アメリカの友人から、アーティストのグリースタンク(Greasetank)が、去る8月1日に亡くなったとの知らせを受けた。
寝耳に水の驚きだった。
記事中にグリースタンクの作品を掲載していますが、中には残酷な内容も含まれているので、苦手な方は拡大画像を見ないように注意してください。
2001年に、グリースタンクと私は、ウェブを通じて知己を得た。
彼が私の作品に惹かれたのと同様に、私もまたすぐに彼の作品の熱烈なファンになった。
我々はメールで互いの作品を称賛しあい、互いのサイトにリンクを貼った。それが縁で、彼の作品が「G-men」や「SM-Z」で紹介されたこともあるので、ご記憶の方もおられるかも知れない。
残念ながら、彼のサイトは数年前に閉鎖されてしまったが、その後も我々は、頻繁ではないにせよ、互いにコンタクトを取り合っていた。今年の正月も、私は彼に恒例の年賀メールを送り、彼からも返信があった。亡くなった原因は心臓発作であり、今年の1月にもそれは起きていたそうである。
しかし私は、彼のプライベートについては何も知らず、また、その訃報も、ネットのオンライン・グループ内で回ってきたものを、人づてに受け取っただけなので、彼の死については、具体的にはこれ以上のことは何も判らない。
グリースタンクの作品は、セックスと暴力と殺人に満ちていた。それは暗く、残酷で、アモラルなものだったが、同時に恐ろしいほど美しかった。
彼の作品は、ドローイングでもペインティングでも写真でもなく、Poserによる3DCGをメインに用いたものだが、数多いそういったアーティストたちの中でも、彼は作家の個性を明確に作品に刻印できる、紛れもなく最も優れたアーティストの一人だった。
彼は、自分のイマジネーションを具体化する手段としてPoserを用い、出来上がった作品は、フォトリアルな3DCGに見られるような現実の模倣ではなく、3DCGによるフィギュア遊びの延長でもない。そこには、恐ろしいほど研ぎ澄まされた作家性だけが、技法の如何とは関係のない、極めて高いレベルで結晶している。
その個性や作家性の高さは、禍々しくエクストリームな幻想を描くときでも、シンプルなポートレイトめいた作品を作ったときでも、決して揺るがず常に変わらない硬質な美しさに満ちていることからも明瞭である。
3DCGやPoserといった手法の如何に関係なく、彼は間違いなく、21世紀に生きる比類ないゲイ・エロティック・アーティストの一人だった。
今回の記事のために、手元にあった彼の作品を幾つかアップしてみたが、これはブログということもあり、彼の作品の中でも、特に大人しめでソフトなものを選んでいる。そのくらい、彼の作品はエクストリームだった。
彼の作りだす世界は、荒々しく暴力に満ち、その中で、拷問、殺人、戦争、ナチス、差別、フリークスなどが、サドマゾヒズム的な視点で描かれている。そのファンタジーの過激さは、作品中にタブーではない要素を見つける方が難しいくらいである。彼の世界では、現実的なモラルやタブーは、その鮮烈な美学と強固な作家性の前に、脆くも吹き飛び踏みにじられるのだ。
因みに、左上の青みを帯びた作品には、”Coming for you, fag!”というタイトルが付けられている。「てめェのために来てやったぜ、オカマ野郎!」といったとこだろうか。ヘテロのみならず、同じゲイにとってすら、彼の作品がいかに「神経を逆撫でする」か、これ一つでもお判りになるだろう。ここに描かれているのは、暴力と殺人の予兆でしかないが、その実これは、ヘイトクライムとポルノグラフィーの合体なのだ。
しかし、そんな過激な内容でありながら、最終的に提示される作品群は、まるで透明な結晶のように静かで美しい。その硬質で凍り付いた世界は、さながら、ポール・デルヴォーの絵やアンナ・カヴァンの小説のようである。
彼のモチーフの過激さは、彼の作品がオーバーグラウンドな場に出ることを、おそらく阻んだでいたと思われる。
実際、敵や批判も多かったでようである。これは伝聞でしかないが、彼がサイトを閉じた直接の要因は、自らを「良識派」だと自認する者たちからの、攻撃があったせいだとも聞いている。
もちろん、その作品はインターネット上だけではなく、幾つかの出版メディアなどにも紹介はされていたが、その作家性と作品性の高さから考えると、それらの露出は余りにも少なすぎるし、そして過小評価であったように思われる。
正直なところ、このブログでもそうなのだが、タブーを避けて彼の作品を選び、紹介することは、まるで作品を「去勢」してしまうようなものである。こういった紹介の仕方では、残念ながら彼の作家性は、その実像と比べると、だいぶ矮小化してしまうだろう。
今回、彼の訃報を届けてくれた友人も、「グリースタンクのアーティストとしての勇敢さは、本当に驚くべきものだった。しかし、君(田亀)と違って、彼にとって不幸だったのは、彼はついに、彼に正当な評価をくれる鑑賞者(注・ちょっとどう訳したものか悩んだんですが、参考までに原文では『”legitimate” audience』となっています)を得ることはできなかった。彼は、君がその美学と作家性ゆえに孤独であるように、それ以上に孤独な存在だった」と書いている。
そんなグリースタンクが亡くなってしまった。
私は、彼については、その作品と、取り交わしたメールを知るのみで、彼がどんな容姿であるかすら知らない。実のところ、今回の訃報で初めて彼の年齢を知り、それが作風から想像していたよりもずっと上だったので、驚いたほどだった。
顔も知らない人の死を悲しむのは、いささか奇妙なようでもある。
それでも私は、とても悲しい。
心から、その才能を惜しみ、その死を悼む。
享年59歳だったそうである。
一つ余談。
閉鎖された彼のサイトでは、彼自身の作品だけではなく、彼同様に、作品をオーバーグラウンドで発表するには、余りにも過激であったり、タブー的な要素が多すぎるような、そんなアンダーグラウンドなゲイ・エロティック・アーティストたちが、世界中から集って絵や小説を発表していた。
巧拙は別にしても、その、アートとしての純粋さとパワフルさを持ち合わせ、エロティック・アートの真髄を見るような、そんな魅力的で個性的な作家たちの数は、総計60人以上にも及んでいた。
しかし、現在はそれらを見ることができず、作家たちの消息も、残念ながら殆どが不明である。