窓〜アル・ナーフィザト(5)
両腕で顔を覆って、ぐったりと横たわった俺の脇で、サイードはタオルで掌を拭うと、紙巻き煙草に火を点けた。
変わった香りが立ち込める。
「喫ってみるか」
ようやく我に返って、タオルで股間を拭い始めた俺に、サイードはその紙巻きを差し出した。マリファナだどいうのは判っていた。
「煙を深く、思い切り深く吸い込め。吸い込んだら暫く、肺に溜めるようにするんだ」
俺の唇に紙巻きを当てがいながら、サイードは子供に言い聞かせるように言った。俺は目を閉じて、思い切りその煙を吸い込んだ。いがらっぽい煙が喉を降りていく。
紙巻きの吸い口が離れると、俺の唇に残っていたサイードの精液が、ねっとりと糸を引いた。
サイードはニヤリと笑うと、それを指に掬って俺の頬になすりつけた。指は頬に粘液に光る軌跡を残し、俺の唇の間に滑り込む。
口に入ったサイードのひとさし指を、俺は軽く噛んでみせた。まるで情人に甘える女のように。
小一時間前に感じていた、サイードに対しての気まずさは、俺の心から跡形もなく消え失せていた。彼の顔を見ていると、俺の心は何とも言えない安らぎに満たされていく。
サイードのペニスが俺を開放した。
俺はそう思った。
自分でも気がつかなかった、俺の心に潜んでいた欲望を、サイードの男根が暴き、育てる。そんな解放感が心地好い。
頭がくらくらする。マリファナの効き目だろうか。
サイードが俺の身体を抱き寄せる。俺はごく自然に、渦巻く剛毛に覆われた胸に頭を凭せかけた。
肌の温もりが心地好い。抱かれた肩から、温かい湯に漬かっているような温もりが、俺の身体に染み込んでいく。皮膚感覚が鋭敏になっているのか、サイードの手が少しでも動くたびに、びりびりするような快感が背筋を走り抜ける。
サイード太い腿の間に、力を失った肉塊がうなだれている。俺はそれに触れたいという欲望に抗しきれず、手を伸ばしてそっとそれを握りしめた。
太く柔らかかった肉塊が、微かにその固さを増したような気がした。
「サイード」
俺は彼の男性を指で玩びながら尋ねた。
「どうして、ここの毛を短く切っているんだい?」
「ムスリムは皆、そうするんだ」
サイードはそう言いながら半ば勃起した男根を、俺の掌の中でびくびくと動かしてみせた。
瞼の裏に、あの窓の男の裸体が浮かんだ。股間に黒々と密生した、豊かな陰毛。
「じゃあ、彼はムスリムじゃなかったんだな……」
俺は独り言のように呟いた。
「誰だって?」
「あの、俺が見た窓の男さ。やっぱり、エジプト人じゃなかったんだ」
「エジプト人はムスリムだけじゃない。コプト教徒かも知れないぞ」
「いや、あれは東洋人だよ。俺と同じ……」
「何故、判る?」
「何故でもさ」
そう答えながら、俺は自分でも不思議な確信があった。あれは俺の仲間、東洋人だ。
「お前の肌は、絹のようにすべすべだな」
サイードが俺の背中を撫でながら言う。
「女のように綺麗な肌だ。こんなに逞しい身体で、手足にも立派に毛が生えているのに……奇妙だな。日本人は皆、お前のような赤ん坊みたいな肌をしてるのか?」
俺はその質問に答えなかった。
掌の中の肉塊は、もう完全に勃起していた。俺は新しい玩具を貰った子供のように、それに魅せられ飽きることがなかった。
「しゃぶれよ」
俺の心中を見透かしたように、サイードが耳元で囁いた。俺はベッドからおりて床に跪くと、俺を蠱惑してやまないその器官を口に含んだ。
「ああ……」
サイードが満足そうな呻き声を立てた。
俺はそれを喉の奥深くまで飲み込んで、亀頭の括れや、茎に浮き出た青筋に舌を這わせた。
サイードが掌で俺の髪を撫で回し、股間に奉仕する俺を見下ろしながら、低い声で囁いた。
「お前をファックしたいな」
その言葉に、俺は思わずサイードの顔を見上げた。満足そうに細められた目が、滾る欲望にぎらぎらと輝いていた。
「それは……」
俺はサイードの男根から口を離すと、言葉を濁した。
自分が本当に嫌がっているのかどうか、自分でも判らなかった。心の奥のどこかで、それを望んでいるような気もした。
しかしサイードのペニスが俺を犯した時、俺は本当の女にされてしまうような、そんな脅えがあった。
「どうした?続けろ」
サイードに促されて、俺は再び尺八を始めた。サイードはもう、俺を犯したいとは言わなかった。
やがて、二度目とは思えないほど大量の、白く濁った生暖かい樹液が、俺の顔一面に降り注いだ。
俺が部屋に戻ったのは、もう十二時を廻った頃だった。
二度の交情の疲れが、心地好い疲労となって、俺の身体を浸している。吸い続けたマリファナの煙が、まだ頭の中をふわふわとさせているようだ。
俺はベッドに身体を投げ出して、目を閉じた。瞼の裏に、あの窓の映像が浮かび上がった。
まるで撮影されたポジを見ているように、くっきりと静止した映像が見える。奇妙な感覚だった。
部分部分に目を凝らすと、そこがルーペで覗き込んだように拡大される。陰毛の一本一本、亀頭の先端に光る先走りの露までもが、鮮明に蘇っていく。
こんな感覚は始めてだった。俺は職業柄もあって、普通の人よりも映像に関する記憶力は良い方だが、それにしても一瞬の映像を、ここまではっきりと思い出せるというのは異常だった。
これも、マリファナの影響だろうか。
そう訝しみながらも、俺はこの発見に夢中になって、頭の中の映像を追い掛けた。
吊るされた東洋人らしき男の筋肉は、その体重に引き延ばされて、痙攣すらしているようだ。引きつった腹部から股間の叢にかけて、黒い毛が一筋延びている。
吊られた男の背後の暗がりの中に、ふと何かが見えたような気がした。意識をそこに集中すると、ゆっくりと何かが見えてきた。
人だ。上半身裸の男が立っている。
顔は見えないが、その胸と腹一面に渦巻く剛毛から見て、どうやらアラブ人のようだ。何かを振り下ろしているような恰好の、太い右腕が見える。その右腕にも剛毛がみっしりと生えている。
振り下ろされているのは鞭だった。ジプト人たちが馬や驢馬を追うときに使う、木の握りに編み上げた革紐が付いた鞭だ。
全裸の東洋人はこのアラブ人に逆さ吊りにされ、鞭打たれた瞬間なのだ。その瞬間にも関わらず、勃起しているのだ。
この東洋人も旅行者だろうか。そしてエジプト人の性の虜となったのだろうか。
俺がサイードの虜となったように。
そう思った瞬間、俺は吊られた男に奇妙な親近感を感じた。同時にその男を虜にしたアラブ人に、それまで以上の興味を覚えた。
鞭打っているアラブ人は、見事に逞しい身体をしている。胸筋は分厚く盛り上がり、太い胴体に腹筋が段になって浮かび上がっている。小太りのサイードとは大違いだ。
一瞬後、俺はあるものを発見した。そのアラブ人の左肩に、花のような形をした大きな痣があったのだ。
それに気付いた俺は有頂天になった。これは少なくとも、多少の手掛かりにはなる。
紫の鎧戸と、花の形の痣を持つ男。
何としてでも、それを見つけ出してやる。
サイードと関係したおかげで一度は遠のいた執着心が、再びふつふつと俺の心に沸き上がってきていた。