『トロイ ディレクターズ・カット』


『トロイ ディレクターズ・カット』(2007)ウォルフガング・ペーターゼン
“Troy (2007 version)” (2007) Wolfgang Petersen

 2004年に公開された、ウォルフガング・ペーターゼンの映画『トロイ』が、尺が30分ほど長くなったディレクターズ・カット版になって発売されたので、ホクホク喜んで買って参りました。
 結論から先に申しますと、オリジナルの劇場公開版が好きな方だったら、このディレクターズ・カット版は必見。劇場公開版がディテール・アップされていて、味わいも深みも迫力も増しています。
 でも、オリジナル版がそんなに好きではなかったら、このディレクターズ・カット版も、印象自体には大幅な変化はないでしょう。

 未見の方には、このディレクターズ・カット版はオススメ。
 どういった部分が変わっているかというと、まずはキャラクターの細かな掘り下げの部分。キャラクター像自体には大幅な変化はないんですが、シーン自体が新たに増えているものもあり、シーンは同じだがセリフが増えている部分もありで、こういった追加によって、個々のキャラクターの心情やモチベーションなどが、よりクリアで繊細なものになっています。
 もう一つ目立つのは、戦闘シーン絡みの追加。血生臭い場面が増えているのと、それと同時に戦いの哀しさや虚無感も、より強調されています。特に、導入部に追加された犬のシーンと、クライマックスのトロイ落城の追加シーンは秀逸。これらの追加によって、この悲劇の持つ「人の世の哀しさ」を、オリジナル版より更に巨視的な視点から俯瞰するような、そんな味わいが加わっています。

 ちょいとマニアックなファン視点でいくと、音楽の変更も見逃せないところ。
 というのはこの映画、公開直前になって、音楽のガブリエル・ヤレドが降ろされてしまい、ジェイムス・ホーナーへと変わったという経緯があるんですが、今回のディレクターズ・カット版では、エンド・クレジットに追加音楽としてヤレドの名前があります。ヤレド好きの私としては、この復活劇は嬉しいサプライズ。
 もちろん、メインに使用されているのはホーナーのスコアなんですが、例えばエンド・クレジットで使われていた、ジョシュ・グローバンの歌う「リメンバー・ミー」が、今回のディレクターズ・カット版では未使用だったりして、音楽の使われ方が全体的にちょっと渋めになっている印象があります。
 ケレン味が減った分、物足りなさを感じる方もいそうではありますが、個人的にはオリジナルのホーナーの音楽に、悪くはないんだけどちょっと大味な感じを受けていたので、この変更は好印象でした。
『トロイ ディレクターズ・カット』(amazon.co.jp)

 さて、ついでにオリジナル版とディレクターズ・カット版に共通する、映画自体の印象なんぞについて、改めて少し書いてみましょう。
 まず、この映画に対する評価が決定的に分かれる点として、『イーリアス』およびトロイア戦争に絡む伝承を、この映画がかなり大胆にアレンジしていることについて、それを是とするか非とするかが挙げられます。で、私個人としては「これはこれでアリ」という是の立場です。
 というのも、トロイア戦争の話というのは、それを基に娯楽映画を作ろうとすると、モノガタリの幕切れをどうするか、そのトリートメントがかなり難しいと思うんですよ。で、トロイア戦争を描いた映画を見るにあたっては、それをどうクリアするかというのも、個人的に興味が惹かれるポイントだったりするわけです。

 以下、ちょっと『トロイ』及び他のトロイア戦争ものの映画に関するネタバレ含みます。お嫌な方は、この段は飛ばしてください。

 まず、ロバート・ワイズの『トロイのヘレン(DVD題「ヘレン・オブ・トロイ」)』では、パリスとヘレネーの恋を軸に描きつつ、ラストでヘレネーはメネラーオスの元に戻る。これは伝承通りといえばそうなんですが、娯楽映画としては、何となく終わり方がスッキリしないというか、いまいち釈然としない感が残ります。見所は多々ありますが、映画全体としては、あまり成功しているとは思えないというのが正直な印象。
 TVムービーの『トロイ・ザ・ウォーズ』でも、やはりヘレネーとパリスの恋を軸にしており、二人の末路に関しては、やはり同種のスッキリしない感があります。。ただしこの作品では、イーピゲネイアの生け贄のエピソードを入れることによってアガメムノーンを悪役にし、モノガタリの最後に、クリュタイムネストラによるアガメムノーンの殺害を持ってくることでカタルシスを作り、娯楽作品的なバランスを保っています。
 イタリア史劇の『大城砦』では、映画の冒頭が、ヘクトールの死体を引きずり回すアキレウスのシーンで始まり、主人公はそれを見守るアエネイアースです。モノガタリはトロイアの落城で終わりますが、そこから脱出するアエネイアースと、そこに「この一行が後のローマの始祖となる」というナレーションをかぶせることによって、悲劇でありながらも前向きな、娯楽映画としては実に良いバランスのエンディングになっている。
 トロイア戦争ものというと、その後日譚であるエウリピデスのギリシャ悲劇を、マイケル・カコヤニス監督が映画化した『トロイアの女』なんかも忘れがたいですが、これはいわゆる娯楽映画ではないので、そういったトリートメントは見られません。また、逆に言うと、こういった原典の忠実な映像化というスタンスでは、ハリウッド的なビッグ・バジェットによる映像化は不可能でしょう。

 というわけで、ふんだんに金を掛けて作られる大作娯楽映画の場合、原典に忠実であれと期待すること自体が、そもそも無理のある話なんですな。その無理を承知の上で、ではいかにトリートメントを加えて、映像作品としての魅力を見せているか、というところに、私としては最も興味が惹かれるわけです。

『トロイ』の初見時には、憎々しく描かれたアガメムノーンを見て、ひゃー、どうすんのよ、こいつが最後まで生きてたら、観客は納得しないんじゃないの、とか、しかも、イーピゲネイアもクリュタイムネストラもカッサンドラも出てこないし、どーやってオチをつけるんだろう、と、他人事(笑)ながら心配になっちゃったんですが、メネラーオスが殺された時点で、覚悟が決まった……というか、もう何が出ても驚かない心構えはできました(笑)。
 つまり、この映画の場合は、とにかく娯楽作品的なフォーマットが最重要視されている。エピソードの取捨択一も、そこが基準になっているので、巧拙はともかくブレはない。正直なところ、アキレウスの死のタイミングが変更されたり、木馬を城内に入れるに至るくだりのあたりとか、エピソード的な破綻や無理がないとは言えないんだけれど、それでも苦労と工夫の跡はしのばれる。
 そんなこんなで、この映画における大胆なアレンジは、これはこれでアリだというのが、私個人の評価。
 その他の魅力としては、モノガタリの中に、戦いとは、名声とは、神とは、信仰とは、といった様々なテーマを盛り込まれているところとか、全体が群像劇として描かれていることなどがあります。
 特に後者に関しては、当代の人気俳優、期待の新人、往年の名優、出ると嬉しいバイプレイヤー、といったキャスティングの妙味も加わって、実に充実していました。キャラクターは良く立っているし、皆さん存在感や魅力もタップリ。
 アクション・スペクタクルとしても、モブやセットの物量的なスケール感はすごいし、かと思えば、演舞を思わせるような美しくてシャープな剣劇もある。古代幻想としてのトロイア戦争の視覚化という点では、文句なしの素晴らしさ。
 美術面の検討も素晴らしくて、特に衣装は素晴らしい。衣装デザインのボブ・リングウッドは、かつてジョン・ブアマンの『エクスカリバー』とデヴィッド・リンチの『砂の惑星』で、感動して名前を覚えた方だったんですが、古代的な質感を損なわず、それでいて優美さも持ち合わせているこの映画の衣装デザインは、本当に好き。
 木馬も良かった。どっから材料を調達するんだというツッコミどころを、見事な発想でクリアしつつ、同時に造形的にも美しいのが素晴らしい。映画に登場した歴代の「トロイの木馬」の中では、問答無用で一等賞。
 あと、『300』の登場で、ちょっと印象は霞んじゃったけど、マッチョ映画としても見応えあります(笑)。ネイサン・ジョーンズは、この映画で名前を覚えたんだっけ(笑)。