『愛の唄』ジャン・ジュネ
“Un Chant d’amour” Jean Genet
イギリス盤DVD(Region 2 / PAL / スタンダード)
デジタル・リマスターされた画質は極めて鮮明。少なくとも、以前持っていた輸入VHSよりは遙かに良い。
元々はサイレントだが、このDVDにはデレク・ジャーマン映画でお馴染みの、サイモン・フィッシャー・ターナーによる新スコアを収録。これはゲイ映画ファンには嬉しいプレゼントかも。
ただし、近年のターナーの音楽自体からは、かつてジャーマンの『カラヴァッジオ』『ラスト・オブ・イングランド』『ガーデン』あたりで聴かせてくれたような天才的な煌めきは感じられず、残念ながら今回のスコアもまたその例外ではなかった。ただまあ、特に光るものがなくても、別に耳障りなものでもないし、それでも嫌なら音を消せばいいだけのことなので、オマケとしてはやはり嬉しいコンビネーション。
オーディオ・コメンタリーはジェーン・ジャイルズとリチャード・クウィートニオースキー。前者はジュネに関する本を書いている作家らしいが、浅学のため私は良く知らず。後者はジョン・ハート主演のゲイ映画『ラブ&デス』の監督兼脚本の人。
ついでにもうひとつ、『美しい部屋は空っぽ』や『ジュネ伝』のイギリス人ゲイ作家エドマンド・ホワイトが、パッケージの推薦文を書いてます。
さて、この映画は、ゲイ映画の古典にして、現代でも色褪せることのない名作です。
ここで描かれる牢獄の壁に隔てられた「愛」は、ある意味「ゲイ=禁断の愛」であるとゲイ自身も感じていた(感じざるをえなかった)時代を思わせ、今となってはいささか古びてしまっているかも知れない。ペニスのメタファーである拳銃のフェラチオ(正確にはイラマチオか)も、藁しべとタバコの煙を介して壁の穴越しに交わされる接吻も、あるいは切なく揺れ続ける花綱の美しさすらも、もし同じことを現在したならば陳腐とそしられてしまうだろう。
しかし、ここで「愛」と同時に描かれる「欲情」は、過去も現在も変わらない。例え愛を交わす相手がいなくとも、我々は同性相手に欲情することで、脳裏で同性との触れ合いを思い描き、独り同性を思ってマスターベーションすることで、自分がゲイだと知る。この映画では、そういったゲイの普遍的な本質が、きっちりと描かれている。
その本質があまりにも赤裸々に表れるために、時としてこの映画は、そこに観念的な美やアート性を求めている観客を裏切る。ここで描かれている「美」とは、あくまでもゲイという実存に基づくものであって、観念の所産ではないからだ。そして、そういった「美」は「理解」を拒む。
それゆえにこの映画は、優れてポルノグラフィー的であり、同時に優れて詩的な芸術作品だ。もし観客が、この映画のポルノグラフィー的な「ドキドキ感」に共感しえないのならば、この映画で描かれている「世界」に触れることは難しいだろう。
現在、映画に限らずゲイ・アートと呼ばれるものは数多くあるが、ポルノグラフィーというフィールドを除けば、えてしてそれらは「愛」は語っても「欲情」には触れずにいたり、あるいは「欲情」というメカニズムが内包するポルノグラフィー性を観念で分解したり、そこに理由付けのためのエクスキューズを加えることに腐心しているものが多いように思われる。
私は個人的に、そういったものをあまり好まない。そういうものを見ると、その裏に、作者が単純に同性に欲情してしまう自分という現実を受け入れられずにいるような、一種のセックス・フォビア的な視点を勘ぐってしまうからだ。
己の欲情のメカニズムに「なぜ」という理由を持ち込むということの裏には、「本来の自分はこうではないのだ、それがなぜかこうなってしまったのだ」という、価値観の多様性とは正反対のベクトルが潜んでいるように思われる。これは一見、自分自身を受容している(あるいは、受容しようと努力している)姿勢に見えながら、実は自分自身のありかたを否定してしまう価値観に、根本で依存してしまっていることに他ならない。
しかし『愛の唄』には、そういった要素は微塵も感じられない。仮に、はみ出してしまった者の悲哀はあったとしても、はみ出してしまったことへの呪詛はない。はみ出している自分を、ただ真っ直ぐに受け止めている。表現としての手法が古びても、ゲイというものが置かれている社会状況が変化しても、個としてのゲイを捉えた普遍性は全く揺るぎない。こういった「実存としてのゲイ的な美」をきちんと描き出した作品は、実は現代においてもそれほど多くはないように思われる。
日本で『愛の唄』が、このイギリス盤のように完全な形でDVD化されるのは難しそうだ。少なくとも、勃起したペニスで石壁を擦る、あの美しいシーンには、醜いモザイクが入ってしまうだろう。
ならばせめて、同じくジュネを原作とした、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの『ケレル』か、あるいは同じくジュネをモチーフとした、トッド・ヘインズの『ポイズン』だけでも、ソフト化して欲しいものだが……。