“Pehlivan” (1985) Zeki Ökten
(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com)
1985年製作のトルコ映画。監督はユルマズ・ギュネイと組んで『敵』『群れ』(どちらも未見)などを撮ったゼキ・オクテン。主演は『群れ』と同じくタルク・アカンで、この”Pehlivan”では第35回ベルリン国際映画祭名誉賞を受賞。
タイトルの意味は「レスラー」で、文字通りトルコの国技であるオイルレスリング(ヤールギュレシ)を扱った内容。
老いた父親と妻と三人の子供と共に暮らす主人公は、全国的な不況によって失業中。望む職が見つからないまま、仕方なくリビアに出稼ぎに行くことを考えつつ、近在の村で祭りがあると、そこで開催されるオイルレスリング大会に参加して、僅かばかりの現金や賞品の家畜を手に入れている。
しかし家計は苦しくなる一方で、更に長いことドイツに住んでいた親戚が、当地のトルコ人排斥運動のあおりで帰国し、主人公の家に同居し始める。主人公は、友人であるレスリングの口入れ屋や、往年の名レスラーだった大工と組み、一攫千金を目指して大きな大会での優勝を目指すのだが……という内容。
演出は極めてリアリズム志向。
作劇にフィクション的な過剰さや虚飾がなく、家族や友人の心の動きを描く日常的な光景や、社会情勢を反映したエピソードなどが、淡々と、しかし力強く、まるでドキュメンタリー映画のように綴られていく。素晴らしく見応えあり。
音の使い方も見事。エモーショナルな劇伴音楽ではなく、実際のオイルレスリングの試合や村祭りで奏でられる音楽がメインで、それがドラマの素朴な力強さをより引き立てる効果に。
加えて自然音の使い方や、クライマックスの無音効果などは、もうお見事の一言。
役者陣も、主人公とその老いた老父を筆頭に、いずれも素晴らしい存在感と説得力。
そんな主人公の肉体的な存在感をメインに、繰り広げられる数々のレスリングシーンも見所の一つなのだが、村祭りの試合から師匠との練習、そしてクライマックスの延々と続く大会の模様など、その充実度にも大満足。
更に主人公の《逞しい肉体》という要素が、きちんとエロティシズムにも繋がっているのが良い。
夫の身体をオイルマッサージしながら、夫婦が次第に欲情していくシーンがあるのだが、オイルに濡れた手で分厚い胸板を撫で回す様や、屈んだ妻の襟元から覗く乳房のたわみといった具合に、抑えた描写ながらもエロティシズムもばっちり。
というわけで、元々オイルレスリング好きの私としては、もう文句なしに楽しめました。
ただし結末は見る人を選ぶと思います。予定調和的な快感を保証する娯楽作ではなく、そのアンチ・クライマックス的な幕の引き方には、賛否両論ありそう。
個人的には、このエンディングは高評価。ドラマが一瞬にしてブツンと途切れて、映画の世界から現実に放り出されてしまうような感じなんですが、全体がリアリズム準拠なので、その効果も大。「ああ、現実ってこういうものだよな……」などと、しみじみ思いました。
私が最近見たアンチ・クライマックス系のトルコ映画(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督作品や、セミフ・カプランオール監督『蜂蜜』『卵』、東京国際映画祭で見た『ホーム』『われらの大いなる諦め』など)と比較すると、まだまだ娯楽寄りの要素はありますし、日常的な表現のデリケートさも、あそこまで徹底してはいませんが、それでも題材に興味がある方なら、まず見て損はないと思います。