“Iz – rêç” (2011) M. Tayfur Aydin
(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで購入可能→amazon.com)
2011年のトルコ映画。英題”The Trace”。
故郷に帰りたいという老母の唯一の望みを叶えるために、棺を運んで旅する息子と孫の姿を通して、未だ癒えぬトルコ国内での民族紛争問題に、無言の抗議を突きつけた意欲作。
故郷を追われイスタンブールで暮らすクルド人一家。ある日祖母が転倒し、医者に連れていったところ治療不可能な脳腫瘍が発見され、余命いくばくもないと宣告される。
祖母は唯一の望みとして、故郷に帰ってそこで埋葬されたいと息子に頼む。息子はそれを承諾し、お祖母ちゃん子の孫息子と共に、十数年前に後にした故郷の村に、祖母を連れていくことにする。
しかし厳格な父親である息子と、現代っ子の学生である孫息子は折り合いが悪く、この父子は何かと衝突を繰り返す。そんな中、田舎へ向かう列車の中で祖母が亡くなる。
父子は祖母の遺体を棺に入れて、故郷の村の近くに住む親戚の家に運ぶ。そして車を手配し、今や廃村となっている故郷へと向かうのだが、道が軍隊によって封鎖されていて、村に辿り着くことができない。
父子はいったん近郊のクルド人の村に身を寄せる。村の人々は、故郷の村に行くのは無理だからここに埋葬しろと父子を説得する。しかし父はあくまでも祖母との約束を守ることにこだわり、棺を馬に乗せて徒歩で村へ行こうとする。
息子は父親に向かって、そこまでして祖母との約束を守らなければいけないのかと抗議するが、父親はそれを聞き入れようとはしない。孫息子は仕方なく父親を手伝い、共に雪道を進み始めるのだが、やがて馬はへたばってしまう。
父子は自分たちで棺を担ぎ、道なき道を進み、やがて祖母の埋葬場所に辿り着くのだが、そこで一族のルーツに関する驚くべき事実が明かされる……といった内容。
いや、これはやられた……。
故郷を追われたクルド人一家、民族的な出自のせいで恋人に振られてしまう孫息子、旅先で理不尽に身分証の提示を求める警察……といった具合に、モチーフはクルド問題なのだとミスリードさせて、最後の最後に「うわぁそっちへ行くか!」という感じでした。いやぁ、一本とられた。
演出は極めて静的。セミフ・カプランオールやヌリ・ビルゲ・ジェイランほど禁欲的ではないにせよ、派手な場面は皆無で全てが淡々と進んでいきます。描かれるエピソードもホームドラマ的で、いささかのさざ波はあれども、しかし基本的にはどこにでもありそうな光景を、丁寧に繋いでいくという感じ。
ただし、孫息子の叶わぬ恋とか、不妊に悩む娘夫婦とか、父と息子の不和とかいった、そういうホームドラマ的なエピソードは、いずれもこれという決着には至らない。これらはあくまでも《日常》を提示するためのファクトでしかなく、それゆえに、最後に突きつけられる重い命題が、こういう《どこにでもある日常》の裏に、常に存在し続けることを明示する効果になっています。
美麗な映像もまた、この命題とのコントラストを醸し出していて有効。
後半の、棺を担いだ父子が黙々と進むシーンに見られる、自然の風景を活かした詩情あふれる映像を筆頭に、夜、老母の棺の前に座る息子の背後で、家の灯りと共に赤ん坊の出産の物音が聞こえてくるという、生と死が交錯するシーンや、トルコ映画ではちょっと珍しい、全裸で横たわる恋人たちの全身を俯瞰で捕らえるシーンなど、美しく印象深い場面も多々あり。
役者さんたちの自然な演技や、それによって醸し出されるリアルな存在感も、同様に実に効果的。
前述したように、ストーリー的には最後に空中分解するようなツイストが入るので(ネタバレを含むので詳細は後述)、そこは好みが分かれるかもしれません。いわば観客は、フクションである《映画》の世界から、唐突に《現実》に放り出されてしまい、その時点でフィクション的なドラマの数々は無効化してしまい、現実の世界が抱える問題が突きつけられる形になります。
しかし、ラストの廃屋の窓の中に無言で佇む二人の姿は、こういった問題に対する無言の抗議として言葉以上に雄弁であると思うし、何よりこのモチーフを取り上げること自体が意欲的。
結果、映画は登場人物が何か考えて答えを出すのではなく、鑑賞者である我々に考えさせるという形で終わります。描かれている映像自体は、シリアスな雰囲気ではあるものの、決して重苦しかったり暗かったりはしないのに、鑑賞後は極めてズッシリとした味わいに。
いや、繰り返しになりますが、これは一本とられたという感じ。
ある程度トルコの近代史や民族問題に関する知識がないと、ちょっと理解が難しいところはあるかも知れませんが、それらに興味のある方なら見て損はない一本。
【ラストシーンのネタバレを含む解説】
(嫌な方は以下はお読みになられませんように!)
前述したようにこれは、基本的には紛争によって村を追われたクルド人一家の話なので、当然観客も、祖母が帰りたがっているのは放棄されたクルド人の村だと思っています。
しかし最後の最後、祖母の棺が祖父の眠る墓に辿り着いたとき、生前の祖母のモノローグによって、実は彼女はかつてトルコで虐殺されたアルメニア人の生き残りで、自分の家族を殺された上に強奪され、無理やり主人公父子の父親にあたるクルド人男性と結婚させられたという事実が明かされる。彼女が帰りたがっていた(埋葬されたがっていた)場所も、亡夫と同じ墓ではなく、かつてアルメニア人墓地のあった場所だった。
こうして、今まで被害者だと思っていたものが、同時に加害者でもあったという事実、繰り返される悲劇という歴史が明かされ、それを踏まえて祖母を埋葬した父子は、放棄された村の廃墟となった家の中に佇み、その窓越しに観客である我々を、何かを訴えかけるように無言で延々と見つめ続ける。
セリフはいっさいないにも関わらず何よりも雄弁な、素晴らしいエンディングでした。