“Eyes Wide Open (עיניים פקוחות / Einayim Petukhoth)”

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“Eyes Wide Open” (2009) Haim Tabakman
(アメリカ盤DVDで鑑賞→amazon.com英盤DVDあり)

 2009年製作のイスラエル映画。原題” (עיניים פקוחות / Einayim Petukhoth)”。監督はHaim Tabakman(ハイム・タバクマン?)。
 エルサレムの超正統派ユダヤ教徒のコミュニティを舞台に、既婚男性と青年の同性愛関係を描いた作品。

 主人公のアーロンは、エルサレムの超正統派ユダヤ教徒のコミュニティ内で肉屋を営む、妻子持ちの男。父親を亡くしたショックで暫く店を閉めていたが、ある日意を決して店を開け、求人の貼り紙をしたところ、余所から来た若いイェシーバー(ユダヤ教の神学校)の学生が、電話を借りたいと立ち寄る。
 その若者エズリは、友人を訪ねてエルサレムに来たのだが、その友人とコンタクトをとれない。宿と職が必要なエズリを、アーロンは雇って店の二階に住まわせ、職を与えると共に、落ち着き先の新たなイェシーバーが見つかるまで、自分がメンター(導き手)として面倒を見ることにする。
 エズリはアーロンの家庭やシナゴーグにも招かれ、次第にコミュニティに溶け込んでいくが、その一方で二人は互いに惹かれていき、やがて一線を超えて肉体関係を持つ。そんな中、エズリに関する悪い噂がコミュニティ内に流れ、やがて壁に告発文が貼られ、二人の関係が明るみに出るのだが……といった内容。

 これは大いに見応えあり。
 超正統派ユダヤ教徒のコミュニティ内の、しかも神学生とその教父の同性愛関係という、ある意味スキャンダラスな内容を、センセーショナリズムに堕すことなく、抑制された淡々とした演出でしっかりと描き、その映像の美麗さも相まって、ゲイ映画云々を超えたレベルの、アーティスティックな風格も備わっています。
 同性愛の捉え方に関しては、これはシチュエーション的に当然のごとくタブー的な存在ではあるんですが、制作者の視点がそれをタブー視しているわけではなく、また、安直なメロドラマの道具として使っているわけでもないので、いわゆる「禁断の愛のドラマ」的なものを見せられたときのような、制作側の傲慢な視点ゆえの不快感はゼロ。
 奔放な年少者と、軋轢も多い年長者という具合に、キャラクター自体の抱いている同性愛観に幅があるのも、ストーリーに膨らみを持たせているし、コミュニティによって阻害される若い男女の自由恋愛というサイドエピソードや、アーロンの家族関係といったドラマも、ストーリー全体の幅を拡げるのに貢献している。
 もう一つ、愛や人生と、信仰という二つの間の揺れや、それらに関する問いかけなども、ストーリー的なテーマの一つだと思うんですが、こちらは残念ながら私の英語力不足と、ユダヤ教に関する基本的な知識不足もあって、かなりアレコレ拾い損ねた要素が多々ある感じ。
 全体のムードは極めて静かで、特に映像的に斬新さを感じるタイプの作品ではありませんが、その静かなトーンと寒色系の落ち着いた映像が実に印象的。

 役者さんは、まず年長のアーロンを演じているZohar Shtrauss(ゾハール・シュトラウス、日本公開作では『レバノン』に出演)が見事。魅力的な異邦人によって、今までとは異なる自分に目覚めていき、それが人生そのものにも影響していくという、いわば『テオレマ』タイプのストーリーなんですが、そういった感情の揺れ動きを、抑えた演技で実に説得力豊かに演じてていて、その抑制ゆえに瞬間迸る激情が尚更効果的に。
 立ち位置的には「誘惑者」となる、年少のエズリを演じるRan Danker(ラン・ダンカー?)も、いわゆる耽美系の誘惑者のような退廃味ではなく、ある意味無邪気とも言える真っ直ぐな好青年を好演。超正統派ユダヤ教徒なので、髪形や服装などが一般的な視点から見れば奇異なものであるにも関わらず、男性として完成された立派な肉体と、どこか少年の気配を残したナイーブさのあるハンサムぶりが、実に魅力的。

 ゲイ映画としても、そういったジャンルフィクション的な限定抜きの一般的な映画としても、どちらも大いに見応えがあり、クオリティも高く、静謐な力強さが感じられる作品。
 結末が観客に解釈を委ねるタイプなので、ストーリー的なオチを求める人には向かないかもしれませんが、モチーフに興味のある方はもちろん、単館系の映画好きならオススメできる一本だと思います。

 この予告編は、映画自体の印象よりもかなり扇情的な感じなので、御参考までに本編からのクリップも貼っておきます。
 こんな感じで、全体の雰囲気は実に静か。