“Çanakkale 1915” (2012) Yesim Sezgin
(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com)
2012年のトルコ映画。第一次大戦時、イギリス他の連合国軍対オスマン・トルコ軍の、ダーダネルス海峡とガリポリの戦いを、トルコ側の視点で描いた戦争大作映画。
ストーリー的には戦記物に徹していて、1914〜15年にかけてのダーダネルス海峡周辺で起きた戦闘を、日時を明記しながら時系列に沿って、軍の上層部と現場の兵士たち双方の視点を交えながら描いたもので、戦場およびその周辺以外のドラマはほぼ皆無という作り。
兵卒側の視点は、愛国心に燃えてアナトリア地方の村から入隊してきた青年たちのドラマがメインとなり、司令部側では優れた軍人で人徳にも篤い青年将校ムスタファ・ケマル(後のアタチュルク)が、次第に頭角を現していくのが描かれます。
それらを通じて、祖国を守るために人々がいかに闘ったか、銃後の人々もしかにそれをサポートしたか、戦場ではどんな悲劇や感動的なドラマがあったか、ちょっと難ありのオスマン・トルコ上層部に対して、アタチュルクはどれだけ優れていたか……といった要素が愛国心を鼓舞しながら繰り広げられる。
イスラム色も濃厚で、いわゆる英霊的な描写も多く、映画全体も、故国を守るために戦死した英雄たちに捧ぐ頌歌のような作り。海戦場面などはCG大会になっちゃいますが、それでもスケール感や物量感といった大作の味わいはタップリ。
ドラマ的には、登場人物が皆似たような口ヒゲを生やしているせいもあって、ちょいと見分けが付きづらく、また、戦場以外のエピソードはほぼないので、感情移入もし辛い面はあるんですが、それでもいかにもエモーショナルなエピソードが次から次へと出てくるので、けっこうグイグイ見られます。
例えば、砲台に弾を運ぶ装置か何かが壊れてしまい、一人の力自慢の兵士が何百キロもある砲弾を背中に乗せて、何往復もして運ぶとか、部下を庇って撃たれた上官をおぶって野戦病院まで運び、すぐまた戦場に戻るとか、そういった《戦争美談》みたいのがいっぱい。
銃後の描写でも、過去の戦争で夫も息子も亡くした老農婦が、彼らの帰りを待っている間に編んでいた靴下を、兵隊さんのために役立ててくれと供出し、担当の兵士に敬礼して挨拶するとか、昔の日本の国策映画を連想するようなシーンも幾つか。
トルコの映画ならではといった味わいも多く、例えば、塹壕で兵士が皆、生き埋めになり死んでしまった……と思いきや、ジャラ〜ンというトルコの伝統音楽の調べと共に、土中からムクムク這いだしてきたり、将校が独断で兵を出すことを決断し、進軍するシーンにオスマントルコ軍楽が流れたり。
戦死した兵士のポケットから自作の詩が出てきたかと思うと、次のシーンでは塹壕の中でサズの弾き語りでそれを歌い、更に次にはその歌が兵士の間で流行していたりするあたりも、いかにもトルコ映画的な感じで面白かったです。
敗れた軍服を麻袋を切って繕うといった、戦線における日常を描いたディテールもあれば、鳥瞰で捉えたトルコ歩兵対連合軍歩兵の衝突が、そのままイスラムの赤い三日月にオーバーラップしたりなんていう、叙事詩みたいな場面もあり、そんな表現の幅広さも面白く見られたポイントの一つ。
というわけで、とにかく愛国心と信仰心をベースにした戦争美談スペクタクル映画なので、そういう意味では潔いほどブレがない一本。
そういったもの自体に抵抗を感じる方には、これは全くオススメしませんが、戦記物がお好きな方だったら、2時間強、もうタップリ楽しめること請け合いです。