違うけど、これまた友人に頼まれて、久々にグラフィック・デザイナーもやりました。公演のフライヤーやプログラムで、ゲイでもなけりゃエロでもない内容。しかし、Illustratorを立ち上げるのって、ホントたま〜にしかないんで、いっつも作業開始時には、使い方を忘れちゃっていて困ります(笑)。特にショートカットは、もうぜんぜん覚えられない(笑)。
あと、今月は何だか海外からのお客様が多くて、フランス人、シンガポール人、イタリア人と、続けざまにお会いしました。その他にもメールで、アメリカ、スペイン、オーストラリアから問い合わせが。
こういったあれこれが、また何か新しい面白いことに繋がればいいな〜、などと期待しております(笑)。
海外と言えば、前回のエントリーでMidoriさんの写真を載せたら、それを見たアメリカの2004年度ミスター・レザー・ベアー(前にファンメールを戴いて以来、何度かメールをやりとりしている方です)が、「自分もMidoriとセッションしたことがあるんだよ〜」と、Midoriさんが撮った彼のボンデージ写真を送ってきてくれました。
ふふふ、こーゆーのは役得ですな(笑)。
フランスの個展の写真
フランスで現在開催中の個展の写真を、サンフランシスコに拠点を置き、ライターやパフォーマーやカメラマンとして、欧州でも活動しているアーティストMidori(美登里)さんが送ってくれました。
左の写真の「七人の侍」の両脇、左がギャラリー・オーナーのオリヴィエ、右が美登里さん。右側の小さな白黒ドローイングは、昔「さぶ」に描いた小説挿絵の白描ですな。右下にピンが立っているところを見ると、どうやら売れたみたい。嬉しい嬉しい(笑)。
連作「七人の侍」は、一つの額に全点を入れてありますが……う〜ん、狙いは判るんだけど、「七曜をベースに、オーバーチュアーとコーダで挟んだ組曲的なもの」という、連作のコンセプトからはズレちゃってるなぁ。これだとちょっと、配置が感覚的過ぎる。やっぱりこういう細かな部分は、自分で現地に行って指示しないと、難しいものがありますね。
美登里さんとは、まだ実際にお会いしたことはないんですが、メールをいただいたのをきっかけに、MySpaceなんかでちょくちょくやりとりをしています。サイトを拝見すると、フェティッシュやボンデージやキンキー系で、いろいろと面白そうな活動をなさっているんですが、個人的に一番気になるのは、廃墟の中でレザーマンをボンデージして撮影した、一連の写真シリーズ。ここで見ることが出来ます。
『タブウ』およびヴァルター・シュピース追補
前回の記事を書いた後、ヴァルター・シュピースについて、もう少し詳しく知りたくなったので、とりあえず手頃そうな『バリ島芸術をつくった男 ヴァルター・シュピースの魔術的人生』(伊藤俊治・著/平凡社新書)という本を読んでみた。
結論から言うと、残念ながらF・W・ムルナウとの関係については、シュピースのドイツ時代のバイオグラフィー関係や、交友がバリ移住後にも続いていたということ、ムルナウの『ノスフェラートゥ』がシュピースの写真作品に与えた影響(特に魔女ランダを撮影したもの)などについて、軽く触れられているのみで、特に目新しいものはなかった。
しかし、「南海を舞台にした映画を共同でつくるというプランも二人の間にはあった」という記述があり、これは『タブウ』という映画の成立要因を考えるにあたっては、なかなか興味深い事実だと言えそうだ。
またこの本は、シュピースとムルナウの関係については、前述した通りではあるが、シュピースという作家の生涯や、彼がどのようにしてバリの文化に関わり、バリ舞踏やバリ絵画が現在知られるような形に至ったのか、その経緯や時代背景や思想はどういったものであったのか、などといったことについては、とても判りやすく解説されているので、シュピースやバリ芸術に興味のある方ならば、読んで損はない内容である。
さて、それとは別に、私がこの本を読んで、もう一カ所、興味を惹かれた部分があった。それは、1983年にシュピースが、「同性愛の罪」によって逮捕されたことに関する、その時代的な背景についての記述である。(ただし本書では、この部分以外には同性愛者について述べている部分はないので、「同性愛者としてのシュピース」の実像を本書から伺い知ることは、残念ながらほとんど出来なかった)
では、まず以下の引用をお読みいただきたい。
「1930年代末になると、ファシズムの影が濃くヨーロッパを覆いつくし、それが世界中に広がってゆくようになった。ヒットラーの台頭と日本のアジア侵略は、インドネシアを統治しているオランダ政府にも大きな影響を与えた。(中略)
そして何十年もの間、暗黙に了解されてきた慣習が突然、秩序にとって危険なもののように見えはじめ、いわゆる"魔女狩り"が主として性道徳上の問題(特にホモセクシュアル)に対して向けられていった。ジャーナリズムも同調し、そうした人々に対し悪意のこもったキャンペーンを始めるようになり、家宅捜索状が出され、警察が容疑者たちを次々と取り調べ始めた。
(中略)わずか数ヶ月間に、インドネシアでは風紀紊乱(ホモセクシュアル)による容疑者が百人以上も逮捕され、多くの人々が同じ事態が自らの身にも起こるのではないかという不安におびえ暮らしているありさまだった。自殺、免職、結婚の解消などが相次ぎ、バリでもそうした状況を免れることができなかった」
私が興味を惹かれたのは、こうしたカタストロフが起きる以前の状況、すなわち同性愛が「何十年もの間、暗黙に了解されてきた」という状況である。
では、なぜそれに興味を惹かれたのか。
それは、その状況が現在の日本と同じだからである。
日本では、欧米で見られるヘイトクライムのような、いわゆる目に見える形としての「ゲイ差別」は、幸いにして殆ど見られない。また、ある種の宗教的基盤のような、同性愛を絶対的な悪とみなす価値基準も、おそらくは文化的に存在していない。
ただし、どの社会でも一定数はいるであろう、同性愛を道徳的に悪しとする層は、日本社会の中にも確実に存在するであろう。じっさい、ネット上の匿名の場においては、本気なのか露悪趣味的な行為に過ぎないのかは別としても、そういった論調にお目に掛かることは、決して珍しくはない。
では、なぜそれが実社会で表面化していないかといえば、それは単に、そういった人々を後押しする大義名分が存在しないということと、そういった行為自体が、現在の社会というシステムの中で「良くないこと」とされているからである。仮に、宗教右派のような思想が後押しをすれば、同性愛批判は「正しい」という信念のもとに表面化するであろうし、社会というシステム自体がそれを制約しなければ、やはり同様の結果になる。欧米におけるキリスト教右派による活動などは、前者に相当するし、中東などのイスラム国家における同性愛差別は、前者と後者と共に相当する。
つまり、極論を恐れずに言うならば、日本における「ゲイ差別がない」状況というのは、社会というシステムによって「何となくそういう状況に置かれている」ということでしかない。
これは前述した「何十年もの間、暗黙に了解されてきた」という、1930年代の「同性愛者狩り」が始まる前オランダ領インドネシアの状況と、実は何ら変わることはないのだ。
しかし、その同じ「暗黙の了解」が、1930年代、ほんの数年のスパンで、社会のパラダイム・シフトによって崩れた。それまで表面化していなかったものが、大義名分や社会不安の影響といった後押しを得て、政治的な力となって顕在化したのだ。これは見方を変えれば、状況次第ではそうなって然るべき潜在需要が、かつての「暗黙の了解」の時代の中でも、既に存在していたのだとも言えよう。
そして、シュピースはその犠牲となった。(ただし、シュピースは後に釈放はされている。彼の直接的な死因となった、収容所間の移送中の爆撃において、その拘留理由となったのは、ドイツのオランダ侵攻による「敵国人」であるということだった)
このことは、同性愛を「何となく」寛容している「暗黙の了解」というものが、社会というシステム自体が変化していく局面においては、いかに脆弱なものであるかということを指し示している。
では、同様のことが現在起こったならば、いったいどうなるだろう。
欧米に関しては、同性愛者側からの抵抗がはっきりと出て、簡単に同じ結果にはならないであろうことが、充分想像できる。目に見える差別に晒されてきた欧米の同性愛者たちは、現時点において既に、政治的にも経済的にも、ある程度以上の行動力は持ち合わせているからである。
しかし、日本ではどうだろう。
これまで日本では、前述のように表面化したゲイ差別がないためもあり、団結や主張、或いは防衛の必要はなかった。権利を侵害されることはないが、同時に権利を主張することもなかった、あるいはする必要がなかったのだ。
日本におけるゲイのライフスタイルは、一例を挙げれば、その多くがウィークデイやデイタイムは「普通に生活」しながら、夜や週末や自宅のパソコン・モニター上でのみ「ゲイライフ」を満喫するという、「日常と分離した非日常としてのゲイ」なのである。よって、そういった非日常としてのゲイ・ビジネスは、ある程度以上には盛んであるし、社交を目的にするにせよ、性的な充足を目的にするにせよ、そういった場には事欠かないという、楽しいゲイ・ライフを満喫できる恵まれた状況にある。
しかし、例えばLGBT向けのTVネットワークであるとか、書店で普通に買えるエロだけではないLGBT雑誌であるとか、あるいは同性婚であるとか、そういったものになると、これらはいずれもゲイ文化、あるいはゲイという主体が、日常レベルでも機能している、あるいは消費の対象となっているがゆえに、初めて機能しうる類のものである。だが、日本では「日常」において、ほとんどのゲイが「姿の見えない存在」である以上、マーケット自体が存在しないのと同様なので、当然のように、前述したような類のものも存在しえない。
このことは、例えばカミングアウトしていないゲイが、家族や友人、仕事の同僚などの前で、明確に「ゲイ向け」の商品を購入することができるかどうかを考えれば、分かりやすいであろう。現時点での日本のような、日常化していないゲイ・マーケットの消費層にとっては、「ゲイ向け」というそのものズバリではないが、「ゲイ受けのする」とか「実はゲイらしい」といった、ゲイ・コミュニティー内である程度の共通認識がありつつ、しかし「ゲイとは何の関係もない」というエクスキューズも可能な「商品」までが、精一杯なのである。
こういった現象の是非は別にして、それが結果として、日本のゲイの置かれている現状が、欧米におけるそれとは異なっている状況をもたらしている。それは、政治や経済といった「日常」においては、日本のゲイ・コミュニティーは全く力を持っておらず、また、行動を起こそうともしていないということである。
過去に何度か、ヘテロセクシュアルのサイドから、政治的に、あるいは経済的に、欧米同様にゲイという潜在人口を期待したアプローチをしたことはあった。しかし、そのいずれもが期待された成果は得られなかった。つまり、他ならぬゲイ自身が、それに賛同することなくオミットしたのだ。このことからは必然的に、多くの日本のゲイ自身が、ゲイがあくまでも「非日常」のままであることを望んでいるのであろうと思わされる。ゲイが日常化することを希望する人口は、却って少数派なのであろう。
こういった現状を踏まえて、社会的なパラダイム・シフトが起こった場合、日本のゲイがそれに抵抗できる力を持ち合わせているかを考えると、残念ながら個人的には、どうも悲観的な予測しかできない。
しかも恐ろしいことに、前述した1930年代のオランダ領インドネシアにおける「同性愛者狩り」は、同種の行為で知られるナチス・ドイツによって行われたのではなく、ナチスに対立しつつ、その影に脅かされていたオランダにおいて、社会的不安を背景にして生まれている。ファシズムという、いわば分かりやすい「悪」の所産ではなく、それに対峙する存在であるかのような、本書の表現を借りると「普段は明晰で合理的な考え方を持つオランダ人たち」の手によってなされたのだ。これは、こういった「同性愛者狩り」が、ナチスの優性思想などとは異なる類の、より普遍的な人間社会のありようである可能性を指し示しているようで、ある意味で、絶滅収容所よりもそら恐ろしいものを感じる。
日本は差別もなく、ゲイにとっては住みやすい国かも知れない。しかし、その安穏さの立脚基盤は、慣習的な曖昧さに基づいているものであるがゆえに、同時にひどく脆弱である。そして、こうした曖昧さは、ゲイにとってのカタストロフが起こった際には、何の力にもなりえないであろう。
本書でヴァルター・シュピースの晩年について読み、改めて、そんなことについて考えさせられた。
パリ絡み2本
パリ絡みで、一つ新情報です。
ゲイ雑誌でもお馴染みの、画家の奥津直道さんからお知らせをいただいたんですが、直道さんが所属していらっしゃるヴァニラ画廊の作家21人を集めた展覧会「現代日本のエロティックアート展」(Japon Erotica – la nouvelle generation)が、パリ市内にあるエロティック・ミュージアム(Musee de L’erotisme)で開催中だそうです。
直道さんも数点作品を出展なさっているとのことなので、渡仏のご予定がある方は、ぜひ足をお運びになってください。
・エロティック・ミュージアムのサイト
・展示詳細(ヴァニラ画廊のサイト)
因みに、期間が2008年4月3日〜10月16日と長期なので、夏休みの旅行とかでも充分間に合いますよ。
お次に、私の個展絡みの近況。
個展で販売される『七人の侍』のプリントセットには、制作コンセプト、七曜や陰陽五行の解説、各作品の解題などを記した、解説文書が同梱される予定です。
で、だいぶ前に、それを苦労して下手な英語で書いて(約2000ワードの文章を書くのに、丸々三日かかった……)、「これを元に仏訳を作ってね」とメールで送っていたんですが、今になってオリヴィエ(ギャラリー・オーナー)が、「このまま英文で使う」とか言ってきたもんだから、もうビックラギョーテン。
え〜い、あんなブロークンな英語を使われてたまるか、恥ずかしい! とゆーわけで、慌てて普段から懇意にしているアメリカ人のファンの方に、マトモな英語にトリートメントしてくれないかと打診。快く引き受けてくれて、翌日には早くも修正版が届きました。
で、それをフランスに送って、ようやく一安心。
因みに、どんなもんかといいますと、例えばこれが私が書いたブロークン・イングリッシュ版からの抜粋。
3) 水 Wednesday (Water)
In Japanese folk tales, there are many fascinating specters. This Kappa who lives in water is most popular one. A lot of Japanese artist loved to draw this little creature. For example, Ogawa Usen (Japanese-style painter), Shimizu Kon (cartoonist) and Mizuki Shigeru (comic artist). And if you like Japanese animations, you may have heard about Hara Keichi’s wonderful film “Summer Days with Coo” what was made in 2007.
Kappa likes to eat cucumbers, and likes to to do Sumo wrestling with a human being. But most interesting thing for me, Kappa likes to push his arm into men’s asshole, to take men’s “Shirikodama”. What is Shirikodama? It is a imaginary organ, and is believed that there is inside a male’s asshole. And the folk tale told that, when a man who is taken his Shirikodama by Kappa, must lose his power and his manliness.
This legend is looks like an allegory of “a man who was anal raped”. And thinking that, this little creature was already enjoying fist fucking, since the age of the fairytale, is very amusing for me.
で、こっちが彼が修正してくれたバージョン。
3) 水 Wednesday (Water)
In Japanese folk tales, there are many interesting spirits. Kappa, who lives in water, is an especially popular one. Many Japanese artists have depicted this little creature, among them, Ogawa Usen (a Japanese-style painter), Shimizu Kon (a cartoonist) and Mizuki Shigeru (a comic artist). Devotees of Japanese animated cartoons, may have heard about Hara Keichi’s wonderful film “Summer Days with Coo,” made in 2007.
Kappa likes to eat cucumbers, and likes to engage in Sumo wrestling with human beings. But the most interesting thing for me is that Kappa likes to insert his arm into a man’s anus, to steal his shirikodama. What is shirikodama? It is an imaginary organ, believed to be inside a male’s rectum. According to the folk tale, when a man’s shirikodama has been stolen by Kappa, he loses his power and his manliness.
This legend is an obvious symbol for anal rape; but I also delight in thinking that the little creature enjoyed fist-fucking, way back in the age of fairytales!
流石、ラストの一文なんか、とても自然な感じになっている……って、当たり前だけど(笑)。
更にこの彼、友人の学者さんに頼んで、仏語訳も頼んでみてくれるとのこと。個展に間に合うかどうかは微妙ですが、いやありがたいことです。
先日の記事では、ギャラリーのサイトがまだ更新されていなかったので、キャラリーオーナーのMySpaceの方にリンクを貼りましたが、遅ればせながら、本家にもようやく情報が掲載されました。とゆーわけで、リンクも改めて張り直し。
・ArtMenParis Gallery
こちらは5月5日から6月26日まで。この期間中にパリに行かれる方は、ぜひ直道さんと私と二つハシゴしてご覧くださいませ。
つれづれ
ここのところ連日、『ザ・チャイルド』『ファンタズム』『パンズ・ラビリンス』と、発売を楽しみにしていたDVDが届いてホクホクなんだけど、現在我が家では、HBO&BBCのテレビシリーズ『ROME ローマ』を連夜鑑賞中なので、これらの封を開けるのは、まだまだ先になりそう。
で、『ROME』ですが、期待に違わぬ面白さですな。歴史ドラマ的な要素と昼ドラ的な要素が、上手い具合にミックスされていて、実にいい塩梅の娯楽作になっている。第一話からいきなり、フロッギングだの、敗将が衆目に晒されながら素っ裸に引ン剥かれて、敵将の前に跪かされるだのといった、美味しいシーンもあるし(笑)。
まだ第八話までしか見てないので、当分の間は楽しめそう。
音楽は、ちょっと前まで Social Harp とかShape Notes とか呼ばれる、18世紀アメリカの宗教合唱曲にハマって、良く聴いていました。映画『コールド・マウンテン』で使われていたのを聴いて、宗教曲らしい荘厳さと、民衆的な素朴さが入り交じった美しさが、 すっかり気に入っちゃいまして。
で、何枚かそれ関連のCDを探して購入してみたんですが、洗練され過ぎていたり荒削り過ぎたりで、どうも帯に短し襷に長しというものばかり。未だに、これといった決定盤に巡り会えないのが残念。
読書は、オルハン・パムクの『わたしの名は紅』という本を、ちまちまちまちま、ゆっくり時間をかけて読んでいます。オスマン・トルコ時代のイスタンブールを舞台に、一人の細密画家が殺されるところから始まる、ちょっとウンベルト・エーコの『薔薇の名前』みたいな感じの話。
マンガは、ここんところあまり積極的に読もうという気分にならず、もっぱら献本で戴いた雑誌オンリーだったんですが、久々にガツンと手応えのありそうなものを読みたくなったので、近所の本屋さんの平台に並んでいた中から、江戸川乱歩×丸尾末広の『パノラマ島綺譚』と、沙村広明の『ブラッドハーレーの馬車』を買ってみました。どちらも大いに読み応えありで、大満足の読後感。
仕事の合間には、息抜きも兼ねて、イタズラ描きなんぞをつらつらと。
例えば、こんなの。珍しく二次創作で、しかも女性の絵です。
私は、ファンアートは殆ど描くことがないんですけど、先日珍しく、描いてみたい気分になったので、こんな感じになりました。元の作品が何なのかは、まあ言わぬが花ってことで(笑)。
因みに「あのキャラを、自分のタッチで描くと、どーなるんだろう?」ってな感じで描いていますので、元の絵とは、似ても似つかない造形になっています(笑)。でも、描いてみたら楽しくなっちゃって、ついつい同じキャラの別バージョンと、同じ作品に出てくる別キャラも描いてみたりして。
繰り返しますが、元の絵にはちっとも似ていません(笑)。
さて、オンナノコばかりじゃ色気がないので(……って、どーゆー理屈だって気もしますが)、野郎のイタズラ描きも載っけましょうかね。
マンガ用のキャラデザを兼ねた、イタズラ描きいろいろ。この中の一人は、現在作業中の短編マンガの主人公。
……とまぁ、こんな感じの毎日を送っております、という近況報告でした。
連作『七人の侍』
去年個展をしたフランスのギャラリーから依頼された連作絵画、さきほど完成。個展の時は『七つの大罪』というオーダーでしたが、今回のお題は『七人の侍』。ニッポン人といたしましては、いささかコテコテ過ぎじゃないかと思いますが、フランス的にはキャッチーなんでしょうね、きっと。
さて、『七人の侍』というお題はあるものの、テーマ的なオーダーはなかったので、そこいらへんは自分で考えなきゃいけない。連作である以上、通しテーマがあった方が、描く方としても見る人の側に立ってみても面白いし。とはいえ、まさか黒澤映画のキャラクターのポートレートを描くわけにはいかないし、この「全体のくくり」というところで、いささか悩んでしまいました。
七という数字で、しかも日本文化を踏まえて連想するものは……と考えてみて、最初に浮かんだのは「七福神」ってヤツだったんですが、いかんせん私の男絵のテーマには合いそうにない。亀甲縛りにされている福禄寿……なんて、どう考えてもギャグにしかならないし(笑)で、。次に思いついたのは「春の七草」だったけど、これも……ねぇ(笑)。スズシロ(大根)くらいだったら、まあ何とかネタも浮かぶけど、ナズナ(ぺんぺん草)とかはお手上げ。更にゴギョウだのホトケノザだのになると、もうどんな草かも良く知らない(笑)。
というわけで、七のつく言葉を探すために、今度は辞書をひいてみました。……どらどら。「七覚/仏教で悟りを得るための七つの要素」……面白いけどテーマとしては私には手強すぎ。「七観音/衆生救済のために七種の姿に変幻した観音」……へぇ〜、千手観音とか馬頭観音とかはこれだったのか、知らんかった。面白いけど、私よりも故・長谷川サダオ先生向きの題材だなぁ。お次は「七去/大載礼。妻を離縁できる七つの事由」……完全にハズレ。……ってな具合で、どうにも上手いネタが見つからず。
で、きっとこれは下手に背伸びするのがいかんのだろうと思い直し、もっと素直に考えることにしました。で、身近な七というと「一週間」というのがすんなり思い浮かぶ。余りにもヒネリがないような気もするし、あんまり和風という感じもしませんが、ちょっと調べてみたら、一週間という概念が日本に入ってきたのって、平安時代と、いがいと古いんですな。てっきり近世のことかと思っていたので、ちとビックリ。
でもって、日本における一週間の曜日の呼び方は、易教絡みの七曜(地上から視認できる移動する星)に基づいているらしい。そして、この七曜の名前は、太陽と月に陰陽五行を併せたものになっている。そうなってくると、惑星に神の名前が配されている欧米文化との差もでてくるし、陰陽五行も欧米の四大元素と比較できる面白みがある。
更にこじつけると、日本における曜日の誕生は、前述したように平安時代。そして武士の誕生も平安時代。まあ、じっさいはこの二つの間は、優に百年以上は離れているようではありますが、細かいことを気にしなけりゃ、共通項はちゃんとあるわけで……なんて感じで、調べているうちに乗り気になったので、「七曜」というテーマで「七人の侍」を描くことに決定しました。
テーマさえ決まってしまえば、こっちのもの。後は、それぞれの曜日に併せてどんなネタを描くか、全体の構成とかも踏まえて、楽しくアイデア出ししていきます。
まず、五行から外れる「月」から始まって「日」で終わる構成にして、この二つにプロローグとエピローグっぽいニュアンスを持たせつつ、間を五行に絡めたバリエーションをつけた男絵で繋いでいく感じにすると決定。それから、五行のキイワードからぱっと思いつく「描きたい」ネタを、優先して先に決めていきます。
うん、「火」で「箕踊り」を、「土」で「土八付」を描きたいなぁ。どっちも拷問処刑ネタだから、他の曜日には、もうちょっと軽めのネタも混ぜよう。だったら「水」で「河童」ってのはどうだろう。尻子玉を抜かれる侍なんて、絵にしたらフィスト・ファックだから面白いかも。あと、土八付は横位置で描きたいから、あと一点は横位置の絵も欲しいな〜、なんて感じで進めていきます。
全部ネタが揃ったら、ラフスケッチとかで形にしていくわけですが、今回の連作も、以前の『七つの大罪』同様、フランスのギャラリーでの展示販売のみ。日本での発表は未定なのが残念なので、ちょいとこのブログを使って、下絵を二点ほどお披露目です。
最近試してみた画材とか
最近、新たに試してみて、なかなか使い心地のよろしかった画材の話なんぞを。
*呉竹(くれたけ)/スーパー清書用墨滴(ぼくてき)
筆と水墨による白描用に購入。本当は開明墨汁を買いに行ったんだけど、近所の文具屋に置いてなくて、代わりにこれを買ってきました。呉竹だったら品質的にも信頼できると思って。
小皿にとって、水で薄めて使用。紙は普通のコピー用紙。墨がおろしたてということもあるのか、とにかく伸びが良い。用紙の吸い込みとも相性が良いのか、実に気持ちよくスイスイ運筆できる感じ。まだ一枚描いただけだけど、これから愛用品になりそうな予感がします。
作例は『外道の家・下巻』表紙イラストの一部分。これをパソコンに取り込んで、Painterで彩色しました。
*三菱鉛筆/uni COLOR(ユニカラー)カラー芯
シャープペンシル用カラー芯。色は六色あるけれど、私は下絵のアタリ用に使ってみようと思ったので、水色系のミントブルーを購入。家にあった、ステッドラーの製図用シャープペンシルに入れて使ってみました。
色鉛筆なのに消しゴムで消せる、が謳い文句。ワックスが配合されていないので、描き心地も色鉛筆っぽいツルツル感がないし、筆圧軽めでもしっかり色がのるので、使用感が極めて普通の鉛筆芯に近い。以前、別の色芯(消しゴムで消せないヤツ)を、マンガの下絵用にと思って使ってみたときは、どうにも描き心地が好きになれなくて、数回使っただけでお蔵入りしちゃってたんですけど、今度のは充分使えそう。ざっくり描きたいときは0.7mm、細かく描きたいときは0.5mmと、用途別の使い分けも可能。
作例のラクガキの、アタリをとっている水色の線が、これを使っています。
*Too/マンガペン
別の画材を買いに新宿のToolsに行ったとき見つけた、万年筆タイプのマンガ用ペン。ジャンル的には、タチカワの新ペン先なんかと同じタイプ。
タチカワのものと比べると、インクの出やノビが良く、線は太目。極細と中字の二種類ありますが、極細は付けペンで例えるとカブラペンって感じ。描き心地は、とてもなめらか。素早く走らせると、ヌキもけっこうキレイに出来ます。ペン先のフォルムが、タチカワのものより厚みが薄く角度がシャープなのも、私には使いやすくて合っている感じ。もう一方の中字の方は、線が若干ボタッとした感じで、もうちょっとミリペンっぽい感じになります。
作例のラクガキの主線は、ほぼこの極細一本で描いています。
*パイロット/HI-TEC-C(ハイテックC) 0.25mm
ゲルインキ・ボールペン。このシリーズの0.3mmと0.4mmは、既にマンガで良く使っているんですけれど、0.25mmは使ったことがないので買ってみました。
確かに、0.3mmより細めの線が引けます。でも、描き心地自体は変わらぬなめらかさ。最近、マンガの背景はほとんど0.3mmで描き、細かなタッチのみスクールペンや丸ペンで追加、ってなパターンだったんですが、この0.25mmなら、そーいった細かなタッチを入れるのにも使えそう。
作例のラクガキでは、顔やボディーに入れたタッチ、枷に落ちた影の斜線、あと汗を描くのに使っています。
*パイロット/小筆軟筆 耐水性顔料インキ
毛筆ではない、フェルトペンタイプの筆ペン。私は書き文字に使うくらいで、正直あんまり使っていないタイプの画材(ってか文房具か)なんですが……。
使ってみてビックリ。この手のタイプの筆ペンとしては、驚くほどキレイにヌキができる。筆先が柔軟でインクの出も良く、トメやハライもバッチリ。線の太さも筆圧で自由自在。顔料性なので黒の濃さも充分。ここまでイケてるとは、パイロット小筆軟筆恐るべし。
作例のラクガキでは、髪とヒゲ全てと、あと首枷もこれで描いています。木目のあたりがいい感じ。
まあ、こういうのは相性もあるので、私にとって使いやすいものが、イコール他の方にとってもそうだとは限りませんが、機会があったら一度お試しになる価値はあるかと。
そういう意味で、オススメいろいろでした。
Colton Ford発Joe Gage行き
ひょんなことで目にした、コルトン・フォードというシンガーの、”That’s Me”という曲のプロモーションビデオが、余りにもマッチョでエロかったので、YouTubeにあったビデオを貼り付けてみます。何か、もう映像のエロさが強すぎて、逆に、どんな曲だったか音印象が残らないくらいです(笑)。
さて、実はこのお方、元ゲイポルノスターらしい。ならば、このエロさも納得ですな。私は出演作を見たことがないんですけど、ちょっと調べたら、GayVN Awards(VNはvideo newsの略で、まあアメリカのゲイAV大賞みたいなものです)で2003年度のGay Performer of the Yearを獲得したりしています。
現在では音楽活動と並行して、here!制作のゲイドラマ”The Lair”なんかにも出演しているらしいですね。彼の経歴を追ったドキュメンタリー映画”Naked Fame”(「裸の名声」ってとこでしょうか)なんてのもあるみたいで、これはちょっと面白そうなので見てみたい。
しかしまあ、このPVを見てると、80年代にMan2Manの”Male Stripper”なんかにドキドキしてたことを思うと、隔世の感があります。で、こっちもYouTubeにあったので、貼り付けてみる。
ど〜です、ババァの元クラバーには懐かしいでしょう(笑)。
当時は、Man2Manはこの一曲しか知らなかったんですが(12インチシングルを持ってた)、数年前にCDで欲しくなってベスト盤を購入したら、他の曲もぜ〜んぶ同じ曲にしか聞こえなかったという、キョーフの金太郎飴アーティストだった(笑)。
さて、ゲイポルノとクラブミュージックという繋がりで、もう一つ思い出した曲があって、探してみたらそれもYouTubeにあったので、貼ってみます。Man Parrishの”Heatstroke”という曲。ちょいとイントロが長いですけど。
今回、改めて調べて初めて気付いたんですけど、前出のMan2Manをプロデュースしてたのって、このMan Parrishだったのね。知らなかった。
で、この曲の何がどうゲイポルノなのかと言うと、実はこれ、元々はアメリカの伝説的なゲイポルノ映画監督、ジョー・ゲージが撮った”Heatstroke”というゲイポルノ映画のテーマ曲だったんですな。それが後にオーバーグラウンドでもヒットした。個人的には、映画で使われていた女声コーラスとかが入っていないバージョンの方が、音は多少チープでもストイックなアングラ臭があって好み。
ジョー・ゲージの映画は何本かDVDを入手してるんですが、個人的に特に名作だと思っている、この”Heatstroke”のDVDは、未だ発見出来ず。あと、同様に名作の”Closed Set”(1980年版)のDVDも見つからず。また、入手出来た”Kansas City Trucking Co.”三部作のDVDも、ビデオ版と比べるとシーンがカットされた短縮版だったりするので、これまた残念な限りです。
で、このジョー・ゲージ監督ですが、80年代中頃にゲイポルノからは退き、ティム・キンケイド名義で『虐殺バッドガールズ・地獄の女刑務所』だの『アンドロイド・バスターズ/残虐メカ帝国の逆襲』だの『ミュータント・ハント』だの『エネミー・テリトリー』だのといったB級映画を撮っていた。(とはいえ私自身は、この時代の監督作品で見たことがあるのは、エンツォ・G・カステラッリと共同監督している、ルー・フェリグノ主演の”Sinbad of the Seven Seas”だけなんですけど)
やがて2000年代に入ると、ティム・キンケイド監督は再びゲイポルノを、ジョー・ゲージ名義で撮るようになる。何本か見ましたが、70年代中頃から80年代前半にかけて作品に見られた、あの圧倒的なパワーと比較してしまうと、残念ながらお年を召されてしまったなぁ、という感じでした。
そんな作品の中に、これは未見なんですが、2002年の”Closed Set: The New Crew”というのがありまして、ここで最初に出てきたコルトン・フォードが、メインスターでクレジットされてる。むむむ、こうなると、見てみたいという欲求が、ムクムクと頭をもたげてくるなぁ(笑)。
……という具合に、PVのエロさに興味を持って調べ始めたら、自然に話題が一周して繋がっちゃった。自分でもちょっとビックリです(笑)。