『ベオウルフ』

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“Beowulf & Grendel” (2005) Sturla Gunnarsson
 八世紀頃に作られたとされる、古英語による英雄叙事詩『ベオウルフ(一般的には「ベーオウルフ」と音引きする)』を元にした、劇場未公開のエピック・ファンタジー映画。
 映画の原題が「ベオウルフとグレンデル」であるように、内容も、イェーアト族(スウェーデン南部に住んでいた部族で、現代で呼ぶところのバイキングの一種)の英雄ベオウルフが、デネ族(デンマークのバイキング)の国に赴き、そこを荒らしていた巨人グレンデルを退治するという、原典となった叙事詩の前半部分の内容のみを映画化したもの。

 全体的に地味な作りではありますが、多くはない予算の範囲内で無理をせずに組み立てているといった感じが、まず好印象。全体の雰囲気も、ファンタジーものというよりは、歴史ものを見ている感じに近いです。
 昨今の潮流とは異なって、特殊効果がCGIではなく特殊メイクどまりだというのが、何となく八〇年代のファンタスティック映画っぽい感じで懐かしい。反面、スケール感にはいささか欠けますが、元来が別にスペクタクルな大合戦とかがある話ではないし、控えめのセットとかも、逆に国家規模が巨大化する以前の、氏族単位の古代のムラのようで、却ってリアリティを感じさせるといった効果もあり。まあ、原典では「人が聞いたこともないような壮麗な館」なのに、それが映画だと「村一番の巨大居酒屋」程度に見える……ってな、マイナス効果もありますが(笑)。
 全体的には、地に足の着いた落ちついた感じがあって、そこいらへんの渋みはかなり良いです。
 フィヨルドや荒れ野など、自然の地形の美しさをたっぷりと取り込んだ絵作りは、そつなく美しく佳良ではありますが、プラスアルファの魅力にまでは至っていない。演出も同様で、良くも悪くも無難という範疇。

 モノガタリとしては、英雄叙事詩をストレートに描くのではなく、退治されるモンスター側に焦点を当て、なぜモンスターは退治されなければならないのか、英雄とはいったい何ぞや、といった具合に、現代的な視点による考察と再解釈を施しているタイプの作品になっています。
 結果として、モンスター映画的な悲哀は非常に上手く出ている反面、英雄譚的な高揚感には乏しい。また、英雄側の煩悶といったドラマが、それなりに触れられてはいるものの、もうひとつ突っ込み不足で描き切れていないので、ドラマ全体のエモーションが、モンスター側に偏り気味になってしまっている難はあり。
 神話や伝説的な世界を、現代的視点で解釈/再構築することで、そもそもの原典がもっていたはずのパワーが脆弱になってしまったり、世界が矮小化してしまうといった、この手のアプローチの作品につきものの弱点は、残念ながらこの作品でもクリアされていない。
 ただ、前述したようにモンスター的な「はみだしてしまった者の悲哀」は、実に良く出ていて、そこだけでも高く評価できます。ここいらへん、私はちょっとウルウルきちゃいましたし、ウチの相棒も、さかんに「かわいそうだ、かわいそうだ」とこぼしていました。

 モノガタリの構成などは、原典を全く知らない人には、いささか不親切かも。
 例えば切り落とされたグレンデルの腕を取り戻しにくる海の女怪は、原典ではグレンデルの母なのだが、映画では、彼女が何ものなのかという説明が、何もないのがビックリ。また、ラストで登場人物の一人が、旧約聖書のカインとアベルのエピソードを独りごつんだけど、これ、原典においてグレンデルが、カインの末裔であるとされていることを知らなければ(この設定は映画には出てこない)、かなり唐突な感じがするのでは。そこから、殺人者とは何だみたいな問いかけに、テーマが広がるのは面白いし、余韻も生んでいるんだけどね。
 こうみると、欧米における「ベーオウルフ」というのは、私が想像しているよりずっとポピュラーなモノガタリなのかも。

 以下、ちょっとネタバレを含みます。お嫌な方は、この段は飛ばしてください。

 で、実は海の女怪に関しては、個人的にかなり不満が大きい。
 説明がない以上は原典と同様に、これはグレンデルの母であると解釈するのが妥当なのだろうが、そうすると、この映画のオリジナリティーの根幹にある、父を殺されたグレンデルの哀しみと孤独という部分に抵触してしまうからだ。
 仮に母ではないにしても、このモノガタリを成立させるには、グレンデルに「仲間」を与えてはいけない。グレンデルの孤独に説得力があってこそ、彼がなぜベオウルフの部下のうち一人だけを狙いうちするのか、なぜフロースガール王は襲われなかったのか、そしてその後に酒に溺れるのかといった、この映画独自の「解釈」の部分や、被差別民的に阻害されてムラから追い出さた「魔女」と、グレンデルが情を通わせて子供ができていたとかいった、魅力的なオリジナル・エピソードが引き立つからだ。
 しかし、この「母」ないしは「仲間」の存在は、そういった、この映画のオリジナリティーとしての中心軸である、阻害された者の孤独や哀しみを軽減してしまい、更には、そこから生まれるエモーションをも薄れさせてしまう。
 映画オリジナル部分が、なかなか魅力的であるが故に、根本でそこを邪魔してしまう女怪の扱いが、個人的には大いに不満だった。いっそのこと、「海の女怪=グレンデルと魔女の間に生まれた子供」くらいの、大胆なアレンジにしちゃえば良かったのに……。

 ネタバレここまで。

 役者は、ベオウルフ役のジェラルド・バトラーは、私の個人的なご贔屓ではあるんですが(”Attila”の日本盤DVD発売を、未だに期待しているワタクシ…… 【追記】『覇王伝アッティラ』の邦題で、めでたく日本盤DVD発売)、前述したようにキャラクター的な造形が弱いせいもあって、いまいちこれといった個性や味わいに乏しいのが残念。
 フロースガール王役のステラン・スカルスガルドも同様で、存在感としての魅力はあれど、内面的なそれまでは至らず。
 魔女役のサラ・ポーリーは、なかなか佳良。本人のアウトロー気質と、役の立ち位置が上手く合致して、キャラクター的な魅力も深まっている感じ。
 グレンデル役のイングヴァール・E・シーグルズソンは、特殊メイクで素顔も良く判らない状態ながら、モンスターの悲哀をたっぷりと感じさせてくれる好演。キャラクターとしても魅力的で、モンスター映画ないしはモンスター役者として考えれば、これは見て損はないといった感じの、記憶に留めたいほどの出来映えです。

 映画全体の印象としては、幾つか惜しいポイントはあれども、骨太でチャラついたところがない、エピック映画の佳品という感じでした。
 スペクタクル性や映像的なワンダーを期待すると裏切られますが、神話好き、叙事詩好き、渋めのファンタジー映画好き、あと古き良きモンスター映画好きなら、見て損はないのでは。
『ベオウルフ』DVD (amazon.co.jp)
 原典に興味のある方は、こちらもオススメ。
『ベーオウルフ』(岩波文庫・新訳版)
 さて、今度公開されるロバート・ゼメキス版の『ベオウルフ/呪われし勇者』は、どんな感じなんでしょうねぇ?
 予告編を見る限りだと、アクション映画風味のヒロイック・ファンタジーって感じで、あんまり硬派ではなさそうだけど(笑)。
 あと、3DCGのキャラが、あまりにも元になってる俳優さんにそっくりなもんだから、技術的にスゴイとは思いつつも、でも「だったら何で3DCGでやるの?」と、ついつい思ってしまうなぁ。3DCGアニメーションのキャラクターは、基本的に「人形」であるべき、と考えている自分としては、なんかビミョ〜な映像でした(笑)。