窓〜アル・ナーフィザト(6)

 翌朝、何故かフロントにサイードがいなかった。その代わりに、見慣れない少年が座っていた。
 俺はその少年に、サイードはどうしたのかと聞いてみた。しかし残念ながら、彼は殆ど英語が判らないようだった。
 俺は諦めて宿を出て、また旧市街を歩き回って窓を探した。しかし、やはりあの窓は見つからなかった。
 窓を探しながらも、同時に道行く男たちの左肩も観察した。しかし、男たちは殆どが長袖の衣を着ていた。
 結局その日も徒労に終わり、俺はくたくたに疲れ切って宿に戻った。フロントには再びサイードが座っていた。
 俺は早速、サイードに今朝はどうしたのかと聞いた。
「朝早くに電話があってね」
 サイードは神妙な面持ちで、説明し始めた。
「弟が車をぶつけて怪我をしたんだ。その見舞いに行ってたのさ」
「そりゃ、大変だったな。で、弟さんの具合はどうだった?」
「大したことはない。ちょいと肩を打っただけで、明後日にはもう車の運転も出来るんだそうだ。心配して損をしたよ」
「でも、良かったじゃないか」
「アルハムドリッラー」
「何だって?」
 俺は耳慣れない言葉に、眉を顰めて聞き返した。サイードが笑いながら教えてくれる。
「アラビア語だ。『おかげさまで』という意味だよ」
「ふうん。それで、今朝君の代わりにいた男の子は誰だい?」
「アマルだよ、私の甥っ子だ。一つ上の兄貴の息子でね、まだ十三才だが、親の手伝いも良くするし、おまけに頭もいいんだ。学校でトップの成績でね。兄貴はそのうち、カイロ大学に進ませるつりらしい」
 サイードは誇らしげに言った。おそらくアマル君は一族の誇りなのだろう。
 暫くそのアマルの自慢話や、全部で八人いるという兄弟や姉妹の話を聞かされた後、自分の部屋に戻ろうとした俺を、サイードが呼び止めた。
 俺が振り向くと、サイードは椅子から立ち上がって言った。
「早く夕飯を済ませてこいよ」
 サイードは右手で自分の股間を摩りながら、俺ににやりと笑いかけた。それを見た瞬間、俺の背筋を甘い戦慄が走った。

 そして、更に三日が経過した。
 三日間、俺は日中は旧市街で紫の窓を探したが、一向に見つからなかった。
 俺は次第に、自分の捜索が虚しく思えてきていた。自分が不可能で、しかも不毛なものを求めているような気がしてきた。
 その反面、俺は益々サイードにのめり込んで行った。
 毎晩サイードと肌を合わせながら、昼間の疲れは癒され、捜索が空振りに終わった虚しさが満たされた。
 サイードはマリファナを喫いながらソファに座り、俺を絨毯に跪かせてフェラチオさせるのがお気に入りだった。そして裸足の爪先で、奉仕しながら勃起している俺の股間を玩んだ。
 サイードを前にすると、俺は決まって自分が女のような気持ちになる。そしてその男根を口にすることで、自分が恋する男に奉仕出来るという、奇妙な倒錯した感覚を覚えつつあった。
 逆に俺の男根を、サイードが口にすることは決してなかった。しかし、俺はそのことを別に不満にも感じず、それを当然のことのように感じていた。
 サイードはマリファナと愛撫で俺を酔わせ、その香油をつけた掌で俺を逐情させる。俺はその快感に悶え泣きながら、男に支配されている悦びに酔っていた。
 三日目の晩にサイードは、俺に自慰をして見せるように要求した。そして俺は、そんな恥しらずのことすらやってのけた。
 絨毯の上に立ち、素っ裸で自分の男根を扱き立てる俺を、サイードは服を着たまま、ソファに座って見物した。
 サイードに見つめられているということが、何故か俺を異様に興奮させた。そしてサイードも、股間の布地を大きく盛り上がらせていた。
 欲情した俺を見て、サイードも興奮している。その歓びが俺の行為に拍車をかけ、俺の興奮を益々煽り立てる。
 サイードは精力も強かった。一度萎えた男根も、俺が少し玩ぶとすぐに勃起するし、射精を終えても勃起したまま、そのまま二度目の精液を俺の喉に注ぐことすらあった。
 その晩も、俺が自慰とサイードの手で二回射精したのに比べ、サイードは四回も射精した。二回は俺の口の中で、一回は俺の手で、もう一回は、俺に睾丸を吸わせながら自分の手で。
 十二時を廻ってようやくサイードの部屋を出た俺は、廊下で二人のエジプト人の男に出くわしてしまった。彼らはこのホテルの泊まり客で、この日泊まっていたのは、俺と彼らの三人だけだった。
 二人は俺の顔を見ると、小声でひそひそと何か言い交わした。
 俺は自分がサイードの部屋で何をしていたのか、その二人に悟られているような気がして、顔を真っ赤にして自分の部屋に駆け戻った。
 翌朝、俺が部屋を出ると、その二人がフロントでサイードと何か話していた。二人は俺の姿を見ると、サイードにアラビア語で何か尋ね、サイードもそれにアラビア語で答えた。
 サイードの返事を聞いた二人は、驚いたような顔をして頷くと、にやにや笑いながら俺の顔を見た。
 俺は嫌な予感を隠しつつ、何気ない顔をして挨拶した後、二人が何を聞いていたのかとサイードに言った。
 サイードは事もなげに答えた。
「トシが何者かと聞くから、日本人でカメラマンなんだと教えていたんだ。だから夕べ、私はトシに自分の肖像写真を撮ってもらったんだってね」
 そう言い終わると、サイードは俺にウィンクして見せた。
 男の一人が何か言った。サイードがそれを通訳してくれた。
「今度、自分たちの写真も撮って欲しいとさ」
「いつでもどうぞ、って言ってくれよ」
 サイードが俺の言葉を通訳する。それを聞いた二人は、嬉しそうににこにこ笑いながら、俺の背中を数回叩くと、手を振りながら出ていった。
 その後ろ姿を見送りながら、俺はほっとした気持ちになった。
 おそらく自分のしていることへの後ろめたさが、被害者意識のようなものになっていたのだろう。
 妙な勘繰りをしたり、少しでもサイードのことを疑ったのが恥ずかしかった。
「で、今日もまた窓探しかい?」
 サイードが少しからかうような調子で言った。
「ああ、そのことで頼みがあるんだ」
 俺は夕べ、部屋に戻ってから思いついた事をサイードに話した。
 まず、窓の中には逆さ吊りの男以外に、もう一人、アラブ人らしき男がいたのを思い出したことと、その男の左肩に花のような痣があったことを説明する。
「……それで思いついたんだが、ハマム(アラブ風公衆浴場)に行って聞けば、何か判るかもしれないと思うんだ」
「なるほど。しかしハマムは、カイロ市内には沢山あるぞ」
 サイードは面倒くさそうに顔を顰めて言った。
「判ってる。とりあえずは、旧市街のだけでいいんだ。そこの三助に、痣のある男について聞きたい。でも俺は、旧市街のどこにハマムがあるかも判らないし、それよりも……」
「……アラビア語が出来ない。だから私に通訳して欲しい、って言うんだろ?」
 サイードが俺の考えを先読みして言った。
「そうなんだ」
 俺は言った。
「頼むよ、サイード」
「無理だな」
 サイードはあっさり断った。
「そんな暇がどこにある?その間、ホテルはどうするんだ?」
「ホテルは、アマルに頼めばいい。そのバイト代は、勿論俺が払う。それに手伝ってくれたら、君にもお礼をするよ。頼む、一日だけでいいから……」
 俺は必死にサイードを説得した。
 サイードは眉間に皺を寄せて、腕組みをして言った。
「それならガイドでも雇えばいいだろう?旅行代理店に行けば、手配してくれるさ」
「そんなこと、頼めないさ」
 俺は情け無い笑みを浮かべて言った。
「どう説明するんだ?裸の男を逆さ吊りにした、エジプト人を探してるって言うのかい?頼むよ、こんなこと頼めるのは、サイード、君だけなんだ」
 そう言いながら俺は、まるで媚を売る女のように、サイードの瞳を覗き込んだ。サイードの顔つきが少し優しくなる。
「まあ、他ならぬトシが、そこまで言うんなら……」
 サイードが手を伸ばして、俺の頬を撫でた。
「今日一日だけ、付き合ってやろう。但し、その代わり私からも、一つ条件がある」
「何だい?代金なら好きなだけ払うよ」
「いや、金はいい。その代わり……」
 サイードはひとさし指で、俺の唇の輪郭をなぞりながら、低く囁くような声で言った。
「その代わり、お前をファックさせろ」
 その言葉は、俺の心に鋭く突き刺さるように響いた。
 実はこの三日間、サイードに支配される悦びを味わいながら、俺は絶えずそのことを考えていたのだ。
 女のように、サイードに貫かれる。
 それを想像すると、俺の身体は興奮に震え出す。しかし同時に、完全に彼の女にされるという脅えがある。
 サイードに犯されたなら、俺はもう後戻りが出来なくなる。
 そんな予感があった。
「それが私の条件だ。嫌ならいい。この話はこれまでだ」
 沈黙した俺に、サイードが言った。
「どうする?トシ」
 俺は目を伏せたまま、小さく頷いた。
「本当に、いいんだな?」
 サイードが俺の耳に唇を寄せて囁く。
「一回じゃない。何回もファックするぞ。手伝いが終わった時から、今夜十二時になるまで、したい時にしたいだけだ。何度も何度もファックしてやる。いいな?」
 俺は再び頷いた。
 サイードは俺の耳朶を噛んだ。
「じゃあ、言うんだ。ファックして欲しい、と」
「……ファックして欲しい……」
「もう一度」
「……ファックして欲しい……」
「もう一度だ」
「……ファックして欲しい……俺をファックして下さい!」
 サイードは嬉しそうに微笑むと、俺の唇に軽いキスをした。
 キスを受けながら、俺のものはズボンの下で、痛いほど固くなっていた。