窓〜アル・ナーフィザト(10)

 やがて俺の身体は完全に宙に浮いた。頭が床から十センチ程離れた所で、所在なげにゆらゆらとゆれている。全体重を支えた縄がぎしぎしと軋み、足首が次第に痛み始める。
 サイードが吊られた俺に歩み寄り、掌を肌の上に滑らせた。俺の全身に鳥肌が立つ。
 恐怖と苦痛にも関わらず、俺の男根は未だに怒張していた。そこがひくひくと脈打っているのを、何だか他人事のように感じていた。
「嬉しいか?これがお前の夢見ていたことだぞ」
 夢……
 これが、俺の夢見たことか……
 サイードの声を、俺はぼんやりと聞いていた。
「記念写真を撮ってやるよ」
 サイードがそう言って、俺のカメラバッグを開けた。
「いいカメラだ。ニコンだな?……心配するな、使い方は知っている。言ったろ?写真を撮るのが趣味だって」
 窓の外で、空が鮮やかなオレンジ色に染まり、灰色がかった菫色の雲がたなびいている。
 部屋全体がオレンジ色の、幻のような光に満たされている。
 泣きたくなる程、美しい。
 窓の外からアザーンが聞こえてきた。その美しく哀しい響きが、俺の身体に戦慄を走らせ、肌に粟を立てる。
 背後に人が立つ気配がして、一瞬後、鞭が空を切る音がした。
 裸の背中を真っ直ぐに走る、焼けつくような痛み。
 フラッシュの閃光と、シャッター音。
 そして、俺の身体を電撃のように駆け抜ける快感と、股間から白い軌跡を描いて迸る精液。
 その全てが、同時に起こった。
 苦痛と屈辱、そして快感の入り交じった、不可思議な感覚に霞む頭で、俺ははっきりと悟った。
 あれは夢でも、幻でもなかった。
 俺は、現実の光景を見たのだ。
 あの時、タクシーに揺られながら、紫色の窓の中に……
 俺は一週間後の自分……今、この瞬間の自分の姿を見たのだ。
 まだ、アザーンが続いている。
 その声に包まれながら、俺の意識は忘却の彼方に消え去っていった。

 目覚めた時、俺はいつの間にかホテルのサイードの部屋で、素っ裸のままベッドに横たわっていた。
 向こうのソファに、サイードとアハメッドが座っている。二人ともゆったりとしたガラベーヤに着替え、楽しそうに何事かを談笑している。
 俺はゆっくりと身体を起こし、ふらふらと裸のまま二人の方へ歩いていった。鞭で打たれた背中が、ひりひりと痛む。
 二人が振り向いて、にやにや笑いながら俺の顔を見た。
 俺は二人の前に立つと、自然に絨毯の上に跪いた。まるで主人に傳く奴隷のように。
 サイードが手を伸ばして、俺の頭を撫でた。俺の心は平穏に満たされる。
 アハメッドが衣の裾を捲くると、俺を誘うように、その男根を扱いて見せた。俺は潤んだ瞳で、アハメッドの逞しい男性を見つめた。
 電灯の光を受けて輝くそれは、まるで神話の中の幻獣のように神々しい。鮮紅色の小さな唇から零れる蜜が、俺の心を魅了して絡め取る。
 俺はアハメッドの足下ににじり寄り、その男根を礼拝するように仰ぎ見た。
 その先端から、透明な蜜が糸を引いて滴り落ちる。俺は首を伸ばして、それを舌の上に拝受する。
 アハメッドが何か言い、それをサイードが通訳した。
「遠慮するな。好きなだけしゃぶっていいぞ」
「ショクラン、アッサイィド・アハメッド(ありがとうございます、アハメッド様)」
 俺は自分の乏しいアラビア語の知識で、精一杯の礼を言うと、アハメッドのものを口に含んだ。
「欲しければ、幾らでも食わせてやるさ、このビッチめ」
 サイードが手を伸ばして、俺の肛門を嬲りながら言った。
「あの二人の客も、お前にしゃぶらせたがってた。他にもお前を犯りたがっている連中は、幾らでもいるぞ」
 俺はその言葉にも驚かなかった。サイードは俺の事を、他の泊まり客や友人に、面白可笑しく話していたに違いない。そして、そのうち俺を貸し与えることを約束していたのだろう。
 俺はそれでも良かった。
 逆さに吊られて、鞭で打たれて射精した瞬間から、俺は今までの自分とは違った人間になった気がしていた。
 あの時、サイードが言った通り、それこそが俺の望んでいたことだったのだ。
 俺はアハメッドのタクシーに揺られながら、自分の心の奥底に潜んでいた欲望を、あの窓の中に投影し、それを見てしまったのかもしれない。
 そして蜜に魅かれる虫のように、その幻に引き寄せられ、捕らえられてしまった。
 サイードは、そんな俺の本質を見抜いていたのかもしれない。そして俺を、その本質へ向けて誘導し、開放してくれた。
 口の中の男の性器。尻を嬲る男の指。
 それが俺の心を満たし、悦びに打ち震わせる。
 男たちから女のように扱われ、侮蔑されながらもその男根に仕え、支配される。彼らの欲望の捌け口として、心と身体を玩ばれ、その渦の中で快感に咽び泣く。
 それが、俺という人間の本質なのだ。
 俺はそう思いながら、今まで味わったことのない解放感と、心の安らぎを感じていた。 アハメッドが俺の口から男根を引き抜くと、俺を絨毯の上に犬のように這わせた。俺は尻を高く上げて、アハメッドに貫かれるのを待った。
 アハメッドの男性が、俺の肛門を貫く。俺のものは嬉し涙を流しながら、悦びに打ち震えている。
 部屋の向こうのベッドの上に、一瞬の幻が見えた。
 しかしサイードが俺の前に立って、勃起した男根を俺の口に押し込むと同時に、その幻は消え失せた。
 尻の中で動くアハメッドの勢いが、段々激しくなっていく。サイードが俺の頭を押さえ込み、容赦なく俺の喉を突きまくる。
 肛門から口にかけて、巨大な男根に串刺しにされているようだった。
 俺は目を閉じる。
 瞼の下にさっきの幻が、はっきりと浮かび上がる。
 俺は後ろ手に縛られ、ベッドの上に仰向けになっている。
 全裸のアハメッドが俺の口に男根を押し込みながら、俺の両足を高く上げさせて、その足首を掴んでいる。
 まだ幼い顔立ちのアラブ人の少年が、俺の肛門を犯している。サイードの甥のアマルだ。
 ベッドの横では、あの二人の客が勃起した男根を握りしめて、自分たちの順番が来るのを待っている。
 反対側に鞭を持ったサイードが立ち、何事か言いながら、鞭を振り上げている。俺の肌には、既に無数の蚓腫れが刻まれている。
 俺の顔は恍惚として、快感に啜り泣いているように見える。
 これはいつの光景だろうか。
 一箇月後か。
 一週間後か。
 それとも明日か。
 あの窓が見える。土壁ががらがらと崩れ落ち、砕けて砂塵になっていく。
 砂が吹きつける風に散っていく。
 虚空に渦を巻いて吹き荒れる、風の音が聞こえる。
 俺の中に、熱いものが込み上げる。
 乾いた熱い風が、啜り泣きのような音を立てて、俺の中を吹き荒れている。
 風の音に混じって、<彼ら>の声が聞こえる。
 アッサラーム・アレイクム……こんにちは……貴方の上に安らぎあれ。

 誰かが、扉をノックしている。

 (完)