『牛』”The Cow (Gaav)”

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『牛』(1969)ダリウシュ・メールジュイ
“The Cow (Gaav)” (1969) Dariush Mehrjui
(米盤DVDで鑑賞→amazon.com

 1969年制作のイラン映画。原題”گاو‎”。ダリウシュ・メールジュイ監督。
 田舎を舞台にしたリアリズム劇で、アッバス・キアロスタミやモフセン・マフマルバフといったイラニアン・ニュー・ウェーブは、この映画から始まったんだそうな。

 イランのとある田舎の村。
 村に一頭だけいる牝牛の飼い主である中年男ハッサンは、自分の牝牛を我が子のように可愛がっていた。しかし彼が所用で村から離れている間に、牝牛が急死してしまう。彼の心中を慮った村人たちは、牝牛をこっそり古井戸に埋め、彼には「牝牛が逃げた」と言うことにする。
 やがて帰ってきたハッサンは、牝牛が逃げたと聞かされて嘆き悲しむのだが、喪失の悲しみは次第に彼の心を蝕み、村人たちの心配する中、やがては自分が牝牛だと思い込んで、牛小屋から出てこなくなってしまい……といった内容。

 ストーリーとしては極めてシンプル。
 村の家畜を狙う外部の盗賊とか、ハッサンの甥と村娘との仄かな恋情とかいった、サイド・エピソード的なものも一応はあるものの、基本はハッサンの牝牛に対する愛情と、それを喪って次第に精神に変調をきたしていく様子と、それを何とかしようとする周囲の村人たちのドラマ。
 ハッサンが牝牛をどれだけ愛しているかというのは、優しく話しかけ、精魂込めて手入れをし、牝牛のためにお土産にお守りを買ってくる……といったエピソードの数々から、痛いほど良く伝わってくるし、だからこそその牝牛が死んでしまった時の、妻の動揺や村人たちの心配も判る。そして、誰も悪気があるわけではないし、逆に《良かれ》と思ってしているのに、にも関わらずそれが裏目に出て、悲劇的な結末を迎えてしまう。
 最後、(ネタバレを含むので白文字で)どんなに手を尽くしても牛小屋から出ようとしないハッサンを、村人たちは無理やり縛り上げて町の病院に連れて行こうとするのだが、抵抗し、言うとおりに歩こうとしないハッサンに、友人が業を煮やして、つい「歩け、この獣!」と怒鳴りながら、木の枝で彼を家畜のように打ち据えてしまい、そのあと我に返る……なんて場面は、そんな気持ちも判るだけに、尚更ゾッとするような痛ましいような、そんな気持ちに捕らわれて心を揺さぶられます。

 映像はモノクロームで、画面は極めて力強し。
 平穏な村の日常を描く静的な画面と、ハッサンの狂気や、村に忍び込んだ盗賊などを描く動的な画面のコントラストも素晴らしい。イタリアン・ネオレアリスモとの近似性というのも、これがイラン映画の新たな潮流を生んだというのにも納得。
 エモーショナルな要素が、ハッサンの牝牛に対する愛情という部分のみに集約していて、余分なドラマ的な作りがないのも佳良。基本的には現実の無情さを描きながらも、あちこちにそこはかとないユーモアも忘れない作劇も佳良。
 作品世界全体を俯瞰する視点の高さや、悲劇的であると同時に仄かな救いも感じさせる、鑑賞後の余韻も味わい深し。

 『牛』から、牝牛が消えた後、村人たちが心配してハッサンを訪ねると、彼の様子がおかしいことに気づき……といったシーンのクリップ。