“Plon naya (Spicy Beautyqueen of Bangkok)”

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“Plon naya (Spicy Beautyqueen of Bangkok)” (2004) Poj Arnon

 今まで何度か書いてきた、ご贔屓のタイ人男優Winai Kraibutr君主演の、ドラァグ・クイーンが銀行強盗をするコメディ映画。
 監督はポジ・アーノン。日本盤DVDも出ている『チアリーダー・クイーン』や、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で上映された『バンコク・ラブストーリー』を撮った人。
 いくらご贔屓のWinai Kraibutr君とはいえ、女装じゃ興味半減だし、コメディ映画も基本的にあまり見ないタチなのでスルーしてたんですが、英語字幕付きタイ盤DVDがバーゲン価格だったので購入してみました。
 余談ですが、このバーゲン品、ジャケの隅っこが三角形に切り取られていました。DVDでもカットアウト盤ってあるんですね、初めて見ました。……でも、カットアウト盤なんて言葉、かつてアナログ・レコードの輸入盤を買ってたような、ある年齢以上の層じゃないと知らないよなぁ、きっと(笑)。

 ストーリーとしては、様々な理由でお金に困っているトランスジェンダー系ゲイ四人組が、思い余って銀行強盗をする(その際、正体を見破られないために、ド派手なドラァグ・クイーンになる……というのが、ジャケ写のお姿)んだけど、素人集団なので何かと上手くいかないうえに、強盗に入った銀行で別の強盗集団(しかもノンケのイケメン揃い)と鉢合わせしてしまい……というドタバタコメディ。
 泥臭いコテコテな笑いが連打される中、ちょっとした人情や泣きなんかも入っている内容なんですが、まあ正直なところ、さほど面白くなかったなぁ。笑いも涙も、どちらも過剰というよりくどいといった感じで、四人組の演技も過度に狂騒的で、見ていてちょっと疲れちゃった。

 さて、お目当てだったWinai Kraibutr君。
 いくら女装強盗の映画でも、少しは男の格好をしているシーンもあるんじゃないか、とか期待していたんだけど、残念ながら完全にクロスドレッサーのキャラクターらしく、全編女装、男の姿やスッピンの男顔になるシーンは皆無(泣)。
 あと、おそらくゲイ役だろうから、ひょっとすると男とのベッドシーンがあるかしらん、なんて下心もありまして、これはホントにそーゆーシーンがあって、裸で若いオトコノコの上にまたがって、騎乗位で激しく腰を振ってくれるし、半ケツ状態のタオル一枚なんてサービス・ショットもあったんですが、悲しいかなヘアスタイルも化粧も完全に「オンナ」状態なので……チクショウ、ちっともそそられやしない(笑)。

 というわけで、個人的には立派なハズレ映画だったんですが(笑)、まあ、見所が全くなかったというわけではなし。
 まず、ちょっと興味深かったのは、四人組の一人であるショーガール(の仕事をしているゲイ)の置かれている立場について。
 このキャラクターを演じているのが、件のWinai Kraibutr君なんですが、彼の仕事仲間である他のショーガールたちは、いずれも既に性転換済みのトランスセクシュアルたち。しかし彼だけが、(おそらく)トランスジェンダーではあるものの、豊胸も性転換もしていない男性のままの身体をしている。
 で、彼は周囲のニューハーフ(と便宜上呼ばせていただだきますが)たちに、「アンタ、そんなオッパイもアソコも作らないでいたら、コメディアン扱いしかされないわよ!」「もうすぐラスベガスでショーがあるのに、どうするのよ!」と言われ、じっさいステージでもイロモノ的な扱いをされてしまう。そこに更に、年下のオトコノコの恋人を、ホンモノのオンナノコに寝取られちゃうという事件が重なり、そこでようやく、性転換手術のお金を手に入れるために、銀行強盗の計画に加わるのを決意する。
 つまり、トランスセクシュアル的な価値観が主流となっているショービジネス界内で、性転換までは望まないトランスジェンダー(あるいはトランスベスタイト)的な存在が異物的な存在になるという、マイノリティ・グループの中で、更にマイノリティとして存在してしまった者の煩悶が描かれるわけです。
 これは、セクシュアル・マイノリティの社会参加の方法という点でも、また、マイノリティによるコミュニティが内包する問題としても、なかなか興味深い視点です。セクシュアリティがグラデーション状に連続しているがゆえの、それぞれのグループ間に明白な線引きはできないという難しさや、個々の立ち位置(居場所と言ってもいいかも)を見つけることの難しさを、見て取ることができる。
 ただ、映画ではこの要素は、あくまでも「ストーリーを進行させる前提の一つ」でしかなく、問題提起やテーマ的な膨らみといった、それ以上の意味が全くないのは残念でした。

 もう一点、死生観の違いも、ちょっと興味深い。
 ネタバレを承知で説明すると、終盤、主要キャラクターの一人が死んでしまい、オチもそれを基に締めくくられるんですが、これはおそらく日本人の感覚だと、この「死」の訪れにはちょっと引いてしまうし、オチも「え〜っ、それでい〜のぉ?」ってな感じの印象だと思います。
 ただ、前生があっての今生があり、今生があって後生があるといった、仏教的な死生観が濃厚な社会(じっさい映画の中でも、ギャグの一つではありますが、主要キャラクターの一人が托鉢のお坊さんに、「生まれ変わったら、もっと小顔にしてください」とか願いながらお布施をするシーンがあります)だと、今生における死の持つ重みや意味合いが、我々の感じるところのそれとは、かなり感覚的に異なるのかもしれないな、なんて思いました。
 タイ映画を見ていると、こういった死生観の差異が目に付くことが、けっこうありますね。日本でも、「親の因果が子に報い」といった言葉に、まだ説得力があった近世までは、結構こういう感覚だったのかも。