ひゃ〜、男泣きの映画だね〜。加えて父子モノでもあるし、ネタ自体でもうストライクでした。
生真面目な作りで、娯楽モノとしても卒のない完成度。ストーリー自体が面白いので、今度オリジナル版(この映画はリメイクで、オリジナルは57年制作の『決断の3時10分』という映画らしい)も見てみたい。
ラッセル・クロウ、クリスチャン・ベイル、共に良し。ピーター・フォンダは老けたねぇ(笑)。
グルジアの中世〜現代史を、同一俳優が演じる複数の時代のエピソードをカットバックしながら、ユーモアとペーソスたっぷりに描いた作品。
内容的には、時代のパラダイム・シフトに振り回される市井の人々というものなので、かなりヘビーなネタではあるんですが、ユーモアと人間のバイタリティに満ちた描写のおかげで、驚くほど楽しく見られました。特に、ソヴィエト時代の秘密警察による拷問なんつー暗黒エピソードを、ブラック・ユーモアたっぷりに描くあたりがスゴかった。
イオセリアーニは、これまで『月曜日に乾杯!』しか見たことなかったけど、もっと見てみよう。
宣伝には「イラン製の航空パニック映画!」と銘打たれているものの、これは絶対それ系に見せかけているだけで、中身はぜんぜん別モンだろうと睨んだところ、やっぱり大当たり(笑)。
ストーリーは、かつてイラン・イラク戦争の激戦区だった田舎に住む男が、都会で働きぐちがあるからと、妻や一族郎党を引き連れて飛行機に乗るのだが、実はそのままハイジャックしてドバイに亡命しようとしていた……といったシチュエーションで、飛行機の機内という密室劇を通じて、家族の問題や社会批判といったものを、ユーモアたっぷりに描き出すというもの。
まあ、とにかく先の展開が読めない面白さがあるし、舞台がほぼ機内だけという状況にも関わらず、いっさいの弛緩が見られない脚本や演出もお見事。
社会批判やユーモアに関しては、ちょいとイランという国に関する知識がないと、辛いところはあるかも。最初にドバイ行きを聞いたときは、ギャアギャアわめいていた親族たちが、いざ腹をくくって亡命が決定すると、とたんに浮かれ出して(イスラムの戒律が厳しいイラン社会に対して、ドバイは極めて緩やか)、若い娘がチャドル(頭巾)をとってウィッグをつけたりする(イランではチャドルの着用は義務)あたりは、大笑いでした(笑)。
かなり体制批判的な内容なだけに、ラストがちょいと哲学的かつ寓意的なのは、検閲に対する予防措置的な意味合いもあるのかもしれません。
というわけで、同種の「航空パニック映画に見せかけてるけど、実はぜんぜん別モノです」なロシア映画『エア・パニック 地震空港大脱出』とかを気に入った人だったら、本作もオススメ。意外な掘り出し物感が味わえます。
中世のヴェネツィア、外国人旅行者のハンサムな青年が、欲求不満の未亡人と人妻相手に、セックスのアバンチュールを繰り広げる……とゆー、ホントーに「それだけ」の映画(笑)。
まあ、他愛ないっちゃ他愛ないんですが、ヴェネツィアの風物はたっぷり楽しめるし、美術や衣装も上等だし、映像はキレイで雰囲気も上々なので、たとえ女の裸にあんまり興味がなくっても、けっこう楽しめる内容です。
主人公の青年役は、ショーン・コネリーの息子ジェイソン・コネリー。その昔、『ネモの不思議な旅/異次元惑星のプリンセスを救え!!』っつービデオスルー映画(実はけっこう好きな映画なんですけど)で見たくらいかな〜、なんて思ってたんですが、チェックしたら、前にここで触れたことのある『ドリームチャイルド』にも出てたんですな、覚えてなかった(笑)。
まあ、果たしてこの若者が、年増美人を夢中にさせるほどのハンサムかどうかは疑問があるし、若いわりには身体の線がいまいちシャープさに欠ける気もしますけど、尻丸出しの全裸シーンはふんだんにあるし、親父さん譲りの胸毛はステキなんで、まあ良しとしましょう(笑)。
もちろん、女性のヌード好きだったら、ラウラ・アントネッリやモニカ・グェリトーレの美麗ヌードで、お楽しみどころはイッパイでしょう(笑)。てか、IMDbにはアニー・ベルも出てるって書いてあるけど、どの娘がそうだったんだろ?
嵐の海に船で逃走したギャング団が、辛うじて孤島に辿り着くと、そこは気象庁の台風観測所で、折しも巨大台風が接近しようとしていた……ってな、アクション・サスペンス・メロドラマ。
正直なところ、密室サスペンス的にもメロドラマ的にも、さほど面白い出来ではないんですが、原節子の珍しく蓮っ葉な演技が見られるというところが、一番の目玉ではないかと。個人的には、この人は笑顔よりも怒り顔や無表情のときの方が美麗だと思うので、このギャングの情婦役もなかなか美しいです。
音楽が伊福部昭で、特に冒頭の嵐のシーンが、画面との相乗効果でエラいカッコイイ。
メロドラマ部分が、かなり唐突に展開する印象があるんですが、ただこれは、映画が制作されたのが48年ということを考えあわせる必要があるのかも。ヒロインの言う「三年前に会いたかった」というセリフが、当時の観客にとっては、現在の我々が見て感じるものとは、おそらく全く違う効果があったんだろうな、ということは想像するに難くありませんから。
映画の尺が68分という、短くてシンプルな娯楽作でありながら、敗戦というパラダイム・シフトの影響が、作中に自然と刻印されているのを見ると、平穏な時代に生まれ育った自分としては、何だか感慨深いものがありました。
父親を亡くした女子大生(原節子)が、父親の教え子である妻子ある政治家(佐分利信)の家に引き取られるのだが、二人の間には次第と男女の愛情が芽生えてしまい……といった内容。
流石に『安城家の舞踏會』と比べてしまうと、かなり落ちる感じはするし、杉村春子が結核を患っている令夫人だというのも、何だか違和感はあります。演出が、ところどころ大時代的な感じがしてしまうのも、仕方ないこととは言え否めない。
それでもダンスホールのシーンとかで顕著なように、セリフを介さず人物の心情の動きを表現するのは、昨今の「何でもかんでもセリフで説明」な風潮にウンザリ気味の身としては、やはり「表現」というテクニックの巧みさが感じられて、唸らされました。
けっこうアモラルな設定なのに、ストーリーとしては意外なほどドロドロせずに、逆に清々しいくらい。これは、登場人物が皆「真面目」なせいかしらん。そこいらへんが、ちょっと面白い。
あと、ラストシーンがトレンディ・ドラマみたいで、うん、なんか微笑ましくてヨロシかったです(笑)。今これをやられちゃったら、安っぽくなって引きまくりだと思うけど、ここいらへんはやっぱ、スターのオーラってぇヤツかも。