『エクソシスト ビギニング』レニー・ハーリン
“Exorcist: The Beginning” Renny Harlin
う〜ん、そこそこ楽しめるんだが、これが「エクソシスト」というシリーズの一本だと思うと、どうしても点数は辛くなってしまうなぁ。
というのも私にとっては、フリードキンの一作目はもちろんのこと、ブアマンの『2』やブラッディの『3』も、同じ設定を使いながら、それぞれ異なるテイスト・異なる考察・異なるヴィジョンを見せてくれた(しかも圧倒的なパワフルさで)、いずれ劣らぬ魅力のある力作揃いだったからだ。
この『ビギニング』も、一つ一つの発想自体は、決して悪くないと思う。「アフリカ奥地で、キリスト教がまだ到達していなかったはずの時代に建てられた、土に埋もれた謎の教会が見つかった」なんて設定は、なかなかゾクゾクさせられるし、「ナチスによるホロコーストで、一度は信仰を棄ててしまった神父が、いかにして再び信仰を取り戻すか」なんて話も、深く突っ込んでいけば幾らでも面白くなりそう。「この中で悪魔に憑かれているのは誰か?」なんていう、ミステリー的な要素もあるし、冒頭で提示される、聖ペテロ風の逆さ磔の大群のヴィジョンも悪くないし、大量に並ぶ墓の謎なんてのも、イメージとしてもネタとしても美味しい。
でも残年ながら、それらがことごとく中途半端のまま終わってしまうんだよなぁ。
教会の発掘作業と並行して怪奇な事件が起きるのに、では完全に掘り起こされたときに何が起きるのかといった要素がないし(つまり発掘途中である意味がない)、信仰を棄てたはずのメリン神父が、再び神の存在を信じるに至るターニング・ポイントも不明だし(これがないと、クライマックスの悪魔祓いが盛り上がらないでしょ)、手のひらサイズのパズズの頭像を探すのが話のツカミなのに、身の丈よりも大きいパズズの全身像なんてのをデ〜ンと出しちゃうのもどうかと思うし(その後で小さな頭像が意味ありげに出てきても、もうインパクト負けでしょ)、謎の墓を暴くのと村の娘の出産を並行して描きながら、それらに因果関係がないってのも……ねぇ??
つまり「これがこのままいくと、トンデモナイことになっちゃうんじゃないか?」とゆーよーな、伏線の要素が決定的に欠けているので、イベントごとの不気味なムードは盛り上がっても、サスペンスが盛り上がらないのだ。絵作りはなかなか重厚だし(光と影の使い方は良かったなぁ)、役者さんたちもけっこう魅力的だし(メイン・キャスト以外でも、割と最近『炎のランナー』を再見したばっかだったので、ベン・クロスを見て「アラ、お久しぶり」とか思っちゃいました)、一つ一つのイベントの見せ方も悪くないのに(教会の内部に降りていくくだりとか、女医さんを巡るアレコレとか、単体ではけっこう好きなシーン多し)、それらが一本のモノガタリに収束していくというカタルシスがないのだ。エピソードをモノガタリたらしめる軸がない。
監督交代劇が話題になってたけど、このバラけ具合は、やはりそれが祟ってのことなのかなぁ。となると、NGくらったポール・シュレイダー版ってのが気になってくるけど、私はこの監督は『キャット・ピープル』と『Mishima』を見た限りでは、「意余って力及ばず」なお方だという印象があるんで、どうにも微妙なトコロ(笑)。
でもまあ、私とは逆に「『2』とか『3』なんてクソつまんねーよ!」ってな方だったら、この『ビギニング』こそ「これぞ元祖『エクソシスト』の純粋な続編だ!」ってカンジかも。一作目の前日譚としての工夫は、私は気付かなかった部分を含めて、何だかイロイロありそうだし。あと、前述したような隙間だらけのオハナシなんで、設定的な思い入れがある方なら、あちこち深読みする楽しみもありそうです。
あと、蛇足ですが、メリン神父役のステラン・スカルスガルドさん。
顔も身体もガッチリしてるし、ファッションのせいもあって、何だかインディ・ジョーンズみたいで、まあそれはそれでステキなんですけど、でもどう見たって、年老いてもマックス・フォン・シドーにはなりそうにないな〜(笑)。