コンクリートの檻(6)
第三章 娼夫
哲夫は一人、黒い部屋の台上に仰向けに縛られて放置されていた。
身体の上に飛び散った精液がばりばりに乾いていた。
男達は哲夫の尻を責め終わって、部屋から出ていったきり戻ってこない。
哲夫はぼんやりと放心したように天井を見ていた。
尻を責められた時の快楽の余韻が、まだ脳裏に残っている。それは今迄知らなかった、妖しい感覚だった。
自分の中で何が起きているのか判らない。
理由もなく、涙が一筋頬を伝った。
喉が乾いた。
頭の横には水の入った吸い飲みがあったが戒められた手足ではそれを飲む事もできない
改めて自分が、水の一杯も自由に飲めない境遇に堕ちたことを痛感した。
その頃、サングラスの男は一階にある事務室で、組の本部からの電話を受けていた。
「はい…はい。ええ、もう予想以上のタマでしたよ。ありゃあいい品物になりますよ」
電話の向こうで、中年の男の声が言った。
『そうか、そいつァ良かった。危ねェ橋を渡っただけの事はあったな。…で、もう調教は始めたのか?』
「ええ、尺八とケツは仕込みました。またこのケツの感度が抜群なんですよ。何しろ最初っからトコロ天いきましたからね」
『そいつは凄ェな』
「ええ、調教次第では幾らでもいけそうです」
『アア、その事なんだがな…』
電話の向こうの口調が少し変化した。
「何ですか」
『仕込みは一旦中止してくれ』
「はァ?何ですって?中止ィ?」
サングラスの声が訝しさに高まった。
「何故ですか。あいつを諦めるんですか?」
『そうじゃねェよ。実はな、あるお客さんにおめェが送ってきた、その男の写真を見せたらえらく御執心でな』
「へえー、もう客が付きましたか。でもそれなら、尚更さっさと調教をおえねェと…」
『馬鹿野郎、話を終わりまで聞かねェか。そのお客はあいつの水揚げをしてェんだと』
「水揚げを」
『そうだ、それもなるたけまっさらなままでな。素人を無理やりってのがお好みなんだそうだ』
「ははーん、そういう訳ですか」
『お客さんの都合が付くのは五日後だ。それまで適当にやっといてくれ』
電話を切ったあと、サングラスは暫く膨れっ面をしていた。
「畜生、一番面白ェとこを横取りしやがって…」
しかし、サングラスはあることを考えついた。
どこかの助平親父がしつの水揚げをしたいと言うのなら、それも悪くないかもしれない。それなら、あいつがなるたけショックを受けるようにしてやろう。
泣き叫んで無理やり犯される野郎の姿。
堅気の素人が淫売に堕ちる瞬間。
それを見るのもまた一興だ。
サングラスは機嫌を直すと、あれこれと考えを巡らせ始めた。口許に冷酷な薄笑いを浮かべて。
いつの間にか眠り込んでいた哲夫は、手足を締め付けていた革ベルトが外されるのを感じて目を覚ました。
ビルダーと小太りが台上に屈み込んでベルトを外している。
「おい、降りろ」
哲夫は台から下りたが、首輪と手足の手錠はそのままだった。
「水を…」
哲夫は恐る恐る言ってみた。しかし男達の返事は意外なものだった。
「そこにあるだろう、勝手に飲め!」
哲夫は信じられないといったおももちで、台上の吸い飲みを掴むと、その中身を一気に飲み干した。
「よし、ついて来い」
小太りがそう言って歩き出した。今度は股間に鎖も付けられていない。
哲夫は小太りとビルダーに前後を挟まれる恰好で、再び三階のあの部屋に連れていかれた。
ベスルームに連れ込まれた哲夫は一旦後ろ手の手錠を外されて、改めて前で掛け直された。
「二十分やるから身体を洗え。湯も出るし石鹸もある。ドアに鍵を掛けるから、終わったらそう言え」
二人はそう言うと出ていった。哲夫は狐につままれたような心地で、一人バスルームに取り残された。
するとまた、いきなりドアが開いて小太りの顔が覗いた。
「いいか、変な考えを起こすなよ!てめェの息子は俺達で預かってるって事を忘れるんじゃねェぞッ!」
そう凄むと顔は引っ込み、再びドアは閉ざされて鍵の掛かる音がした。
哲夫はバスルームを点検してみた。
窓は一つもない。ごく一般的なユニットバスだ。
天井の隅にビデオカメラが設えてある。これで自分を監視しているのだろうか。
脱出を考えていない訳ではなかったが、洋の安否を握られている以上、あいつらには逆らえそうになかった。
自分にとっても風呂を使うことは有り難いことで、決してまずいことではないはずだ。 哲夫はシャワーのコックを捻ると、奔出する熱い湯で身体の汚れを落とし始めた。
身体を洗って生まれ変わったような気分になった哲夫を、男達は着替えを持って待っていた。
清潔な白いサーフシャツ、同じく白のブリーフと短パン。一時的に手錠が外されて、哲夫がそれらを着終わると再び手錠が掛けられた。
いつの間にかリビングにはサングラスの男が待っており、哲夫はソノ向かいのソファーに座らされた。
サングラスは口から煙草の煙を吐き出しながら言った。
「どうだ、人心地ついたか」
「はい」
哲夫は男達に対して、自然と敬語を使っていた。
「いいか、お前にはこのマンションの雑用をやってもらう」
その言葉を聞いて哲夫は驚いた。驚く哲夫の顔を面白そうに見ながら、サングラスは続けた。
「お前が言いつけさえ守っておとなしく働けば、お前もお前の息子も悪いようにはしない。このマンションにはうちの組員も何人か住んでいる。そいつらの部屋の掃除、コマゴマした雑用をやればいい。組員の部屋は二階だ。それと四階の部屋。そこも言われた時には掃除や片付けをするんだ。
但し、一階と三階に出入りすることは許さん。また無断で四階に上がることもだ。お前の部屋は二階に用意してやる。
忠告しておくが、このマンションはいたる所にカメラが備え付けてあって、それは随時監視されているからな。お前がもし命令を破った時にはすぐに分かる。当然命令に背いたツケはお前の息子が肩代わりする事になるぞ。
また、もし何とか一階に降りれたとしても出口のドアは全てナンバー式のロックだ。絶対に開けることは出来ないし、窓のガラスも防弾ガラスだ。至近距離でピストルで打っても、まず割れやしない。
まあ最も、可愛い息子を見殺しにして一人逃げ出すような父親じゃねえだろうがな」
哲夫は茫然とそれを聞いていた。
サングラスの話した内容は、哲夫の想像していたものよりも遙かに良いものだった。
それだけの自由を与えられていれば、いつかこの状況を打開するチャンスも巡って来るかもしれない。
哲夫は試しに質問してみた。
「何故、三階と四階には行ってはいけないんですか」
「そんな事を知ってどうする?お前は只、言い付けられた事に黙って従っていればいいんだ」
サングラスの返事を聞いて哲夫は、洋が三階か四階のどちらかにいると確信した。おそらくたまに入る事を許されている四階ではなく、三階の部屋の何処かだろう。
黙した哲夫を見て、サングラスは心の中でほくそ笑んだ。
こいつは何の為にこの自由を与えられたか全く見当もついていないだろう。
三階はSM用の部屋だけなので、こいつに見せると自分の境遇を深刻に捉えてしまうだろうし、四階も売春夫達が客をとっている時には同様だ。
またそれとは逆に、ここに通ってくる売春夫たちに、鎖を掛けられて首輪をされた哲夫の姿を見せるのも、彼らを脅えさせて警戒させるもとになる。
このマンションに五階がある事にも、こいつはまだ気付いていない。監禁され、このマンションから一歩も出ることを許されない売春夫がいる五階の事を。
そして今日から五日後に、何が待ち受けているか。
こいつはまだ何も気付いていない。
与えられた偽りの希望の中、哲夫を包囲した悪魔の思惑は、確実にじりじりとその輪を狭めつつあった。