『ハムレット』(1990)フランコ・ゼフィレッリ “Hamlet” (1990) Franco Zeffirelli |
お〜、我が偏愛映画の一本がDVD化! もう、いそいそと買ってきました。
公開当時、劇場で見て以来だから、ほぼ20年ぶりの再見です。
何で偏愛対象かというと、まず下世話なことから言うと、とにかくメル・ギブソン演じる髭面ハムレットが、もうイケまくりでして(笑)。自分が見たことのあるハムレット役の中では、このメル公が一番好み(髭フェチのたわごとです)。
加えて脇も、ガートルードにグレン・クローズ、クローディアスにアラン・ベイツ、オフィーリアにヘレナ・ボナム=カーター、ポローニアスにイアン・ホルム、父王にポール・スコフィールド……と、魅力的&実力派の面々が揃い踏み。
実在の城とランドスケープを、存分に生かした映像も魅力的。
ただ、ちょっと不幸な映画でもあります。
シェイクスピア劇の映画化としては、充分に水準以上の出来映えだと思うんですが、何しろ『ハムレット』の映画ときたら、過去には48年のローレンス・オリヴィエ版と64年のグリゴーリ・コージンツェフ版、この後にも96年のケネス・ブラナー版という、錚々たる名作が揃い踏みなわけで、それらの中に混じると、どうしても印象が薄くなってしまうし、いささか小粒な感じがするのは否めない。
とはいえ、再見してみると、やはり色々と見所がある映画でした。
まず、メル・ギブソンの髭面ハムレットですが、静的で内省的な独白部分になると、ちょっと画面を保たせきれないきらいはあるものの、それでも充分に好演だと思うし、鬱屈した激情の荒々しさや、ある種のセックス・アピールを見せるという面で、他のハムレットには見られない魅力もあります。
ヘレナ・ボナム=カーターのオフィーリアは、白状すると、当時劇場で見たときは、ジョン・エヴァレット・ミレーの絵やオリヴィエ版のジーン・シモンズの印象が強かったせいか、清楚さや気品に欠けて見えるうえに、狂気のシーンがロマン主義的に美化されたものではないせいもあって、正直あまり良い印象はなかったんですけど、今回改めて再見したところ、その狂気のシーンに圧倒されました。素晴らしい。
う〜ん、年を経て再見すると、こんなに印象が変わるものか……と、ビックリ。
他の役者さんも、おおむね素晴らしくて、強いて言えば、ホレイショーとレアティーズという若手勢が、ちょっと弱いかなと感じたくらい。
衛兵たちにヴァイキングっぽいのがいたり(デーン人だからね)、旅役者たちや墓掘りの味わい深いご面相とか、美術や衣装の佳良さとか、史劇的なディテールも楽しめます。
内容に関しては、以下、幾つか具体例とかが含まれるので、ちょっとネタバレになるかも知れません。
お嫌な方は、次の段は飛ばして下さい。
演出面だと、まず、ハムレットと父王の亡霊の対面シーンが面白かった。オリヴィエ版やコージンツェフ版のような怪奇幻想味はないんですけど、このシーンの二人は、決して二人同時に画面にフレームインしないんですな。つまり、亡霊との会話を客観的な事実とはせずに、ハムレットの妄想や狂気の所産という解釈も可能にしている。400年前に書かれた戯曲を、現代の映画にする際に、いかにアダプテーションするかという点で、なかなか興味深いシーンです。
また、ハムレットがガートルードと対峙するシーンで見られる、エレクトラ・コンプレックス的な解釈を拡大して、まるでインセストのように見える演出。まるで、息子が母親をレイプしているように見える上に、ガートルードの「お前の言葉は刃のように突き刺さる!」というセリフで、もうヤバい感が倍増。
ハムレットとガートルードの歳が、さほど離れているようには見えない(現実の役者さんの年齢も、たった九歳しか離れていない)んですが、おそらくそれも、こういったインセスト的なニュアンスを強調するための、計算尽くなんじゃないだろか。
このインセスト以外にも、性的なニュアンスは、オフィーリアの狂気のシーンでも見られます。陰茎を撫でさする行為の、かなりあからさまな暗喩。アグレッシブさという意味では、控えめな方ではありますけど。
ここいらへん、もっと露悪的に突き進めても、面白かったんじゃないかな〜、なんて、ちと思ったり。
解釈や再構成の見所は、これはまあ、私もオリジナルがどういうものか、はっきりとは覚えていないので、自分の判った範囲内だけで言いますが、有名な「尼寺へ行け!」の場所を変更しているところに、興味を惹かれました。
この変更によって、ハムレットがオフィーリアに「この復讐劇に巻き込まれないよう逃げて欲しい」と願っているようなニュアンスが付加され、哀れなオフィーリアに、僅かながらの「モノガタリ的な救い」が与えられているように見えるのが、何となくこちらとしても「救われた」気持ちになります。
とまあ、そんなこんなで、たとえ『ハムレット』映画のベストではないにせよ、それでもたっぷり楽しめる佳品なので、シェイクスピア好きで未見の方は、ぜひ御一見を。
さて、ついでに文中で触れた他の『ハムレット』映画についても、一口メモ。
『ハムレット』(1948) ローレンス・オリヴィエ版 |
格調高い正統派、というのが定評だと思いますが、私にとっての最大の魅力は、演出の大胆さ。特に、カメラワークを用いた、舞台劇を映画という別のメディアに変換する、その意義への挑戦心と実験性、及びその結果、という面で、大いに見応えがあって大好きな映画です。
サー・ウィリアム・ウォルトンによる音楽も大好きで、特にファンファーレは、ジョン・バリーの『冬のライオン』なんかと並んで、「映画に出てくる大好きファンファーレ」の中の一つ。
私が持っているDVDは、上の写真の「デジタル・リマスター版」ですが、PD映画なので、500円DVDとかでも何種も販売されています。
『ハムレット』(1964) グレゴリー・コージンツェフ版 |
重厚さや格調の高さという点では、このロシア版の方が、オリヴィエ版を越えているのでは。見応えタップリ、満足感も大保証、重厚な映像美も素晴らしい。そのぶん、いささか「重い」ですけど。
アナスタシア・ベルチンスカヤ演じる、オフィーリアの清楚な愛らしさも必見!
そしてこれまた、ドミートリイ・ショスタコーヴィチの音楽が素晴らしい。
『ハムレット』(1996) ケネス・ブラナー版 |
豪華絢爛なら、これ。美術や衣装はもちろんのこと、セリフのないチョイ役にまで有名俳優尽くし(言い方は悪いですけど、ちょっと「新春スター隠し芸大会ですか?」ってな楽しさ)という、とにかくひたすらゴージャスです。
そういった要素が、ある種の「重さ」を相殺しているのか、4時間以上という長尺も苦になりません。
時代設定を変えるアレンジも、効果的で納得。
『ハムレット』の映画というと、実はもう一本、マイケル・アルメレイダ監督、イーサン・ホーク主演の2000年版も見ていますが、正直これは、個人的には「古典のアレンジという名目で、考えなしに舞台を現代に置き換えただけ」とゆー、典型的な失敗例としか言いようがない内容で……(笑)。ゲイ雑誌にレビューを書くための試写で見たんですけど、何かもう罵詈雑言しか書けそうになかったので、お願いして記事はパスさせてもらったくらい。
ただ唯一、エンド・クレジットで流れた、Acceleradeckの”Greentone”って曲だけが良かったので、そのためだけにサントラ盤は買いました(笑)。